老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 11 人気急上昇のSさん

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 11
人気急上昇のSさん

若いケアワーカーたちに人気急上昇のSさんは、ちょっと前まではただの気むずかしいおばあちゃんだった。一昨年の敬老会では、お祝いにやって来た幼児にむかって
「うっせー!」
と怒鳴っている光景が手持ちのビデオに映っている。当時のことを知っているベテランケアワーカーは、介助中Sさんに話しかけている若いケアワーカーに
「気をつけて、しつこくするとSさん恐い人になっちゃうよ!」
などと声かけをしている。

新人ケアワーカーたちは失敗を繰り返しながら育っていく。上手な付き合い方に成功した同僚からの学習力も高い。Sさんと仲良くやっているケアワーカーを真似するうちに、Sさんはみんなの人気者になっているが、Sさんの人格が変わったわけではない。Sさんに話しかけても返事がない時は、うまく聞き取れないか意味がつかめないのであり、声かけの返事をしつこく求められるからSさんは怒っていたのだ。ちゃんと言葉のピンポンが成立すれば、Sさんはやさしくて可愛い人なのだ。

先週の日曜日も、若いケアワーカーや生活指導員がSさんとの会話を愉しんでおり、皆がクスクス笑いをする光景がほのぼのして嬉しかったので聞き書きしてきた。

指導員「Sさん、ご飯残ってるけどどうする?」
Sさん「残しとく」
 ♯ 指導員、お年寄りと同じメニューのお盆を持って隣りに腰掛けながら
指導員「Sさんのとなりで自分のご飯を食べさせてもらうね」
Sさん「おいしい」
 ♯ 指導員、また食べ始めたSさんを見て
指導員「あれSさん、まだおなか減ってたんだ」
Sさん「もう食べない」
 ♯ 指導員、それでも食べているSさんを見て
指導員「もう少し食べる?」
Sさん「もう少し食べたい」
指導員「よく噛んでね」
Sさん「うん」
 ♯ 指導員、食べ終えたSさんに
指導員「Sさんきれいに食べたね」
Sさん「きれいに食べた」

このコミュニケーションの鍵は、隣りに腰掛けてご飯を食べるという生活相談員Nさんに対して言ったSさんの「おいしい」であり、SさんはNさんが隣りで食べてくれるというので「うれしい」と言ったつもりなのだと思う。だから食欲が復活してきれいに完食したのだ。

食事後、ピンポン的会話の上手なケアワーカーYくんに車いす介助をして貰い、口腔ケアを済ませて居室に帰る時も、楽しい会話を交わしながら退出していった。

Yくん「Sさん、おなかいっぱい?」
Sさん「おなかいっぱい」
Yくん「晩ご飯は?」
Sさん「晩ご飯もいっぱい」
Yくん「晩ご飯はぶり大根ですよ」

人格などというもの、とくに子どもやお年寄りや弱い人のそれは、他人が勝手に作り上げているものなのだと思う。

|特養ホーム帰りの乗換駅田端にて。真ん中あたり、夕日に染まった東京スカイツリーが見えている。|

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朝のパラグラフ

朝のパラグラフ

小さなコンピュータの小さなアプリは、物質としての実態がない小さな文房具である。文章を手書きした時代の筆墨紙硯(ひつぼくしけん)が、コンピュータの時代では、あれこれ好みに合わせて使われるアプリの集合ということになる。

自分に合った文房具が勉強の助けとなったように、自分に合ったアプリと出会うことによる学びが、大人になった今でもある。文房具も小さなアプリも、使うことで使い手が変わり得る道具であり、その道具を使うこと自体を喜びと感じる時、道具は使い手に対するアフォーダンスを持つという。

iOS 用の小さなアプリ LessMemo がとても気に入っている。新しいメモを作って文章を入力し、書き終えて閉じると一つのカードのように表示される。それを繰り返すとたくさんのカードが増えて行き、そのカードの集合が、自分が書きたかったことの全体像となる。

カードには書き始めと書き終わりがある。書き始めには書こうと思うことの概要があり、書き終わりには書いたことによる結果があり、その始めと終わりに経過としての説明がある。そういう構造で書かれたカードをパラグラフと言い、日本語で言い換えればカードの一つひとつが意味段落になっている。意味段落を連ねて書くことをパラグラフライティングという。

パラグラフライティングという言葉を聞いたことはあったけれど、それがどういう構造をしていて、それのどこが優れているのかを、実はこの小さな文房具を使うことで、初めて理解できたように思う。書いているうちに貯まっていくカードを見ていると、自分が言いたいことの整理に役立ち、そうか、こういうことだったのかと、文房具に教えられる格好になっている。

夜中に目が覚めて布団の中で書く日記は、この LessMemo を使っている。痒いところに手が届かない潔さが売り物のアプリなので、並び替えも連結書き出しもできない。だがバラバラのカードのどれを読んでも一応意味が通るようになっていればこそのパラグラフライティングなので、十分に用は足りていると思う。

カードを眺めながら気になる箇所に手を入れ、これで良しと思ったところで一枚ずつコピーし、エディタにペーストして段落間一行あきの文章にする。それを Dropbox というネット上の置き場所に保存すると小さな iPhone や iPod Touch での作業はおしまい。夜が明けたらそれをパソコンの大きな画面で表示し、全体が見渡せる大きな視点で校正し、ブログにアップしたところで、電子文房具を講師にお迎えして開かれる朝の綴り方教室が終了する。

