【尾竹納豆】

【尾竹納豆】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 29 日の日記再掲)

北区田端、正岡子規の墓がある大龍寺近くの豆腐屋で『尾竹納豆』という珍しい納豆を見つけてふたつ買ってきた。「伝統を守る手作りの味」と銘打たれたパッケージは、おそらく版下画工と呼ばれた職人さんが、写真製版によらず、シアン版・マゼンタ版・イエロー版・墨版の4つの版下を手書きして製版していた時代のデザインだと思う。幼い頃のメンコや駄菓子の箱の印刷と同じだ。

どんな店が作られた納豆なのだろうと気になって仕方がないので、パッケージに印刷された住所を頼りに、JR 大塚駅から都電荒川線に乗り、町屋駅前で下車して『丸善尾竹納豆製作所』を訪ねてみた。

町屋駅前から北北東に進路を取って尾竹橋通りを直進すると、荒川を渡る橋が尾竹橋。その手前の一角が目指す荒川区町屋 6 丁目なので番地表示を頼りに露地を歩く。

あったあった! 全面ガラス戸張り、間口のちいさな民家の中は土間になっていて配達用の軽自動車の車庫も兼ねており、その奥が納豆の製造所になっているらしい。玄関脇には東京納豆製造業睦組合の会員証がかけられており、ガラス戸には「納豆一個から小売り致します」と紙が貼られている。ガラス戸をがらっと開け土間に立ち、奥に向かって声をかけると僕と同年配のご主人が出てきた。
「尾竹納豆をふたつ下さい」
と言うと、奥から作りたてを持ってきてくれ、200 円だという。
「実は田端の豆腐屋でお宅の納豆を買い、どんなお店が作られているのか確かめたくて」
と話すと、田端の豆腐屋の名前がすらっと出てきて笑顔になられた。一軒一軒のお得意さんを暗記するような地道な商売をされているのだろう。

   ***

懐かしいので 18 年ぶりに検索したらあの場所は更地になっていた( 2021 年 5 月 11 日追記)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【綿毛の旅立ち】

【綿毛の旅立ち】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 29 日の日記再掲)

タンポポの綿毛を見つける季節となった。子どものころは、駆け寄って手折って、みんなで一斉に飛ばしたりして、心から「綺麗だ」と思った。

今でも少しは「綺麗だな」とは思い、女性が隣りに居れば、
「綺麗だね」
という言葉が口をついて出る。そして
「(女って何歳になっても、こういうのを綺麗だと思う可愛い生き物だろう)」
という思い込みが男にはある。

そして女性は必ず、
「綺麗ね…」
と相づちを打ち、そこには
「(男って何歳になっても、こういうのを綺麗だと思う子どもっぽい生き物だろう)」
という思い込みがあるかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【水上特攻隊】

【水上特攻隊】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 24 日の日記再掲)

教師という職業は教えることが好きであることが、まず第一の資格なのだろうな、と郷里清水で中学時代社会科を教えていただいた恩師に電話し、三十数年前と変わらない話しぶりを聞いていて思う。

『乱れ撃ち清水ノート』に「謎の建物」と題して掲載した写真について、「戦争中に作られたもので、名前の通り小型船舶の格納庫なのです。船の名称は知りませんが、一人乗りの特攻船だったようです」と友人に教えていただき、数年前恩師から【清水海軍航空隊】に関する資料が送られてきたのを思い出したのだ。
「【清水海軍航空隊】と【特攻船】は関係があるのですか?」
ということが知りたくて恩師に電話してみた。

【清水海軍航空隊】は昭和 19 年 9 月 1 日、予科練教程専門の練習航空隊として静岡県清水市三保に開設された。戦局が悪化し、航空機の製造が間に合わず、本土決戦を決意するにいたり小型船舶等による体当たり攻撃を目的とした【水上特攻隊】が編成された。全長 15 メートル、幅 1.5 メートル、200 キロの爆薬を搭載して、時速 40 キロで敵艦に体当たりする乗員 2名のベニヤ製モーターボート【震洋(マルヨン艇)】を用いるため【震洋特別攻撃隊】と呼ばれたという。 

