本返しの作り方

2015年3月30日
本返しの作り方

01
煮物やそばつゆに使うだし醤油をつくるため、今回は本返しから自分で作ってみようと思ってレシビを調べてみた。

02
濃口醤油 1000cc
砂糖 165グラム
本みりん 200cc

という分量表をネットで見つけたのでメモした。

03
近所の酒屋で本醸造ヂガミサ醤油というのを売っている。調べたら香取市佐原にある醸造所で、歴史も古いし Google の航空写真で見たら蔵のある敷地が素敵なのでそれに決めた。せっかく自作するので思い浮かべられる風土があったほうがいい。

04
720cc 瓶入りヂガミサ醤油 2 本を用いることにして計算するとレシピは以下のようになる。

本醸造ヂガミサ醤油 瓶 720cc 2本 1440cc
砂糖 約238グラム
本みりん 288cc

05
①みりんを煮切る
  ↓
②砂糖を入れて溶かす
  ↓
③醤油を入れて85℃まで加熱する
  ↓
④火を止めて冷ます
  ↓
⑤ふきんで蓋をし一昼夜置いて空気と触れさせる
  ↓
⑥瓶詰めして一週間ほど寝かせる


06
早速、昼休みに自宅へもどってつくってみた。その後の工程は

①一昼夜寝かせてから瓶詰する
  ↓
②一週間経ったらかつお節・昆布でとったダシで割って濃縮八方だしを作る
  ↓
③妻よろこぶ。

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六義園今昔

2015年3月29日
六義園今昔

01
同じマンションに住む住民有志との親睦会で花見をした。花見といっても、見晴らしの良い区画で暮らす方の部屋にお邪魔して、窓から夜桜を眺めながら飲み食いするという、極めてズボラな近代長屋の花見である。

02
マンション完成当時からの住民もいて、そういう人たちはみな高齢なので、むかしの六義園はいまより荒れ果てていて、入園料も無料だったというので驚いたが、いつ頃のことかは聞きそびれた。

03
僕が初めて六義園に来たのは小学生の時で、六義園と書いてりくぎえんなどという不思議な読みをする、妙に地味な和風庭園という記憶があるが、入園料が無料だったどうかは記憶にない。

04
なぜそんな庭園を訪ねたかというと、写真好きのおじさんが初めてのカラー写真を撮るというので、化粧して着物姿で張り切った母親に連れられてやってきたのだった。おそらく素人でも扱いやすい感度のフジカラーN100が発売となった 1965(昭和40)年頃だと思う。

05
母親と訪れたのも、ちょうどこんな春のことだと思うのだけれど、しだれ桜は戦後になって植えられたものなので、その時のカラー写真に桜は写っていない。そしておじさん(母のボーイフレンド)が写したかったのは母だけだったようで、僕と六義園の写真もアルバムにない。

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猫の道

2015年3月28日
猫の道
 
01
面白い人のことは疎遠になってもときどき思い出す。面白い人は思い出しただけで可笑しいからだ。
 
02
背広を着て霞ヶ関勤めをしているのに、酒を飲むと自分の管理が甘くなるのか、泥酔してビルとビルの隙間に潜り込んで一夜を明かしてしまうという癖のある人がいた。薄汚れた背広やワイシャツ姿を見て
「またビルの隙間で寝たでしょう」
と聞くと
「はい」
と屈託無く笑う。
 
03
ある夜、そうやって寝込んでいたら体を揺さぶる人の気配がある。泥酔しているとはいえ、物盗りかと驚いて飛び起きたら
「ここは俺の場所だ」
と言ったそうで、泥酔していなくてもそういう場所で眠る人がいて、ちゃんと縄張りがあるのだ。

 
04
土地の狭い日本では建物と建物の隙間が狭い。人がひとり入れる隙間はまだいい方で、猫くらいしか通り抜けられない猫の道もよく見かける。
 
05
建築家の友人に、ああいう密着した建物がどうして建てられるのか、どうやってメンテナンスするのかと聞いたら「ちゃんとできるような技術があるんです」と笑う。
 
06
ちゃんとしているというのは、まるで隣に密接した建物がないかのように、一つひとつの建物が自立してちゃんとしていることをいう。
 
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猫の道程度の隙間しかない建物が取り壊された跡を見るたびに「ほら、やっぱりちゃんとしてないじゃないか」と思う。