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不自由と愉しみ

不自由と愉しみ

義父母から目が離せなくて納戸に寝泊まりしていた時期がある。深夜に目を覚ますと義父がベッドの上でギシギシ音を立てており、何やらもぞもぞし始めたのがわかる。ベッドの介助用手すりを握り、渾身の力で揺すっているのだ。そのうち放っておけない音と振動になり、妻が
「おとうさん、どうした!」
と飛び起き、夜が明け空が白み始めるまで家族を眠らせない義父の愁訴が始まる。そういう日々が足かけ七年くらいは続いたと思う。

朝まで少しでもいいから眠れますようにと祈りながら、義父の寝室脇の納戸に布団を敷き、息を潜めて暮らした歳月だったが、その中にもささやかな愉しみはあった。息を潜め目を閉じても眠れない時は考え事をし、そのころ毎日ウェブ上に綴っていた日記を頭の中で書いた。そういう状況でできることといったら、それくらいしかなかったからその中でできる愉しみを見つけたのだ。

その頃は頭の中にいつもきちんと束ねた原稿用紙があった。頭の中で書いた原稿は頭の中に整理しておき、頭の中で何度も読み返したり推敲することができ、朝が来てパソコンに向かうと、すでに下書きができているのですらすらと清書することができた。毎日そうやって日記を書いていると話したら、信じられないと笑われたものだった。

|窓|

人は闇の中で息を潜め、目を閉じて思念だけに力をこらすと、それが極所に集中されるおかげで、思いがけない能力を発揮できるのではないかと思う。義父母の介護で納戸に寝泊まりして神経を研ぎ澄ませていた頃ほどではないにせよ、今でも未明に目が覚め、寒いので寝床から出ずに目を閉じていると、あの充実した集中による快感がやって来ることがある。

人は歳をとったり病気になったり、不慮の怪我によって次第に体の自由を失って行く。自由を失っても絶望しないための練習は、不自由であるがゆえの集中によって得られる小さな愉しみを、自らすすんで見つけようとすることだと思う。そして不自由さが極まってついに訪れる死に臨んだ時、意外にもその瞬間ビッグ・バンのような至福への開放感を、感じられるような人になっていたらいいなと楽しみにしている。

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免許証返納

免許証返納

外出時はなるべくバスに乗るようにしている。バス停には次のバスが今どの辺まで来ているかがわかる機能つきの物まで現れ、待つことが苦手なお年寄りも安心して待てる工夫がされている。健康のため歩いた方がよいと思ってもバスが来れば乗っており、お年寄りに席を空けておくため立っていればそれなりの運動になる。それよりも皆がバスに乗らなくなって赤字を理由に路線が廃止されたら、大切な生活の足がなくなって自家用車を持たない人が困るからだ。

郷里の港町に帰省すると、驚くほどバスの便が悪くなっており、バス路線自体がなくなっているか、路線はあっても一時間に一本あればまだましな方などという状況になっている。知り合いや親戚の者を訪ねると、八十近い高齢になってもまだ自家用車のハンドルを握っており、帰りは車で送ってやるなどと言われると、失礼のない口実を考えて断るのに苦労する。二度も倒れて最近は左目が見えにくいとか、オートマチック車は運転したことがないので、いまだにマニュアルの軽トラを運転しているけれど、最近は交差点内でエンストしたりすると笑って言われると、命あっての物種なので助手席に座りたくない。他人にとっては笑い事ではないのだ。

仕事で郷里の山間地域に行ったら帰りのバスがない。仕方がないので山道を歩いていたら、軽トラを運転したおじいさんが通りかかり、脇に車を止めて

「富士山の写真を撮りに来た?」

と聞くので違うと答えたら

「バスが無くなっちゃって悪いね」

と言い、乗っていくかとも聞かずに走り去ったので安心した。山道の助手席はさらに怖い。

「高齢者の免許証返納を勧められているけど、バスもない田舎で自家用車がなかったら生きていけない、こんな町でどうやって生きて行けっていうんだ」

とお年寄りたちは言う。モータリゼーション社会が陥る悪循環の末路だ。彼らも若い頃はモータリゼーションを謳歌した人々であり、そういう社会を推進するのに一役買い、近所の個人商店がなくなって遠くの駐車場つき大型店ばかりになった社会で、高齢ゆえにモータリゼーション社会から見捨てられようとしている。

親の看取りを終え、無人となった実家片づけも済んだので、自動車を処分して自家用車の世界を卒業した。バスに乗り吊革につかまって揺られながら、モータリゼーション減速のためにもう一度乗合バスの時代にするのがよいと思っている。免許証返納を勧められるような年になってからでは遅すぎるし、返納すべきものは免許証ではなく乗合で支え合う地域人の心の方であるような気がするのだ。

 

|静岡県立中央図書館にて。バスを待つより歩いた方が早いので歩いた。本当は歩くより便利でなくてはいけない|

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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 10 CさんとOさんの火花

