海と山のあいだ

2017年6月29日
僕の寄り道――海と山のあいだ


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由比から興津あたりの海岸は山が海辺まで迫り、平野と呼べるほど平坦な場所がない狭隘な海岸線になっている。そのわずかに平坦な海辺を、旧東海道、JR 東海道線、国道、国道バイパス、東名高速という日本の動脈が束ねられたようにして通っている。

清水区由比の飯田八幡宮。手前の石段は45度くらいだから、奥の石段は60度に近い

旧東海道沿いには昔からの風情をとどめた民家が立ち並び、桜えびやしらす漁だけでなく定置網漁などにより、漁業で生計を立ててきた人びとが多い。家と家の間にある路地を覗くと、海側は浜に向かう漁師道、山側の突き当りには神社の鳥居と石段が見える。

 

清水区由比の飯田八幡宮。60度に近い石段を登りきったところ

漁に出た男たちの無事な帰還を祈る留守家族は、沖から目印となるよう常夜灯に灯明を絶やさず、沖の船に向かって灯をかかげる神社は、急峻な岩山の上にある。

 

清水区由比今宿の北野神社

見つけるたびに陸(おか)で待った女たちの気持ちになって、傾斜60度近くある石段を登ってみた。高所恐怖症なので振り向かず一気に登ると脚が痙攣を起こすほどきつい。きつい思いをして高い場所に灯をともさなければ祈りは沖に届かない。


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神沢川

2017年6月28日
僕の寄り道――神沢川


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雨が降っているので海岸に腰を下ろすわけにもいかず、原駅まで買った切符で乗り越して蒲原駅で降りた。編集委員をしている雑誌『季刊清水』の編集会議が清水であり、その途中の寄り道である。

蒲原から東海道を歩くのは初めてだけれど、亡き母は蒲原の町が好きで「よい町だから行ってみな」とよく言っていた。東海道五十三次をスケッチしながらこの道を歩いた山下清は、
「そばに山があって 道があって 道のそばににぎりめしをくれそうな家があって 海岸がちかい町というのは いい町だと思うんだけど ふつうの人はどう思うかな」
と書いていた。

新鮮と並んで親切とあるのがしみじみ。旧東海道沿い蒲原神沢の松下魚店(まつしたうおてん)

ふつうの人なので、親切そうな家を見つけてにぎりめしを貰うわけにもいかず、東海道を由比に向かって傘をさして歩いていたら、涼やかな音を立てて流れる小河川があって神沢川(かんざわがわ)という。蒲原から由比にかけては海岸近くまで山が迫った狭隘な地域なので、幹川流路延長 (かんせんりゅうろえんちょう)も 0.75 キロメートルにすぎず、それゆえに清らかな水質のまま駿河湾に注いでいる。その川にかかる小さな橋をわたったら道沿いにセブンイレブンがあった。

旧東海道にかかる橋から見下ろす神沢川

友人で酒飲みで飲み屋にうるさいカメラマンは、よい飲み屋が見つからないと最近はコンビニで飲むという。イート・インというそうでコンビニ内にカウンター席があり、酒もつまみも好みのものを棚から持ってくれば済むのが気軽でよいと言う。東海道に面して四、五人掛けの席があったのでにぎりめしとお茶を買って休憩した。

神沢川酒造場裏手

地元の酒では気軽に買えて飲み飽きない「正雪」が昔から好きでよく飲んでいる。蔵元の神沢川酒造場が東海道線の車窓から見え、一度行ってみたいと思っていた。煙突めざして歩いたら、名前の通り神沢川よこに佇む瀟洒な蔵で、「ああ、こんな空気感の中で醸されている酒なのか」と確認してうれしくなった。



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現実を離れる 50 の方法

2017年6月24日
僕の寄り道――現実を離れる 50 の方法

バス停脇にしゃがみこんでゲームをしている子どもがいて、やがてバスが来て乗客が乗り込み、発車したバスの窓から振り返っても、じっとうずくまったままゲームを続けていた。少年はこちら側ではなく向こう側に行ったきり現実に帰ってこない。そこがバス停であることも忘れているかもしれない。

|特養ホーム行きバスの停留所にて(2017年6月25日)|

そういう子どもを見るたびに、自分もこの時代に生まれたら、やはり同じような子どもになっていたかもしれないと思う。そうならなかったのは、現実を離れて向こう側の世界に行って遊びたいと思っても、そのための乗り物がなかっただけだ。

自分が子どもだった時代に、現実を離れて向こう側の世界へ行くため乗り物、その第一番目は本だった。本に夢中になっているうちに日が西に傾き、気がつくと薄暗くなって文字が読みにくく、仕方なしに現実に戻ると夕暮れ時になっていた。

子どもの頃は数えるほどしかなかった現実を離れるための乗り物が、おとなになるといくらでも手に入るようになり、容易に 50 程度は数え上げられるようになる。それらはたいがい金さえあればいくらでも手に入るものなのだけれど、その副作用として虚無ばかりが残る。

