【木戸孝允駒込別邸】

【木戸孝允駒込別邸】

 

幕末から明治維新にかけて活躍した人たちは、成したことの大きさに反して生きられた期間が短いので驚く。彼らはみな濃密に生きた。

晩年、木戸孝允は駒込に別邸をもうけ、親しい友人たちを招いて過ごしたという。もと旗本本郷丹後守の屋敷地だったというが明治はじめ頃の地図を見るとかつての武家地に多く見られる茶畑になっている。木戸がここに別邸を構えたのは 1869(明治2)年で、西南戦争鎮圧のため出向いた京都で亡くなるのが 1877 年(明治 10 )年なので駒込別邸で過ごせた期間は短い。しかも 1833(天保 4 )年生まれなので享年 43 歳の若さで没している。

「明治天皇行幸所木戸舊邸」の碑が残るように明治天皇も二度ここを訪れている。近くにある駒込日枝神社、江戸時代は朝日山王社と言ったが、絶景で名高く数々の歌に詠まれている。その並びなので張り切って造園したものと見え、同じ明治の地図でも後年のものになると池があってその南東に築山が見える。六義園が池を掘った土で妹背山を築いたのと同じだ。

かつて旧邸跡には電通生協会館があって、階下のレストランはガラス張りになっており、庭園の様子がよく見えた。

写真は1999年7月1日、今はなき電通生協会館レストランと木戸邸の庭。

築山があった場所は文京区立神明北公園になっており、その左隅に行ってのぞくと、フェンス奥に池を取り囲む木立があって往時を偲ばせる。

 
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【神田天野屋の夏】

【神田天野屋の夏】

「銭形の親分も来た甘酒屋」

お茶の水の順天堂医院まで母親に付き添った帰りにぶらりと立ち寄る神田明神。
野村胡堂の小説に登場する『銭形平次』も、捕り物が一件落着し、投げた銭を拾い集め数えながら歩く仕事帰り、神田明神前『天野屋』にぶらりと立ち寄って子分のがらっ八と二人、甘酒を飲む冬の日があったのだろうか。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

甘酒というものがあまり好きではないのだけれど、それでも冬の日にかじかんだ手のひらで湯呑みを包み、神田明神前『天野屋』で飲む甘酒は身体の芯から暖まるようにおいしいと思う。

うだるような夏の日の午後、『天野屋』の前を通りかかったら、「氷」と大書され、極彩色に塗られた鋳物が吊されていて、なんの形だろうと首をかしげ、氷の塊から氷片を掻き取るために特製された皮むき器のようなものかしら、などと帰宅後も気になって仕方がないので、翌日もまた病院で定期検診を受ける母に付き添ったついでにぶらりと立ち寄ってみた。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

店内に入って腰を下ろし、うちわでパタパタと扇ぎながら見渡すと、「特製皮むき器」はもう一つあることがわかり、さらにその他の部品も飾られていて、それらが古いかき氷製造器の部品だったことがわかった。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

夏でも冷房をつけない自然の涼味溢れる『天野屋』で、平次親分は捕物帰りにかき氷を食べたことがあるのだろうか。

かき氷の歴史は古くて、なんと清少納言『枕草子』に「削り氷にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述があるのだそうだ。当時は電気製氷器などないので氷室に入れて夏まで保存した氷を削り取って食べるのが貴族の楽しみだったらしい。

『天野屋』の地下には氷室ならぬ麹室があるので、江戸時代の平次親分がかき氷を食したとしても不思議はないのだけれど、ドラマなどで見聞するに、当時、氷は将軍様しか口にできないご禁制の品だったらしいので、多分平次親分は夏の昼下がり『天野屋』にぶらりと立ち寄っても、かき氷は食べられず、江戸っ子のやせ我慢で、眉間に皺を寄せながら甘酒を飲み、身体の芯から暖まっていたのかもしれない。

わが母は若い頃からかき氷が好きで、かき氷屋を何軒もハシゴした若い日があったなどと自慢している。

つい先日まで散歩をすると、息子とアイスモナカを半分ずつ食べるのを楽しみにし、焼け付くような日ざしの下『そめい銀座』にある『和菓子櫻井本店』店頭の葦簀(よしず)の陰でかき氷を食べようと楽しみにしていた。それなのに、7 月に入って暫くしたら急に体の冷えを訴えるようになり、今はもう冷房の効いた部屋にもいられないし、冷たいものは口にするどころか見るのも嫌なのだという。

