ケヤキとヒマラヤとアネハヅル

六義園上空に木枯らしが吹き、ケヤキが種飛ばし専用に用意した小さな葉が枝を離れ、くるくると見事に回転するヘリコプターとなって舞い始めている。北西の季節風が六義園正門前に立ち並ぶマンション群に突き当たり、行き場を失って上昇気流となり、それに乗って空高く舞い上がる。

2004年の晩秋、末期ガンが見つかって上京し、六義園に面した窓際のベッドで寝ていた母は、風に吹かれて舞い上がる見事な飛翔をみて、子どものように目を輝かせていた。五歳年上の姉へ宛てた手紙にもそのことを書いたらしく、一度その光景を見に行きたいと伯母は会うたびに言っていた。

|ケヤキが種を飛ばすために用意する小さな葉っぱのヘリコプター|

休眠せずに夏越しをさせたシクラメンが今年もまた花を付け始めたので、南東向きの義父母の住まいに移し、朝になるとベランダに出して水やりをし、夕暮れ時になると室内に入れるのを日課にしている。カーテンを開けたら良い天気だったのでシクラメンを出し、ベランダを見たらケヤキのヘリコプターがたくさん着陸していた。

|ケヤキの種|

秋になるとチベット方面からアネハヅルの群れが上昇気流に乗り、8,000メートル級の峰々が並ぶヒマラヤを越えてインド方向へ渡る映像を見たことがある。六義園のケヤキは小さな種子を携えて上昇気流に乗り、10階建てのマンションを飛び越えて不忍通り方向へ越境している。

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暑さ寒さ

温暖な静岡県で生まれたせいか暑さには強くて、夏の炎天下で汗だくになるのは嫌いじゃない。寒冷な富山県で生まれた家内は暑いのが苦手で、秋の終わりを感じると、やっと冬が来ると言って喜んでおり、特養ホームで暮らす母親の元に毎日通って食事介護しているが、寒い中の外出自体は苦にする風もない。

子どもの頃は今よりずっと電気料金が高くて、
「またつけっぱなしにしてる、電気代は高いんだよっ」
と母親に怒鳴られたものだった。エアコンによる暖房も北陸育ちの家内はストーブと呼び、
「寒いからストーブつけようか」
と言うたびに笑ってしまう。

|17時10分電力使用率97%の警報が出た寒い夕暮れ|2012年11月28日|

電気料金が高いから灯油のストーブを使うのが当たり前だった時代からオール電化の時代になり、連日の寒さで東京電力管轄地域には夕方になるたびに使用率97%突破の警報が出ている。
「また流しっ放しにしている、水道代だってただじゃないんだよっ」
と叱られた水のように電力を消費していると、夏の暑さは工夫でしのいだが、冬の寒さの堪え方が思いつかず、暖かい布団の中にいると、こうなったら冬眠しかないかな…などと思ってしまう温暖な静岡県人である。

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冬の筆記具

ぺんてるのプラマンや筆ペンが好きだ。仕事の荷物を送る際に一筆箋でひと言添えるよう心がけ、筆記具にそれらを選ぶことが多いのだけれど、インクや墨が多めにのってしまうと乾くのを待つのがもどかしい。そういえば昔はよく吸い取り紙を使ったなと思い出し、ティッシュペーパーを押し付けてみたらインクが拡散して文字が太る。あの紙質も考えられたものだったんだなと思う。

そういえば昔はゆりかご型のインク吸い取り器を使っていたなと思い出し、あの「ブロッター」という呼び名は正しい英語だったんだろうかと検索したら若者の書き込みがたくさんヒットし、読んでみたら「ブロックされた~!」だったので笑った。やはり和製英語で Blotting Pad が正しいらしい。

Evernote 用の MOLESKINE が発売になったので使い始め、2012年10月5日から手書きの日記も付け始めている。筆記具として三菱鉛筆製の水性サインペン「PiN」PIN -103 が具合が良くて好きなので使っていたのだけれど、大宮の東急ハンズで見つけられなかったので、同じ三菱鉛筆製の水性サインペン「リブ」を買ってみた。「PiN」は書かれた線の太さが一定で良いのだけれど、インクが少なくなってくるとかすれながら書き味が悪くなる。その点「リブ」は使っていくうちにかすれなくて良いなと思っていたら、インクが残り少なくなり、握る手のぬくもりで内部圧が高まるのか、インクがぼた落ち気味になって芳しくない。

