【おはよう!】

【おはよう!】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 8 月 31 日の日記再掲

四十九日の法要を済ませて納骨するまで、実家に母の遺骨と仮位牌を置きっぱなしにするわけにも行かないので寺に預かって貰い、遺影だけがある不思議な家で週末は寝起きしている。

朝起きると母の写真に向かって「おはよう」と声が出る。「いただきます」「ごちそうさま」と「ただいま」「行ってきます」もつい声になって口をつき、それはちょっと思いがけないことである。

いただいたメールの中に、
「仲良しだったお母さまは、いつも近くで見守ってくださっています」
と書かれていたが、母親の霊はあなたのそばにいます!などと言っているわけではないだろうし、僕はそういう考え方はしない。もちろん写真がこちらを見ているとも思わないわけで、その証拠に風呂上がりなど平気で写真の前を裸で歩いており、それはたとえ親子でも生きている母親の前では絶対できなかったことである。

小学校 6 年生の秋に千葉県成東町にある古い農家の友人宅に泊めて貰ったら、風呂場はあっても脱衣所などなく、居間にいる家族の前で皆裸になって風呂に入るのに驚いた。高校生のお姉さんが裸になるのを見た時はドキドキした。昔の暮らしというのはそういうものだったらしい。

   ***

早朝の散歩は気持ちがいい。

夏になって母は早朝に散歩をしていた。体力が衰えて玄関を開けることすらできなくなるまで、朝の空気を吸いに屋外に出るのを楽しみにしていた。

静岡県清水真砂町、駅前銀座商店街からちょっと脇道に入った場所にある喫茶『かっぱ』のミックスサンドが母の大好物だった。パンの間に挟んである塩味の玉子焼きがほんのり温かく、食欲のない母が「美味しい、美味しい」と食べるのに驚かされた。

「お母さん、そんなに美味しいのなら『かっぱ』にはモーニングサービスがあるから、毎朝散歩してお腹をすせかせて朝食は『かっぱ』で食べたらどうだろう?」
と言ったら嬉しそうに「いいねぇ」と笑っていた。なかなかの妙案だったが、母の体力が急速に衰えて実現しないまま終わってしまった。

Data:RICOH Caplio R1

清水橋歩道橋を渡り、駅前銀座商店街のアーケードを歩く。日曜日の早朝は人影まばら……というより無人の街は映画のセットみたいだ。

『かっぱ』に入ったのは 7 時 39 分で客はまだ誰もいなかった。

モーニングセットを注文したら出てきたお皿にはやっぱり母の好きだった塩味の卵焼きがのっていた。卵焼きを食べ、ベーコンを食べ、ソテーしたスパゲティを食べ、厚焼きトーストを食べ「(『かっぱ』の美味しいコーヒーが付いてこの値段なら安いなぁ)」……と夢中になっていたら写真を撮り忘れたことに気づいたので店内の写真を撮る。

DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

「おはよう!」

朝の散歩帰りらしい客が次々に入ってきてモーニングセットを注文してだんだん賑やかになっていく。

   ***

清水駅午前 9 時 2 分発東海 2 号まで時間があるので、清水駅連絡通路を通って魚河岸のある江尻船溜まりに向かう。こちらも見事なくらいに無人である。

長い連絡橋があるのだけれど、なんど歩いてもこういうものを建設した意図がわからない。ストックトン橋から勢いよく駆け下りて来たり、勢いをつけて駆け上がっていく大型トラックがひっきりなしに通るので、この袖師臨港道路(しみずマリンロード)を跨いで江尻船溜(えじりふなだまり)や魚市場側に降りられる連絡橋なら存在意義を感じるのだけれど、不幸にもそういう風にはできていない。

Data:RICOH Caplio R1

最期は清水で迎えたいと言って帰郷した母は残された 11 ヶ月をこの町で過ごした。

その間に何度も江尻船溜に来て
「ああ、海の匂いっていいなぁ」
と言っていたのを思い出す。

Data:RICOH Caplio R1

人っ子ひとりいない岸壁に立って海風に吹かれ、船溜を漂うカモメに
「おはよう!」
と言ってみる。(8月28日)

