◉霧の中のスピン

2019年10月30日
◉霧の中のスピン


最近の本はスピン(しおり)がついていないことが多いので不親切だ。不便なので製本材料店からしおり紐を取り寄せ、4、5本束ねて縛って結び目をつくり、これから読み始める本の背にテープで貼って簡易スピンにしている。4、5本同時に使えるのが素晴らしく便利である。

これから分け入る本の中は霧が立ち込めているので、まず章の切れ目に一本スピンを挟んでこれから読書可能な到達目標を確定する。わからない箇所があっても諦めずにそこまでは通して読む。

最初の通読で、問題提起とテーマ開陳と思われる「力点」に一本、霧が立ち込めたようにわかりにくい「支点」に一本、著者が言わんとする結論がありそうな「作用点」にもう一本スピンを挟む。そしてスピンの箇所を目印に、行きつ戻りつ、何度か読むうちに「あ、そうか」と思う瞬間があり、急に頭の中の霧が晴れた気がする。

朝靄の小学校校庭 2019

難しい本はそうやってテコの原理で行間をこじ開ける工夫をしている。たくさんのスピンは、いわば不器用な強盗がつかう「バールのようなもの」である。深夜に目が覚めて本と遊んでいるうちに濃霧の朝が明けて行く。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉青空のつくり方

2019年10月28日
◉青空のつくり方



妻が仕事の関係者と作業環境的な行き違いがあってゴニョゴニョ手こずっている。横から聞いていると大手印刷会社、大手ソフトウェア会社のどちらかがおかしいと思う。北池袋の編集事務所での打ち合わせが早く終わったので、仕事場に戻って妻のサポートのため後者に電話してみた。

電話に出たのは若い女性で製品サポート担当だという。状況説明をしたら、ヘンな質問をするオヤジだと戸惑っている気配が電話を通して伝わってくる。ヘンじゃないんだと問題の要点が伝わるよう心がけて話していたら、第三の可能性、パソコンの OS がらみで話の行き違いがある可能性に自分で気づき始めた。そうか、そうだったのかと自己解決しかけ、確かに変な質問をするオヤジとして引っ込みがつかなくなりそうなので、
「そうか!わかりました。ありがとうございます。おかげで解決です。ありがとう、原因がわかってスッキリしました。助かりました、ほんとうにどうもありがとうございました!」
と、ありがとうを惜しげもなく増量して晴れ晴れした感謝の気持ちを伝えた。

池袋西口 2019

「お役に立てて何よりです、またお困りのことがあったらご相談ください!」
という明るい声がして、電話の向こうに「(^_^;)」の顔文字が見えた気がした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉休日前後

2019年10月27日
◉休日前後



土日は本など読んでのんびり過ごしたいところだけれど、きょうもパソコンに向かって仕事をしている。ここ数年そういう傾向が強まっている。編集者が何とか週内に原稿を仕上げるという目標をたてて仕事をし、出来上がったものが週末の夕方になってメールで送られてくる。「遅くなりました」というひとことにつづけて「休み明けにいただけると助かります」と書き添えられている。これが年末だと「いただくのは急がず年明けで結構です」という思いやりのひとことも添えられている。いずれにせよ休日に働けと言っている。

大学の同級生がトッパンフォームズビルで今日から開かれるペーパークラフトのグループ展に参加しており、午後から会場にいるので観に来ないかと手紙をもらった。けれどこんな状態で忙しくて行けない。最終日11月3日の日曜日も会場にいるそうで、翌日4日は祭日で休み明けにあたらないので、「3日の日曜日に家内を連れて行くから会場で会おう」と葉書を書いた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉朝日とともに

2019年10月26日
◉朝日とともに


義父母が暮らしていた住まいに引っ越して初めての冬が来る。朝日があたる家に住むのは四半世紀ぶりであり、この住まいは南東に面して窓があるので、秋が深まると陽が刺すように差し込む。カーテンをあけると東の空が茜に染まっており、朝日を迎えに行くように鳥が飛んでいく。

本駒込 2019

きょう、令和元年 10 月 26 日午前 6 時 30 分、太陽の高度は仰角で 5.41 度、方位は北を 0 度として東方向 110.03 度の位置にある。朝食の準備をして午前 7 時 30 分、低血圧の配偶者を叩き起こすと、太陽の高度は仰角で 16.34 度、方位は北を 0 度として東方向 119.81 度の位置にあり、「眩しい…」と言って妻はカーテンを閉める。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉君を呼ぶ声

2019年10月25日
◉君を呼ぶ声


季節と季節を分かつ結晶面に引かれた条線のように降り頻る雨、無数の縦線を水平に切り裂くように鳥の声が響く。六義園正門前でおそらく一番背が高いと思われる梢のてっぺんで声の主が鳴いている。無窮の時空に降り頻る冷たい雨に恨みの聲をあげているわけではなく、番(つが)うための異性や、縄張りを脅かすべき同類に対して、広義の恋歌を叫んでいるのだろう。

