駄菓子屋放浪記 7

駄菓子屋放浪記 7

お腹がいっぱいになったり、おいしいと感じられなくなった時、子どもが食べ物をおもちゃにして弄び始めることがある。食べ物が単なる物質にしか見えなくなるのだ。家庭では親に叱られるのでこらえていた食べ物をおもちゃにしたいという衝動を、実際に解放して試せるのが駄菓子屋での買い食いだった。

駄菓子屋には食べ物とは思えない異様な見た目をした物質が売られていて、お腹に入れて空腹を満たすというより、あれを口に入れてみたいという衝動で子ども心を魅惑した。「はい、あなたに代わって食べものをおもちゃにしてみました~」というものもあれば、「これはおもちゃです、しかも食べられま~す」などと、異形の駄菓子は声を張り上げて子どもたちを呼んでいた。

透明プラスチックでできた試験管の中に、毒々しい色のついたノリ状のドロドロが、何色も積み重なった地層サンプルのような駄菓子もそのひとつだった。毒々しい虹色の試験管には長いのと短いのがあって、クジをひいてアタリが出ると長いのがもらえた。

試験管には竹ひごが一本ついてきて、口紙をはずして竹ひごを差し込み、そろそろと引き上げると極彩色の地層がまとわりついてきて、それはボーリングによる地質調査に似ていた。そのレインボーのノリは食べることができて舐めると甘酸っぱい味がしたが、腹が膨れたり、おいしいと感じられるものではなかった。

おいしくないし、口に入れてみる興奮にも飽きてしまうと、みるみる食べ物から毒々しい物体に変わるので地面に置いてバシャッと踏みつぶし、
「わっ虹色のゲロだ!」
などと言いながら笑って逃げたものだったが、笑って逃げながら、食べ物を粗末に扱ってしまったこと、親が稼いだ金を無駄遣いしたことに対する、チクリとした胸の痛みがあり、罰当たりとはなにか、親不孝とはどういうことかのサンプルが、あの試験管には詰まっていたのだ。

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駄菓子屋放浪記 6

駄菓子屋放浪記

昔のおとなたちは
「食べ物をおもちゃにするんじゃない!」
とよく子どもを叱ったが、駄菓子屋にはおとなによっておもちゃにさせられたお菓子が売られており、金のためなら何でもおもちゃにするのがおとなである。リング状になっていて口に咥えて吹くと笛になるガムや、赤いセロファンでできた筒の中にポン菓子が詰まった五円の刀などがそれだ。
「かざす刀は五円の刀、切腹すれば刃が折れる」
などと大村崑演じる『崑ちゃんのとんま天狗』主題歌を替え歌で歌ったりした。

おもちゃになった駄菓子の中で、よくできていたなぁと今でも感心するのが、モナカの皮でできたプロペラ型の風車(かざぐるま)だ。うっすら甘い味が付いているのでもちろん食べられるが、真ん中に人差し指ぴったりの窪みがあり、そこに指をあて、風を待つのではなく自分が風になって走ることで回転させて遊ぶのだ。駄菓子屋から馴染みの空き地まではずいぶん距離があったが、プロペラ付きだと全速力で駆け通せたのが不思議で、目的地に着陸後は食べて燃料として補填するという、非常に合理的なおもちゃだった。

走るとくるくる回ったモナカの皮製プロペラを人さし指の先にあて、100メートルを子どもがゆっくり走るのと、短距離世界記録保持者が全速力で走るのとでは、100メートル走るうちに風車が回転する回数は等しいのだろうか、などと考えてみたが、ウサイン・ボルトがそれをやる姿を想像したら可笑しい。プロペラの強度が風圧に耐えられるかの方が回転数より興味深い。

おもちゃだったのかそうでなかったのか、今でも怪訝に思うのが「芯抜き」とか「粉吹き」と呼ばれた飴である。白くて十センチ程度の、細い円筒状の飴なのだが、中に細い糸のような飴ででできた芯がある。その芯は注意深く引っ張ると抜くことができ、抜いてストロー状になったものを吹くと粉が出るのだ。

油断した友だちの顔に吹きかけて大笑いするという一発芸おもちゃだが、本当に粉吹きおもちゃとして意図されたのだろうか。海苔巻きの中から甘く煮たかんぴょうの芯だけを抜き出して食べるような、構造的に奇抜な飴で子どもをびっくりさせるために、芯のまわりに粉をはたいておく必要があったのではないか、などと今でも訝しく思う。糸の意図が不可思議なので、子どもたちの呼び名も「芯抜き」派と「粉吹き」派に分かれたのかもしれない。

