電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【 4 コマの昼休み】
ベンチにひとり腰掛け、首をうなだれて俯(うつむ)く女性。
むかしは辛いことでもあって、思い詰めているのではないか。
肩を小刻みに震わせていると、泣いているのではないかと心配になった。
けれど最近の若い女性は、スマホを見てヒクヒク笑っている。
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【六月のきよしこの夜】
昼下がりの六義園正門前を、口笛で「きよしこの夜」を吹きながら、自転車を漕いで通過して行ったおっさんがいた。
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なんでこの初夏の陽気の真昼に「きよしこの夜」なのか、理由があれば理由を、あるいは理由らしき衝動があるのかないのかでもいいから聞いてみたい。
そして理由もなく不意に唇に浮かんだのなら、何が彼に「きよしこの夜」を吹かせたのかを、知れるものなら知りたい。
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【貝をうめる】
文京区本駒込3丁目。
都立駒込病院敷地は標高 20 メートルほどの台地になっており、昭和 49 年の工事中に縄文時代中期の貝塚と住居跡が発見され、『動坂遺跡』として東京都指定史跡になっている。説明板のそばに貝塚を顕彰した石造モニュメントがあるのだけれど、正面がガラス張りで貝塚を含む地層の断面見本が納められたユニークなものになっている。
これを見るたびに、「生」と「死」と「時」の、深遠な畏(おそ)れを覗き込むようで、なんとも不思議な感慨がある。新美南吉に『花をうめる』という作品があり、この貝塚記念碑を見るたびに慄(おのの)きながら思い出す。
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その遊びというのは、ふたりいればできる。ひとりがかくれんぼのおにのように眼(め)をつむって待っている。そのあいだに他のひとりが道ばたや畑にさいているさまざまな花をむしってくる。そして地べたに茶飲茶碗(ちゃのみちゃわん)ほどの――いやもっと小さい、さかずきほどの穴(あな)をほりその中にとってきた花をいい按配(あんばい)に入れる。それから穴(あな)に硝子(がらす)の破片(はへん)でふたをし、上に砂(すな)をかむせ地面の他の部分とすこしもかわらないようにみせかける。
「ようしか」とおにが催促(さいそく)する、「もうようし」と合図(あいず)する。するとおにが眼(め)をあけてきてそのあたりをきょろきょろとさがしまわり、ここぞと思うところを指先でなでて、花のかくされた穴(あな)をみつけるのである。それだけのことである。
だがその遊びに私たちが持った興味(きょうみ)は他の遊びとはちがう。おににかくしおおせて、おにを負かしてしまうということや、おにの方では、早くみつけて早くおにをやめるということなどにはたいして興味(きょうみ)はなかった。もっぱら興味(きょうみ)の中心はかくされた土中の一握(ひとにぎり)の花の美しさにつながっていた。
砂(すな)の上にそっとはわせてゆく指先にこつんとかたいものがあたるとそこに硝子(がらす)がある。硝子(がらす)の上の砂(すな)をのける。だがほんのすこし。ちょうど人さし指の頭のあたる部分だけ。穴(あな)からのぞく。そこには私たちのこのみなれた世界とは全然別の、どこかはるかなくにの、おとぎばなしか夢(ゆめ)のような情趣(じょうしゅ)を持った小さな別天地(べってんち)があった。小さな小さな別天地(べってんち)。ところがみているとただ小さいだけではなかった。無辺際(むへんさい)に大きな世界がそこに凝縮(ぎょうしゅく)されている小ささであった。そのゆえにその指さきの世界は私たちをひきつけてやまなかったのである。(新美南吉『花をうめる』より)
そんな情趣をもって眺めるとき、このモニュメントは病院前に相応しいかもしれないなと思う。
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【雨に向かって撃て】
1969 年のアメリカ映画『明日に向かって撃て』でバート・バカラックの「雨にぬれても」を歌った B・J・トーマスが亡くなった。78 歳。
雷雨になりそうな雲行きなので急いで午後の買い物に出て、マルエツプチの会計を済ませ、アザレア通りに出ようとしたら激しい雨になっていた。
「だいじょうぶ、ちょっと待てば止む」
と若いカップルの男性が言い、僕もそう思うけれど、そう思う人たちで出口が密になっていたので、勢いよく傘をさして通りに出た。
DATA: PENTAX Q-s1 + 04 TOY LENS WIDE 1:7.1 6.3mm
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【いつも心に色眼鏡を】
人を色眼鏡で見ることも役に立つ。
小林秀雄の妹が、田河水泡の義兄である兄のことを書いた自伝を読んだら、難解な彼の本を読んでいても、人間くさい小林秀雄が思い浮かんで居心地が悪くない。小林秀雄が嫌えない。
「兄は言いたいことをずけずけと言い、やりたいことをやった人で、誤解されることが多かった。虚無的な冷たい人、独りよがりの傲慢な男などと言われた」
けれど、まったくそうではない愛情深く脆い人だったと、妹がそう書いているので、そういう色眼鏡を通して読んでみると親しみやすい。
お札の中で仏頂面している福沢諭吉も、その精神に諧謔が占める部分が少なからずあったという話を読んで、そういう色眼鏡を通して気楽に『痩我慢の説』を読み始めたらひどく面白い。
『いつも心に太陽を』という社会派映画があったけれど、逆説的に「いつも心に色眼鏡を」も悪くない。人を好きになってみることに損はない。
DATA: PENTAX Q-s1 + 07 MOUNT SHIELD LENS 1:9 11.5mm
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 7 月 3 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 7 月 2 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 7 月 1 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月27 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月25 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月25 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月22 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 19 日の日記再掲
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【「違う」の方向】
言葉には無限の細部があり、人それぞれみんな違う、微小な違和が必ず含まれてしまう。その微小な違和に過敏である人は「違う!」と言って他人の言葉を遮る。
「違う!」と他人の言葉を遮(さえぎ)って自分の言葉で言い直すのを聞いて、周りの人たちは「え? ぜんぜん違ってないよね」と不思議に思う。
「私」には内なる個人的な私と、みんなの一員にすぎない一般的な私がある。両方向があってしまうのが「私」というものの宿命で、その折り合いのつけ方が、世間的な人づきあい、コミュニケーションを成り立たせている。
内なる声が聞こえすぎる人の「違う!」が外に向かうと他者に対して攻撃的でやかましい人になり、内に向かうと孤高で物静かな学者になったり、無口で頑固な職人になったりする。それもまた方向が異なるだけの「違う!」なのだろう。
以上「違う!違う!」「違うの!違うの!」「違うんだってば!」「だから違うって言ってるでしょ!」が速射砲的に声に出るやかましい人たちについて。
写真は駒込名主屋敷にて。門の脇の木戸を開けると敷地内に入って見学できる。いつ来ても見学者がいなくて一人になれるので好きな場所のひとつになっている。
DATA: PENTAX Q-s1 + 07 MOUNT SHIELD LENS 1:9 11.5mm
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 18 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 16 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 11 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 7 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 6 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 6 月 1 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 30 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 22 日の日記再掲
