▼明日への日記…4 壁の風景

 

毎週水曜日と土曜日、義母が暮らす大宮の特養へ面会に出かける行き帰り、下り京浜東北線を待つ田端駅1番線ホームは、田端の台地を削って作られたので線路脇は急峻な石垣になっている。壁の崩落を防ぐため石垣を積み、浸出する水を逃すための小さな排水口を穿ち、それらのうちで水量の豊かな排水口にホースを繋いでわき水をひき、線路脇に小さな池が設けられていつも金魚が泳いでいる。



田端駅1番線ホーム脇の鑑賞池





田端駅1番線ホーム脇の石垣



線路脇の鑑賞池も眺めていると心和むが、急峻にそそり立つ石垣の壁もまた見飽きることがない。わずか数メートル四方の石垣にもさまざまな植物生存に関わる環境特性の違いがあり、季節や気象状態にあわせて植物たちの栄枯盛衰が見られて面白い。こういう数メートル四方の石垣を観察して一冊の本が書けるくらいの知力があったら楽しいだろうなと思う。

 
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▼明日への日記…3 栄養と料理(てきとうな題をつけてみた)

 

近所の大型外食チェーン店、午後5時半からの食べ放題が割引になるというクーポン券が新聞折り込みチラシに入っていたので、家内と二人で出かけてみた。そもそも普段から驚くほど安い店なので、たいした割引額でもないのだけれど、興味本位の好奇心と、毎日蒸し暑い台所に立たせていることの慰労もかねて、遊びがてら出かけてみたと言う方が正しい。

そばのテーブルで若い女の子二人が食事をしていて、そのうち一人は大きな声ではきはき喋るので、聞くともなしに会話の内容が聞こえてしまう。
「バイトしても生活費すっごいきついじゃん、だけど食べ物にすっごいお金かけてる子っているよね。あたしなんか100均で買ったもんでも十分おなかいっぱいになるし、それでいいじゃんって思っちゃう」

普段100均で買ったもので済ませているので、これでも今夜はかなり贅沢な食事だと確かめ合って食べているのだけれど、この女の子たちが自分が遅くもうけた娘だったらと想像したら
「そうか、お前たちは毎日そういう食事をしているのか、今日は父さんがご馳走するから何でも好きな物を食べろ」
などと、甘い言葉をかけてやりたい気持ちになってしまう。

だが、席を立ってドリンクバーに飲み物を取りに行く姿を見ると、端正な顔にはち切れんばかりの立派な胸とお尻をつけた健康そのものに見える女性なのであり、昔なら
「かわいそうに、都会暮らしでたいした物も食べてないから、骨と皮ばかりに痩せちゃって」
と言われた時代と、今の若者たちのつましい暮らしは外面的様相が異なっている。



台風接近に伴う直接の影響でもないと思うけれど、夕方になって空を雲が覆ってきた。2011/07/18 17:30



“食べ物にすっごいお金かけてる子”の方が、この子はこんなに痩せていてちゃんと食べてるんだろうかと心配になるほどにスレンダーなボディをしており、食べ物にお金をかけず倹約した食事をしている子ほどはち切れんばかりに肉付きがいいという皮肉な現象が起きているのかもしれない。

昔からそういう原理はあったとは思うけれど、現代社会ではさらにその傾向が加速して、食の貧富の差が裏返しに見えるような、皮肉な様相を呈して露見しているという一面もあるのだろう。

 
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▼明日への日記…2 年寄り達とTV―拘泥より流れへ―

 

三人の親と同居して驚いた事のひとつが、わが親達にとってテレビを見る事は民放のワイドショーやパラエティ番組を見る事を意味するという事実だった。

呆けた義父の様子を見に行ったら、どろんと濁った目で TV を眺めてぼんやりし、つけっぱなしの TV ではブラジル人サンバダンサーが豊満な肢体を揺らして踊っていた。あまりにけばけばしく喧しいので NHK のチャンネルに換えても義父母は文句を言わなかったが、母は民放嫌いで NHK ばかり見ている息子夫婦に
「お母さんは民放が見たいんだよ、NHK の番組なんかお母さんたちには何も関係ないじゃん!」
と、声に出して抵抗した。

三人の親達のうち二人が他界し、残る一人もすでにテレビを見せても反応がないほどに呆けてしまった今になって思うに、親達にとって民放のワイドショーやパラエティ番組を見る事は選択の自由として存在していたのではなく、NHKの番組を見ない自由を保障する物として存在していたのかもしれない。