やっぱり「リブ」がいいと思いネットで探して取り寄せたけれど、寒くなったせいかやはり軸が暖まるとインクの出が良すぎる気がする。実際にそういう現象が起こっているのか、神経質になってそう思い込んでいるだけなのか、いずれにしても難しい。

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夢らしい夢

 2005年夏から足かけ4年片づけて解体整理した実家を、いまだに片付け続けている夢をよく見る。
 その片付けが厄介なのは、母親が帰ってきてまた一人暮らしを始めていることで、片付け帰省するたびにどんどん顔の色つやが良くなり、不治の病だった膵臓癌の完治も近いように見える。
 片付けは続いているのに暮らしがそこにあるので、年寄りが持て余しそうな貰い物がまた増えて山になりつつあるし、壊れかけたガラクタを買い込んできては、修理してくれと言って手を煩わせる。

|特別養護老人ホームのお誕生会|2012年11月26日|


 今朝は掃除機をかけてやっている夢を見て目が覚めた。掃除機をかけながら、古びたテレビを仕事場に設置させられたりし、夢の中の実家は散らかりながら元の姿に戻りつつある。母親は息子が夢を見る限り、ずっと夢の中で生きて一人暮らしを続けて行くつもりらしい。
 そんな夢らしい夢をいまだに見続けており、昨日義母が84歳の誕生日を迎えたので、来月母は82歳になる。

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書くということ

書くためには書くことが必要だと思う。もっと噛み砕いていうと「他人に読ませるために書く」ためには「誰かに読ませるためではなく自分で自分に向かって書く」という蓄積と余剰が必要で、それがないと書かれることが貧しくなると強く思う。蓄積と余剰さえあれば書くべきことは自然に溢れ出てくるもので、毎朝欠かさずウォーキングしていると咄嗟のダッシュも自然に身体が動いて苦にならないのに似ている。ウォーキングの方は最近サボっているけれど。

アウトプットをするためにはインプットが必要で、「書くためには読まなくてはいけない」と思って本を読んだけれど、アウトプットするためにはさらに多くのアウトプットが必要な気がする。肩肘張らず気張らずにたくさん書いていれば、ちょっとした量を肩肘張り気張って書くことも苦にならなくなる。

|駅前でビッグイシューを売っている男性がくれる手書きのお便り|

話を聞いたら話す立場になることは大切だし、文章を読んだら書いてみることも大切だ……と、至極当たり前のことを書いてみた。で、聞くことと話すこと、読むことと書くことの均衡というのは、自分のように凡庸な人間にとっては等量ではなくて、聞いたこと読んだことの数十倍も話したり書いたりしないと、自己満足にすら辿り着けない。「なぜ書くのか」の答えは「読むから」に他ならない。

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時間と距離--東海道線普通列車

この夏、編集委員をしている雑誌の取材で郷里の中学校へ行ったら、漁協からお土産に鮎が届いているという。教頭先生が

「帰りはどれくらいかかりますか」

と聞くので、興津から東海道線普通列車に乗るので約3時間と答えたら校長先生と顔を見合わせ、普通列車で東京まで帰るのかと驚いていた。

|根府川付近通過中の車窓から見た相模湾| 

普通列車でない早い方法を選ぶとしたら、興津から普通列車に乗って三島まで行き、新幹線に乗り換えて東京駅という経路になり、乗り継ぎさえ良ければ時間は約2時間に短縮されるが、1時間早いことによって料金は1,680円高くなってしまう。いまどき時給1,680円もらえて、仕事は好きな本でも読むか居眠りをしていればよい、というバイトがあるとすればまさにこれなのだけれど、そう言ったら

「それはそうですけど、鈍行で東京まではやっぱり信じられない」

と笑われた。時間と距離に対する感じ方は面白い。

■時間と距離--大宮の距離

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時間と距離--大宮の距離

埼玉の特別養護老人ホームで暮らす義母への面会には京浜東北線を使うことが多い。駒込からひと駅山手線に乗って田端に出たら、大宮行きはたいがい席が空いているし、帰りは大宮始発なので必ず座れるからだ。座って車窓風景を眺めているとずいぶん長い列車の旅に感じるのだけれど、それはたかだか乗車時間31分、東京と埼玉の県境である荒川を渡っての移動にすぎない。たかだか乗車時間31分と書いてみるとずいぶん近いが、実際電車に乗った感覚ではひどく遠く、その証拠に席につくなりすぐ眠くなる。

|特別養護老人ホーム裏庭に来た雀|2012年11月24日|

埼玉の老人ホームまで家内は毎日、自分は週末だけ面会に通っていると言うと、
「電車でどれくらいかかるんですか」
と聞かれ、
「はい、席についたとたん眠くなるくらい」
と答えると実感に近い。駒込から田端までひと駅山の手線に乗り、田端に着いたら3番ホームから1番ホームに移動し、南浦和行きではなく大宮行きを待つと、大宮駅に着くまでに1時間ほどかかる。正味電車に乗って座っている時間をさっ引いた分が、眠くなるほどに感じる距離の実体なのかもしれない。

「だったら駒込から池袋に出て埼京線に乗り換え、大宮まで行けば10分くらい早いですよ」
とよく言われるのだけれど、混雑する池袋駅乗り換えを思うと
「行きたくなくなるくらい遠く感じます」
と答えるのが実感に近く、時間と距離に対する感じ方は面白い。

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バス寸景--数独(Sudoku)

東大赤門前から秋葉原行きバスに乗ってきたスーツ姿の外人が、席に着くなりカバンから慌ただしく iPad を取り出して、手慣れた様子でせわしく指を滑らせ操作しているので、キーノートでも使っての学会発表資料整理とか、産学連携のプレゼン資料チェックでもしているのかと思ったが、万世橋バス停で下車する際にちらっと覗いてみたら数独(Sudoku)をやっていた。

「なーんだ」と一瞬思ってしまうのは、バスの中で資料を整理したり準備したりするのはインテリ、ゲームなんかやっているのはバカ、という思い込みが一瞬作動してしまうからで、バスに乗っている時ぐらいパズルゲームで息抜きでもしないとやっていられない学者やビジネスエリートである可能性だってあるのだ。第一数独は遊びとはいえバカではできず、バカは数字が苦手な自分も含む。

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Ema Personal WIKI

Androidで使えるローカルWIKIアプリをいくつか落として使いはじめたが、Ema Personal WIKI が群を抜いて使いやすい。

マークダウン書式とかWIKI書式というものがある。たとえば自分がやりたい文中の文字列から別の書類へのリンクはWIKI書式では、ネット接続を前提にして書かれるのだけれど、このローカルWIKIではその辺は簡単になっている。文章を書いていてある言葉に関する別なノートを作りたければ、Ema Personal WIKI ではカーリング・ブラケット {} で囲んでやると囲まれた文字列がリンクになる。そのリンクをクリックすると、文字列名のノートがあればそこへジャンプし、なければ新たに作られる。そういうリンクを利用して網の目のようにリンクしながら、考えたことを書きつづっていくのがローカルWIKIだ。


最上部の[Back][Home][Edit][Sync]四つの必要最低限なボタンがとても便利で、画面デザインもシンプルにまとまっている。Dropbox との連携もよくできていて、ちょっと心配だった自動同期もオフにして手動で行える。ログインして同期を開始すると Dropbox 内に Personal WIKI というフォルダが作成され、それらはテキストファイルなのでエディタでも読み書きできる。手動同期をするために[Sync]ボタンを押すと右上にプログレスバーが表示されて同期作業がちゃんと行われているか確認できて嬉しい。

 Mac OS や iOS で夢中になっているローカルWIKIアプリ VooDooPad では文字列からリンクを張って新しいノートを作ると、それ以降その文字列が登場する度にハイパーリンクになるので、たとえば「都合がいい」であれば、自分はこんな時にこんな都合で「都合がいい」を使っていたのかという気づきになって都合がいい。

 VooDooPad では何をしなくてもハイパーリンクになるのだけれど、Androidで気に入っている Ema Personal WIKI は文字列からノートへハイパーリンクさせるときカーリング・ブラケット「{}」で文字列を挟んでやる必要がある。そうやって意識的にハイパーリンクさせるのでは予想外の気づきにならないので、Androidでは新しいノートを作る度にその見出し語を{}つきで辞書登録してしまい、入力時に気づきが起こるようにしてみた。これは自分にとって 都合がいい のでよいアイデアだと思う。


