【 1980 年の佐々木七恵】

【 1980 年の佐々木七恵】

1 月 29 日、夕刻に銀座の出版社で打ち合わせがあったので JR 有楽町駅から歩いたら雨が降っていた。
 
傘の花が開いた大通りに『東京マラソン 2008 』の垂れ幕が飾り付けられており、一瞬
「(あれ?どうしてこんな場所にマラソンの垂れ幕が…)」
と思ったけれど、2007 年から東京都心部で行われる『東京マラソン』が始まり、銀座の真ん中をランナーが走るようになったことを思い出した。

東京山手線内に住んでいてもなかなかマラソン観戦のために外出する気にはならないのだけれど、一度だけ沿道に出てランナーに「頑張れ!」と声をかけたことがある。あれは何年のことだったのだろうと調べてみたら 1980 年に開催された『第 2 回東京国際女子マラソン』だった。
 
当時僕は小さなプロダクションで乳業メーカーのパッケージデザインを担当しており、こっそり休日出勤して私的な作品づくりをしていたら、眼下をマラソンランナーが通過するのを思い出して気になってたまらず、沿道に走り出て声援を送ったのだった。

『東京国際女子マラソン』のコースは終盤市ヶ谷駅前を過ぎて外堀通り沿いに四谷見附交差点まで長い心臓破りの坂となる。その胸突き八丁にある雪印乳業本社前で待ちかまえていたらお目当てのランナーが疾風のように駆け抜けて行き、何て早いんだろうと感動した。それが後の第 5 回大会で日本人初の覇者となった佐々木七恵だった。
 
僕より 2 歳年下の彼女は当時岩手県立盲学校に勤務する教員ランナーで、北の国から強い女子ランナーが出てきたのに感動して応援しており、この大会の記録は第 9 位だった。ちなみに優勝は第 1 回大会にイギリスから参加してハンカチレディとして名をはせた(?)ジョイス・スミスの連覇で記録は 2 時間 30 分 27 秒だった。
 
先行するジョイス・スミスやアリソン・ローの姿も間近で見たはずなのに、独走するように駆け抜けた佐々木七恵の勇姿しか覚えていないのが不思議である。

※佐々木七恵さんはこの日記を書いた翌年の 2009 年 6 月、享年 54 歳で他界されている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 1 月 30 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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