電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【ゆく川の流れ】
【ゆく川の流れ】
本を読んだりテレビを観たりしながら、人の生年没年が気になって調べるたびに、【生年没年】と題してクラウド上につくったメモに書き込んでいる。妻は音楽家のそれをつくってときどき見ている。
人が生きられた人生の長短が気になるからではなくて、人と人との関係が気になる。この人とあの人は生きられた期間は重なっているんだろうか、互いの存在を知っていたんだろうか、知らなくても同じ空の下で同じ空気を吸っていたことがあるんだろうか、同じ時代の空気があの人とあの人とに及ぼした影響と思える共通点があるんだろうかと、そんなことが気になるからだ。
NHK の大河ドラマを観ていれば、紫式部と清少納言のそれが気になり、ついでに土佐日記や更級日記や方丈記を書いた人たちのそれが気になる。
たとえば「ゆく川の流れは絶えずして」と方丈記を書いた鴨長明の生年から没年の期間には、京都あたりを震源とする大地震があり、その年の春には秋の天災に先立つ人災があり壇ノ浦の戦いをもって平家が滅亡している。そんなことなども、ちゃんとこの生没日記の流れの中に含まれている。
その思いつくままに追加するメモには生没年さえわかれば好き嫌いや有名無名に関わらず、まったく無関係のどんな人でもちゃんと収まるべき場所があるのがおもしろい。新たな生年没年を追記するたびにそう思う。明治以降はこれからもっと錯綜していくだろう。
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20 音オルガニートで
20 音オルガニートでわらのなかの七面鳥 Turkey in the straw
アメリカ民謡
20 音オルガニートでコロブチカ коро́бушка
ロシア民謡
20 音オルガニートで木の靴(手をたたきましょう) Klumpakojis
リトアニア民謡
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【本数と性】
【本数と性】
裏通りを歩くと郵便ポストは思いがけない場所にある。外は強風が吹き荒れているので、強風に煽られながら図書館に行く道すがら、あの辺に都合よく郵便物を投げ入れられるポストがなかったかなと思う。
Google マップで「郵便ポスト」と入力してポストのある場所にピン📍が立たないだろうかと思ってやってみたら、郵便局のある場所にだけピンは立つ。
全国に 18 万箇所ほど設置されているというポストを検索できる「ポストマップ」があったので使ってみたら、やはり近所の知らなかった場所に郵便ポストが 2 本立っていた。拡大率を上げないと存在が密すぎて役に立たない。
日本を含む東南アジアの言語の多くには名詞の後ろにくっつく「助数詞」というものがある。当然郵便ポストも可算名詞なので助数詞がつくのだけれど、郵便ポストを「本」で数えて言われてみると確かにそうだ。
名詞のジェンダーを区別する言語において、郵便ポストは男性名詞・女性名詞どっちなんだろうと思い、「郵便ポスト+性」で検索した結果を見たら、郵便ポスト選びは見た目より「実用性」と書いてあるので笑った。
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20 音オルガニートで
20 音オルガニートでわらのなかの七面鳥 Turkey in the straw
アメリカ民謡
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ロシア民謡
20 音オルガニートで木の靴(手をたたきましょう) Klumpakojis
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【別れの曲と最終便】
【別れの曲と最終便】
2024 年 2 月 26 日、図書館から借り出した映画の DVD『別れの曲』(1934)監督:ゲツァ・フォン・ボルヴァリーと、『ウィンナー・ワルツ』(1934)監督:アルフレッド・ヒッチコックを返却し、借り出し予約しておいた『真夏の夜の夢』(1935)監督:マックス・ラインハルト、ウィリアム・ディターレと、『トップ・ハット』(1935)監督:マーク・サンドリッチを借り出しに行ったら、図書館は月に一度の休館日だった。当たり。
公共施設の休館日が月曜日なのは日曜日の利用者「増」に対して月曜日が利用者「減」になるという理由もある。文京区は休館となる月曜日を月一回だけに抑えてくれているのだけれど、それでもぼんやり訪問して休館日に出くわしてしまうのは、日曜日に借り出した本や映画の利用を終え、平日である月曜日にのんびり返却を思いつくような年齢層に自分が達したからからだろう。
DVD 化されたドイツ語版の『別れの曲』を観たが、劇中の役者が演じる登場人物とはいえ、生きて動くパガニーニとリストが見られたことと、故郷と恋人と音楽教師との「別れ」が思いがけずサッパリして呆気ない断章になっていたのが好印象として残り、妻もやはりそう言っていた。
長いことお付き合いさせてもらった出版社から新たな仕事の依頼があったので、人生のひと区切りとして、ていねいにメールを書いてご辞退したら、友人のカメラマンも同じことを言って仕事を断ったらしい。著名な医師から「最終便となる本を出し終えたところです」と電話があり、その電話を受けた出版社社長も、ここ数年「自分の最終便」を探されているという。