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旅路の果ての詩人たち 10
CさんとOさんの火花

おばばのCさんとOさんが喧嘩しているのを何度か見たことがある。厳密に言えば喧嘩ではなく、しきりに挑発するCさんに対して、悠然として取り合わないOさんの、テーブルをはさんだ対峙である。Oさんが相手をしなくても、Cさんは届けば手が出るし、届かなければ湯飲みのお茶を浴びせようとしたりする。ふたりの相性の悪さにケアワーカーたちも気づいているようで、日々の食事では上手いこと席の並びを調整しているが、行事などの場では運悪く鉢合わせしてしまうことがある。

人にはそれぞれ固有の目つきがあり、小柄なCさんは下から見上げるようになるせいか、目が合うと上目づかいで刺すような視線を感じる。一方のOさんは正面から人の目を見つめる人で、いつもうっすら笑みを浮かべているので、泰然自若、落ちつきはらって物事に動じず、安らかで懐の深い大物の風格すら感じさせる。

視線というのは不思議なもので、よく言われる例えを用いれば、視線と視線が真正面からぶつかって火花が散ることがある。と言っても視線は心理的に感じるものなので、人混みの中で実際に火花が飛び散っているわけではないし、熱い視線と言っても火傷するわけでもない。

感じる視線は心理的なものとはいえ人間同士が共有できる現象なので、経済活動の場では客の視線の取り扱い方がマニュアル化されているらしい。大きなスーパーマーケットに行くと、店内で働く店員が客と視線がぶつかった途端スイッチが入り、
「いらっしゃいませ・え」
と語尾上がりに言う。通路などで客の進路とぶつかりそうになった時も
「いらっしゃいませ・え」
と語尾上がりに言うので、視線が一種の軋轢であることをわかっていて社員教育しているのだろう。

CさんとOさんはうまく言葉が出なかったり、ほとんど発語がなかったりするので、視線と視線の衝突場面に吹き出しをつけるなら
Cさん「おうおうおうおう、文句あるのかてめー!」
Oさん「・・・・・・・・・・・・」
Cさん「なんだなんだなんだなんだ、人をバカにしてんのか、てめー!」
Oさん「・・・・・・・・・・・・」(はてしなく続く)
ということになる。

というわけでCさんとOさんは真正面から視線同士がぶつからないよう微妙に席が決められている。男女が相手に熱い視線を送っても、交差する軌跡の側面がぶつかるだけでは火花が散らないのと同じことだ。ピンポイントさえ外せば発火は回避できる。

|特養ホーム居室内より廊下への出口|

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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 09 うなずきおばばのUさん

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旅路の果ての詩人たち 09
うなずきおばばのUさん

Uさんはいつも髪をひっつめにし、食事時になるとエプロンのような物をつけているので、NHK総合テレビで放映されたアニメ『スプーンおばさん』の主人公スプーンが歳をとったように見える。お誕生会などのイベントでスピーチがあったりすると、首をななめに傾けて優しげな笑顔を作り、いちいちうなずきながら
「そうだそうだ、その通りだ」
などと合いの手や拍手を入れている。老人ホーム併設の保育園から園児が訪ねてくるとこぼれるような笑みを浮かべて迎えており、きっと保育園長さんだったのではないかなどとと想像させる仕草をする。義母の誕生会に参加し、妻と二人で坂本九「見上げてごらん夜の星を」をうたったら、大きな声で唱和してくれたのもUさんである。

2011年3月11日に起こった震災の翌日、特養ホームに何とかたどり着いたら、Uさんは大型液晶テレビ前のソファに座って震災のニュースをじっと見ていたが、ただ一人背中にリュックサックを背負って避難態勢を整えているので驚いた。たいへんな震災が起こっていることを自覚していたお年寄りは、ベランダに下着を干すMちゃんと、建物が倒壊してくれたら老人ホームを抜け出せたのにと悔しがっていたSさんと、このUさんくらいのものだったかもしれない。痴呆が深いお年寄りたちは大きな余震が来てもまるで気づかないようであり、思いおもいのことをして立ち上がってしまうようなこともなく、逆に平然と歩いているのを転ばないよう座らせるために、ケアワーカーたちのほうが大慌てしていた。

比較的痴呆症状の少なかったUさんはいつも気の合う三人組で、食事介助のいらないテーブルでグループとなって食事をしており、
「さようなら」
と声をかけると、三人揃ってにっこり笑いながら頷いてくれたものだった。最近はそれぞれに老いがすすんで老人キャンディーズも別れわかれになって普通のお年寄りに戻り、ぼんやり単独で日々を過ごしている。Uさんは最近リュックサックではなくポシェットを斜めがけにして廊下を徘徊しており、エレベーターのドアが開いた隙に乗り込もうとしたのを見て、驚いた妻がケアワーカーを呼んだりすることもあるらしい。まるでどこか遠いところへ行ってしまうおうとしているかのように。

そんな話しを聞いてちょっと心配していたが、年末には苑内の飲料自販機に補填作業中の業者に
「コーヒーちょうだい」
と声をかけ、
「コーヒーもいろいろあるけどどれがいいですか」
と聞かれ、
「コーヒー味ならどれでもいいわ、お金はあなたに渡せばいいの?」
などと対話が成立し、日当たりのよい窓際に腰掛け缶コーヒーを飲みながら鼻歌が出ているUさんを見て安心した。

