小さな画面の中で

2016年10月31日
僕の寄り道――小さな画面の中で

 風邪が酷くて金土日と三日間寝たきりで過ごした。おかげで読みかけた本が一冊片付き、片手で操作できる 4 インチスマホで電子書籍や新聞の電子版もたくさん読んだ。
 5 インチ以上のサイズでは、いかに手が大きいとはいえ、片手で全画面のタッチ操作が難しい。両手操作は疲れるので病人には辛い。4 インチでバンカーリングのようなものをつけておけば、ほとんどの操作が片手でできる。仰向けで手を滑らせても、硬いスマホが顔に落ちてくる事もない。今この日記も右手だけ掛け布団の上に出して書いている。
 血圧も高いし、いつか脳を損なって片麻痺になる可能性もあるので、4 インチクラスのスマホは大型画面が流行って古くなっても大切にとっておいたほうがいいと思う。年寄りや病人には大画面より小画面、両手操作より片手操作が優しいこともあるだろう。


BUNKER RING をつけた iPhone 5c

 本や新聞を読みながら思ったのだけれど、大都市を常に上位において地方を低く見るのが日本人に顕著な傾向で、日本人が東京で暮らしたいと願うように、英米人は London や Washington で暮らしたいとは思わないらしい。彼らは田園で暮らす事に憧れはしても、日本人のように田舎を低くは見ない。
 日本人にとって都市は、大勢の中で群れていれば一人であることの不安を感じなくて済むという意味で信仰の対象であり、奈良平安の昔から都市信仰こそが日本特有の宗教だったのかもしれない。


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辛さと快感

2016年10月29日
僕の寄り道――辛さと快感

 風邪をひいて咳が出るたびに辛いので寝ながら本を読んで過ごした。咳は気にするほどひどくなる。われを忘れて読んでいた本に疲れて休憩すると、また体調が悪いことを思い出し、人の辛さと快感は表裏一体となっている。 
 悪寒がしてぶるぶる震えながら、布団の中で丸くなっているうちに、昔ののんびりした電気コタツのような心細さで微かなぬくもりが自分に帰ってきたと感じると「ああ気持ちいい」と思う。

 あるいは喉に痰がからんでむず痒いので、目から火花が飛び散るほどの咳をし、ころっと痰が切れたときは「ああ気持ちいい」と涙目で思う。
 熱があるせいで足腰肩の関節が痛いとき、寝ながら体位変換して姿勢を変え、その姿勢が痛み緩和のツボにはまると「ああ気持ちいい」と思う。
 風邪菌が入ると胃腸の機能が変調をきたし、腸内で大量のガスが発生するようになる。発生したガスを貯めておくと苦しいので、限界が来るたびに放出すると「ああ気持ちいい」と思う。
 振り返ってみると人生には辛いときだから感じ得たと思われるささやかな喜びがいつも表裏をなしてあった。辛さゆえに些細な変化でも快感と感じるやさしい仕組みを神様が用意しているのだろう。母親や友人たちとの別れを思い出すと、死の瞬間の表情にもそういう救われ方があったように思われる。 

   *** 

診療所からの帰り道、いつも眺めて通るひねくれたアロエがちょっと格好良く見えたのは熱があるせいだろうか。隣家のシクラメンが大小順にきちんと並んで朝礼をしていた。

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風邪の一週間

2016年10月29日
僕の寄り道――風邪の一週間

 血圧が高いのでまいにち薬を飲んでいるけれど、年に一度重い風邪をひくほかは、ありがたいことに今のところ病気らしい病気がない。そのかわり歳をとるにつれてだんだん風邪をひいたときの症状が重く烈しくなる。そういう意味では加齢自体が病気なのだろう。  今年の風邪もやはり体の芯から寒気がし、突き上げるような激しい震えで始まった。毎年そうだけれどこの時が一番辛く、悪寒がするたびに「ううううう……」と声が出てしまう。全身がブルブルと痙攣しながら収縮硬直し、心臓が止まって死んでしまうのでないかと思うほど、寒さで身体が縮み上がる。熱を測ると38度ちかくある。 
 毎年そういうパターンでひくのだけれど、今年の風邪は医者にもらった薬を飲んでいても治りが遅い。
 今朝もまだ具合が悪いので診療所に行ったら、血圧検査をしながら先生が、 
「やっぱり下が高いね、風邪を引いてるせいかなぁ」 
と目を見て言うので、さまぁ〜ずの三村風に「患者に聞くなよ」と言いたくなるが、とりあえず薬を変えて様子をみましょうということになった。 
 そんなことで新しい薬を飲み始め、土日は東京と清水でイベントの予定があったのを欠席させてもらい、安静にして寝ていることにした。関係者各位、すみません。 

