◉ギュメ

2019年6月30日
◉ギュメ

<事象内容的>というように語句を強調するために用いる表記記号 <> をギュメという。ギュメはフランス語で guillemet と書き、日本語では山括弧という。強調記号ではあっても楽譜ではないので、人に音読して聞かせるとき山括弧内だけ大声で読み上げるわけにもいかない。こういう場合、最近は「山括弧付き事象内容的」と読むことにしている。読書会に出るようになったから。

物や人などの<事象内容的>な面を<実>といい、<存在>などという流動的な面を<虚>というのだと思う。実は實で屋根の下の財、虚は空っぽな非在すなわち無内包の器をいう。そこをごっちゃにして紋切調に<実在>などというからおかしいんじゃないか。実在は實<と>と在という対置なのだろう。<私>のように山括弧付きの用語が出てくる永井均を読んでいて思ったのでメモ。(3:01)


今日は雨模様だけれど東海道本線に乗って蒲原に行く。新蒲原で降りて郷土誌づくりの仲間たちと宿場町を歩く。5時起きしようと目覚ましをかけて早寝したら、日付が変わったあたりで目が覚めた。眠気が失せてしまったので本を読んでいる。未明の読書で考えたことは夜明けとともに蒸発することが多いのでメモした。(3:17)

 

このところ仕事の合間に温泉ピンポンをしているので、卓球選手のラケットの握り方が気になっていた。下り東海道本線車内の「超冷(チョレイ!)」という中吊り広告が笑えつつ参考になる。(7:52)

 

駒込駅 06:04 発、新蒲原駅 09:10 着で蒲原宿を歩いて来た。

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◉新潟の正油飴

2019年6月29日
◉新潟の正油飴

 
朝仕事場に来てメールを開いたら、カメラマンの友人から、以前もらった醤油飴がおいしかったので買いたい、どこの飴だ、という問い合わせが届いていた。タバコをやめてから彼はよく飴を舐めている。一緒に町歩きしていると「舐める?」と言って飴をくれ、その飴はいつもポケットに入っているせいか湿っている。湿った飴をもらうお礼にひと袋あげたのだった。新潟の正油飴を紹介しておいた。(8:38)
 
佐川急便がニトリの「ルーターやモデムも収納できるツートンカラーのコード収納ボックス」を配達に来た。売れ筋商品だそうで注文してから届くまで2週間かかった。なかなかよくできている。開封して設置を終え、パソコンに戻ったらインターフォンが鳴る直前のネット検索窓が開き、「だ」に続けてなにを入力して検索したかったのかわからない。
 
 
いつの間にかパウル・クレーに関する本を古書で二冊注文してしまった。前田富士男『パウル・クレー 造形の宇宙』慶應義塾大学出版会と『ユリイカ2011年4月号 特集=パウル・クレー 造形思考のコンステレーション』で、高かったけれど読みたかったので仕方がない。ちょっと汗ばむ注文をした。
 
「で、なんでクレーに関する本なんか注文したんだっけ?」と思う。ちょっと行動と行動の間に隙間ができると文脈を忘れてしまうらしい。ブラウザの履歴を遡ったら思い出した。人は自分の顔を鏡などの反射物を使わず直接見ることができないと言われている。そりゃそうだ。だが片目ずつつぶって世界を見ると視界の隅に自分の鼻の側面が見える。人はちゃんと自分の鼻を見ている。けれど脳の働きで見えないものとして無視している。しかしその鼻が気になる人がいて彼にはいつも自分の鼻が見えてしまう。それが邪魔で見えなくしたいと気に病むうちに神経症になってしまい、それを鼻尖恐怖というらしい。そういう鼻の見える自画像を描いた物理学者・科学史家・哲学者エルンスト・マッハと、画家・美術理論家パウル・クレーに関する評論記事を読んでいるうちに上記の本が読みたくなったのだった。(13:58)
 
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◉芍薬甘草湯

2019年6月28日
◉芍薬甘草湯

歳をとるにつれて年齢差が縮まってくる。幼いころは四、五歳離れればたいへんな年長者に見えたものだけれど、今ではもう同年輩の範囲に入っているし、親ほど歳が離れた人に対しても 〈親を親とも思わない〉 タメ口きいて気にならない、なんともぞんざいな心持ちになっている。赤ん坊から老人まで、みんな偶然同時代を生きられた仲間のように思えてくる。いいことだ。

