電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
拈華微笑
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そう思って開高健を読んでいたら拈華微笑(ねんげみしょう)が出てきた。釈迦が花を高く持ちあげて示し(拈華)、弟子のひとりが破顔微笑(微笑)するをもって、以心伝心したという話。
言葉や文字では表現し伝達し受容されえないことを、以心伝心と言ってしまうのも似たようなことかもしれない。そういう「あいまい」にまずさがあるとすれば、陶酔による度を過ごした幸福感に陥りやすいことだろう。ユーフォリアというらしい。
遊園地夜景
2015年4月24日
遊園地夜景
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そんなことを盛岡で開かれている谷中安規展の新聞広告を見て思い出した。盛岡は遠いし、注文していた『開高健の憂鬱』が取り寄せ不能らしいので、国書刊行会『谷中安規 モダンとデカダン』を注文した。
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見慣れぬ影
改行と段落
2015年4月23日
改行と段落
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夜と朝の間に改行がある。一日の終わりに点をうち、翌朝、目がさめると行が改まり、昨日と今日の間に ¶ の記号が打たれ、そうやって一段落ができている。
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段落には意味段落と形式段落がある。文末に点をうって改行することで、ひとかたまりの意味になったものを意味段落という。
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意味段落をひとかたまりの完結した意味とせず、大きな意味にただ形式として改行を入れて分割したものを形式段落という。
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時間という説明困難な現象は、夜と朝によって分かたれ、昨日今日明日と形式的に名付けられた形式段落にすぎない。そう考えてしまうと、こころの救われ方は少ないかもしれない。
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「行と行のあいだに何か謎のような涼しい淵があったのに、いまは水枯れした、しらちゃけた河原を感ずるだけである」(開高健『ロマネコンティ1935年』)
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前後の段落を思いわずらうことなかれ。空を飛ぶ鳥をみよ。彼らは、明日の糧を心配などしない。今日という日は今日の一段落にて足れり、とマタイによる福音書風につぶやいてみる。
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杣(そま)
2015年4月22日
杣(そま)
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「しかし杣道(そまみち)でしょうな」
『街道をゆく7 甲賀と伊賀の道、砂鉄の道ほか』で、御斎(おとぎ)峠を越えて伊賀から甲賀へ抜け、信楽(しがらき)から大津へ大戸川沿いを辿ろうとする司馬遼太郎がいう。
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杣山(そまやま)、杣木(そまぎ)、杣人(そまびと)、杣小屋(そまごや)などと用いる木+山の杣(そま)は、会意の国字であり、木のある山、山にある木、それらに関わる人を指す。
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杣人とはきこりのことで、杣夫(そまふ)や樵夫(しょうふ)ともいう。会意兼形声文字である樵(きこり)は木+音符焦(しょう=もやす、こがす)で燃料にするたきぎのこと。
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杣道のことを樵径(しょうけい)また樵路(しょうろ)ともいい、きこりしか通らないような山の小道にはさまざまな呼び名がある。
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大戸川沿いを下り、ようやく人家が見えてきたあたりで、橋のたもとにいた人々に、この道を辿っていけば瀬田に出られるかと司馬遼太郎の同道者は尋ねる。
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「大人のそばにいた三人の男児生徒が、いっせいにうなずいた。そのあと大人のほうがゆっくりうなずいて、
「出られます」
と、いった。」(司馬遼太郎『街道をゆく7 甲賀と伊賀の道、砂鉄の道ほか』)
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「読んだ気がする」を検索する
「読んだ気がする」を検索する
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山の仕事、街場の値段
御立場月海堂茶園
2015年4月19日
御立場月海堂茶園
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早朝散歩で本郷通り(岩槻海道日光御成道)を歩いていたら、西ケ原一里塚あたりで家が取り壊され建設工事がはじまっていた。この辺りならちょっと掘れば江戸時代の遺構が出るはずだと思い、囲いの隙間から覗いたらやはり発掘調査が行われていた。
