【日本平鉄塔】

【日本平鉄塔】

静岡県清水の実家は電波状態がいろいろ悪くて、テレビもラジオもちょっと家の奥にはいると受信不安定になり、DoCoMo の携帯も PHS 通信カードも玄関先や窓際に行かないととぎれることがあった。

WILLCOM の PHS 携帯電話と PHS 通信カードに変更し DoCoMo よりもっと電波状態が悪いだろうと覚悟していたら逆に家の中のどこでも送受信可能なことに驚いた。
わからないものだ。


清水駅東西連絡通路より。清水駅から静岡駅方向に伸びる線路が右カーブし、清水橋をくぐるのが見える。地デジ用なのかひときわ高い鉄塔が建って日本平鉄塔の本数が増えた。僕が物心ついた頃はまだ三本だったと思う。

実家を片付けているとあれこれ不要になり、母が見ていたテレビも友人に貰っていただいてホッとする。
我が家にはテレビがなくなったので、片付け帰省時用に、パソコンに USB で接続する小さな地デジチューナーを買ってみた。



電波状態の悪い実家で使い物になるかと心配しつつテレビがなくなった茶の間でノートパソコンにつないだらちゃんと受信できてびっくりした。日本平のおかげかもしれない。

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【風のように】

【風のように】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 12 月 31 日の日記再掲

 

小学校の 6 年間を過ごした東京下町の通学路にはたくさんの駄菓子屋があった。

郷里静岡県清水では駄菓子屋のことを「いちもんあきない」とか「いちもんや」と呼ぶ人が多く、我が母もそうだし郷里に生まれ育ちそのまま根付いて暮らしている友人たちと話していても「いちもんあきない」とか「いちもんや」をよく耳にする。
 
いちもん‐あきない【一文商】一文ずつのあきない。きわめて少額の商売。(広辞苑第五版より)
 
いちもん‐や【一文屋】一文で売るような安物をあきなう店。(広辞苑第五版より)
 
どちらも広辞苑に載っていて方言ではないけれど、一文は江戸時代寛永通宝一枚を「一文」と決めた際の貨幣単位であることからしてどちらも古い言葉であり、他地域ですたれてしまった言葉が現代でも使い続けられているという意味での方言と言えるかもしれない。

忘年会で、浅草で寄席を見てから「もんじゃ焼き」で一杯飲むという企画に招かれたことがあり、「もんじゃ焼きで一杯」と聞いたとたん「げげっ!」と嫌な予感がしたけれど、行ってみたらやはり「げげっ!」という醜悪なもんじゃ焼きを食べさせられた。

もんじゃ焼きなどは「一文商」や「一文屋」が店の土間や奥の座敷でこっそりと子どもの小銭目当てに食べさせていたものであり、当時の子どもの小遣い「十円」で食べられる数少ないしょっぱくて温かくて時間をかけて食べられる我慢食だったのである。

ほとんど水同様のもんじゃの種にぽつんと浮かんでいる物が揚げ玉だったりいかげそだったりすることで「八円」とか「九円」と値段が決められており、おつりに貰った一円玉で買える二個一円のキャラメルが用意されていて、子どもが手のひらで握りしめて暖めた十円玉は残らず巻き上げられる仕組みになっていた。

女子高生のお姉さんたちは、お金を払って小麦粉や具を追加して貰っており、それはもう立派な「お好み焼き」になっていて、もんじゃ焼きというのは昭和三十年代には懐と心と風の寒さを遊びながら我慢する貧しい子どもたちのためのいじましい食べ物だったのである。

■静岡県清水上清水町の「たばこと宝くじの店」。
RICOH GR Digital + GW-1

中学時代の通学路を散歩したら、桜ヶ丘交差点近くにある「たばこと宝くじの店」がシャッターを下ろして店を畳まれていた。色あせた張り紙を見たら閉店挨拶には「平成十七年」の日付があった。

母はよく宝くじを買う人で、実家の片づけをしていたら、あちらこちらの引き出しからたくさんの宝くじが十枚単位で出てきた。母はくじ運が悪かったのでハズレに決まっているし、ハズレなのに未練がましくとっておいた可能性もあるのですべて捨ててしまったけれど、全部あわせたら 100 枚以上あったのではないだろうか。

■「たばこと宝くじの店」の閉店挨拶。母がよく宝くじを買ったこの店は、奇しくも母が他界した平成十七年八月に店をたたまれたのだった。
RICOH GR Digital + GW-1

