【お箸の国の人だもの。】

【お箸の国の人だもの。】

道端から道行く人に向かって花が咲きかけていて、その花の花びらが五枚だったり五つに分かれていたりすると三枚や四枚より親しみを感じるのは、差し出された手のひらに似ているからかもしれない。


■10月26日の朝、清水区入江南にて。

手づかみで食べられるパンを喜ぶようになった義父ではないけれど、無性に手づかみで食べることを恋しく思うことがある。
そういえば最近は久しくにぎり鮨を手でつまんで食べていない。
一度カレーを手で食べてみたいとも思っているのだけれどインド人が営むカレー屋でも試してみる勇気がない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼伊豆と富士川

10月26日、午後2時ちょっと前に
富士川に架かる鉄橋を渡る新幹線こだま号車窓にて。
慌ててカメラを取り出して撮影した一枚。



どうして慌ててカメラを取り出したのかというと
富士川の向こうに駿河湾越しの伊豆半島が驚くほど鮮明に見えたからだ。

こんなに曇った日の午後なのに、伊豆の山々がこんなにはっきり見えるということは
秋が深まって空気が澄んできたせいかもしれない。
夜、窓を開けて虫の声を聴きながら寝ていると、
遠くを歩く人の靴音が明瞭に聞こえるようになっていることにも驚く秋の深まり。

コメント ( 4 ) | Trackback ( )

【葵区昭府のコーヒーの木】

【葵区昭府のコーヒーの木】

葵区昭府の『ピリパラ』脇にコーヒーの木の鉢植えがあったので写真を撮っていたらご主人が帰られて珍しく実がついたのだという。



コーヒーの木に実際についた実の本物を見たのは初めてなので嬉しくて写真を撮ったけれど慌てていたのでピンぼけになっている。

コメント ( 4 ) | Trackback ( )

【ピリパラの写真師】

【ピリパラの写真師】

静岡市葵区昭府の『ピリパラ』にて。
『ピリパラ』のギャラリーでは広重の作品が展示されていた。
この友人はこうして壁を撮影しているように見えても、実はこちらを撮影していたりする。


自転車で走る後ろをついていくと、カメラだけ進行方向の逆を向いていたりもするので、ひょっとしたらトイレで横を向いて用を足すのも得意かもしれない。

コメント ( 11 ) | Trackback ( )

【清水野菜村の秋】

【清水野菜村の秋】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 10 月 27 日の日記再掲

丸一日かけて仕事をしながら清水の友人のノートパソコンのセットアップをし、その合間に買い物に出た。
 
義父母の住まいの照明が切れ、27型の蛍光管を用意してカバーをはずしてみたら、東芝製のスリム管という見慣れない極細の27型リング管だった。仕方がないので秋葉原に出てガード下のランプ屋を覗いたら1本1,430円だったので予備を含めて二本買ってきた。

■友人が連れて行ってくれた北脇の清水野菜村。

「JA しみずサービスが運営する本格的レストランと農産物直売所が併設された店舗「地元の実り 四季菜」が 10 月 1 日、静岡市清水区北脇にオープンする。県経済連によると、県内の JA 関連の店舗では初めての形態で、レストランで提供するメニューの食材にはできる限り地場産の農産物を使用する。」(静岡新聞より)

母が毎年梅干しを漬ける人だったので、健在の時は梅干しを手に入れるのにあまり苦労をしなかったのだけれど、梅干しを買う生活になると東京ではちょっと面倒だ。

近所の大型スーパーにもコンビニにも梅干しは売られているのだけれど、表示を見ると中国産ばかりで「えっ!」と驚くような添加物が原材料欄に並んでおり、日本の食というのは梅干しですらそういう状況になっている。

郷里静岡県清水だと、ドリームプラザ駐車場や桜ヶ丘公園にたつ朝市に行けば梅干しを持ったお百姓がいるし、久能街道には梅干しを置いた無人売店があるし、市内の JA『ふれっぴー』に行けば清水野菜村コーナーに農家が持ってきた梅干しが並んでいる。

10 月 26 日、墓参りの花を買いに高部の『ふれっぴー』に寄ったら「草ヶ谷英二」と庵原の友人の名が生産者の欄にある原木栽培椎茸を見つけ、嬉しくなって買い物かごに入れた。東京だと菌床栽培ものの椎茸ですら倍近い値段がしてここまで鮮度は良くない。

■高部の清水野菜村で買った片平和代さんの作品とも言えそうな梅干し。もの凄く美味しい。

梅干しを見たら柏尾の片平和世さんの梅干しがすばらしい出来映えでしかも良心的な値段なので 2 パック買ってきた。原材料欄が「梅・しそ・塩」だけという当たり前のことが今となっては嬉しいし、原産地は当然「日本」だと思ったら「清水」と書かれているのがほほえましい。

