電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【二の丸の中華蕎麦】
【二の丸の中華蕎麦】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 3 月 29 日の日記再掲)
清水二の丸町に以前から気になって仕方のない中華料理店があり、母を迎えに帰省し、清水駅に降り立ったのが正午近かったので、ふらっと入ってみた。
チャシュウメン、五目そば、五目ワンタンメン、チャシュウワンタンメン……、店内の品書きを眺めながら腰をかけると、奥からお母さんが出てきて、
「うちはラーメンしかできないけどいいですか?」
と言う。
「うん、ラーメンをください」
と答えて入り口近く、店内を見渡せるテーブル席に腰をかける。
自然光の射し込む厨房が奥にあり、お母さんがラーメンを作り始める音がする。12時10分。高齢の客が二人、間をおいて入ってきて、
「ラーメン」
「ラーメン大盛り、しょんばくして(清水弁で『塩辛くして』)」
と声をかける。
今はお母さんひとりで切り盛りされているようで、三人の客が入れば既にてんてこ舞いである。お店の大きさ、調度の類、壁の品書きを見ればお母さんひとりではない時代があったはずで、お店の事情の想像がつく。女性は大概夫より長生きするわけで、切なくもたいへんだなぁと思う。
そういえば先月、母の用事で静岡県立総合病院を訪れ、帰りは新静岡駅までタクシーに乗ったのだが、運転手がヘルパーの資格を取ったという話になった。タクシー運転手をしながら、ヘルパーの資格を取るに当たって、何か事情があったのかと聞くと、
「資格っていうのはいくつ持ってても荷物にはならないんてね(ならないからね)」
といういかにもこの地域の男らしい答えが返ってきた。
で、ヘルパーの実地研修中に、男はなぜ女より早死にするか、という大問題の理由を突き止めたのだという。
「へぇー、どういう理由で女の方が長生きなんですか」
と聞くと、
「女は男ほど頭を使わないんて(使わないから)、その分長生きするだよ」
というたいへんな答えが返ってきた。本人はハンドルを握ったまま、いたって真剣に話しているので、可笑しくてたまらず、笑いをこらえるのに苦労した。
このお店のお母さんも頭を使わなかったのかしら……そんな無礼な想いを振り払って、離れたテーブルに座った客のデジカメに関する質問に答えたりしていたら、可愛らしいラーメンが金属製ののお盆にのって出てきた。
清水で知り合った商店主たちに、美味しい昔ながらの中華そばが食べられる店を何軒か教えて頂いたのだけれど、ここもまた昔ながらの中華そばである。東京はこってりギトギトどぶどぶで、もういい加減にしてくれと言いたくなるほどの変化球ラーメンが大流行だし、清水の町にもいかにもというお店が増えてきたけれど、この町には幸運にも時代に取り残されたという形で、古き良き時代の昔ながらの中華そばが残っている。
おいしい!
今まで清水で食べた昔ながらの中華そばでは一番おいしい。東京でも既にこんなまともな昔ながらの中華そばを食べさせる店はないのでは、と思う。真っ直ぐで腰のある懐かしい麺で、清水名物美味しい細葱がのせられ、そのスープは飛び切り美味しい清水の水で作られているのである。
古びた壁の品書きには、書かれた当時の値段が修正されないまま残っているので、今はいくらなのかなぁと想像しながら厨房のお母さんに声をかけると、そのまま
「300円」
なのだそうだ。ちょっと胸に迫るものがあって、
「ごちそさま、すごくおいしかった!」
と硬貨を手のひらにのせながら言うと、
「ほんとー、だったら良かったね」
と笑顔を見せてくれた。
帰省したら必ず立ち寄りたい店がまた一軒増えた。
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【私の青山】
【私の青山】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 3 月 5 日の日記再掲)
人間到処有青山
人間、急にスーツが必要になったとしても日本中いたるところに『洋服の青山』はあるから心配するな、という意味ではない。
東京で暮らし始めた母親が、清水に帰ったらいろいろ買い物がしたいと言い出し、清水銀座の手芸品店『和泉屋』さんに行きたいという。やっぱり東京のお店では駄目で何としても郷里清水のお店が良いのだそうで、慣れ親しんだ個人商店というのは、女性にとっては自分の箪笥の引き出しの延長なのかもしれない。