年が明けたら、苑内に設置された作り物の神社賽銭箱前で、ポシェットから財布を取り出して本物のお金を入れているUさんの姿を見て妻が驚いたという。張りぼての賽銭箱にお金を入れるほどのボケ具合にびっくりしたらしいが、首をかしげてお金を入れているUさんを想像すると春らしいほのぼのとした気分になる。このスプーンおばさんには呆けが深まりつつ来る春だってありそうに思うのだ。

|特養ホームに差し込む太陽の角度が少しずつかわっていく|

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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 08 なんでなのおばばのTさん

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旅路の果ての詩人たち 08
なんでなのおばばのTさん

Tさんが初めて義母のユニットに登場した時は、これはたいへんな人が現れたと驚いた。車いすにのせられて集会室へやって来た時からケアワーカーにからんでおり、

「なんでこんなことをするの?ちゃんと説明してちょうだい!」
と絶叫している。
「なんでなの?なんで車いすにのせたりするの?」
「それで、なんでまた立たなきゃいけないの?」
お昼ごはんを召し上がっていただくからだと説明すると、
「なんで椅子に移るの?ちゃんと説明してちょうだい!説明もしないでこういうことをするから嫌なのよ!ねえ、なんでなの?」
と質問責めにして介助を拒否するので、車椅子から食事用椅子への移乗すらケアワーカーはさせてもらえない。ケアワーカーたちが交互に声かけしてようやく着席させたものの、答えても答えても終わることのない質問責めが続く。

人間同士には相性というものがあって、それによって人は人に救われることもある。新人ケアワーカーのYくんは、ノートと鉛筆をもっていて、介護しながら先輩ケアワーカーの話をメモする熱心な若者である。まだまだぎこちないところも多いけれど、Tさんの相手をするのが上手で、たいしたものだと褒めたら
「ああいうお年寄りが好きなんです」
と言う。昼食介助中、TさんとY君の掛け合いが漫才のように面白いのでメモしておいた。

Tさん「どうするの」
Yくん「ご飯を食べていただくんです」
Tさん「ご飯ってなに」
Yくん「ご飯は白身魚のフライです」
Tさん「それをどうするの」
Yくん「食べていただくんです」
Tさん「あ、そう。だいじょうぶかなぁ」
Yくん「だいじょうぶですよ」
Tさん「あ、そう」
Yくん「ちゃんとお茶碗持って食べた方がこぼさないですよ」
Tさん「はい」

Tさんの視線が焦点を結ばないのでおかしいなとおもったら、Tさんは後天的にほとんど視力がないらしい。それでも時折ケアワーカーの名札が目の前をよぎると名前を呼んだりし、
「ああTさん、読んでくれたのね」
などとケアワーカーが喜んでいたりするので、特定の距離と角度によっては微かに視力があるらしい。

Tさん「なにか落ちたよ」
Yくん「スプーンが落ちたんです」
Tさん「どうして落ちたの」
Yくん「Tさんとテーブルの間に隙間があるじゃないですか、そこから落ちたんです」
Tさん「ふーん、それでだいじょうぶなの」
Yくん「だいじょうぶですよ」
Tさん「あ、そう」

Tさんは目が不自由なので、不安な世界を言葉で手探りしているのだ。忙しいベテランケアワーカーが、何とか手早く安心させようと要点を凝縮して返事をしても、点の反応では世界の手がかりになりにくい。素っ気ないようでも、ピンポンのラリーのように応じてくれる人がいることで、Tさんは自分と向き合っている壁を見つけて安心し、最後には
「あ、そう。だいじょうぶかなぁ」
が出て、Yくんの
「だいじょうぶですよ」
に安心し質問攻めが終息するのである。在宅介護で家族を苦しませた義父の偏執も、そういうことだったのかなぁとTさんとYくんを見ていて思うけれど、家族内でなかなかできることではない。

|特養ホームの行事食(ミキサー食)|

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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 07 ベランダのMちゃん(その4)

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旅路の果ての詩人たち 07
ベランダのMちゃん(その4)

 Mちゃんは義母の隣室で暮らしている。隣室ではあってもベランダが繋がっているので、義母を部屋に訪ねると全面ガラス戸ごしにMちゃんのベランダが見える。Mちゃんは下着までは他人に洗わせられないと言って自分で洗濯をしており、天気がよい日の昼食介助に行くと、ベランダに干されたMちゃんの下着や靴下が見える。洗濯物があると安心し、見あたらないと体調が悪いのかと心配になり、重い布団まで干してあったりすると元気だとわかって嬉しくなる。

Mちゃんはとても小さい人で、しかもひどく痩せているので下着も小さい。ときどき仲良しのケアワーカーに付き添われ、外食ついでに買い物にも出かけるので、自分の気に入った衣類も買っているらしい。ディズニーキャラクター入りの下着が多いので、ずいぶん子どもっぽい趣味だと笑ったが、おそらく子ども用の下着で、ケアワーカーたちのディズニーランド土産らしい。