   ***

木曜日になんとか一旦起き出して仕事の打ち合わせに出かけた時の写真があった。薬を飲むので何か食べなければと中華料理店に入ったら、昔の銭湯のように中仕切りの隙間から反対側が見えるようになっており、iPhone 5c を片手にかたやきそばを食べている若者がいた。


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富士山と関節

2016年10月27日
僕の寄り道――富士山と関節

医者からもらった薬を飲んでいるけれど風邪が抜けなくて本調子ではない。昨日は富士山初冠雪のニュースが飛び込んできたがベランダに出て見る元気もなかった。年々風邪が重くなり関節が痛い。

調子が悪いので早寝したら午前0時過ぎに目が覚めてしまい、寝付かれないので坂口安吾「堕落論」を枕元の iPhone で再読した。

これは何度読んでも良質な日本宗教論だなと思い、作家や評論家が書いた論評を拾い読みしたら、やはり西部邁がいちばんまともと思えることを書いていた。

読みかけたままになっている『虚無の構造』にその言及があるそうなので、夜が明けて仕事場に来て本棚から引っ張り出した。ちょっと元気が出たのでベランダに出たら薄ぼんやりと富士山がのぞいており、頭に白いものが見えた。


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メンディングテープ

2016年10月26日
僕の寄り道――メンディングテープ

セロテープのように使用して表面がマット状なので上に文字が書けるテープ、などと説明しなくてもだれでも知っていると思っていたメンディングテープが、近所の文具店に行ったら「いま太巻きは置いてないんです」と言う。メンディングテープが昔ほど使われなくなったのか、使用量が減ったので径の小さい細巻きしか売れないのかもしれない。

「よければ取り寄せましょうか?」と言ってくれた時代もあったけれど、最近はそういう商店が少ない。「まとまった量の箱買いでいいから取り寄せられませんか?」と聞くとダメだと言う。20世紀の終わり頃からすでに「うちにも普通の暮らしをさせてください、いまより面倒なことはしたくないんです」などという言葉を商店主から聞くようになったので、近所の個人商店から物を買うという消費はその頃から縮小傾向だったのかもしれない。みんなが普通の暮らしを受け身でする人になり、そこにロボットのようなネット通販が台頭した。

昔は個人商店を便利屋という名前の移動問屋が回っており、どんなものを少量でも仕入れて届けていたので、街の商店は気軽に客の要望を聞いて何でも取り寄せてくれた。最近はああいう職業がなくなったのだろうか。近所の小さな診療所が好きで通っているが、頻繁に御用聞きが来てしょっちゅう医療品を届けにきており、頼めば何でも持ってきそうなので、町医者という商売の世界ではああいう小回りをきかせた仕事がまだあるのだろう。

近所の個人商店がなくなると困るので、なるべく近所で買い物をしたいと思っている。けれど、ないものは取り寄せても売りますという店が次第になくなっていくので、仕方なしにネット通販で取り寄せる機会が増えている。そして、作り手と買い手の間にあった富を分かち合う仕組みが消えて、豊かさと貧しさの両端だけが肥大していく。この20年くらいを振り返ってそういう流れになっているように思う。

 

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サザエさんの秘密

2016年10月25日
僕の寄り道――サザエさんの秘密

昨日の夕方、ずいぶん冷え込んできたなぁと思っていたら、悪寒がして起きていられなくなったので早々に仕事を切り上げ、自宅に帰って熱を測ったら38度もあった。今朝はだいぶよくなって37度ちょいまで下がったけれど、念のため医者に行って薬をもらってきた。風邪らしい。

近所の小さな診療所の待合室。午前九時前に行ったら一番乗りだった。待合室の窓辺にあるサザエさん。人間とは面白いもので、同じものがたくさんあるなかに違うものが少しだけある時、その比率が極大になって10あるうちの1つだけ違ったりすると、すぐに違いに気づいてしまい、そのことが気になって仕方なくなる。

10冊あるサザエさんの背に、なぜ1冊だけ顔がないのだろうということが気になり、処方箋が出るのを待つ間、我慢できずにそばへ行って確認したら、第10巻だけ逆向きなのだった。小さな秘密の謎が解けても嬉しい人間の不思議。



