寺田寅彦と土佐について

 寺田寅彦の作品ではあまり科学くささのないものが好きで、たとえば『写生紀行』とか『高知がえり』などは何度読んでも「いいなぁ…」と思い、読み返すたびに胸が熱くなる大好きな箇所がある。
 科学のことを書かなくても科学者らしい落ち着いた観察眼が身についているようで、極めて叙情的な事柄を書いていても情のいきおいに流されることがなく、ゆったり落ち着いたおかしみとかなしみが感じられて好きだ。
 かなしみに関しては、生涯に二度も配偶者を病気で亡くした事による寂寥感もあったろうし、自らが病気になって研究の第一線を退かなくてはいけなくなったという、生まれながらのひ弱さに対する諦念も底にあったかも知れない。そして郷里土佐で、自分が長宗我部支配郷士の血を受け継いでいるということも、なんとなく寺田寅彦の文章に浮き足立つことのないかすかな翳りをあたえているように思う。

 文久元(1861)年3月4日、土佐藩の井口村で上士と郷士の刃傷事件があった。
 土佐で上士というのは関ヶ原の戦いののち、山内家が土佐に封じられて入って来たとき、新たに支配層となった山内家臣のことであり、郷士とは長宗我部家の旧臣である一領具足(半農半兵の領民)層を懐柔するため新たに取り立てられた武士身分のことで、後者には武市半平太や坂本龍馬がいた。
 この上士(山内侍)と郷士(長宗我部侍)が引き起こした刃傷事件で、上士殺害(仇討ち)の責任をとって宇賀喜久馬が腹を切ることになり、その介錯をしたのが喜久馬の実兄である寺田知己之助で、寺田知己之助は寺田寅彦の父親だった。この時のことを寺田寅彦は『柿の種』にも書いている。

 安政時代の土佐の高知での話である。
 刃傷にんじょう事件に座して、親族立ち会いの上で詰め腹を切らされた十九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失心しようとした。
 居合わせた人が、あわててその場にあった鉄瓶の湯をその老媼(ろうおう)の口に注ぎ込んだ。
 老媼は、その鉄瓶の底をなで回した掌で、自分の顔をやたらとなで回したために、顔じゅう一面にまっ黒い斑点ができた。
 居合わせた人々は、そういう極端な悲惨な事情のもとにも、やはりそれを見て笑ったそうである。
(大正十一年四月、渋柿)(青空文庫『柿の種』寺田寅彦より)

 父親や叔父や曾祖母にあたる人の身も心も引き裂かれそうになる事件のことを書いているのに、情のいきおいに流されることがなく、ゆったり落ち着いたおかしみとかなしみをたたえて人間とは何かを観察していて、これもまた寺田寅彦らしい。


 司馬遼太郎の講演録のような本を読んでいたら、この土佐藩における差別的な身分制度のもとで、郷士にあたる人々はどのように堪え忍んで生きたかについて、なるほどと思う解説があった。
 最近は感心した箇所があったらどう感心したかを要約して、自分の言葉で書いておくようにしていると日記に書いたので、これも要約してメモしておこうと思ったけれど、文章より図に描いた方がわかりやすいので手帳にメモしてみた。図の意味はこういう事だ。

 長宗我部支配だった領民は、関ヶ原の戦いののち山内家の支配下になったが、たとえ土佐の地表に生えた作物が山内家のものとして収奪されようとも、地面から下の大地は相変わらず長宗我部支配の元にあると考えようとしていた。そういう一領具足(半農半兵の領民)層を懐柔するために山内家は、富裕層や新規開拓により増産に成功した農民を郷士として取り立て、その中より庄屋を任命した。だが、庄屋は上の山内家に仕えるのではなく一領具足のために尽力したし、一領具足は山内家ではなく庄屋に仕えていると考えていたという。そういう危うい考えを正当化し強化し忘れないようにするために、長宗我部支配の人たちは山内家の上位に天朝というものを設定し、土佐の国は山内支配も長宗我部支配もひっくるめて天朝が支配する天朝支配の国であると考えていたという。

 天朝さまは役に立つ神さまであり、そういう第三者的な視点を仮定してみることで、人は二者対立の行き詰まりから抜け出し、耐えがたい逆境をやり過ごしながら生きることができ、ときには笑いすら生まれることもあったのだろう。

