Tokyo Monochlogue ▼116……坂道の窓

▼116……坂道の窓

坂を登りきった場所にあった木造住宅がなくなった。いまならまだ記憶が鮮明なので、その建物の絵を写真の中に描き加えることができる。通りすがりの者には小さな町の変化に過ぎないけれど、元あった家の主人が見たら切ない風景だろう。

 |2017年2月2日|0時29分|豊島区駒込|

こんな場所にもまた反射による迷走光がやってきて、路上に引き違えのガラス窓が落ちている。


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Tokyo Monochlogue ▼115……東京の光

▼115……東京の光

子どもの頃はあまり見なかった光景。陽の当たるはずのない場所に、陽がさすはずのない方角から光がやってきて影を作っている。ビルの窓からビルの窓へと反射を繰り返して迷走する光のいたずら。

|2017年2月2日0時34分|文京区本駒込|

太陽は地上のすべてのものに一方向から光を投げかけており、ものは同じ方角の光を受け、同じ方角に影を落とす。その原理に則していない陽だまりや陰影があると、人間は気にしているつもりがなくても気づいてしまうものだ。

人は漠然と見ている広大な風景の情報から、太陽のある方角とおおよその時間帯がわかるようにできているらしい。絵を見て陰影の不自然さを指摘できるのもそういう日々の感覚によるのだろう。


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▼114……空の前景



東京都文京区千石。

空は空だけ映像として切り取ってみれば
世界中どこでも同じ空に見えてしまうので
空は前景に何を選ぶかによって自分だけの空になる。
道を歩いていて自分好みの空をみつけると
嬉しくなるので写真を撮る。



地を這うものとして生きる自分が
空に向かって延びて行こうとするものを見ると
それがわずか数メートルに満たない地上からの飛翔であっても
空との確実な関係を仲介してくれているようで好きだ。

5月10日、早朝散歩でみつけた希望の空。
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▼113……囲われた土地



東京都文京区千石。

広大な土地が更地になり
再開発でどうせまた巨大マンションでも建つのだろうと思ったら
いつまで経っても更地のままでいる。
どうしてなのかその理由は知らない。

勝手に立ち入らせて問題が起こるのを防ぐためか
長い長い塀で厳重に囲まれている。
あまりに厳重なのでかえって中がどうなっているか気になる人が
塀を壊したり乗り越えたりして侵入したりしないための配慮か
所どころ透明窓になって中が覗けるようになっている。



時間の経過とともに更地にも草が生え
荒れ果てた光景というより
都市から失われた貴重な自然にも見えてくるわけで
かつて子どもたちが草野球で遊んでいた
懐かしい空き地のあった時代を懐かしむための
覗きジオラマになっている。
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▼112……陸軍の町



港区赤坂。

TBS放送センター裏手、三分坂脇の公園。



かつて陸軍の町と呼ばれ
ここには近衛第三連隊があった。
ベンチで新聞を読む青年のいる午後二時
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▼111……アロエのある玄関先



文京区根津。

玄関先のアロエが真っ赤な花をつけており
数えてみたら十二輪もあった。



もともとどういう用途のために建てられたお宅かはわからないけれど
細部を見るとなかなかハイカラな作りをしており、妙にアロエが似合う。
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▼110……路地の匂い



文京区根津。

昔といえば僕にとっての昭和三十年代。
東京でも郷里静岡県清水でも路地には路地固有の匂いがあり
さまざまな人々が画一化することなくそれぞれの生活の柄を持って暮らし
その匂いが路地に染み付いていたものだった。



もうそういう匂いはもう嗅ぐことが難しくなったけれど
懐かしい「V」字型の棹受けのある物干し場を見ると
まだ昭和の匂いが微かに残っているような気がする。
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▼109……多少の楼閣 煙雨の中



港区赤坂にて。

南朝四百八十寺 多少の楼台煙雨の中
(なんちょうしひゃくはっしんじ たしょうのろうだいえんうのなか)

