【生きる】

【生きる】

生きるとは新たな結果を引き起こす引き金を引き続けることである。

新たな結果を引き起こす引き金を引き続ける行動が「時間」の認識を発生させている。

2023/05/27 中央区銀座
DATA : SONY NEX-3 AstrHori 14mm F4.5

生きるとは時計のネジを巻き続けることである。

視覚が開けている前方に向かって「カチッ」と引き金をを引くと、視野の後ろにある記憶の方で「コチッ」と音がする。その「カチッ・コチッ」こそが自分が産んだ歴史である。

「カチッ・コチッ」をくりかえしながら人は生きている。

――妻●●回目の誕生日の朝に

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【東京タワー】

【東京タワー】

巨大ビルが立ち並んで遠くの視界が遮られ、わが家から東京タワーが見えなくなって久しい。正しくは、わが家から東京タワーが見えなくなって久しいと思い込んでから久しかった。

2023/05/30 右の茶色い壁面タイルには「東洋文庫」の刻印がある

ベランダに出てプランターの野菜や鉢植えの樹木に水やりしながら、いちばん東寄りの隅に立って雨にけむる街並みの向こうを眺めたら、なんと失われたはずの東京タワーが見え、その手前に溜池あたりの傾いて見える不思議な高層ビルも見えている。

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【タダ券】

【タダ券】

はるき悦巳『日の出食堂の青春』双葉社が古書で届いたので読み始めたらミッちゃんのセリフにこんなのがあった。
「ほらウチの店、銀映の広告が貼ってあるやろ。あれでタダの切符が、二枚もらえるんよ。」
そうだったそうだった。小学生時代に六年間通った王子4丁目の銭湯『金星湯』は壁面の天井近くに黒と赤2色刷りの毒々しい映画ポスターがたくさん貼られていて、王子駅前か東十条商店街にあった映画館のものだったのだろう。

子どもには意味不明なタイトルの映画ばかりだったけれど、ときどき風呂上がりの青年が番台のおばちゃんに
「ねえ、なんか映画のタダ券ない?」
とねだっていた。そういう仕組みのタダ券だったのだ。ひょんなところでひょんなことを思い出した。

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【外人浴】

【外人浴】

松屋銀座で開かれている展覧会『 金子みすゞの詩 100年の時を越えて』を観に行ってきた。有楽町駅に向かう山手線外回り車内の乗客が半分以上外国人旅行者なので驚いた。

2023/05/27
DATA : SONY NEX-3 AstrHori 14mm F4.5

前髪にプラスチックのヘア・カーラーをぶらさげた若い中国人女性がいて、
「サザエさんまで乗ってる!」
と妻が大喜びしていた。

2023/05/27
DATA : SONY NEX-3 AstrHori 14mm F4.5

金子みすゞ展は盛況で、熱心に見入る客に男性が多いのにびっくりした。出版社の営業と編集者がいたので挨拶し、表に出ると銀座通りは歩行者天国になっていた。銀座通りも外人だらけで、外国に行ってきたような気分になって帰宅した。

2023/05/27
DATA : SONY NEX-3 AstrHori 14mm F4.5

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【ハゲと書き込み】

【ハゲと書き込み】

読んでみたい本があって「日本の古本屋」サイトで検索したらずいぶん良い値段がついているので諦めた。図書館で借り出せたとしても、何度も再貸し出しの手続きをしないと読み終えられそうにないのでめんどくさい。

諦めきれずに Amazon で検索したら 200 円台というびっくり価格のものが出ており、コンディションは
・キズヨレシミヤケあります。
・見返しにハゲあります。
・書き込みありますが通読には問題のない状態です。
とある。見返しのハゲというのが面白い。本体より高い送料を含めても、貯まっていたAmazonポイントで買えてしまうので迷わず注文した。

2005/06/11 清水にて

ごく稀にだけれど、書き込みが「なるほど!」と感心するようなものだと、なんら通読の問題にならないのが不思議だ。よい友人のノートを借りたようなものであり、そういうのが届くと「あたり」くじを引いたようで嬉しい。