近所のかかりつけ医とも年の差がどんどん縮まっている。団塊世代のお兄さんのはずだけれど、診察中に「おれなんかさぁ…」などと友だちのような口のききかたをしてくるので、最近は診察に関係のない私事まで打ち明けあったりしてしまう。今日は血圧の薬をもらいに行く日なので、ここ数年、太腿がつりやすくなったことを相談してみようと思う。

文京区の粗大ゴミを 10 個排出するネット申し込みをした。いつもは正午過ぎに回収車が回ってくるので、朝食後に出せばいいやと思っていたけれど、早起きしたついでに午前 6 時に出しておいたら、今朝は 8 時過ぎに来て回収して行った。危機一髪。(8:34)

「年齢にしては若い体してるけど、年相応な量を超えて運動すれば足もつるよ」と言い「おれなんか重い本運んだり、歳不相応に短いズボン履いたりすると、あいてててっとすぐつるよ」と言う。漢方の「芍薬甘草湯がいいって聞いたんですが」と言うと「いいね、うちの患者も飲んでる人多いよ。出しとくから一日一回空腹時に飲んで」と言う。ツムラの 68 番だけれど医者に出してもらうと安い。(11:01)

買い物散歩に出るなら卵を買ってこいと言うので 10 個入りパックを買ってきて、冷蔵庫の卵皿に並べようとしたら古いのが 7 つもあるので、そのうち 5 つを茹卵にした。古い卵を茹でるのが好きだ。卵を茹でていると楽しい。冷蔵庫の新陳代謝が進んでスッキリするし、古い卵の方が殻をむきやすい。子どもの頃は古い卵を茹でて殻を剥くと端の方に気室ができて凹んでいたが、最近は古くなった卵を剥いても凹みが小さい。流通を経て家庭に届く卵の鮮度が上がったからか、何か他の理由があるのかはわからない。

卵を割ると弾力のある卵白とは別にシャワシャワの水溶性卵白があり、そのシャワシャワ部分が目玉焼きの周りにはみ出してパリパリに焦げて羽根つき餃子のようになる。妻はそれがいやらしく、朝食に目玉焼きをつけると取り除いて残す。テレビを見ていたらプロの料理人が、卵を割った際に水溶性卵白部分を捨てろと言っていたらしい。やってみたけれどうまくいかない。もともと小さいサイズの鶏卵を買うのも手らしい。(15:58)

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◉毎年七夕が近づくと

2019年6月27日
◉毎年七夕が近づくと

毎年七夕が近づくと一冊の本のデザイン依頼がある。小さな出版社が出している社会福祉資格試験の問題集で、長いこと年度版が出され続けている。突然電話がかかって来るので、もうそんな季節が巡って来たのかと驚くと、随分前に癌を患った社長が
「もう死んだと思ってた?」
と言って笑う。

もう出版はやめましたと言いながらなぜ発行され続けているかというと、その本だけは出せば必ず売れるのだという。たしかに売れているようで、さいたまの老人ホーム訪問帰り、電車の向かい側の席でその本を開いて勉強している若者がいた。そうか、この子はそういう資格を取りたいのかと思い、開いている本が古いので最新版をあげたくなった。神田の三省堂書店に行ったら、棚差しされている類書に混じって、その本だけ表紙が見えるよう平置きされており、なるほど、このジャンルでは一番の売れ筋なのだろうと嬉しくなった。

自分で決めた基本フォーマットに沿って年度版をデザインするだけなので手間賃程度の請求をしていたけれど、そのうち請求書を出すのも忘れてしまった。今年もまたデータ入稿が終わり、七夕を過ぎると毎年きちんと定額の振り込みがある。(3:46)

友人が編集している保育の月刊誌を手伝っている。次号の表紙に使う写真を選んだら、七夕飾りの短冊に園児が書いた
「いぬとさんぽできますように」
という、かわいい願い事があって笑った。(8:56)

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◉手書きフォント

2019年6月26日
◉手書きフォント

昨夜は録画しておいた NHK E テレ『地球ドラマチック』「キツネの森とニコラ~スイス 動物たちのユートピア~」を観た。

スイスの山奥にある農場で繰り広げられる、野生動物と農場主のふれあいを描く。子ギツネ、ハリネズミ、オオヤマネコ…個性あふれる動物たちが織り成す不思議な物語。(番組ホームページより)