【市場食堂】

JR清水駅というのはほとんど魚市場と直結した駅である。

ホームから漁船が見えて海が近く、とびきりユニークな駅なのだけれどそういう資源を活用するようには都市政策が考えられておらず、それはこの街に暮らす人々が背負う風土病のような地域の不幸なのだろう。

美濃輪稲荷大鳥居前の魚屋の案内で魚市場のせりを見せて貰ったのも、もう 3 年前の夏のことになる。

Data:RICOH Caplio R1

とうにせりが終わって無人となった魚市場を歩く。

全国にあるこういう魚市場には早起きな労働者のための市場食堂というものが大概はあって、渋好みの旅人が朝食を食べる穴場になっていることが多いのだけれど、清水の魚市場に隣接した『河岸の市』の食堂群は早起きではないのでその役に立たない。

『河岸の市』の裏手を歩いていたら隣のビル(漁協のビルだろうか)に公衆トイレがあり、その奥に『河岸食堂どんぶり君』という店があるのに気づいた。「営業中」という札がかかっているだけで他に何の情報もない不思議な店だがちゃんと朝ご飯が食べられそうだ。

入るのにちょっと勇気が要りそうな店だけれど、次回帰省時の「おはよう!」はこの店で、と決めた。(8月28日)

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【軽食覚え書き】

【軽食覚え書き】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 8 月 29 日の日記再掲)

母は若い頃から食生活の乱れた人だった。
食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べるのが好きで、外出時に気になる店があると寄り道して間食するのが大好きだった。そういう気ままな食習慣が、歳をとり病気になっても抜けきらず、食べたくないものは食べたくないのだからいっさい食べず、わずかな食欲はちっとも栄養のないものによる間食に割り当ててしまうのであり、母は最後まで食べたいものだけを食べるという気儘さを貫いて看病にあたる息子を困らせた。

勝手気ままでわがままな食生活というのは健康な体力があるからこそ成り立つ。そういう食生活は良くないなぁと思いつつも、実は健康で体力に溢れていた頃の母との暮らしは楽しかったなぁと懐かしく思い出す。母と一緒に外出すると
「ちょっとお腹が空いたから軽いものでも食べていこうか」
という話になることが多く、それは食べ盛りだった息子にとって嫌な提案であるはずもなく、乱れた食生活の楽しさを満喫したものだった。
 
   ***
 
清水在住の友人が、静岡にかつて『CBカレースタンド』という店があったと教えてくれた。

「カレースタンド」という名で C&B や S&B のカレーパウダーの缶を店先に積み重ねてカレー粉の匂いをプンプンさせている店が大好きなのだけれど、最近はそういう「黄色いカレー」を食べさせてくれる店が少なくなった。家庭用即席カレールーですら飴色をしている似非本格派の時代になってしまったからだ。

静岡にあった『CBカレースタンド』も都市再開発で消えてしまったとのことであり、
「(知らなかった、ああ行ってみたかったなぁ)」
と地団駄踏んだのだけれど、何と最近できたお洒落な高層ビルの 1 階に復活したと日記に書かれていた。

週末帰省で静岡駅に着き、母が亡くなって慌てて帰る必要もなくなったので新静岡センター方向に歩いて『ペガサート』という高層集合ビルを探す。

入口を入ったところに券売機があるのも友人の日記にあった通りであり、「(カレーはやっぱりポークだよなぁ)」と友人の日記に心の中で同意してポークカレーの大盛りにする。

写真上:友人と違い昔のこの店を知らないのでご主人がこんな顔なのかは不明。
写真下:「座ったのが厨房を背にして外が見える席だったので……」と友人が書いていたのはこの席だ。
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

出てきたカレーは意外にもやや飴色系である。

昔ながらの黄色いカレーというのはウスターソースがよく似合った。昔は黄色いカレーには必ずウスターソースが付いてきて、家庭用インスタントカレーも黄色かった時代はソースをかけて食べる家が多かった。福神漬けや紅ショウガだって当時の習慣が今に残っているだけで、飴色のカレーより黄色いカレーだからこそ味覚的に似合ったのだと思う。

皿から溢れさせないように盛ったやつも凄いし、これをこぼさないように食べるやつも凄いけれど、客をかき分けてこぼさずに持ってくるやつも凄い。
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