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嗅覚捜査官

2016年10月23日
僕の寄り道――嗅覚捜査官

阿部寛ファンの妻が NHK のドラマ「スニッファー嗅覚捜査官」を観たいので録画しておけという。ウクライナ制作のテレビドラマシリーズだったものの日本版らしい。特殊な嗅覚を持つ主人公がニオイを嗅ぎわけることで事件の真相を究明していく。

録画しておいた第一回目を観た。阿部ちゃんがときどき金属製の工業製品を鼻から取り出すので、鼻の感度を維持するため穴に装着する鼻毛シェーバーかと思ったら鼻栓だった。確かに異様に強い嗅覚の持ち主なら栓が必要かもしれない。

阿部ちゃんのように万能ではないけれど、子どもの頃から風邪をひいている人は匂いでわかる。見知らぬ人とすれ違っただけで、あの人は風邪をひいているなとわかり、ほどなく喉の奥がいがいがしてくる。風邪の菌を吸い込んでしまったわけで、急いでうがいをしないと喉が腫れて熱が出る。子どもの頃からそうやって扁桃腺が過剰反応して寝込んでおり、病院に行くと思い切って扁桃腺をとってしまおうと医者によく言われた。

先週土曜日も大宮行きの京浜東北線車内で隣りに座った女性が風邪臭いので、妻に目配せして離れた席に移動した。
「隣りの女性が風邪ひいてた」
と言ったら、妻は全然わからなかったと言う。案の定、夜半から喉が腫れて痛く熱もあって咳が出るので捜査に間違いはなかったわけだ。慢性扁桃炎なのかもしれなくて、外出には鼻栓がわりのマスクが必要な季節になった。


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キー入力のとりこぼし

2016年10月23日
僕の寄り道――キー入力のとりこぼし

ここ数日パソコンの誤入力が多く、おかしいと思っていたら「W/て」の刻印があるキーが入力されにくい。長いこと使ってきたキーボードなので寿命かなと思ったが、ふと思いついてキーをはずしてみたら「ギャッ!」と声が出そうなほどゴミが詰まっていた。

ピンセットでゴミを取り除いてやったらちゃんと入力できるので、いい機会だと思い、すべてのキーを引っぺがして掃除した。「ギャッ!」「ギャッ!」「ギャッ!」が積み重なって膨大なゴミが出たので、ためておいて写真に撮ろうと思つたけれど、あまりに汚いので廃棄した。

Apple アルミキードのキーは iPhone をこじ開けるときに使うプラスチックのへらのようなものを用意し、奥側に差し入れてちょっと手前にこじるとパチンと音がして取り外せる。ゴミを取り除いたら元の場所に置いて親指で押すと、パチンと音がして元どおりにはまる。


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衝撃と振動

2016年10月22日
僕の寄り道――衝撃と振動

先にお風呂をもらった風呂上がりに、髪の毛やゴミが浮いたままにしておくのは行儀が悪いので、小さくて目の詰んだタモ網のような道具ですくい取っている。すくい取るまではよいのだけれど、網でできた袋の奥の掃除がしにくくてだんだん不潔になる。

不潔になるたびに捨てて交換するのもバカバカしくなり、使い捨てするなら 100 円ショツプで売られている安いものでいいではないかと思い、駅前近くの店に寄ってみたら不思議な商品があった。

袋ではなく金魚すくいの「ポイ」のように平板で、「法華の太鼓」のようにうちわ状をしている。すくい取る面の裏側にゴムひもが張り渡され、真ん中につまみやすいプラスチック玉がついている。ゴミをすくい取ったあと、そのつまみを持ってゴムひもを引き絞り、パッチンと音を立ててはなすとネット面のゴミが一瞬にして落ちてしまう。

なるほどこれはよくできていると感心し、ネット検索したら同感の書き込みがたくさんあり、商品名を「パッチンお風呂ネット」という。ゴムひもが収縮しボールがネットを叩く衝撃と振動はしつこい髪の毛まで弾き飛ばすほどパワフルである。

そういえば夏から秋にかけて、夜になると部屋の明かりを目指して虫たちが飛んでくる。朝になってもしぶとく網戸にしがみついいるのはたいがいカメムシで、うらめしそうに室内を覗き込んでおり、見ているだけならいいが、執念深くわずかな隙間を見つけて室内に入り込んだりする。

