人体と傘

2016年8月31日
僕の寄り道――人体と傘

雨が降ってさしている時の傘は、持っている柄(え)を通じて手が延長され、張られた布やビニールの部分が手のひらになっている。人は大きな手のひらを頭の上に広げて、雨粒を避けるような感覚で傘をさしている。必要がある時だけ道具は人体の延長になる。

雨がやんで手に持っている時の傘は人体から切り離されて、ただ用が無くなった荷物を手に持っているにすぎなくなる。だから人は傘を忘れる。思い出されるより忘れられる傘が多いので、急な雨が降るたびに傘は売れ、嘘のように晴れわたるたびに傘は溜まる。



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宇宙遊泳と自然療法

2016年8月31日
僕の寄り道――宇宙遊泳と自然療法

他人の寝姿を見る機会はあまりないので、自分の記憶にない立て膝の姿勢を見たりすると、よくそういう姿勢で眠れるものだと感心してしまう。まるで布団にとまったタテハチョウのようだ。

寝姿について検索すると、あおむけ寝を健康な人の基準姿勢とし、横向き、うつ伏せ、片手挙手、バンザイ、膝抱えなどさまざまに奇妙な姿勢を取り上げて、それは身体の不調のバロメーターですよ!と警告しているページが多い。

たとえば左を下にしての横向き寝は、右側にある肝臓が弱っていることの警告であり、肝臓を楽にするため左を下にして眠ると、こんどは心臓や胃や腸などに負担をかけて害を及ぼしますよ、などなど。立て膝の睡眠姿勢は腰の疲れの注意信号だそうで、たしかに身近な場所で立て膝寝をしている某は腰が弱く、たびたび腰痛でうんうん呻きながら寝込んでいる。

寝相の悪さは病気の証拠、そういう脅し方をされると休むための寝相選びも気にかかるけれど、たとえあおむけ寝が健康体であることの証(あかし)だとしても、あおむけ寝を意識的に実践したからといって健康体になれるわけではない。

人間が横倒しになるときは、引力に対して筋肉を開放して宇宙遊泳しているような状態であり、宙に浮くことを利用してさまざまな寝姿をとって、実は自分をいたわり治療しているのだと思う。横倒しになっての眠りは自然のホスピタルである。

横倒しになって身体を治療しても、万策尽きたとなればそのまま目覚めない安らかな死だって用意されているわけで、立ったまま病気で死ぬ人はいない。横になったら気持ちよく眠るのがいちばん、たとえ「寝相が悪い!」と叱られても、奇妙奇天烈で気持ちの良い姿勢でひたすら眠れば、それでよいのだ。


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警戒色と近眼

2016年8月30日
僕の寄り道――警戒色と近眼

台風接近中の晴れ間をぬって六義園内を散歩した。人影まばらな草深い細道を歩いていたら前方から来た女性がぎくっとしたようなので、私は無害な男性ですよと示すようにカメラを構えて脇を見たら、黄色と黒の警戒色をしたクモが雨で傷んだ巣を繕っていた。

網を張って虫を捕らえる狩りの生き物なのに、どうして目立つ黄色と黒の警戒色を身にまとっているのか不思議だ。警戒させてしまっては網にかかる虫も驚いて逃げてしまうのではないだろうか。

そんなことを考えながら何枚かシャッターを切っていたら背後を女性が通り過ぎる気配がしたので、構えていたカメラを下ろそうとしたら、半袖から覗いた左腕に何かが飛びついたのでびっくりした。ギャッと叫びそうになって腕を振ったらギーーッと鳴き声をあげてアブラゼミが逃げて行った。

アブラゼミは近くのものにしか目の焦点が合わないので、電柱のようにじっとしているものが人間であっても、飛んできたらとまってしまうらしい。クモの巣に捕えられる虫もそういう眼しか持っていないのかもしれなくて、遠くから見えてしまう人間のような生物に対して、クモは危険だから近づかないでねという警戒信号を送っているのだろう。

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世界を変える小さな方法

2016年8月30日
僕の寄り道――世界を変える小さな方法

コンクリート護岸化された都市河川、それでも辛うじて自然の残る猫の額ほどの河川敷を、散歩ついでにこつこつと整備している友人がいて「いいなあ」と思う。大雨で完全に水没して流されても、懲りずにまたやり直している姿を見ると、頭が下がりはしないけれど好きなんだろうなぁ、趣味らしいなぁと思う。

