【燕到着】

2020年3月31日

【燕到着】

六義園を眺めながら仕事していたら、今年初めてツバメを見た。早過ぎはしないかと例年の観測データを見たらそうでもないらしい。

「2020年つばめ観測投票へ  つばめを見た人は投票をお願いします」
とあったので観測場所、観測日、個体数を書き込んでおいた。

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【桜時計】

2020年3月31日

【桜時計】

毎日少しずつ満開に近づいていく小さな鉢植えの桜。

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【橋桁と橋脚】

2020年3月31日

【橋桁と橋脚】

夜明けがずいぶん早くなった。深夜に目が覚めて眠れなくなり、スマホで本を読んでいるうちに窓辺が明るくなっている。あの本、この本と、犬が朝の散歩でマーキングるように読んでいくといろいろ考え事をし、気になって調べた事柄を Google Keep というメモアプリに貼り付けている。あとで眺めるとだいたい何を考えていたのかがかわかり、そういう用途に向いている。何がわかったかではなく、何を考えていたかの方が大切なので忘れないようにしたい。今朝はこんなメモをしていた。

このアプリを久しぶりに使ったけれど、ずいぶん使い勝手が良くなっている気がする。数年前に起動したとき誰かの気の利いた言葉を見つけて仮留めしているのだけれど、出典をメモし忘れたので誰が書いたものかわからない。コピペしたのだろう。こんなことが書いてある。

集めた事実がうまくつなぎ合わせられないのは、まだ足りない事実が多いからで、橋脚ができないうちに橋桁をわたそうとした結果である。

どこから引いてきたのかわからないので自分の言葉で言い換えれば、自分が求める結論を前もって橋桁として用意しておき、それを支えるのに都合の良い橋脚を手っ取り早く探すようなことをするから、橋をかけてもすぐ流される。自戒をこめてメモしたのだろう。

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【携帯桜】

2020年3月30日

【携帯桜】

上階に住む友人は長いことパーキンソン病とともに生きている。年末あたりから急に背中が曲がってきたのを気にしているので、義父もパーキンソン病だったけれど、その症状は薬の調整で改善可能ではないかと言ったら、今それをやっている最中だと言うので安心した。

体調も悪いし、新型コロナウイルス 騒ぎで今年は花見もできないと言うので、友人四人が集まって飲み食いする会に、わが家の小さな鉢植えの桜を持っていき、テーブルにのせたら小さな花見会になった。

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【フチベニベンケイの花】

2020年3月30日

【フチベニベンケイの花】

不要不急の外出自粛要請をうけて室内に逼塞していたら気が滅入るので上階の友人宅で持ち寄り食事会をしようということになった。友人宅にお邪魔したら
「ベランダに置いた金の成る木に花が咲いたから見て」
と言う。

通称「金の成る木」のフチベニベンケイはわが家にもあるけれど、まだ花をつけたことがない。小さなベランダサンダルを履いて外に出てみたら確かに小さな花が咲いていた。

胸ポケットにスマホがあったので虫眼鏡がわりに写真を撮り、改めて拡大して見るとなかなか愛らしい花だ。

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【雪の影】

2020年3月29日

【雪の影】

初めて富山に行ったのは昭和 56 年、通称五六豪雪のさなかで、自分たちが乗った列車を最後に北陸線は数日間運休になった。初めて降り立った富山駅前で北陸の空を見上げたら、灰色の光の中を舞い落ちてくる雪が暗い影になって見えた。「すごいなあ、白い雪が影になって落ちてくる」と言ったら、当たり前だと笑われた。

不要不急の外出自粛要請を受けて逼塞しているせいか、今日の雪はあの日雪国で見上げた空のようだ。

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【雪の荷物追跡】

2020年3月29日

【雪の荷物追跡】

久しぶりにヤフオクでモノを競り落とした。自動入札を設定して競り合いにも備えたが入札者は自分ひとりだった。

むかし 7、8 インチ画面の Android タブレットを 2 台使っていたが壊れてしまった。その2台はなんと専用ペンではなくエンピツやシャープペンシルで画面に字や絵が描けてしまうのだった。導電性のあるものなら鍵でもスプーンでもボールペンでも釘でもなんでもペンがわりになってしまう。とくにエンピツやシャープペンシルの芯がそのままタブレットの筆記具になってしまう意外さと便利さは使ってみないとわからない。ペン自体が電源を必要とせず、手近な筆記具が使えるのだ。すごいじゃないか!と思うけれど「アポーペン」ほど一般ウケしないようで現行製品はない。