子ども時代、母の買い物に付き合うと道沿いで宝くじ売場を見つけるたびに「宝くじでも買おうか…」と言っては買っており、買い方を見ていると連番だと最初の一枚で全部ハズレとわかってしまうのでつまらないと言い、「下一桁だけ連番」のばら売りを買い、ゆっくり当選番号を確かめるのを楽しみにしていた。母にとっての宝くじは「いちもんあきない」の「いちもんがし」に似ており、それは懐と心と風の寒さを我慢するためのささやかな楽しみだったのかもしれない。そういう意味で宝くじはもんじゃ焼きや、清水おでんや、清水焼きそばにも似ている。

■静岡県清水桜ヶ丘町交差点近くの焼きそば『みやじま』。風のように過ぎ去っていく人生を相手に焼きそばなどを商うなら、こういうこざっぱりした店構えがいいなぁと思う。一度入ってみたいと思いつつ機会を逸しているのは、帰省するとついつい心構えに力みが加わってしまい、風のようではない自分が無粋に思えて恥ずかしいからである。いつか入ってみたい店のひとつ。
RICOH GR Digital + GW-1

子ども時代を過ごした東京下町でも生まれ故郷静岡県清水でも「いちもんあきない」とか「いちもんや」はすっかり姿を消してしまい、それらの言葉が死語になる日も近いかもしれない。

子ども時代は風のように過ぎ、なじみの商家もまた風のように栄枯盛衰の果てに消えていったように思えるけれど、立ち止まって振り返ると商店主たちには風のように颯爽とは行かず、首をくくりたいほどの辛く長い日々の事情があったのかもしれない。旅人から店主へと立場を入れ替えてそう思い返してみると改めてしみじみとする。

「たばこと宝くじの店」のシャッターに貼られた挨拶の最後にはこう書き添えられていた。

「閉店に 寂しさあれど ほっとして 心新たに 暮らし変えつつ」 店主

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【赤テントの白黒ショー】

【赤テントの白黒ショー】

清水中央図書館から記念塔方向に歩いていたら県道沿いにあるラーメン屋駐車場の赤テントに洒落た植物パターンが印刷されていた。

RICOH GR Digital + GW-1

きれいだなと思い写真を撮っていたら植物模様がかすかに動くので反対側に回ってみたらプランターに植えられて枯れかけた花だった。

目の錯覚というのは二度とはそう見えないほんの一瞬の出来事であるほど面白い。

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【さよなら特急ワイドビュー東海】

【さよなら特急ワイドビュー東海】

清水でのひとり暮らしを再開した亡き母は、東洋医学治療のため僕に付き添われて上京した際、鎌倉の友人宅に二晩泊めていただいてお世話になったことがある。

帰りは「お母さんにちょうど良い列車があります」と大船駅から生まれて初めて特急ワイドビュー東海 3 号に乗せていただき、午後 18 時 08 分着でひとり清水に帰ったのだった。調べてみると 2004 年 9 月 27 日月曜日のことである。


■2004年10月2日午前8時12分、東京駅ホームにて。乗車位置表示は16時発の3号のもの。

東海道新幹線静岡駅からお金を払って引き返さなくていい、清水駅で直接乗り降りできる便利な特急列車があることを知り、僕も勇んで利用してみたのがその週末 2004 年 10 月 2 日土曜日のことだった。

それから清水への看護・介護帰省、その後、母亡き後の実家片付け帰省の際に、たびたび利用してきた便利な特急ワイドビュー東海号が
来年春のダイヤ改正で姿を消すのだという。


■2004年10月2日午前9時26分、清水駅に到着した特急ワイドビュー東海1号静岡行き。

東海道新幹線が静岡駅に停車しなくなった!…などというニュースではないので、ことさら騒ぎ立てるほどのこともないように思うけれど、それでも一抹の寂しさを禁じ得ない知らせがパソコンのメールボックスに届いていた。

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【字切りあれこれ】

【字切りあれこれ】

昭和三十年代の映画館では、上映合間の休憩時間に首から箱を提げた売り子が回ってきて、彼らの売り声は
「え~~っおせんにキャラメル」
だった。
清水の東宝でも売り子が回っていたと思う。

「おせん」というのは「おせんべい」の「べい」を切って捨てたもので「おせん」と言った方が語感が良かったのだろう。
「おせん」と「キャラメル」しか売っていないわけではなく、「しょっぱいもの」と「甘いもの」のたとえだったのだ。