 
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山田風太郎『戦中派不戦日記』

2015年3月27日
山田風太郎『戦中派不戦日記』
 
01
山田風太郎『戦中派不戦日記』が読みたくなり、電子書籍になっていないか検索したらちゃんとあったので購入した。
 
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余と自称するのは、日記中で用いるにもっとも簡略な文字だからだが、口語体が普通である世代なのに終戦の日以前はなぜか文語体である、というまえがきの自己分析がおもしろい。

03
昭和20年元旦の日記はこんな書き出しで始まる。

 「○運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」

 大晦日の夜十時、日付が変わる午前零時、そして明け方の五時と、東京は三回も空襲を受けたという。

04
昭和20年1月から12月にかけてのたいへんな時期でも、山田風太郎はたくさんの本を読んでいる。「読んだ」と日記に書いている本をすぺて書き出してみようと思ったら、文中からひろいあげてリストアップしてくれている人がいた。検索すればこんな人がいたらいいなと思う人はたいがい見つかる時代になった。

05
『戦中派不戦日記』によると昭和19年大晦日の空襲で、御徒町は三百軒ほどが焼けたという。昼食後、御徒町の古い靴屋に靴を買いに行ってきた。
「数年前にお宅で買ったスペイン製のこの靴、これと同じものが欲しいんですけど」
と言ったらもうサイズがないという。
「残念、履きやすかったのに」
と言ったら
「でしょ〜」
と嬉しそうに言う。

 06
「違うデザインですが、同じ会社のこれも履きやすいですよ」
と別のをすすめるので、試しに履いてみたら同じ履き心地なのでもらうことにした。
「履きやすいのは、実は登山靴の方で有名な会社なんですよ…」
と言う。
「裏だってちゃんと皮で作ってるし…」
と、包装しながら売れた商品に語りかけている、懐かしいタイプの店主だった。

 
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楽しい年表づくり

2015年3月26日
楽しい年表づくり
 
01
なぜか Dropbox が起動しなくなったので最新版を上書きインストールした。正常に戻ったところで、はて自分は Dropbox を使って何をしようとしてたんだっけと思い、総理や官房長官の軍隊発言に怒っている人を見て、浅羽通明の本にあるナショナリズム関連年表を自分の年表に転記しようとしていた事を思い出した。
 
02
どこでも読めるよう Dropbox に保存している私家版歴史年表は、1801 年の始まりにしてあるので好都合だ。浅羽通明『ナショナリズム』ちくま新書の巻末にある「ナショナリズム関連年表」は、最初の項目が「1848 嘉永1年 東郷平八郎生まれる」になっており、そんなに昔の人だったのだなとあらためて驚く。ちなみに乃木希典は東郷平八郎の一つ年下なので1849年生まれだ。
 
03
年表など出来合いのものがいくらでもあるけれど、自分が興味をひかれて読んだ本から拾い出して作る年表は、項目優先主義の年表とは理解の質が違う。読書で出会った思いがけない出来事や、さまざまな人の生き方が、ひとつの年表の中で関連性を獲得していくのが面白い。たとえば1848年は ●乃木希典生まれる。 ▼香取郡万歳村無宿勢力富五郎武装蜂起(講談、浪曲の「天保水滸伝」) ■ショパン死去…となっている。こういうことに関連性がないかと考える年表が自分にとって役に立つ。
 
04
1856年などは、国民主義政治評論家で正岡子規を育てた陸羯南(くがかつなん)が生まれた年だが、妻の質問に答えるため NHK 大河ドラマ『花燃ゆ』年表と一緒になっているので、▼吉田松陰、杉家の敷地内に松下村塾を開塾 ▼久坂玄瑞、松下村塾に入り、松陰、妹文を久坂に嫁がせる ▼高杉晋作、伊藤博文、前原一誠、松下村塾に入塾…などとなっている。実用の年表づくりは楽しい。
 