Oldboy浮雲の旅日記

東京で保育園に通っていたころ、オート三輪にはねられて瀕死の重傷を負い、「夫婦共稼ぎで子どもの世話もできないのか」と激怒した祖父に引き取られ、郷里静岡県清水で小学校入学間際まで過ごした。祖父母の家は田んぼの中の一軒家だったので遊び相手はおらず、人っ子ひとり通らない田園地帯にしゃがみ込んで一日を過ごした。

しゃがんで足元をじっと見ていると、雲の上から見下ろしたように地べたが世界の縮小されたものに見えてくる。棒で掘って水たまりの水を引き込んで川を作り、土を盛って高台や中洲を作り、石を置いて自然景観を作り、神様のように世界を変える遊びに熱中した。いまでもそういう場所と自由を与えられたら、やはり一日中飽きることなくやっていられると思う。

国を変えるわけでもなく、地域を変えるわけでもなく、ただ目の前にある小さな世界を変えることの喜びは趣味にふさわしい。趣味は大きな世界を変えないが、自分という小さな世界を救う。そういうことの方が人生において実は価値があるような気がしている。


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とこなつ

2016年8月29日
僕の寄り道――とこなつ

富山県高岡市の大野屋という店の「とこなつ」という和菓子が好きで、義父母が富山に住んでいたころは土産にもらうのが楽しみだった。なかに小さな栞が入っており、

立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし

という大伴家持の歌が紹介され、それにちなんだ菓子であると書かれていた。菓子でその歌を覚えた。

8月最後の月曜日のせいか、近所の診療所も調剤薬局も大混雑だった。お盆にかかる期間分をもらっていた人たちの薬が切れたのだろう。調剤薬局では足りなくなった薬もあったようで、不足した分は後日届けてくれるという。ぼくも血圧の薬が5錠足りなかった。

30分以上待たされてようやく薬を受け取ったら、出口近くに近所のご主人がいるのに気づいた。「どこの薬をもらいに来たの」と聞くので「血圧」と答えながら無意識に左腕を指差し、「そちらはどこ?」と聞いたら無言で笑いながら頭を指差していた。頭が悪いのだろう。

沖縄近くまで南西方向に行き、発達して戻って来た珍しい台風の影響が出てきた午後(2016年8月29日)

調剤薬局で薬を待つ老婦人同士がする天候についての不思議な会話が聞こえてきた。
「遠くへ行ってまた戻ってくる台風なんてわたくし初めて」
「驚きましたわよねえ」
「ええ、寂しくなりました、四季がなくなって」
「常夏(とこなつ)ですものねえ」
と言うので、えっ?と驚いた。四季の風情が薄らいだ世相を嘆くなら共感するところはあるけれど、冬は冬なりにひどく寒いので、常夏の国になったわけじゃないよなぁと思いながら、富山のお菓子を思い出した。


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人の名前の思い出しかた

2016年8月28日
僕の寄り道――人の名前の思い出しかた

 人の名前が思い出せないことが多くなり、「ええと、あの人の名前、確かうしろに塚がついたんだけど、なに塚さんだっけ?」などと尋ね、それだけわかっていれば思い出しそうなのにどうしても思い出せないことがある。

どうしても思い出せないときの非常手段は自分がコンピュータになって「うしろに塚のつく人名」というプログラムを実行してみる。それを順構造で逐次処理を行い、「あかさたなはまやらわ」のあ行から、あ赤塚、い岩塚、お大塚、き清塚…とやっていくと、たいがいめざす人名に一致してプログラム終了となる。

このやり方でなかなか出てこなくて「だめだ〜出てこない〜」とねをあげる時は、たいがい正解が最後の「やゆよわ」のあたりにあって、めざす人名は「横塚さん!」だったりする。もし「『あかさたな』までで正解が出ない場合は逆方向からの処理に切り替える」という分岐をプログラムに入れておくのも有効かもしれない。


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人はなぜ町並みを迂回するのか

2016年8月28日
僕の寄り道――人はなぜ町並みを迂回するのか

神楽坂のはずれをほろ酔い加減で歩いていたら偶然友人の息子に出会ったので、「この辺でもうすこし静かに飲める小さな飲み屋がない?」と聞いたら、表通りをぐんぐん歩いて路地へ右折し、もう一度右折して表通りと並行した裏道をぐんぐん戻り、最初に会ったあたりの裏手にある古びた店に案内してくれた。

「この辺は並行した道を縦につなぐ道がないのでこうやって遠回りしなくちゃならないんです」と言う。なるほど、先ほど商店街ですれ違った犬の散歩のご婦人が、向こうからやってくるのに出会った。写真家の友人が「やあまた会いましたね」と声をかけたら、「こうやって回っているんです」と笑っていた。