この建物は【震洋】を敵機の攻撃から守るための【覆帯壕(えんたいごう)】だったのだそうだ。

清水以外では、海岸の崖などに穴を穿って【震洋】を格納したのだけれど、三保は海抜 0 メートルに近い平坦な砂嘴なので、コンクリート製の【覆帯壕(えんたいごう)】が平地に作られ、これは全国的にも珍しいという。現在 9 基が残っており、清水市の文化財保護審議会で保存も検討されていたらしい。

蕩々と話す恩師の言葉を一言一句聞き漏らすまいとメモをとると、懐かしい清水市立第二中学校の木造校舎に戻ったようで懐かしく、教わることが好きであることこそ生徒の第一の資格だったのかも知れないなと、決して熱心な生徒でなかった自分が申し訳ない。嬉々として教えてくれる博識の師が身近にいることは人生の宝物だと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【煉瓦塀の秘密】

【煉瓦塀の秘密】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 23 日の日記再掲)

『乱れ撃ち清水ノート』のページに、郷里静岡県旧清水市かつての東海道沿いにある駐車場に不思議な煉瓦塀が残っているが、いったい何だったのだろうと書いたら、稚児橋たもとにある清水で一番古い割烹料理店『楠楼』さんの親戚筋に当たる友人が、早速問い合わせてメールで教えてくれた。この場所はかつて『杉浦生花店』さんがあった場所なのだけれど、そのお店の歴史を知らないので生花店と煉瓦塀が結びつかなくて不思議だったのだ。早速、謎が解けて嬉しい。

駐車場になっている場所の右隣は現在『ヤマグチ理容店』さんなのだけれど、その場所に昭和初年頃からパン屋さんがあり、そのパンを焼いた窯の名残なのだそうだ。パン屋さんの名前はわからないけれど、第二次世界大戦末期、清水大空襲により消失してしまったらしい。その後、お菓子屋さんが入ったりしたこともあるが、この煉瓦塀は消えずに残ったのだという。

清水の大空襲は市街地のほとんどを失うほど激しく、駿河湾に侵入した潜水艦からの艦砲射撃もあったそうなので、こうした古い建造物がその一部でも残っているのはとても珍しいことだと思う。

塀というのは不思議なもので、僕の生家と隣家の間にあるブロック塀は土地の境界線の真上にあって、塀の厚みを両家で折半している、というわけでもないらしい。この煉瓦塀モニュメントが残った事情も様々に類推できるので、清水市の歴史保存のため是が非でも保存した……というわけでもないだろう。

インターネットという便利な道具を得て、人から人へ口伝えで郷土の歴史を語り継ぐ貴重な「ふるさとの栞」になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ぼたとおはたき】

【ぼたとおはたき】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 15 日の日記再掲)

自分の日記を読み返してみると、2000 年 11 月 20 日の日記にこんなふうに書いている。

「割れた米を「ぼた」と呼ぶ地方もあるそうだ。ぼたで作った餅だから「ぼた餅」だというのである。「牡丹餅=ぼた餅」の異説である。いずれにせよ、食べ物を大事にしていた時代のお話だ」
 
牡丹餅・お萩というのは春と秋のお彼岸商戦に合わせて和菓子屋が付けた名前であり、もともとは「ぼた米」で作ったから「ぼた餅」だったと僕は思っている。ボタ山の「ボタ」とも語源を同じくしそうな穀類の屑である「ぼた」を、北陸では「おちらし」と呼び、郷里静岡では「おはたき」と呼ぶ。米俵の底をはたいて出てくる割れ米も大事に食べたのだ。その「おはたき」と「ぼた餅」を繋ぐものは無いのかしらと心の片隅で思っていた。
 
郷里静岡県清水の駅前銀座商店街。
すっかり人通りが少なくなったけれど、顔見知りの店主もいるこの商店街が、しばし介護生活から離れての買い物に都合がいい。

義父の食事にはスプーンより蓮華(れんげ)が適しているとわかったのだけれど、樹脂製の蓮華では可哀想なので、薄い磁器製の蓮華を買ってあげたかった。馴染みの『リビングハウスこまつ』で
「磁器のレンゲあるかな?」
と聞いたら、ベトナムで仕入れてきたという素敵なデザインのが見つかったので、義父が落としてもいいよう、あるだけぜんぶ買い込んだ。