未明に起きて雨音を聴きながら、永井均『倫理学とは何か』を読んでいたら、美しいプラトンの言葉がひかれていた。
「――この狂気こそは、すべての神がかりの状態の中で、自ら狂う者にとっても、この狂気にともに与かる者にとっても、最も善きものであり、また最も善きものから由来するものである。そして美しき人たちを恋い慕う者がこの狂気に与(あず)かるとき、その人は『恋する人』と呼ばれるのだ。」(『パイドロス』より)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉青空の秘密

2019年10月23日
◉青空の秘密


子どもの頃、飲み終えたサイダー瓶の王冠を腕にぎゅっと押し当ててはなすと、丸いギザギザの跡がついた。晴れた青空に白く見える昼間の月は、暗い夜空に煌々と輝いていた月の跡が空に残り、そこに白い雲が溜まったものだと思っていた。そして、空に月の跡がつき、そこに雲が流れ込む仕組みはいったいどうなっているのだろうと真剣に考えていた。

本駒込 2019

大きくなったら昼間の月は跡などではなく本物の月があそこにあるのだと教えられ、見てきたわけでもないのにあそこに月があるなんてどうしてわかるのだろうと思っているうちに、本当に人間がロケットで月に行き月がそこにあることを踏んで確かめて来たという。

そして昼間の月がどうして白く見えるかについてインターネット検索すると、いまでは答えが空の上に書かれている。それは科学的な説明だけれど、夜空に月の跡がついて雲が溜まる仕組みほど面白味がないのでなんど読んでも身につかない。科学的でない奇妙な疑問を真剣に考える方が子どもにとっては大切だろう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

◉観葉植物と照明器具

2019年10月22日
◉観葉植物と照明器具




友人から早朝のショートメッセージが届いていたので返事を書き、「是非読んで欲しい」と勧められた『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』永井均(ちくま学芸文庫)をネットで注文した。「注文しました!」という報告を送信し、「雨なので図書館から借りてきた『括弧の意味論』木村大治(NTT出版)を今日読み上げてしまいます」と書き添えた。返却期限は10月29日になっている。


仕事場に置いている観葉植物の元気がひどくいい。どうしたんだろうと見ていて気付いたのだけれど、窓の方角へと葉を広げ枝を伸ばしていたパキラが、素直に天を目指して伸びている。もしかしたら、仕事場の天井にある照明器具をすべて蛍光管から LED に交換したせいで、植物にとって好ましい環境になったのかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉ふたつの読書会

2019年10月20日
◉ふたつの読書会



金曜日、新宿高層ビルの哲学書読書会を休講にした先生は無事で、Twitter での呟きを再開されていると、一緒に心配しながら飲んだ友人の医師からショートメールが届いていた。予定日を間違えて手帳の一週間後に書き込んでいたそうで「なーんだ」とメールにあったけれど、
「なーんだと笑いながら、『今日は大学を終えてから講座があるので遅くなると言って家を出たから大丈夫』というのが、事務員と奥様を経た希望的情報錯綜でありますように…との懸念が残りますね(笑)」
と返信しておいた。

見えない人の心の中と、見えている気がする見かけの裏側には、「なーんだ」ではすまない別のものがある可能性はどうしても疑い得ないからだ。ましてや相手は名のある哲学者である。そう単純ではない気もする。

 千石図書館 2019

川添愛の新刊が入庫していた。
田端文士村記念館の企画展。
雑誌『季刊清水』編集委員の仲間たち全員で見に行くかもしれない。

こちらの一般市民読書会は休み明け月曜日決行なので、仕事をしつつショーペンハウアー『意志と表象としての世界Ⅲ』(中公クラシックス)を読む日曜日である。第 57 節あたりはむかし好きだった岸田秀を読んでいるようで、これはフロイト、ニーチェを経て流れる思想の原点を訪ねる読書なのだなと思う。

 千石図書館 2019

綿の実が弾ける日が待ち遠しい。 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉休講

2019年10月19日
◉休講


月一回、新宿住友ビル 10 階で開かれる哲学書読書会が面白いので参加している。哲学の先生が自著を読みながら深くわかりやすく解説してくれるわけで、都会ならではの本の楽しみ方だろう。

都庁 2019

開始時刻の 19 時になっても先生が現れない。事務の女性が携帯に電話しても通じないという。ご自宅に電話したら、「大学の授業を終えてから講座があるので遅くなる」と言って家を出られたという。連絡なしで生徒をほったらかしにするような先生ではない。論理的な哲学者だし。心配だけれど時間の都合もあるので、19 時半までに先生が来られなかったら休講にするという。