以前にも腕を骨折したりして通院していたが、少しずつ入退院の回数が増えてきて、顔をしかめている姿を見かける。声をかけたら、神経痛が出て痛くてたまらないという。そうこうしているうちに入院して手術を受けるというので、手術ができるなら元気になって戻れるねと励ましたら
「いやあ、こんどはだめかもしれない」
と苦笑いしながら首を振った。家内がMちゃんと仲良しのケアワーカーとすれ違ったので
「Mさん入院されるそうですね」
と言ったら、
「あらぁ、本人が言っちゃったのかぁ。じゃあ仕方がない、実はそうなんですよ」
とのことだったらしい。

入所している母親が気になって、たびたび面会に訪れる娘さんが、不思議な存在のMちゃんが気になるらしくて妻にあれこれ尋ねていたが、今日は居室にケアワーカーたちが集まって一緒に昼食をしており、ずいぶん依怙贔屓されているのだなと話していたという。入院前日だったのかもしれない。

ベッドが数日でも空くと、施設では緊急対応の入所に利用し、少しでも多くの介護ニーズに応えようとするし、経営上も空きベッドを増やすのを避けたい。私物でいっぱいだったMちゃんの部屋も片付けられて、いまは新しい人が利用している。もともとのガンが全身に転移してMちゃんは耐えられない痛みに苦しんでいたらしい。利用者のプライバシーに関わることを表だって聞くことはできないのでMちゃんがどうなったかはわからない。いつか思いがけずMちゃんが戻ってくる日を楽しみにしているが、時は足早に過ぎていき、消息を聞かないまま忘れていくのだろう。お世話になったMちゃんを忘れないよう、四回に分けて書きとめてみた。

|特養ホームベランダの向かいにある柚子|


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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 06 ベランダのMちゃん(その3)

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旅路の果ての詩人たち 06
ベランダのMちゃん(その3)

Mちゃんは特養ホームで暮らすようになった義母とその娘をよく励ましてくれる。
「私だってここに来たばかりの頃は大変だったよ。その頃のことはほとんど記憶にないくらい呆けていたけど、今はこうしてちゃんとしてる。大丈夫、きっと良くなる!」
そう言ってくれるMちゃんがどうしてここに来たのかはわからないけれど、記憶にない昔はずいぶんケアワーカーを困らせたらしい。

明るく暖かい窓ぎわの応接セットを占領して新聞を読む黒衣の歌人Sさんはよく入所者とけんかをしている。Sさんもまた自分のことをちゃんとしている人だと思っている人なので、
「あの人たちみんな変でしょう、変な声で叫んだり、なにを言ってるかわからなかったり。ああいう人たちと一緒にいると頭が変になっちゃうの」
と言って、ユニットの仲間たちと別行動をとっている。別行動をとっているといっても狭い老人ホーム内なので、新聞を広げて占領している窓際の特等席をめぐって、他の入所者と言い争いになる。

言い争いで他の入所者を頭の変な人と罵倒したので、たまりかねたMちゃんが間に割って入り、
「あんただって頭が変で言ってることがおかしいよ」
と言ったらSさんがすかさず反論する。
「私はこの人たちとは違う、頭がおかしくなんかないわよ!」
と言ったら、Mちゃんが
「おかしくない人はこんなところに来ない! 頭のおかしくない人なんてここには一人もいない!」
と怒鳴りつけ、Sさんは沈黙した。

これはすごい。もし頭のおかしい人がおかしいことしか言わなくて、Mちゃんが「頭のおかしくない人なんてここには一人もいない」と断言したのが本当である場合、Mちゃんはおかしなことを言っていないので頭のおかしくない人になってしまい、最初の「頭のおかしくない人なんてここには一人もいない」という断言と矛盾してしまう。こういうのを哲学や論理学の世界では自己言及のパラドクスという。

歳をとった人間というのは社会学者のようになるものらしい。自分も他人も含めたみんなが立っている場所を雲のように宙に浮かべておいて、公正な場所から観察評価しているように振る舞え、幼い頃おばあちゃんの小言に沈黙せざるを得なかったのもそういうことだったのだろう。


|特養ホーム、義母の居室にて|

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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 05 ベランダのMちゃん(その2)

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旅路の果ての詩人たち 05
ベランダのMちゃん(その2)

99歳になる最長老格の女性Nさんのお誕生会があり、花束贈呈役をしたMちゃんが大泣きしているので、
「どうして泣いたの?」
と聞いたら、
「だってここでまともな会話ができる相手はあの人しかいないもん」
と涙を拭きながら言う。たしかに義母が暮らすユニットで、認知症を意識せずに話せるお年寄りはNさんとMちゃんくらいのものなので、大切な話し相手同士なんだろうなと思った。

特養ホーム暮らしが始まったばかりの母親のことが心配で、しょっちゅう面会に通う家族のことを気にしてくれ、会うたびごとに義母の近況を報告してくれたのもMちゃんだった。首を横に振りながら
「だめだね、このところほとんどご飯が自分で食べられなくて、こぼしてばかりいるよ」
などと言う。Mちゃんのアドバイスがあったからこそ、食事介助を家族が手伝いにいく回数を増やし、病院の療法士に相談して食事方針を決め、誤嚥性肺炎に気をつけながらの暮らしが維持できているともいえ、日替わりで顔ぶれの変わるケアワーカーよりも、妻にとって母親の様子を聞くもっとも頼りになる人が入所者のMちゃんだった。

