【小野派一刀流】

2019年11月29日
【颯爽と】


数学者岡潔が書いたものを読んでいたら神子上典膳が出てきて、これはなんて読むんだっけと引いたら「みこがみてんぜん」だった。小野忠明のことで徳川家に重用された実在の人。子孫の代に至って小野派一刀流開祖となる。ああそうか。昔の人は剣術にも詳しい。

知り合いの福祉系女性編集者と一緒にここ数年保育関係の仕事をして、仕事の節目ごとにお疲れさまの飲み会をしている。

先日、赤羽の外れにある小さなスポーツバーに呼び込まれて飲んでいたら剣道稽古帰りのイケメン青年が入って来て、意気投合して一緒に飲んだ。女性編集者は今でも剣道をやっており、若き日の森田健作ファンだと知って笑った。

森田健作似の青年剣士と女性編集者の剣道談義を聞いていて思ったのだけれど、剣道好きな人たちは小野派一刀流とか神子上典膳とか伊藤一刀斎とか山岡鉄舟とか浅利又七郎とか千葉周作とか北辰一刀流とか北斗の人とか、そもそもそういった剣術話も好きなのだろうか。今度あったら聞いてみよう。

本駒込 2019/11/29

剣道は中学時代にやってあまり得意ではないが「心の剣」には惹かれる。毎朝欠かさず、朝日の朝刊を読む、掃除機をかける、という「おとうさんのしごと」的な朝稽古に、流し場にある包丁を研ぐ、を加えてみた。「おとうさんのしごと」は剣の道に通じるかもしれない。おかあさんもよろこぶ。

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【颯爽と】

2019年11月29日
【颯爽と】




妻の従姉の娘に息子が生まれて名前は颯太だとメールにあったという。「ふうたでいいのかな」と言うので「さっそうって言うからそうたじゃないの」と言ったら「あ、そうか」と言う。「あ、そうか」と言われると「そうじゃない」可能性も気になる。颯爽の読みからいえば「さった」で、おかしくないけれどなんだかおかしい


颯に「そう」の読みはあるのだろうかと辞書を引いたら、音符は風ではなく立の方でサツとともにソウの読みがある。風の字の役目は渦巻く気体を象(かたど)っている。颯颯と書くとすばやい様(さま)で「さつさつ」と読む。颯太はすばやい子だろう。iPhone で「そうた」と打ってみるとちゃんと颯太に変換された。颯爽と世界に登場である。よかった。

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【店を拡げる】

2019年11月28日
【店を拡げる】



未明に本を読んでいたら、むかしよく聞いた言葉遣いが出てきて、その十四文字の中に懐かしい風景が広がっている。
「彼女は針仕事の店を拡げながら」(芥川龍之介『秋』)
とある箇所で、記憶の中を辿ると「ちょうど店を拡げちゃったところだからもう少しやらせてね」などと語りかけられた自分がかつていた。だから懐かしいのだろう。


本駒込 2019/11/26
 
夜が明けて朝食後に、「むかしの女性は縫い物仕事や衣装整理などで畳の上に布類を引っ張り出して占有することを、店を拡げると言わなかった?」
と妻に聞いたら
「懐かしい!」
と言う。自分は使ったことがないと言うので、おそらく親の世代が話していた言葉なのだろう。早晩死語になるのではないか。

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【朝の天地創造】

2019年11月27日
【朝の天地創造】



掃除機が好きだ。若い頃はそうでもなかったけれど、モーターを回して負圧(陰圧)をつくり、吸引したホコリを渦(遠心力)で空気と分離し、それが透明プラスチックの集塵室に溜まっていくのを直視できるタイプにしてから、毎朝掃除機をかけるのが楽しくてたまらない。急に掃除好きになった夫を見て妻も喜んでいる。

