【平面をつくる】

【平面をつくる】

手元の広辞苑第4版で「平面」をひくと、

一つの曲面上の任意の二点を通過する直線が、常に全くその曲面に含まれるとき、その曲面のこと。一次方程式 ax+by+cz+d=0 を満たす点 (x,y,z) の軌跡。一つの直線 l 上の定点Pを通り l に直交する直線全体がつくる点集合。

と書かれている。むずかしい。Wikipedia では新しい第5版を引用していて、

ある曲面の任意の2点を通過する直線が、常に全くその曲面に含まれるときの、その曲面のこと

と書かれている(2022/03/31現在)。むずかしい平面の項目が見直されて大幅に改訂されたのだろう。

自分が思い浮かべる平面の定義は、同一直線上にない 3 点を直線でつないだ三角形を含む面を平面という、という簡単なものだ。それで現物世界の用は足りる。

ただし現物の地球は丸いので自分が立っている地面は曲面になっている。その地面に点を3つ打って三角形をつくり、その三角形の微妙な曲面を力まかせに叩いて伸ばして真っ平らにすると地球は球体ではなく平面になる。

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【2006年の六義園しだれ桜まえ大前進】

【2006年の六義園しだれ桜まえ大前進】

※ 16 年前の六義園しだれ桜の日記(以下赤字)があり、傍若無人な三脚オヤジのことが書かれていた。

桜色に色づいた六義園を見下ろしながら年度末仕事の仕事の片付けをしていたら、なんと義父が六義園のしだれ桜を見に行きたいと思いがけないことを言う。

というわけで家族全員で出かけたらしい。

開園時刻には長蛇の列で、走るようにしだれ桜の前に行って場所取りし、三脚を立てる写真オヤジがいっぱいだ。毎年のことだけれど庭園管理事務所の職員が
「しだれ桜前は混雑しますから三脚は立てないでください!」
と言っているのに聞こうとする気配もない。それどころか遠巻きにした三脚オヤジたちの輪の中に入って桜のそばへ歩いて行こうとすると
「邪魔だ、どけ」
などと言うのだ。

三脚オヤジたちのバリケードに阻止されて立ち止まっていたら、こんなことがあったらしい。

車いすを押して六義園しだれ桜の花見に年寄りを連れて来た方がおり、三脚オヤジたちの脇を抜けてどんどん花の下に近づいて行く。それを見て多くの人が花のそばに向かってぞろぞろ歩き出したので後に続き、
「お義父さん、お義母さん、あの車いすの人と一緒に桜の下に行こう!」
と聞こえよがしに言ってやった。

その日のしだれ桜の写真を見るとまさに満開で、三脚オヤジたちもいきりたっていたのだろう。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 3 月 30 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【ヤッホーブルーイング】

【ヤッホーブルーイング】

友人から嬉しいいただき物があり、お礼のメールを書いた。


ヤッホーブルーイング
クラフトビール はじめてセッ

いまビールが届きました!
息子さんが送ってくれたという理由がわかりました。
われわれおじさんおばさんはぜんぜん知らなかった若々しい醸造所で
しかも複数の友人たちの郷里である長野県佐久というのもうれしい驚きです。
入門セットにふさわしい解説パンフ付きも親切で
楽しい「あてなよる」になりそうです。
取り急ぎ「届きました!」の第一報まで。
「うまい!」のご報告は後日また。