浅草散歩
2015年4月19日
浅草散歩
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土曜日なので義母が暮らす特養ホームを訪問した。日当たりのよい渡り廊下に置かれた応接セットに腰掛けて、女性入所者の S さんがいつものように新聞を広げている。歌を詠んで投稿し、新聞に載ったりするSさんも、最近は老化が進んでかなりぼんやりしている。
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母親の身体の様子をチェックし、汚れているところは拭いてやり、髪をとかして目ヤニをとり、爪が伸びていたら切ってヤスリをかけ、衣類をチェックして整頓し、家庭で洗うものはまとめてバッグに詰め、拘縮した脚を伸ばしてマッサージしたりと、妻はやることがいっぱいあって忙しい。
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「 S さん浅草出身ですよね」
「国際劇場のわきにとんかつ屋があったでしょう」
「そうそう雷門を入って…」
「ううん、そうじゃなくて国際劇場を正面に見て左脇の道を入った左側、河金っていうとんかつ屋」
「ああ、ありますあります」
「そうなんですか、それにしてもよく浅草なんてご存知ですね」
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「 S さんは浅草生まれなんですか」
「ええ、金竜小学校ってご存知?」
「そう、金竜小学校。あなたは?」
「ぼくは北区です、北区の王子」
「ああ私立に行かれたんですか」
「いえ区立です、区立の王子小学校」
「そうなんですか、それにしてもよく浅草なんてご存知ですね」
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S さんは、浅草の話をする相手もまた浅草出身者だと思い込み、北区王子と聞いて公立ではなく私立小学校に浅草から通ったのだと思ったらしい。そうやって話の筋道を見失いそうになると
「それにしてもよく浅草なんてご存知ですね」
と言い、
「そうそう雷門を入って…」
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医者と日本刀
江戸時代の医者は武士ではないけれど苗字帯刀を許された。古くからの医家に日本刀が所蔵されていることが多いのも不思議はないけれど、幼い頃、山田風太郎の実家にはなんと数十本もあったという。
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本当の話かどうかは知らないけれど、清水次郎長が地元の医者に刀を預けてあり、都鳥兄弟をたたっ切りに行く際、取りに寄ったという話を読んだ気がする。
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江戸時代、所持が禁じられた者の刀預かり所というものがあるとすれば、往診にも帯刀したという医者の家は、隠し場所として最適だったのではないだろうか。喧嘩で怪我の絶えないやくざ者は医者のお得意さんでもあったわけだし。
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山田風太郎実家にあった日本刀の話で、やっぱりそうか!と思いあたり、「医者と日本刀」 で検索したら変態医師の記事ばかりにぶつかるので、返す刀でベネディクト 『菊と刀』 新訳を kindle 版で購入した。あまり関係ないけれど。
黄粱一炊の夢
2015年4月16日
黄粱一炊の夢
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久しぶりに岩波ジュニア新書で 『故事成句でたどる楽しい中国史』 という本を買ってみた。山田風太郎 『あと千回の晩飯』 の中に黄粱(こうりょう)一炊の夢という言葉があり、こういう故事成語を生んだ中国の歴史ってやっぱりすごいと感心するからだ。
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中国人などとくくり得ないものをひとくくりにして民族主義的にとらえるから、ただやかましくて気障りな隣人という見方をしてしまいがちなのであり、こういうありがたい文藝的産物を膨大に生み出し得た土壌の堆積は驚嘆に値する。
|六義園内の山柿|
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故事成語事典が欲しかったのだけれど電子書籍化されたものが見当たらないのと、辞書なら既にネット上で参照可能なので、読み物風の本を買ってみた。岩波ジュニア新書は大好きなシリーズだ。どうして岩田靖夫 『ヨーロッパ思想入門』 は名著なのに電子書籍化されていないのだろう(2015/04/16現在)。
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『故事成句でたどる楽しい中国史』 の著者井波律子が富山県高岡市出身であることにもちょっと驚いたが、静岡県清水市出身の清水さんに深い意味がない程度の偶然かもしれない。偶然じゃなくても苗字と地名の一致など日本の歴史の中では浅い必然にすぎないのだけれど。
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本の読み書きと対話
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このところ電子書籍による読書が増えた。机の前に座って、自立した画面をながめる読書だと、本を読みながら両手が自由になるのがありがたい。そういう状態での読書はマイクロフィルムリーダーを使った新聞閲覧にどこか似ていて、自宅にいても図書館で閲覧しているような気分になる。これは新鮮な読書体験だ。