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おかめと赤身と納豆汁

2015年3月25日
おかめと赤身と納豆汁


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寺田寅彦『茶碗の湯』を読んで学者を目指したという竹内均さんは面白い人だった。東大地震研で店屋物(てんやもの)の出前をたのむ際に、注文は何にするかと聞かれると必ず「おかめうどん」と答え、何年も同じものばかり食べ続けているので、体に悪いですから別のものを頼まれたらいかがですかと助手たちが進言したという。

02
そういう話を読んで妻と大笑いした記憶があるのだけれど、何に掲載されたのを読んだのか、はたまた放送にのっただけの肉声インタビューだったのか、話の出どころが定かでない。面白い逸話なのでネット検索してみるけれど見当たらない。学者に限らず、昔はそういう食に無頓着な人がどこにでもいた。

03
わが祖父もまたそういう人で、一緒に生きられた期間はわずか十数年だけれど、記憶の中の祖父は夕食になるとひとりだけまぐろの刺身で酒を飲みごはんを食べていた。とろや大とろではない真っ赤な赤身が好きで、叔母はまいにち午後三時を過ぎると、街道沿いの魚屋まで経木の皿にのった安い刺身を買いに行っていた。


04
毎日まいにち同じことを続ける快感というものがある。頭にとって考えなくて済むのは楽であり、体にとって嫌いでないものの生活習慣化はありがたい。人間には、そうやって心身が楽な方をえらび、まいにちぼ〜っと草原で草を食んでいる牛のような生き方が、幸せとしてあるのではないかという気がしている。


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まいにち仕事場でひとり昼食を食べている。最近は外食に出ると、ガッツリ系というのか、量が多くて脂っこいランチメニューばかりで、草原の牛になりつつあるおじさんには向かないなと思う。小さな電子レンジを買い、お茶碗一杯分ずつ冷凍したご飯をチンし、インスタントの納豆汁をかけて食べるのが日課になっている。


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実はいつの頃からか納豆の味噌汁が好きになり、乾燥ひきわり納豆を使った生味噌タイプのインスタント納豆汁を箱買いしている。チンしたご飯を丼に移し、乾燥納豆と生味噌をのせ、お湯を注いでかき回し、大きなスプーンで食べながら本を読む。谷岡ヤスジの漫画に出てくる田舎の牛のような昼食タイムが、毎日の楽しみとなって久しい。

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まいにち納豆味噌汁ぶっかけご飯ばかり食べていると体に悪いですよ、などと言う助手もいないので、毎日同じものばかり食べている。まいにち食べても飽きることがなくて、ひとり「あ〜うまい」などと声が出ることもある。「あ〜うまい」と言えないので、牛は「も〜っ」と啼くのかもしれない。

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傍目八目と書いて「おかめはちもく」と読む。五目より三目多い八目の具沢山うどんがおかめうどんであり、うどんといっても手のかかった八品がのっているのだ。マグロの赤身はタンパク質やアミノ酸や EPA をバランスよく含むし、納豆もまた言わずと知れた健康食である。

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食に頓着しすぎるガッツリ系より、食に無頓着な牛系ほど健康的で、実は「なんとかの一つ覚え」と笑われる無頓着は「賢者の一つ覚え」なのかもしれないと思ったりしている。

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文字の力

2015年3月24日
文字の力

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日本民藝館「文字の美―工芸的な文字の世界」展の招待券をもらったので見に行き、あらためて文字の持つ視覚的な力はすごいと再認識した。幕末明治人たちが互いを「号」で呼び捨てながら評し合う闊達さを描いた本を読み、人が「号」という別人格を持つのはいいものだなと思った。「号」を持つのもいいけれど、他人の言葉を「座右の銘」として持つのも、意味とは別な視覚的効果によるこころの健康法として良い気がする。


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立派な書としての座右の銘といえば、旧高田市から旧清水市にやってきた交歓中学生が、お土産だと持ってきた上杉謙信筆「義一第」(一行一字縦書き)が思い浮かぶ。郷里清水市立第二中学音楽室に額装されて飾られていたのでよく眺めたものだった。謙信直筆という「義一第」の画像を検索したら、あまり良い画像がなくて、しかも本人以外が書いたものも多く、眺めているうちにありがたみが薄れてきた。