大根を間引いたらしいかわいい青菜が並んでいて確か友人は「抜き菜」と呼んでいた気がする。今年もまたこういうものが並ぶ季節になったなぁと感慨深く、地場野菜をその土地で買うということには心の味わいも含まれている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【出迎え】

【出迎え】

10月25日、清水町公民館で午後7時から行われる、清水ふるさと塾の研究発表会に出席するため、東京駅15時10分発の清水ライナーに乗った。

出発直前まで友人のノートパソコンのセットアップをし、座布団のように大きなノートパソコンなので、友人がバス停まで車で迎えに来てくれるというのだけれど、ぎりぎりまで頑張っても終わらなかったので、出迎えは要らないと車中からメールを書いた。


この季節はもう休憩場所の足柄サービスエリアに着く頃は、鳥もねぐらに急ぐ夕暮れ時が迫っており、無人となった実家を思い出すと寂しいので、秋冬の夕暮れの帰省は良くないなぁと思う。


18時ちょっと前にフェルケール博物館前のバス停に一人だけ降り、出迎え無用と書いても律儀に出迎えに来ているんじゃないかと思ったけれど、本当に出迎えに来ていなかった。まっすぐなよい友人である。

一人エスパルス通りを歩くとき、たとえ人形のパルちゃんでも笑顔でこちらを向いていると、出迎えの人がいたようで嬉しい。
パルちゃんもまたまっすぐなよい友人である。

コメント ( 4 ) | Trackback ( )

【安倍川と柿の木】

【安倍川と柿の木】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 10 月 26 日の日記再掲

約一ヶ月ぶりに清水の実家で迎える朝。ふるさとはすっかり秋が深まっている。
 
早起きしてゴミ捨てをし、お世話になっている床屋さんに挨拶をし、珈琲焙煎店で珈琲豆の注文をし、墓参りをしたあと友人たちと三人で静岡市葵区昭府の『ピリパラ』に行った。

ギャラリーもある立派なお店で、ランチメニューについてくる珈琲は友人の店のものなのでちゃんと友人が焙煎した珈琲豆の味がする。当たり前のことなのだけれど、新潟の友人宅で友人がいれる珈琲も、東京で家人がいれる珈琲も、郷里静岡県清水にある珈琲豆自家焙煎工房の味がする。続けて飲んでいると癖とは違う個性というものがやはりある。

珈琲焙煎店主が自らいれてくれるものより少し濃いめに感じると言ったら、飲食店で出す珈琲はこうして少し濃いめの方が良いと珈琲焙煎店主が言う。浅草にあった割烹の板さんが教えてくれた料理を、自宅で家人が作ってたくさん食べたら飽きたと言ったら、
「店で出す料理は味や香りを濃く強く作るもので、同じ味を家庭でまねしてたくさん食べちゃいけません」
と笑っていたのを思い出した。

食事をしていたら『ピリパラ』の裏手に柿の木が見えていて樹齢百数十年というので食後裏手に回って拝見した。

庭木や庭園に植えた草花の手入れをされているというご主人が幼い孫をつれて戻られたところで、
「孫娘がバッタを欲しがるので安倍川の土手まで出かけていました」
という。

樹齢百数十年の柿の木の話をうかがったら、地面すれすれの高さにある木の枝を指さし、
「子どもの頃、この枝まで上るのが大変だったんです」
と言い、数回の盛り土で土地の高さが1.5メートルほど上がったのだという。ということはご主人が子どもの頃、その枝の部分の高さは2メートル近い場所にあったわけで、子どもが上るのは確かに大変だったのだろうと思う。

徳川家康による駿府城築城の際に巴川へと流れ込んでいた安倍川は現在の流れに人為的に改められたのだけれど、水量が減ったとはいえそれでも巴川流域はその後も水害が多かった。巴川に関する本を読んでいると、流域の人が競うように盛り土をした話がでてくる。

多くの人が盛り土をすればその地域に整備される道の高さも高くなってそれが標準になるわけで、標準より低いままだと水の流れ込む低地になってしまうので、めいめいがんばって盛り土をしないわけには行かなくなる。

「今の高さになる以前はちょうどあの家の土地の高さでした」
とご主人が指さされ、そうやって先祖代々長い歳月をかけて水害に負けない土地にするため競いあい励ましあうように土を盛り、この地域の地表がどれくらい上がったか、樹齢百数十年の柿の木と孫の守(もり)をする歳になられたご主人が、今はその証言者になっている。

色づいた柿の葉の向こうに鉛色の秋空が見え、その下に安倍川が流れ続けている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼夢の続き