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【野良と自由】

【野良と自由】

久しぶりに坂道を北東に下って買い物に出た。

行き帰りの路地裏を歩きながらふと気になったのだけれど、いつもなら見かける飼い猫や野良猫が外歩きする姿をまったく見ない。ひとり自由に歩く外猫の姿を見ない街は寂しい。世界自体が乾いたアバターのようだ。コロナ禍でおかしくなったんじゃなければいいけど。

2023/05/25
DATA : SONY NEX-6 SEL16F28 E f=16mm 1:2.8

鶴見俊輔を読んでいたら高橋幸子( 1944 - )という人が出てきて思想の科学社から本が出ている。1996 年刊の『まま父物語』を選んで古書で取り寄せて読んでいるけれどべらぼうに面白い。

朝のゴミ出しとプランター水やりを終え、続きをだいじにちびちび読んでいたら、まま父と喧嘩して家出した高校時代のことが書いてある。

2023/05/25
DATA : SONY NEX-6 SEL16F28 E f=16mm 1:2.8

 どこから出てきたのか小犬が一匹、前から走ってきた。のら犬と袖すり合うのも何かの御縁、私は心で共感の意を表す。しかし急ぎの用でもあるのか、犬の方はほほえみかけた私に見向きもしなかった。足取り軽く去ってゆく。のら犬はえらい、家がなくても動じない。そして自分の人生を自ら運転しているのである。(『まま父物語』より)

2023/05/25
DATA : SONY NEX-6 SEL16F28 E f=16mm 1:2.8

そうか、自分の人生を自ら運転しているように見える自由な生きもの、コロナ禍で拘束された人間以外の生きもの、それが見えないから寂しいのだ。野良のいる町の恋しさ、その痛点はそこだ。

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【太陽の季節】

【太陽の季節】

柳田國男の『故郷七十年』を読み始めたら序文に夫婦喧嘩仲裁の話が出てきて懐かしい。國男の母親は、近所で旅館を営む夫婦者が発作的大喧嘩をするたびに呼ばれて仲裁に入り、その礼として家族そろって旅館でもらい湯をしていたという。

勿論同じような発作はなお幾度かあり、泣きながら女中が喚びに来て、又かえと言いながら出かけて行ったことも多かったが、行けば必ず発作が少し鎮まり、暫く時を掛けるとやさしい顔になって御辞儀する。亭主は勿論ひどく喜んで、いつも私たちにまで好意を示して居た。(柳田國男『故郷七十年』)

夫婦仲が悪くて大喧嘩しては交互に家を飛び出していたわが両親も、自分たちのことは棚に上げ、よく他人の夫婦喧嘩に割って入って仲裁をしていた。夫婦喧嘩の仲裁が近所づきあいの一部だった時代である。

となりの若いやくざ者夫婦が物騒なものまで振り回して大喧嘩をするたびに仲裁に入り、最後は決まって和やかな酒盛りになった。もりあがった勢いで白タクを借り切り、夜明けの湘南海岸までみなで海水浴に行く、などという馬鹿なことをしていた。

夫婦の話し合いでもし結着が付かぬならば、広く公衆をして判断せしせしめようという戦法が採用せられ、効果を挙げて居たようだが、程無くそれも馬鹿げた企てになって、もう流行はついに去った。(同上)

と書かれたのは昭和 34 年だが、東京下町の工場地帯ではまだそういう企てをする夫婦者も多く、柳田も指摘する異民族的な気質を持つ人たちが片隅に集まって暮らしていたのかもしれない。

昭和三十年代は石原慎太郎『太陽の季節』が芥川賞を受賞した湘南太陽族の時代であり、開けっ広げな夫婦喧嘩をやらかして隣人との親しい関係を確かめながら、顔を上げた下町の空に、なんとか眩しい太陽を見ようとしていたのかもしれない。

2023/05/24 駒込界隈
DATA : SONY NEX-3 AstrHori 14mm F4.5

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【月報から】

【月報から】

レターパックで届いた『鶴見俊輔集 3 記号論集』に、古書とはいえ全集でよくみる月報が挟まったままになっていて発行日は 1992 年の 1 月になっている。もう 20 年以上も前の配本なのだ。