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20 音オルガニートで
20 音オルガニートでわらのなかの七面鳥 Turkey in the straw
アメリカ民謡
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ロシア民謡
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【ベランダにパセリ】
【ベランダにパセリ】
2024 年 2 月 24 日、近所の花屋店頭に育苗ポットに入ったパセリの苗が並んだのでひとつ買ってきて鉢に植えた。数軒の花屋の前を通ったけれど、まだ他の店には並んでいないので時期的にちょっと早いのかもしれない。
とはいうものの去年はもたもたしているうちに店頭から消えて買いそこねたので、今年は気づいたところで即買いした。
西友の園芸用品コーナーに行ったら「軽い」ことを売り物にした鉢底石と野菜用培養土があったので今年はそれにしてみた。軽い土は野菜の育ちが良いというのだけれど、とりあえず買い物帰りのリュックサックが軽かった。
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20 音オルガニートで
20 音オルガニートでわらのなかの七面鳥 Turkey in the straw
アメリカ民謡
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【春の連鎖】
【春の連鎖】
青果店に安い文旦(ぶんたん)が出ていたので買ってきて夕食時に食べていたら、友人夫婦から電話があって貰いものした文旦を届けてくれるという。文旦が大好きなので嬉しい。
自転車に乗った友人夫婦が板橋からやってきたのでちょっとだけピンポンをした。やはり高知の文旦は立派だと貰いものに感心して食べていたら、妻が送っているオルゴールを録音した CD の礼として毎年届く高知産の文旦が今年もまた届いた。
毎年文旦の皮で手づくりしたママレードも添えられていて嬉しいのだけれど、清水の珈琲焙煎店に珈琲豆を注文したら、ご主人の手づくりだという柚子のママレードが同封されていた。黄色い文旦とママレードで食卓が明るく賑やかになって、春の連鎖反応は柑橘系の香りがする。
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【紙と日本語】
【紙と日本語】
路上で配っているポケットティッシュを受け取ってもらえない若者が、笑顔で「最高級のティッシュです!」と言うので笑ったけれど、「最高級のティッシュです!」には「誰の何にとって最高級?」という問いとその答えが省略されている。だから「いいなあ」と思う。
むかし古びた御茶ノ水駅構内の改札口手前で、青ざめて脂汗浮かべた若者に突然手を差し出され、「紙ください!」と言われて事態の深刻さと紙の重さに驚いたことがある。
2008 年 2 月 24 日の六義園内
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【ポケットティッシュ配り】
【ポケットティッシュ配り】
買い物で近所の商店街を歩いていたら、道行く人にポケットティッシュを配っている若者がいて、最近は薄っぺらなティッシュなどに手をのばして受け取る人も少ない。
この子は配り終えてノルマを果たさないと困るんだろうなと思い、受け取ってやろうと思いつつ、ついつい手が出なくて通り過ぎてしまう。
手が出ずに通り過ぎようとしたら、若者が笑いながら
「最高級のティッシュです!」
と言うので笑った。
2024 年 2 月 17 日 豊島区駒込
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20 音オルガニートで
20 音オルガニートでおちゃらかほい Ocharaka Hoi
20 音オルガニートでかごめかごめ Kagome Kagome
20 音オルガニートであぶくたった Abuku Tatta
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【央央】
【央央】
読んでいる著名な国語学者( 1919 - 2008 )の本に「央央」ということばが出てきて、初めて見たので何と読むのだろうと思い、辞書を引くと「えいえい」という項目が立っていて、
【央央】えいえい
〔詩〕に、鈴の音のひびき合うさま、旗のあざやかになびくさまを形容する語に用いる。
とある。原文では、
いわば、itとa roseとの央央で、isがそれらを天秤でかつぐような形をとる。
と用いられている。
詩集ではないし、「イットとア ローズとのえいえい」では、英語において「 is 」が「天秤でかつぐ」ときのかけ声だとしても意味不明「である」。
これは電子書籍化する際のタイポエラーであって、紙の原本では「中央」だったのではないかと思う。
2024 年 2 月 20 日 北区田端
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20 音オルガニートで
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【ときどきどきどき】