毎朝掃除機がけをするのでゴミひとつないように見える床に、滑るような軽やかさで吸い込み口を這い回らせると、透明な集塵室内に微細な粉塵が吸い込まれ、それらが渦を巻きながら次第に星雲を形成していくのが見える。ゴミ捨てをしてまっさらな空間を集塵室内につくるごとに、宇宙創生の物語りを繰り返し繰り返しつぶさに眺めるのであり、それは神になった気分とたとえるほかない。朝の掃除は天地創造である。

近所の教会裏通りにて 2019/11/25

そこから毎朝たしかめる神の教えは次のようなものである。われわれが見ている物は、もちろんわれわれ自身も含め、すべて宇宙という集塵室内のホコリに過ぎない。だからすべてがクルクル回っているのだ。

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【サイレンと遠吠え】

2019年11月26日
【サイレンと遠吠え】


里清水は工場の多い港湾都市だったので業務の区切りに鳴らされるサイレン音を暮らしの中で毎日聴いた。騒音に埋もれた作業場から大音量で鳴らされるそれは、遠くまで届いて時刻の目安に役立った。視覚障害者のために鳴らす音響式信号機の誘導音や、緊急事態にそなえた防災放送の音まで、喧しいからやめろと苦情が寄せられる世の中になったので、もう故郷でも聴かれない音かもしれない。昭和の時代は小さな庭の隅に小屋を置いて犬を養う家が多かったので、サイレンにあわせて遠吠えをする声をよく聴いた。

日暮れて寒くなる前に買い物を兼ねた散歩に出て、富士神社と天祖神社の間を分かって都立病院脇へ抜ける道を歩いていたら、サイレン鳴らした救急車に合わせて遠吠えする犬を久しぶりに見た。帰宅して、「サイレンに合わせて遠吠えする犬は最近珍しい」とワンワン吠えるように言ったら、「犬はいつの時代も吠えるものです、あなたが最近そういう場面に縁がなかっただけじゃないの」と仕事中の妻がそっけなく言う。ふうむ。

散歩途中 2019/11/25

何年か前の秋、清水西河内の茶業農家『水声園』を訪ねたら突然山あいにサイレンが鳴りわたるので、「急な出水でもあるのか」と地元で暮らす従妹に聞いたら、山仕事をする人たちに三時のおようじゃ(昼食と夕食の間食)をつかえと報せているのだという。ふうむ。

雨が降れば川を見に行き、サイレンを聴けば「なんだなんだなんだ!」と騒ぐところが人も犬も同じである。

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【冬の鍵盤】

2019年11月24日
【冬の鍵盤】


録画してあったアレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタルを観て感動した。どういう人なのかまったく知らずに録っておいたのだけれど、観終えて思わず立ち上がって拍手してしまった。ブラボーである。YAMAHA のピアノを使ってフォルテピアノのような音を出す緻密な演奏に感動したのだけれど、まさにそういう人であることをあとで検索して知った。74 歳、「自分の納得できる演奏ができるうちに引退する」と宣言して最後のコンサートホールだったそうで、よいものを聴かせてもらった。ちょっとしみじみしてしまう。

そんなに有名な人なら区立図書館に CD が所蔵されているに違いないと検索したら、やはりたくさんあったのでそのうち二枚、ライブビデオで演奏されたモーツァルトではなく『ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ「悲愴」「月光」「ワルトシュタイン」』『エレジー・フォー・ピアノ』を借り出し予約した。ついでに来年の予定表が寂しいので武蔵野市民文化会館小ホール、二月の『ダナエ・デルケン ピアノ・リサイタル』を予約した。期待の若手らしい。武蔵野といえば見逃した九月の『タカーチ弦楽四重奏団 演奏会』が放送されたので録画したが、これも素晴らしかった。

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【そういう美しい本の中身】

2019年11月24日
【そういう美しい本の中身】



鶴見俊輔『そういう範疇について』という美しい本を手に取って、これはよい本に違いないと思ったところでトイレに起きて目が覚めた。

子ども時代のチャンバラごっこで唱えた不思議な呪文「阿毘羅吽欠蘇婆訶(あびらうんけんそわか)」と、好きなことば「角のない正方形は円であり無限である」が頭の片隅にあって、そういう自分が、そういう自分に、そういう夢を見させたような気がする。


『そういう範疇について』の中には、どんなことが書かれていたのだろうと検索してみたけれど、そういう本は実在しない。

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【浜辺の歌】

2019年11月23日
【浜辺の歌】



林古渓作詞の文部省唱歌『浜辺の歌』の歌詞にある「もとおれば」の歌詞がわかりづらいが、漢字では「回れば・廻れば」と書く。古渓は浜辺を一番ではさまよい、二番ではもとおっている。

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星のかげも

古渓はどこの浜辺をもとおったのだろうと引いたら、幼少時を過ごした辻堂海岸ではないかとあった。昭和三十年代、学校が休みになるたびに預けられて東京・清水間を往復したが、当時通過する辻堂あたりはひどく寂しい風景として記憶にある。今も当時が懐かしくて急がない帰省は在来線を利用するが、辻堂駅もすっかりひらけて早朝は通勤通学客で雑踏している。

「浜辺の歌」は昭和42年10月 - 11月に NHK『みんなのうた』で取り上げられ、静岡放送児童合唱団が歌った。その年はすでに東京暮らしを引き払って清水の中学に入学していたが、記憶の中をもとおうと駒越あたりの浜辺が思い浮かぶ。

「自分は大海を前にして磯辺で貝殻を拾っている子供にすぎない 」
と言ったのはアイザック・ニュートンだが、幼いころの彼は辻堂や駒越のように、どんな浜辺をもとおっていたのだろう。

ニュートンが生まれた英国東海岸 Woolsthorpe-by-Colsterworth

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◉そして老人になる 5 【近くでいきたい】

そして老人になる 5
【近くでいきたい】

 親たちの看取りが終わって年が改まったら、年金支給開始の通知と、高齢者インフルエンザ予防接種の案内が届いた。介護が終わって玉手箱を開いたら、たちまち太郎はおじいさんである。
 去年の予防接種はいつ頃受けたのだろうかと連用日記を開いたら、特養ホーム入所中の義母が入院となり、もう施設に戻ることはないだろうという覚悟が定まった頃であり、妻と二人そろって受けたのは年が押し迫ってからだった。注射針を刺されながら
「先日義母が他界しました」
と話したら、

「俺あなたのお母さん好きだったんだよなあ」
と、かかりつけの小さな診療所医師が悲しそうな顔をして言う。富山に疎開経験があるそうで、義母の富山訛りを懐かしそうに聞いていたのを思い出した。
 その小さな診療所は、義父が世話になった在宅介護支援センターの職員が、高齢者の訪問診療をいとわないよい先生だと教えてくれたのだ。それいらい家族全員で世話になってきた。
 大通りを裏手に入った住宅街にあって地域住民に慕われており、患者の高齢化率が高く、年金受給者になった自分ですらまだ若者のうちである。
 小さな待合室横に受け付けカウンターがあり、看護師、薬剤師、事務の女性三人組が白衣で仕事している。その奥に診察室があってドアが開けっ放しなので先生の声が待合室にまで響きわたる。根っからそうなのか、高齢者相手だからか知らないが声がでかい。診察の様子が丸聞こえなので、患者同士で病状が共有できてしまう。
「渡せばわかるように紹介状を書いておいたから大学病院に行って出せば大丈夫。でさ、医者がなんて言ったか電話ちょうだい」
「わかりました、何かあったら電話します」
「何かあったらじゃなくて必ず電話ちょうだい。俺さあ、あなたの痔の具合もどうだか知りたいんだよ」
などと言うので、この高齢女性は痔瘻もあるのかと思う。
 ふらふらと高齢の男性が入ってきてカウンターに両手をつき、今日は薬だけ貰いに来たと言う。受付の女性があわてて診察室に入って行き、先生が驚いた顔で出てきて大声で言う。
「なんだよ、入院したんじゃないの」
「いや家にいる。きょうは薬を貰いに来た」
「だってあなた自分で、もうすぐ死ぬって言ったじゃない。俺もそう思ったから病院に紹介状書いたんだよ。薬を出せって言うなら出すけどさあ、俺、ほんとうはあなたに入院していて貰いたいんだよなあ」
待合室の人たちが笑い事じゃない話を聞きながら笑いをこらえている。その間の診察はストップである。先生が
「それであなたの家族はどう言ってるの」
「家族は俺のことなんかどうでもいい」

 待合室からは診療所の玄関越しに表通りが見える。この老人は大工の棟梁のような仕事をしているのだろう。首にタオルをぶら下げた職人風の男性と、娘さんらしい女性がおろおろしながら診療所内をのぞき込んでいる。
「とりあえず薬を出すけどさ、あなたこれからどうするの」
と先生が聞き、
「近くでいきたい」
と老人が小さな声で言う。「いきたい」が「生きたい」なのか「逝きたい」なのかはわからない。

Bricolage(ブリコラージュ)2019 冬号 (2019年11月15日発売) より

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◉そして老人になる 4 【命と意味】

そして老人になる 4
【命と意味】

 一瞬にして世界がまったく違って見えた!と言われるように奇跡的な体験をしたことがあるかという話になった。そういうことが二回だけある。
 小学校の卒業式の日、式も終わって家に戻り、これで学校とも、地域とも、12年間の人生とも縁が切れるのだなと思った。両親の離婚が成立し、12年間暮らしたアパートを引き払い、生まれ故郷の町に引っ越し、誰ひとり知る人のいない中学校に入学し、その日から父親の姓を捨てて母親の旧姓を名乗ることになっていた。嬉しかった。嫌な思い出の一切を捨てて、もう一度生まれるのだ。
 もう戻ることもない学校の正門を出て歩きながら、教室の棚に忘れ物をしたことを思い出して引き返した。児童も教師もいなくなり、開けっ広げで人影のない校舎に入り、階段を上り、廊下を歩き、教室に戻ったら、机にも、椅子にも、黒板にも、壁と窓にも、そして棚の中の忘れ物にも、いっさい過去の思い出から切り離され「無意味」と書かれた札が貼られているように見えた。
   ***
 そうやって女手ひとつでひとり息子を育ててくれた母親がガンになった。72歳の夏である。手の施しようのないすい臓がんで、余命宣告を受けた母は、激しい痛みと食欲不振で物が食べられない、無理して食べるのは嫌だ、自宅で自然に死ぬから放っておいてくれと言う。放っておいてくれと言われた息子が「はいそうですか」と願いを受け止めるのは難しい。説得して呼び寄せ、同居での在宅介護を始め、苦しみながら一年余りを共に暮らした。そしてやっぱりひとりがいいと言い張って郷里に戻り、住み慣れた家で寝たきりになった。
 最後の数か月は仕事を休んで母親に寄り添い、餓え死にさせまいと、男の手料理で食べられるものを工夫した。「美味しい」の一言が聞ける食材を探し、それらを下処理し、小分けし、朝昼晩の三食に分類して冷蔵庫にストックした。そして毎食、食べられそうなものを聞いてから調理した。
 厳しい夏がきて、このままでは数日ももつまいというところで入院させ、最後の数日間を病院のベッドで過ごした。
 母危篤の報が入って臨終を看取り、葬儀を終えて無人になった家でひとりになった。帰宅して冷蔵庫のドアを開けたら保存容器に小分けして並べた食材がびっしり並んでおり、それらの一つひとつに「無意味」と書かれた札が貼られているように見えた。
   ***
 人間はすべてのものに〈この私〉にとっての意味というラベルを貼り付けて生きている。恋が盲目とたとえられ、それが人に大恋愛の偉業をも成し遂げさせるように、肉親へのそれも予想外の力で人の行動を後押ししている。
 2年間振り回され続けた母親に死なれた途端、「無意味」になったものの多さに驚かされた。一瞬にして意味が無意味に転じることの衝撃を味わうと、自分以外の生き物が生きてあることの奇跡に思いが至るようになる。
   ***
 友人のお父さんが亡くなられた。ショートステイ先で脳梗塞を起こして倒れ、一時は回復し退院後老健へ移ることに決まったが、直後に再発して還らぬ人になられたという。
 葬儀打ち合わせが済み、午後になって弔問客も絶えたいま、通夜や告別式でする喪主の挨拶がいやでいやで仕方ないという。人生に何度か味わう鮮やかな反転の一瞬、彼はその中にいるのだろうと思いつつ弔辞がわりに書いている。

Bricolage(ブリコラージュ) 2019.秋号 (2019年09月15日発売) より

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◉そして老人になる 3 【飼育箱】

そして老人になる 3
【飼育箱

 コンクリート製の集合住宅にもう長いこと住んでいる。たくさんの小さな四角に仕切られた飼育箱の中で、ある種の孵化を待つ蛾のようにたくさんの人が繭をつくって暮らしている。
 この集合住宅が学生時代に建設中だったことを覚えている。工事現場脇を通って大学に通った。完成予想図を横目で眺め、いつかこういう現代的な集合住宅で暮らせるようになりたいと思い、社会に出て15年間働き、わずかな貯金と、親からの借金と、住宅金融公庫融資を使って飼育箱のひと枡を中古で手に入れた。親たちが年をとって弱ってきたので、同じ飼育箱のひと枡を買わせて呼び寄せ、20余年かかって看取りを終えた。
 築40年を迎えた飼育箱には、完成時の抽選会を晴れて勝ち抜き、購入して住みつくことのできた生え抜きの居住者が、まだわずかながら生き延びている。彼らはみな80歳代以上になっている。
  年金受給者になったとはいえ、生え抜き居住者から見れば自分はまだ若造らしいので、管理組合活動や、住民親睦活動などにすすんで参加している。老若男女を交えた住民活動を続けながら歳月が経過し、そういうつながりの中からこぼれ落ちそうな人が少しずつ出てきた。 
 四半世紀も同じ顔ぶれを眺めていると、還暦を過ぎたあたりから目に見えて老け込んでいく人が多い。彼らの多くは病気が見つかり、配偶者を失い、歩く姿が一人ずつ個性的になり、挨拶をしても反応が鈍くなり、顔から次第に表情がなくなり、外出する姿を見かけることが少なくなる。
 やがてヘルパーさんが鍵を借りて出入りするようになり、久しぶりに会ったら杖をついたり車椅子になっていたりし、デイサービスの送迎や、移動入浴車がやってくるようにもなる。個人情報の保護が行き届いてきたのか、隣人同士の関係が希薄になったのか、最近あの人を見かけないけれどどうしたのだろうと話題になっても、同じ屋根の下なのに知っている人は少ない。管理会社も持っている情報量は多くなさそうだ。
  最近どうもあの人の言動がおかしいという住民同士の情報が入ると「住民交流会に出てこられませんか」という趣旨の手紙を書いてポストに入れてみるけれど、引きこもって姿が見えない。
  飼育箱にもそれぞれ個性があり、それぞれの飼育箱に応じた人たちが住んでいる。かつて地域住民の暮らしを支える公的役割を担って委員活動していた女性も、老いた居住者として暮らしているので話してみると 「他人同士の支え合いで助けてもらうくらいならさっさと死んだほうがましね」 などと言うので驚いた。けれどそれがこの飼育箱で高齢に達した生え抜き居住者の意見を代弁しているのかもしれない。
 それでも隣人が悲惨な最期を遂げるのは耐え難いので、郵便ポスト、新聞受け、漏れてくる灯りなどに注意しながら、異変の兆候を見つけたらできるだけのことはしようと思っている。思ってはいるけれど果たして何ができるだろうと自分に問う時、寝タバコで焦げる毛布の煙が漏れ出したのに気づいた管理会社職員が異変に気付いて消し止め、それがきっかけになって老親を一人暮らしさせていた家族が引き取っていった、などという結末に安堵している自分がいる。ひどい話ではある。
 昨日の朝もドアを細めに開けて新聞を引き入れる老いた隣人を久しぶりに見たので「おはようございます」と声をかけたら。暗闇で鋭い眼光が一瞬光り、扉は貝のようにすっと閉じた。
 