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日本民藝館「文字の美」展バンフレット表紙の「懲」の字の拓本はどうかと思う。『梁武事仏碑』(六朝時代、宋拓)とあり、「懲忿」「進悳」の二枚が展示されていた。「懲忿」とは忿(いか)りを懲(こ)らす、すなわち腹を立てないという意味で、人にとって大切なことだ。もとは君子のあり方として「懲忿窒欲」忿(いか)りを懲(こ)らし欲を窒(ふ)さぐとの教えらしいので、「懲」一文字だけでは意味合いが不明瞭である。

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ここはひとつ「懲忿窒欲」を自分で書いて、力のこもった工芸的なのが書けたら座右の銘にしてみようかと思ったりしている。「いかりをこらしてよくをふさぐ」。きわめて普通でありながら飽きのこない銘で、なかなかよさそうに思え、今朝からさっそく心の中で唱えて実践している。

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バス一貫

2015年3月23日
バス一貫
 
01
尺貫法では一貫が100両、100両は1000匁、1000匁は3.75kgということになっている。すなわち一貫は3.75kgで、赤ん坊として一糸まとわぬ姿でこの世に生まれてくるとき、人はみな体重が3.75kgであるということにして「裸一貫」という言葉ができている。

 
02
かつて江戸前寿司は40〜50グラム程度の分量を一貫と呼び、ほぼ握り寿司ふたつ分の分量になるので、握り寿司二つを「一貫」と呼んだ。やがてネタの大きさ自慢の店が、握り寿司ひとつが一貫くらいあるのを売り物に「一貫」と呼んだのが、そのまま定着してしまったのだという。大宮駅東口の高島屋前に大振りなバスが「一貫」停車していた。
 
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『コンバット!』の日本語主題歌聞き間違いから

2015年3月22日
『コンバット!』の日本語主題歌聞き間違いから

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子どもの頃、人気があったテレビドラマに『コンバット!』がある。以下ウィキペディアの解説。

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『コンバット!』(英: 「Combat!」)は、米ABCで1962年から1967年まで放送されたアメリカのテレビ番組(連続テレビドラマ)。第二次世界大戦下での、アメリカ陸軍歩兵連隊のある分隊の活躍を描いている。
日本でも吹替えにより全152本が放送された。60年代に海外ドラマとしては異例のヒットを記録したテレビ史に残る珠玉の名作である。(ウィキペディア2015/03/22)

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たいへん人気があったので主題歌の日本語歌詞公募があった。なんで今さら日本語の歌詞なんてと思いつつ、どんな歌詞がつけられて採用されるのだろうと興味を持っていたので、番組で使用された歌詞は今でも覚えている。

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進めどこまでも勇ましく 弾の飛び散る中を
死ぬも生きるも「とうほんじ」と誓ったぞ戦場で
目指すベルリンへの道は 遥かなる険しい道
進めコンバット 進め戦闘部隊
進めコンバット 行け我らのコンバット

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ビデオなどない時代の子どもが聞き覚えたものには間違いが多い。手持ちの語彙も少なく、ありえない言葉でも子どもは平気で聞き間違いをする。

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正しくは「死ぬも生きるも共に」らしいのだけれど、長いこと「とうほんじ」と聞き間違えたままで気になっていた。「とう」は語呂合わせで「とうに」をつづめたものだろうと思い、のこる「ほんじ」がわからなかった。

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北村透谷の「心機妙変を論ず」を読んでいて、「庶幾すべからず」の「庶幾」とか、「快楽と苦痛の覊束」の「覊束」とか、読めない熟語を辞書引きすると、用例が『明六雑誌』からとられていることが多い。

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「国民国家的ナショナリズム」の礎としての日本語を作った時代の人々が書いたものの中に「本地」という言葉が出てきて、「彼の本地は世間の道法に非ず」(北村透谷)などとある。

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聞き間違えた「ほんじ」に「本地」を当てはめると、無理やり意味のこじつけが出来てしまい、それはそれで興味深い。

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透谷に出てきた本地は、世間から狂気とみられる可能性もあるという意味で括弧付きの「正気」と訳せばよいと思う。