思い出の中の親達は民放のテレビを、熱心に身を入れて見入っていたわけでもなく、ただ差し障りのない情報の流れに足を浸してぼんやりしているだけだった。親達は民放のワイドショーやパラエティ番組を面白いから見ていたわけではなく、
「(どうして NHK はあんなに見たくない深刻ぶったものばかり見せようとするのだろう、所詮娯楽でしかない TV なのにどうしてあんなものを見せられなくてはいけないの)」
というささやかな抗議を込めて民放を見ていたのだと思う。



さいたま市見沼区の特養ホーム玄関前にて。地元のボランティアではないかと思うのだけれど、中年の女性が自転車に乗っては植木鉢の水やりや手入れにやってきていたがこの猛暑では手入れも間に合わず、花の残りも心細くなってきた。でもご苦労さん、この猛暑だからご自分の身体を大切にと言ってあげたい。



義母が暮らす特養ホームには大型液晶TVが要所要所に取り付けられているが、NHKの番組が流れていた事は今まで一度もない。母に
「NHKの番組なんかお母さんたちに関係ないじゃん!」
と言わしめた深刻ぶった番組、それを作る際に NHK では剥がし捨てられてしまう軽薄な表層が止めどなく流れ続ける民放番組を、老人達はぼんやり眺めつつ時折詩人のような合いの手を入れてみせる。

年寄りにとって大事な時間はもうすでに TV の中になどなく、NHK の番組と民放の番組どちらが優れているかなども関係なく、ただ見たくないものが映らない方を選んでいるという安心感をだけが、きっと心地よいのだ。親達には申し訳ないが、そういう気持ちがようやくわかるようになってきた。

 
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▼明日への日記…1 釣り人とオーディエンス

 

父親が家を出たまま戻らなくなったのが昭和35年頃のことだから、母は30歳以降足かけ45年間の人生を独身で通したことになる。

子持ちの独身と言ってもそこは女なのでボーイフレンドはちゃんといた。
相手は妻子ある男性で、電電公社勤めをしている頃若くして胃潰瘍による胃の全摘出手術を受け、それを契機に退職し、婿入り先が大地主で不動産収入で食うに困らない家なので、そのまま若くして楽隠居を決め込んでしまったという不思議な人だった。

楽隠居といっても膨大な土地を持つ資産家なので、土地がらみの折衝事も多く、財産管理人としての役目で多忙なようで、そういう意味で家族を支えている自負もあるせいか、週末は堂々と家を空けていたらしい。当時はまだ贅沢だったマイカーを駆ってやって来て、東京近郊のドライブに連れて行ってくれ、実の父親のように接してくれたので、いつも週末になるのを楽しみに待っていた。

ドライブの目的と家族への言い訳の一つが釣りだったらしく、トランクにはたくさんの釣り道具が積んであり、良さそうな川や池に出会うたびに三人分の仕掛けを用意して釣りをした。根っからの釣り好きだったようで、母と僕が飽きて釣竿を放り出してしまった後も、日が暮れて薄暗くなって浮子の様子が見えにくく、川の音ばかり大きく聞こえるようになっても、粘り強く川の中に立って釣り竿を振っていた。



さいたま市見沼区の特養ホームにて。認知症治療薬アリセプト服用を停止して貰った義母は、興奮して怒ることもなく穏やかで、大好きなスタバのキャラメルマキアートをおいしそうに飲んだ。


田舎道を走っている最中、小さな川や池を見つけるとちょっと釣りをしてみたいと言い、母が
「こんなところで魚が釣れるはずがない」
というのも聞かず
「ちょっとだけ釣ってくる」
と言って車を止め、仕掛けを用意して釣りを始めてしまうので、母と二人、小一時間かもっと長く、車内で待たされることになった。

結局なにも釣れずに手ぶらで戻るので
「ほらごらんなさい」
と母が笑うと、
「いや、一度だけあたりがあった気もするんだ」
と言い、どうせ気のせいに決まっているとなじられると、
「確かに魚なんかいなかったのかもしれないなぁ」
と苦笑いをしていた。

そうか、実は魚などいないと薄々わかっていながら釣り糸をたれていられるのが釣り人の釣り人たる所以なのかとも思い、大人になるというのは不思議な力を持てるようになるものだと、父親代わりのその人を見て子ども心に驚いていた記憶がある。自分が大人になってみると、たとえ誰も返事をして応えてくれないとわかっていても、自分が言いたいことを真摯に話したり書いたりして伝えようとすることがコミュニケーションの原点であり、釣りはそれを学ぶためのよい練習だったのかもしれないな、と思うようになった。