「(そうか『 CB カレースタンド』はソースの似合うカレーじゃなかったんだなぁ)」と思いつつ食べていたら隣の男性が、
「ソースください!」
と言い、表通りに面した方ではなく内部の厨房に面したカウンター奥から店員がソースを持ってくるとドバッとかけて食べていた。

常連恐るべし。

ここのカレーにソースをドバッとかけると相当に塩辛いと思うのだけれど、外は熱暑だし、労働者にとって塩分は親友なのでそれもいいかなと思う。(8月26日)

   ***

母と清水で銀ブラ(駅前銀座・中央銀座・清水銀座を散歩すること)をすると、母が、
「お腹が空いたから軽く何か食べていこうか」
という店が何軒かあり、そのうちの一つが戸田書店斜め前の路地を入ったところにある甘味処『甘寅』(あまとら:清水銀座四丁目)だった。

病気になってほとんど何も食べられなくなった母が、外食で食べられた数少ない料理のひとつが昔ながらのラーメンである。

昔ながらのラーメンとひとくちで言っても奥が深く、母はたいそうラーメンにうるさかった。浜田町『たなべや』のラーメンがひどく気に入っており、それ以外の店に連れて行くと
「失敗した、やっぱり『たなべや』にしておけば良かった」
と言うことが多く、素っ気ない醤油ラーメンなら何でも良いというわけではないのが、永年軽食を食べ続けたわがまま者ならではのこだわりと感心することが多かった。

「そうだ、昔よく行った『甘寅』のラーメンなら美味しいかもしれないよ。今度『甘寅』に行って見ようよ」
「そうだそうだ、『甘寅』でラーメンを食べたことがなかったけど、『甘寅』のラーメンだったらきっとお母さんにも食べられるかもしれないね」
などと話し合っていたのだけれど、暑くなって急速に母の体力が衰え、とうとう行く機会を失ってしまった。

かつて赤坂に醤油ラーメンと塩ラーメンの中間の味付けを「ミックス」と称して供するラーメン店が何軒かあったがそういう味。
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

何十年振りかで綺麗な喫茶店風に改装された『甘寅』の店内に入ると、左手奥におでんの鍋があり「(そうだった、そうだった、『甘寅』には清水おでんがあったんだった)」と思い出す。

絵を真剣に書いたことがあればきっとわかるけれど、絵というのは描き込めば描き込むほど濁って行く。重ね合わせれば絵の具はどんどん濁っていくのが宿命だし、感性もまた濁っていくのだ。それでも濁っていく中に清らかで澄みわたった感性を表現できる数少ない画家がいて天才と呼ばれる。そうでない軽才はささっと素直に手早く書いた方が瑞々しい感性が表現できることが多い。

料理も同じで手をかければかけるほど濁っていく部分があり、カレーにしろラーメンにしろ手をかけずにササッと調理して澄み切った美味しさが表現されていることこそが「本格」ではない「軽食」の条件であり、だからこそ何かのついでにふっと思い出して気軽に立ち寄って飽きることなく何度でも食べられるのだと思う。

「軽食としてのカレーやラーメン」の条件は、二日酔いになって散々もどした後でもちょっと元気が出てきた時に、むかむかせずに食べられるということであり、『甘寅』のラーメンはそういう味だった。

ちょっとしょっぱいけれど、外は熱暑だし、労働者にとって塩分は親友なのでそれもいいかなと思う。(8月27日)

   ***

二日酔いになったら『 CB カレースタンド』の大盛りポークカレーにソースをぶっかけて食べ、『甘寅』のラーメンのスープを一滴も残さず飲み干し、夕方には口開けから清水駅近くの『金の字』で元気に飲めるまでに回復している……真の軽食好きとはそういうものでありたい。

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【台風一過】

【台風一過】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 8 月 26 日の日記再掲)

体力が衰えて身動きがとれなくなった母から、実家2階ベランダに並べていた鉢植えを片付けて欲しいと言われていた。

角形プランターに青紫の花をつけたニラのような植物が密生しているのを引っこ抜いて捨てろとの命令であり、花の時期が終わってタネがこぼれると次々に隣の鉢へと繁殖していって手に負えなくなるので今のうちに捨ててしまえと言うのだ。