続いて義父母の部屋の照明器具、そのグローランプが 2 種類切れていたのを出掛けにポケットに突っ込んで帰省したので、斜め向かいの電気屋に行き
「これと同じやつ」
と言ったらすぐに棚から取り出してくれた。すいている商店街というのは店主の応対もきめ細やかで、消費者にはかえって便利なのだ。

 
帰省するたびにシャッターを下ろした店舗が増えていくのだけれど、その前に荷物を広げて野菜や乾物を商う人たちが現れていて、わずかだけれど活力を補っているのがいいなと思う。戦後元闇市から発展した商店街を再生する鍵は、平成の闇市を復興することにあるのかもしれない。

清水駅前銀座商店街にて

何か買うものはないかしらと道端に並べられている商品を眺めていたら、「おはたきもち」なるものがあるのに驚いた。やはり、欠けた割れ米を集めて餅にした伝統食だという。この「おはたき(ぼた)もち」を丸めて餡をまぶしたものがきっと「ぼた餅」の原型だったのだろうと意を強くした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ヒマシ油】

【ヒマシ油】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 15 日の日記再掲)

ボーッと無表情な老人と、沈黙したまま食事をするのは万事に良くない影響が出そうなので、話題を見繕うのが僕の仕事である。

手の震えがある義父は箸の使い方が上手い。震える手でも箸を使うとご飯つぶひとつでもつまむことができるのが不思議で、お箸の国の人だなぁと感心する。それでも、こぼしてしまうような料理や汁物にはスプーンを使わされていたのだけれど、僕にはスプーンが非常に不出来な食器に思え、義父に蓮華(れんげ)をすすめてみたら、それがとても好評なので嬉しい。スプーンは平べったい皿からスープを飲む人種の食器であり、お椀から味噌汁を飲むお箸の国の人には蓮華が使いやすいと思う。

「平べったいスプーンで子どもにヒマシ油を飲ませるシーンが、昔、外国のテレビにあったよね」
と、話の抗口(言葉の手すり)を作ってみる。
「あった、あった、『ちびっこギャング』なんかによく出てきた。あのヒマシ油って何だったんだろう」
と妻が合いの手を入れる。
「子どもの頃、学校でよく飲まされた」
と義母が笑顔で言い、良く聞くと肝油と間違えているらしい。間違いをただそうとする妻に目配せしてしばらく肝油の話につきあい、さりげなく、それとは別のヒマシ油に話を戻す。
「ヒマシ油のヒマシって何だろうね」

富山で薬剤師だった義父が無表情に蓮華を使いながら
「蓖麻(ひま)だちゃ」
とボソッと言う。アフリカ原産トウダイグサ科の一年草で別名唐胡麻。楕円形の種子である蓖麻子(ひまし)を絞った独特な臭いのある油を蓖麻子油(ひましゆ)と呼ぶのだそうだ。
「何の薬なの?」
「下剤」
と義父。ヒマシ油は強い作用を呈する下剤で峻下剤、その反対を緩下剤と呼ぶらしい。

翌朝、事典で調べて、
「凄い、お父さんの言った通りだった!」
と家族の前で発表し、義父がニヤッと笑ったところで、家族は話の坑道を出る。
今日は介護保険で我が家の要所要所に、話の坑口ではなく、てのひらでつかむ手すりが増設される。

写真は義父母のパンを買いに出た早朝の本郷通り。銀杏の新芽が乳児のてのひらのようで可愛い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【投票所に行こう!】

【投票所に行こう!】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 14 日の日記再掲)

男は概して政治好きなのだろう。

義父はテレビの政治討論番組を見ていると、だんだん鼻息が荒くなり、パーキンソン病特有の震えが増幅し、
「何をだらなこと言うとる!(何をアホなことを言ってるんだ!)」
などと、富山弁でテレビに向かって吠えているし、当然、選挙は棄権などせず、年老いて東京に出てきてからも投票日には必ず清き一票を投じている。

一方、その妻と娘は選挙などにあまり関心がなく、日曜日は忙しく家事をこなして過ごしている。

今の政府と官僚たちが最も大事な任務である国民の暮らしの安全維持にちっとも役立っていない事に苛立ち、役立たずを選ぶしかない選挙制度に呆れ、返す刀で呑気に投票所に向かう家庭を顧みない男どもを冷たい目で見ている風すらある。

