◉桜と斜陽

2019年3月31日(日)
◉桜と斜陽

午後ちょっと散歩に出て田端文士村記念館の企画展『恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~』を見て来た。平塚らいてうや林芙美子より佐多稲子の方が容姿的に好きだ。どうでもいいけど。

エントランス脇に山梨県立文学館のチラシがあり、4/27 から 6/23 まで開館三十周年特設展として『太宰治生誕 110 年』展を開催するという。

OLYMPUS G.Zuiko 1:1.4 f=40 mm 

チラシを見せながら「ということは松本清張も生誕 110 年だね」と言ったら妻が驚いていた。太宰が 1909 年(明治 42 年)6 月、清張は 12 月生まれで同い年になる。帰り道、桜並木を透かした斜陽が作る影が美しい。

(2019/03/31)

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◉信心のかたち2

2019年3月31日(日)
◉信心のかたち2

束子(たわし)の頭も信心から。

OLYMPUS G.Zuiko 1:1.4 f=40 mm

(2019/03/31)

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◉信心のかたち

2019年3月31日(日)
◉信心のかたち

散歩中に見つけた節分の魔除けかざり。この辺では柊の小枝と焼いた鰯の頭に豆柄(まめがら)を加えたものが多く、店で出来合いのものを見かけることもあり「柊鰯(ひいらぎいわし)」という。

 

OLYMPUS G.Zuiko 1:1.4 f=40 mm 

鰯の頭に南天と唐辛子と大蒜(にんにく)という組み合わせは初めて見た。鰯の頭も信心からというけれど、おもしろい信心のかたちを見た。

(2019/03/31)

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◉待ち合わせて歩く銀座

2019年3月31日(日)
◉待ち合わせて歩く銀座

カメラマンの友人が長崎料理「銀座吉宗(よっそう)」の茶碗蒸しを食べながら飲もうというので、四組の夫婦で待ち合わせて出かけた。待ち合わせ場所は数寄屋橋交差点旧ソニービル跡地だという。

ソニービル跡にて OLYMPUS G.Zuiko 1:1.4 f=40 mm 

昔はよく待ち合わせ場所に使ったソニービル前だけれど、跡地と呼ばれるようになって初めての待ち合わせである。待ち合わせ時刻に遅れそうな人たちとの調整のため、鼻眼鏡でガラケーのメール操作をする熊本人のカメラマン氏がすでに来ており、遠目にはくまモンに見えて笑えた。

ソニービル跡にて OLYMPUS G.Zuiko 1:1.4 f=40 mm

ソニービル跡地は「文化の起点」として「もうない」ことを「まだある」ように転換し、うまい活用をされているようにみえて感心した(2022年には新ソニービルが竣工予定)。待ち合わせがしたくなり、待ち合わせをする人の数だけ「ソニービル」とつぶやかれるのだろう。妻は新しいアイボに触って喜んでいた。

(2019/03/30)

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◉権現堂堤の桜

2019年3月30日(土)
◉権現堂堤の桜

会社員時代の友人夫婦と久喜市狐塚の川魚料理屋で食事をしようという話になり、電車を乗り継いで出かけた。友人夫婦の地元である。

駒込から山手線で日暮里に出て、常磐線、東武伊勢崎線、東武日光線と乗り継ぎ、南栗橋駅前に集合した。ネット上にほとんど情報のない、まさに隠れ家的な店を友だちのブログで見つけ、「いいなあ」と書き込んだら連れて行ってもらえることになった。店の名は川魚料理『魚楽』という。農地の真ん中にぽつんとあるといった風情の店なので、南栗橋駅前まで車で迎えに来てくださり、帰りはお願いして権現堂堤そばの橋まで送っていただいた。妻は鯉のあらいと鯰の天ぷらにいたく感動していた。

Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

郷里静岡県は海沿いに長く、熱海、三島、新富士、静岡、掛川、浜松と東海道新幹線の駅が6駅もある。それでも県域を広大と感じないのは平野部が狭隘だからだ。電車に乗って埼玉県内に出かけるたびに、武蔵野の広さを実感し、その広大さに自分の縮尺が縮んで砂つぶになったような気がする。

そういう感慨が胸に迫るたびに

むさしのは月の入るべき山もなし
草より出でて草にこそ入れ

という歌を思い出す。

Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

広大な武蔵野原に見事な桜並木がある。テレビでよく見る「あの」権現堂堤桜並木を初めて歩いた。桜はまだ四分咲き程度だが、この週末は見頃となって大変な人出になるのだろう。露天の多さにも驚いた。

 

Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

友人の奥さんは、NHK がテレビで宣伝するからこんなことになっちゃった、地元の人たちが茣蓙を広げてお花見をしていた頃はもっと良かったと苦々しげに言っていた。広大な平野にひっそりと連なる桜並木の幽玄さに、静かに心うたれた時代があるのだろう。

 

Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

あまりに寒いので幸手駅行きの臨時直通バスにそそくさと乗りこみ、旧日光街道御成道の名残りがある家並みを車窓から眺めた。御成道を江戸に向かって辿れば駒込まで歩けるわけだ。遠い昔の武蔵野の旅を思う。

(2019/03/30)

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◉言葉の将棋あそび3

2019年3月29日(金)
◉言葉の将棋あそび3

「噂ですけど、となりの空き地には中央大学の法学部が来るらしいですよ」

「ほう」

「文京区の小学校のサンエスイチケーってご存知ですか」

「なにそれ」

「誠之小学校、千駄木小学校、昭和小学校、窪町小学校で、他の区から子どものために転入される方が多いです」

「へー」

(2019/03/29)

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◉言葉の将棋あそび2

2019年3月29日(金)
◉言葉の将棋あそび2

若い営業マン君が「あの辺にお詳しいですね」と言うので「二人ともあそこで学生をしてましたから」と答える。

その筋に話を伸ばしてみようと「隣りの×××××、当時の若者はああいう高級マンションに憧れたもんです」と言うと「扱ったことがあります」と答えてその筋の道があく。「今でも高いでしょう」と言うと「高いし管理費も高いです」と返してくる。

「でもあの古さだから大したもんです」と言うと「そういうの多いです、例えば×××坂の」と言うので、「あそこは俳優の××××が住んでた」と言うと「えっ、そうなんですか」と言う。

Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

さらに攻勢をかけ「椎名誠に出てくる古いビルがあって」と言ったら当然知らない。妻が脇から「あった。いま隣りに高層マンションが建ってる」と余計な口出しをすると「××××××ですね。超人気でぜんぜん物件が出てきません」と挽回してくる。新しい話になるとこちらは防戦一方である。

(2019/03/29)

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◉言葉の将棋あそび

2019年3月29日(金)
◉言葉の将棋あそび

ここしばらく縁のある若い営業マン君が次第に打ち解けてきて、顧客に退屈で気まずい時間を過ごさせないためのこころ配りか、よく喋るようになった。

「ご出身はどちらですか」と聞くので「静岡です」と答えたら「静岡はどちらですか」と聞く。「清水です」と答えたら「近いですね」と言うので「どちらですか」と聞くと「となりの山梨です」と言う。「山梨はどちらですか」と聞くと「甲府です」と言うので「ハイカラな街ですね」と言うと「そうでしょうか、ただの田舎ですよ」と言う。この子は太宰治の『新樹の言葉』を読んだことがあるだろうかと思ったけれど、その手の筋は封印する。

OLYMPUS Zuiko 1:2.8 f=100 mm

 妻が初対面でなかごめと読み違えたなかごみ君が、「中込姓は山梨が日本で一番多いんです」と言うので、「清水で一番多い姓は望月です」と言って、これはあまり良い手ではなかったなと思ったけれど、「望月姓は山梨も多いです」と返してきた。なんとか互角の攻防である。

(2019/03/29)

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◉春の厚み

2019年3月28日(木)
◉春の厚み

紀行文学の傑作と言われる「雪国の春」「秋風帖」「豆の葉と太陽」を含む『柳田國男全集2』ちくま文庫が届いたら、なんと 712 ページで束厚が 26 mm もある。

 Jupiter-8 1:2.0 f=50 mm

しかも三十年前の古書なので 12 級 1 行 41 字詰で 1 ページ 18 行もある。しっかりと中身の詰まって厚みのある文庫本を持ったら、こんなに柳田國男が読めるのかと嬉しくなった。

Jupiter-8 1:2.0 f=50 mm

三組の来客が帰ったのでちょっと夕飯の買い物に出たら、満開になった桜で街は幾重にも重厚に覆われていた。

(2019/03/28)

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◉道普請

2019年3月28日(木)
◉道普請

本を読んでいると、自分はずっとこの辺がよくわかっていなくて、山にたとえたら五合目の手前あたりくらいに差し掛かると必ず靄(もや)が立ち込めて来て道に迷う、という難所が明らかになってくる。

便利な時代になったもので、わからないことをわからないと書いて検索すると、信頼のおけそうな資料が PDF で公開されており、印刷して蛍光マーカーを使いながら空き時間に読んでいる。
「中学校で学習する文法について、ここで一通り復習しておく」
などと書いてあるので「はい」と姿勢を正している。ありがたいことである。

(2019/03/28)

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◉米屋店頭の会話

2019年3月27日(水)
◉米屋店頭の会話

仕事関係の友人が近所の大学付属病院に緊急入院したので、やりかけた仕事の段取りを確かめつつ見舞いに行った。脳出血だというけれど、手も動くし、言葉も滞りないし、思考もかなりまとまっている。車椅子状態になっているので、自宅近くに転院してリハビリにはいるという。