店内に入ったきりなかなか出てこないので、母を待つ間、向かいにある和菓子の『庵原屋』さん店頭で時間潰し。
吊し雛の左手に掛け軸があり、次のように書かれている。
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
男児志を立て郷関を出ず
学もし成るなくんばまた還らず
骨を埋づむる何ぞ期せん墳墓の地
人間到るところ青山あり
人間は「じんかん」と読み人の住む世界、世間のこと、青山は『洋服の青山』ではないし『青山墓地』でもないけれど「せいざん」と読んで墓所のことをいう。男子たるものやってくるぞと勇ましく誓って郷里を出たからには大願成就するまで帰らないつもりでいろ、郷里じゃなくたって何処にでも骨を埋める地べたはあるんだぜ、という耳の痛い詩で、幕末に尊皇攘夷の志士を数多く育て吉田松陰と並び称された海防僧月性の作とされている。
本によっては月性より十歳年下で彼を慕ったと言われる村松文三作とする説もあるらしい。ひょっとしたら、と「村松文三」で検索したら焼津市の公式サイト、焼津市歴史民俗資料館ページに村松文三に関する資料が紹介されているので静岡にゆかりでもあるのかしら、それで庵原屋さんはこの詩を店頭に掲げているのかしら、とも思うけれどそれ以上のことはわからない。
清水銀座深沢テレビ店頭で毎回立ち止まって眺めてしまうオープンリールデッキの名器【REVOX】
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【地には足を】
【地には足を】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 3 月 4 日の日記再掲)
清水平野の北西側には屏風のような山並みがあり、その頂上を鎌倉時代の武将梶原景時終焉の地ということで梶原山という。
ここに立つと東に富士山、そして旧清水市、旧静岡市が一望できる絶景の地なのだけれど、国土交通省の人々と飲み、度々引き合いに出されるたびにちょっと目眩がする。
僕はその山の麓で愛犬初代イビとゴロゴロ地べたを転げ回って育ったので、何度も頂上に立ったことがあるのだけれど、中学生になって改めて登った時、まず感じたのは生活世界を一望することの寂しさだった。
そのうち、一望にできる狭い地域なのに、興津方面、庵原方面、三保方面、清水市街地方面、日本平山麓方面……などなど微妙な地勢の差異によって暮らしぶりが異なり、実際に歩けば地域の見方感じ方が驚くほど違うことを、楽しみであり喜びと感じて生きて行こう、と考えるようになる頃には高校生になっていた。
「梶原山に登りましょう、そこから見渡せば静岡市と清水市を隔てる壁などないのです」
国土交通省の役人が飲み会の場でにこやかにそう語った時、お酒を噴き出しそうになったし、高校生の僕がいたら噴飯したと思う。それでも拍手する者もいて、そういう者たちの御輿に担がれて、いつの間にか清水市は静岡市に併呑されてしまった。
先日清水に帰省して国土交通省の面々と飲み、『Bay's』という広報紙をもらったら「新しずおか人よ、梶原山に上るべし」と題されて同じ論調のページがあって唖然とした。
宇宙船の窓から地球を見て、地球は一つ国境など見えません、などという感慨を口にするのもわからないではないけれど、現在米国主導の世界で起こっていることを見たら高校生でも噴飯すると思うのだ。まして故郷の小高い山の頂上でエセ・グローバリズムを叫ぶ愚行である。
「みんなちがってみんないい」と金子みすゞをひくまでもなく、違いのないように見えるものに違いを見いだして慈しむ暮らしが日本人の得意なことであり、その延長で経済発展も成し遂げたわけで、「違いなどない」と恥ずかし気もなく叫ぶ者たちが日本を悪くしているような気がする。
もういい、静岡と清水は一つになってしまったんだから。狂乱は終わった、新しずおか人よ山を下りて風土に根ざし、その恵みを活かした地道な個人主義に戻ろう、その総体がきっと地域の活力を作る……役人なんかやってるとそうも言えないのかなあと、貰ったばかりの広報紙をめくりながら国道一号線沿い、大曲交差点ののファミレスでひとり苦いビールを飲む。
時計は午前一時を回っている。
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