▼一つ覚え

豊島区駒込。
旧丹羽邸跡に隣接した駒込小学校脇に
ショカッサイが咲いていた。



ほとんど花の名前など知らないくせに、嬉しそうに
「あ、ショカッサイが咲いている」
と言うと何とかの一つ覚えだと笑われたものだけれど
一つでも名前を覚えることがどれだけ嬉しいかを感じることは
学ぶことを好きになる第一歩だと思うので笑ってはいけないと思う。うん。

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【南幹線開通と貨物列車】

【南幹線開通と貨物列車】

静岡県清水。
1971年頃の南幹線入江岡・桜橋間開通直後の風景。
左手に富士山が見え(トリミングしたら見えなくなった)、東海道本線を貨物列車が通過していく。


この頃は今よりもっと鉄道貨物輸送が盛んで、通過する貨物列車の車両数を数えて、とんでもなく長い編成だとひどく感動したものだった。

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【入江岡駅の小さな変遷】

【入江岡駅の小さな変遷】

静岡県清水。
1971年頃の静岡鉄道入江岡駅の橋上駅舎。
橋上から地上に下りた桜橋駅駅舎にくらべたら、ほとんど今と変わらないようにも見える。


一番の変化として目に入るのは、静鉄に乗って静岡に出る際の目的の一つだった『田中屋』の看板が懐かしいことかも知れない。

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【市川崑と東泉寺と南幹線】

【市川崑と東泉寺と南幹線】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 4 月 25 日の日記再掲

静岡県清水市で過ごした中学生時代、学年全員そろって学校から歩いて新清水駅前の映画館に映画を見に行ったことがあり、それはおそらく 1968 年の秋から冬にかけてではなかったかと思う。
 
清水市立第二中学校正門を出て記念塔通りを歩き、八分団前を左折して旧久能道に入って 500 メートルほど歩くと、入江岡跨線橋手前を右に折れる広い通りがあり、それが全線開通前の県道 407 号静岡草薙清水線、通称南幹線だった。
 
当時は更地化されて新しい道ができたばかりだったようで、まだ舗装もされていない土丸出しのデコボコ道のあちらこちらに水溜まりができていたのを覚えている。

そんな道を 300 名近くの坊主頭で詰め襟の男子生徒と短髪か三つ編みでセーラー服姿の女子生徒という僧侶のような一団がなぜぞろぞろと映画館まで行進していたかというと、市川崑監督の記録映画『第 50 回全国高校野球選手権大会 青春』が『セントラル』か『東宝』か『さくら』か、いずれかの映画館に掛かっていたのだ。
 
1968 年、夏の甲子園大会 50 回を記念したこの大会では本土復帰前の沖縄から出場した興南高校が準決勝進出を果たして話題になった。左の本格派投手新浦壽夫(後に巨人軍入団)の熱投で地元静岡商業高校が決勝戦に勝ち進み、興国高校相手に 1 対 0 で敗れたものの静岡県民が熱い声援をおくった夏の甲子園が記録された映画だった。そんなわけで二中に限らず清水市内の中学生はこぞって見に行かされたのかもしれない。

その当時南幹線は旧清水市役所前から西進して旧久能道に突き当たって止まっていたのだけれど、浜田町に古くからあるラーメン屋で飲んでいたら
「突き当たりには寺があって、そこの息子はたぶんお前の同級生だぞ」
と言われてびっくりしたことがある。
 
同級生が寺の息子だったというのもびっくりしたけれど、道路を造るために寺や墓地まで移転させたということにも驚いた。
 
寺の名を東泉寺といい 1585(天正 13 )年開基の古い寺だったが南幹線新設のため立ち退いて追分 2 丁目に移って現存しており、移転は 1971(昭和 46 )年の事だったという。
 
手元に国土地理院 1969(昭和 44 )年撮影の空中写真があるので拡大してみると確かに寺があり、寺に突き当たった南幹線は舗装が完了しているように見える。

高校時代に撮影したモノクロフィルムに東泉寺のあった場所から桜橋まで開通した南幹線を写したものが 1 本ある。1968 年に市川崑作品を見に歩いた泥んこ道は、1969 年には舗装され、入江岡・桜橋間の立ち退きと更地化は 1971 年までに完了して開通したのだと思う。
 
それにしてもあの日見た市川崑『第 50 回全国高校野球選手権大会 青春』は中学生にとって感動的で美しい映画だった記憶があり今でももう一度見たいと思う。

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【新船溜】

【新船溜】

静岡県清水港町。
エスパルスドリームプラザ前の清水港を江尻船溜(えじりふなだまり)に対して新船溜と呼ぶ。

中学高校時代を過ごした1960年代末から1970年代初頭は清水港をめぐる自然環境が最も酷かったような気がする。


我ながら酷いなぁと思いつつ高校時代文通していた山梨県立巨摩高校の女生徒がバス旅行で清水にやってきて
「とても人が暮らす場所とは思えませんでした」
などと手紙に書いてきて図星なだけに憤慨したものだった。