漢方外来の先生に、ガンはそもそも冷えに由来し、冷やすことで全身を叩こうとするものだ。抗がん剤投与を受けるなら、冷えは避けられないと説明を受け、かき氷などとんでもないと戒められた母である。

母はかき氷を注文する時はかならず「水(すい)」にしていた。
子ども心には、単なる砂糖水のように思えて美味しい気がしなかったけれど、母は
「かき氷はスイに限る、スイに始まってスイに終わる」
と豪語して、かき氷屋をハシゴしてスイを食べまくっていたのである。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

もう夏にスイを食べる母の姿を見ることもないかなぁと思い、母に成り代わって生まれて初めてスイを注文してみたらうまい。妙な香料が使われていないせいか、しみじみと素朴な味がする。考えてみれば、清少納言の食したかき氷には「あまづら入れて」とあるように甘茶蔓(あまちゃづる)や甘葛(あまかづら・あまづら)からとったシロップをかけていたわけで、母は若くしてすでにかき氷の奥義を会得し、その本道を歩いていたのかもしれない。

思い切りかき氷を食べられる健康に感謝しながら神田明神前『天野屋』で飲むスイで、身体の芯から冷えつつ蝉の声を聞く夏の日である。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 7 月 31 日、17 年前の今日の日記より。)

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【脳内劇場】

【脳内劇場】

ギャバってなんだろうと辞書をひいたら織物のギャバジンについての講義によばれてしまい、ほどほどのところで「、じゃなくて」と自分にツッコミを入れ、略語の GABA を調べる。

GABA は Gamma Amino Butyric Acid すなわちガンマアミノ酪酸で、ガンマなアミノの酪による酸なのだ。ひらいただけだけれどギャバと約(つづ)めて覚えるよりましだ。


DATA: Nikon COOLPIX S1

読んでいる本の「脳内覚醒剤であるドーパミンが分泌されると、それが出すぎないように、ギャバ神経から分泌されるギャバという神経伝達物質が抑えにまわるのである」を読んで脇道にそれて本道に戻る。

効くと思えば効くプラシーボ(偽薬)効果は、「やると思えばどこまでやるさ」で応援する村田英雄の人生劇場に似た、心理と生理の脳内劇場なのである。

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【夏に勢いよく咲く花たち】

【夏に勢いよく咲く花たち】

夏に咲く花は夾竹桃も、向日葵も、無窮花も、みな勢いよく咲いて見る人を元気づけるような気がする。


DATA: Nikon COOLPIX S1

コンビニ払いの手続きがてら外出して近所のパン屋に寄ったら、本郷通りに向かって百日紅が勢いよく咲いていた。

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【一葉と井戸】

【一葉と井戸】

旧菊坂町 70 番地、樋口一葉が父親の死後、母と妹と3人暮らしを始めた住居があった場所であり、おそらく一葉も使ったであろうと言われる掘り抜き井戸が現存する場所がある。

写真では頻繁に見たことがあるけれど、この界隈をなんど歩いても見過ごしていたので、相当に入り組んだ場所にあるのだろうとは思っていた。やっとたどりついたら、やはりそこは生活の場であり、興味本位で訪れるには痛みを感じる場所だったので、写真を撮らせていただいて早々に立ち去った。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

貧しいことが当たり前のような時代ではあった。けれど、それでも父親が生きていた頃の暮らしを豊かであると多少とも誇らしく感じたことのある一葉にとって、ここでの家族を支えての暮らしは極貧と感じただろうし、事実ここでの暮らしはとても貧しかったけれど、その後のわずかな生涯のうちに、奇跡とも言えるほど夥しい文学的成果を残すことになる踏切板ともなったであろう記念すべき露地である。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

一葉がこの井戸端にあった家で暮らしたのは 1890(明治 23 )年から 1892(明治 25 )年の期間であり、明治の暮らしというのはこういう共同井戸にとりつくような暮らしだったのだろう。


Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg

死んでしまった偉人より、今を生きる市井の人が大切なのは当たり前のことだ。

観光目当てではない旧跡に、土足で入り込んだことによって感じる痛みの理由はもう一つあって、僕が、昭和 35 年に両親に手を引かれ流れ着くように暮らしはじめ、小学校の 6 年間を過ごした北区王子には、当たり前のようにこういう露地が残っていた。

細い露地を入ると棟割り長屋があり、真ん中に共同の掘り抜き井戸があり、ポンプの先に手ぬぐいで作られた袋が取り付けられ、柄をぐいと押して水を汲み上げると袋がはち切れんばかりに膨らみ、その先はいつも錆で赤く染まっていた。

まだ水道がひかれていない家もあり、そういう家の友人を訪ねると、土間に板を敷いた暗い台所に大きな水瓶(みずがめ)があり、井戸から汲み上げて運んだ水が満たされていた。その水瓶から柄杓(ひしゃく)で掬った水をコップに入れて貰い、よく飲んだものだった。

東京オリンピックが近づくにつれ上下水道の整備が進み、いつしか近所の共同井戸は水道の洗い場に代わった。蛇口をひねれば誰でも水を汲める点に変わりがないはずだったのに、水道は有料なので、住民以外は蛇口をひねれないよう、たとえれば振り子時計のネジ巻きに似た真鍮製の不思議な形をした取っ手が住民に一つずつ預けられ、それがないと蛇口がひねれず、その露地に暮らす友人に自慢げに見せられた記憶がある。

僕が暮らした木賃アパートには風呂がなく、トイレも炊事場も共同であり、玄関脇の屋外には共同の洗い場と水道があった。そこに木のたらいを置き、満々と水を張り、スイカを丸ごと冷やすなどということは共同生活者に申し訳ないことであり、そういう日は必ず、
「スイカを切りましたので」
と言って薄い半月型のスイカのお裾分けがあり、皿や鍋を空で返すものではないという母に命じられて、茹でたトウモロコシをのせた皿に布巾を掛けて返しに行ったものである。

「水も電気もガスも高いんだよ!」
と言うのが母の口癖であり、水道の蛇口の閉め方が甘いから水がポタポタ落ちていたと言っては叱られ、多少の風が窓から通れば扇風機もつけず、真冬でもお湯で洗面するなどもってのほかだと叱られた日の記憶がよみがえる。

「食事時に人様の家を訪問するなどとんでもない」
「露地に入ったらきょろきょろするんじゃない!」
と言われて足早に通り過ぎた少年時代の記憶が露地には染みついており、そう言う時の母は父親が質入れした家財道具を取り戻し、その風呂敷包みを恥ずかしそうに抱えていた。

一葉が通った質屋もすぐそばにあり、そちらの蔵は往時のままである。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 7 月 30 日、17 年前の今日の日記より。)

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【止まれ】

【止まれ】

進もうという自分の内側からの思いに囚われすぎると止まれない。自分本位の自転車にはブレーキがない。


DATA: Nikon COOLPIX S1

世界の側からその他大勢のうちの一人である自分を見て、止まるということができない人が増えているのだろう。


DATA: Nikon COOLPIX S1

止まれということばを、こんなに声高に見聞きする時代を異様に思う。

 

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【字は体を表すか】

【字は体を表すか】

名は体を表すという。

それはどういう意味かと考えるに「ものとことばがたがいに喜びあう関係」のことであると思う。ことばによって名指されたものの喜び、ものによって引き出されたことばの喜び、そういうたがいに喜び合う関係、名は体を表すは英語だと Names and natures often agree. などという。名と万物が喜びあう(a-gree)状態のことであって、名は体を表すは「喜び合うかのような関係」のことなのだと思う。

自分の書く字があまり好きではない。
 
母親もまた息子の字が嫌いだったようで、幼い頃から現在に至るまで一貫して、見るたびに下手な字だ、汚い字だ、見るに耐えないと苦笑いで言われる。その仕返しというわけでもないけれど、自分も母親の書く上手く見せようとした字が好きではなく、母自身も実は自分の字が好きではないと言って上手く書こうと習字をしている。だからいい字にならない。
 
自分の書く文字が嫌いな人は、他人の書く文字も人一倍気になるのかもしれなくて、僕は書体のデザインがとても気になるし、母は母で正月に届いた年賀状の宛名書きを見ながら、他人の字の巧拙を論ずるのが好きである。

