【駒込染井(現駒込四丁目)の桜並木】

【駒込染井(現駒込四丁目)の桜並木】

 
 
山手線線路沿い、駒込四丁目の桜。
 
 
地図は関東大震災直前。駒込駅脇に順天堂の佐藤邸があり、六義園は岩崎邸になっている。
 
 
大和村(郷)はまだ住宅地として開発されておらず、最初の分譲売り出しは 1922 (大正 11 )年で大震災の前年になる。
 
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【巣鴨一丁目のお茶屋】

【巣鴨一丁目のお茶屋】

 
 
お茶を焙じる巣鴨一丁目のお茶屋さん。
 
 
地図は明治の終わりころ。1891(明治24)年、下谷屏風坂(現・岩倉高等学校)から移転してきた高岩寺(とげぬき地蔵)は左上隅にあるが、門前の道は旧中山道(地蔵通り商店街)で寺裏手の白山通りはまだない。
 
 
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【 G と「私」】

【 G と「私」】

 

 

NHK の『あさイチ』で嫌われものの虫である「 G 」が取り上げられていた。視聴者には映像を見るのはもちろん、正式名を聞くのも嫌な人が多いので、あえて「 G 』と言いかえているのだという。

「自分がいなくなったら困る!」ということを自分で意識できることが人間に「自分がいる」という自意識を発生させている。そういう仕組みで「不在を自分自身に帰属させる能力」が私をつくっていて、他の生物にはそれがないように見える、と哲学者が言う。

哲学者に私がないと思われている「 G 」も人影を察知すると必死で逃げる。あれは「自分がいなくなったら困る!」と自分が考えているのではなくて、「自分がいなくなってはいけない!」と何かに命じられた身体が勝手に動いているのだろう。その命じている「何か」が括弧で括られる「私」であり、自意識を持たない一般的な G に対して、人の前で逃げ惑うのは括弧で括られた「 G 」なのだ。そういう自意識を「 G 意識」というw

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【春に生まれる】

【春に生まれる】

 

カマキリもクモも子どもは親の姿をそのまま縮小したようなミニチュア版でうじゃうじゃ生まれてくるのでかわいい。「かわいい」には「ちいさい」と「いっぱい」が含まれている。つれあいは「きもちわるい」とか「かやい」と言って喜んでいる。

昼休みに NHK のラジオを聴いていたら、竹内陶子アナが「今年は樹々の芽吹きが早い」と言っていたので、やはり多くの人がそう感じているのだろう。本郷通り上富士交差点あたりの街路樹も一斉に芽吹いて、イチョウの新芽に「かわいい」と「ちいさい」と「いっぱい」が含まれている。

新年度になるのでパソコン周りの大掃除をしている。FireWire(ファイヤーワイヤー)接続の機器をすべてお役御免にし、USB Type-C コネクタ接続で Thunderbolt 互換の機器だけにした。CD や DVD メディアも出番が減ったので、大きいドライブは処分して、キーボードとマウス用に残った USB 端子に小さなマルチドライブをぶら下げた。

12 テラバイト分のハードディスクの片隅に必要なデータをまとめて引っ越し、がらんとしたデジタル空間でキャンディーズの『アン・ドゥ・トロワ』的に「時代は変わって行くなぁ」と思う。

   ***

NHK でテレビドラマ化された重松清『きよしこ』を録画してあったので観た。小学生時代に吃音の親友と遊んでいた頃を思い出したので、読んでみたいと思っていた伊藤亜紗『どもる体』医学書院を注文した。

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【今朝の旭山桜】

【今朝の旭山桜】

 
 
2019年春、わが家のベランダにやってきた旭山桜(一才桜)鉢植えが、三度目の満開に近づいている。
 
 
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【食べられるけれど食べない趣味の園芸】

【食べられるけれど食べない趣味の園芸】

 

ベランダに置いた鉢植えの植物がみな元気だ。調子に乗って、観るだけでなく食べられる植物をプランターで育ててみようと思い、近所の花屋店頭に並んでいたパセリの苗を三株買って植えてみた。

元気良く育っているので
「どんどん料理に使っていいよ」
と言ってみたけれど、パセリなどそうたくさん食べられるものでもない。

食べない植物の世話はサッカースタジアムのグリーンキーパーになった気分であり、自宅に食べられる芝生があると思えば考えようによってはなごむ。観葉植物としてのパセリも、初夏には白い花が咲くそうで、見たことがないので楽しみにしている。