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【若葉の頃】

【若葉の頃】

文京区本駒込二丁目。不忍通りに面した日本医師会脇の木が芽生えのときを迎えて美しい。

常緑樹の葉の重なりの中に紅いものが見え、花が咲いているのかと思ったら若葉で、綺麗だなと思う。

人類発生より遙か前からすでにこの木の芽吹きはこうして綺麗だったに違いないのだけれど、人生を半世紀ほど生きてきてやっと綺麗だということに気づいた自分がいる。

この木はこうやって若葉が生えそろうと一斉に古い葉が落葉を始めるそうで、そういう潔い世代交代の仕組みが名前となったユズリハに似ている。

郷里静岡県清水で神社に行けば、樹齢数百年になるこの木の巨大なものがあちこちにあるのだけれど、あまりに巨大すぎて若葉の芽吹きを見て美しいと思う体験がない。

もともと日本にはなくて中国江南地方から帰化したものではないかという説があるらしいけれど、郷里で巨木のある神社はかつて海辺だった場所に位置しているものが多く、神社に植えたというより、種子が海辺に流れ着き、発芽して巨木となり、しるし付きになった場所に信仰が集まって神社となったのではないかと思う。腐りにくいこの木で丸太船を作っていたという話も合わせて、海との関連をついつい想像してしまう。

この木が運良く樹齢数百年を経て郷里の巨木のようになるまで生き延びる日があるだろうかと見上げるクスノキの若葉の頃である。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 3 月 30 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【頭寒対足熱】

【頭寒対足熱】

「ずかんそくねつ」を辞書でひくと、頭寒足熱とは「頭部を冷やかにし、足部をあたたかにすること。健康によいといわれる」と書かれている。

英語では
Keeping oneʊs head cool and oneʊs feet warm.
とある。

oneus ではなく oneʊs で「 ʊ 」はラテンウプシロン(Latin Upsilon)という。人称代名詞の所有格として one はその「意識」の大代表であり my や his を代入して活用される。

Keeping my head cool and my feet warm.
頭は冷やし足は温めておくというけれど、暑いのは足なんだよなあと掛け布団を跳ねのけながら思う。oneʊs がねじれている。「此(ここ)にも内容なき形式は空虚である」(西田幾多郎)。

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【鏡の中のチンパンジー】

【鏡の中のチンパンジー】

鏡に映る自分を見ると左右が逆転しているのにどうして天地は逆転しないのだろうと長いこと疑問に思っているけれど、「どうして天地は逆転しない」と問う前にそもそも「左右は逆転しているのに」という考え方自体が有効でないのだという。ほんとうだろうか。

紙に太字のフェルトペンで「左」と書いた紙を持って鏡に映った自分に見せてやると鏡の中の自分が持っている紙は左右逆転した「左」になっている。

今度は透明な板にフェルトペンで「左」と書いて自分で読めるように持って鏡の前に立つと鏡の中の自分が持っている「左」もこちらからちゃんと「左」と読める。

後者の場合、板が透明なので鏡に映っているのは本物の「左」という文字の裏側なのだ。裏側の左右逆の「左」を鏡が左右ひっくり返してこちらに見せている。鏡に映る自分もまた自分から見た自分の裏側なのだ。

ハンコの文字は左右逆だけど紙に押された印影は左右正しい。ハンコの文字は左右逆に彫られているけれど、もし自分がハンコの中に入って左右逆の印面を裏から見ることができたら左右逆ではない「左」が見える。

人の顔写真を左右逆の裏焼きにすると微かな違和感がある。この写真は裏焼きだと意外にわかるのだ。そういう左右逆になった自分の写真を鏡に映っている自分の顔と並べたら果たして同じに見えるだろうか。天地左右問題は人間というハンコの中の脳がやってることだから説明が難しいんじゃないだろうか。そもそも目玉の凸レンズが頭の中に結ぶ像は天地左右逆像で脳があれこれ映像処理してるんじゃないだろうか。よくわからない。


複雑な立体交差が神田川に映った写真を天地ひっくり返すともうなんだかわからない

鏡の前に立ってそういう実験をしながらああでもないこうでもないと首を捻っていたら、それを見た妻が志村どうぶつ園のパン君みたいだと笑う。

人が「そんなの当たり前だろう」と笑うことが理解できずに実験している姿がチンパンジーのパン君に似ているというわけだ。そう言われてみると自分は論理的に考えて論理的に理解して論理的に説明する能力が昔から人より劣っていたような気がしてきた。