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表面張力

 ハスの葉の表面で丸くまとまった水滴がコロコロと動くのを見ると水銀を思い出す。
 子どもの頃あやまって体温計を割ってしまったら、中の水銀が畳の上に転がり落ちて玉状になった。水銀は毒なので手で触ってはいけないと母親が言い、状差しにあった古葉書で掬い取ろうとするのだけれど、水銀玉は畳の上をコロコロ転がって逃げ回り、結局タンスと畳の隙間に転がり込むようにして見えなくなった。
「まあいいか…」
と母親は苦笑いしながらあきらめたが、毒だと脅かされたせいか、時々あの水銀はどうなっているだろうとタンスの下を想像しては気になっていた。小学校卒業と同時に慌ただしく引き払うことになった木賃アパートのあの部屋で、引っ越しの日にタンスの下から水銀は出てきたのだろうかと、雨上がりの木々を見たりすると今でも不意に思い出すことがある。

 ハスの葉の表面で丸くまとまった水滴がコロコロと動くのは、ハスの葉の表面に構造的・化学的に特殊な性質があって水を弾くようになっているからで、そのため水は丸まってしまい、理科的に言えばハスの葉は決して濡れることがなく、それをロータス効果という。

 葉っぱの上に水滴がのっているのに濡れていないとはどういうことだろう。
 真円状の水滴が平面で二等分されて葉っぱの上にのった状態、ちょうどお椀を伏せておいたようであるときに横から眺め、液体の縁と葉っぱ面の接点に接線を引くと真っ直ぐ上に伸び葉っぱとの角度が90度になる。水滴が平べったくなれば接線も水滴寄りの内側に倒れて90度以下に狭まり、水滴が丸みを増すと接線は外側に倒れて90度以上に広がる。理科的には、90度以下に狭まった接線をもつ平べったい水滴が葉の上にあるとき「葉っぱは水に濡れている」と言い、90度以上の接線をもつ球体に近い水滴をのせているとき「葉っぱは水を弾いて濡れていない」という。
 雨上がりの本郷通り沿いを歩いていたら、弾いて球状になった水滴をのせ、濡れているようで濡れていない葉っぱが植え込みにあった。植物の名前は知らないけれど、この葉っぱも相当に撥水性をもっているのだなと興味深く、写真を撮っていたら小学生時代の水銀玉を思い出した。

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あみだくじ読書メモ

 本はいつでも複数冊を並行して読むことになってしまう。
 読んでいる本の中で「ああ、このことについてもっと知りたいな」とか「ああ、この人の書いた本も読んでみたいな」と思うと忘れないうちにネットで調べて注文し、届いたら動機を見失わないうちにすぐ並行して読み始める。そうやって同時に読む本が増えていき、縦線が本で横線が興味の伝線経路というあみだくじ状になっている。
 そうやって選んだ本なのでどの本もけっして無関係ではなく、どこかで興味の糸が繋がっているので、その時の気分にまかせてどの本を手にとっても、とんでもない世界への飛躍に戸惑うこともない。あちらこちらに散らばった本の間を行ったり来たりしながら一冊の本のように読んでいる。
 郷里静岡にある大型書店が発行している郷土誌の編集委員を引き受けて十年近くになる。
 この夏は担当ページに原稿を書くため、幕末明治維新を生きた土着のやくざ者について調べ物をした。手始めにいちばんまともそうな本から読み始め、興味が枝分かれして読みたい本が増えていき、封建時代通史、やくざの民俗学、農民一揆や民権運動、明治メディアや文学論、国家論から演歌史までと縦糸が増え、やはり20冊くらいのセットになってしまったものを、1冊の本のようにだらだら汗をかいて読みながらだらだらと原稿も書いた。
 そういう読み方をしていてありがたいのは、ある人のわかりにくい文章でつっかかっても、別の人のわかりやすい文章でストンと腑に落ちたりすることだ。また、どの本にも書いてある定説であっても、複数の人によって別の語り口で語られると、微妙に違う陰影を帯びて立体化してくるのが面白い。部分としての「結論」ではなく全体としての「語り」の中にこそ、実は大切な筋が隠されているかもしれないということも学んだ。
 「なるほど~」と感心した部分はパソコンやスマフォに打ち込んで抜き書きし、あとで検索できるよう読書メモにしているのだけれど、ここに来て記憶力に年相応の衰えが出てきたのか、読み返してみても「こんな文章のどこに感心したのだろう」と首をかしげることが増えてきた。抜き書きというのは「語り」の文脈から切り離して「断片」を引き写しているのだから無効になりがちなのも無理はない。
 まるで酔っ払いのひとりごとを聞かされているように意味不明な読書メモばかり作っていても役に立たないので、最近は感心した箇所があったらどう感心したかを要約して、自分の言葉で書いておくようにしている。
 読みながら学生に戻ったようなミニ感想文を書いているわけだけれど、これはこれでなかなか面白い。やっているうちにわかったのは、自分の言葉で他人に説明するように書けないことは、抜き書きメモを作って読み返してみたところでしょせん身につかないということだ。
 著者になりかわって自分の言葉に言い換えて講釈を垂れてみると、著者が書いたものより自分が書いたものの方がはるかに読みやすくわかりやすい。蟹は甲羅に似せて穴を掘るというけれど、難しい術語を使わず分相応に平易な言葉を使って書けた読書ノートこそが自分の身の丈に合っているのだろう。
 そして平易に書けないことについては、沈黙するしかない(ウィトゲンシュタイン風)ということにしている。