清水駅ホームでは「やすい軒」の弁当売りが首から箱を提げて売り歩いていたけれど
「え~~っおべんにお茶」
とは言わなかったのは「おべん」では駅弁販売ではなく検便回収になってしまうからだろう。
ほんとか?(写真は静岡駅ホームにて)

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【月見公園の酢ダコ】

【月見公園の酢ダコ】

清水に帰った時くらいしっかり歩かなくては……と思って母校清水第二中学方向へ散歩。

二中脇の昔田んぼだったあたりを歩き、神田町を抜け月見公園に行ったら巨大酢ダコの遊具があった。


タコというのは茹でると赤くなると言うけれど、実際には赤茶色になるのであり、こんなに真っ赤なタコは酢ダコである。
それにしてもどうして酢ダコはあんなに毒々しい赤に着色するのだろう。

ネットで検索したら茹でダコと間違わないようにするため、というもっともらしい意見があってなるほどと感心するが
はたして正解なのだろうか。

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【名前と味わい】

【名前と味わい】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 12 月 26 日の日記再掲

郷里静岡県清水の「きんつば」は丸い。
餡をヨモギ入りの表皮でくるみ丸く平べったく延ばして鉄板で焼いたものである。

きんつば‐やき【金鍔焼】
水でこねた小麦粉を薄くのばして小豆餡(あずきあん)を包み、刀の鍔のように円く平たくし、油をひいた金属板の上で焼いた菓子。文化・文政(1804~1830)の頃江戸で流行。今は、四角く切った餡を、小麦粉を薄く溶いた液につけ、平鍋で焼く。きんつば。(広辞苑第五版より)

広辞苑による「きんつば」の解説はこのようなものだけれど、清水の「きんつば」は「餡をヨモギ入りの表皮でくるみ丸く平べったく延ばして鉄板で焼いたもの」なのである。

■清水名物「きんつば」を焼く風景。表面の指によるへこみが絶妙で、焦げて焼けあがると確かに刀の鍔に見えなくもない。
Canon PowerShot G7

富山県高岡市に出かけた清水出身の友人が清水の「きんつば」と瓜二つのお菓子があったと言い、富山出身の義父が大好物だった高岡『大杉堂のおやき』を思い出した。そう言われてみれば高岡の「おやき」は清水の「きんつば」と確かに同じようなものだった。

その「おやき」という食べ物が信州ではまた別物であって、野菜などをあんにしたしょっぱい信州の「おやき」を食べると、郷里静岡県清水辻町『まるじゅう』の「野菜まんじゅう」を思い出す。

その「おやき」もさらに北進して北海道に行くと実は甘い「今川焼き」のことを指すと言い、南東北出身の友人に聞いたら彼の生まれ育った地域ではなんと子どもの頃「今川焼き」のことを「きんつば」と呼んでいたという。

「今川焼き」の話しをすると「大判焼きのこと?」とか「小判焼きのことだろう」とか「太鼓焼きって言ったなぁ」とか「回転焼きだった」とか様々な呼び名が飛び交うが、詳しく話しを聞いてみればみな同じ食べ物を指している。

■静岡県清水上清水。きんつばの『花屋』店頭。
Canon PowerShot G7

子どもの頃リヤカーに不思議な機械(回転式筒状の圧力窯)を積んだおじさんが回ってきて、家庭から持って行った米を入れて爆裂音とともに米を爆ぜさせたお菓子を作ってくれた。

「ポン菓子」と言うと誰にも通じる可能性が高いけれど、小学生時代を過ごした東京下町では「爆弾(爆弾あられ)」と呼んだし、「ポン」とか「ドン」とか日本各地で様々な呼び名で呼ばれていたらしい。

大分県山間部出身の出版社社長がおみやげをくれるというので頂戴して帰宅後あけてみたら、ビニール袋いっぱいの「ポン菓子」が入っていた。

後日あの「ポン菓子」はどうしたのかと聞いたら、彼の生まれ育った山村には年に一度の祭りに回転式筒状圧力窯を積んだおじさんがやってきて爆裂音とともに米の爆ぜ菓子を作ってくれ、それが何よりの楽しみで、村の子どもたちは「ポップコーン」と呼んでその日を待ちわびていたという。