フランスとスイスの合作らしい。啓蒙的であるような、啓蒙的でないような、うたい文句通り不思議な湯加減の番組で、異なった角度からの面白みがあった。「ユートピア」と言ったらそういう表現が適するのかもしれない。人間が作りつつ「人間」という動物が中心になることを抑制すると、ああいう神のような視点から開けた世界になるのだろう。不思議に面白かった。

むかし新潟の古い商店街でもらったチラシに使われていた面白い手書きフォントを探し出し、購入して、郵便で送る手紙を書くときに使っている。パソコンで書いて印刷して郵送するので「半電子メール」である。半分だけ温かみが伝わる気がして気に入っている。

友人に送ったら気に入ってもらえたようで購入を考えているらしい。フォントの字面の大小を意図的に残したプロポーショナルフォントなのでちょっとクセがある。マイクロソフトオフィスなどでの使用が推奨されておらず、Adobe のグラフィックソフトでの使用が推奨されているが、高いソフトなので一般的でない。友人はマックユーザーなので、Pages で使用可能か、夜が明けたら試してみる。(2:40)

一瞬フォントの表示サイズに面食らうけれど、サイズと行送りを調整したらちゃんと使えた。今後は「半電子メール」書きに Apple 純正アプリの Pages を使うことにする。(8:29)

昨日買ってきた無印良品のアクリル冷水筒は2リットル用とは別に1リットル用も買ってきた。櫻珈琲の水出し珈琲焙煎を待つ間、貰い物の新茶がたくさんあるので、冷水筒の蓋についている「水出し用お茶パック入れ」を利用して水出し茶を作ってみたら素晴らしい。ちゃんと清々しい新茶の味がしており、茶葉と抽出量で計算するとコストパフォーマンスが高いと思う。(9:46)

エレベーターホールに行ったらマンションの長老が座り込んで何かと格闘しているので、「どうしたんですか」と尋ねたら「雪駄の底に刺さった釘が抜けない」のだと言う。「抜きましょう」と言って引っ張ったものの強情で手に負えないので、自宅に持って行ってペンチで引っこ抜いてきた。「ありがとう」と言うので「どちらまでお出かけですか」と聞いたら「自分にやる餌がなくなったので西友まで買い出しに行く」と言う。90 近い男の一人暮らしである。(12:46)

 

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◉三竦み

2019年6月25日
◉三竦み

 
早起きして NHK FM 『古楽の楽しみ』を聴いていてバッハの 1724 年の三位一体ってなんだ?と調べながら、父と子と聖霊の三角形図が見れば見るほど興味深く、こういう「三竦(すく)み」の状態はおもしろいなとあらためて思う。

三竦みとはジャンケンのグー・チョキ・パーのような関係のことで、強弱の性質が順に環になって閉じることによってつくられる、他を圧倒する強者がない膠着状態での安定をいう。

空間にある二つの点の関係は不安定だけれど、もう一つ点を打ってやると、三点は面になって安定した感じを受ける。小学生時代、点が三つあると面ができることを知って感動した。ただし三点は同一線上にあってはいけない。

子どもの頃、悩みごとがあるときは斜め横にもうひとつ別の見方という点を打ってやると気が楽になることを覚えた。今でも線を面にして考えることを人生のたいせつな杖にしている。数学の定義で言えば「一つの直線を含み、その直線上にない一つの点を通る」のが面であり、直線的に悩まず、もうひとつの観点を加え、面の広がりで世界を考えるわけだ。一方的な圧倒はたいがい解決ではない。仏教の円相にも似ている気がする。(6:47)

 

十年近く人が暮らしていなかった義父母の住まいは水回りが壊滅的に劣化している。流しの混合水栓、洗濯場の水道栓、風呂場のシャワーに続いて、トイレのウォシュレットも便器ごと交換になった。水の流れは止めてしまうと器具が傷む。

 

午前中いっぱいかかって工事が終わったので、午後から無印良品の2リットル用アクリル冷水筒を買いに出た。櫻珈琲の水出し珈琲パックが届くので、今年からこれで作ることにした。(15:37)

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◉スナックエンドウ

2019年6月24日
◉スナックエンドウ

 
郷里清水の母がよく「スナックエンドウ」と呼んでいたさやエンドウ豆は、アメリカから輸入した「スナップエンドウ」の種を、日本人に馴染みのある名前にした方が売れるだろうと考えた種苗会社がつけた商品名だという。というわけで市場には「スナックエンドウ」と「スナップエンドウ」のふたつの名前が混じっている。
 
