大晦日の奇跡(浪花節だよお掃除は・続編)

 

台所掃除用クリームクレンザー『ジフ』の日記を書き、パッケージを長いこと見ていたら「IH調理器にも使える」というキャッチコピーがいつもより気になり、いつもなら
「(電磁調理器用でなくても鍋・釜洗いに使えて当然だろう!)」
と思っていたものが、
「(そうか!電磁調理器自体に使えと言うことか!)」
とやっと気づいた。メーカーさんごめんなさい。

そういえば電磁調理器天面は茶色くなっており、焼き付け塗装のように合成洗剤でも落ちない汚れがついていき、内部にできたシミのようなもので、もう取れないのだろうとあきらめていた。

「(そうか!電磁調理器自体に使えと言うことか!)」(くどい)
と気づいたので早速天面にたらし、親仕込みの「こすってこすって、みがいてみがいて」をしたら、あーら不思議、買った当時のように真っ白になってしまった。我が家にとってこれは奇跡だ。

本だけでなく、文字というのは何度も読まないと文字通りに読めない。

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浪花節だよお掃除は

 

 大掃除は台所を重点的に磨き、親たちの介護が大変で手が回らなかった事による長年の汚れを落としてすっきりした。
 油汚れには掃除用合成洗剤が便利だけれど、それでも落ちないこびりつき汚れがあり、義母の流し台の中を探したらクリームクレンザーがあった。

 歯磨き粉のように、かつては研磨剤が悪者として喧伝されたことがあったけれど、研磨剤で実際につく傷など微々たるものらしい。

 かかとの角質化した皮膚を軽石でこするのはもう古い、これからは化学薬品で溶かし落とす時代だと言われても御免こうむりたいように、汚れというのは「こすってこすって、みがいてみがいて」落とすもんだよなぁと、親たちの浪花節調口ぐせを懐かしく思い出した。

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自治と世襲

 

濃尾平野に旅をしたら大きな川に立派な堰があり、堰の端に小さな管理棟がある。管理棟内にエレベーターがあって川底の深さまで降りられるようになっており、そこに二十四時間体制で水量を見守る管理者がいる。

濃尾平野の農民の歴史は、すなわち水害と闘う歴史であり、村で作った堰を村で管理しているという。地方自治体や国に任せたのでは、正しい管理体制を維持する責任が不明確になるので、村の中で決められた家が代々世襲で堰管理をしているという。

|静岡から届いた荷物に入っていた枝つきみかんによる祈りのかたち|


堰管理の家に生まれた子どもは堰管理者としての教育を受けて育てられ、一生を堰管理棟地下での見守りに捧げるのだという。それくらいのことをやらなければ自治というものは守れない、自治というのは大変なことなのだ、だが自分がもしそういう境遇の家に生まれたら耐えられるだろうか……というところで目が醒めた。


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棲み分け2

 

昔々、Macintosh を使って Postscript でちゃんと描画できて仕事に使えるツールが、Adobe の Illustrator と Aldus の Freehand くらいだった時代、QuickDraw で描画するマイナーなドローソフトもいろいろあってずいぶん遊んだ。Mac ユーザー御用達のイケショップが神田明神下にあった時代で、珍しい輸入ソフトを見つけるたびに買い込んで遊んだものだった。結局は QuickDraw RGB PICT から Postscript CMYK EPS への変換問題などもあり、遊び以上の仕事に使えた記憶はあまりないけれど、楽しい時代ではあった。

久しぶりに遊び用と決めた MacBookAir で App Store からダウンロードしたマイナーなドローアプリを使って遊んだら、高度な出来映えなのでびっくりした。Adobe の Illustrator とは微妙に違うインターフェイスが面白くて MacDraw や CANVAS など懐かしいソフトの使い心地を思い出すし、意外と使いやすい機能に感心したりもする。PDF がベースにあるので、Adobe のアプリにちゃんと受け渡しができるわけで、ソフト自体も OS の環境もお金をいただく仕事に使えるレベルになっていて、面白い遊びができる時代になったものだと思う。

棲み分け

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棲み分け

OS X はスリープから復帰する速度が驚くほど速く、ノートだと蓋を開けたとたんにログイン画面となり、パスワードを入れている間にスタンバイとなるので、iPad の軽快な使い心地とほとんど変わらない。その辺のチューニングが Windows より優れていて、おそらくハードとソフト一体開発の強みなのだろう。

MacBookAir のトラックパッドでクリック、スクロール、スワイプなど指をくねくねして操作すると、まるで“画面に触らなくて良い iPad ”のように感じ、そういう使い方の範囲なら iPad に外付けキーボードを組み合わせたものと MacBookAir とはあまり変わらないなぁと思う。