とても観光地として人様に見せられる海じゃないと思っていた海が、朝散歩しながら綺麗になったなぁと思える瞬間は素直に嬉しい。

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【清水の観覧車】

【清水の観覧車】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 4 月 23 日の日記再掲

エスパルスドリームプラザに地上 52 メートルの観覧車が建設中で今年 7 月にオープンの予定だという。

記憶では狐ヶ崎遊園地観覧車、花菱デパート屋上観覧車に続いて旧清水市 3 番目の観覧車になるのだと思う。
 
花菱デパートというのはかつて旧清水市相生町にあった大型商業施設で屋上には遊園地もあった。

国土地理院 1969(昭和 44 )年撮影の空中写真をどんどん拡大していくと、オリオン座と松竹劇場、中央公会堂、清水商工会議所、丹下健三設計による清水市役所とともに花菱デパート屋上遊園地がちゃんと写っている。

花菱デパート屋上にあった観覧車とドリームプラザにできる地上 52 メートルの観覧車と、最高地点はどちらが高いのだろうかと 1970 年に撮影した写真で見上げてみるけれどよくわからない。

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▼かりや淳子風景画展2

近所にある『たぬき食堂』で「かりや淳子風景画展2」が開かれる。

2008年4月26日(土)、27日(日)、29日(火)の三日間の
11時30分から17時までで
その日は『たぬき食堂』が『カフェたぬき』になる。



このかりや淳子という人は『たぬき食堂』に飾られている絵を見るたびに
ひどく上手いのでほかの絵も見てみたいと以前から気になっていた。

『カフェたぬき』※展示期間のみ限定営業
東京都文京区本駒込5-2-2
通常『たぬき食堂』Tel:03-3941-7841
(JR駒込駅本郷通り東大方向徒歩6分)

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【屋号と氏名】

【屋号と氏名】

静岡県清水。
友人が見せてくれた昭和32年の『岡小だより』。
(ちょっと酔ってたので詳細に自信なし)
広告の屋号に店主もしくは社長の名前が添えてある。
ちゃんと名前が入っていることと、清水港燃料株式会社が
「まき、すみ、れんたんの店」
と子どもでも読めるように書いてあるのは
小学校が発行する新聞を意識しているのだろう。

清水港燃料株式会社は社長が神戸さんだったのかと気づき、昔旭町で灯油を買いに行っていた神戸さんと関係あるのかしらと、ちょっと思考が脱線するのは酔ってるせいかしら。


清水駅前にあったらしい食肉・鶏卵・食料品・ハムソーセージの店の店名が誰も読めなくて首をひねっていたら焼津駐在員の友人が“ヘンな読み方”をするので、もうそうしか読めなくて笑ってしまって断念。
帰京して落ち着いて読んだら鶏肉の金一さんなので『とりきん』さんなのだと思う。

清水駅前で鶏肉で金一さんって、もしかして『金の字』と関係ないかなと、ちょっと思考が脱線するのは酔ってるせいかしら。

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【鈴や化粧品店】

【鈴や化粧品店】

静岡県清水入江南町。
この町で僕が生まれるより遥か昔からあった化粧品店。
4 月 18 日、旧静岡市在住の友人を訪ね亡くなられたお母さんの女学生時代の思い出ノートである見事な寄せ書き帳を見せていただき、昭和初期の女学生の誰もが見事な達筆だったことにとても驚いたのだった。


その中でもとりわけ仲の良かった友達の家が、この『鈴や化粧品店』だと聞いたので翌日その前に立ってみた。
僕が生まれた家はこの旧東海道沿いに立つ店から 100 メートルほど裏手に当たるので、わが母もたびたび訪れた事があるのだと思う。

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【グッドラック・アンド・グッドバイ】

【グッドラック・アンド・グッドバイ】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 4 月 22 日の日記再掲

郷里静岡県清水に片付け帰省し、まちなかを歩いていると『清水まちなか巡回バス』が舗道脇を追い越していき、
「(ああ、このルートを歩くならバスに乗れば良かった)」
とバスの存在に気づくことが多く、住民ではないせいか頭の中に便利な交通手段として定着できずにいる。

