▼渭城朝雨潤軽塵

渋谷区代々木1丁目。

静岡県清水の高校を卒業して東京に出た年に、
こうしてこの路地の入口に立った。


撮影日: 07.4.16 10:49:17 AM

奥にあるノードビルはもちろん影も形もなかったが
手前のビルは当時からあった。
ただそれだけのことにも感慨がある雨の日。

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▼場所の記憶

静岡県清水桜橋町。

郷里静岡県清水でも比較的良く通る道であり、
時折ここで立ち止まらざるを得ない場所でもあり、
立ち止まるとついついこの異物にさわってしまうので、
この異物の写真を見せられて
「さてここは清水のどこでしょう」
と言われても答えられそうな気がする。



この場所は清水次郎長も何度となく通ったはずの古道である。

東海軒が静岡駅で駅弁を売る商売を始めるに際し、
権利を得るために一肌脱いだという次郎長も
この異物を見るとついついなでていた……という話しは
ありそうではあるけれど可能性はきわめて薄い。

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▼はちがや大坪町清水駅

かつて東京の電機メーカーでサラリーマンデザイナーをしていたとき、
ひょんなことで田宮模型のプラモデル、
そのパッケージを印刷している印刷会社社長と知り合い、
話を聞いたら静岡県清水市大曲出身とのことで意気投合して友人になった。


【静岡鉄道草薙駅にて】撮影日: 07.4.23 3:17:45 PM

田宮の模型のパッケージ、その製函していない校正刷りをサンプルに貰ったことがあるが、
精緻なことは版画芸術といっても良い出来映えだった。


【静鉄電車車内にて】撮影日: 07.4.23 6:55:56 PM

4月7日から5月20日まで静岡県立美術館で
「プラモデルパッケージ原画と戦後日本文化」
と題した企画展が催されているらしい。

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▼スケール

意味というものはわかりやすければよいというものでもない。

意味不明なるが故に心惹かれるということは
宣伝広告を有効なものとするための大切な効果のひとつである。

静岡県清水上清水町。
記念塔通り沿いにある「清水キーセンター」の看板。

ドアを開けようとしている男は囚人服のズボンをはいて
覆面をして鍵束を持っているので
これでもかとばかり賊とわかるようになっている。



一方、左でグローブをはめ、ボールを手に持った
野球中年オヤジは「先割れくん」にも似ているが
よく見ると巨大化した鍵であり
嬉しそうにしているのが何とも意味不明であり、
それ故に前を通るたびに見入ってしまう。
そういう意味で「清水キーセンター」の看板は成功している。

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▼雑誌【sizo:ka】2007年春号発売

清水市出身、清水市立第二中学の後輩でもある
本間英覚(さとし)さんが編集発行人をつとめる
雑誌【sizo:ka】(しぞーか)第5号が発売になりました。



表紙デザインは畠山香織さん、表紙イラストはさのまきこさんです。
特集は「街道沿いのものがたり」でなかなか面白い読み物になっています。



創刊号より連載させていただいている写真エッセイ、
今回は「君を呼ぶ日本平」と題して原稿を書かせていただきました。

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▼都市と死角

静岡県清水松井町。

文字や模様の部分を切り抜き、インキを通過させて文字や模様を印刷する謄写印刷の1技法、
もしくはそのための型紙をステンシル(Stencil)という。

原金釣船」という文字に思わず見入ってしまう。
ステンシルによって印刷された文字をステンシル文字と言うが
こういうステンシル文字の型紙には出来合いのものがあるのだろうか。


撮影日: 07.4.15 4:21:41 PM

ステンシル文字の型紙というのはバラバラにならないのはもちろんのこと
強度を保つために文字を変形省略せざるを得ないのだけれど
このステンシル文字の「船」という字など
良くデザインされているなぁと感心してしまう。

うーーんとしばらく唸ってから写真を撮ろうとしたら
向こうから富士山が覗いていた。
ステンシル文字に夢中で見入っていたので
背景は死角になっていたのだった。

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「人生すべてに意味がある」

静岡県清水上清水、大小山慶雲寺門前にて。

「人生すべてに意味がある」

世の中はそう思って生きている人がほとんどで
「人生はそもそも無意味である」などと斜に構えて生きる
一握りの人がいるのだろう。



「意味があると思って生きたけれど人生すべてが無意味だった」
と溜息をついて悲しんでいる人を励ますのは難しい。

「そんなことないよ!」
などと子どもみたいな言葉が口をついて出た夜を思い出す。

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▼清見寺の五百羅漢

江尻船溜まり岸壁際、河岸の市隣接の大衆食堂『どんぶり君』の釜揚げしらす丼。
 
先日美濃輪稲荷赤鳥居前の魚屋が送ってくれた茹でしらすも細かかったけれど
やはり『どんぶり君』の釜揚げしらす丼にのせられたしらすも細かい。
年をとった義父母には噛まずに食べられると好評だったしらすである。


撮影日: 07.4.14 8:21:35 AM

こういうしらす丼の絵を描こうと思ったら
しらすの部分はオートマチックな線で埋め尽くしたりするのだけれど
そういうのが嫌いなのでうんとアップにして
しらすだけを画面いっぱいに丹念に描いたりする癖が
子どもの頃からあった(描いたのはしらすではなく街や木々)。