その一方で、
「じゃあどこに iPad でなく MacBookAir を使う動機があるの」
という自問があり、自答しようとすると非常に希薄で、確かに宝の持ち腐れだなとも思う。Mac OS で原稿書きするためのキラーアプリ、VoodooPad は iOS 版も存在して iPad でも使えるからだ。

もったいないので MacBookAir ならではの使い道がないかと考えてみたら、
「なんのために iPad では使えないマウスが使えるようになってるんだ」
という天からの啓示があったので、そうかと膝を叩きながらマウスで使う製図ソフトを入れてみた。
 仕事で使う Mac には Adobe Creative Cloud で仕事用ツールの最新版が使えるようにしてあるけれど、それらを入れたのでは意味がなくなるので、MacBookAir ではあえて聞いたことのなかったマイナーなソフトだけを使うと決め、趣味と実益を兼ねた遊びと実験の場にしてみた。というわけで、まずは Artboard と iDraw をインストールした。



棲み分け2| 

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本音

 

2002年夏に喫煙をやめてから丸10年が経った。末期ガンとわかった母親といる時間が増え、母が若い頃から片肺なのを気遣って喫煙をやめたおかげか、辛い思いもせずにやめられたし、その後も吸いたくなったことがない。

最近は近くで煙草を空ぶかしされて腹を立てたりする事もあるくらいなのだけれど、なぜかときどき自分がヘビースモーカーに戻っている夢を見る。
「実はそれがあなたの本音なんですよ」
とか言われそうな気がするのだけれど、起きているときにタバコが吸いたいと思うことは微塵もないのがとても不思議だ。

|曇り空の朝|2012年12月28日|

広辞苑で本音の意味を引くと、「たてまえを取り除いた本当の気持」とあるけれど、「心が求めている」というより「体が求めている」という世間でもよく聞く現象も考えあわせて、「心(たてまえ)を取り除いた体(本当)の気持ち」というのが本音の正体かもしれない。

 

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ファイル

 

 生活の中で次々に増える書類整理をコンピュータによる電子化から原始的なクリアポケットファイル形式に戻した。
 昔は高価なクリアポケットファイルを買って書類整理し、暮れの大掃除などで溜まった書類を整理して使い回していたけれど、今ではポケットが32もあるようなA4ファイルが100円ショップで手に入るからだ。買ってきたら、まず32枚のA4コピー用紙をポケットに入れてやる。そうするとファイル自体がしっかりするし、裏表64ポケットに倍増するからだ。それに【投げ込み1】と名をつけて、発生した書類を次々に投げ込んでいく。いっぱいになったら次の【投げ込み2】【投げ込み3】と増やしていくのだけれど、しばらく時間をおいて古いものから見直すと明らかに不要な書類があぶり出されてくるので処分し、残りは新しいファイルに移してクリアポケットファイルを再利用している。

 

 クリアポケットファイルは手に持ってパラパラッと閲覧しやすく、パラパラッのページめくりは緩急自在で、人間の行為として自然なのでストレスを感じない。電子化して無選別で溜め込むと閲覧性が悪いし、性格的な問題もあってかストレスの元となる。なんでもかんでも溜め込むことにまず100円程度の価値を与えてみて、どうしても捨てられない大切なものだけを選別する砂金採りのような整理法だけれど、今はこれが一番気に入っている。


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困る

 

困るという言葉は面白い。
「あらまぁ、こんな事をしていただいたら困りますわ」
と意味も無く山の手奥様言葉で書いてみる。広辞苑的に書き直せば
「あらまぁ、こんな事をされたら、どうしていいかわからなくて、迷惑ですわ」
になり、実際に用いられる場面によって分解すると
「あらまぁ、こんな事をされたら、どうしていいかわかりませんわ」
と感動を表す場合と
「あらまぁ、こんな事をされたら、迷惑ですわ」
に分かれるのだろう。

冬になるとコタツで食べる温州みかんが美味しい。コタツがないので椅子に座って食べても美味しい。静岡からいただき物の早生温州が届き、美味しいので自分で取り寄せたりし、そのうち続々貰い物のみかんが段ボールで届き始めると食べきれなくて困り始める。みかん栽培が盛んな郷里清水ではいただき物のみかんが山になり、それでもまたみかんが届くと
「いやぁ、困る~」
などと複雑な笑顔で礼を言い、笑っていられなくなると
「いやぁ、困る~、ほんとに困る~」
となり、後者が
「あらまぁ、こんな事をされたら、迷惑ですわ」
になる。

|2012年12月27日、みかん色の夕暮れ|

いただき物のみかんが溜まり始めて夫婦二人では手に余るほどになったので、5キロほど袋に入れて手土産にし、打ち合わせに出掛けたら先方にも段ボール入りのみかんが溢れていた。
「まぁまぁ、遠慮せずに」
と持って行ったみかんをその上にぶちまけて身軽になり、打ち合わせを終えて帰ろうとしたら
「お土産にみかんをお持ちになりませんか」
と言われた。