友人のブログを見たら「フリーレタス」という聞きなれない野菜の名があり、調べてみたが日本人に馴染みのある名前にした方が売れるだろうと考えた種苗会社がつけた商品名でもなさそうだ。メンテナンス用にパスワードを預かっているので、勝手にログインして「フリルレタス」に書き換えておいた。結球しないレタスで紫色っぽいものをサニーレタスと覚えているけれど、緑色のものはフリルレタス以外にリーフレタスやグリーンリーフなどもあってややこしい(8:25)
 
震度 4 の地震があってちょっと驚いた。(9:11)
 
友人が野菜工場を見学したとブログに書かれており、どうして「野菜工場」なのだろうと不思議に思っていたが、ブログを読んでいたら「農福連携」とのことで「なるほど!」と感心した。「リボンレタス」というのがあることも知った。レタスには子どもの頃から驚かされっぱなしである。小学生時代はまだレタスなどという洒落た名前は知らず、わが母は「チシャ」と呼んでいた。そのレタスもあっという間に一般化したが、高校時代のバス旅行で長野県の高原野菜産地に泊まったら、和風鍋に入れる野菜が白菜ではなくレタスだったのに驚いた。今では、チャーハンや、クリーム煮や、味噌汁にレタスが入っていても驚かない。サラダ菜がレタスの一種であることを知って驚き、ということはレタスも「キク科」の植物であることを知って驚いたのはそう古いことではない。(13:22)
 
 
梅雨とはいえよく降るなぁと呆れていたが、15時過ぎから晴れ間がのぞいた。
 
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◉かにみそバーニャカウダソース

2019年6月23日
◉かにみそバーニャカウダソース

 
マンション内の友人が「バーニャ・カウダソースをもらったので、日曜の夕方それをメインに食材を持ち寄って飲もう」と言う。「バーニャ・カウダってよく知らないけど茹でた野菜を用意するんだっけ?」と聞くので「たしか生でしょう」と答えたら「ああ生か。じゃあそれはそっちで用意して」と女先生は言う。従姉もそうだけれど、二歳年上の姉貴風の人なので「かなわないな」と苦笑いしつつ言いなりである。午後から野菜の買い出しに行くことにし、念のためバーニャ・カウダってどんな料理だったかなと確かめたら、
 
バーニャ・カウダ(ピエモンテ語:Bagna càuda)はイタリア・ピエモンテ州を代表する冬の鍋料理である。ピエモンテ語で「バーニャ」は「ソース」、「カウダ」は「熱い」を意味する。テーブルの上に “フォイョ“ と呼ばれるテラコッタ製の鍋を置き、アンチョビ、火を通して柔らかくしたニンニク、オリーブ・オイルを混ぜ合わせたディップソースを温め、野菜を浸して食べるフォンデュに類似した料理である。
 
とウィキペディアにあった。女先生はたしか「かにみそバーニャカウダソースをもらったので…」と言っていた。アンチョビのはずなのに「かにみそ」というのは変わってるなと検索したら謎が解け、かつて彼女が暮らした山陰の新名物らしい。ちょうど鳥取出身の編集者から電話があったので「かにみそバーニャカウダソースって知ってる?」と聞いたら「知ってます」と言うので、「味はどう?」と聞いたら「この前買ってきたけどまだ食べてない」と笑っていた。ひとりではなかなか食べにくいのだろう。
 
野菜の定番はトマト、パプリカ、きゅうり、セロリ、ラディッシュなどで、傘が開いて黒ずんでいないホワイトマッシュルームなら生食可能だという。バーニャ・カウダはピエモンテ語だというのでピエモンテ州の酒、Martini 社のヴェルモット・ビアンコとレモンを手土産に追加した。…と書いたところで野菜の買い出しに行き、酒屋を数件回ったが Martini 社のヴェルモット・ビアンコがない。近所の酒屋に Cinzano ビアンコがあったので仕方なしにそれで代用しようと思い検索したら、
 
チンザノ社は1757年, イタリアのトリノにおいて、兄ジョヴァンニ(Giovanni Giacomo Cinzano)と弟カルロ(Carlo Cinzano)の兄弟により創業された。
 
