【ゆく年くる年】

2019年12月31日
【ゆく年くる年】

 

マンション内でひとり暮らししているご老人から郷里函館の数の子をいただいた。お礼に 5 時になったら温かいおでんを届ける約束をした。

数の子のトッピングに使うためまぐろ節の糸削りを買いに出た。帰り道の信号待ちをしながら、出版社側壁の時計を見上げたら、子年まで残すところあと 9 時間半ちょっとになっていた。

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【道徳の窓】

2019年12月31日
【道徳の窓】

 

大掃除の窓拭き。来春早々からマンション全戸を対象にした窓サッシ交換工事が予定されている。ということは来年早々窓も網戸も新品になるわけで、今年の窓拭きはほどほどにしておけばいいか、などという怠けごころが頭をもたげる。

母が存命なら
「何を言ってる!そういう時だからこそ長年お世話になってどうもありがとうございました!と丁寧に掃除しなさい!」
と雷が落ちるところである。そんなうるさい親たちもいなくなったが、不思議なものでそういう声がふと聞こえた気がして今年もせっせと拭いている。道徳の窓は親を通じて開かれているのだろう。

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【大掃除の神様】

2019年12月31日
【大掃除の神様】

 

朝から仕事場の床を拭き掃除している。古いフローリング用つや出しマイペットがあったので、スプレーしながら四つん這いになってゴシゴシやっていたら、思いがけないところからオレンジ色のピンポン球が出てきた。

3個入りで買ったはずの Nittaku 卓球 ボール カラー 3 スター ネクセル 国際公認球 NB-1150 が 2 個しかないので、おかしいなと思っていたが思いがけないところから出てきた。妻が場外ホームランでこんな場所に打ち込んだのだ。大掃除の神様がくれたご褒美である。

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【CODA】

2019年12月31日
【CODA】

 

耳の聞こえない親を持つ耳の聞こえる子どもたちのことを CODA(Children Of Deaf Adult)と呼ぶ。録画してあった NHK BS1 スペシャル「私だけ聴こえる  I am a CODA. 」を観た。

「家族はみんな聞こえない 私だけ聞こえる」

こういう事態を生きる人たちのことを内側から考えるための良いドキュメンタリー番組だった。何度でも再放送したらいい。

今年から一緒に読書会をしている医師の友だちは「福祉に関わる人たちにこそ哲学を学んでもらいたい」が口癖だが、こういう番組を観ると強くそう思う。

「みんな」「わたし」「いでん」「ゆいぶつろんのかんせい」「じんせいのいみ」「ふじょうりをいきる」などなど。

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【暮れの訃報】

2019年12月30日
【暮れの訃報】

 

郷里清水で大好きだった叔母が他界した。暮れも押し迫っているのであれこれたいへんだ。喪主である従弟は独身なので両親と妹を亡くしてとうとうひとりぼっちになった。

亡き妹の亭主の携帯に「義兄さんを支えてやってください」とショートメールを送ったら「わかりました、いま駆けつけて葬儀の相談をしています」と返信があった。

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【うんざり】

2019年12月30日
【うんざり】

 

「倦(う)まず弛(たゆ)まず」という。この「倦む」が「倦むぞあり」と用いられ、係助詞たす動詞の「ぞあり」が「ざり」になって、「うんざり」という言葉が生まれたのだろう。うんざりしたついでに語源はそんなところだろうと考えた。

ほかにそういう用法がないかと国語辞典で「ざり」の後方一致検索をしたら見つからず、「ぞあり」と関係ないところで「いちやかざり」が出てきた。大晦日の一夜飾りは歳神様にたいして不遜だという。

親たちの介護が終わって初めて正月らしい正月を迎えるので、引っ越しを終えた新居に正月飾りをさげた。介護に疲れ果て、せめて正月飾りでもと老人ホーム訪問帰りの大晦日、デパートで売れ残ったお飾りを買ったら、女店員に「一夜飾りになりますがいいですか?」と聞かれたのを思い出した。ほんとうの神様なら事情をご存知なので一夜飾りで気分を害したりしないはずではないか。

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【ヤマヒロ】

2019年12月29日
【ヤマヒロ】

 

明日明後日は外出できないので午後から暮れの食材買い出しに行ってきた。坂下の商店街にある大好きな青果店の屋号(家印)。

山をあらわす記号に「弘」の文字を組み合わせたものだがとてもよく出来ていて、簡素で強くて美しい意匠になっている。

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【門】

2019年12月29日
【門】

 

「界」の下、「綱」の上にあるのが「門」で、人間は「動物界」の「脊椎動物門」に属する「哺乳綱」になる。

俳句界で松尾芭蕉の門下に連なった人々を蕉門という。蕉門に属する俳人の句をひくときは名前を記さずにただ(蕉門)とだけ書くこともあるらしい。数日前の日記をひけば

しぐるるや黒木つむ屋の窓あかり(蕉門)

と書く。蕉門といえば、同じ「しょうもん」でも吉田松陰の門下に連なった人々は「松門」という。

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【用器画と写真機】

2019年12月29日
【用器画と写真機】

 

数学者岡潔が書いたものを読んでいたら「用器画」という言葉が出てきて、学問と芸術をつなぐ情操の大切さを説きながら用いている。

何だろうと辞書を ひいたら

定規・分度器・コンパスなどの製図器具を使用して幾何学的に描く技法。また、その図形。幾何画法。

と大辞泉にあって自在画に対して対義になる。岡潔は1901(明治34年)生まれだが、高校(旧制第三高等学校)で用器画の授業があり、その授業の一部に自在画があったという。