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無心

 毎朝欠かさずラジオ体操第一・第二をやると決めたものの、いくら健康のためと自分に言い聞かせてもさぼりたい日が必ずある。さぼりたくても、どうしてもさぼることのできない日課というものがあるので、義父母の住まいの窓空け、焼香、花の水やりにラジオ体操第一・第二を組み合わせて朝のセットメニューにしたらしっかり続いている。習慣化することの鍵は意識的な心の覚悟ではなく、無意識的な日常生活動作の組み合わせ方なのだと思う。

 日常生活動作に組み込んで、あれをやったらこれをやり、これをやったらそれをやるというふうに、考えなくても身体が自動的に動くようにすればなんとかできてしまうものなのだけれど、やっている最中にラジオ体操のことを考えていると途中でやめたくなることがあるので、そういう気分が乗らないときはラジオ体操以外のことを考えるようにしている。考え事に夢中になっていても自然に身体というのは動くものなのだけれど、ときどき音楽に動作が合わないので我に返ると奇妙な盆踊りを踊っていたりする。

|池袋に開店していた不思議なカレー屋。昼時に前を通ったら満員になっていた。|

 奇妙な盆踊りを踊って我に返ることもなく体操が終わった時点でちゃんと我に返ると、こんな風に無心で体操をしても運動になっているのかしらと不安になる。無心でできた体操は疲労感が少ないからだ。体操のことを意識して体操をすると手足の先までよく伸ばそうと心がけたり、より深く曲げようと頑張ったりするので運動による恩恵は多いのかもしれなくて、無心でやる体操は「小さく前へならえ」のように小さな体操なのかもしれない。

 小さな体操は大きな体操にかなわないという話しは置いておいて、「無心でやった体操はほんとうに運動になっているのか」ということがとても気になる。歳のせいかラジオ体操をすると筋や筋肉や関節が「う~~~ん」と声が出るほど気持ちよいのだけれど、考え事に夢中になって体操していると気持ちよいことすら忘れており、その時に身体自体は気持ちよがっているのだろうか、あるいは、マッサージ治療を受けたらきっと「う~~~ん」と声が出るほど気持ちよいのだろうと思うけれど、気持ちよくて眠ってしまった状態で受けたマッサージ治療でも、身体自体に治療効果があるのだろうか。

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地方版

 

 新聞は朝日新聞が自動引き落としになっており、変更諸手続が面倒なので何十年も他紙を読んだことがない。紙のメディアと併読だと安いようなのであわせてデジタル版も購読しており、地方版が読めるのを楽しみにしている。
 今朝も未明に目がさめたので iPhone で紙面をめくり、地域情報を読むと見出しからして楽しい。
 「海辺彩る赤いとんがり帽子」とあるので屋根のことかと思ったら、下田市白浜の板戸海岸でアロエの花が咲いているという話題で、アロエの花を楽しむ観光客の写真が添えられていて和む。「正月の主役、出荷最盛期」という見出しで備北地域のワニに関する記事もあり、広島ではワニすなわちサメの出荷が始まったという。かつて青森の魚市場に行ったらサメ専門の小さな店があり、子ども連れの男性が買っていたので、どうやって食べるのかと聞いたら「刺身で食べると大トロなんかよりよっぽどうまい」と教えてくれた。記事を読むとワニは身にアンモニアを多く含むので腐敗しにくく、安心して刺身で食べられるし、山間部の貴重なタンパク源だったという。
 郷里静岡県清水ではイルカを当たり前に食べるが、秋田出身の編集者に聞いたら、子ども時代の秋田山間地域では当たり前にイルカを食べたと言い、やはり貴重なタンパク源だったという。貴重なタンパク源と聞いてピンとくる体験のない者、食文化理解力に欠ける者たちが過剰に驚いて騒ぐのであり、日本にはサメもイルカも全国で当たり前に食べられていた時代があったのだと思う。