とウィキペディアにある。トリノといえばピエモンテ州の州都なのでこれでいいわけだ。よかった。
 
 
昨日会ったら「また新しい本が出たんだよ!」と著書を嬉しそうに見せられ、それは「(買えよ!)」という意味なので 1,512 円、かにみそバーニャカウダ代と思って用意していく。
 
追記:会った途端「あげる」ということで頂戴した。結構売れているらしい。
 
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◉小さな卓球台

2019年6月22日
◉小さな卓球台

 
金へんに失うは「鉄」だが、矢を書く「鉃」は「し」または「そく」と読んで「矢じり」を意味し、「鉃道」と書いても「てつどう」とは読まない。そうか、JR だけでなく静岡鉄道も金を失うことを嫌って「鉃」と書くのだなと改めて気づいた。昨日の朝のことである。
 
 
静岡駅前から大内観音前までしずてつジャストライン北街道線清水駅行きに乗ったが、午前 8 時台は運行ダイヤを見たら一時間に一本しかないので驚いた。不採算路線なのだろう。
 
 
妻も自分も貧乏暮らしをして育ったので、幼児期に同じような体験がある。そういう点で気が合うところが多い。親と自分たちの住まいを片付け、ついでに仕事場も断捨離して究極まで荷物を減らした。大きなスペースが空いたのを見て、郷里清水からやってきた珈琲焙煎店のオヤジが、今度寝袋を持ってくるから泊めてくれと言うので笑った。
 
スペースが空いたので寝袋宿泊所にならないよう自宅にあった大きなダイニングテーブルを置いてみた。それを見た妻が、真ん中に仕切りを立て下敷きをラケットがわりにしてピンポンをしようと言う。子どもの頃、折りたたみテーブルを並べてそういう遊びをした。似たような遊びをして育ったのだなと思う。
 
 
せっかくなのでちゃんとしたネットを張り、ラケットを買って卓球台にしてみたら大喜びしている。本物の卓球台に比べたらかなり小さいけれど、水谷と張本に使わせたら、ちゃんとこの上で殴り合いのようなラリーができると思う。
 
 
日に何度か時間を決めて温泉ピンポンをしているけれど、すぐ汗だくになる。卓球がかなり運動になることを再認識した。使わないときは郷里清水の友人にもらったニワトリの鍋つかみにピンポン球を温めさせている。卵黄色の球は白い球より見やすい。
 
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◉僧侶の葬儀

2019年6月21日
◉僧侶の葬儀

5 月 3 日のタケノコ堀りの際に乗り遅れた早朝のひかり号に乗って帰省し、菩提寺の曹洞宗僧侶の葬儀に出席した。4 月 16 日は広い本堂でぽつんと妻と二人、住職に経を読んでもらって義母の四十九日法要をした。三人だけのよい法要だった。その二ヶ月後に自分の遺影が義母のそれに代わってそこに飾られることになるとは、住職も予想だにしなかったに違いない。

当然だけれど僧侶の葬儀には僧侶の参列者が多い。郷里清水のあちこちの曹洞宗寺院から住職が集まっており、雑誌取材で顔見知りの老師も何人かいて、僧侶のオールスターゲームのようだ。葬儀の進め方が本格的で仏教劇を見ているようであり、前後左右に散在する僧侶が読経に唱和するので360度サラウンド音響で、素晴らしいわけではないのに素晴らしいと感じてしまう。駒込吉祥寺出の住職なので吉祥寺はもちろんとして文京区向丘の大圓寺からも花が届いていた。高島秋帆の墓があるあそこも曹洞宗だ。

昭和 23 年、岩手県盛岡生まれだから団塊世代。無住となった寺に請われてやってこられたのが 26 歳の時で、そんなに若かったのかとあらためて知ってびっくりした。45 年間ご苦労様である。

若手僧侶たちが本堂正面から棺を運び出す際、妙齢の女性たちが参道の左右に立ち、持鈴(すず)を叩きながら御詠歌を歌っていた。たいそう美しい見おくり風景で感動した。住職を見送ったところで裏の墓地に回り、親たちの墓に線香をくゆらせ、火葬場には同行せずとんぼ返りで帰京した。