古いネット記事を読んでいたらなんと自分が使い潰した 2 機種以外にもう 2 社がかつてエンピツ等を使える製品を出していたことを知った。調べてみたら 2014 年の製品で、愛用しているいくつかの手書きメモアプリもちゃんと動くと思われる。 ASUS MeMo Pad 8 ME581C という機種で ME581C だけエンピツ等が使える。

「おめでとうございます!! あなたが落札しました。」というメールが届いたので朝一番でコンビニ払いを済ませたらその日のうちに発送連絡があった。荷物追跡をしたらもう本郷郵便局に着いて配達員が持ち出している。引き受け局を見たら武蔵野郵便局であり、なんでだろうと出品者を調べたら相模原だった。荷物は間も無く配達されてくるが 10 時を過ぎて雪が激しくなった。外出自粛と雪でトラフィックが激増しているのか回線速度が上がらない。

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【六義園閉園中】

2020年3月29日

【六義園閉園中】

六義園は昨日より臨時閉園中。午前八時頃から雪が降り出している。

雪の園内ではしだれ桜が満開になっているだろう。

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【エントツを一本】

2020年3月28日

【エントツを一本】

NHK みんなのうたで坂本九が歌った『えんぴつが一本』という歌があった。浜口庫之助の作詞作曲で長新太がイラストを担当した。1967 年の 10 月から 11 月にかけて放送され、いまも好きで覚えているので観ていたのだろう。

保育の月刊紙づくりを一緒にやっている女性編集者は月曜日締め切りで首がしまっているので、この土日も仕事だという。当然テレワークだろうと聞いたらそうもいかないという。こちらは Macintosh が上陸して以来ずっとテレワークなので、不要不急の外出を避け自宅待機しながらのんびり手伝う週末である。

新連載のエントツを一本お願いしますという。エントツってなんだろうと調べたら新聞社のサイトにレイアウト禁じ手としてエントツの項目があり、縦組みで二段以上の見出しを直列させることをいうのだという。それとは違うと思われるのでさらに検索したら、「新聞広告で15段1/3の変形スペースのこと。縦型の広告スペースからの名称である」とあってなるほどと納得した。エントツ型の囲み記事である。

「タイトル周りにイラストを入れてもいいです」と小さく書きこみがあるのは、おまけでちょこっとイラストも一本描けということだろう。

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【うちの子いちばん可愛いな】

2020年3月28日

【うちの子いちばん可愛いな】

「うちの子いちばん可愛いな」という親ばかソングにのせて、運動会でホームビデオを撮るお父さんの映像が映る CM が昔あった気がする。

子どものことはわからないけれど、わが家のちいさな桜がいちばん可愛い、とは思う。不要不急の外出を避けて自宅待機要請の出た週末なので、この鉢を囲んで家庭内花見をする。

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【塩田川の飛び石】

2020年3月28日

【塩田川の飛び石】

先週の三連休で警戒心が緩んだせいで感染が広がった可能性もあるという。昔は金曜が祝祭日だと三連休ではなく飛び石連休といった。

日本国語大辞典には石並(いしなみ)の項目があって、万葉の昔は伊之奈彌(いしなみ)とも書き、川の浅瀬に石を置き並べて橋としたものである。

郷里静岡県清水に古い東海道の名残りとして北街道があり、いまの北街道の原型である旧北街道の痕跡がいまもわずかに残っている。もう残っていない痕跡も昭和三十年代まではちゃんとあって記憶の中にだけ鮮明に残っているが、共有できる人も年々少なくなる。

その北街道を天王(てんのう)交差点から西進し、蕎麦屋平蔵を右に見た先を左に折れて下っていく細道がある。それが現存する旧北街道で説明板があるはずだ。その細道に沿った家並みが大内新田集落でかつては何軒か商家もあった。追っ手を巻くために次郎長をかくまったという言い伝えも残る。

その旧北街道を辿り、吉野寿司高部(たかべ)店前を通り過ぎてズンズン行くと、今はもう道すらないが巴川の支流である塩田川にぶつかり、その土手を上って下りたところに渡河場所があって石を並べた石並があった。昔の人が大きな石を運んで並べた人工の飛び石である。

1970年。手前が北街道で隣りが開通した東名高速。左へ曲がっていく川が塩田川で工場が処理場。その手前のくびれあたりに渡河のための石並があった。(撮影:石原雅彦)