Mちゃんには抱きついたり膝に乗ったりして甘えるお気に入りのケアワーカーが何人もおり、人気者なのだなあと思っていたら
「じつはあの子、私の孫娘なの」
と言う。
「大好きなおばあちゃんが暮らす老人ホームで、お孫さんがケアワーカーとして働いているなんてすばらしいじゃない。Mさん幸せだね」
と言うと嬉しそうにしており、ケアワーカーも恥ずかしそうに笑っていた。そのうち、Mちゃんの孫はもう一人ここで働いているいることがわかり、三人の苗字が違う理由を尋ねたら複雑な家庭の事情も話してくれたという。

ケアワーカーとMちゃんが一緒にいるのを見かけるたびに
「Mさん、今日はお孫さんと一緒でよかったね」
と声かけしていたら、ある日ケアワーカーがこっそり近づいてきて耳元でささやき、
「本当はこういうことお話ししないんですけど、あまりに本気になさっているのでお話ししますが、わたしMさんの孫じゃないんです。ケアワーカーにもそう信じている人がいるくらいなんですけど」
とのことだった。すっかり信じ込んでいた妻はかなりショックを受けて
「あーーっ、Mさんには一本とられた。孫たちと自分の境遇なんて、すっごくよくできた話を聞かされたんだよー」
などと笑いながら憤慨していた。

呆けと正気などの区別は曖昧で、時と場所、相手によって呆れたり笑われたりしているのが人間なので、些末な虚実などの表層にとらわれずに人付き合いした方が、もっと根本的なことで得することが多いと、やっぱり頭が上がらないMちゃんを見ていて思う。


|特養ホーム寸景|

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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 04 ベランダのMちゃん(その1)

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旅路の果ての詩人たち 04
ベランダのMちゃん(その1)

初めて特養ホームという場所に足を踏み入れたのは、横浜で生活指導員をしていた中田光彦さんを訪ねての取材だった。
当時の自分はまだ30歳を過ぎたばかりだったはずだが、全国社会福祉協議会が発行するボランティア情報という広報紙のデザインを担当しており、デザインといいながら取材して原稿を書き、写真を撮影してイラストを描き、紙面レイアウトまですべて一人でやるという、若さに任せた無茶な仕事を引き受けていたのだった。無茶なやりたい放題のワンマン紙面づくりがひどくうけてしまい、飛行機に乗って各地に出張し、広報紙づくりの実技指導をするなどという講演依頼まで引き受けていた頃のことだ。

「高校生のボランティアなんて何もできないんだから、ただいてくれればいいんです、ただいてくれるのが最高のボランティア活動なんですよ」
と中田さんは言い、今なら当たり前のようにわかることにも、なんだか身も蓋もないことを言われた気がして、当時はずいぶん驚いたものだった。ひとつ年下の中田さんは、パチンコに行ったり、海水浴に行ったり、居酒屋に行ったりなど、入所者の夢を叶えるアドリブケアの実践者だった。

「どうぞ勝手に歩き回っていいですから、好きなところへ行って、好きなものを勝手に見てってください」
と言うので施設内を歩き回っていたら、テーブルの上に山積みのタオルをたたんでいる女性がいる。
「ボランティアでいらっしゃってるんですか?」
と聞いたら、
「はい、そうです」
と笑顔で答えてくれるので、どこから通っているのか、ボランティアを始めた動機はなにかなど、ありがちな質問をして写真を撮らせていただいた。
「いい取材ができましたか?」
と中田さんが言うので、こういう女性に話が聞けましたと言ったら、それは痴呆のある入所者だと言う。

義母が暮らす特養ホームに元気な女性がいて、痩せて小柄な身体で重い配膳車をぐいぐい押し、お盆にのった食事をみんなに配り、大きなヤカンでお茶を入れ、お年寄りにエプロンをつけ、曲がった姿勢を直してやったりと、気の利かないケアワーカーを補うように気の利く仕事を次々にこなしている。ははあ、これはもしやと思ったらやはり入所者だった。

「Mちゃん!、お願いだから座っててよ~、何かあったら私が怒られるんだからね~」
などとケアワーカーが言うと、激しく反発して怒るMちゃんをなだめすかしながら、ちゃっかり介護力として利用できてしまっている介護現場を見ると、適度に気が利かないというのもケアワーカの天性ではあるんだろうなと思う。うまくできすぎる、気が利きすぎる、行儀よすぎるということには、現場に変化をもたらすアドリブケア的な可能性が少ないかもしれない。

|観葉植物パキラの芽吹き|


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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 03 新聞と歌をよむSさん

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旅路の果ての詩人たち 03

新聞と歌をよむSさん

Sさんはいつも特養ホーム内の日当たりのよい通路におかれた応接セットに新聞を広げている。昼食食事介助に出かけると必ずそこにいるので
「こんにちは~」
と挨拶をすると、
「こんにちは~、今日は寒いですね~」
とその日の気候についてひとこと付け加えて気の利いた返事をする。Sさんは施設内で書いた短歌を新聞に投稿してときどき入選し掲載されたりする文化人入所者である。 気性が激しいためほとんど気の合う入所者がいないようにみえ、食事も皆と別れて食べることが多いようである。友だちがいないかわりに明るく暖かい場所奪い合いの喧嘩相手が何人かいたが、彼らも一人またひとりと消えていって、歌壇以外に敵もいなくなって淋しそうに見える。