用器画が好きだ。高校時代は美術部ではなく写真部に所属し、将来写真家で食えるようにはなれそうもないので商業美術を志した。製図器具は写真機に似ている。

写真は生活の一部として撮り続けているけれど、絵にたとえれば自在画というより製図器を用いる用器画という感覚に近い。高校時代は学業そっちのけで写真の本を読みまくったが、二次元投影機としてのカメラはそもそもメルカトル図法(正角円筒図法)の自動製図器なのだな、と思ったことを思い出した。

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【看板の意匠】

2019年12月28日
【看板の意匠】

 

昭和の時代感覚あふれる喫茶店の看板。誰の手になるものかはわからないけれど秀逸な意匠で、買い物に出て前を通りかかるたびに見入ってしまう。

午後になって日が翳って冷え込む前に夕飯の買い物に行ってきた。今日も感心しながら写真に撮る、いつの日か失われていく昭和残照。今年も残すところ数日になった。

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【綿のしずく】

2019年12月28日
【綿のしずく】

 

借りて読み終えた本を年内返却するため図書館に行ったら、前庭で綿の実がいくつかはじけていた。固く閉じていた実もあらかた開いた。

真白な綿毛が柔らかな日差しに輝いていたので、指でつまんだら冷たい水が滴り落ちる。そういえば明け方まで雨が降っていた。寝小便をした朝の布団を思い出した。

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【捨てていく話】

2019年12月28日
【捨てていく話】

 

今年の年賀用切手の絵柄で昔話「小判の虫干し」を思い出し、松谷みよ子『小説・捨てていく話』が読みたくなったので図書館から借り出して一気に読んだ。
夫だった瀬川拓男との関係を自転軸にした追想としての自伝になっている。松谷も瀬川も人生を終え、すでに鬼籍に入ったので Wikipedia を引いて歴史になった事実が読める。人間という小惑星がひと組になって引いたり押したり関係しながら自転し、時代の重力に抗いながら公転した記録を、頭に置いて読めるのはありがたいことだ。

第一話「薔薇の家」で駒込が出てきてびっくりした。染井通り沿いにある寺の離れを借りてふたりが暮らしたことが、坂下の商店街の様子を絡めていきいきと描かれており、地元なので手に取るようにわかる。松谷は 1926(昭和元年)生まれ、瀬川は 1929(昭和 4 年)生まれなので親たちの世代に一致する。さらに松谷が片肺を病気で失ったこと、瀬川が社会主義に傾倒したこと、満州の地を踏んだ経験があること、病気の松谷を瀬川が励まし支え病いが癒えて所帯を持ったことなど、見事にわが両親の人生と一致する。

こころの分析として説明できそうな人間関係までよく似ており、他人の自伝を読みながら広い視点で見れば、昭和のはじめに生を受けた人びとに共通するよくある精神的病理だったのかもしれない。いまの時代に特有の精神的な患いも、数十年を経て歴史になる過程で、時代の病理として説明がつくように思う。 松谷と瀬川が薔薇の家に通ったころ、わが母はその坂下の商店街で一人息子を育てながら働いており、松谷が瀬川を捨てるように離婚したころ、わが母も父との過去をを切り捨てるように離婚した。昭和の時代を生きた人々の宇宙誌を辿るように読了した。年内に返却しておく。

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【黒木】

2019年12月27日
【黒木】

 

俳句とはどんなものですかと質問した寺田寅彦に漱石が、「俳句はたとえば『しぐるるや黒木つむ屋の窓あかり』といったものだ」と答えたという。 芭蕉の弟子野沢凡兆の句で、うまいこといった例としてあげたものらしいけれど、うまいもなにも「黒木つむ屋」がなんだかわからない。

辞書をひいたら黒木はくろぎまたはくろきで。皮のついたままの丸太もしくはそれを黒蒸しした薪だという。冬に備えて軒下に薪を積んだ家の中から漏れ来るあかりごと風景がしぐれているわけだ。なーる(漱石風)。

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【この・あの・その】

2019年12月26日
【この・あの・その】

 

旧姓石原美知子、津島美知子は夫の太宰治に死なれ、三人の子どもを連れて追われるように三鷹を離れ、文京区内を転々とした。曙町(昭和二十三年)、蓬莱町(昭和二十四年)を経て駕籠町(昭和三十三年)に落ち着くのだけれど、里子、筆名津島佑子も暮らした駕籠町の家はどこだったのだろうと、千石図書館往復で駕籠町小学校と駕籠町公園に挟まれた道を通るたびに思っていた。

昨夕ふと北風に吹かれて思い込みのベールが剥がれるように「あ…」と答えがわかった。旧町名である駕籠町の範囲を実際より狭く思い込んで間違えていたのだ。いまこの日記を書いている「この」場所を出てふたつ角を曲がった場所にある「あの」家が「その」家だとわかってやっと落ち着いた。

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【いまがわやきとねずみ】

2019年12月26日
【いまがわやきとねずみ】

年賀状に貼る切手を買いに行ったら
「 100 枚も出すんですか?」
と驚かれたという。たいした枚数ではないと思うのだけれど、年賀状を出す人が減って郵便局員まで 100 枚程度で驚く時代になった。

「今年はどんな切手だった?」
と言って切手シートを見たらねずみがなにかをくわえており、
「カピバラがいまがわやきをくわえてるのか」
と言ったら
「小判でしょう」
と笑う。
「そうか」
と笑いながら松谷みよ子『小判の虫干し』を思い出した。あれはなかなかいいお話だった。

松谷みよ子といえば『小説・捨てていく話』を読んでみたいと思っていた。松谷みよ子なら図書館にあるだろうと調べたら蔵書リストに見つかったので千石図書館受け取りで貸し出し予約をした。

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