論理的でないからこうやって長いこと毎日毎日他愛のないことを堂堂巡り的日記として書き続けてこられたわけで、他人から見たらパン君の日記になっているんだろうと思う。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 3 月 29 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【クオリアと約物】

【クオリアと約物】

「五感で受け取ってもことばにならない、ことばにしようがない部分をクオリアという」
と書いたものを読んで、なにか引っかかるとすれば「ことばにしようがない」ものをことばにして「という」からだ。「感謝のことばもありません」が感謝のことばになって「ある」ことに引っかかるように。

ことばでいえないはずのことがいえるのは、「いえない」と「いえる」のように、見えないけれども「括弧」がついているからで、こういう役割を見えるかたちでする記号を約物(やくもの)という。

括弧類の約物なら()、〔〕、[]、{}、〈〉、《》、「」、『』、【】、‘’、“” などのことで、約物は言えないといえるような矛盾をぐだぐだ言わずに約(つづ)めていうための記号なのだ。

本来約物は 〈 〉 と書かれていても「やまかっこ」と声に出さない。書かれていてもことばにならない。クオリアとは約(つづ)めていえば約物のようなものであるといえる。

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【赤坂環境総合測定局測定装置】

【赤坂環境総合測定局測定装置】

港区赤坂 7 丁目。青山通り沿いに草月会館とカナダ大使館に挟まれて小さな公園があり、ここにかつて 1936(昭和 11 )年 2 月 26 日の二二六事件で青年将校に暗殺された高橋是清の住まいがあった。

公園前に大きな時計があり、仕事で時間を気にしながら通る道であるせいかとても便利だ。公衆の大型時計は街灯と同じく公共物としてありがたみを実感するもののひとつである。

東京都港区赤坂7丁目。急いでいるときは時計しか目に入らなかったけれど、その後ろに観測装置をつけた柱がある。


DATA:RICOH Caplio R3 


DATA:RICOH Caplio R3 

年度末仕事の大騒ぎが終わりに近づき、時間に追われるように早足で歩かなくてよくなったせいか、今まで気づかなかったものに気づけるようになっていた。
大時計の後ろにあるコンクリートの柱に風車型風向風速計が取り付けられていてくるくる 4 枚羽根のプロペラを回して風上の方角を探っている。「(ああ、いいなぁ)」と思う。


用途不明の計測器。
DATA:RICOH Caplio R3

静岡県清水で過ごした中学生時代、NHKラジオの気象通報を聞かされ
「……御前崎では、南南西の風、風力2、霧、990ミリバール、24度……」
などというアナウンサーの声を聞き取っては紙に書き入れて地上天気図を作成する授業があった。ヘクトパスカルになる前の時代だ。

よく見ると風車型風向風速計の下にステンレス製の筒があり、雨量計ではないし、気温を測るための通風筒かとも思ったけれどそれにしては位置が高すぎる。そのほかにも奇妙な装置がつけられていてわくわくする。

どうも天気予報のための気象観測用設備ではなさそうだし、そうだここで集めたデータを集計してどこかへ送るための設備があるはずだ、と園内を見回したら緑色の鉄製の人が入れる大きな箱があり「赤坂環境総合測定局 港区環境保全部」と書かれていた。

ただそれだけのことなのだけれど、こういう観測機器を見るとひどく興奮して嬉しくなり、嬉しい勢いで帰宅してから風向を表すための『16・36分割方位図』を作図してみた。
「……御前崎では、南南西の風、風力2、霧、990ミリバール、24度……」
……懐かしいなぁ。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 3 月 28 日、16 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【ちょうちょう】

【ちょうちょう】

20 音オルガニートで唱歌『ちょうちょう Chou Chou』


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【ことばあそびとこころ】

【ことばあそびとこころ】

「意識なんていうものは概念に過ぎない」、と言ってみたって概念もまた概念に過ぎない。それはそうだ、どちらも「言葉」にすぎないのだから、と「ことばあそび」を括弧に入れておく。