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【低体温】
土砂降りの雨の中、一時間に二本しか来ない病院集中地域の都営バスに乗り、順天堂医院7号館、新型コロナウィルス・ワクチン接種会場へ行ってきた。この真新しい建物に建て替わる前の病棟に、末期癌を患った母は入院していたのだ。
新型コロナウィルスの感染が広まって体温を測られる機会が増えた。体温など、自分で熱があるんじゃないかと思うときにしか測ったことがないので、測るたびに熱がある。当たり前だ。
熱なんかないと思うときに測られるようになったら、自分が低体温であることに気づいた。
かかりつけの歯科医院では、体温を測ってくれる女性看護師が
「先生、電子体温計壊れました。34 度なんていう変な数字しか出ません」
と言い、男性医師が
「死んでるんじゃないか?」
などとひどい冗談を言う。
ワクチン接種前の電子体温計で 35 度、その後わきのしたで計測しても 35 度で、係員が
「じゃあ 35 って書いといてください」
と言ったが、さすがに
「死んでるんじゃないですよね?」
とは言わなかった。
DATA: PENTAX Q-s1 + 07 MOUNT SHIELD LENS 1:9 11.5mm
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 21 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 20 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 11 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 17 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 9 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 4 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 8 日の日記再掲
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【注射と刺青】
今日は文京区が実施する新型コロナウィルスワクチン接種の予約日なので、接種会場として指示された御茶ノ水の順天堂医院に行く。
集中と行列を避けるためか指定された受付時間帯が 15 分と短い。会場には 1 時間に 2 本しか来ない都営バスで行く。それが気になっているのか、一緒に接種を受ける連れ合いの支度を急かせる夢を見た。
腕を肩まで出しやすい服装で来るようにと言われているけれど、なんと肌に派手なタトゥー・シールを貼っているので
「バカじゃないの」
と言ったら
「あら私はイイと思うわ」
などと笑顔で言う。こいつと一緒に接種を受けるのは恥ずかしいなぁと思いながら目がさめた。
DATA: PENTAX Q-s1 + 07 MOUNT SHIELD LENS 1:9 11.5mm
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 4 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 3 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 2 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 5 月 1 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 27 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 25 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 23 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 17 日の日記再掲
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【稲庭うどんを買いに】
貰いものにはまって稲庭うどん好きになった。こんなにうまいものとは思わなかった。急にうまいと感じたのは貰いものだからだろうか。それとも歳をとったからか。
いや製造元が良くて、うまいもんに当たったのかもしれない。貰いもののうまいもんを食べてしまうと、忘れられずに自前で調達したくなる。自前だと失敗したくないので、同じ製造者のを買いたくなる。おいしいギフトのおいしい市場原理だ。
散歩ついでに遠くのスーパーを覗いたら同じ製造者のがあったのを思い出し、往復 5,000 歩あるいて買いに行った。遠いので4袋6食分買い込んで帰る道すがら、近所のスーパーを覗いたら同じものがあって、1袋 50 円も安かった。
5,000 歩あるいて 200 円損したと考えるか、200 円で 5,000 歩分のカロリー消費運動ができたから相殺と考えるか。裏庭には二羽ニワトリがいて、稲庭には二把ウドンがいる消費計算。
DATA: PENTAX Q-s1 + 07 MOUNT SHIELD LENS 1:9 11.5mm
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 17 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 16 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 15 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 14 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 13 日の日記再掲
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 12 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編 15 】
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【勝手にサマータイム】
早寝と早起きはセットになっている。早く寝れば当然早く目が覚めるので、毎晩9時就寝と決めていれば未明に目が覚めてしまう。
未明に目が覚めると冬場はまだ暗いのでもう少し寝ようと頑張る。そのまま起きてしまうと昼間眠くて辛くなるからだ。
最近は目が覚めると外がもう明るい。明るいので起きてしまって仕事場に来ると、朝食準備に取り掛かるまで2時間ほどの自由時間がある。ごみ捨てをしたり、掃除をしたりしても時間が余るので、急ぎの仕事を前倒しして片付けてしまう。
冬場の早起きは午後になって辛くなるけれど、夏場の早起きはその日いちにちを楽にする。サマータイムは勝手にひとりでやるものだ。
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 10 日の日記再掲
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【清水さくらノート 2005 … 2 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 10 日の日記再掲
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【清水さくらノート 2005 … 1 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 8 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編 14 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 5 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編 13 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 5 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編 12 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 5 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編 11 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 4 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編 10 】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 2 日の日記再掲
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【橋と希望】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 4 月 2 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編9】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 30 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編8】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 30 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編7】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 28 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編6】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 28 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』旧東海道編5】
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【占春池】
久しぶりの晴れた午後になったので散歩に出た。文京区立林町小学校先にある坂を下ると氷川下に出る。
氷川下から湯立坂を登りかけて右に折れると『教育の森』の占春池があり、コロナ禍の日曜日ではあるものの開放され、家族連れの子どもたちがザリガニ釣りをしていた。
江戸時代は守山藩松平家中屋敷の占春園内、その後は母校の敷地内となった池だけれど、在学中はあまり近づいたことがない。たしか小さな保健室があり、体調が悪いと診察をうけ、病気やケガが重いと裏木戸を開けてもらって氷川下のセツルメント病院に行き、待合室で赤旗を読んだ。
帰宅して歩数計を見たら1万歩をクリアしていた。同級生だった妻に
「占春池が開いてて子どもたちがザリガニを釣ってた」
と言ったら
「昔からザリガニ釣りの穴場だったからね」
と言う。そうだったかなあ、と思う。
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 27 日の日記再掲
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【清水ことばで語るフラットな羽衣伝説】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 24 日の日記再掲
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【生ジュースの来た道】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 22 日の日記再掲
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【どこかで春が】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 22 日の日記再掲
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【花の命は短くて】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 20 日の日記再掲
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【選挙カーで清水駅まで】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 15 日の日記再掲
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【甘辛しゃん】
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【団飯】
国木田独歩『忘れえぬ人々』を山田太一が褒めているので、読んでみると団飯と書いて「むすび」とルビを振っている。幸田露伴『雁坂越』にも同じ用い方がある。
鉄砲撃ちをした祖父と叔父は山に持っていく握り飯を「むすび」と言っていた。柳田國男『山の人生』にも団飯が出てくるけれど、そちらには「にぎりめし」とルビがふられている。
山田太一の本は『月日の残像』より「武蔵溝ノ口の家」。
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 15 日の日記再掲
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【猫のバカ】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 5 日の日記再掲
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【日本平と春の声】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 3 月 2 日の日記再掲
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【金を出せ!】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年3 月1 日の日記再掲
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【判子は笑う】
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【ガルネリ】
「バイオリンの二大名器といえばストラディバリともうひとつは……」
という話題になると、つい
「ズブネリ」
と言ってしまい、
「違った、ズブネリは相撲の決まり手だった」
と言うと
「どんな決まり手?」
と聞くので
「やってやろうか」
と言うと
「やだ」
って言う。
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 12 月 23 日の日記再掲
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【ジーンズが G パンだった頃】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 12 月 21 日の日記再掲
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【占有と力】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 12 月 4 日の日記再掲
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【ちいちいとちんちん】
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【思いつき人間の逆襲】
【思いつき人間の逆襲】
スマートフォンの画面にメールの着信通知が一瞬表示されたのを見たけれど夢だったらしい…ということがときどきある。今朝も夜中に着信したはずのメールがない。一瞬表示されて見えなくなる通知画面の仕組みが夢に適しているのだろう。
とっさの思いつきもスマートフォンの通知機能に似ている。考えの片隅に一瞬だけ通知画面が現れたとき、それをとっさに行動に移せる人種がいて、家族に「思いつき人間」と笑われ、疎まれ、呆れられる。
わが家だけの家庭内スラングかとネット検索したら、ちゃんと「思いつき人間」は人種として存在するらしい。ロダンのブロンズ像「考える人」はその逆で、スマートフォンをいじりながら通知機能オンの設定が見つけられず、ずっと「考えたままの人」になっている。
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 12 月 4 日の日記再掲