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◉新潟地震

2019年6月20日
◉新潟地震

1964 年 6 月 16 日に起きた新潟地震の映像がテレビ画面に流れ、まだ小学校三年生だった妻が生々しく記憶していることに驚く。発生日は火曜日で、発生時刻は 13 時 1 分 41 秒、教室の天井から吊り下げられた蛍光灯がブランコのように揺れて天井にぶつかり、富山湾岸に津波警報が出て怖かったと言う。小学校はまだ木造校舎の時代であり、鉄筋コンクリート製の建物はとてつもなく堅固であるという思い込みがあったので、地盤液状化でひっくり返った集合住宅の映像が衝撃的だった。いま見ると新潟の友人宅に近い昭和大橋が落ちていてびっくりした。

日本の高度経済成長期は1954(昭和29)年から1973(昭和48)年までとされている。自分に当てはめれば生まれた年から高校卒業の年までにあたり、高度経済成長が終わった最初の年から東京暮らしが始まっている。新潟地震は高度経済成長の中間点で発生し、その年の秋は東京オリンピックだった。

「日本の高度経済成長期は 1954 年から 1973 年」などと紋切り型に言ってみても、実体験の中で感じた経済の盛衰は一様ではない。郷里静岡県清水の戦後復興は迅速に成し遂げられ、右肩上がりの経済成長も早くから始まっていた。高度経済成長の終焉後も、押し寄せる津波が弱まりつつ最深部に浸入するように、郊外や場末の住宅地にも新たな商店街が生まれ続けていた。

21世紀に入ってついに経済成長の余熱も冷め、裏通りを歩くと日本中どこにでも「仕舞うた屋」がかすかに名もなき商店街の面影とどめ、そこが経済津波最終到達点であることを示している。北池袋の編集事務所で打ち合わせがあったので、今日もそんな景色を眺めながら帰ってきた。

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◉檀家が先か住職が先か

2019年6月19日
◉檀家が先か住職が先か

昨夕、携帯電話が鳴っていたけれど入浴中で出損ねた。ふたたび固定電話が鳴って出ることができた妻によると、郷里清水の魚屋さんからで、わが家の墓がある寺の住職が亡くなられたという。2019 年 4 月 16 日(火)に帰省し、妻と二人だけで義母の四十九日法要と納骨をしてもらってから二ヶ月になる。体調が優れないとは聞いていたけれどびっくりした。駒込駅近くにある和菓子店『中里』の菓子折りを持って行ったら「懐かしい」と喜んでおられた顔が眼に浮かぶ。

わが祖父重太郎が他界したのが 1972(昭和47)年 10 月で、その時はまだ年老いた先代住職だった。「さて檀家が先か住職が先か」、と親たちが言っていた。その住職も祖父を追うように亡くなり、しばらく無住になっていた寺に駒込吉祥寺からやってきたのが現住職だった。まだ三十歳を過ぎたばかりだったのではないか。清水駅前銀座でよく珈琲を飲んでいた。

静岡新聞の訃報欄を見て、亡き母の知り合いが亡くなると連絡してくれていた折戸の伯母も、今はもう義姉のもとで要介護状態になっている。次郎長通りの魚屋さんが気づいてくれて助かった。ありがたいことだ。21 日 9 時半からの告別式に参列することにした。

未明に目が覚めてニュースをチェックしたら下越地方で震度 6 強の地震があったという。目が覚めた直後でボケているので新潟県の上中下を頭の中で確認する間があった。富山に住んでいた妻も激しい揺れで驚いたという 1964 年の新潟地震を思い出した。震源も近いのではないかと調べたら、あの地震発生は 6 月 16 日で発生日も近い。

   ***

読書会で毎回出てくる臨済禅の十牛図について院生が書いた論文をネットから落として読ませてもらい、指導教授だったという小坂国継の本(『西田哲学の基層』岩波現代文庫)を注文した。買おうと思ってカートに入れておいた角 2 の封筒があり、注文総額 2,000 円以上の組み合わせで送料 400 円が無料になるというので合わせ買いした。よい動機になった。

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◉日暈(にちうん=halo)

2019年6月18日(火)
◉日暈(にちうん=halo)

幼い頃から母親とふたり暮らしだったので、球形をしたスイカを丸ごと一個買った記憶がない。買うのはたいがいは 1/4 サイズに切ったもので、親切な八百屋に頼んで切り売りしてもらったのだった。今では当たり前の買い方だけれど、冷蔵庫の 50% 普及に連動するようにサランラップが一般化するのが 1964 年の東京オリンピック以降なので、あらかじめ小分けしてラップ包装し、冷蔵ケースで冷やして売られているなどということがなかった時代である。お母さん同士が店頭で
「ねぇ奥さん、スイカ半分ずつ買わない?」
などと相談していたものだ。そういう買い物風景も東京には長いこと残っていて、大学生時代、商店街で自炊のための買い物をすると、八百屋店頭で見知らぬおばあさんに
「学生さん、このキュウリひと山を半分ずつ買わない?」
などと声かけられたものだった。