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「死ぬも生きるもとう本地」と聞こえた通りにこじつけすれば、「死ぬも生きるもとうに正気の覚悟なり」と勇ましく言っているのだと思う。

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こじつけをしてみると、子どもの頃から不思議だったもやもやした思いが明らかになる。日本の敵だったアメリカ軍がなぜ「我らの」なのかと子どもは思い、どうして自分もまたコンバットを観ながらアメリカ軍の一員になったように、ドイツ兵を殺すアメリカ兵を応援しているのだろうかという違和を感じた。

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捕虜になった途端、味方のように協力的でアメリカ人を驚かせたという日本兵について、ベネディクトが『菊と刀』で書いた日本人の特異な心情が、日本語歌詞によく現れていると思うし、その番組を観て手に汗握ったことにより、自分もまたきわめて貴重な実験対象になったのだと思う。

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故郷や国家や同胞という観念は突如後追いでやってくるものであり、自在にすり替え可能なものであり、こんなご時世もあってか、子どもの直感通り実に危ういものだと北村透谷「心機妙変を論ず」を読んでいて思う。

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心機妙変を論ず

2015年3月21日
心機妙変を論ず

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未明の本読みの途中で「心機妙変を論ず」という北村透谷の作品名を検索したら、青空文庫に収録されていることがわかったので、すぐにダウンロードして読み始めた。

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「天知君」という言葉が出てきたので検索したら星野天知のことらしい。星野天知は、1890年、女学雑誌社が創刊した『女学生』の主筆で、その時の書き手の一人が北村透谷だった。

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それはそれで良いのだけれど、どうして「心機妙変を論ず」を検索したのかがわからない。目が覚めて読み始めたのが浅羽通明の『ナショナリズム』なので、その文中から検索のあみだくじが始まったと思われるのだけれど、その端緒が思い出せない。

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高齢になったわが母は物忘れするようになり、「おかあさん、なんでここに来たんだっけ」とか「おかあさん、なんでこんなもの持ってるんだっけ」と息子に聞き、「そんなこと知るか」と答えると「ああそうだよねぇ、あんたに聞いたってわかるわけないよねぇ」と苦笑いしていた。

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明治の知識人が書いたものを読むのはたいへんで、「天知君は文覚の知己なり、我は天知君をして文覚と手を携へて遊ばしむるを楽しむ」などと書かれており、文覚は辞書を引けばわかるけれど天知君が星野天知のことらしいとわかるまでには相当の時間がかかる。

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なんでこんな苦労をしてまで北村透谷を読んでいるんだろうとふと思い、「なんで北村透谷の『心機妙変を論ず』なんて読んでるんだっけ」と自分に聞いてみたのだけれど、どうしても思い出せない。

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人は「なんでこんな苦労をしてるんだろう」とあらためて考えてみると、しなくてよい苦労を惰性でやっていることもある。きっかけはとても大切なことだったはずでも、そもそも何にとって大切だったかを忘れたら、もう苦労のしがいはない。苦労の仕分けも時には必要なのだ。

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植物と重力

2015年3月20日
植物と重力

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ツタなどのつる植物に覆われた住まいに住みたいとき、壁をいためめないためピアノ線を張って蔓植物を這わせるという話を聞いたことがある。聞いたことがあるだけで、実際には見たことがなかったのだけれど、駒込駅近くを散歩していたら、壁を這い上がっていくつる植物と、張られたピアノ線のダイヤモンド型図形がある家を見つけた。

02
ツタという植物はつかまる場所さえあれば、吸盤型の葉と粘着成分を駆使した「自身の固定に」執着しないものなのかもしれない。つる植物はピアノ線に絡みつき、回旋運動しながら壁をよじ登っていくのだけれど、しがみつきにも、絡みつきにも、よじ登りにも、みな重力が関係している。

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無重力の宇宙で発芽した植物は。茎も根も、自身が目指す天地の方向を定められず、迷走して伸びていくらしい。重力屈性といい、植物は重力に反応してその伸長方向を変化させていく。