東京都知事選挙投票日。
「お父さん、選挙の投票に行くよね」
と、妻と義母の前でわざと晴れやかに言ってみせると、いつもなら
「行くちゃ!」
と、答えるはずの義父に元気がない。心が衰えれば、体も弱るのである。
「選挙なんだから歩行器なんかやめて、僕が手を引くから杖をついて颯爽と投票に行こう!」
と励まして出掛ける。
 
健康な人間にはすべての角が直角でできた四角い枠組みが身体に備わっている。対して、パーキンソン病の老人のそれは、平行四辺形に潰れようという力が働くようで、右手で義父の手を強く握ってコントロールしても、歪んだ枠組みが右斜め前方に押し潰そうとして義父の身体を苛(さいな)む。手を引いていなければ五回ほど転びそうな場面があり、いよいよ義父も杖をついての外出が困難になりつつあることを確認する。

投票所に、平行四辺形に潰れようとする老人の手を引いて入ってきた大柄な男の注目度は高い。

投票人は皆、脇に退いて義父のために道を空けてくれるし、選挙管理委員会の人々はスタンディング・オベーションのように、
「ご苦労様です!」
と、義父に最敬礼してくれ、ヤンキー・スタジアムに初登場した松井並みの歓待ぶりである。

被選挙人が気に入らなかったら白票を投じてでも、民主主義に基づく選挙制度まで放棄したわけではないぞ、良い候補者が出てくれば白票が有効票に変わって「だら(アホ)」な政治家を撃つ紙つぶてになるぞ、と意思表示し続けることが大切なのだ。これは良いことだ。手を引いているうちに、義父に手を引かれているような気がしてきた。

お父さん、もっともっと長生きしよう。
そして這いつくばってでも、投票所に行こう!

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【タンポポの長さ】

【タンポポの長さ】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 12 日の日記再掲)

コンクリートだらけの町を歩いていて、ちょっとでも土が露出している場所があると、タンポポの黄色い花を見る季節になった。

今年のタンポポはヘンだなぁと思う。
茎が短くて、もうないに等しく、誰かが花先を摘んで地面に撒いたように見え、それでいてちゃんと地面から生えて咲いているのである。見かけるたびに気になっていたのだけれど、今年はとくに極端に茎の短いものが多い。

どうしても理由が知りたいので調べてみたら、『科学する農業』というインターネット上のページに、軒先にタンポポを植えて季節の農作業の参考にされているお百姓さんの事例が一件だけ紹介されていた。(※ 2003 年 4 月 12 日現在)
 
10  月から 12 月にかけて積算気温の低い年は、タンポポはロゼット状に温かい地表すれすれで広範囲に葉を広げ、効率よく太陽光を受けようとする。そういう冬を経たタンポポは茎が短く、逆に言うならば、春に花開くタンポポの茎の長さを測れば冬の間の積算気温がわかるのだそうだ。

植物の仕組みに驚くとともに、科学するお百姓さんの知恵に感心した。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【桜の上の死体】

【桜の上の死体】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 11 日の日記再掲)

小学校低学年のころは、よく「ごっこ」遊びをした。
いちばん最初は戦争ごっこやチャンバラごっこ、そして最後は探偵ごっこだったような気がする。人間は本来まねをすることに快感を感じる生き物だとアリストテレスも言っていたらしいけれど、気持ちが良い「ごっこ」をしているうちに、それがいつの間にか「本職」になってしまったのが人生だったような気がする。人生ごっこ。

黄昏時、夕飯の買い物に外出したら、近所の駒込東公園で、散り敷く桜の花びらの上に死体が横たわり、警察官がかけつけて現場検証の最中で、立ち入り禁止のテープが張られていた。

テレビ番組収録の警察ごっこであり、巡邏(じゅんら)中の警官が何事かと寄ってきて偽警官と並ぶと、全く区別がつかないのも可笑しい。

口から血を流して仰向けに倒れている者は「死体ごっこ」をしているのであり、ストロボ付きのカメラを構えている者は「鑑識ごっこ」、そして柳沢慎吾は「刑事ごっこ」をしているのであって、ここにいる人は皆「ごっこ」をすることで名を売り、お金を稼いでいる「ごっこ」の専門家なのである。

人生「ごっこ」の中で、さらに「ごっこ」をしているわけで、俳優というのはつくづく面白い職業だと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )