▼iPhone を使い始めたら pomera が楽しくなった話

 

このところまた pomera を見直している。
ものを書いている際に、インターネットに繋がっていないことで、気が散らないメリットを感じられる人間にとっては、やはりこれはよい道具なのだと思う。そしてとても見やすい液晶画面を眺め、のんびり時間をかけて思いついたことをメモしていても、バッテリーの消費をほとんど気にしなくて良いのもメリットで、情報や機械に追い立てられている感覚がない。



pomera DM20 でこのブログを書いてみた。


そんな良さを感じつつも、ときには書き上げたものを吸い上げてネットに投じて再利用したいこともあり、pomera と正反対の喧しい道具である携帯電話に QR コードを利用して文章をコピーできることを思い出した。ほんの数ヶ月前まで、QR コードを読める携帯電話など持っていなかったので忘れていたのだけれど、iPhone が手元にあることで可能になったその機能を思い出した。



pomera DM20 で QR コード表示。


pomera が画面上に生成する三次元バーコードには全角 200 文字しか入らないので、それ以上の長文は 200 字ごとに分割されて複数のバーコードになる。iPhone 側では読みとった複数のバーコードを再び一つのファイルに結合できるバーコードリーダーアプリが必要になる。その機能を持ったアプリが手に入ればできるとネット検索したら、なんと一年以上前に KING JIM から iPhone 用に、公式 QR コード読み取りソフトが無償配布されていたことを知った。



表示された QR コード。


さっそくその専用ソフトを App Store 経由で iPhone にダウンロードし、本当にできるかどうか試してみたが、これがまたあっけないほど簡単でびっくりした。pomera 側で「ツール」→「 QR コード作成」を選ぶと分割コードが作成されるので、iPhone 側でアプリを起動して「全文コピー」ボタンを押し、iPhone を pomera の画面にかざすとさっさと自動認識して読み込んでくれる。バーコードの数だけそれを繰り返すとちゃんと結合されて取り込まれている。わずか数十秒でおしまい。



iPhone に読み込まれたので evernote に送信。


取り込み後の機能がふるっていて、メールでの送信以外に、Evernote に送信して新しいノートを追加することもできるし、なんと140字以内に分割して twitter に投稿することもできる。あまりに簡単で早く、ソフトの出来映えがよいので、pomera と iPhone がそれぞれの拡張機器のように思えてきた。これはいい。

 
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▼親と子のかなしみ

毎週土曜日、さいたま市にある特別養護老人ホームで暮らす義母に面会に行くようになって一年以上が経過した。同じユニットで暮らすご婦人が7月10日に誕生日を迎えて100歳になる。去年99歳の誕生会に居合わせ、大丈夫、こんなに元気なら100歳の関門を楽々通過できるだろうとは思ったが、実際その記念すべき誕生会が目前に迫り、特養廊下にポスターが張られているのを見て「ああ良かった…」と感慨深い。




特養行きに利用できるバスの運行表


義母はこの一年でますます呆けが深まっている。足かけ7年在宅で両親の介護をした妻は、入所ケアが始まってからも献身的にがんばって両親のため飛び回っている。二人が一人になって楽になったでしょうと言われるけれど、義父が他界して義母一人になった分、二人分の愛情を義母のために集中してがんばっていると思う。愛というのはそういうものだ。



特養通いで通過する田端駅にて


最近はだんだん娘のことを叱りつけるようになってきた義母を見ていると、義父もそうだったけれど、娘が身を粉にして親のために尽くしていることも、もうわからないのだろうなと思う。

年をとり病気になることはやはり障害を負うことである。障害の子がいる親の心情が、障害の子がいる親にしかわからないと言われるように、障害の親がいる子どものかなしみは、障害の親がいる子どもになってみないとわからないと思う。亡き実母のことを重ね合わせて心からそう思う。

 
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▼教育の森と飛鳥山公園

 

仕事が一つ仕上がったので近所の出版社まで歩いて納品に出かけた。学生時代は北区西ヶ原に住んでいたので、交通ゼネストなどで通学の足がなくなると、本郷通り、不忍通り、春日通りと歩いて大学まで通った。そういう懐かしいルートをたどって納品に出かけた出版社は、今はもうない母校脇にあり、母校の跡地はいま文京区教育の森公園になっている。

公園内のベンチに設置されている女性の彫刻は朝倉響子作「フィオーナとアリアン」という。かつてこの芸術の香りがする一角に古びた木造校舎があり、名前をS館といった。そこで週一回デッサンの授業を受けていたのだが、美術クラブに所属したことがないので人体デッサンは初めて、しかも裸婦だったのでひどくどぎまぎした記憶がある。

大人の休日切符を利用して新潟から友人夫婦が遊びに来たので仕事を早々に切り上げ、北区王子の居酒屋『山田屋』に飲みに出た。すっかり酔いが回ったので勘定をして店を出たものの、まだ外が明るかったので、幼い頃よく遊んだ飛鳥山公園に行ってみた。



王子の大衆居酒屋『山田屋』にて


同い年の友人のお父さんは元国鉄の機関士で、奇しくも我が母が他界する二日前に他界されており、今年がともに七回忌となる。かつて長岡機関区に配置され、おそらく彼の父親も運転したであろうD51が、飛鳥山公園に保存されているので見に行った。冬になると新潟では列車ダイヤの隙間を縫って、貨車に雪を積み、蒸気機関車で引っ張って信濃川に架かる鉄橋上から投棄していたそうで、運転する父親の脇に乗せてもらったこともあるという。そのせいか今にも運転して発車できそうなくらい蒸気機関車の操縦法講義は堂に入っていた。



夕暮れの飛鳥山公園あたり。路面電車は右に坂を下り王子駅前に向かう。


臨時SL運転講座聴講を終え、本郷通りを駒込まで歩いて帰った。西ヶ原一里塚や大蔵省印刷局脇を通り、学生時代四年間このあたりから大学に通っていたのだと説明した。結果として今日一日で飛鳥山公園近くから教育の森公園まで、学生時代の通学コースを通して歩いたことになった。

 
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【墓参りのついでに編集会議に出た話】

【墓参りのついでに編集会議に出た話】
 

午前9時12分発の高速バス『駿府ライナー』に乗って帰省した。新宿のバス乗り場が新しくなり、新宿といっても代々木駅が圧倒的に近い。前回は新宿から大変な距離を歩いたので、今回は代々木駅まで行って引き返そうと思ったら、ホームに大変な人数の乗客が溢れており、次の代々木で降りるのが大変そうなのでやはり新宿で降りた。



いつもの大内田んぼ。この畦の角に大きなカメがいていつも甲羅干しをしており、頭上に人影が見えると亀とは思えない俊敏さで逃げていく。


予定時刻より20分も早く押切バス停に着いたので中華料理店『炒炒』で昼食を食べた。このところカレーづいていて、ふとカツカレーが食べたくなって注文したらなかなか美味しかった。いつも通りふれっぴー高部店で墓参り用の花を買ったらレジに二人の女性がおり、左の人はいつもの人なのでいつもの人の列についた。墓参りのような外出だといつも通りが恋しい。



塩田川土手には紫陽花が咲いていた。


母は「墓参りはついでにするもんじゃない」というのが口癖だったので、今回の帰省は墓参りのついでの『季刊清水』編集会議ということにした。この先の山沿いに鎌倉時代以前からある古道を辿って曹洞宗の寺へ向かう。もっと近道があるのに、遠回りしていつもの道を歩きたくなるのも墓参り故だと思う。



塩田川の取水風景。


梅雨で雨降りが続くので塩田川も水量が多く、水際の土もずいぶん削られているのに驚く。お百姓が雨上がりのゴミ掃除をしていたのでそばに行ってみたら、こんな工夫で川の水を水田に導いていた。塩田川もそうだが巴川流域の支流は扇状地から流れ込むので天井川となって住民を困らせてきた。土手に穴を空けて塩田川の水を田んぼに導くため、少し上流をせき止めて水位を上げ、パイプを用いて導く工夫をしているのだった。



桜橋駅を通過する貨物列車。後に見えるのは文殊神社。


墓参り後、桜橋『櫻珈琲』に寄ってご商売の相談にのりながらビールを飲んで歓談し、17時からの会議に間に合うよう桜橋から静鉄電車に乗った。

「肉親がいなくなった郷里に帰省して感傷に浸るまいと努力するのは『お前はアンドロイドだ』と自分に言い聞かせるのに似ている。iPhone だけど。」(桜橋ホームからのtwitter投稿)

 
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▼池上本門寺門前までカレーを食べに行った話

 

久しぶりに昼食時一人だったので、以前から行ってみたかった池上本門寺門前の蕎麦屋まで出掛けてみた。



東急 池上線 蒲田駅


東京都大田区池上2丁目にある『蓮月そば店』は昭和初期に建てられた店舗を大切に使われており、テレビ番組で見た瞬間に感動したが、番組自体の主旨は建物がオンボロでも美味しい店という取り上げ方で、若くて娯楽的テレビが好きな層にとって、古いものを大切に使うということはただボロいと感じるだけで、さして価値を感じられないものなのかなとがっかりした。



『蓮月そば店』


とはいうものの建物は目当てではなく、実は昔懐かしい家庭風当座のカレーを作って出してくれるというのを知って心ひかれたのだった。インスタントカレールーが普及する以前、各家庭では野菜と肉と小麦粉とカレー粉を合わせて実に個性的な黄色いカレーが作られており、どこの家でご馳走になっても個性的で、個性があるからこそどこの子どもも「うちのカレーが一番おいしいぞ」と自慢していたのだった。



『蓮月そば店』のカレーライス


店に入って間髪入れず「カレーライス!」と注文して出てきたのはまさしく昭和三十年代の家庭カレーで感動した。そういう懐かしさを知っていれば感涙ものの味なのだけれど、懐かしさは経験と一体なので、経験のない人とは感動を共有できない。妻もまたそういう経験に乏しく、あまり気乗りしそうにないので一人になるのを待ちかねて食べに来た。とろみが弱めで胃もたれのしない珠玉の昭和カレーだと思ったが他人に説明するのは容易でない。というわけで昭和三十年代の家庭カレーと聞いて「懐かしい!」と感動する世代以外にはおすすめできない。



池上本門寺石段


そんなわけで念願だった昭和三十年代の家庭カレーに再会し、声をあげて泣きたいような気持ちで完食し、ありがたいので池上本門寺にお参りしてお賽銭を上げ、元気に生きられた人生に感謝した。加藤清正が寄進したという見事な普請の96段ある石段を上り下りし、心身ともに満足して遠出のランチタイムを終えた。

【おまけ】



『蓮月そば店』店内。ボロいんじゃない、古いものを大切に使い守っているのだ。
 
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