現実を離れた向こう側の世界から、こちら側にもどったら目にするものは虚無ばかり。往生際の悪いおとなが最後にとらわれるのは虚無としての死であって自業自得ともいえるのだけれど、向こう側から戻った子どもたちは虚無だらけのこちら側を、この先どう生きていくのだろう。


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ジャックと豆の木

2017年6月24日
僕の寄り道――ジャックと豆の木

子どもの頃に読んだ童話のジャックはまったくもってイヤな奴で、豆の木を上っていってぬけぬけと略奪と殺人をしでかす。そういう主人公に沿わなければならないことで、読後になんとも後味の悪さがのこる童話だった。

後味が悪いのはイギリス本国でも同じであるらしく、母親に諌められて改心したジャックが勤勉になったり、略奪した財宝がそもそもジャックの父親が盗まれたものだった、などという帳尻合わせ版も存在するらしい。桃太郎に似ている。

だいいち豆が人の登れる大木になるわけがないではないか、ばかばかしいにも程があると幼ごころに思い、そのままうっちゃっておいたので、いまでも大きな豆の木を見上げるたびに複雑な感慨がある。

マメ科の花蘇芳(ハナズオウ)

豆というのは畑で竹の支柱に絡まってひょろひょろと育つ一年草しか思い浮かばない子どもだったからで、多年草もあるし、低木も高木もあり、蔓で巨大化する藤もまたマメ科である、ということを知ったのはいい年をした大人になってからだった。

マメ科の槐 (えんじゅ)

幼い頃から植物図鑑が大好きだったという妻に聞いたら、やはり豆が木になるのをへんだなぁと思っていたらしいので安心した。子ども時代から大切にしている古びた「植物の図鑑」を開くと、ちゃんと「ふじ」と「はなずおう」が「まめ科」として並んで載っている。昭和の日本のジャックとベティには、豆と聞いても味噌汁に浮いているサヤエンドウしか思い浮かばなかったのだろう。


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砂と小石

2017年6月23日
僕の寄り道――砂と小石

砂と小石が集まってできる河原の風景は 、大雨によって生まれる激流という大蛇がのたうつことで激しく変容する。小学生時代、週末になると武蔵野原を流れる中小河川の川釣りに連れ出してくれたオジサンも、時をおいたことにより気に入りの釣り場だった河原がはげしく変容していることに驚いていた。

大磯の海辺を歩いたら小さな河口があった。砂をかき分けるようにして真水が間断なく海へと注いでおり、寄せる波と干渉しあって不規則な音が生まれているので、腰を下ろしデジタルレコーダーを置いて音の採集をした。

大磯の名にふさわしい長い砂浜に、とってつけたような岩の注ぎ口があり、そこで海水と真水が出会っている。人工ではないかと疑いたくなるような小さな奇観を眺めて三十分ほどぼんやりした。

帰京してもその風景が気になるので川の名前の手がかりを求めてネット検索したら、神奈川県足柄上郡中井町および中郡二宮町、大磯町を流れ相模湾に注ぐ延長 7.6km の二級河川で葛川(くずかわ)ということがわかった。

大磯の葛川という名前を足がかりにして更に検索したら、「葛川(くずかわ) 探訪」というページをつくって公開されている方がいた。作成日は 2011 年 9 月 24 日なので 6 年近く前なのだけれど、大磯の海岸にある河口風景がまったく違うので驚いた。

「葛川(くずかわ) 探訪」

日本全国で海岸の砂浜が侵食されて消滅しつつあるニュースを見るけれど、どう見ても砂や小石が新たに堆積して河口付近の岩場を覆い尽くし、河口までやってきた葛川の流れは新たな海岸に行く手を阻まれ、多くの水が伏水となって海に注ぐことで小さな流れを残す、この 2017 年 6 月の風景になったとしか考えられない。

川で起こるような砂と小石による景観の変化が海岸でも起こっているのだろう。面白いなぁと感動したのでここにメモしておくことにした。


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海辺まで

2017年6月17日
僕の寄り道――海辺まで

 東海道線二宮駅には小学一年生の年まで、両親に連れられて何度か降り立ったことがある。父方の伯母夫婦が住んでいたからで、伯父は「大磯ロングビーチ」のコック長をしていた。
 国道1号線沿いの吉田茂邸近くに家があったような記憶がある。毎朝サイホンで珈琲が入り、朝食には必ずエッグスタンドにのったゆで卵がつき、バターを塗ったトーストを食べるのが決まりのハイカラな家だった。
 二宮駅南口ロータリーには高木敏子によるノンフィクション小説『ガラスのうさぎ』にちなんだ像があり、線路沿いにぱ大磯方向に向かって可愛らしい商店街がある。
 商店街を抜け右折して 60 メートルほど歩くと大通りに出て旧東海道がそのまま国道1号線になっている。幼いころこの道を両親に連れられて歩いたのだと思う。