住友ビル 2019

結局休講になり、先生の消息はわからない。大学時代以来の休講だ。学生時代の休講はただうれしかったけれど、好きな先生(三歳年上)がどうされたのかが気にかかる。心配しながら、一緒に受講している医師の友人を伴って駒込駅まで戻り、行きつけの居酒屋に妻(サイフ)を呼び出し、音楽談義などをしながら三人で飲んだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉海抜

2019年10月18日
◉海抜



台風の水害に関するニュースが気になって清水の叔母に電話したら、水は玄関内まで進入したけれど床上には達しなかったという。妻は武蔵小杉の従姉にメールしたそうで、従姉一家は元気だけれどタワーマンションと平地暮らしの人はたいへんらしい。福島県いわき市の河川決壊箇所近くで暮らす友人にメールしたら床上浸水だという。たいへんだ。降雨量と水害との直接的関係はないけれど、ふと気になって各地の標高を調べてみたら、清水の叔母は海抜 3 メートル、武蔵小杉の従姉は海抜 6 メートル、いわき市の友人は海抜 15 メートルで暮らしている。

文京ふるさと歴史館から令和元年度特別展の案内が郵送で届いた。1964(昭和39)年、春日町交差点の写真が使われている。

東京オリンピックの年だけれど、右端の屋外広告看板を見ると、SONY はもうトランジスタの小型テレビを発売していて驚いた。どの方角から写されたものだろうと当時の地図を見たら都電の軌道で特定でき、真砂町市場地点から富坂の先、中央大学方向を写したものだ。

江戸時代はちょうどこの辺りに郷里清水の小島藩邸があった。海抜は 9 メートルである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉辞書と遊ぶ

2019年10月17日
◉辞書と遊ぶ



累進の意味ををいちおう確かめる。数量増加に合わせて比率が上がることで、英語ではなんて言うんだろうとプチプチキーを押す。そうか progressive でいいのか、するとプログレッシブロックは漢文的に累進的揺動音楽なのだなと面白がる。

目が覚めて未明の読書。難しくてどうしてもわからない章(永井均)を十回くらい読み直してどうにかこうにか嚥下したので、辞書と遊んで自分の肩を揉む。永井均に「なぜか知らないが」という言葉が出てきたのを口実に休憩。I don’t know why で何故か Nobody knows を連想したので、太宰治『誰も知らぬ』を青空文庫で読む。青空文庫も辞書のようなものだ。電子辞書にもちゃんと収録されている。

本駒込 2019

「祖父は陸中盛岡の人であります」(太宰治『誰も知らぬ』)という箇所を、妻なら「祖父は越中富山の人であります」と言い、自分は「祖父は越中ふんどしの人であります」と言いたい。狩野川台風で巴川が溢れて床上浸水して以来、台風が近づくと祖父は土手にのぼって増水した川の見回りをしていた。命がけの見回りに期するところがあったのか、そういう時は痩せた裸身にふんどしいっちょうだった。男らしいと感心した。

「祖父は、私が十六のときになくなりました。好きでないおじいさんだったのですが、でも、私はお葬式の日には、ずいぶん泣きました。」(太宰治『誰も知らぬ』)の箇所がいい。わが越中ふんどしの祖父も自分がその歳に亡くなった。葬式では泣けなかったけれど大好きだった。

太宰はしかつめらしいことを鹿爪と書いている。鹿爪は当て字だというが、鹿爪が硬い感じがするからだろうか。自分はしかめっ面からの連想で「しかめつらしい」と間違って覚えてしまい、いつまでたっても訂正することが出来なかった。いまでも読めない字を適当に読み飛ばした自分に気づくと、めんどくさがらずに辞書を引いて矯正しておく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉セキュリティと辞書と読書会

2019年10月16日
◉セキュリティと辞書と読書会


読書会に来た友人たちのいずれかが忘れたスマホの持ち主が起動画面でわからないかと電源ボタンを押したら、なんとセキュリティロックがかかっていなかった。返却時にその話をしたら、セキュリティロックなどというめんどくさいものは知らないという。どうしてそんなものが必要なのかと聞かれたが、説明するのがめんどくさいのでやめた。

読書会に参加して他人と同じ本を読み合わせすると、人はたぶん極めて個性的に本を読んでいることがわかってくる。個性的に読み違えていることも多いように思われる。読み違えた意見がまとまって、たいした違いのない共通部分がみんなの読書感想として集約される。集約されつつある感想と相入れない読み方をしていると、個性的過ぎて他人の話に入れない。多くの意見に割って入るのは難しい。「どう思いますか」などと聞かれると絶句してしまう。そんなところではどうも思っていない。