帰宅して朝になり、どうしてあの辺はそういう町割りになってしまったのだろうと不思議に思い、古地図を見たら表通りは昔から軒を接して商家が立ち並んでいたのがわかる。いっぽう裏通りは表通りほどではないけれどやはり家が立ち並び、裏手は農地になっているので兼業農家だったのだろう。表通りの専業商家と裏通りの兼業農家が畑を挟んで背中合わせとなり、農地を私道にしてまで互いに行き来する必要もなかったので、そのまま道もできず細長い市街地ができたのだろう。

牛込矢来町と赤城下町辺りで飲み、江戸川橋まで歩いて友人夫婦と別れ、バスに乗ろうとしたら、もうすでに早稲田発のバスは終わっていたので、通りかかったタクシーに乗り、大きく迂回して帰ってきた。

友人の息子が案内してくれた行きつけの店「野みち」。
「お酒がもういい人はどうぞ」とお茶を出してくれた。

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化け物と死

2016年8月27日
僕の寄り道――化け物と死

朝のニュースで手作りお化け屋敷夏休みイベントの話題を見てふと思い出した。

驚かされることが大嫌いな妻は、お化けなんてちっとも怖いと思ったことがないけれど、自分を怖がらせようと懸命になっているおとなの形相が気持ち悪くて、幼い頃よく泣いたという。

自分にも同じ記憶がある。死んだふりのうまい叔父がいて目の前で倒れて見せ、ふりをしているだけだとわかっているのでやめさせようとしても、白目をむきヨダレを垂らして演技を徹底し、泣き出したのを見て満足したように大笑いするという、そういうおとなの熱情が怖いほど不気味だった。

自分も子ども時代はそうだったから気持ちがわかるというと、
「わたしはお化けなんてちっとも怖くないし、死ぬことだってちっとも怖くない。でもあなたは死ぬことが怖かったんでしょう」
と言う。

うまいところに言及してくれたので
「そう、子どもの頃は死ぬことを考えると怖くてたまらなくて、夜中にひとりで泣いていたこともある。だけど、最近ようやくわかってきたのは、自分を怖がらせようとそのことばかり考えさせる自分がいて、そういう自分に自由を許さなければ、人が必ず死ぬということなんて決して怖いものじゃない。怖がらせようとするもう一人の自分がいて怖いんだとわかった」
ということを話した。

そういえば、同じように子どもの頃、自分が死ぬことが怖くて仕方なかったという哲学者の中島義道が、怖くて怖くて離人症になってしまったと書いているのを面白く読んだ。離人症というのは現実感喪失症侯群ともいわれ、自分が自分の体との一体性を失ったように経験される症状なのだけれと、「おとなはなぜこれでもかというくらいの努力をしてまで子どもを怖がらせたいか」という点ついて考える面白いヒントかもしれない。

他者または自分を怖がらせることに何の得があるか、という問題は夏に考えてみるといいかもしれない。


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ペグ

2016年8月27日
僕の寄り道――ペグ

中学高校時代はよくウクレレをもらった。「よく」というのは、静岡県清水は港町であり、遠洋漁業を終えたマグロ漁船員が入港して手土産にくれることがあり、同じく船員にもらって持て余したキャバレーの女たちが、「ぼーや、これあげる」とくれることも多かったからだ。

ハワイに寄港したか否かはわからないけれど、ウクレレはいかにも南洋帰りらしい洒落た手土産だったのだろう。その頃の清水市旭町は日暮れから夜明けまで殷賑を極めており、小さなビルの屋上は軒並みピアガーデンになって、スビーカーの割れた音がやかましくハワイアンを垂れ流していた。

もらうウクレレはどれも観光土産用の安物だったのか、弦を巻く糸巻きが木製で、力を入れて押し込みながら締め上げてもビヨーンと戻ってしまうので、調弦自体がきちんとできたことがない。きちんと弾けるウクレレを持ったことがないけれど、ポローンと鳴らして遊んだことはある。

ふと思い出して安いウクレレを買ってみた。安物とはいえ弦を巻き上げるペグもちゃんとギア式で調弦もしっかりできるし、チューナーも便利なものがあってびっくりした。G の弦を 1 オクターブ低くして使うために弦を張り替えてみた。

初めてなのでうまく巻けなくてがっかりしたが次回はもうちょっとうまく張ろう。ウクレレらしくポロローンと少しずつ練習を始めた。中学高校生時代の音がする。

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陽炎と逃げ水

2016年8月26日
僕の寄り道――陽炎と逃げ水

道の先に陽炎や逃げ水が見えるような炎天下を歩くと、現実や意識上の距離感が狂うかもしれない。久しぶりの道を正午過ぎに歩いたら、商店街の片側が次々に新築住宅化しており、とうとうあの古本屋も無くなってしまったかと感傷的になっていたら、その先にちゃんと古本屋はあった。