【ときどきどきどき】
通行人がときどき吸い込まれていくビルの隙間の通路があって、どうでもいいと思いながらときどき気になっていた。
気になることと、気にならないことの間にある「ときどき気になること」がおもしろい。おもしろさの卵である。心の中で生かさず殺さず温め続けるとある日突然孵化する。
数歩前を歩いていた若者がスッと左折して吸い込まれていく隙間に、跡を追って吸い込まれてみようという気になったので、その勢いを加速して吸い込まれてみた。
隙間の通路は直進して突き当たって右に折れる。左折の選択肢はない。早足の若者が消えていった角を勢いよく曲がったら前方に若者の後ろ姿はない。
飲食店に挟まれた通路が抜けていく先に見慣れた場所が見えていて、「ああ、あそこに出るのか」と思う。
なるほど少し近道になるな、と思いながら直進してポン!と抜け出る直前、側壁に従業員用の通用口があって、開け放たれたドア口から厨房内が見えた。
2024 年 2 月 20 日 文京区本駒込
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20 音オルガニートで
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【映画の歴史2】
【映画の歴史2】
昨夜はアルフレッド・ヒッチコック監督のイギリス映画『ウィンナー・ワルツ』(1934)が夕食時の友となった。
ウィキペディアによるとヒッチコック作品としては自他ともに認める失敗作らしいけれど、区立図書館の収蔵リストにあったので古いものから淡々と借り出している。社会の歴史とはそういうものだ。最後にちゃんと拍手して楽しく見終えて家庭内の歴史となった。
今夜は一緒に借り出したゲツァ・フォン・ボルヴァリー監督のドイツ映画『別れの曲』(1934)を見る。翌年つくられたフランス語版のヒットでメインテーマの「練習曲作品10-3」が日本では「別れの曲」と呼ばれるようになったのだという。
図書館の収蔵作品リストを見るとこのショパンをはじめとして、音楽史上の偉人を取り上げた楽聖映画が多いのも嬉しい。
2024 年 2 月 18 日 北区田端
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20 音オルガニートで
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【デッドレコニングの達人】
【デッドレコニングの達人】
dead reckoning(デッドレコニング)という初めて聞く言葉が読んでいる本に出てきて、方位測定能力だという。遠く離れた場所で放たれた伝書鳩が自分の鳩舎に戻るあの能力のことだ。新鮮な言葉の出現に喜んで調べたら「推測航法」のことだとある。
GPS システムを搭載した自動車は衛星測位で常に現在地をつかんでいるけれど、トンネル内や山峡など測位不能な場所では、最後に自身を定位したポイントからの移動データにより、現在地を予測しながら走行していく。それを推測航法というらしい。
伝書鳩に限らず、動物は離れた場所から元いた場所に戻ることができる。旅先で飼い主とはぐれて迷子になった犬や猫が、たいへんな距離をはるばる歩いて帰宅して人間を驚かせるあれだ。
その能力が他の動物に劣るので区画整理された都市を作りたがる人間が、街歩きして見知らぬ路地に迷い込み、推測航法に失敗したあげく思いがけない場所に出て驚いたりする。それをよろこんで「散歩の愉しみ」などと言う。
2024 年 2 月 18 日 北区田端
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20 音オルガニートで
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20 音オルガニートでかごめかごめ Kagome Kagome
20 音オルガニートであぶくたった Abuku Tatta
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【映画の歴史】
【映画の歴史】
夕食時つけっぱなしにしているテレビに観たい番組がなくなって来たので、区立図書館の収蔵 DVD リストを検索し、古い順にチェックして「観たい映画リスト」をつくり、順番にネット申請して借り出している。
観終えるたびに返却と新たな借り出しで図書館通いするのもまた楽しい。むかし郷里清水の静鉄電車運転席脇で映画館上映用のフィルムが運ばれていたのを懐かしく思い出す。
わが夫婦の親たちが幼かった頃から図書館の収蔵作品リストは始まっており、映画の歴史をたどるように、しばらくはモノクロの初期トーキーを観ることになる。
1931年『會議は踊る』監督エリック・シャレル、1931年『三文オペラ』監督ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト、1934年『アラン』監督ロバート・フラハティと観て、昨夜は1934年『アタラント号』監督ジャン・ヴィゴを観た。
役者たちの演技がまだ無声映画時代的であるのが面白く、台詞より視覚重視の映画作りがなされていて映像が息を呑むほど美しい。
2024 年 2 月 17 日 豊島区駒込