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駄菓子屋放浪記 5

駄菓子屋放浪記 5

子どもにとってニッキとは、猫におけるマタタビのようなものだったと思う。そうでなかったらニッキに対する執拗な執着の思い出がまるで依存後遺症のように鮮烈に残っているはずがない。

ニッキの香りがして色がついた甘い液体をニッキ水という。柔らかい透明容器に入れられたニッキ水には、内径が1ミリに満たない中空のビニールパイプが差し込まれており、ストローのようにして吸うとわずかずつ吸い上げられ、ニッキの香りとかすかな甘さが口の中に広がるのだった。そういうちまちました快楽を長いこと楽しめる秀逸な駄菓子がニッキ水だった。

子どもにとって口に入る甘さと香りは快感物質そのものであり、それを長時間ちまちま楽しめる道具は麻薬の吸引具に似ており、麻薬と言わないまでもニッキは子どもにとって洋酒や煙草のような嗜好品だったのだと思う。

郷里静岡県清水市の駄菓子屋ではもっと凄いニッキの売られ方がされており、そのひとつはニッキを塗って染み込ませた紙だった。そのニッキ紙様を買うと子どもたちはありがたくぺろぺろと舐め、味が薄くなると口に入れてぺちゃくちゃと噛み、味がなくなるとペッと吐き出した。外国人野球選手がくちゃくちゃと噛んでは茶色い唾を吐き出していた噛み煙草に似ている。

もうひとつはずばりクスノキ科の樹木の根を乾燥させて短く切り揃えたもので、赤い紙を巻いて数本ずつ束ねニッキ棒という名で売られていた。その棒を囓るとニッキの味がするのであり、囓りながら歩く子どもたちは、おとなのくわえ煙草姿にに似ていた。

昭和のおとな達は咥え煙草や噛み煙草や煙管を使ったシケモクなどで煙草という嗜好品を愉しみ、昭和の子どもたちは咥えニッキや噛みニッキやビニールパイプを使ったニッキ水で嗜好品としてのニッキを楽しんでいたわけだ。

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駄菓子屋放浪記 4

駄菓子屋放浪記 4

わが親の世代で漫画を読んだり、漫画本の購入に理解のある母親を身近で知らない。小学生時代に週刊少年漫画雑誌を読んでいた同級生は、お兄さんかお父さんが漫画好きの友だちだけだった。週刊少年漫画は、子どもの小遣いで買える値段ではなかったし、わが母はまったく漫画を読まない人だった。

当時、サンデーもマガジンも30円だったが、近所の駄菓子屋には十円玉を握りしめた子どもでも買える少年漫画雑誌があった。新聞紙を貼って作った袋にサンデーやマガジンを入れて束ねたものを駄菓子屋のばあちゃんが持ち、お金を払った子どもが
「どうか読んだことのないのが入ってますように」
と祈りを込めて選び、ぐいと下に引いてくじ引きするのだ。袋の中には数か月前の古い漫画週刊誌が入っていた。

毎回読み切りのギャグ漫画は当然として、ストーリーのある連載漫画でも途中から
平気で読めたのは、それほど娯楽に飢えていたからというのはもちろん、漫画家や編集者がどこから読んでも読者獲得できるように工夫していたのと、子どもの想像力が豊かであったことの賜物だろう。そして駄菓子屋とは
「どうか読んだことのないのが入ってますように」
と祈ってひいても既に読んだものをひいてしまう不運、そういうハズレにめげない忍耐力をつけるための、過酷な練習場でもあった。人生のほとんどは「スカ」と書かれたハズレでできているからだ。

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救急車と家族会議

救急車と家族会議

特養ホーム入所中の義母に付き添ってさいたま市の総合病院に行ったら、救急車を呼んで父親を担ぎ込んだ娘とその母親がいた。義母の診察まであまりに待たされるので、待ちくたびれてソファで眠りこけてしまった妻の横で、救急隊員の事情聴取を受ける見知らぬ親子の様子を見ていた。この娘さんはわが妻と同じかちょっと下くらいの年齢かなと思う。救急隊員二人が処置室と家族の間を慌ただしく行き来していた。救急車で病人をかつぎ込むとこうして、少なくとも二人の隊員が午前中はその記録や手続きで拘束されるわけだ。