臭いにおいを出すカメムシをつまみ出すのは苦手なので、網戸にとまっているその場所近くを指でパンッと弾いてやると、宇宙空間に勢いよく放出されたように、しがみついた格好のまま後ろ向きに飛んでいく。指と網戸が作る衝撃と振動もパワフルである。

メガネ洗浄に使う超音波洗浄機や、レンズ交換式デジタルカメラのホコリ除去超音波振動ユニットもそうだけれど、平面に衝撃と振動が加わった時のバワーは凄まじい。「パッチンお風呂ネット」にも超音波が発生しているのかしらと思うが、JISでは『正常な聴力を持つ人に聴感覚を生じないほど周波数(振動数)が高い音波(弾性波)』を超音波と規定しているそうで、パッチンと音が聞こえるくらいなので超音波でもないのだろう。でもすごい。


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笑うな

2016年10月21日
僕の寄り道――笑うな

筒井康隆に「笑うな」という短編がある。タイムマシンをつくって過去へ遡り「直前の自分」をこっそり見に行き、見えない場所から眺めながら口を押さえて笑い転げる話なのだけれど、おかしくてたまらなくていまだに忘れられない。どうおかしいかは人それぞれ違うと思うのだけれど、自分はこうおかしい。

「直前の自分」は「未来の自分」からこっそり見られていることを知らない。自分に見られているとも知らない「直前の自分」は、「未来の自分」から見てひどく間が抜けているように見えるわけで想像しただけでおかしい。おかしいと思わない人にうまく説明できないのだけれど、おかしいだろうなと思っていたことが偶然現実に起こった。

外出しようと集合住宅の玄関に行ったら、配達に来た郵便局員がインターホンを操作して届け先の部屋を呼び出し、オートロックの自動ドアを開けてもらおうとしている。何号室だろうと思って表示を見たら自分の部屋の番号なので、ドアに近づいて解錠し
「ちょうど良かった、その荷物うちに届いたものです」
と言ったら、配達員がにっこり笑って入ってきた。

健康保険証を持っていたので本人だと証明して受け取り、部屋に帰ったらインターホンの着信履歴ランプが点滅している。このインターホンはどんな人が訪ねて来たかビデオ録画で残されるようになっており、不在時でも誰が来たかが分かる仕組みになっている。ということはさっきのやり取りが映っているはずなので再生してみた。

配達に来た郵便局員がインターホンを操作して届け先の部屋を呼び出し、オートロックの自動ドアを開けてもらおうとしていたら、突然ドアが解錠されて開き、中から大柄な男が近づいてきて
「ちょうど良かった、その荷物うちに届いたものです」
と言い、配達員がにっこり笑って入って行った。大柄の男は未来の自分に見られるなどと想像もしていないわけで、やはりひどく間抜けに見えた。


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着払い

2016年10月20日
僕の寄り道――着払い

ゆうパックの不在配達連絡票が入っていて着払いの項目にチェックが付いている。着払いで物を買った記憶がないので気味が悪い。受け取り拒否という選択肢もあるらしい。

とはいうものの勝手になにかを送りつける詐欺にしては 690 円と小額なのでへんだなあと思う。ネット購入した商品の明細を調べたら、料金先払いで送料着払いという買い物があってようやく合点がいった。

料金は先払いで受け取りたいが、受け取ったことを確認してから梱包するので送料がわからない、そのため料金は受取人の着払いということになっているらしい。素人からネットオークションで買い物をする場合によくあるケースなのかもしれない。初めてだったのでちょっと戸惑った。

GALAXY Note 8.0 (SIM フリーのやつを11,600円で落札した)のスクリーンショット。右から二番目、標準インストールの aNote は iOS で定評のあるアプリ Awesome Note 。


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見守り携帯

2016年10月18日
僕の寄り道――見守り携帯

東海道線車内に小学校低学年の児童が大勢駆け込んできて、海辺の町ではむかし旅人が往来した線路上が通学路線になっている。

高価なスマホを持たされた子どもは、ゲームやりたさで同級生の人気者になっているらしく、大勢に囲まれて賑やかにしている。

孫思いで心配性のおばあちゃんに送り迎えしてもらっているのか、一緒に本を広げて眺めている子どももいる。そのとなりで覗き込んでいた子どもが座席からひょいと立ち上がり、ポケットからコロッとした楕円形の携帯電話を取り出し、お母さんに電話をかけていた。

いわゆるキッズ携帯とか見守り携帯というやつで、GPS を使った位置情報が製品の肝なのだろう。明治の時代になって全国各地に鉄道の敷設が進んだ際、鉄道の駅は見知らぬよそ者が入り込む忌まわしい場所として、土地の取得に難渋したという。