去年の夏はすでに誤嚥性肺炎を繰り返し起こした義父が入退院を繰り替えしており、やはりこんな風に暑い夏だったなと思う。特養ホーム訪問帰りの京浜東北線車中にて。


そして、不思議な男性の当時の年齢を自分が超えてみたら、「たとえ誰も返事をして応えてくれないとわかっていても、自分が言いたいことを真摯に話したり書いたりして伝えようとすることがコミュニケーションの原点」であるにしても、「そのこと自体」を声に出したり文字に書いたりすることは、やはり誰かに返事をして応えてもらえる可能性、いわば仮想オーディエンスをそこに置いてみずにはいられないわけで、孤高に耐えられない人間の脆さなのではないかと思うようになっている。

どんなに尽くしても添い遂げることのできない自分の愛が、至高のコミュニケーションの形なのだと自分に言い聞かせつつ、夕暮れの中でむなしく竿を振り続ける姿を、あの人はオーディエンスとしての母子家族に見せずにはいられなかったのではないかと思う。

 
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▼iPad を iMac みたいに使う話

 

iPhone を使いはじめたら初代 iPad を持ち歩く機会がほとんどなくなったので、専用スタンドを購入し、Bluetooth キーボードと組み合わせ、iMac 風に使いはじめた。iPad の充電や PC とのシンクロはもちろんできるし、スピーカー内蔵なのでマルチタスクになった iPad なら音楽を聴きながらの原稿書きもできてちょうど良い。



PadDock に装着した iPad。


インターネットを使ったり、原稿書きのワープロがわりに使うなら、そもそもこんな大きさの iMac があってもいいかもしれないと思うくらいに軽快でいい。マウスを使うような場面では画面にタッチして操作するわけだが、見た目よりどっしりしているので後ろに倒れそうな不安感もない。



PadDock に装着した iPad 。


写真は横位置だが 90 度回転させてポートレートモードで使う事もでき、いわゆるピボットディスプレーになるわけで、その一点においても本物の iMac を凌駕している。iPad 本体の着脱も簡単で良く考えられており、使ってみると単なる遊びではなく、すべてのタブレット PC に標準装備されても良いアクセサリーのような気もする。持ち歩くときは潔くタブレット、在宅の時はタッチ操作もできるデスクトップパソコン。


秋葉原のヨドバシカメラで偶然見つけ、9,980円だった。
iPad用Speaker Dock Station PadDock 10™「VP3650」

 
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▼iPhone / iPod touch をノートパソコンのテンキーにする話

 

2011/07/07 朝起きて発声練習のためtwitterに下記のコメントを投稿した。
 
   ***
 
ノートパソコンにテンキーをつないでダダダダッ!と数字入力している営業マンを久しぶりに見た。昔持っていたオリベッティのノートパソコンは QWERTY キーボード以外に小さなテンキーがついていた。やはりオリベッティは面白く、マリオ・ベリーニは偉大な工業デザイナーだった。イタリア万歳。
 
   ***
 
ここしばらく MacBook Pro で仕事をしており、ノートパソコンにコードであれこれぶら下げるのが嫌なので、マウスも Bluetooth 接続している。そうか、テンキーも Bluetooth 接続で使えるものがあってもいいのにと思い、検索したら数社から発売されていた。

買ってみようと思ったものの、電池管理も必要な Bluetooth 機器をまたひとつ増やすのも煩わしく思えてきたのでやめた。ふと手元にある iPhone がパソコンのテンキー代わりになればいいのにと検索したらまさにそういう用途のアプリがあった。



MacBook Pro のテンキーになった iPod Touch 。



NumberKeyといい iPhone / iPod touch がパソコンのテンキーになるという。 iPhone 購入以来出番のなくなった iPod Touch があるのでインストールし、MacBook Pro にも NumberKey Connect というアプリをインストールした。iPod Touch で NumberKey を起動し MacBook Pro で NumberKey Connect を起動したら Wi-Fi 経由で両者がつながり、iPod Touch がテンキーとして使えるようになった。

接続が Wi-Fi ということは、そういう接続環境のない場所では使えないのかと思ったら、ノートパソコンでアドホックのネットワークを作成し、iPhone / iPod touch からそのネットワークに接続すれば使えるという。なるほど、これは面白い。計算機能や、度量衡換算機能付きテンキーアプリを作ったらもっと便利だと思う。もちろん Windows ノートでも使用可能だ。