年季の入った佇まいで一度入ってみたかったけれど、既に店をたたまれてしまったものと思っていた蕎麦屋に藍色の暖簾がかけられているのが見え、目の錯覚ではないかと思って近づいていったら作業服姿の客が入っていくのが見えた。よかった、今度こそ一度寄ってカレー南蛮を食べてみようと思う。


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患者と医者と家族の朝

2016年8月26日
僕の寄り道――患者と医者と家族の朝

ようやく映画『レナードの朝』を観た。この映画が公開されたのが1990年で、なんとなく観たくなってDVDを買ったのがたぶん2008年だけれど、ちょうどDVDプレーヤーが壊れてしまっていて、見られないまま時が経ってしまった。今さら観よういう気になったのは、オリヴァー・サックスの本を偶然買って読み、映画の原作者と知って驚いたからだ。そうか「エルドパ」の話だったのかと。

原作である『レナードの朝』が出版されたのが1973年。義父の身体が急に動かなくなって入院し、パーキンソン病だとわかったのが1991年ごろ。義父は「エルドパ」と言いエルドーパとかレボドパと呼ばれる L - ドーパ(4 - ジヒドロキシフェニルアラニン)が開発されたのは1967年のことだ。

子どもの頃ぐずぐず寝ていると「眠り病になっちゃうぞ」などと親に言われたけれど、『レナードの朝』は、その睡眠病患者に当時実験用医薬品だったレボドパを使うことで、覚醒させることに成功したという実話を基にしている。

精神に働きかける薬は諸刃の剣であり、効き過ぎれば興奮して過剰に活性化するし、効かないと心身が萎むように不活性化する。目覚めさせた者が活性化しすぎて、やむなく眠らせるということも医者はしなくてはならないわけで、その辺の苦悩と葛藤が映画の肝になっていた。

義父もまた薬によって覚醒し、興奮し、幻覚や幻聴を見て大騒ぎして家族を困らせた。そのことを医者に言うと「はいはい、じゃあ体が動かなくなるぶん介護が大変になるけど眠ってもらいましょう」と言って薬を減量し、あまりに起きられなくなると「よろしければ少し増やしてみましょう」となって増量する、そういう生命の質にさじ加減を加えることを何年も繰り返していた。

新薬の使い方で苦悩する医師の葛藤は、義父の在宅介護が限界に近づく頃には、人を生き返らせたり半死の状態にしたりする権限と苦悩と葛藤とセットにして、家族の裁量へと委ねられるようになっていた。それによって迎えられる穏やかな「朝」と引き換えに家族にもたらされる罪悪感は、自己責任ではなく社会全体として担わなければならない課題としていまも変わらず残っている。

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記憶と写真と家族

2016年8月25日
僕の寄り道――記憶と写真と家族

カメラを首からぶらさげて――たぶんこの「首からぶらさげて」といういでたちのせいだと思うのだけれど――ちょっとそこまで外出しようとしたら、ご近所の奥さんに「写真が趣味なんですか?」と聴かれたので「そうです」と答えたら、目を丸くしてすごいことを発見したような顔をしていた。

気になったので後日、「写真を撮るのが趣味ですかって聞くから、そうですって答えたらびっくりした顔をされていましたが、ひょっとしてあなたもそうですか?」と聞いたら、「とんでもない!」と手のひらを見せて左右に振りながら、「そうじゃなくて夫がまったく写真を撮らない人なんです」と言う。「一枚も!ですよ!一枚も写真を撮ったことがないので、なんであなたは写真を撮らないの?って聞いたら、記録したいんだったらしっかり見て心に記憶すればいい!って言う、そういう人なんです。だからわが家には家族の記念になる写真がありません。人生のなにが楽しいの?って聞くんです」。

オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』で記憶を持たない男の話「第一章『喪失』第二節『ただよう船乗り』」を読んでいる最中だったので、そんな話がひときわ興味深く感じられた。人はなぜ写真を撮るのだろうか。

「記憶をすこしでも失ってみたらわかるはずだ、記憶こそがわれわれの人生をつくりあげるものだということが。記憶というものがなかったら、人生はまったく存在しない」(ルイス・ブニュエル)※前述書からの孫引き

家族の記録としての写真より記憶が大事という夫と、写真という記録こそが記憶の証でありそれが人生ではないかと責める妻がいる。どちらの言い分にも頷けるものがあって、たいがいの人は撮ったり撮らなかったり、気分によって臨機応変に生きているのだろう。