どんな生物でも、何らかの受ける働きかけに対する変化があるとき「意識」はあるように見える。そういう意味で去年冬のベランダであそんだカメムシにもちゃんと「意識」はあった。ちょっかいかけて働きかけたらさまざまな変化があったからだ。

カメムシなどでなく、働きかける対象が非生物でも働きかけがあればそれに応じる変化がある。非生物に起こるその「意識みたいな変化」も「意識」と見れば汎心論になる。日本人はそういうのが得意だ。相関性を愉しみ、ひとりあそびに飽かない。

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【お花とままごと】

【お花とままごと】

小学校入学当初は家の近所でよくままごと遊びをした。小学校入学直前に引っ越しをしたので、引っ越し先には当然ひとりも友だちがおらず、近所にいた同年輩は女の子ばかりだったのである。

「遊ぼう」と言うので「何をして遊ぶの?」と聞くとままごと遊びだという。

貴重な男性参加者なので当然お父さん役であり、ござを一枚敷いただけの粗末な家に住み、プラスチックの小さな茶碗に泥のご飯をよそって貰い、「いただきます」と道端の草をおかずに朝食を済ませ、「行って来ます」と会社に行き、会社はないのでその辺をひと回りし、「ただいま」と帰宅し、着替えもせず風呂にも入らず、プラスチックの小さな茶碗に泥のご飯をよそって貰い草をおかずに夕食を食べ、「もう夜だから寝ましょう」と言われて横になり、「もう朝だから起きましょう」と言われて起きあがり、プラスチックの小さなお茶碗に……ということを繰り返していた。友だちがいなかったので仕方なしにままごと遊びに加わっただけで、ままごと自体が好きだったわけではない。女の子は心からああいう遊びが好きだったのだろうか。


しだれ桜に向かう馬道、六義園千里場に咲いた椿。

ままごと遊びに飽きてお絵描き遊びをすると、女の子はお花の絵ばかり描いていた。大きなお花の横に小さな女の子がいてそれは私なのだという。描いた絵をくらべようと言われて戦艦や戦闘機の絵ではくらべっこにならないと思うので、しかたなしにお花の絵もよく描いた。女の子は心からお花が好きだったのだろうか。


六義園しだれ桜脇で満開の辛夷(こぶし)。

学校に通ううちに男の友だちが増え、「どうしてお前はあの女と仲がいいんだ」と聞くので「よくままごとをするから」と答えると大笑いされ「ままごとするのはおとこおんな〜」と囃されるのでままごと遊びに加わるのをやめた。

お花の絵もまた「おとこおんな~」と囃される標的だったけれど、おじさんになって「花が好き」と言ってももう「おとこおんな~」と囃すやつはいないので花はだんだん好きになり、ままごと遊びの方は遊びを通り越して本業になってしまった。本業のままごとを「おとこおんな~」と囃すやつもいないので助かっている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2007 年 3 月 27 日、15 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【シンクロナイズの朝】

【シンクロナイズの朝】

意識は起きたのに身体は眠っている、身体は起きたのに意識は眠っている、寝起きの際にそういう身体と意識のタイミングのズレが子ども時代にはよくあり、ズレがひどいときは寝ぼけて泣いた。

昼間の戸外でも、意識が夢の世界をさまよっているような感覚のまま身体が勝手に歩いて、意識と身体のタイミングが合って我に返ったら思いがけない場所にいた、などということも子どもの頃にはあった。

ヒトにとって意識と身体がシンクロナイズした状態が「現実」であり「我(われ)」なのだろう。synchronize とは「ともに」をあらわす「syn-」に「時」をあらわす「chrono」がくっついて機能「する(-ize)」わけで、「同時に起きる」という「シンクロナイズ」から、毎朝意識と身体が合わさった「我(私)」が生まれている。

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【朝の挨拶】

【朝の挨拶】

生まれ故郷を離れて上京し、ひとり暮らしを始めたころ、早朝の授業に出るために早起きし、登校して友人と会い「おはよう!」と言おうとしたとたん、とんでもない変な声が出てびっくりすることがあった。
 