とはいえたくさん描きたいので欲張ってしまい
時間内に半分程度しか描き終わらずに
無念の提出をすることが多かった。

それでも一所懸命描いたことがわかると褒められて賞を貰ったこともあるし
「コンクールに出してやるから家に持って帰って気長に仕上げてみろ」
などと言われたこともあり、小学校中学校を通じて
美術教師には恵まれていたと思う。

今自分が教師だったらそういう教師でいられるだろうか。

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▼一瞬の風景から

午前7時33分、沼津駅停車中の普通列車静岡行き車窓より。

最近は普通列車の長旅をする人が減り、列車の停車時間も短くなり、
駅弁業者の商売も大変だと思う。

それでも列車の旅を懐かしむ人々はいるので
大型スーパーやデパート地下食料品売り場では
「全国駅弁フェア」などが催されて
有名駅弁は買って食べることができる。



駅売りなどより有名駅弁を作って
全国から引き合いが来るようになることが
生き残り策なのかも知れないけれど
「昔ながらのラーメン」「昭和三十年代懐かしの味」のように
何の変哲もない普通の駅弁が恋しいなぁと思う。

左上「御弁当」710円の茶畑型ご飯の畝など
見ただけで懐かしさに胸がいっぱいになる。

入れ物が経木の木製なのでご飯が張り付いてしまっており、
割り箸で無理矢理剥がして残さず食べようとしたら
箸がおぞい(清水弁でおんぼろ)ので折れてしまったりした、
なんとも切ない汽車の旅をした時代を思い出す。

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▼おはようドリームプラザ

地元テレビ局の方からメールをいただき
ドリームプラザで行われるかも知れないイベントへの協力の打診であり
その中でドリームプラザには複雑な思いがあるのではないかと
書かれていたのでドリームプラザに関する日記を書いてみた。


撮影日: 07.4.15 7:54:00 AM

旧清水市にとっての世紀末は今振り返れば狂騒の日々であり、
旧静岡市との合併問題のどたばたもあり
今思えば嫌な時代だったなぁと思う。
そんな悪夢の時代にオーブンした(平成11年)ので
ドリームプラザは僕の心の中で損をしているのだと思う。

郷里清水に帰省して爽やかな朝に目覚め、
たくさんの友人たちとドリームプラザ前で出逢うとき
合併して良かったなどとは全く思わないけれど、
エスパルスドリームプラザがこの場所にあって
こうやって集まれる仲間がいて良かったと素直に思うことは多い。

余談だがドリームプラザ内のオープンスタジオで収録された
FMマリンパル出演時の録音CDはいただいたままいまだに聞く勇気が出ない。
単に恥ずかしいだけだ。

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▼竹取物語

タケノコ掘りを終え、手になぜかフキと竹材を持ち
「いーや~、困ーる~」
と笑いながら下山するかぐや姫と謎の男性。



フキはかぐや姫のお母さんが煮付けてくれるそうだが量が少ないので
「いーや~、たんだこればっかとってきて…!」
と言われないか心配である。

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▼花は流れて…

流れゆく桜を眺めていたら桜橋『櫻珈琲』の珈琲が飲みたくなり
空気バルブが壊れた自転車を修理して遊びに行ったら
「今夜、清水異業種交流新製品開発作戦会議をしよう(=飲もう)」
ということになり夜の予定が立って嬉しい。



両河内で兼業農家の友人を誘ったら
山菜や栽培野菜の手土産が届いた。
このウドはかんたんに表皮をむき生味噌をなすりつけて
そのままかじって酒のつまみにするのだけれど、
山の生気溢れる植物をかじりながらだと
悪酔いしないのが不思議である。

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▼銀座一丁目の階段

東京都銀座一丁目にある“気張った”宝石店(?)のビル。

ガラス張りのビル内部に螺旋階段があり、
ガラス張りであることにより内部にいる“気張った”人々が
上り下りするさまを見せる構造になっている。

最上階近くになると地上の人間には見えないだろうと思うのか
“気張り”が行き来届かずとっ散らかりが“ガラス張り”になっている。



東京都銀座一丁目にあるビルの非常階段。

郷里静岡県清水三保にあって今はもうない古い給水塔にも
こういう丸い輪っかの転落防止装置がついていたのを思い出す。



あんな輪っかが役に立つのだろうかと思うが
目を閉じて自分が炎や煙に追われてあの階段を下りる
非常時を想像してみると高所恐怖症なので
とても実用的であるように思える。

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▼ははくそちちくそ

子どものころ通学路で黒猫が目の前を横切ると
不吉なことがあると嫌われたものだが
日本中どこでもそういう迷信があったのだろうか。

僕は黒猫が好きで、あえて「不吉」というなら
短毛の白猫にそういう気配を感じて好きではない。



黒猫は街の黒子(ほくろ)のように感じられ、
風景の中に黒猫を見つけると世界の表情が変わって見える。

屋根の上でひなたぼっこをしているのだけれど
初夏を思わせる陽気のせいか
太陽の光を直接浴びると黒猫は暑いのかも知れず
微妙な位置にうずくまっているのが微笑ましい。

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▼パリのおのぼりさん

六義園内の池にやってきているおのぼりさん。

キンクロハジロの雄鳥なのだけれど
彼らはひどく警戒心が強く
こちらをにらむと鋭い目をしている。


撮影日: 07.4.9 2:14:12 PM

六義園内の池にやってくる水鳥は意外に少ない。
水質や環境は水鳥たちの暮らしにむいているような気もするのだけれど
池の岸辺の形状が上陸に適さないので水鳥に敬遠されているのではないかと思う。

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