掛川恭子による巻頭原稿は「金町と俊輔さん」と題されている。金町といえば帝釈天のある葛飾柴又隣接の町であり、映画『男はつらいよ』でも馴染み深い。鶴見俊輔と金町にどういう関係があるんだろうという興味にひかれて本体より先に読んでみた。

終戦直後、京大で教鞭をとっていた鶴見俊輔はひどい鬱病に苦しみ、紹介する人(筆者の叔母)があって金町にある筆者宅に下宿していたのだという。ウィキペディアに、

1951 年 5 月にうつ病を再発、京大を 1 年間休職、精神病院に入院し、翌 1952 年 1 月に退院。「親父のもとに出入りしていたら、自分がだめになると思って」家を出る

とあるのはこの時のことだろう。

筆者である恭子は鶴見俊輔より 14 歳年下なので当時 15 歳くらいであり、のちに児童文学を学ぶためカナダに留学をする。

そして帰国したら 5 歳年上の姉貞子が鶴見のつれあいになっていたというめでたい話である。

なるほど鶴見俊輔と金町はそういうように繋がっていたのだ。

2023/05/2 登呂遺跡にて

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【ウフフの哲学】

【ウフフの哲学】

心というものは、いつもふらふら動き回っているように感じられるけれど、「心を動かされた」などという大仰な言い方をしてみると、心が動く体験などなかなかあるものではない。

本を読みながら、そして読み終えて「うーーん」と唸ることがある。「うーーん」は感心しているのであり、感心とは「りっぱな行為や、すぐれた技量に心を動かされること」だと辞書にある。そうか本を読むと心が動くのだ。心が動くと体も動く。

本棚に積んであった言語学者(故人)の岩波新書を読んだら感心し、感心したので同氏がが残した他の岩波新書二冊すでに絶版も古書で探して読み、彼がしきりに言及しているチャールズ・サンダース・パースの記号学関連書も他の著者で二冊読んだ。

そのあたりでいつの間にか別の興味に惹かれて読んでいた鶴見俊輔と線路が一つに合流し、手を出すまいと思っていた全集にとうとう手を出し、筑摩書房『鶴見俊輔集3 記号論集』を注文し、雨に濡れていまさっき届いた。

帯のおもて面に「哲学を哲学者の手から人々のもとにとりもどす」とあり、背のコピーに「ウフフの哲学」とあるのが嬉しい。

2023/05/17 静岡鉄道桜橋駅発車から入江岡駅到着まで

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【逆投射】

【逆投射】

子どもの頃、さくらももこ実家の向かいにある寺で、夏休み映画大会を見せてもらった記憶がある。

寺の本堂前に椅子を並べて子どもたちが座り、本堂内のご本尊前に白布を張ってスクリーンにし、外から堂内に向けて映写したのだ。

上映された映画がなんだったかは覚えていないけれど、裏返しの映画しか見られない仏様を気の毒に思った記憶がある。

電車の運転席後ろに立って前方を見ていると、スクリーンに投射される映画の裏返しを見ている仏様のような気分になるから不思議だ。

2023/04/20 静岡鉄道御門台駅発車から狐ヶ崎駅到着まで

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【たべるたべないたべる】

【たべるたべないたべる】

物をたべながら泣く女性を見かける。わが母もまた泣きながら食べられる人だった。よく泣きながら食べられるものだと感心してしまう。たべている物をまずいと言いながらたべられる人にもまた感心してしまう。

かなしいときはたべたくないし、たべているものがまずいときはたべないし、たべざるをえないときは「うまいまずい」ということを考えないよう努力して幼いころから生きてきた。

たべていたって泣きたいときは泣くと母は言い、たべていたってまずいものはまずいと言う友人がいる。たべるかたべないかではなく、泣いたり不平を言ったりしながら、どっちにせよたべられる人は、きっと何かしらにおいて強いのだろう。