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楽しいローカルWIKI

ウェブブラウザからWebサーバ上のハイパーテキスト文書を不特定多数の人が作成・編集できるシステム(コンテンツサーバ)をWIKI(ウィキ)という。手っ取り早い話ではWikipediaがその格好の例になっている。で、Wikipediaのようなハイパーテキストリンクでできたページを、たった一人でネットではなくローカルで作る仕組みをローカルWIKIという。

Androidで使えるローカルWIKIアプリをいくつか落として使いはじめたが、Ema Personal WIKI が群を抜いて使いやすい。

マークダウン書式とかWIKI書式というものがある。たとえば自分がやりたい文中の文字列から別の書類へのリンクはWIKI書式では、ネット接続を前提にして書かれるのだけれど、このローカルWIKIではその辺は簡単になっている。文章を書いていてある言葉に関する別なノートを作りたければ、Ema Personal WIKI ではカーリング・ブラケット {} で囲んでやると囲まれた文字列がリンクになる。そのリンクをクリックすると、文字列名のノートがあればそこへジャンプし、なければ新たに作られる。そういうリンクを利用して網の目のようにリンクしながら、考えたことを書きつづっていくのがローカルWIKIだ。

最上部の[Back][Home][Edit][Sync]四つの必要最低限なボタンがとても便利で、画面デザインもシンプルにまとまっている。Dropbox との連携もよくできていて、ちょっと心配だった自動同期もオフにして手動で行える。ログインして同期を開始すると Dropbox 内に Personal WIKI というフォルダが作成され、それらはテキストファイルなのでエディタでも読み書きできる。手動同期をするために[Sync]ボタンを押すと右上にプログレスバーが表示されて同期作業がちゃんと行われているか確認できて嬉しい。

ローカルWIKIで思いついたことをメモするようになって、意外なほどに書く量が増えたのは、他人に読ませることを前提にしていないからだろう。他人に読ませようとするとどうしても主題が気になってテーマ主義になる。テーマ主義で書いているとどうしても体裁を繕うし、テーマに沿うことで小さな無理が生じて小さな嘘が生まれる。

思えば小学生の頃からよく文章を書いていて、文章を書くことが一人遊びの一つだった。小学生時代は動物を主人公にした作り話をつくり、原稿用紙を綴じ表紙をつけて本の体裁にし、それは今でも捨てずに持っている。中学生になったら詩を書くようになり主人公が動物から自分になり、色気付いて好きな人ができ、自分と読ませたい人がテーマになってからテーマ主義の陥穽に落ちた。そして高校生になったら詩も書いたけれど一番書いたのが手紙で、他県の女子高生と文通を始めたからだった。手紙で動物を主人公にした作り話とか詩とかを書いて送ったら変な人なのでテーマは自分か相手の話題になり、そこにもまたテーマ主義の陥穽があった。テーマ主義は狭いので最初から既に終わっており、テーマ主義を捨てて書くということは起こり得る予期せぬ事態も許容することなので、いくら書いても尽きることがないわけだ。

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カレー南蛮百連発:040

 昼食を食べに出たらお目当ての寿司屋(本駒込6丁目の「まさひろ寿司」)が満席なので、白山通り巣鴨駅近くにある蕎麦屋に入ってみた。いつも店頭でそばを挽いて打っているので気になっていたのだけれど、あまりに駅前に近いせいか素通りしてしまうことの多い店だった。

 入ったらまず湯飲みと急須が出てきて、粉茶をひとさじ湯飲みに入れてからこれを注いで飲めと言う。言われたとおりにして飲んでみたらとてもおいしく、急須の中味はなんと蕎麦湯だった。カレーそばを注文し、時間をかけて出てきたのが、豚肉ではなく鶏の胸肉を使った正統派カレー南蛮なのでとても嬉しい。

|豊島区巣鴨1丁目「武蔵野」のカレー南蛮|2012年11月21日|

 東京のカレー南蛮は黄色い上に蕎麦が多すぎ、カレー風呂で蕎麦がのぼせてふやけ、丼から溢れそうになっているような代物が多く、ひどいときには箸が折れそうな力で蕎麦を掻き回すとカレーと出会えていない素の麺が見えたりする。この店のカレー南蛮はちゃんとカレーの海で蕎麦が気持ちよさそうに泳いでいて、こうでなくちゃいけないと思う。カレー南蛮という下手(げて)な食べ方でも、ちゃんと打った蕎麦はわかるものだなぁと感心し、一度ちゃんとざるを食べてみないといけないなと思った。