「わたし、毎朝お宅のおかあさんの枕元に行って、おはようございますと声かけするの。そうすると、とても良い笑顔でおはようっておっしゃるのよ」
などと会うたびに言うので
「いつもいつも、ありがとうございます」
と礼を言うことにしているが、本当にそういう奇跡のようなことが起こっているのかはわからない。

きちっとした服装をしてインテリ夫人風に新聞を読んでいるのだけれど、いつも不思議に思うのが、新聞のページを丁寧にめくって折り目正しく読むことが出来ないことで、読み始めるとあっという間に鉄道駅のゴミ箱からつかみ出した古新聞の束のようになってしまう。年をとって出てくる苦手にもいろいろな現れ方があるのだろう。

いつも黒ずくめのパンタロンスーツを着て、黒いネックレスをじゃらりと首から下げ、髪を黒々と染めあげ、黒縁の眼鏡をかけて、ゴミの山のようになった新聞を舐めるように丹念に読んでいるSさんは、カラスの生まれ変わりのように見えるが、実は女性実業家で女社長だったという噂があるが本当かどうかは知らない。息子にもっとよい施設を探すように頼んであるので、もうすぐここを出ていくのだと言っていたが、そう聞いてからもう何年も経っている。息子も忙しいのだろう。

2011年3月11日に起こった震災の翌日、動いていた鉄道とバスを乗り継いで特養ホームを訪ねたら、いつもの場所にSさんがいるのでほっとして、
「無事で良かったですね」
と声をかけたら
「いっそ建物が倒壊してくれたら私はここを出てゆけたのに」
と言うので歌人とは凄いことを言うものだと驚き、瓦礫の中から何事もなかったようにすたすたと老人ホームを出て行く黒衣の女性を想像した。

最近は
「ここを出てよそへ移りたい」
という愚痴も聞かなくなり、ゴミ束のような新聞を持って歩く足取りもおぼつかなくなり、施設内に掲示される短歌も石川啄木パロディ風だったり文法がおかしくて意味不明だったりし、新たな境地を切り開かれつつあるように見える。

|日当たりのよい通路におかれた応接セット|


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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 02 職人風のMさん

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 02
職人風のMさん

職人風のMさんは誰にでも気軽に声かけができる人で、初めて言葉を交わした時も
「だんな、よくきたね~」
と遠くの方から声をかけてきた。遠くの方から声かけができるということは、この人は現場のある職人仕事をしていたのだろうと思った。Mさんが
「だんな、何の職業か当ててやろうか」
と言うので
「何だと思いますか」
と聞いたら
「畳屋」
と言うので
「はずれ」
と笑ったら
「じゃあ製本屋」
と言うのでびっくりした。本のデザインをしているので製本屋とは深い関係があり、なぜ畳屋でないとしたら製本屋とあたりをつけたのかは今でも謎だ。

ある時は
「だんな、商売の方は儲かってる~?」
と遠くから声かけされたので
「うん、まあまあ」
と答えたら
「まあまあってことはないだろう、平日こんなところに面会に来られるんだから儲かってるってことだ」
と言うのでなるほどと二人で笑った。確かに水曜日の昼時に、特養ホーム食事介助に通う妻に付き添って来て、入所者とよた話をしているなどというのは、暮らしに追われていてできることではないと思われるのかもしれない。

職人風のMさんが看護課の人と話をしており、地元の中華料理店の話をしているので、「(ああ、あの店は知っているけどおいしいのかな)」と興味を引かれて耳を澄ませていたら
「何で知ってるかっていうと、あの店の仕事をさせてもらったことがあるんだ。食べたことはないから味がいいかは知らないよ」
と言っていた。そうか仕事をもらって料理店に入るということは内装業かなと思ったので
「あ、Mさん仕事当てようか、ずばりクロス屋!」
と言ってやろうかと思ったけれどタイミングを逸した。

Mさんは特養ホームのある地元で生まれ育った人らしく、
「あ~あ、たまにはうまい山芋でとろろ汁でも食いてえなあ」
と言い、ケアワーカーが
「だっておいしい山芋なんてないもん」
と答えたら
「そんなもん、鍬とスコップを貸してくれりゃあ、その辺でいくらでも掘ってきてやるよ」
と言うので笑った。 

Mさんは声かけにも反応のない義母によく話しかけてくれて
「いいなぁ、いつも家族が会いに来てくれて、それにまだまだ若いし」
と言うので
「Mさんだってまだまだ若いじゃない」
と言ったら
「おれ?おれは若いよ、昭和19年生まれだもん」
と言うので驚いた。脳梗塞で倒れて車いすになった以外にも、意識障害や持病がたくさんあるらしく、看護課の職員がいつも世話をしていた。

 短期入院から退院し、ケアワーカーに車いすを押されて帰ってこられるのに遭遇したので
「Mさん、退院おめでとう!」
と言ったら、
「ああおれ?おれは退院したってもうすぐ死んじゃうんだ」
と大声で笑って言い
「そういうことを言わないの!」
とケアワーカーに叱られていた。それ以来Mさんの姿を見ていない。

|特養ホームの卓球台|


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老人ホーム寸描 旅路の果ての詩人たち 01 几帳面なKさん