そのうちに兄弟らしき男たちが駆けつけ、病院待合室で緊急家族会議が始まった。聞くつもりはなくても話し声が聞こえてくるので耳を澄ますと
「いざとなれば有料老人ホームしかないな」
「在宅じゃもう母さんが無理よ」
「なんとか役割分担でしのぐしかないな」
「そしていざとなったらまた救急車を呼ぶと」
「出たとこ勝負だな」
「よしそれで行こう」
「分担しっかり頼むわよ」
「わかった」
「じゃ本日はこれにて解散」
男たちが仕事の途中で抜け出してきたせいもあるのか、あっという間に解散になってしまい、なんて家族会議慣れした兄弟姉妹なんだろうと呆気にとられた。。

一人っ子同士夫婦で子どももなく、二人きり家族で三人の親を在宅看護・介護したわが家とは大違いであり、兄弟姉妹のいる家族のそれは随分と手際良く心強くて羨ましい。羨ましく思う反面、倒れた父親の症状についての話題も、年老いた母親の意向確認もまったくなくて、妙にサバサバしたやりとりであることに、妙にサバサバとした違和感もある。

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駄菓子屋放浪記 3

駄菓子屋放浪記 3

東京の北区王子で過ごした小学生時代、放課後の路地裏遊びで「三角ベースやろうぜ」という話になると必ずひとりくらいポケットに蝋石を持っている奴がいた。蝋石は 5 円出せば駄菓子屋で買えたし道端にもよく落ちていた。

蝋石の話をすると建築関係の友だちが今でも使うと言うが、あの蝋石は滑石で、ドラマや映画でしか見たことのない昔の筆記具、明治の子どもたちが石板に文字を書いている筆石のことだ。北区王子の駄菓子屋で売られていた蝋石はあれとは違う。

昭和の都民が気軽に日帰り旅行した観光地といえば秩父長瀞、長瀞土産によくもらったのが石の彫り物で、緑がかって妙な模様のあるその石は、まさしく駄菓子屋の蝋石そのものだった。蛇紋岩といって関東周辺に産出し、柔らかいので長瀞では彫刻し、四角く切り出したものは蝋石と称して売られたのだ。

筆石のモース硬度は 1 程度だから石板に文字が書けたが、東京の駄菓子屋の蝋石は蛇紋岩なのでモース硬度 3 であり、石板に文字を書くにはちょっと硬い。ちょっと硬い蛇紋岩はモース硬度 7 の砂岩で磨かれて勾玉になった。東京の子は勾玉の材料で道に線をひき三角ベースをやっていたのだ。

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駄菓子屋放浪記 2

駄菓子屋放浪記 2

小学生時代を過ごした北区王子も駄菓子屋の多い町だった。どう見ても一般住宅にしか見えない店で、土間や座敷に子ども相手の商品を並べて、おばあさんが店番している店があり、小学生は口コミでそういう店を知っていた。流行りの言葉で言えば隠れ家的駄菓子屋であり、そういう店に仲間を誘う子どもは、夜の街の客引きに似ていた。

駄菓子屋のおばあさんというのは、「何を買うんだ、早く選べ」「いくら金を持っているか見せてみろ」「買えもしないのに触るんじゃない」「次の子が待ってるから買ったら出てけ」などと口うるさく、当時を振り返って駄菓子屋のおばあさんはくそばばあばかりだったと言うと共感を得ることが多い。手間のかかる子ども相手では、そういう応対をせざるを得なかった、という事情もわからんでもないが、本当に意地の悪いくそばばあも多く、幼い頃家に戻ったら「その格好はどうした」と言うので「駄菓子屋のおばあさんにやられた」と答えたら、母が怒って「子どもに何てことをする、警察に訴えるよ」と怒鳴り込んだことがあった。

加太こうじ『[新版]日本のヤクザ』大和書房を読むと、ヤクザやテキヤが副業で紙芝居や駄菓子屋をやっていたケースが多かったという。よくもまあこのばあさんが、次から次へとこんないかがわしいものを、手を替え品を替え仕入れて来られるものだと、子どもながらに感心したものだが、そう言われてみれば合点がいく。

下町の工場地帯だったので不思議な売り物も多く、今では名のあるメーカーの海老煎餅やチョコレートの割れた不良品が、大きなビニール袋に入れて置かれてあり、クジをひかせて出た数字分だけアルマイトのカップですくってくれたりした。奇妙な物なので子どもの興味をひく謎の工業製品などもあり、買って遊んでいるとおとなが「ちょっと見せてみろ」などと言い、「ははあ、○○の部品だ、よくこんな物を子ども相手に売ろうなんて思いついたもんだ」と苦笑いしていた。東京下町の駄菓子屋はちょっと特異だったのかもしれなくて、荒川区尾久に育った加太こうじを読むと共感することが多い。