鬼のように食べる
2015年4月16日
鬼のように食べる
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山田風太郎が 『あと千回の晩飯』 の中で、子規の 『仰臥漫録』 をひいている。病床に仰臥しながら書かれた子規の詳細な献立記録に奈良茶飯があり、どういう飯だったか子規伝を読んだ際に調べたはずなのにもう忘れている。
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わずかな米に豆や木の実や雑穀を加え、塩で味を整え番茶で炊き上げたものが奈良茶飯である。中村羊一郎 『番茶と日本人』 で読んだことがあるような気がする。自分にとって重要な本なので再読しておきたい。番茶に塩を入れるという習俗に興味を持ち、たたら製鉄をして茶を飲んだ山の民の暮らしに興味を持ち、そういう興味の阿弥陀籤をひいてたどり着いた本だった。
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奈良茶飯に一汁一菜そえて振る舞った浅草金竜山の奈良茶飯店が外食の始まりであり、それゆえ奈良茶飯は関西より関東で広まったというのが面白い。江戸のまちづくりに関わった大久保長安にも阿弥陀籤のたどり着く先が繋がるだろうか。
|六義園内、枝垂れ桜裏手のサンシュユ|
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『仰臥漫録』 で子規は奈良茶飯を、朝昼それそぞれ四椀の粥に続いて、やはり四椀も食べている。食べ過ぎて吐いたとあるがそれでも食べるという執念に感動する。子規は老いて枯れつつある老人への、三途の川を渡らせまいとする懸命な食事介護を自分でやっていた。
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これぞ壮絶である。すい臓癌で何も食べられなくなり、痩せた目刺しのようになって死んだわが母を壮絶と思ったが、粥二椀にイワシ十八匹を食べたという子規ははるかに壮絶である。山田風太郎もこう書いている。
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「よく世に 「壮絶なガン死」 などという。しかしガンによる死を壮絶と形容するのはおかしい。壮絶とは勇壮なことである。惨絶と表現するのならわからないでもない。おそらく鉄砲による死と故意に誤用した結果だろう。」 (山田風太郎 『あと千回の晩飯』 より)
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山田風太郎も難病を抱えつつこういうものを書いて、ほどなく鬼籍に入るのだけれど、常に可笑しくてたまらないユーモアと共にあるのが壮絶ではある。彼の言葉をそのまま借りれば、やはり 「一種の魔人」 だったのだろう。
爪切り
2015年4月15日
爪切り
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子どもの頃、爪を噛む癖があった。具体的な心配事や、漠然とした不安が心を満たすと爪が噛みたくなり、夢中で噛んでいる手をピシャリと叩かれることがよくあった。
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どうしてこの子は爪を噛むのだろう、噛んだらダメだと口を酸っぱくして言ってもどうして治らないのだろうと母が言い、指先にいつも唐辛子を塗っておくようにするとじきに治るって聞いたけど、などと伯母が真剣に答えていた。
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大人になってもストレスが高じると悪い癖がときどき出ていたけれど、いつも手が届く場所に爪切りがあるようにしたらいつの間にか治ってしまった。そしていまではイライラするとパチパチ爪を切っている。
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我を忘れる
2015年4月15日
我を忘れる
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我を忘れるという言葉を辞書引きすると「物事に心を奪われてぼんやりする。興奮して理性を失う。」などと書かれている。理性的で常に正しい自分を念頭に置くとそうなるのだろう。
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辞書にそう書かれているということは、世の中の人のほとんどが、理性的で正しい考えを持っていて、ごくたまに興奮して、理性的でない間違ったことをしてしまうこともある、といった程度に我を忘れているのだろう。
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人様にひきかえ自分はどうしようもない人間で、苦労するより楽をしたい、面倒なことから逃げたい、自分につけがまわるとわかっているのに先送りしたい、良くないこととわかっていてもやりたい、などというタイプなので、我を忘れることこそが自分を正しい方向に導く数少ない方法になっている。
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楽をしたい、逃げたい、先送りしたい、良くないことをしたい、などという心の兆しを感じた途端、身体を先にを動かして、面倒に向き合う、逃げない、いますぐやる、ならぬことはせぬという、行動によって先手を取るようにしている。そうやってなんとか我を忘れると、良い結果が待っている。自分の場合は。
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