食べられるけれど食べない園芸について考えながら歩いていたら、道端に食べられる植物がいろいろ生えている。

育てて眺めて楽しむならマメ科ソラマメ属であるカラスノエンドウがいいなと思う。この花はかわいい。

種が売られていないかと検索したら、趣味の園芸を遥かに通り越した量が売られており、根粒バクテリアを利用した土壌改良に使うらしい。咲いている場所を確認しておいて種を採集し、パセリが枯れたら育ててみようかと思う。

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【今朝の旭山桜】

【今朝の旭山桜】

 
2019年春、わが家のベランダにやってきた旭山桜(一才桜)鉢植えに、三度目の花が咲いた。
 
 
今夜はこの子を囲んで家庭内花見をしようと思う。
 
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【故郷の飾り窓】

【故郷の飾り窓】

 

静岡市清水区銀座 1 - 22 にある『大門堂写真館』館主は高校の良き後輩にあたり、雑誌『季刊清水』の取材で訪ねたら
「ご夫婦の記念写真を撮りましょう」
と言う。

大喜びで撮影してもらったら、
「春先に店のウィンドウを変えました。ご夫婦の写真も飾らせていただきました」
というメールが届いた。

コロナ感染の第四波が迫っているので見に行けないのが残念。左から二列目の一番上に飾っていただいた。

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【単位は続くよどこまでも】

【単位は続くよどこまでも】

 

小さな単位でびっくり!は起こらない。
「君ねぇ、桁が違うよ、桁が!」
などと言われた時点でびっくり!は起こる。

初めて買ったパソコンに内蔵されていたハードディスクの容量は 200 メガバイトで、会社員時代の元同僚に、
「そんな大きなハードディスク、いったいなにに使うんだよ!」
と笑われたものだった。1980 年に SONY が開発した 3.5 インチフロッピーディスクの容量は、およそ 640 キロバイト(2DD)と 1400 キロバイト(2HD )の 2 種類があって、たいがいのデータはその中に収まり、収まりきらないものは圧縮ソフトで分割して複数枚に収め、解凍時に結合していた。

キロバイトは 10 の 3 乗 = 1,000 で、10 の 6 乗 = 1,000,000 がメガバイト、10 の 9 乗 = 1,000,000,000 がギガバイトで、いま 2021 年現在、若者がスマホで巨大データをやり取りしながら「ああ、今月もギガが足りない!」などと言っている。ギガはカネなり。

コロナで逼塞(ひっそく)して過ごす週末に片付けをしていたら、ろくに使わないうちに壊れた NAS(ファイルサーバー)から取り出した 2 テラバイトのハードディスクが 2 台出てきた。テラバイトとは 10 の 12 乗 = 1,000,000,000,000 であり、こんなものが仕事場に転がっている時代になっている。

そしてふと考えたら、パソコンで仕事をしてきた四半世紀間に作成したデータのバックアップが、そしてこの先つくる一生分のデータが。このハードディスク内に難なく収まってしまう。ここまで考えてようやくびっくりした。

ちなみにテラの先、単位はペタ、エクサ、ゼタ、ヨタと果てしなく続いて行く。

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【明晰夢】

【明晰夢】

 
 

「これは夢だ」と思って見ている夢を「明晰夢(めいせきむ Lucid dreaming)」という。ここ数年そういう夢をよく見るようになった。

亡き母がそういう人で、夢の中で都合の悪い状況になると「そうだ、これは夢なんだから飛んじゃおう!」と思って、空を飛ぶことで現状を打破するのだと言っていた。

自分の場合は、夢の中で都合の悪い状況になると、「夢の中で苦労するのはバカバカしい、覚めちゃおう」と思って目を覚ます。なかなか目が覚めないときは首を激しく左右に振リながら目覚めることもある。

つれあいが見る夢も一種の明晰夢で、夜中に声を立ててよく笑う。びっくりするので「どうした!」と聞くと「こんなバカバカしいことがほんとうにあるはずがない、これは夢だ」とわかって大声で笑いながら目が覚めるのだという。

「これは夢だ!と思う自分」が、「夢を見ている自分」から乖離してもうひとり存在するわけで、デカルトが「我あり」と目覚めたように思う前に「我思う」を客観的に見ていた「我」って誰だったんだろうと思うのに似ている。存在は反省的に疑わしく、飛ぶ人、逃げだす人、笑いころげる人もいて、明晰夢はさまざまに自由である。