ようやく外出打ち合わせがなく終日在宅できる日になったので、今日一日、24 時間をどう切り分けて使おうかと考えていたら、なんだか贅沢な丸ごと一個のスイカを思い出した。

上富士交差点12時45分

昼食後の散歩を兼ねて坂下まで買い物に出た。帰り道に交差点で空を見上げたら太陽の周りに、薄雲を通過する光の屈折現象である日暈(にちうん=halo)が見えていた。

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◉粗大ゴミ処理券を買いに

2019年6月17日(月)
◉粗大ゴミ処理券を買いに

秋晴れを思わせる晴天になった。雲が高いところを流れ、風が乾いて爽やかだと、「もう秋だなぁ」という気分になる。窓辺に置いた机に向かって夜の読書会に備え、終日未読部分の帳尻合わせをした。読書の秋である。近所の包装材料店に粗大ゴミ処理券を買いに行ったら「風があるから涼しいですね」と言うので、「もう秋みたいですね」と答えたら「ほんとに」と頷く。

ついでに A4 サイズの書類が入る「角 2 サイズの封筒をください」と言ったら「すみません 角2 は置いてないんですよ」と言う。住宅の多い地域では無用のサイズなのかもしれない。北池袋の編集事務所近くの梱包材料店はオフィス街にあるので次回打ち合わせ時に寄ってみる。ペーパーレス化の影響もあるかもしれない。

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◉シンプル・ラブ

2019年6月16日(日)
◉シンプル・ラブ

子どものころは好きなスポーツをテレビ観戦で応援しないと、好きなチームが自分のせいで負けると本気で思い込んでいた。テレビを通じて念を送ると贔屓選手がホームランを打ったり、敵の選手が空振り三振したりした。友だちと一緒だと「オレが念力を送ったからだ」などと手柄の奪い合いをした。

おとなになったらテレビに念を送るようなこともしなくなったようで、最近は
「自分が応援しなくても勝つものは勝つ、負けるものは負ける」
などと言って中継放送を観ることも減ってきた。

それでもやっぱり試合結果は気になり、早朝目が覚めスマホで試合結果を確かめるときは、「(どうか勝っていますように)などと画面に念を送っている。バカだ。

今朝もエスパルスが横浜 F・マリノスの連勝を阻止して最下位脱出していますように…と念を送りながらスポーツニュースアプリを起動したら土壇場で逆転勝ちしていた。念を送った甲斐があって気持ちの良い青空の朝になった。

   ***

アナログレコードを自分でデジタル化したデータを整理していたら大橋純子&美乃家セントラル・ステイションの「シンプル・ラブ」がでてきた。1977 年のヒット曲なので学生時代に買ったものだ。義父母の荷物を整理しているとシールを貼ったリモコンや電話機が出てきて、「シンプル・ライフ」という言葉を思い出した。

物を買わない・持たない生き方は難しい。物はどうしても生活に流れ込んでしまう。物は増えても生活を複雑化しないことは高齢化に備えて必要な防衛的身構え方だろう。シンプルだから高いという製品の選択肢があってもいい。義父母の道具に貼ったシールは、あまりに複雑な操作ボタンが電気製品についているので「押さなくてもいい」「押してはいけない」ものをシールを貼って示してやったのだった。

自分たち夫婦の住まい方改革でも、余計な機能と操作を廃してボケても使えそうなシンプルな道具だけを残し、複雑な機械は思い切って廃棄している。その代償として不便になったこともあるけれど、シンプルであることは気持ちいいものだ。「シンプル・ラブ」を聴きながら思う。

今日は東京駅八重洲口近くの会議室で行われる、医学系雑誌の編集会議にお呼びがかかったので夕方ちょっとそこまで行ってくる。

東京駅は新幹線の乗り換えで使っても、駅前ロータリーに出る機会は滅多にない。駅ビルが高層になっていてびっくりした。その駅前近くにある貸し会議室の清算を横目で見ていたら高くて驚いた。ビルを持っていたらいい商売だろう。

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