病院前の坂道にて Jupiter-8 1:2.0 f=50 mm

 ひとまず安心して歩いて帰る道すがら、大好きなお米屋がつくるぼた餅を二つ買って自宅への土産にした。店内を見たら山形県産のミルキークイーンがあるので 5 キロ精米してもらった。年配のお母さんが
「お好きなんですか?」
と聞くので、
「あたため直してもしっとり柔らかなので好きなんです。チャーハンには向かないけど」
と言ったら精米中の息子さんが頷きながら笑う。お母さんが、
「ミルキークイーンだけを炊くの?」
と聞くので、「はい」と答えると、
「新米の時期を過ぎるとお米の炊き上がりが硬くなるので、少しずつミルキークイーンを混ぜて炊くというお客さんが多いんですよ」
と言う。「なるほど」である。

精米済みの米を袋詰めしてもらっていたら、二十歳そこそこの青年が来て 1 キロ入りの米を買う。お母さんが
「自炊してるの?」
と聞いたら「はい」と答えるので、
「えらいわね」
と言う。しみじみとする会話である。

代金を払って米袋を受け取ったら
「お近く?」
と聞くので
「本駒込です」
と答えたら
「重いのに遠くてたいへんね」
と言われたが
「自炊してるの?」とも「えらいわね」とも言われなかった。

(2019/03/27)

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◉楽しい高齢化

2019年3月27日(水)
◉楽しい高齢化

文京保健所から薄紫色の封筒が届き「高齢者用肺炎球菌予防接種予診票」だという。いよいよそういう歳になるのを実感してワクワクする。

OLYMPUS Zuiko 1:2.8 f=100 mm

うれしいので妻に
「来た来た、高齢社会への招待状!」
と言ったら
「玉三郎が CM に出てるあれね!」
と笑う。

(2019/03/27)

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◉がまだせ!

2019年3月27日(水)
◉がまだせ!

届いた原稿に添付された写真に修復中の熊本城が写っており、手前に置かれたくまモンが「がまだせ!」と言っている。熊本といえば震災の記憶が生々しく、しかも復旧工事中の城が後ろにあるのでたぶん「がんばれ!」という意味だろうとわかる。「がまだせ!」のように突然意味不明の言葉を投げかけられたとき、人はすぐ補助となる情報探しをしている。

そんなことを話しながら朝食を済ませ、朝刊を見たらサンヤツ(3段8ツ割)で岩永芳人『やおいかん熊本地震』弦書房の広告があった。さすがに「やおいかん」はわからないので検索した。「生易しいもんじゃない」とでも解釈したらいいだろうか。週末に熊本県出身者たちと飲むので聞いてみる。

(2019/03/27)

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◉脇からの視点

2019年3月26日(火)
◉脇からの視点

雑誌の書評コーナーの担当月が巡って来たので「ななめよこまえの思想」と題して原稿を書いた。組み上がったゲラが夕暮れ時に届いた。

 

OLYMPUS Zuiko 1:2.8 f=100 mm

午後ちょっと散歩して六義園しだれ桜を見て来た。毎年同じ桜を眺めて四半世紀になり、最近は正面よりも人のいない向かって「ななめよこまえ」あたりから眺めるのが好きだ。

(2019/03/26)

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◉牛のリソース

2019年3月26日(火)
◉牛のリソース

仕事の打ち合わせで外出したらスマホを持ち忘れた。地下鉄南北線に乗ってカバンの中を見たら、読みかけていた本も持ち忘れている。電車の中で読むものがないと、古いパソコンのような人間の脳は、システムリソースが解放されるおかげで考えるための空きができる。

ソーシャルネットワークサービスの類(たぐい)をやめて「繋がらない暮らし」に戻ったら、そもそも余裕ができた脳内に、気持ちよく広大な草原が広がっている…ような気がしていたが、スマホと本を忘れたら、完全に脳の負荷が無くなった気がする。そういうときに限って席が空いて座れる。

読むものがないのでさっきまで読んでいた本に書かれていたことを思い出して記憶の読書をする。反芻(はんすう)する牛である。

青山通りは歩道の植え込み改修中
Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

牛が、でもいいけれど、人が赤い色を見て赤いと感じるとき、いきなり「赤」を感じるのではなく、沢山の種類の色をあらかじめ知っていて、「沢山の色の中の赤い色」というように、「一般」の中に「特殊」を選別する。「特殊」を大きな「一般」が包み込んでいる。さらに「赤」もまた「一般」なので、形や材質や機能などで「それは赤い何なのか」という更なる「特殊」を包み込んでいる。そういう重層構造になっている。

ドイツ文化会館前の桜
Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

そういう「『一般』イコール『主観』イコール『述語』」が、「『特殊』イコール『客観』イコール『主語』」を包み込むようにして「『主観』『客観』未分」の認識の構造がある、というように西田幾多郎は考えた…というように理解して「なるほど」と思ったが、それでいいんだろうかと反芻しながら思う。

青山一丁目
Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

「『主観』『客観』未分」の認識は文章で言えば主語のない日本語のようであり、川端康成が書くと「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」になり、「一般」的な日本人は「トンネルを抜けたのは誰か?」などとは突っ込まない…と永井均も書いていたように思うが、書いていなくとも一向に構わないのである、と永井均風に思う。

(2019/03/26)

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