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本郷台地と低地の上り下りをするために、住まいのある駒込界隈には坂が多い。ちょっと息が上がるような勾配の坂が多いのだけれど、ちゃんと石垣は重力に反応して水平垂直に積まれ、植物は坂の勾配に生えてもちゃんと天を目指して伸びている。こういう当たり前の光景を見てほのぼのとするのは、重力がいわば神様のようなものだからだろう。

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潮来の伊太郎

2015年3月19日
潮来の伊太郎

01
毎朝録画している NHK クラシック倶楽部で、イタリアの歌劇から演じられるソプラノ独唱を聴いた。毎晩ニュースと天気予報を見たあとは、九時の就寝時刻まで、音楽を演奏する「人」を見ながら飲むのが楽しい日課になっている。画面下に表示される歌詞の和訳を読んだほろ酔いの妻が
「この歌つくったのはどうせ男だろうけど、どうしてこんなに女々しいんだろう」
と言うので
「音楽の起源は歌声で、歌声の起源はため息だから」
と言ったら
「演歌も?」
と聞くので潮来笠をうたう橋幸夫のように首をかしげた。


02
セゾン美術館で開かれたバウハウス展の図録(1995)が、東大前の古書店で安かったのでずいぶん前に買った。400ページ以上もあり、よくこんな中身も目方も重い本を作ったものだと感心する。朝のニュースでオウム真理教裁判の弁護士事務所が映ったら、壁に掛けられた絵が Paul Klee(パウル・クレー)のようなので気になった。納戸の段ボール箱を開けて画集を探すのも難儀なので、バウハウス展図録で探したが、ページをめくっていると持っているだけで重くて腕が痛い。別途 Klee だけの小さな図録を注文した。

03
Paul Klee のような、見る人の精神に働きかける思わせぶりなひっかけに付き合うなら、小さな聖書のように、いつでも気楽に手に取れるコンパクトな図録がいい。以前から欲しいと思っていのだけれど、ネット検索したら A5 判の縦をつづめて正方形にした愛蔵版を見つけたので注文した。

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歌声の起源はため息だと言ったのは、たしか大岡信が正岡子規を論じた本の中で、俳句とはため息のようなものであると書いていたからで、なるほどそうだと思った。Klee が描いたものもまたため息みたいだと常々思っていたので、イタリア歌劇を聴き、潮来笠でフリーズし、オウム真理教裁判と Klee の刺激で蘇生し、図録の重さで愛蔵版の必要を思い出し、衝動的にネット購入にまで至ったのだろうと、潮来の伊太郎的に消費行動を分析してみた。

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見えない地図

2015年3月18日
見えない地図

01
3月14日土曜日の老人ホーム訪問は、往路だけ一人旅になったので、駒込駅から埼玉高速鉄道浦和美園行きの地下鉄南北線に乗り、浦和美園駅西口から大宮駅東口行きのバスに乗った。

02
バス停の名前は面白い。命名に困るような場所に看板を立てて停留所にする場合、バス運行会社は国土地理院の旧版地図を見て字名(あざな)を探すのではないかと想像している。

03
浦和美園駅西口発大宮駅東口行き国際興業バス[大01]路線にもおもしろい停留所名が多い。

04
「南部領辻」「代山」「野田宝永」「締切橋」「根木輪」など、地名の由来を知りたくてひどく気になる。気になるけれど埼玉の図書館で古文書をあたるほどの興味ではない。

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そういう軽い興味でネット検索してみると、現代の地図から消えてしまった地名の由来について書かれた記事は少ない。あったとしても、バス停名をキーワードに集客をはかる不動産屋の記事に埋もれて見えないようになっている。

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かろうじて「南部領辻」に関して盛岡南部藩の御鷹場だったからという説があるのがわかったけれど、大名が自分の領地で鷹狩りをすることは禁じられていたはずなので、岩槻藩領南部にあった幕府の御鷹場で、「南部で南部の藩主が参勤交代途中に鷹狩をした」という言い伝えができたのではないかと勝手に想像してみる。