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【地図を塗る】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 12 月 1 日の日記再掲
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【こだまの人々】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 29 日の日記再掲
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【地縁】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 28 日の日記再掲
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【曽祖母の菓子櫃―8の字―】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 27 日の日記再掲
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【街の化石】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 26 日の日記再掲
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【ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 24 日の日記再掲
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【チャンチャン井戸】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 22 日の日記再掲
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【くだらなさ礼賛】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 21 日の日記再掲
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【「はい」のある倉庫街】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月19 日の日記再掲
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【清水でゴミを考える】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月17 日の日記再掲
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【ちちろ鳴く頃】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月14 日の日記再掲
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【皇紀二千六百年】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月13 日の日記再掲
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【生産と再生】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月12 日の日記再掲
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【オモチャの綿井(ワタイ)】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 7 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』志みづ(しみず)道編】
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『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 6 日の日記再掲
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【浄念川ポロロッカ】
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【煙草の小箱】
【煙草の小箱】
結核で片肺になった母親の介護が始まるのをきっかけに喫煙をやめて 18 年ほどになる。喫煙の愉しみもすっかり忘れてしまったけれど、きのうふと懐かしい煙草の記憶がよみがえった。
母親の介護が始まったころネット上に書いていた日記をアーカイブしてあったので、なつかしく読み返し、手を入れながらブログに再掲載している。
その中に好もしい色合いをした写真があり、撮影したカメラを調べると当時発売になったばかりの機種で、レビューを読むと「スクウェアな煙草サイズ」などと書かれている。おそらく非喫煙者ではわからない手のひらの記憶が、あの小箱のサイズを懐かしがっている。
たぶんなくしてしまったそのカメラを検索したら完動品が 1,000 円で売りに出ていて、むかし好きで吸っていた煙草( なんと一箱 570 円もするのだという)ふたつぶん以下の値段になっている。時代遅れのカメラは捨て値になり、いまは煙草が驚くほど高い。手のひらが懐かしがるので再度手にとってみようと注文した。
***
今朝届いた。お茶代の振り込みのため郵便局に行く途中で試し撮り。
梅雨のような天気が続いたら、上富士交差点にキノコが生えていた。小さいし、使いやすいし、よく写るし、やはりこの子は名機なのではないか。
◉
『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 25 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編4】
『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 26 日の日記再掲
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【清水・地ラーメン考】
『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 27 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編5】
『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 29 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編1】
『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 31 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編2】
『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 1 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編3】
電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 2 日の日記再掲
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【粉骨砕身ミナト市場】
電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 3 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編4】
電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 4 日の日記再掲
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【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編7】
電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 11 月 5 日の日記再掲
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【静鉄有情(うじょう)】
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