Bricolage(ブリコラージュ) 2019.夏号 (2019年07月15日発売) より




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【ほんとうに大事なこと】

2019年11月22日
【ほんとうに大事なこと】


「そんなことをやってなんになるのか」と他人に言われるのではなく、心の中で自分にそう聞いてしまうほど夢中になって、ひとつのことに取り憑かれるのは楽しい。

そういうことのうちで最も高尚なのが哲学と数学だが、その逆で、最も程度が低くばかばかしく、おかげで他人にとやかく言われる筋合いのないこと、そういうものを見つけて打ち込める人は幸せだ。

六義園内にて 2019/11/20

「そんなことをやってなんになるのか」と聞かれて答えようのないもの、答える筋合いがないもの、それが人生を豊かにする、というかそれこそが人生の核だろう。ほんとうに大事なことには他人に対する答えがない。

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【明暗】

2019年11月22日
【明暗】



数学者の岡潔を読んでいたらこんなことが書かれてあったので、そのまま寄り道して漱石の『明暗』を読み始めた。

 情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎先生でも老年に至るほど境地がさえていた。だから漱石なら「明暗」が一番よくできているが、読んでおもしろいのは「それから」あたりで、「明暗」になるとおもしろさを通り越している。(岡潔『春宵十話』「宗教と数学」)

青空文庫で落として iPhone アプリの neo文庫で読み始めるに際し、初期設定をいじったら紙と刷り色のオプションが増えていた。いつからだろう。

グレーの地に白抜き文字の文芸書は読んだことがない。白い紙に文字白抜きのグレー一色刷りも、グレーの紙に白オペーク一色刷りも、技術的にもコスト的にも現実的でないので、こういう読書体験は電子書籍ならではだろう。

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【酔っ払いの夢】

2019年11月21日
【酔っ払いの夢】


気持ちよく酔って正体もなく眠り込んでも、酔っていない理性的な自分がいて、ちゃんと自分の世話をしてくれるおかげで、服を脱いでパジャマに着替えて自分のベッドで朝を迎える。ありがたいことに自分の中には、酔っ払いとは別に素面の別人がいるように感じていた。

六義園内 2019/11/19

珍しく酔って寝たのに未明に目が覚めた。夢を見ていたようでたくさんの友人が夢の中に登場していたが、彼らを相手に自分はへらへら笑いながら訳のわからないことを言っていた。酔っ払いが寝ているあいだ、夢を見ているもう一人の自分もやはり酔っ払っているらしい。

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【無声と有声】

2019年11月20日
【無声と有声】



細かいことにこだわらずに済ませてきた言葉がおざなりになっている。書かれた文字は厳格だけれど、話された声は見えるかたちで残らないので言い捨てられたままになる。

長いことアップル創業者のジョブズをジョブス、英国の哲学者ホッブズをホッブスと言ってきた。文字ではジョブズやホッブズと書くように自分を矯正したけれど、調子にのって話していると、ついついジョブスやホッブスと言ってしまう。

語尾が無声音のときは「ス」、有声音のときは「ズ」で、理屈はそうなっているのだけれど、なぜか「ズ」と濁らずに「ス」と澄ませて済ませたい傾向が自分にあるだのだろう。

六義園内 2019/11/19

喉で話すのが有声音、口先で話すのが無声音と覚えればいい。「ズ」と濁るところを「ス」と澄ませてしまうのは、気取って物をつまむとき小指を立ててしまうのと似ている。

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