そう言われても何とも愛らしい花であり、とても引っこ抜いて捨てるなどという残虐なことができず、母がもう自力で2階への階段を上がって息子が言いつけを守ったか確かめることなどできないとわかっていたので、
「抜いて捨てたよ」
と答えてそのままにしておいた。

写真:「青紫の花をつけたニラのような植物」というだけで名前を知らない。
Data:RICOH Caplio R1

母の葬儀が終わった翌日、見知らぬおばあさんが訪ねてきて
「お線香を上げさせて下さい」
と言うので上がっていただき、仏前に『静鉄ストア』で買った小さな花束とクッキーを供えていただいた。

線香を上げ、長いこと合掌されて帰られるというので、

「あの……失礼ですが母とはどういうお知り合いなのでしょうか?」
「以前お宅の前を通ったらニラのような葉っぱをした植物が綺麗な青紫の花をつけていて、私は持っていないので分けて欲しいと言ったら快く分けて下さったんです」
「このご近所にお住まいですか?」
「いいえ、私はもっと南の方に住んでいます」
「失礼ですがお名前は?」
「望月と言います」

後日、このおばあさんのことが気になって近所を歩いてみたが、清水の町はいたるところ望月の表札だらけなのでどこの望月さんだったのかはわからない。

ちょっと不思議な出来事である。

   ***

写真:清水真砂町。通称『グルメ通り』にある舳先。舳先がかき分ける左右には全く様相のちがう海原があり、舳先の先端では船乗りが利の薄い仕事に精出している。
Data:RICOH Caplio R1

向かいの床屋の奥さんに伴われて手押し車を押した白髪の老婆が香典を持ってこられた。

足が不自由になったので上がって焼香はできないと言うので、
「あの……失礼ですが母とはどういうお知り合いなのでしょうか?」
と尋ねたら斜め向かいの家に住むおばあちゃんだと言う。

驚いた。腰が抜けるくらいに驚いた。今から 24 年前の夏の日、生まれて初めて清水みなと祭りを見に来た妻が浴衣を着ると言い、母は着物の帯しか締めたことが無く若い娘の浴衣の帯など締められないというので、このおばあちゃんにお願いしたのだった。

おばあちゃんはニコニコしながら若い娘風に帯を締めてくれたのだが、その後一度も姿を見かけたことがなく、体調を崩されてあまり外を出歩かなくなったのだという。

「え~~~~~っ!」
と思わず声が出て24年前の夏の話しをしたが、覚えていないようだ。けれどニコニコ笑う顔は当時のままであり、申し訳ないがもうこの世にご存命とは思わなかったので幽霊に会ったような気分である。

あの夏の日から 24 年経って母は年老いて亡くなり、24 年経って妻は当時の母の歳に追いつかんとしており、24 年経っておばあちゃんは生き返ったようにニコニコ笑いながら現れてもうすぐ 100 歳になるという。

   ***

昔『ゆーとぴあ』(ホープこと城後光義とピースこと帆足新一の二人組)というコントグループが大好きだった。

『ゆーとぴあ』は人生が長いようで短い喩えればゴムひものようなものであることを身をもって教えてくれた人生の先輩である。

母の看護・介護が始まってみると、まさに人生は『ゆーとぴあ』の教え通り、長い時もあれば短い時もあるゴムひもそのものだった。1 ヶ月半の介護帰省を終えて帰京してからの 1 週間は驚異的に長く、
「(ああ、今日は清水に帰って美濃輪稲荷大鳥居前の魚屋名物『まぐろのベッコウ寿司』が食べられるのか……)」
などと思うのも数ヶ月振りのような気がしてしまう。

台風一過、延びきったゴムをパッチンとはなすような奇妙な週末帰省の朝である。

【最後の梅干】

毎年漬けていた梅干しを今年も漬けたいと母が言い、ケアマネージャの女性が実家から持ってきてくれた梅である。

母の指図に従って雨にあてないように毎日天日干しし、いよいよ母の具合が芳しくないので7月31日に梅酢に漬け込んだ。
「 8 月 15 日になったら甕から取り出して三日三晩雨に当てないように干してね」
と母は言い残して1週間後に死んでしまった。