いまでもよそ者が行き交う鉄道で通学させる親たちは心配なんだろうなと思い、可愛い携帯電話を持たされた子どもたちを眺めながら、大人が携帯する電話もあの程度にして、スマホから目をあげて子どもでも見守っていた方がいいかもしれないなと思う。

清水駅前にて


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混んでる、空いてる

2016年10月18日
僕の寄り道――混んでる、空いてる

伯母の一周忌法要のため日帰り清水帰省をした。頑張って早起きし途中乗換駅で30分余裕ができたので、コーヒーでも飲みながら駅ナカで朝食にしようと思ったら、名の知れた人気店はどれも混雑しており、聞いたこともない不人気店は空いているのでそちらに入った。

どうしていつもそういう不人気店を選ぶパターンになってしまうかというと、並んで待つのがいやだからで、しかも「空いている人気店」など言葉遊びであって現実にはありえないからだ。

18日午前5時45分の六義園上空。

美味しくても高いので空いているけれど、客一人あたりからの収益性は高いという店はあり得るだろう。いっぽう安いぶん不味いけれど、他に店がないので仕方なく混雑しているという店もあり得るだろう。そういう店は人気不人気の評価尺度から逸脱している。

空いている店に入ってモーニングセットを頼んだら、やっぱり予想通り美味しくはないけれどすぐに注文の品が出てきて、ぼんやり考えごとをしながら食べ終えたら、無事乗り継ぎの時刻に間に合った。

駅ナカでは美味しかろうが不味かろうが、とにかく時刻表通りの発車時刻に遅れないこと、という間に合わせの尺度が重視されている。だからこういう店もちゃんと成り立っている。そして慌ただしくて落ち着かないけれど、いちばん改札口に近い立地であることが多い。

まもなく清水。

そういえば昔の駅前には、たいしたつまみも出なくて店内に時刻表が貼ってある飲み屋が必ずあったし、終電に間に合わなかった旅人を当て込んだ泊まれればいい程度の安宿もあった。

そういう閑古鳥の鳴いている駅前食堂に汽車乗り継ぎ待ちで入ったら、昼間から飲んでいるおっさんに人違いされて難渋する井伏鱒二の掌編があり、再読したくて探しているがどうしても見つからない。


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生きていた貝と鶏

2016年10月17日
僕の寄り道――生きていた貝と鶏

もう閉店されてしまったけれど近所に魚屋があり、赤貝の刺身が美味しくてよく買ったが、いつも経木に「生きていた赤貝」と書き添えられているのが妙に可笑しくて笑ったものだった。

地域商店街情報を読んでいたら新鮮さを売り物にした鶏肉店の記事があり、名物のチキンボールは一日一万個を売り上げるという。当日の朝五時まで生きていた鶏肉を商うのが自慢だそうで、それを「朝引き鶏」と言うらしい。赤貝も「朝引き赤貝」だったのだろう。

★朝引き鶏を商う店は十条銀座商店街の「鳥大」


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昔からある店

2016年10月17日
僕の寄り道――隣接区のさんぽ帖

小学生の6年間を過ごした町にパン屋があり、今もその町で暮らす年下の女性編集者が打ち合わせに来るたびに、手土産としておいしいパンをもらっていた頃がある。いったいあの町のどこにこんな洒落た店があったのだろうと以前から気になっていた。

その町で編集者と飲んではしご酒をして歩いたら、思いがけない場所にその店を見つけ、
「よくパンをお土産にもらったのはこの店?」
と聞くと
「そうです」
と言う。
「昔からこの場所にあったの?」
と聞くと
「そうです」
とポキポキ答える。この場所なら小学校の学区内なので、当時は気がつかないほど小さな店だったのだろう、ずいぶん長いこと頑張って大きな店にされたんだなと感心した。

北区商店街連合会が配布している「北区商店街さんぽ帖[保存版]」を読んだら、その店であるベーカリー明治堂はなんと明治22年に小石川で創業し、平成5年、王子にこの店を開店させたのだと言う。確かに若い人にすれば23年前の開店は遠い過去であり、昔からここにあったことになるのだなぁと大昔の小学生は思う。

大宮の特養ホーム訪問帰りによく歩く大宮駅東口の飲食街。1952年創業とあるこの店は、若い頃の大橋巨泉が店内で DJ をしていたという言い伝えがあるが、その頃は別の場所にあったらしい。


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