|2012年12月26日の夕暮れ|


 「高知の子どもは『ぽっちゃり』傾向」という見出しがあって微笑ましい。文部科学省が公表した2012年度学校保健統計調査に基づいた記事で、岐阜版だと「岐阜県内の子ども、小柄で細身傾向」だという。高知の子どもがどれくらいぽっちゃりかというと、身長が0.1から1.3センチほど低く、肥満傾向の年齢別出現率の9割が全国平均を上回ったという。県では「早寝早起き朝ご飯」運動で生活習慣改善を徹底させたいとのことだけれど、「早寝早起き朝ご飯」でぽっちゃり化がとまらないオジサンは、小学生に比べて不活発だということだろう。
 そんなことを考えながら和んでいたら、ふと松本清張『地方紙を買う女』を思い出した。地方紙に『野盗伝奇』という小説を連載していた作家の話で、実際に清張が地方紙に連載した(1956)『野盗伝奇』があるという。高校時代に全作読破したつもりだが、読んでいない気もするので送料250円+1円で古書を注文してみた。

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真冬のアイスクリーム

 棒付きキャンディー型アイスクリームのパッケージデザインを久しぶりにやった。
 クライアントの現行製品と他社製品を街に出てサンプリングし、それらを参考にしながら新たなデザインを検討するのだけれど、こんなやり方では手間と時間ばかりかかって割に合わないなぁ、もっと良い方法があるはずなのだけれど……と思っているうちに、
「(こんな三十年以上前の、コンピュータはもちろんワープロすら普及していない時代の方法で作業していること自体がヘンだ!)」
と気づいて夢から目がさめた。
 大学出たてで勤めた会社で乳業メーカーのパッケージデザインを担当していた二十代の頃、そうやって冬になると来期発売になるアイスクリームのパッケージデザインをやらされたものだが、夢の中でその当時のままの非効率的な手作業をしている自分に耐えられなくて夢だと気づき、逃げ出すように夢から覚めるいつものパターンだった。

|アイスクリームのことなんか考えたくない凍えるような夕暮れ|2012年12月24日|

 「(こんなやり方では手間と時間ばかりかかって割に合わないなぁ、もっと良い方法があるはずなのだけれど)」
という不満が高じてその会社を辞め、電機メーカーの中途採用試験を受けてデザインセンターに入り、そこも辞めて独立した頃に、ようやくコンピュータの時代がやって来た。黎明期「Macintosh漢字Talk」の時代にも大変な苦労があったのだけれど、博物館にでも入ったかのように、わざわざそのもっと前の時代の苦労を追体験しているのがおかしくて、いかにも真冬のアイスクリームに相応しいと、目が醒めた今だから笑える。

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クリスマス

 特養ホームでクリスマス会があるので午後から大宮まで出かけた。先に行って食事介助していた妻に昼食を差し入れ、廊下隅のテーブルで一緒に食べていたら、通りかかったケアワーカーが
「あっ、ひょっとしてクリスマス会にいらしていただけたんですか?」
と言うので、そうだと答えたら、
「こんな状態なので中止になったんです」
と言う。老人ホームでは今月に入って風邪が流行っており、ケアワーカーが次々に倒れて人手が減っているようで、大変だなぁと思っていたのだ。

年寄りが風邪にかかると命にかかわるので、取りやめは懸命な措置だと思うけれど、取りやめられないのが老人の介護で、勝手に休めないケアワーカーが次々に倒れている仕事の厳しさに頭が下がる。どうやら風邪がうつったらしい妻も、一日寝て過ごしてクリスマス会に出られるまで回復したが、年寄りたちが風邪をひかないのはよく寝ているからだろう。

不活発になって衰えていく老人を寝かせきりにする介護は批判の対象になるけれど、年寄りはゴロゴロ寝ていることで病気にかかることを防いでいたという一面もあるのかなぁと、よく敷きっぱなしにした布団で寝転がっていた祖父母を思い出して思う。

|クリスマス会が中止になった特養ホーム|2012年12月24日|

クリスマスの物語では、網棚の上に酔っぱらいが置き忘れていった大きなケーキと自分が持っている小さなケーキを見比べ、大きなケーキが欲しくてたまらないが手を伸ばすことができず、ケーキをのせた電車のあかりをホームで見送るという、向田邦子の正直で貧乏ったらしい話が一番好きだ。

老人ホーム帰りの街はクリスマスケーキを買い求める人たちで行列ができていたが、ケーキも鳥の照り焼きも妙に寒々しく、そもそも借り物のお祭りは貧乏くさいもので、どうして子ども時代にこんなものを羨ましがったのかと不思議に思う。それでもデパ地下で妻がガラスケースのシブーストを食べたがるので、クリスマスというわけじゃないけど小さく切り分けたのを二つ買って帰ることに同意した。帰ってきてあけてみたら作り物のヒイラギが上にさしてあって、心遣いに感謝しつつ貧乏くさくてクリスマスらしい。