字の上手い下手が人柄を表すとは思わないけれど、好意を持っている人の書く文字は何故か自分好みの文字であるのが不思議だ。「あばたもえくぼ」 と言うように、人柄が好きになれば、その人の書く文字まで良く見えるということもあるだろう。こと異性に関して言えば、好きになれない筆跡の女性とはつきあいが深まるうちに疎遠になることが多く、好もしい文字を書く女性の字は、いつまでも人柄ごと好もしかったりするのだ。好もしさは巧拙とも違い、下手な字でも好きな字は好きだ。ほんとうに文字から受ける印象は不思議だ。

文字の好き嫌いは異性に限らない。芥川龍之介が書いた字を見ると、この人がかなり好きだ。こんな文字で直筆の手紙をもらったら同性でも嬉しいだろう。

芥川龍之介が直筆の手紙で書いた「鐡舟」

郷里ゆかりの山岡鉄舟が書いた字も好きだ。そして芥川が書いた「鐡舟」という文字が好きで、「鐡舟」の字を見ていると芥川龍之介と山岡鉄舟がたがいに喜び合っている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 7 月 31 日の日記より。)

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【源喜堂】

【源喜堂】

神田小川町にある美術書専門の古書店 『BookBrother 源喜堂』。

二十代の頃からいちばん、そして生涯にわたってもっとも足繁く通うことになりそうな古書店。


DATA: SONY Cyber-shot DSC-L1 2021年7月27日

新しい書籍の仕事が始まり、初めての出版社を訪ねたら源喜堂の裏手だったので嬉しい。

通い詰めた回数がさらに上のせされるだろう。

 

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【頑張れ星野】

【頑張れ星野】

食事を終えて眠くなり瞼(まぶた)が塞(ふさ)がりそうな、巨人ファンの義父が突然、
「阪神の監督は誰やった?」
などと聞く。

「星野監督です」
「ああそれ、星野、キャッチャーやったやろ」
「違います、元中日の熱血投手、オトコ星野仙一です」
「そやったかの。その監督が倒れたらしいちゃ」
「ええーっ!」
呟くように富山弁で話されたビッグニュースに家族全員が仰天する。

史上最速、独走優勝を目前にした猛虎阪神タイガースの監督が倒れたとしたら大事件である。妻と義母は大慌てで朝刊と夕刊を目をさらのようにして関連記事を探すが見当たらない。
「お義父さん、何新聞で見たの」
「会社にあったスポーツ新聞」(実はデイサービスセンターのことを義父は『会社』と言っている。毎日嫌々通勤しているのだ)
若夫婦も義母も「な~んだ」と爆笑になる。

「お義父さん、スポーツ新聞っていうのは、え~っ!と驚かせるような見出しをつけて読者の興味を引きつけ、そのくせ最後まで読むとな~んだ、と思うほど他愛のない記事だったりするんだよ」
などと言ってみる。

「きっと阪神ファンの施設長が、巨人ファンのお義父さんを、え~っ!と驚かせて、ちょっと活気づかせようとしたんだよ。“星野倒れた”のタイトルだけお義父さんに見せたんじゃないの。二つ折りになった下半分を見ると“星野倒れた”の下に“人を助ける――優勝に花を添える活躍”とか、“星野倒れた”の下に“ように眠った――これだけ差がつきゃ枕も高い”なんて書いてあったんじゃないの~」
などと巨人ファンの義父をからかってみる。

妻は、
「え?スポーツ新聞ってそうなの?」
と驚き、
「信じやすい年寄りを騙すなんて許せない」
などと笑いながら怒っている。夜が明けてからも読売新聞朝刊を広げ、
「ほら、何にも書いてない。やっぱりスポーツ新聞に騙されたのよ。年寄りは信じ込みやすいんだから、いい加減にして欲しい」
などとぶつぶつ言っている。

義父をデイサービスに送っていく際に、施設長さんに文句でも言ったら大変だし、からかった手前もあり、義父の通所前にスポーツ新聞を買いに走る。

あったあった。星野監督は 7 月 27 日の中日戦で試合中に体調不良を訴え緊急治療を受けたらしい。平常時 120 くらいある上の血圧が、ユニフォームを着た途端 40 ほど上がるそうで、一過性の高血圧症らしい。良かった~、義父の話はガセネタではなかったんだと妻に伝えるが、当の星野監督にとっては「良かった~」では済まされないお気の毒な事態である。

「優勝目指してがんばれオトコ仙一」と現役当時の吠える勇姿を思い浮かべつつ、義父に聞こえないようスポーツ新聞紙上の星野監督の耳元に囁く。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 7 月 29 日、18 年前の今日の日記より。結局、この年タイガースは圧倒的な強さでチーム 18 年ぶりのリーグ優勝を果たし、オトコ仙一は三度目の優勝監督になったのだった。)

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【土用の松竹梅】

【土用の松竹梅】

父に似ているのか「松」「竹」「梅」とか「特上」「上」「並」とか品書きにランク付けがある飲食店が好きではない。

一方母は、男運が悪くて苦労させられたせいか人一倍負けん気が強く、そういう店に行くと他人に聴こえるよう声高に「松」とか「特上」とか注文するのが好きな人で、子どもの頃それをひどく恥ずかしく思った。

父は高校生になる頃にさっさと死んでしまっていたので、本人に確かめることはできないけれど、おそらく「松」「竹」「梅」や「特上」「上」「並」が存在すること自体が徹底的に許せない社会平等主義の人であり、片や母は「特上」「上」「並」や「松」「竹」「梅」が存在する中で「特上」や「松」を頑張って注文できることが誇らしい自由競争主義の人だったのだろう。

元官僚で政治家を目指す若き友人が、テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』に出演するから見てくれとメールを寄越し、義父母が就寝するのを待って焼酎お湯割りを飲みながら久しぶりに夜更かしをした。

有り体に言えば、官僚というのはひどく金銭的に優遇されており、庶民から見ると甚だ腹立たしい存在である、と面白可笑しく糾弾する趣向の内容だった。


Data:MINOLTA DiMAGE F100
写真は新宿区大久保、幼い頃父と歩いた道沿いにある日本福音ルーテル東京教会の斜め向かいにある軽飲食「林家」。

「松竹梅の法則」というのがあるそうで、品書きに「松」「竹」「梅」のランク付けがなされている場合「梅」は「安いのもあります」という飾りであり、一番安いのを頼むのは見栄があって許せず、ついついその一つだけ上の「竹」を頼んでしまう日本人の習性を利用して、店側にとって最も利益率の良い「おいしいクラス」として設置されているのが「竹」なのだそうだ。

「国民の税金で『松』は許せん!」と、こういう番組で形成される世論というのは『竹』の思考であり、「『松』が何ゆえに『松』であるかの自覚を持ち、『松』が『松』であることを認められるような働きをせよ!」という正しい本質からひどく乖離してしまっているように思え、毎度のことだけれどつまらない番組だった。
 
論語風に言ったらこんな感じだろう。
子貢 「『梅』であっても僻みっぽくならず、『松』であっても傲慢にならないことこそ、賢者の道ではないですか」
孔子 「子貢よ、惜しい。『梅』ならではの相応を楽しみ、『松』だからこそ礼儀正しく生きることの楽しみを知る、その方がもっと賢者と言えるのだよ」
 
「梅」にはなりたくないけれど「松」にはなれない(なれるものなら「松」になりたい)という「僻みと傲慢」の共在こそが「竹」思考の本質のような気がする。
 
都内の有名鰻店では土用の丑の日前後、かき入れどきに「梅」を注文すると
「すみません『梅』は売り切れました!」
と必ず言うのだ。インターネットで検索したら同じ体験をされている人がいて大笑いしてしまった。「梅」と「竹」には価格ほどの差をつけるのが困難であり、何としてもこの時期は「竹」を売って儲けたいという意図が繁忙期にあからさまに露見するのである。
 
いずれにせよ「竹」であることを強要されるような行為、情報操作には注意した方がよいと思う。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 7 月 15 日 火曜日 の日記より。もう 18 年も前だ。政治家を目指す若き友人は政治家になったがその後を知らない)

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【茗溪通り NOW 】

【茗溪通り】

JR お茶の水駅に沿って御茶ノ水橋と聖橋をつなぐ商業道路を茗溪通りと言い、丸善お茶の水店やレモン画翠のある懐かしい通りだ。


DATA: SONY Cyber-shot DSC-L1 2021年7月27日

この通りと神田川に挟まれた狭隘な川の縁にへばりつくようにしてお茶の水駅がある。


DATA: SONY Cyber-shot DSC-L1 2021年7月27日

川の上に工事拠点となる足場を組むことで駅改良を行う難工事も、完了の日が近づいているように見える。

 

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【夾竹桃のある夏】

【夾竹桃のある夏】

本郷通りの歩道脇に夾竹桃が植えられていて、
「早いね、今年はもう夾竹桃が咲いてる!」
などと、なぜか毎年話題になり、そういう勢いをもって夏に咲く花である。

「私的植栽撤去のお願い」が掲示され、6 月 27 日の撤去期限を過ぎたので、8 月以降に撤去作業を行うと書かれている。

この交差点近くで赤い夾竹桃が咲くのを見る夏はこれで最後になる。


DATA: SONY Cyber-shot DSC-L1 2021年7月28日 上富士交差点にて

思い出のために写真を撮っておいた。

 

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【じくなし】

【じくなし】

都営バスを待っていたら年上の男性が通りかかり、
「バスはすぐに来ますか?」
と聞くので
「 15 時 52 分発を待っているのでもう来てもいい時刻です」
と答えた。すると
「いや、乗っても次のバス停で降りるので、すぐに来るなら乗ってこうかと思って…」
と言い訳するように言い
「じくなしなんで」
と付け加えるので
「えっ」
と言うと
「じくなし。じくがないんです」
と言う。
「失礼ですがどちらのご出身ですか?」
と言いかけたらバスが到着して聞きそこねた。

DATA: SONY Cyber-shot DSC-L1 2021年7月27日 バス停にて

郷里清水では「ずつなし」と言い、長野県では「ずくなし」と言う。「じくなし」は「ずつなし」や「ずくなし」と同じ音変化だとわかったので、出身地を尋ねたくなったのだ。

ご本人に聞けなかったので車内でネット検索すると、山梨県でそう言うらしい。信州、甲州、駿州言葉はどこかで通底して親和性がある。「ずつ」は「術」ではないかと書いている人がいて、たしかに朝鮮半島経由で伝わった古い漢字音である呉音(ごおん)が「ジュツ」「ズチ」と読むので、その通りかもしれない。

子どもが面倒くさがって、思いつく旧来通りのやり方で手っ取り早く済まそうとすると、郷里では
「そうやってずつなしするじゃないよ」
と叱られたものだ。

「じくなしなんで」と言い訳した、山梨出身と思われる男性は
「ひと停留所ですみませ~ん」
と車内に声掛けし、次の停留所で降車して行った。

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【シクラメンの周回】

【シクラメンの周回】


一昨年、清水から届いたシクラメンに施肥と水やりと植え替えをして年越しさせたら、また見事に花を咲かせて春まで咲き続けた。

今は葉っぱだけの観葉植物化しているが元気だ。秋になると葉っぱが衰えて枯れ野風になるので、土に手を入れてやる。そうしてやることで二度目の年越しをさせて、また来年に向けて咲かせられるか楽しみにしている。というか世話を続ける限り毎年咲き続けるのだろうか。

一方、昨年末に清水から届いたシクラメンに施肥と水やりをして世話をしているけれど、こちらはいまだに咲き続けている。


DATA: RICOH CX5  1 : 1 format

やがて花が終わって観葉植物化し、秋になって葉っぱが衰えて枯れ野風になったら、植え替えしてやろうと鉢は買ってある。植え替えが終わって年子のシクラメンに花芽がつく頃、また清水からシクラメンが届いて三つのシクラメンによる地球周回が始まるのを楽しみにしている。今度は白が届かないかな。

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【水谷隼カレー】

【水谷隼カレー】

検索してみるとけっこう有名な商品らしいのだけれど、初めて見たのであまりのストレートさにびっくりした。


DATA: SONY Cyber-shot DSC-L1 2021/07/24

逆チキータ的な捻りに慣れすぎたせいか、スカーーンとど真ん中を打ち抜かれた気がした。近所のスーパーマーケットにて。

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