年老いたお母さんは都会で暮らす50歳を過ぎた息子の好物を覚えていて、荷物をつくる際に袋いっぱいの「ポップコーン」を入れてくれたのだったと知ってしみじみとした。

空気でかさましされた米の爆ぜ菓子にもまた、言葉とともに深い味わいがある。

■静岡県清水月見町『月見公園』にて。
Canon PowerShot G7

米を爆ぜさせて作ったお菓子を「ポップコーン」と呼んだからといって笑ってはいけない。所詮つけた言葉の名札が違うだけの話であり、日本各地で同じような食べ物を食べて育ち、それぞれの地域ごとに違った呼び名があったことの愉快さこそが味わいなのだ。

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【まちの星座】

【まちの星座】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 12 月 25 日の日記再掲

 

二本の道が直角に交わる十字路より、一対の鋭角と鈍角で交わる十字路の方が、さらに十字路より三叉路や五叉路の方が、空間の体験に雑味があり、そのぶん思い出がこびりつきやすい。町かどに表情があるのだ。そういう意味で交差点を星にたとえるなら十字路が二等星であるのに対して五叉路は一等星のように輝いている。

郷里静岡県清水。
国道一号線大曲に五叉路がつくる聖なる五芒星があって大曲交差点という。ひとり息子を連れて東京から清水に戻ったわが母が人生の再出発をした場所だ。

大曲交差点から南南東に 1,100 メートル県道 197 号線を下った場所にもうひとつの五叉路がある。その五芒星中央にはかつて記念塔と呼ばれ親しまれたモニュメントがあった。往時を知る人には「記念塔のところ」で通用し、それもまた思い出がこびりつきやすい五叉路ならではのことかもしれない。

■静岡県清水。桜ヶ丘記念塔交差点。 
Canon PowerShot G7

記念塔交差点の歩道橋に上って五芒星の真ん中に立ち、道が延びていく方向を眺めて星と星をつないでいくと、大きな星座が町の上に浮かび上がってくる……ように思われる。

大曲交差点脇を出発し、桜橋を渡り、記念塔の五叉路を船越方向へ右折して清水市立第二中学校に通学することで生まれ故郷再出発が始まった。

そして成人し、船越へ向かうこの道沿いにある小さな教会に三人の親と親戚の者と人生で出会った恩人や友人たちが集まって、ささやかな結婚式を挙げ、みなに祝って貰った。

子育てを終え、70 歳になるのを契機に商売をたたんだ母は、道沿いにある中央公民館と船越公民館で藍の絞り染めを教えることを生き甲斐にして第三の人生を生きた。

■右手に清美軒、左手に桜ベーカリー、右手に茂津目精肉店、左手に清水第二中学、右手にがたろう寿司、左手に清水銀行、右手に清水ルーテル教会……と船越まで続く通い慣れた道。
Canon PowerShot G7

葬儀を終えた母の棺が、江尻大和交差点を出発して国道 1 号線を進み、大曲交差点を左折し、中央公民館前を通り、記念塔を右折し、中学校前を通り、教会の前を通り、突き当たりで左折して船越公民館前を通って火葬場へ向かったとき、葬列が母の描いた星座の上をたどっている偶然に驚いたものだった。

地域で生きることは、人それぞれがそれぞれの道をたどって生活するうちに、交差点という星と星をつないで、町の景観に重ね合わせるように星座を描くことである。

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▼亜麺坊

上野アメ横入り口に『亜麺坊』というラーメン屋ができていた。

『亜麺坊』は郷里静岡県清水千歳橋近くの
『武豚穂』より簡単で読みやすい。



ただ僕は子どもの頃から『亜麺坊』ではなく『亜麺穂』と呼んでおり
『杭寝坊』は『杭寝穂』だし
『亀鑑坊』は『亀鑑穂』だし
『駒倫坊』は『駒倫穂』と呼んでいたので
『亜麺坊』にはちょっと違和感があったりする。
ほんとは「坊」が正しいんだろうけど子ども時代の癖だね。

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▼おじさんのバスストップ

本郷方面で仕事があるときと、
秋葉原に散歩するときバスに乗る上富士バス停。

バス停に立つとおじさんなので
「♪バスを~待つ間に~~」
と鼻歌が出てしまう。
この歌がヒットしたのは1972(昭和47)年で僕は高校生だった。

はてバスを待つ間に何をするんだっけ……と次の歌詞が思い出せない。



たばこを吸うんじゃなかったかなぁ、いや違ったかなぁと答えが見つからず、
帰宅してインターネットで調べたら涙を拭くのだった。

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▼閉園時刻

「六義園閉園の時刻になりました…」


      撮影日: 06.12.19 4:55:47 PM
      Canon
      Canon PowerShot G7
      露出時間:1/8
      F値: 2.8