 清水区の中心市街地の活性化をめざし、市民のみなさんや観光客が、より便利に移動できるよう、商店街、公共施設、清水港などを結ぶ巡回バスの試験運行を平成19年10月1日に開始しました。試験運行期間は平成20年9月30日までの1年間です。運賃は、大人(中学生以上)100円、小人(小学生)50円です。商店街でのショッピングや名所旧跡めぐりなどにぜひご利用ください。(静岡市のサイトより)

今年 9 月いっぱいの試験運行期間期限が来て利用率があまりに低かったり、住民からの存続誓願でもなければ、またバスの走らない街になるのかも知れない。

清水銀座商店街を走る『清水まちなか巡回バス』の写真を撮りたいと思いつつなかなかちょうど良いタイミングに出会えない。約 20 分間隔で運行されているので、ここぞという場所で待ちかまえていればよいのだけれど、落ち着きのない性格なのでそれもできずにいる。

静岡県清水江尻町。
県道清水富士宮線を歩いていたら清水銀座商店街を走り抜けた『清水まちなか巡回バス』が魚町稲荷前で左折し、旧東海道を稚児橋方向へ走っていくのが見え、真正面に日本平が横たわっている。

他のどんな乗物よりも、バスの後ろ姿ほど走って追いかけたくなるものはなくて、松任谷由実作詞作曲で岡崎友紀が唄った『グッドラック・アンド・グッドバイ』を思い出し、『清水まちなか巡回バス』の未来にグッドラック・アンド・グッドバイである。

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【静鉄タクシー七軒町営業所脇青空市とひこうき雲】

【静鉄タクシー七軒町営業所脇青空市とひこうき雲】

4月19日、静岡県清水大正橋たもと。
静鉄タクシー七軒町営業所脇にお馴染みの「青空市」が立っていた。


一筋のひこうき雲が校庭に白線を引くように青空を横切ってゆき、時計の針は午前11時をちょっと回ったところ。

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▼カレー南蛮百連発:017



郷里静岡県清水の蕎麦屋が出すカレー南蛮が好きで
清水の蕎麦屋だと東京でしばしば出てくる
ルーを使ったカレーをかけそばの汁にといたような
家庭のリフォーム料理的カレー南蛮は出てこないと
繰り返し自慢しつつ帰省するたびに梯子を登っていた。



そしてついにこの梯子を踏み外す日が来てしまった。
おそらく清水でもかなり古い蕎麦屋だと思うのだけれど
カレー南蛮を頼んだらかけそばの上に
ルーを使ったカレーがドロリとかかったものが出てきた。
これを箸でかき回すと東京で良くあるカレー南蛮になるのだけれど
かき混ぜてないのがユニークといえばユニーク。

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【清水ブランド大作戦】

【清水ブランド大作戦】

駅前銀座「リビングハウスこまつ」の陽気ななおさんを訪ねて今話題の『清水シャツ』を見せてもらった。



詳しくは

▼まちはみんなの宝箱

▼Atelier MARUMIRUの布日記:清水ブランド大作戦

▼さんらいふ

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▼駿府橋

駿府城内から北街道に向かって
社会福祉会館脇を通る道があり、
その側溝には雨上がりということもあって
勢いよく水が流れていた。



駿府城に関しては全くといって良いほど知識がないので
内堀の水をこれだけ勢いよく排出する水路ということは
その先に大きな水を貯めておく場所があるに違いないと
たどっていったら水中に巨大な鯉がおり、
ぎょっとして下を見たらどうやら外堀のようなものに
架かる橋があってその名を駿府橋というのだった。
水は水落(みずおち)で暗渠となった横内川へと注ぎ、
やがて上土(あげつち)で巴川と合流するので
この水は郷里の清水港へと流れて行くのだ。

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【春に降るもの】

【春に降るもの】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 4 月 20 日の日記再掲

桜の花が咲く季節が終わると木々の芽吹きが一斉に加速して見上げた空を若葉が覆っていく季節になる。

若葉の隙間から差し込む一条の光があったりすると、春の森ではさまざまなものが間断なく地上に向かって降り注いでいるのが見える。

鳥ならば舞い上がって木々の上の方でどんな営みがあり、何という名前の木が何を地上にパラパラと落としているのかを確かめられるのだけれど、よほど博識でないと地上に落ちた細かい落下物が何であるかを確かめるのは難しい。

静岡県静岡市葵区追手町、駿府城お堀端を歩くと桜の開花はとうに終わっており、その名残に混じってお堀端の木々から落下したさまざまなものが水面に浮かんでいる。

お堀の鯉も水面に落ちてくるものが気になるらしく、物憂げに水面に顔を近づけては大きな口を開けてみたりしている。

頭上から降りしきる植物の生成物と、水面への落下物が食べものであることを期待している鯉と、それをお堀端でぼんやり眺めている人間がいる静かな春の夕暮れ。

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