未明に目がさめて起き出すのもどうかと思い
枕元に置いたクリエで日記などを書くことにしている。
目がさめている寝床の中は掛け布団と敷き布団に挟まれているせいか
書き物をするのによい隙間時間になっていると思う。
 
未明に横になったまま書き物などをしていると
身体的疲労は少ないのだけれど、
やはり明け方近くなるともう一度眠くなって二度寝がしたくなる。



   ▲未明に起きたらブログにジンジャー・ビアがらみの投稿があり
    新潟で見つけたこれを思い出した。
    これを飲んでしまうと他の生姜系飲料は飲めない。
    取り寄せてみたいと思いつつ忘れていた。

二度寝をすると夢を見やすいような気がする。
その夢が悪夢であることが最近多くて、
夢の魔手から逃れるように目がさめて、
いったん覚醒してから寝なおすのだけれど、
またその夢の続きを見てしまい、
そんなことを何回か繰り返して空が白んできたのを見て、
意を決して起きることが多い。
 
見たくもない映画を見ないためにはその映画館を出るしかないわけだ。

コメント ( 7 ) | Trackback ( )

▼重さと軽さと年齢

ビールといえばヱビスばかり飲んでいた時期があり
「ビールは何がすき?」
と聞かれると
「もちろんヱビス」
と答えていた。
「ヱビスって重くない?」
と聞かれてヱビスより軽かったらまともなビールじゃない
などと思ったりしたものだったが
最近は軽いのが好きで発泡酒ばかり飲んでいる。



   ▲最近はこればかり飲んでいる。



   ▲こんなのが出ていたので買ってみた。

麦焼酎でも麦の香りの残った濃厚な味わいが好きで
大分県から一升瓶6本単位で取り寄せていて
酒好きの友人にずいぶん配ったけれど
「うまかった」
と言ってくれた友人はまれで
重すぎるのかなと思ったりしたものだったが
最近は自分も軽いのが好きになって宝焼酎ばかり飲んでいる。

年齢のせいだろうか。

コメント ( 8 ) | Trackback ( )

▼リサイクル

リサイクル対象電池を本気でリサイクルするつもりなら
コンビニと大型スーパーへの回収ボックス設置を……
などと書いてはみたものの、まだ充電されたままの電池を
いいかげんに扱うと発火の恐れなどがあるので
電気の知識のある電気店などでないと
回収ボックス設置は危ないのかもしれない。


   ▲包装してあるのが業者、してないのが自分で換えたクリエの電池

それでは街の小さな電気屋に回収ボックスがあるかというと
大型安売り量販店に客を奪われてそれどころじゃないのかもしれなくて
結局我が家の引き出しにはリサイクル対象電池がたまっていく。
ネットで検索すると大型量販店にあるらしいのだけれど
どこにあるのかわからなかったと書いている人が多い。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼専門性

専門性が高いという意味で商いの間口が狭いと
間口に比例して実入りも少なかったりするのだろうけれど
専門性が高いということはしぶといということでもある。



専門性の高い店の商品。
どれもみんな「105円」と切りのいい値付けがされていると
どこがどう違うんだかよくわからなくて
それが妙に可笑しくて見入ってしまう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼御医学講座

文京区湯島にて。



「おいがくこうざ」と読めてしまうけれど
老いをコントロールする学問を学ぶ場なので
あながち間違いでもない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼おむろ

本郷台地上に出る長い坂道を登っていたら
「おむろ入り口」と表札のある閉まった扉があり
「おむろ」の意味がわからない。



この扉の裏(本来の表)はビルの中に完全に入ってしまった寺なので
何か寺の施設のことかなと思ったが
インターネットで検索すると「おむろ」は喫茶店だった。

ただし広辞苑第五版で調べると

おむろ【御室】
(宇多法皇の仙洞御所があり、それを御室と呼んだことから)仁和寺(にんなじ)の別称。また、その住職。

とあるのでビルの中に入った寺とやはり喫茶店は関係があるのかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼秋の色

秋というのは、時折汗ばむほどの陽気に逆戻りしたりするので
肌寒い日の街角でカボチャ色をみて暖かみに喜ぶこともあれば、
背筋がゾクッとするようにひんやりした
青紫の花に涼しさを感じて心地よいこともある。



この季節になると近所でよく見かける花で
色合いが何とも言えず好ましくて好きなのだけれど
名前をいまだに知ることができずにいる。

コメント ( 6 ) | Trackback ( )

【夜の日本丸】

【夜の日本丸】

10月17日に清水港へ入港した日本丸。


友人が撮影して送ってくれた夜の日本丸。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
« 前ページ