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駄菓子屋放浪記 1

駄菓子屋放浪記 1

ブルーノ・タウトが訪れた冬の横手、たくさんのかまくらを覗いて歩いたら、その一つひとつに子どもが入っていることに驚いていたが、昭和の時代、民家の土間を使って店開きした駄菓子屋には、がたぴし引き戸を開けると一軒一軒におばあさんが入っており、おばあさんは大抵くそばばあだった。

駄菓子というのは茶席に出したり贈答に用いる上菓子に対して、子ども向けに作られた安価な菓子を指すという定義を見かけるが、この辺が微妙で、貧乏暮らしで育った者には子ども向けの安価な袋菓子でも上菓子であり、民家の土間を利用して始めたような店で売られるいかがわしい菓子どもを駄菓子と呼ぶと言った方がしっくりくる。平たく言えば、駄菓子とは駄菓子屋で売られる駄菓子のことである。昔の人は駄菓子のことを一文菓子と呼んだそうで、わが母も駄菓子屋のことを一文商いと呼んでいた。

雑誌原稿に紙芝居屋の話を取り上げ、子どもの頃近所の八幡さんにやって来た紙芝居屋のおじさんの、テキ屋的ないかがわしさが大好きだったと書いた。言葉足らずになりそうなので、いかがわしいという言葉は、太古の昔に行われたたたら製鉄から生まれたもので、鉄となる途上の状態、あるいはなりきれなかったものどもをさす。そういう意味でテキ屋も、子どもも、年寄りも、病人も、半端で弱いものはみないかがわしさを持っている、と定義しておいた。

駄菓子屋放浪記 2

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弁当の構造と発想

弁当の構造と発想

文章を書く時にまず全体の構造を思い描き、そのタイトルのみを列挙した柱を立て、仕切りを作って箱をつくり、そこにご飯やおかずを詰めるように文字を書くことで弁当作りをする作文用ソフトウェアをアウトライナーという。

アウトライナーによく似た弁当作り道具にアイデアプロセッサというのもある。思いついた料理をどんどん作っていき、それらをとりあえず紙の小皿に盛って、ああでもないこうでもないと組み合わせを試しながら、ひと塊りの弁当という詰合せ構造物に仕上げるためのソフトウェアがアイデアプロセッサだ。

欧米人は意味段落(パラグラフ)という一皿ずつの文字でできたコース料理のように文章を書く習慣があるので、ワープロやコンピュータ用ワープロソフトなど、舶来の道具にはそういう機能がついていることが多い。

初めて買ったパソコンが Mac で、そういうことをするための代表的なソフトウェアが Acta だと聞いたので買ってみたが、使ってみたら、ははあ、これは折詰め弁当作成ソフトだなと思った。

アウトライナーとアイデアプロセッサは作法が違うだけで弁当作りという目的は同じなので、適当にごちゃごちゃいじっていれば弁当ができてしまうソフトウェアが多く、そういう折衷的な道具をアウトラインプロセッサなどと呼ぶ。アウトラインプロセッサはフードプロセッサに似ている。

思いつくままに料理するような作文が好きだ。発想は自由だから発想なのであって、構造の枠組みを作ってあるから指示通りの料理を作って入れろと言われたら、そんなのはロボットの作業なので食べ物に愛情がこもらない。自由に料理してみて初めて付け合わせに何が必要か、副菜は何がふさわしいか、取り合わせの妙をいかに楽しんでもらうか、彩りをどう添えるかという予想のつかない発想が湧いてくるのだ。

自由な発想に基づいて自由に料理したら、小皿に盛った料理が弁当箱に収まらないような事態に至らないかと心配になるがそうでもなくて、中身に応じて伸縮自在なのがコンピュータによる弁当箱の利点なので、構造を自由に変更しながら自在に飛躍すれば良い。自由は単に枠組みの変更なのであって、変更しても調整可能なのが正しい構造であり、蓋を開けて「あっ!」と驚かれる愛情豊かな弁当作りの秘訣である、と大好きなアウトライナーを使った作文の話がいつの間にか弁当作りの話になってしまった。

ちなみに懐かしのアウトラインプロセッサ Acta は現在も入手可能で後継ソフトも名を変えて存続する。いっそのこと弁当という名前にしたらいいのにと思うが、同じく Mac 用データベースソフト FileMaker が Bento(ベントー)を既に名乗っている。

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満州と警官

満州と警官

昭和五年生まれの父は、母親のように慕っていた姉が忘れられず、ひとり仙台を出て下関まで行き、釜山行き連絡船に乗って満州へ渡ったという。姉の元に着いたら「日本からひとりで来た子どもがいる」と評判になったらしい。奉天、長春、ハルピンを経てどこまで北上したか、幼い頃別れたので聞き損ねた