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20 音オルガニートで
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20 音オルガニートでかごめかごめ Kagome Kagome
20 音オルガニートであぶくたった Abuku Tatta
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【前後左右】
【前後左右】
年上の友人が車の運転中に「次を左折」とか「次を右折」とか横から指示されても、とっさに反応できないと言う。同乗することの多い同僚には、右を「箸」、左を「茶碗」と、箸と茶碗を持つ手の側で指示してもらうことにしていると言う。
当人は高専出の理系インテリなので、まじめくさって言うのを笑って聞いていたけれど、どうやらそういう人が本当にいるらしい。「私」という主体にとって前後左右は相対的なので一義的に決められるものではない、という意味のことを心理学者が書いていた。
車を運転する自分と、その光景を思い浮かべて客観的に観る自分の視点は異なっている。
その車を運転する自分がいま「駐車は前向きで」と指示がある駐車スペースに車を入れようとしているとする。自動車を運転する運転者の視点と、車の向きを指示する駐車場管理者の視点と、駐車された車に注意しながら通路を行き交う人々の視点と、駐車場全体を想像して俯瞰する視点があって、それぞれに「前」がある。前後左右を一義的に言い表すのは難しい。
理系の友人の頭の中はそういうふうに混乱する傾向があって、幼い頃から自分の身体が慣れ親しんだ箸と茶碗で、前後左右に対する「第一義の主体」をかろうじてピン留めしているのだろう。
***
雛人形を飾りつける妻に「右大臣と左大臣はどちら側から見て右・左なの?」と聞いてみた。
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昨夜は区立図書館から借り出したイギリス映画『アラン MAN OF ARAN』(1934)監督ロバート・J・フラハティを観た。さまざまな視点からさまざまに良かった。
2024 年 2 月 10 日 文京区本駒込
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20 音オルガニートで
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【無位の真人】
【無位の真人】
「辞書を引くのは面白いね」と病気で寝たきりになった母も言っていた。言葉の川上をめざしてさかのぼることは、魚が産卵場所を求めて上流へ遡上するのに似ている。
「範疇」を意味する「カテゴリー」はドイツ語だと Kategorie と綴る。範疇を決める性質は生まれながらのもので、それを「生まれつき」という。
「生まれつき」とは、生まれた時から備わっている性質をいい、「生まれる」とは母体から子や卵が時期満ちて出て来ることをいう。それを「かえる」「出生する」「誕生する」などという……と辞書を引きながらさかのぼる。
臨済禅師は「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人(しんにん)有り」という。赤肉団上とは生身の身体であり、生身とは他人との関係が生じる以前の「位(くらい)」がない裸ん坊をいう。
範疇が「私」をつくるのであり、「私」がつくられる前の、無位の真人が「魂」ともいわれるものだろう。
2024 年 2 月 10 日 文京区千石
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20 音オルガニートで
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【没頭するということ】
【没頭するということ】
ひとつの行為に集中することを「没頭する」というけれど、没頭に「首をはねる」という意味があることを知らなかった。没という字は恐ろしい意味を持っている。
【没頭】①ボットウ 首をはねる。〔国〕②一心にその事に熱中する。『没入ボツニュウ』
⇒没⇒頭(全漢字拡大版『漢字源』)
子どもの頃から、何か適当なことを見つけて没頭して過ごすことに慣れていて、過剰に没頭できた自分に気づくと、このまま死んじゃっても平気かもしれない、などと思った。
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
(八木重吉「草をむしる」)
こんな心境に近い。
ひとりアパートの一室に外出を禁じられて留守番させられ、朝から寝転がって本を読み続け、ふと気づいたらガラス窓が夕焼けで赤くなっている。本の世界に没頭していた自分を「よくやったなぁ」と思う奇妙な絶頂感が子どもごころにもあった。
狂気の沙汰ともいえるような行為に没頭している人が「死んでもいい!」などと口走るのはそういう心の働きかもしれなくて、悪事に没頭しながら首をはねられてもいいや、と思うのだろう。
2024 年 2 月 10 日 文京区千石
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20 音オルガニートで
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