明日への日記…41 体調変化と介護計画

 

【カラスの日めくり】11月29日火曜日。 幕府より煙草禁止令(1610/11/29 慶長15/10/14)。

***

特養ホーム入所中の義母は、しばらく前から自分で食べ物を口に運んで食べることができない。箸やスプーンで食べ物を持ち上げることはかろうじてできても、口に運ぶまでの間にこぼしてしまう。しばらく自分で食べる努力をしたあと、ケアワーカーに食べさせてもらうもらうことで、食事時間内で食事を終えるための帳尻を合わせている。

まだ噛む力と飲み込む力があるので、口に食べ物を入れられさえすれば、普通の食事ができるけれど、やがては燕下が難しくなって口から食べられなくなる日が来るだろう。義父はそうなってから誤燕による肺炎を何度も起こし、やむなく胃ろうにして、入院ではなく施設での生活を選んだが程なく他界した。

28日の朝、義母は低体温で起きることができなかったそうで、翌日家内が慌てて面会に行ったら体調は元に戻っていたという。低体温状態になった理由を考え、意見を述べ合いながら、義母の今後のことを話し合った。

義母にもまた口からの栄養摂取ができなくなる日が来るかもしれないので、そういう決断を迫られたときに納得のいく選択をするために、家内が毎日大宮の特養まで通って昼食の食事介助をすることにした。実母の介護と看取りを通して感じたことは、あとに遺される子どもの納得こそが大切だと思うからで、無理のない範囲でやってみたらとすすめたら、家内もそうしたいと思っていたという。

一朝有事の活性化というものが男にはある。町内でも、普段は役立たずと家族に蔑まれているくせに、隣組で葬式が出ると生き生きとして取り仕切り、平時を知る者を驚かせる人がいる。老人ホーム入所中の義母のため、これから家内が毎日通って食事介助を手伝うというので、平日は一緒に行けないこともあるかもしれないと言ったら
「大丈夫、あなたは仕事を一生懸命やっていて」
などと言う。

こりゃしっかりしなくてはと、早速早起きして暗いうちから持ち帰り残業している自分を笑う。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…40 家路

 

【カラスの日めくり】11月28日月曜日。 秀吉による摂津検地の記録(1594/11/28 文禄3/10/17)がある。摂津国芥川村の検地帳が現存し、高槻市にはこの他にも江戸時代以前の検地帳が多数保存されているらしい。

   ***

編集者に電話して
「今日午後の打ち合わせですが、時刻を決めていませんでしたよね」
と言い
「午後4時でいかがですか」
などと言ってしまうと、電車を乗り継いで現地に行ってみて後悔する。この季節、午後4時は既に街が暗くなりかけている。仕事の打ち合わせというのは、遅くとも午後3時前に終えて外に出るのが前向きな気分で気持ちよい。暗くなりかけて仕事の打ち合わせに臨むのは、闘いながら退却するしんがりを勤めるようで疲れる。



11/28 買い物をして帰るため田端駅で降りて田端高台通りに出た。駄菓子屋にも明かりが灯った。




家路という言葉を広辞苑で引くと「家へ行く道」とあって妙な違和感がある。
家路をたどるのは帰路である気がして「家へ帰る道」と解した方がすっきりと腑に落ちる、と書こうとしてふと気づくのは、広辞苑に「腑に落ちない」はあっても「腑に落ちる」がない。要は反対の言い方をすべきでない言葉というより、一方を書いて他方を割愛しただけだろうか。などと夕暮れに家路をたどりながら考える帰り道。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…39 暮らしと方角

【カラスの日めくり】11月27日日曜日。 今川義元家臣太原雪斎により織田信広が安祥城で捕らえられ(1549/11/27 天文18/11/09)、交換として松平竹千代(徳川家康)が今川の人質になる。


   ***

小学生時代の6年間をきっちり東京都北区王子で暮らした。
住所は王子の4丁目で、母は訪ねて来ようとする客に
「京浜東北線の王子駅から歩いても、東十条駅から歩いても同じくらいだからどっちで降りても同じ」
と説明していた。確かに歩いてみると同じくらいの距離なので、王子・東十条間のもっとも辺鄙な地区で暮らしていたことになる。不動産広告に「○○駅と○○駅から徒歩15分」などと書かれていたら「交通不便」ということだ。

休みの日になり、電車に乗って外出でもしようかという話になると、アパートの玄関を出た途端、
「王子と東十条、今日はどっちに行こうか」
と、母はきまって尋ねるのだった。貧乏暮らしでそんな会話をしていたということは、どちらに出ても運賃に差はなかったのだろう。

それが不思議なことに、郷里静岡県清水に帰省する日になると、母は重い荷物を持って迷わず王子駅まで歩くのが常で、東十条より王子の方が、郷里の清水駅により近いという感覚につき動かされていたのだと思う。王子駅から電車に乗り、東京駅から長距離列車に乗り継いだ先にある故郷の方角が、方向音痴の母にもかろうじてわかっていたのだろう。