九州久留米にいたという満州警察あがりの紙芝居屋親分、練尾万寿治について読んでいてふと思いだした。練尾万寿治は自分が特高警察に追われていると勘違いして岡山に逃げ、さらに国策に乗るふりをして満州に渡り、それでも追手が来るのではないかと恐くてしかたなく、警官になれば仲間なのだから捕まえるまいと思って本当に警官になってしまった男だ。

わが父親も満州からの帰国後日本で警官になったが、追われて逃げていたとすれば、兵隊になって死ねなかった自分への自責の念のようだったと微かな記憶を辿って思う。読書中にひょんなことから数少ない父の記憶をさかのぼった。

|埼玉県富士見市榎町で見つけた鉄塔(2014/02/11)|

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Week Agenda

Week Agenda

iOS 用予定表アプリ Week Agenda のインターフェイスが素晴らしくて感動している。見開き一週間で予定一覧を表示する単機能アプリで、中央には製本された手帳のようなノドがシャドーで表現してある。本物に似せた仮想現実的デザインがくどくなく成功している好例だと思う。

|まだ予定の入っていない八月を表示してみたところ|

ユニバーサルアプリなので iPad でも使え、そちらの表示も良いけれど、iPhone/iPod Touch で縦長の「見開き」手帳を使っているような画面が見やすく機能的だ。親指でめくる操作が気持ち良く、用もないのにまずめくりたくなるという点において予定表として優れている。

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時間よ動け

時間よ動け

人それぞれが感じる意味の重要さに違いのある体験の連なりが時間というものの本質であって、あらかじめ全ての人にとって均質に用意された体験の連なりが時間であるというわけではない。時間とはあてがいぶちのように思えても、実は一人ひとりに個性的なものだ。

すべての人にとって均質な体験として時間を過ごすことを強要することは、時間の本質からの逸脱を強いることであり、均質の押し付けに対応しきれない子どもや弱者には、堪え難い苦痛を与えることになる。

多くの他人たちと共通する時間に沿って生きることで得られる利益、それを受け取る権利を身につけさせてくれるのが学校であって、おかげで長い時間を生きて来られたと思うし、その反面ただ流れに乗って無為に過ごしたとしか思えない時間も学校にはあった。

そういえば子どもの頃に感じた憂愁のほとんどは、時間というものの体験に関わっていたのだと思う。他者の時間に翻弄されることを学ばされるのが学校という場で、どうしても同じ教室にいることさえできない仲間たちの姿は次第に排除されて見えなくなった。

|2014年2月11日、柳瀬川土手にて|

1964年東京オリンピック前夜に放送されていたテレビドラマに、手塚治虫原作『ふしぎな少年』があった。四次元世界の力を得た主人公サブタン(太田博之)が、「時間よー止まれ!」と叫んで時の流れを止めることで、さまざまな事件を解決して行くのだ。

生放送主流の時代なので止まった時間を演じる出演者たちも大変で、それが異様な演技であったこともあって、動けと言われて時間が流れ出すとホッとして、心の中に暖かなものが流れるような気がしたものだ。

均質な体験として時間を過ごすことを強要されている人間というのは、自由に動いているように見えて実は静止させられているのかもしれない。鉄道ホームでハイスピード撮影された通勤風景を見たが、その精細な超スローモーションはまるで『ふしぎな少年』で見た静止シーンのようだった。

当時の仲間たちは「サブタンみたいに時間が止められたらいいのに」とよく言っていたが、あの異様な生中継映像の中で静止した演技をする人々の姿こそが現実世界を写したものに見えた。黙々と日々の勤めに向かう、動いているのに静止しているようなおとなたちにむかって、「時間よー動け!」と言ってみたいと思った日々が、子ども時代に感じた時間についての記憶になっている。

 ハイスピードカメラで写された群像 ↑ Adam Magyar, Stainless - Shinjuku


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メモの中の世界

メモの中の世界

外出時はなるべく手書きでメモをとるようにしている。いま自分が見聞きしているものを走り書きで記録することは、テレビの生番組に自分も参加することに似ている。

生放送に遅れをとらないよう速記者のようにすばやくメモすることは、頭の中で書き言葉に置き換える工程を経ない記録なので、あとになってメモを見返すと、いま起こっていることのライブのように情報がいきいきしている。

|MOLESKINEを使った走り書きメモ|

走り書きで素早く書いたメモほど、文字で書かれていないその場の雰囲気まで行間に含んでいるように役に立つのは、そういう理由によるのだろう。もちろん書いた本人にとってだけのことかもしれない。

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