 
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▼一口稲荷神社(いもあらいいなり)

 

自動車でも自転車でも見えなかったものが徒歩だと見えることがある。徒歩で歩くだけで必ず見えるかというとそうでもなくて、まだ車も少なく通行人もない早朝の散歩だからこそ、今まで見えなかったものに初めて気づくという現象もあって面白い。



午前5時58分、御茶ノ水駅出口専用臨時改札口脇にて。


早朝散歩でお茶の水橋を渡り、聖橋側の改札口前を通り過ぎ、本郷通りを渡った聖橋たもと、淡路坂の下り口左側に一本の椋の木がある。かつてこの場所に太田姫神社があり太田道灌が京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)を勧請したものだという。

というわけでこの淡路坂も別名一口坂(いもあらいざか)というわけだが、何十年もこの坂を上り下りしているのに、はじめてこの由来に気づいたことになる。ということで、自分一人だけで世界と丹念に向き合うような、早朝の散歩は面白い。

 
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▼朝の祈り

 

早朝に目が覚めたので散歩に出た。
散歩に出たばかりでまだ元気の良い時間帯は、速度を速めてぐいぐい歩くのが気持ちよいので、朝のひんやりした空気をかき分けながら本郷通りを直進し順天堂医院角まで行って左折した。
午前5時44分、病院正面玄関前にはすでに自動再診受付機による受け付け開始を待って、早朝から並んでいる人たちがいた。朝早めに並んで若い受け付け番号をもらっていったん帰宅し、患者本人と一緒に再び出かけて行き、午前9時の診察開始時になるべく早く診てもらおうという考えだ。午前7時の再診受付開始に備えて、こんな時刻からすでに待っている人たちがいるのだ。



午前5時44分、順天堂医院正面玄関前にて。


思えば2002年8月、義父母が突然錯乱し順天堂医院通いが本格化してからは、早朝こうやって並んで若い番号の再診予約をとるのが役目だった時期がある。7時の受け付け開始と同時に自動再診受付機に駆け寄り、まさに競争をして番とりをし、タクシーを拾って午前7時半頃帰宅すると、義父母を起こした妻が朝食の準備を済ませて待っているというのが習慣だった日々がある。

通い慣れるうちに、そこまでして番とりしても意味がないことがわかったり、実母まで末期がんとわかって義父母にかまってばかりもいられなくなったりして、早朝の番とり合戦は立ち消えになったが、こうして久しぶりに番とりに並んでいる人々を見と懐かしさで胸がいっぱいになる。病人を抱えた家族というのは、なんとか良くなってほしいという祈りの気持ちに突き動かされて、何時間も立って順番待ちしたりするのだ。

 
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▼机上の旅、地上の旅

 

頭の中に地図を思い浮かべて想像で作り上げる風景と、実際その場所に立って眺めた風景は驚くほど違う、当たり前の話だけれど。

山の配置や海岸線の角度などを思い出して大雑把に組み合わせ、頭の中に概念化したマクロな地図に対して、実際の地形は微妙な角度の連なりとしてミクロな変化が組み合わさって出来上がっており、さらに人はそのミクロな地形よりも小さい点でしかない。そもそも現実も人間もみんなミクロで、頭の中の妄想だけがマクロなのかもしれない。小さくて不思議な地形の中に小さい人間として立ってみると、想像もしなかったようなアングルで意外な風景が次々に現れ、それが机上ではない現実の旅の楽しみになっている。



第9巻「東海北陸①」


宮本常一没後30年記念出版『宮本常一とあるいた昭和の日本』全25巻農山漁村文化協会発行という全集の仕事をしており、第9巻の原稿が届いたので表紙のレイアウトをしていたら、杉本喜世恵さん撮影の富士山の写真があった。いったいどこから撮ったのだろうとしばらく眺めていたが、富士山の見える静岡県生まれなのに、この写真はあの場所から撮ったに違いないと特定することができなかった。

ギブアップしてキャプションを見たら「駿河湾と富士山 静岡県沼津市 昭和51年4月撮影」とあるのが意外で、そうか沼津市からこんな風に富士山が眺められる場所があるのかと感心した。昭和51年といえば自分はまだ東京で大学生をしており、休みになり清水帰省するたびに、井上靖ゆかりの沼津に降り立ってみたいと思ったものだが、そのままばたばたと社会人になってしまったこともあって、未だ沼津あたりをのんびり歩いたことがない。

 
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