 東海道を大磯方面に 200 メートルほど歩くと大きな交差点があり、海岸方向へ右折すると 200 メートルほどで海岸に突き当たって丁字路になっている。丁字路を右に折れると西湘バイパス、左に折れると国道1号線バイパスになる。湘南の海岸はこのバイバスがあることで海辺への道が遮断され、ところどころに穿たれた薄暗い地下道を通らないと浜辺に出ることができない。
 交差点から海方向へ 100 メートルほど歩くとバイバスに並行した市街地道があり、それはちょうど海岸段丘の高みをたどる道になっている。湘南の海岸暮らしに憧れる人びとのために開発された住宅地なのだと思われ、右手には二宮町立二宮中学校がある。

 二宮中学校脇を過ぎて 250 メートルほど進むと道が海岸方向へL字型に折れて細まっている。直進できないのはその先が大きなゴルフ場になっているからで、ということはゴルフ場に沿ったこの道の先に必ず海辺へ出る地下道がある必要があるように思え、ずんずん歩いていったらやはりそうなっていた。


 海辺のレジャーシーズンにはまだ早いし、なにより平日(2017年6月16日)の昼どきなので人影まばらな海岸を歩く。30 分ほど録音機材を置いても人通りのなさそうな場所に腰を下ろして波の音を採集した。キス釣りに適した海岸だそうで、はるか遠く大磯方面をみはるかすと釣り竿が何本か立っていた。


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減塩だし醤油をつくる

2017年6月17日
僕の寄り道――減塩だし醤油をつくる

 減塩だし醤油がそろそろ無くなるので新しいのを仕込んだ。
 ベースになる醤油は川越から笛木醤油の「金笛 本醸造 濃口しょうゆ」を取り寄せてみた。Amazon で1リットル瓶が 1,039 円で売られており、3本たのんで 2,000 円以上の買い物になったので送料は無料だった。

 だしはスーパーで買ったヤマヒデの「業務用だし」で、さば節・むろあじ節・いわし煮干しをまぜた 150 グラムのもの。それにヤマキの花かつお 40 グラム、だし用利尻昆布も加えた。
 鍋に水を入れ、火にかけて沸騰させ、用意しただし用素材と乾燥昆布を入れる。アクを取りながら中火で10分程度煮立てたら火を止め、ペーパータオルを敷いたザルでこす。 料理用日本酒 360 ミリリットルを煮切ってアルコールを飛ばしておく。
 だしと酒が冷めたら、だし 1,140 ミリリットルと酒 360 ミリリットル、計 1,500 ミリリットルと醤油 2 リットルを混ぜ合わせて出来上がり。
 実はスーパーなどで売られている大手メーカーの醬油だと3リットル使わないとだしに醤油が負けていたのだけれど、今回の醬油だと2リットル加えたところで味見したらよい味になっていたので2リットルに減量した。


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波を聴く、石を拾う

2017年6月7日
僕の寄り道――波を聴く、石を拾う

郷里静岡にはかつて名峰富士と並び称され 500 年にひとり「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と謳われた名僧がいて白隠慧鶴(はくいんえかく)という。白隠は臨済宗中興の祖とされる江戸中期の禅僧で駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)の生まれである。

東海道本線下り列車が片浜を過ぎて原に向かう途中、線路際右側の墓地にある史跡表示に書かれた「白隠」の文字が車窓を一瞬よぎる。山下清の画集を見ると彼もまたその場所に立ち寄って写生しており、通るたびに気になる場所になっている。そこが白隠 15 歳の時に出家し、諸国行脚の末 16 年後に住職として戻り、83 歳で亡くなった松蔭寺である。

海岸に腰を下ろしてのんびり波音を録音したものを CD にしてときどき聴いている。そういう波音の採集という腹の足しにもならないことが楽しくて夢中になっており、年を取ったらそういう無益なことをして遊びたいと思っていた。

5 月 26 日は静岡で雑誌『季刊清水』の編集会議があり、東海道線に乗っていたらふと沼津千本松原の海辺に立ってみたくなって原駅で途中下車した。昼食時だったので旧東海道沿いにある昭和十年創業の中華食堂で昼食を済ませ、海辺に出られる道を探して歩いていたら、なんと「白隠禅師塔所」と刻まれた石柱があり、そうかここがあの車窓から見えた場所なのかとびっくりした。

さらに塔所と線路を挟んだ反対側が図書印刷沼津工場であるのにも驚いた。昔、編集者だった友人が出張校正に来たら、営業が「校正が出るまで時間があるので浜に出て石でも拾いましょう」と言ったと聞いて笑ったあの工場だ。なんと白隠禅師塔所と東海道線を挟んだ向かい側だったのであり、白隠さんに気を取られていて気づかなかったらしい。

印刷会社営業の飄々とした風貌と人柄もなんとなく記憶にあり、友人とふたり並んで浜に向かったであろう細道が図書印刷前にあったので、当時の様子を想像しながら波打ち際に出てみた。

雨上がりだったこともあり、風が強すぎて録音結果は芳しくなかったけれど、妙にほのぼのとした気分になり、目についた石をいくつか拾って帰ってきた。


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