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石の上の搭

 編集委員をしている戸田書店発行『季刊清水』取材で県道196号線を川沿いにすすんでいたら道路脇に巨石があった。両河内中学校の生徒たちが聞き書きした『両河内と我が家の昔話』を読むと、安政の大地震で山から巨石が露出し、その後の台風による鉄砲水で転がり落ちてきたという言い伝えがあり、それらのうちの一つらしい。

 言い伝えによれば、その災害により上流部落が壊滅的な被害を受け、多くの遺体が流れ着いた興津川下流域では、それ以来欠かさず川施餓鬼を行って犠牲者の霊を慰めているという。今でも台風が襲来するたびに各所で土砂崩れが発生し、道路が不通になっていることも多いので、防災用の放送鉄塔を最も安定した場所に建てようとしたら、江戸時代から鎮座するこの巨石の上になったのだろう。

 2010年発行『季刊清水』の特集「飯田に親しむ」で取材させていただいた、清水区高橋のヤマベルさんこと山梨ベルタイマー製作の機器が取り付けられており、かつては半鐘を叩き続けた警報が、装置の蓋を開けてボタンを押すとサイレンが鳴り続ける仕組みになっている。巨石脇には停電時に備えて、旧来の半鐘もちゃんと設置されている。

 それにしても、そのままで観光名所になりそうな巨石の上に、鋼鉄の防災放送塔が建っているこの景色は、見た瞬間現代美術作品のような驚きがある。それと同時に命にに関わる災害を引き起こす自然の脅威に対する、ちっぽけな人間の畏れが表現されたもののようにも見えて、山の冷気を感じつつ背筋がぞくぞくした。

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蕎麦屋と風通し

 厨房から表通りに出られるドアがあって、いつも開けっ放しなので中が丸見えになっているような蕎麦屋やラーメン屋が好きだ。
 開店前の蕎麦屋だと蒸籠(せいろ)の簾(す)を洗って天日干ししていたり、ざるそばやカツ丼に使うための海苔を焼く良い匂いが漂ってきたりするし、ラーメン屋だとおじさんがしゃがみ込んで野菜の皮むきや水洗いをしていたりする。
 営業が始まると、蕎麦屋からは長靴を履いて岡持を持った兄ちゃんが出前のために出たり入ったりし、ラーメン屋からは溜まった生ゴミを捨てに出たついでに煙草で一服している料理人がいたりする。
 道路に面した勝手口が開けっぴろげになっているのは、風通しの良さだけとってみても快適に見えるし、外に向かってオープンキッチンになっているわけで、仕事に精励している姿を見せれば宣伝効果も兼ねている。

|大もりを頼んだらこの量。店を出る際に「ありがとうございました」を10回くらい聞いた|2012年11月1日|

 そういう蕎麦屋が出版社から路地を挟んだ隣にあり、ビルの出口から勝手口が真正面に見えるので一度入ってみたいと思っていた。マンション一階に店舗はあるのだけれど、入ってみると使っている道具が年季入りで、古くからこの地で商売していた店が等価交換で存続し続けているのかもしれない。
 びっくりしたのは店内からも厨房が丸見えという、内に向かってもオープンキッチンのようになっていることで、客と店員が相互によく見える。奥さんがお茶と品書きを持ってやって来て、注文を聞いて帰って行き、客がお茶を飲んでひといき入れる頃合いを見計らって旦那さんが急須のお茶を持ってくるのだけれど、その間合いをはかる息のあった連携が楽しい。昔はそういうタイミングで新聞を持ってきてくれる店もあった。
 なんだか風通しのいい蕎麦屋だなと感心して気に入ってしまい、味覚も文脈が大切で蕎麦の味だけがすべてじゃないなと思う。

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