漢文の授業で習って大好きだった杜牧の詩。
単に言葉が連なるリズムが好きだったのかもしれない。
ちなみに東京府には明治5年の調査によると2,486の寺があったという。



それでは東京に20階建て以上のビルがいくつあるかというと150くらいらしい。

東京壱百五十棟 多少の楼閣煙雨の中
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▼108……スポーティーな女性像



荒川区東日暮里。

手作り派の若い女性たちで賑わう日暮里繊維街。
クリーニング店の懐旧趣味をくすぐる看板。



女性のファッションのことはよくわからないけれど
今の女性もこの絵を見てスポーティーと感じるのだろうか。

僕にはNHK天気予報の半井さん並みにとてもドレッシーに見えてしまい
女性のスポーティーな姿というと
ついついジャージを着たママチャリ姿を思い浮かべてしまう。
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▼107……保健所と手洗い



台東区上野桜木の飲食店にあった懐かしい手洗い。

これと同じ形の物が母親の営んでいた飲み屋にもあった。
「保健所がうるさくて困る」
と母はよく愚痴をこぼしていた。

保健所が来るたびに
狭い店内のここに手洗いをつけろとか消毒用石けんをつけろとか
あれこれ改善命令を出していくのであり、
それに従えない店は仕方なしに廃業していった。
そうやって郷里の港町から
屋台や掘っ立て小屋の飲み屋が消えていった時代がある。

衛生思想は街の活力を奪う一面も併せ持つ。



「こんな狭い店にこんな手洗いがあったら邪魔で仕方ない」
と母は言い、保健所が帰ると取り外し
保健所が来ると聞くと慌てて取り付けるのが僕の役目だったので
この形の手洗いを見るとひどく懐かしい。
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▼106……信濃坂と筆と一乗寺



不忍通り根津交差点から上野桜木へ向かう坂道。
その坂の名を善光寺坂、別名信濃坂と言う。
かつて坂の上に信濃善光寺の子院があったからで
名前だけが今も残っている。



台東区谷中。
信濃坂の途中に筆の店があり、飾り窓をのぞいているだけで楽しい。
窓に映っているのは元和年間(1615-24)創建の一乗寺。
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▼105……根津神社に向かう小径



森鴎外が住んでいた家は、
団子坂をのぼってすぐのところにあった。
坂をのぼり切ると一本はそのまま真直に肴町へ、右は林町へ折れ、
左の一本は細くくねって
昔太田ケ原と呼ばれた崖沿いに根津権現に出る。
(宮本百合子『田端の汽車そのほか』より)



宮本百合子が書いた団子坂上から崖沿いに根津権現へ向かう道は
通称藪下通りと呼ばれており
この辺りの風情はまだ往時の面影をとどめているかもしれない。
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▼104……根津神社楼門の大きさ



文京区根津一丁目。
国の重要文化財に指定されている総漆塗りの社殿と楼門に
昨年7月から今年9月までかけて漆塗り工事が行われている。



面白いもので、巨大とは思わないけれど
大きいなぁと思って見上げていた楼門が
子どもが描く家のような形に覆われることによって
ずいぶんこぢんまりした楼門だったんだなぁと思えたりする。
これも錯視の一種と言えなくもない。
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▼103……虎ノ門琴平タワー



港区虎ノ門1-2-7。
1660(万治3)年に讃岐丸亀藩主京極高和が
江戸藩邸に勧請した讃岐金比羅宮が
1679(延宝7)年、この場所に移ってきて
今もここに鎮座し続けている。



その場所に高層オフィスビルが建って
古い神社と見事融合してハイブリッド構造になっている。
これは大した作品だと驚いたので検索したら
日建設計の仕事だと聞いてなるほどと思う。
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▼102……佐野繁次郎としまだ鮨



港区西新橋1-13-6。

洋画家佐野繁次郎設計による数寄屋造りの寿司店。
初めて見たときから何も変わらない風景。



看板の味わいある文字も
彼の手になるパピリオ化粧品パッケージを思い出させる。
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