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マイペース

 

「あの人は何事もマイペースだから」
というのは最大の褒め言葉だと思う。マイペースが批判されるとき、マイペースでいることが人様に迷惑をかけるような生き方をしているのが悪いのであって、他人にとやかく言われる筋合いではないと胸を張って言えるように生きられるなら、マイペースは素晴らしい生き方だと思う。

他人のペースに巻き込まれて無駄に体力を消耗するようなことはせず、他人が呆れるようなことに身を入れて打ち込んでいる人を人生で何人か見た。他人のペースに巻き込まれないで生きるということは、人生を自分の身の丈にあわせて生きるということである。そういう人には、自分は身の丈相応のことしか人生でなし得ないしそれでいい、そう思い定めた時がきっとあったに違いない。

他人のペースに巻き込まれて体力を無駄に消耗している事に気づき、自分のペースでやりたいことだけやることで人様に迷惑をかけることなど何もないと思えるなら、身の丈分で充実した人生に復帰できるチャンスはいつでもある。
「ああ、今の自分は他人のペースにあわせて時間と体力を浪費しているな」
と思うたびにマイペースでやれることをいつも用意している。

|スタイラスペンが使える7インチAndroidタブレットが届いたので試し書きした『三ちゃん食堂』のマッチ|


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看病

 毎日特養ホームに通って母親の食事介助していた妻が朝食を食べられないと言い、ホーム内で流行っている風邪にかかったらしいと言う。
 食事介助を休み、風邪薬を飲んで寝ているので昼食におかゆを作って食べさせ、コンビニで上から二番目に高いユンケルを買ってきて飲ませ、午後から近所のショッピングセンターに行って夕飯の買い物をした。

|寒い朝、六義園にやって来たヒヨドリ|


 連休明けまでの仕事もあらかたやり終えたら身体がだるくてあくびが出る。病人が横になって重力から自由になり、宇宙に浮遊するようにして身体を休めている時、看病人が無駄に体力を消耗することが最も良くないので、家庭内感染予防を口実に昼寝をした。
 昼寝から覚めたら気分爽快体力横溢で調子がいい。老人在宅介護の時もそうだったが、病人や認知症老人が寝ている時はなるべく一緒に寝て鋭気を養っておくというのが、共倒れを防ぐ一番の方法だと思う。

【私的家訓】弱い者をかかえて強いものでいなくてはいけなくなったら寝られるときに寝ておけ


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ボール紙

 中国製 Android タブレットの粗末な貼り箱を処分しようとしたら、芯のボール紙が木材パルプではなく黄色い藁パルプらしきものであることに気づいた。子どもの頃は、こうして塗工紙に印刷されて合紙張りされたものを破くと黄ばんだボール紙が出てきたものだった。木材パルプではなく藁パルプを原料に使っていたからで、踏まれてぺちゃんこになって乾いた馬の糞に似ていたので馬糞紙と呼ばれたものだ。
 ボール紙は板紙とも言い、ボールは Board から来ている。昔はよく馬糞紙の板紙を見かけたけれど、高度成長期以降の日本では米や麦などの藁を集めてパルプ化するのが困難となり、現在ではコストの安い下級再生紙を使ったチップボードが使われている。中国ではまだ藁パルプが作られているということなのだろう。

 液晶画面を傷つけない程度に先の尖ったものならペンとして使える感圧式の Android タブレットを集めている。iPhone や iPad のヒットで静電式タッチパネルが主流になり、感圧式であることがすなわち旧式で廉価版(静電式は豪華版)を意味するという情勢になり、感圧式タブレットが早晩手に入らなくなるかもしれないと思うからだ。手描きメモやお絵描きには本当に使いやすい。
 廉価版のラベルが貼られ数千円で買える感圧式 Android タブレットが、こんなに便利でいいんだろうかと思うたびに、作ってくれている中国人に感謝する。廉価版購買者に対する精一杯のサービスらしく、液晶保護シートや、いかにも中国製らしい画面を拭くシリコンクロス、サービスのためか同じ AC アダプタ二個も詰め合わされた箱を開くと、ありがたいなぁと思い、箱を処分しようと破いた途端に馬糞紙が現れたりすると、昭和生まれ世代は感きわまるわけだ。

 

藁パルプ
中国では藁など非木材パルプによる製紙が盛んだが、木材パルプに比べて製造過程で使用する薬品の回収技術が確立しておらず、業者も零細で技術や設備投資もままならないため、深刻な公害問題を引き起こしているらしい。


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