最後の天日干し中の梅干し。
Data:RICOH Caplio R1

8 月 15 日、約束通り甕から取り出して天日干しし、雨の日を避けて 8 月 20 日に完了して保存容器に戻し一応梅干しの完成である。

ちょっと切ない梅干しであり、この夏を思い出して食べられる日が来るのだろうかと考え込んでしまう。

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【夜は千の目を持つ】

【夜は千の目を持つ】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 8 月 22 日の日記再掲)

元編集者で年上の友人に真夜中のメールを書いたら、
「「夜は千の目を持つ」から,傷心の涙もろい男には危険だよ (^^; 」
と即座に返事が来て、
「早く寝るべし」
と書き添えられていた。
「夜は千の目を持つ」という言葉は初耳だったので調べてみたら The night has a thousand eyes という題名の曲があり、同名の小説もいくつかあるらしいけれど、「夜は千の目を持つ」という言葉がそもそもどこから出てきたのかはわからない。

   ***

故人の荷物を整理するのは残された家族の仕事である。

それは住まいや蔵書や衣類や趣味のガラクタなど物理的なもののみならず、思い出や約束や心残りや確執など精神的なものの後始末まで含まれる。そういうものを含めた故人を整理するのに夜は非常に危うい、

「(どうしてこんなものをとっておいたのだろう)」
から始まって
「(死ぬ直前までこんなことをやっていたんだなぁ)」
という驚きがあり、日記やメモ書きなどが出てくるとついつい読んでしまい、
「(そうか、口には出さないけれどこんな事を考えていたのか)」
ともういない人の新たな一面を知り、
「(もしかするとちっとも理解してやれなかったのかもしれないなぁ)」
などと慚愧の念が胸に満ちてきたり、
「(ちょっと待って、それは違うんじゃないの?)」
などと故人との対話が始まってしまったりし、目眩のするような心の奈落に落ちていく気がする。

母が亡くなって始まった人生の後かたづけは、日の出とともに始めて日没までには必ず止めようと心に誓っている。

   ***

母が他界する二日前、8 月 6 日土曜日の朝、市立清水病院緊急外来入口で撮った写真にナナフシが写っている。

なな‐ふし【竹節虫】
ナナフシ目の昆虫の総称。中胸が長く、翅を欠くなど特異な形態のものが多い。特にコノハムシは、葉に酷似し、擬態の例として有名。その一種のナナフシは、体も脚も細長く、全身茶色または緑色を呈し、草木の枝によく似る。タケノフシムシ。(広辞苑第五版より)

写真:8月6日、市立清水病院緊急外来入口にいたナナフシ。
Data:RICOH Caplio R1

虫が苦手で、とくに擬態をする虫に弱い。

虫などいないように思える場所に実は虫が潜んでいた!ことに気づいたときのドキッ!とする感覚がとても怖い。

どう怖いかというと、草木の中にナナフシが擬態して紛れ込んでいる状態は「ナナフシが草木の枝になった」と言えるのと同時に、「すべての草木の枝がナナフシになった!」とも言えるようなドキッ!があるわけで、そういう昼夜が逆転するような目眩が恐ろしいのである。

   ***

何も考えず心を無で満たして自分の呼吸を数えるのはとても身体に良い健康法なのだけれど、やってみるとそれはとても難しく、たいがいの人は十も数えないうちに心の中に満天の雑念が満ちてしまうという。一人きりになった実家で寝つかれない夜、ラジオを聴いていたら高名なお医者さんがそんな話しをしていた。
 
そういう人は何も考えないのではなく、自分の足の裏に穴がある状態を思い描き、その穴から空気が入って踵(かかと)、踝(くるぶし)を経て脹脛(ふくらはぎ)を通り、膝から太もも、そして臍(へそ)の下である丹田(たんでん)に満ち、再びもと来た道を引き返して足の裏から空気が抜けると想像して深呼吸を繰り返し、その1行程を1呼吸と数え「それだけ」を考えればよいそうで、冷え性や高血圧もその呼吸法を毎日続けることで改善されるという。

「夜は千の目を持つ」

満天に満ちる思い出には千の悲しみが擬態して潜んでいるのかもしれない。

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