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効率優先で改変された地名の並ぶ現代地図と、場所に根ざした字名の書かれた旧版地図が日本全土で重ね合わされ、表地(おもてじ)と裏地(うらじ)が分離しないよう、路線バスが地域の暮らしに沿って、チクチクとした運針で表裏を縫い合わせ、その針目の目印としてバス停が立てられている。

|3月14日昼下がりの浦和美園駅西口|

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いつも閑散としている浦和美園駅東口は、浦和レッズ応援に駆けつけた赤いサポーターで大混雑しており、いっぽう西口の方は「裏なんか知ったことか」と見捨てられたように閑散としていた。その寂しいバス停から大宮行きのバスが1時間に1本出る。

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恥ずかしながら

 

2015年3月17日
恥ずかしながら

 

01

高校一年生の時に撮影したネガフィルムの中に、「男はつらいよ」という文字が画面いっぱいに写っている写真がある。1970年の夏なので場所は静岡県清水市にあった松竹映画劇場、映画は『男はつらいよ』第5作目の望郷篇と思われる。その頃から寅さん映画が好きで、映画館を出たあとは、久しぶりにふるさと柴又に帰ったような気がして、主題歌を口ずさみ肩をゆすりながら帰宅したものだった。

 

02

「♪ど~ぶにおちても ねのあ~るやつは いつかは はちす~のはなと~さく~」などと歌っていたが、恥ずかしながら長いことこの部分を、「たとえドブに落ちても根のある草花はいつか立派な鉢植へと返り咲く」という意味だと思い続けていた。


03

つい最近になって辞書をくったら「はちす」は「蓮」であって、花後の花托が蜂の巣に似ることからハスの別名であると書かれていてびっくりした。つい最近というのは昨年末のことで、妻がベランダの排水溝で見つけたカゲツの芽を、拾い上げて鉢に移し替えたのがきっかけだった。

04

今から十数年前、郷里から上京する母が、金のなる木だと言ってみやげに持ってきて、義母が世話をしていたのだけれど、病気になって世話ができずに枯らしてしまい、鉢もすでに捨てて無くなっているが、こぼれた葉が着床して生き延びていたのだった。

05

「♪ど~ぶにおちても ねのあ~るやつは いつかは はちす~のはなと~さく~」などと鼻歌まじりで鉢に植え替えてやったが、いま思えばどこかでおいちゃんが
「はぁ~、ばかだよ、寅のやろうは…」
とため息をついていたかもしれない。

第5作だからおいちゃんは森川信である。

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第三の分身

 

2015年3月13日
第三の分身

01
自分の「身体が求めている」ことを自分が実行するのはたやすい。自分のやり方でやりたいことを、自分のやり方でやるのは苦にならない。自分と自分が矛盾なく重なり合っている。

02
自分の「心が求めている」のに自分の身体が嫌がることをやるのはむずかしい。他人に命令されて嫌々やるのはもちろん苦痛だが、嫌なことを自発的にやるのもまた他人に命じられるのに近い苦痛を感じる。自分がもう一人の自分に分裂している。

03
他人に命令されて「嫌なことはやらない」のが正しい選択肢という場合もあるけれど、自発的にやらなくてはと思うことは「我慢してやってみる」のが身のためである場合も多い。我慢は他人のためならずである。

04
自発的にやらなくてはと思うことは「嫌だ」と思う直前に割り込んで、先に身体を動かしてしまうと、さほど苦にならずにできてしまうのが不思議だ。子どもの頃「考えるより先に手を動かせ」と親や教師がよく言ったのは、その弱みを突いていたのだろう。

05
年をとるにつれ自発的にやる自分が弱くなり、さぼって楽をしたい自分が強まった気がする。「やらなくちゃ」と思ったとたん、「やめとこうぜ」とそそのかす悪い自分がやってくる。

06
そこに「考えるより先に手を動かせ」と割って入る第三者的自分を想定して乗り切るのが、身のためであるような気がして実践している。自分で親や教師の役を演じる分身術が必要な年になったということだろう。

07
たいした話ではなくて、朝食の準備、布団をあげて掃除機かけ、義父母の住まいの窓あけ、仏壇らいはい、植木の水やり、ラジオ体操第1・第2を、いかにさぼらず毎朝続けるかという甘えとの戦いの話だ。

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