『蛍の光』が流れる六義園上空の夕暮れ。

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▼桜咲く冬の坂道

東京都北区田端。

坂道を下っていたら坂の途中にあるお宅で桜が咲いていた。

年に何度も通る坂道だし桜の季節はよく散歩したが、
この季節に開花する桜とは知らなかった。
この時期に咲く桜はというのは春になって
他の桜が咲いているときはどうしているのだろうか。



高校時代、学校に着いて1時限が終わったあたりで早弁をしている者が大勢いた。

人より早く弁当を食べてしまった者は
昼食時は食べるものがないので校庭でボールでも蹴って過ごすのかと思ったら
彼らは昼はパンを買って食べているのだった。
要するに大食らいなのだ。

冬に咲いた桜も、春にもう一度咲いたりするのだろうか。

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▼アキハバラデパート閉店

とうとう……という感じでアキハバラデパートが
12月31日の営業をもって閉店する。

僕にとっての秋葉原は小学校入学直前、
父が辞めた和菓子屋の退職金でNECの白黒テレビと
三菱電機の扇風機と東芝の電気ごたつを買うため
親子三人、一番まけてくれる店を探して
足を棒にして歩いた日から記憶に登場し、
そのときすでにアキハバラデパートはあった。



横断幕に「55年間のご愛顧、誠にありがとうございました」とあるので
創業は1951(昭和26)年ということになる。

鉄道の高架下なので建物がなくなるわけではないし、
親会社はJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)なので
嘆くほど悲惨な結末ではないのだけれど
何となく「ありがとうございました」などと書かれるとしんみりしてしまう。

1階の飲食店街はそのままで、上階には「アキバ系」の店が入るらしい。
「アキバ系」がアダルト、アニメ、同人誌関係ということなら
僕にはやっぱり縁がないので「さようなら」ということになる。

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▼明日天気になあれ

六義園近くのラーメン屋『ラーメン晴山』の看板が新しくなっていた。

このラーメン屋は都会では珍しくなった
“客が一所懸命テレビを見ている店”であり、
入り口のすぐ上にテレビがあるので店内の客の顔は
みな入り口方向に向いている。

「あーあ~、ほらほら、主人公がもたもたしてるから
おみつは斬られちゃったよ、あーあ~血が出てる
あんなに血が出ちゃ助からない、
かわいそうにおみつはもうだめだよ……」

などと解説をする客がいて、
「あ~、ほんとだおみつはもうだめだ」
などと他の客が答えている。


      撮影日: 06.12.17 4:11:52 PM
      Canon
      Canon PowerShot A620
      露出時間:1/250
      F値: 4.0

かつて母が営んでいた清水の飲み屋にも
一所懸命テレビを見ている客がいっぱいいて
「よそで飲むならうちで飲め」
と母に言われて、学校が休みで帰省したときの僕は
母の店のカウンターで飲んでいた。
「あーあ~、ほらほら、主人公がもたもたしてるから
おみつは斬られちゃったよ、あーあ~血が出てる
あんなに血が出ちゃ助からない、
かわいそうにおみつはもうだめだよ……」
などと話しかける客がいて、僕は毎晩こんな人たちに混じって飲んでいたら
脳みそが腐って溶けてしまうのではないかと激しく嫌悪し
社会人になるときは都会に住み、郷里には戻るまいと思ったのだった。

そしてこうしてオヤジになってみると
「あ~、ほんとだおみつはもうだめだ」
などと相づちをうちながら飲むのもいいもんだなぁ、
それが郷里だったらどんなにいいだろうと思えるようになってきた。

そういう黄昏が最近は好きだ。

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▼木蓮

去年の日記を読み返してみると今年は去年より
木々の黄葉や紅葉、そして落葉が遅い気がする。
そして木の葉の紅さがひときわ鮮やかな気がする。


撮影日: 06.12.15 3:35:04 PM
Canon
Canon PowerShot G7
露出時間:1/250
F値: 8.0

散歩をしていたら見慣れた木蓮の木の葉が散り、
葉が散った後には必ず春の芽吹きに備えて
小さな新芽が用意されているものなのだけれど、
今年は妙に立派な新芽が出ていて
毎年こんなだったかなぁと首をかしげてしまう夕暮れ時。

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