「徹底した」態度であるところが面白いのでいろいろご主人のことを立ち入って聞いてみたが、その奥さんも実はまた別のことで「徹底した」人である。息子さんもまた徹底しているようで、写真を撮ってくれない親に育てられた反動もあってか、自分に子どもが生まれたら途端に三万枚以上の写真を撮ったという。そして「それにひきかえ主人は…」に話が戻る。

徹底してしまうことの原因は「家族」関係の中にあるかもしれない。


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夏の家庭内読書会

2016年8月24日
僕の寄り道――夏の家庭内読書会

もう亡くなられた神経学者だけれど、最近オリヴァー・サックスの著作を読んだらひどく面白く、いまは『妻を帽子とまちがえた男』(The Man Who Mistook His Wife for a Hat 1985年)を読んでおり、一緒にもう一冊買った『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』(Musicophilia: Tales of Music and the Brain 2007年)を妻に読ませている。学者が文芸的筆致で書いた「学術書でない傷病録」なのでとても読みやすい。老化や病気で障害を受けた年寄りが身近に多いので興味は尽きない。脳神経の話なのでちょっと涼しいのが夏向きだとも思う。

互いに別の本を読んでいるのだけれど、筆者が同じなので問題意識とそれに対する考え方が一致しており、当然ながら読書途中の感想交換が気安く成り立つ。晩酌をしながら今日の読書感想を聞くと、本文より注の方が面白いと言うので、こちらも同じだと笑った。日本の評論家だと浅羽通明もまた注が面白い著作が多い。本文で深入りしすぎたり脱線したりせず、論旨をつかませ場を変えたうえで注を付け加えてくれるので、とてもわかりやすい。

『妻を帽子とまちがえた男』は電子書籍で読んでいるのだけれど、何度も行きつ戻りつして読み進めるほど面白いので紙の書籍も注文した。『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』は電子読書をしない妻のために紙書籍を買ったが、面白いというので電子書籍も購入しておいた。コンピュータで全文検索できる電子書籍と紙の書籍をセットで持っているととても便利なのだ。もちろん本の種類と読書に求めるものにより、便利か否かは人それぞれなのだけれど。


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ぼさの場

2016年8月23日
僕の寄り道――ぼさの場

千葉県の印旛沼に伝わる伝統的な漁法に「ぼさ漁」がある。木の枝を束ねたものを水中に沈めておき、しばらく放置したのちに引き上げてその中に潜んだ魚やエビなどをとる。印旛沼に限らず各地に似たような知恵が伝承されて伝統漁法になっている。

郷里静岡県清水では川や沼地などの岸辺で、生い茂った草が水中まで没しているとき、その草や場所を「ぼさ」と呼んだ。子どもの髪が伸びて額や首筋を覆うくらいになると「ぼさかぶってる」とも言った。そういうぼさのある場所にそっと近づき、水中からすくい上げるように網を用いるとたくさんの魚がとれた。夏休みに子どもたちが楽しみにしている伝統的遊びのひとつだった。

台風一過の六義園。姿は見えないけれどこの木立の中には、風雨の中を生き延びたたくさんのセミがいて、早朝からいのちの大合唱をしている。都市の公園林もまた貴重なぼさの場になっている。


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楽団とサイン

2016年8月22日
僕の寄り道――楽団とサイン

昔むかし、清水市の文化会館にイ・ムジチ合奏団が来て演奏会があり、なんと終了後のサイン会でメンバー全員のサインをもらうことができたそうで、アルバムに12名のサインがあったら凄いだろうなと思い、そういう羨ましい話を聞いて思い出した。

小学生時代、学校にハワイの鼓笛隊がやってきて校庭で演奏を披露するという。鼓笛隊というので同じ年恰好の少年少女がやってくると思っていたら、いかつい制服姿の男ばかりであり、ハワイの鼓笛隊ではなくアメリカの軍楽隊だった。

鼓笛隊どころではない大音響で、炎天下「星条旗よ永遠なれ」などスーザメドレーを演奏しながらの大行進であり、激しい演奏で太鼓を叩き破る楽団員もいてびっくりした。こんなに汗だくの演奏を聞かせてもらったのにただで返したのでは日本の恥だと思い、演奏後ノートを持って行ってサインをねだった。

群がる日本の子どもたちに奇妙な顔をしつつも嫌がらずに書いてくれ、たくさんのサインをもらって友だちと自慢し合ったが、そのノートはほどなく失くしてしまった。


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