石並を渡って対岸の土手に上ると今は遊水池になっている大内田んぼに下りる道があり、田んぼを抜けてまた観音沢川の土手に上がり、土手沿いに行くと大内観音参道に通じていた。もう痕跡すら残っていない記憶の中の旧北街道である。なぜ鮮明に覚えているかといえば、その細道を辿って毎日高部幼稚園に通ったからで、幼児の記憶は8ミリカメラで撮影したフィルムのようだ。

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【桜周回】

2020年3月27日

【桜周回】

他界した義母へのお花代にといただいた全国共通お花券を使い、昨年の春、染井銀座の花屋で買った桜の鉢植えをベランダに置き、肥料と水やりをして世話をした。

ベランダに置かれたままぐるっと太陽のまわりを一周し、今朝ひとつめの花が開いた。

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【私の秘密】

2020年3月27日

【私の秘密】

「誰でもこの週末は不要不急の外出は避けるべきだ」「誰でも不安に駆られての買い急ぎなどすべきでない」などという、理性的で道徳的な考えを持つ人ばかりだとしても、「誰でも」と言った途端「誰でも」の中にたった一人だけ特別なあり方をしている人が現れ、それが「私」というものである。「誰でもそうすべきである、ただし私だけは…」という思いに負けて、理性的で道徳的な群衆による理性的で道徳的でない集団的現象が起こってしまう。台風の中堤防を見に行く年寄りも、自分だけは大丈夫だと思っているのだろう。みんなが正しい選択をするなら自分ひとりくらいの間違った行いも神様は問題にすまいと思ったりしてしまう。

漱石がこんなことを書いている。

 或人が私に告げて、「他(ひと)の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃(たおれ)るのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴きかされた時に、こんな問答をした覚えもある。
「ああして始終(しじゅう)落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖(こわ)いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」
「ところがそうでないと見えます」
「なぜ」
「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」
 私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。(『硝子戸の中』)

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【インバウンド】

2020年3月26日

【インバウンド】

中学生時代に帰途をあらわす homeward bound という言葉を知り、インバウンド(inbound)といえば外から内へ帰ってくること、その反対がアウトバウンドと理解していたけれど、外国人旅行者、ていねいにいえば海外からの訪日旅行(outbound)者のことを、どうしてインバウンドなどというのだろう。広告業界では、大したアイデアでもないのに「インバウンド向けに…」などと言えてかっこいいし、「金が入ってくる」とも直結して顧客を説得しやすいのだろう。

そういうふうに bound を自由勝手に活用するなら、一泊二日をワンバウンド、二泊三日をツーバウンド、泊まらないのをノーバウンドと言うとわかりやすい。野球少年だった経験を持つ世代なら、ワンバン、ツーバン、ノーバンと略せるのも便利だ。コロナとオリンピック延期で日本はインバウンドがノーバンである。ちなみに野球のワンバン、ツーバン、ノーバンも勝手な和製英語である。

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【クローバー結び目】

2020年3月25日

【クローバー結び目】

保育園児から小学校2年くらいまでの間、人が死ぬということの意味ばかり考えて奇妙な寝ぼけ癖がついて親を心配させた。自分を中心にして開けた世界に他人がいる表向きの世界と、他人が中心になって開けた世界に自分がいる裏向きの世界を対置して、そこから自分が消えた世界を想像して煩悶していたのだ。

そういう不思議な構造をした闇の中は裏から表へ、表から裏へとねじれていて、今思えばメビウスの輪、すなわち帯の片方の端を180度ひねって他方の端に貼り合わせた形状のようなものを自力で発見していた。メビウスの輪は表面を辿ると裏面になり、それがまた表面に戻るということが果てしなく続く構造をしており、幼児は無限という言葉を知らないのでそういう状態を「どうしようもない」と表現していた。

このメビウスの輪の「どうしようもない」構造を解体するためにセンターラインでふたつに分割してやると、180度捻ったものはもっと大きなただの「どうしようもない」になる。

360度捻ったものを二つに切ると、分割されるけれど鎖状に繋がっているのでびっくりした。神様は何を教えようとしているのだろうと思い、そういうびっくりに気が紛れるうちに寝ぼけぐせのない大人になった。

そのメビウスの輪を540度捻って二つに切ると三つ葉のクローバー状につながった結び目の輪ができるというので試してみた。

こういう美しさに到達すると「どうしようもない」もいつのまにか安らぎに変わる。

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