(Bricolage 222号 2013年10月)

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毎日がロードショー(淀川長治風)

 はい、またお会いしました。
 昨日も特養ホームに行ってきましたねぇ、あなたに似た人が大勢いますねぇ、職員も利用者もみんなよく似ていますねぇ、それはそうです、よく似た人が集まって世話をしたりされたりしているから、みんなよく似てるんですねぇ。こんなに似た人が集まっている場所はとても少ないですねぇ。
 妻が毎日片道一時間以上かけて、特養ホームへ昼食食事介助に通うようになってもうすぐ二年になります、妻とはいえすごくすごくエライです、自分が恥ずかしくなりますねぇ。毎日からだをさすって手足を伸ばし、丹念に丹念に話しかけて刺激を送り、ひと匙も残さず食べさせて、栄養補助飲料を飲ませたりしてプラスアルファの栄養補給をするのですねぇ。
 毎日毎日やってるから、さぁ~姿勢がしっかりしてきました! 声が時々出るようになりました! 体重も少しずつ増えました! 嬉しいですねぇ、でもちょっと怖いですねぇ、このぶんだと100歳まで生きそうな気がしますねぇ、いま85歳だからまだ15年あります、この先15年も毎日食事介助に通うんですねぇ、嬉しいですねぇ、でもちょっと怖いですねぇ。
 特養ホームに行くと、ごくたまにですけど、毎日食事介助にやってくる家族に出会いますねぇ。祖母がいた特養ホームにも、はい、毎日昼近くになるとやってくるおばあさんがいましたねぇ。おばあさんだけど元気なので入所者じゃありませんねぇ、はい、彼女のお姉さんが特養ホームで暮らしているので毎日食事介助にやってくるんですねぇ。で、なんと食事介助が終わると一緒にベッドに入ってお昼寝するんです、姉妹と言っても90過ぎたおばあさんなのでよく似ていて、二人揃っているとまるで双子みたいですねぇ。しわくちゃの双子が一つベッドに並んでスヤスヤ寝息を立てている姿を想像してご覧なさい、可愛いですねぇ、でもちょっと怖いですねぇ、ホラーですねぇ。職員も困った困った言いながら苦笑してましたねぇ。
 妻が通う特養ホームにも毎日通ってくる女性がいますねぇ。昼ご飯は廊下におかれたテーブルで差し向かいになり、入所したご主人の食事介助をしながら一緒にお昼ごはんをするんですねぇ。古びたトランジスタラジオをかけてNHKラジオ第一を聴き、ニュースに続いて「ひるのいこい」が聞こえてくると、ああ、今日も元気に仲良く食事しておられるなぁと安心するんですねぇ、素晴らしいですねぇ。でも、ちょっと困るのは奥さんが自分のごはんを持って来ることもあるけど、お箸だけ持って来てご主人のを食べちゃう日もあるんですねぇ。ご主人のお昼ごはんはいつでも完食なんですけど、ご主人が全部食べたのか、奥さんが少し手伝ったのか、奥さんがほとんど食べてしまったのかは、職員がつきっきりで見ていないとわからないんですよねぇ。でも、安心なさい、いいんです、そんなことで死にゃあしません。
 それより、二人並んで寝てるとどっちが入所者かわからない双子みたいなおばあさんとか、どっちが食べたかわからない完食の「ひるのいこい」夫婦とか、そういう人たちが施設介護にどーんと風穴が空いたようにいて、家族介護の何とも知れんイタリア映画を観てるようなもやもやがあるの、いいですねぇ、ほのぼのしますねぇ、ちょっと心配ですねぇ、でもウキウキしますねぇ、これぞ人生ですねぇ。
 人生はウキウキして暮らせば楽しくてあっという間に終わりが来ますねぇ、はい、もう時間来ました。またお会いしましょう、さよなら、さよなら、さよなら。

(Bricolage 221号 2013年9月)

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