厳密に読もうとすると辞書を引く機会が増える。昔は電子辞書を引いていたけれど、最近はスマホの検索で済ませることも多い。ただスマホは起動するたびにセキュリティロック解除の手間が煩わしい。ただ辞書引きしたいだけなのに開ける扉が多すぎる。ロック解除せず起動画面で辞書引きくらいできればいいのにと思う。仕方ないので紙の辞書を引いているけれど、ふと思いついて昔買った電子辞書を引っ張り出してみた。

他人と丁寧な読書を始めると電子辞書が面白い。膨大な冊数の辞書を一括検索できるので、複数の辞書の異なった説明を読むことができ、難解なことが平明になり、深い理解ができるように思うのだ。たとえばそもそも「現実」ってなんだろうと検索すると、広辞苑なら「現に事実としてあること。」と素っ気なくあるところを、新明解だと「現在当面していて、それを無視することが出来ない事柄。」などと書いてある。どちらもその通りなのだけれど、後者は一歩踏み込んで哲学的であり、「現在当面していて」すなわち actually であることが、理屈抜きのナマの事実なんだよなあと改めて思う。電子辞書の中が既に読書会になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉突拍子

2019年10月14日
◉突拍子



夢の内容はたいがい突拍子もないので、どんなに奇妙キテレツな夢を見ても驚かないけれど、一日も終わり近くになってから突拍子もなく見た夢の内容を思い出したりするとびっくりする。現実世界の内容にたとえるなら、断線していた記憶回路の配線が突然ショートするようにバチッとつながった感じだ。実際に断線して宙ぶらりんになった電線が脳内にあるとは思えないので、なぜそういう突拍子もない記憶の現前化が起こるかが不思議だ。


千石図書館 2019

ちなみに突拍子もなく思い出した夢というのは、道の向こうから歩いてきた女性に
「あなた、ズボンのジッパーが全開ですよ!」
と眉をひそめて指摘される夢で、区立図書館に予約した『括弧の意味論』が届いたのを、傘さしてとりに行く途中でのことだ。道すがらに知覚した景色や音や空気感からの連想でスイッチが入ったとして、入ったのはどんなスイッチだろう。突拍子もなく思いつくより、突拍子もなく一度忘れたことを思い出す仕組みが不思議だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉台風一過

2019年10月13日
◉台風一過



狩野川台風の年は幼児だったが、清水市の祖父母に預けられて暮らしていた。祖父母の隠居場である二階で目をさましたら階下が床上浸水していた。家の前を流れる巴川が氾濫したのだった。一つ年下の妻も富山で幼児だったが、狩野川台風の夜は母親手作りの水着をつけ、浮き輪にからだを通して寝たという。近くの神通川が氾濫する恐れがあったのだという。

友人宅の台風一過

あの頃は台風が近づくと窓や戸に板を打ち付けたり紙を貼ったりして住まいの守りを固めていた。板橋区でマンション暮らしをしているカメラマンの友人夫婦から今朝届いたメールに添付されていた写真。これだけ見晴らしの良い部屋だと風当たりも強いのだろう。それにしても最近はこういう光景も珍しいと笑った。

本郷通りの台風一過

午後から買い物で外出したら、近所の商店もまた物々しく守りを固めていて驚いた。みんながこんな備えをするほど、すごい台風が通過したのだなと改めて思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

◉朝の夕刊

2019年10月13日
◉朝の夕刊



台風一過の朝、朝刊を取りに出たら新聞受けに夕刊も入っていた。昨夕見たときはなかったはずの夕刊を、あの暴風雨のなか遅れながらも配達してくれたのかと申し訳ない。苦労して配達したのに読まれないままそこにあるのを見て、朝刊配達人をがっかりさせたのではないかと胸が痛んだ。

昨日の夕刊に新聞販売店からのチラシが挟まれており、「10月12日(土)の夕刊をお届けできませんでした。大変申し訳ございません。」と書かれていた。従業員の安全確保のため夕刊の配達を中止したそうで、そうしてもらってよかったと思う。

富士山 2019/10/13

第一面に「豪雨 浸水 備えを」の大見出しがある夕刊をありがたく読む朝である。第五面「惜別」欄のドイツ文学者池内紀(いけうちおさむ)に関する春山陽一の署名記事が「さりげなく」良かった。

静岡で過ごした中学生時代、通学路で出会う、新聞配達をする三つ編みの女の子がいて、彼女は同じ中学に通う同級生だった。話をしたこともないので会釈し合うこともなかったけれど、なぜか氏名だけは今も覚えている。成績優秀らしくいつも朝礼の先頭に三つ編みの頭が見えていたが、卒業後の進路先は知らない。激しい風雨の中で新聞配達する若者を見るたびに、彼女は大丈夫だろうかなどと思い出してしまう。永遠の新聞配達。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