自分だけかと思ったら友人たちもみな同じだそうで、
「朝起きてからここに来るまで誰も話す相手がいなかった人の第一声だからしょうがないね」
などと笑いあった。

一緒に暮らす家族ができて、最近は第一声がひっくり返ることもなくなったけれど、寡黙な義父は毎日通うデイサービスでの挨拶に備えてか、毎朝咳払いしながらテレビのニュースキャスター相手に発声練習をしている。ほとんどニュースキャスターが話す言葉のオウム返しなのでわが家で義父には九官鳥の「キューちゃん」という異名がある。

ニュースにあわせてのオウム返しがあまりに激しくやかましいと、娘である妻が
「うるさい!」
とどなっているのがおかしい。

朝一番で電話をかけてくることが多い女性編集者は第一声が必ずしわがれたりひっくり返ったりする。おかしくてふたりで笑い合うけれど、そうか彼女もご主人を亡くされて一人暮らしになったんだなとしみじみ思う。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2007 年 3 月 26 日、15 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【春休みと卒業式】

【春休みと卒業式】

血圧の薬をもらうため近所の診療所に出かける道すがら、文京区立昭和小学校前を通ったら今日は卒業式だった。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

3 月 16 日の日記【朝のあいさつ】でマンション内のご老人と小学生がこんな会話をしていたと書いている。

「あれ?まだ春休みじゃないの?」
「春休みは 24 日からです」

ということは、コロナ禍対策で終業式の翌日に卒業式が行われ、下級生による見送りはないのかもしれない。

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【鯉とそうめん】

【鯉とそうめん】

静岡県清水能島。

北街道沿いに『平蔵』という蕎麦屋があり、かつて清水江尻東にあった『音羽屋』がここに移ってきたのだと聞く。

その向かいあたりに北街道から巴川沿いの低湿地に下りていく細い道が旧北街道であり、いま遊水池のようになっている場所も田んぼが広がっていた。

駿府城築城の際に三河から連れてこられた瓦職人だったという母方のルーツをたどると大内新田にたどり着き、若くして祖父と生き別れた曾祖母が「大内新田のおばあちゃん」と呼ばれて 100 歳近くになるまで一人暮らしをしていた。今でも屋根瓦関係の商売をされている家が多く、その細道沿いに商店まである古道だった。

幼い頃は生き物が沸き返るような田んぼだったのだけれど、当時清らかな小川だった場所はもうコンクリートの用水路になっている。

思えば子どもだった昭和三十年代には生活廃水が小川に流れ込み始めていたのであり、台所から引き出された排水管の先から白やピンクのそうめんが数本流れ出ていたりして、この家の昼飯はそうめんだったたのだとわかってしまうような生活環境だった。

東京で過ごした小学生時代に通った銭湯脇にも夏になるとそうめんが流れ出るドブがあった。
その銭湯に鯉のたきのぼりを描いたタイル絵があり、大きな口を開けて滝を上っている鯉の姿が、瀧の水を飲む鯉に見えてしかたなかった。

駿府出身で江戸後期の戯作者だった十返舎一九が書いた『東海道中膝栗毛』にこんな話がある。

喜多「そして面妖、道中の茶屋では、床の間に、ひからびた花をいけておくの。あのかけものを見ねへ。なんだ」
弥次「アリャア鯉のたきのぼりよ」
喜多「おらあ又、鮒がそうめんをくふのかとおもった」

田んぼの鮒も流れてくるそうめんを喜んだ時代があるだろう。

大内新田の民家軒先に大口を開けた鯉の一輪挿しがあり、昔はどこの家にもこの一輪挿しがあったなぁと懐かしい。この鯉の一輪挿しに花を活けるより、口からあふれ出るようにそうめんを盛りつけることを想像すると、今でもやはりたまらなくおかしい。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 3 月 25 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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