老人ホーム寸描
旅路の果ての詩人たち 1
几帳面なKさん

Kさんは男のKさんと女のKさんがいるご夫婦の入所者で、いつも赤と青おそろいのスクール上履きを履いている。丸テーブルで差し向かいになって食事していると、高校生のカップルがそのまま年をとったようで微笑ましい。

微笑ましいカップルも長いこと見ていると虚実を曖昧にしていた皮膜が剥がれ、いつも喧嘩を売っている奥さんと、にやにや笑いを浮かべて受け流しているご主人という実態が見えてきて、決して仲睦まじいご夫婦ではないらしい。

施設内に掲示されているケアワーカーたちの寄せ書きにも「いつも仲良しのご夫婦でありますように(笑)」などと書き添えられており、そこには「あまり喧嘩しないでくださいね」という願いが込められているのだろう。

男性のKさんはいつも腕を後ろ手に組み、見回りが自分の仕事であるかのように、廊下をゆっくり歩いている。眉間にちょっと皺を寄せ、睨みをきかせているようでいて、口元にはうっすら笑いを浮かべている。それはちょっと意地悪で恐い教頭先生風であるし、都合良く考えれば、縄張りを守ってくれている顔役のようにも見える。

みんなの縄張りを守る顔役のようなKさんは、戸締まりがだらしないのが大嫌いらしく、施設内の窓がちょっと開いているのを見つけると次々に閉めて回る。空調機器ではうまくできない施設内の温度微調整を、微妙な窓の開け閉めでやっているケアワーカーたちは、
「あ~、暑いと思ったら閉めちゃったか~」
などと苦笑いしている。

 几帳面なKさんはいつも背筋を伸ばし、左手に食器を持ち、右手の箸で行儀よくご飯を食べる。いつも残さずこぼさずしっかり食べ、最後に両手で持った器を長い舌でペロペロ舐め回してピカピカにする。小皿やお椀だけでなく舐めにくいものまで必ずそうするので、Kさんにとってそれは手順に従った行儀の一部なのだろう。

食器をペロペロと舐め回し、きれいにして食事を終えるのが行儀の一部になっているKさんは、行事食を囲んでみんなでするお食事会などの場で、出てくる大皿や重箱風の食器まで持ち上げて舐めるので、「あらら、体裁が悪い、人前で犬みたいなことをして」などと思ってしまう。だが世間的な礼儀から解脱し、悟りの世界に到達しつつあるお年寄りにとっては、それこそが作法にかなった立ち居振る舞いなのだろう。

*行儀はサンスクリット語 GAMMMA の漢訳で法則に向かって歩み行くこと。

|特養ホーム食堂にて|2014.1.12|

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触ってみる

 特養ホームに義母を訪ねると、ベッドに横になってうとうととしていることが多い。声をかけに反応して目を覚まし、娘に目やにだらけの顔や手指を拭いてもらい、体位をかえて拘縮した足を伸ばしてもらい、ゆっくり時間をかけてマッサージしてもらったりしている。そうやって世話をされている義母はぼんやり天井を見ていることが多いけれど、かろうじて動く方の左手を動かして見つめたり、手の届く範囲にあるものに触ったり、自分の顔に触れてみたりしている。
 自分もまた義母になったようなつもりで目を閉じて横になり、よく触った記憶のある物を、次々に思い浮かべてみる。そうすると、それぞれの物が持っていた手触りが、はっきりと触感として思い出され、人は名前の記憶の前に、まず手触りの記憶があるのかもしれない。
 受精して8週目までの、胎芽と呼ばれる大脳が機能し始める前の赤ちゃんにも、自発的な胎動が始まって顔や体のあちこちを触ってみる行動が見られるという。

  |義母が特養ホームで暮らすようになって、わが家のおせち料理は元日の昼食で苑が用意してくれる、長寿うどん付きミニお重になっている。嚥下障害がある義母のは同じものをミキサーにかけたもの(左)| 


 延髄・脊髄には中枢神経制御機能がある。大脳皮質から中枢神経、中枢神経から末梢神経、末梢神経から筋へと伝わる動作パターン命令を、途中にある中枢神経制御機能が記録して制御を代行するので、人は身体的な動作中でも、頭では全く別の考え事にふけることができるという。脳が機能し始める前の赤ちゃんが触ってみようとする行動もそういう仕組みで引き起こされているらしく、赤ちゃんは受動的に触られることとは別に、能動的に触ってみることで、世界に対して自分の体がどんな形をしてどう動くのかを認知していくという。
 視覚、聴覚、味覚、嗅覚とともに五感と呼び習わされる体性感覚、すなわち皮膚感覚と深部感覚をまとめたもののうち、皮膚感覚に属する触覚、圧覚、痛覚、温度覚は皮膚で触れてみることで確かめられる。一方、対をなす深部感覚、その中で運動覚と位置覚を含む関節覚に、娘は認知症の深い母親の拘縮した下肢を引き伸ばし、振動覚も刺激しつつ、しきりに声かけして働きかけているわけだ。老いていく人へのリハビリは、遠ざかる記憶を引き止めようとする呼びかけであり
「お母さん、羊水の海に帰っていかないで~」
というセリフつきになるのかもしれない。

 

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