人間と社会もそういうふうにできていて、泣いたり不平を言ったりしながら、生きる人は生きている。

2023/05/17 静岡鉄道 新清水駅終点

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【岸辺の椅子】

【岸辺の椅子】

朝の大通り裏を「ちびまる子ちゃんグッズショップ」がある「エスパルスドリームプラザ」まで歩いた。居酒屋「みき」さんがあった場所もすでに更地になっている。

ドリームプラザに着いて時計を見ると開店時刻までまだ数分あるので展望デッキに出て潮風に吹かれてみた。

母親が他界して無人になった入江町の実家を片付けるため清水通いした数年間、早朝の清水に着いて気分がクサクサするとよくここに来た。

この世とあの世が接する海辺という境界に、こうして人が自由に腰掛けて休める場所が、商業施設として維持管理されているのはたいへんなことだと思う。この場所があるから友人たちも月2回の早朝朝市を開いて出会いの場所にできている。

好きな場所をえらんで腰を下ろせることが嬉しい「祖父友蔵」のような年齢に、いつの間にか自分もなっている。

(2023/05/17)

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【ひゃっほう】

【ひゃっほう】

清水の友人から送られてくる郵便物や荷物には一筆箋がわりとして、『ちびまる子ちゃん』のブロックメモのようなものに手書きされた短信が添えられている。なるほど、これはいいなと思ったのでマネすることにした。
「『ちびまる子ちゃん』が好きなんですか?」
と聞かれたら
「ああ、清水出身だもんで」
と清水弁でこたえられるし。

朝の新清水駅前にしずてつ電車で降り立ち、歩いて用事を済ませながらドリームプラザに寄り道し、午前 10 時開場を待って入店し、ブロックメモを三冊買った。レジでお金を払ったら、若い女性店員が
「ありがとうございます」
と笑う。あらかた孫への手土産を買ったと思われたのだろう。

(2023/05/17)

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【市立第二中学校ひと回り】

【市立第二中学校ひと回り】

東京の小学校を卒業して、母親の郷里静岡県清水の市立第二中学校に入学したのが 1967 年だった。卒業したのが 1970 年なので、最後に校門を出てから半世紀以上が経過した。

正門前にある文具店カメヤにお邪魔して話をうかがった。現会長がこの文具店に婿入りしたのが 1966 年だというので、忘れ物をした朝など、店内でお目にかかったことがあるかもしれない。

約束の時刻 30 分前に着いてしまったので、時間つぶしに学校の敷地まわりをぐるっと一周した。

1967 年当時からこの中学校はマンモス校だった。しかも塀で仕切られることなく市立岡小学校と隣接しているので、その一体になった敷地はべらぼうに広い。

駒越富士見線から岡小脇にはいる細道が懐かしい。二中正門脇に出るまで何度もカクカクと曲がっていたのもあらためて思い出した。Googleマップで計測すると外周は 992.90 メートルだった。

山下天丼店が閉店していたのにがっかりしたけれど、ラーメンの北京屋が閉店されていたのにもびっくりした。(2023/05/17)

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【一日一章】

【一日一章】

清水帰省して駅前のビジネスホテルに泊まったら備え付け調度の本棚に、観光ガイドと並んで聖書があった。ホテルの朝に聖書をひらく人となって読みながら、起きてきた妻に「なかなかいいことが書いてある」と言ったら「ぷっ」と笑われた。

書物は「意味」を探すより「どう読むか」がたいせつだ。文字ではなく「読み方」に意味がある。読み方が違うから読む人ごとの意味がある。

帰京して連休が終わり、義父母の住まいとともに引き継いだ自宅の本棚に、たぶん旧約聖書があるんじゃないかと探したら榎本保郎(えのもとやすろう 1925 - 1977)の『旧約聖書一日一章』があった。三浦綾子「ちいろば先生物語」の先生その人で、冒頭の献辞にも三浦夫妻の名がある。献辞を書いて出版し、布教に旅立った直後に亡くなられている。

最初のページに、愛唱聖句としてまず、

神は「光あれ」と言われた。
すると光があった。(創世記1・3)

があり、次のページになんと伊藤整(いとうせい 1905 - 1969)の名があってびっくりした。

ボロボロになったので私的電子化をしている福田定良(ふくださだよし 1917 - 2002)の本(1955)に伊藤整を論じた章があり、伊藤整は読んだことがないけれど面白い人だったのだなと、ちょうど思っていたところなので驚いた。読むことのなかに人それぞれの「ちょうど」がまぎれこむ。

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