写真は 2021 年 3 月 27 日 13 時頃の染井霊園入り口あたり、地図は文明開化期のこのあたり。

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【伊藤伊兵衛の墓と辻潤の墓と桜を見に行く】

【伊藤伊兵衛の墓と辻潤の墓と桜を見に行く】

 
 
豊島区駒込六丁目、染井通りを行くと右手に壁に埋め込まれた格好で「大師道」と書かれた石の道標があり、右に折れて行く坂に面した真言宗西福寺への案内になっている。
 
 
江戸時代に徳川将軍家の御用植木師として名高かった染井の植木商『霧島屋』、その四代目伊藤伊兵衛政武(宝暦七 1757 年没)の墓がある。伊兵衛の墓に連れ合いを案内し、ダダイスト辻潤の墓を見せようとしたら見つからないのでよしとした。照れくさいのだろう。
 
 
写真は 2021 年 3 月 27 日 12 時 55 分頃の西福寺脇。地図は関東大震災直前の西福寺界隈。右下角が西福寺と隣接する染井神社。外語大はまだなく、海軍の火薬製造所
がある。
 
 
 
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【東京外国語大学跡地のトキワマンサク】

【東京外国語大学跡地のトキワマンサク】

 
北区西ヶ原四丁目の東京外国語大学跡地、鮮やかな赤い花が咲いており、つれあいが
「あれはなんの花だろう」
と聞く。
 
 
数日前の友人の日記に赤い花がマンサクだと紹介されており、黄色だけだと思っていたマンサクに赤い品種があることを初めて知った。というわけで
「これはマンサク」
と自信を持って答えたが、正式には「トキワマンサク」で別名ベニバナトキワマンサクという。
 
 
写真は2021年3月27日13時14分頃。地図は高度成長期前夜の西ヶ原界隈。
 
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【自転車に御乗んなさい】

【自転車に御乗んなさい】

 

漱石の『自転車日記』は「共有地コモンズの悲劇」について検索中に知って読んだ。下宿屋の二十貫目婆さんに「自転車に御乗んなさい」と勧められ、挑戦したがものにならなかった話がくどくどと書かれている。その中にたぶん共有地に由来すると思われる「クラパム・コンモン」という地名が出てきた。

自分もつれあいもひとりっ子で兄弟姉妹がいない。だから「自転車に御乗んなさい」と言ってくれたのは面倒見のよい他人だった。自分の場合は、王子二丁目にあった精肉店の荻野くんが「自転車の乗り方を教えてあげる」と言い、「クラパム・コンモン」ではなく、北区王子五丁目の空き地で練習をした。

2021年3月26日 六義園正門前のハナミズキ

久しぶりに『自転車日記』を読み返したのは、自分から見た他人の心は「独特」な在り方をしているという話を読んだからだ。「どくとく」で辞書を引くと「独特」には「独得」という書き方もあり、「(独得)その人だけが会得していて、他の人には及ぶことができないこと。また、そのさま。「自家 ― の曲乗のままで」〈漱石・自転車日記〉」と出典が引かれていた。他人の心の中がわかっているような気がすることも「独得」な心理で、なんだか危なっかしい自転車乗りに似ている。

   ***

と、書いたところでスズメの鳴き声が聞こえる。夜明けが早くなったとはいえ午前4時前にもうスズメが鳴くのかと耳を澄ませたら、息をするたびに花粉症の鼻がかすかにピーピー鳴っているのだった。

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【理化学研究所跡地の桜】

【理化学研究所跡地の桜】

 
 
理化学研究所跡地、文京グリーンコート内の桜。
 
 
現在の住まいに越してきた頃は科研製薬があった。地図は関東大震災直前のもの。
 
 
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【日本アイソトープ協会の桜】

【日本アイソトープ協会の桜】

 
 
理化学研究所は和光市に移転したが、戦災を免れた理化学研究所の23号館は現存する。現在は日本アイソトープ協会と仁科記念財団であり、敷地内の桜が満開になっていた。
 
 
日本放射性同位元素協会が任意団体として創立されたのは 1951(昭和 26 )年だが、戦後高度成長期前の地図をみると土木研究所になっている。
 
 
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