11/25 駒込橋より。天気のよい日はこの真正面に富士山が見えるそうで、郷里の位置はその少し左になる。



東京暮らしが長くなったが、郷里の方角を常に意識するようになったのは、2003年夏、一人暮らししていた母が末期ガンの宣告を受けて以降のことで、仕事をしていても、母親がうんうん唸って寝ている姿を、郷里のある方角に思い浮かべて暮らすようになったからだ。

早いもので、その母が他界して足かけ7年になるが、帰省時に便利なパソコンの乗り換え案内が安くて早い湘南新宿ラインを使うルートをすすめても、方角違いな気がして東京駅経由を選んでしまう。 夕日が沈む方角を見ても、決して方向違いではないのだけれど、習慣が磁針の向きを狂わせるということもあるのだろう。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

明日への日記…38 老人ホームの誕生会

 

【カラスの日めくり】11月26日土曜日。 南海地震発生、マグニチュード8.25。東海・西海地方も連動し、山崩れ、津波などにより死傷者多数(0684/11/26,天武12/10/14)。

   ***

11月26は義母83回目の誕生日。
入所している特別養護老人ホームでは、入所者の誕生日が来るたびに、お誕生会が開かれる。家族には前もって招待状が届き、参加できない場合は手紙やビデオレターで、祝いのメッセージが届けてもらえるようになっている。また一年長生きできた義母本人を祝うのはもちろんだけれど、ケアワーカーや一緒に暮らすお年寄りたちへ感謝の気持ちも伝えたいので、去年に続き夫婦二人で参加した。

同じフロアで暮らすお年寄りが両側に別れて花道をつくり、義母が入場すると花吹雪が舞う。正面に着席すると進行役のケアワーカーから義母の人となり紹介があり、お年寄り代表から寄せ書き色紙と花束の贈呈がある。くす玉を割って拍手し、そして全員でハッピーバースデーの歌を唄って閉会となる。

最後に家族代表の挨拶を求められるので、去年は家内がお礼の言葉を述べたあと、リコーダーで「里の秋」を吹いた。今年は家内のリコーダー伴奏に合わせて「見上げてごらん夜の星を」を歌うという夫婦共演にしたが、かなりの数のお年寄りが一緒に歌ってくれたので感動した。



11/25 六義園にて。



お誕生会終了後、まだずいぶん若いのに入所になった男性が近づいてこられ、家内のリコーダーを指さして、名前が出てこないけれどそれが上手だと言うので
「これですか、これは小中学校で習う縦笛、リコーダーです」
と家内が答えたら男性の顔が泣き顔になった。名前を聞いた途端に様々な思いがあふれたのだろう。もうひとり、職人風で気さくな男性が義母に
「まだまだ若い、まだまだ長生きできるよ」
と、何度も何度も声をかけてくれるので年を聞いたら、
「ああ俺、俺は昭和19年生まれの66歳」
だと言う。男性入所者は皆若くて唖然とする。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…37 バスに乗って秋葉原へ

 

【カラスの日めくり】11月25日金曜日。御家再興が絶望的となり、大石良雄(内蔵助)が垣見五郎兵衛と名乗って、京都を発し江戸へ下向する。

   ***

MacでどうしてもBD-Rが焼けないのでアキバにBD-REを買いに出た。SONYのメディアが1枚127円と思ったより安い。データバックアップ用なので、これをライトアットワンスで使った方が、信頼性の面からも良さそうな気がしてきた。



BD-REはMacのFinderから他のソフトを使わずに焼ける。というかBurnやToastを使うと焼けない。よくわからないがともかく老人ホーム訪問時に撮影したハイビジョンムービー保管用に使い始めた。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…36 箸と茶碗

 

【カラスの日めくり】11月24日木曜日。義経討伐のための頼朝が駿河の黄瀬川に陣を置く(1185/11/24 文治1/11/01)。黄瀬川といえば富士川の戦いを終えた頼朝に、奥州平泉から駆けつけた義経が兄弟涙の対面をしたとされる場所。駿東郡清水町の奇妙な景観の川。

   ***

古い友だちに久し振りに会うと、みな親の介護に悩む年頃になっている。そして最大の苦悩は、親たちが口から物を食べ、上手に飲み込んで胃袋におさめ、栄養として取り込むことが困難になってきた時に来るのだと思う。親たちも切なかろうが、最後の決断を迫られる子どもはもっと切ない。

野生動物の世界なら衰えて群れについていけなくなると、“運の良い”年寄りは外敵に襲われた際に逃げ遅れその餌食となることで、群れや子孫たちに最後の奉公をするということもある。野垂れ死んで餌となることもまた、同様の貢献を群れや子孫たちにもたらすことだろう。

社会の起源を生物の起源まで遡って考察した学者たち、たとえば梯明秀さんのような“ちゃんとした”マルクス主義の学者なら、人の老いによる死と社会のあり方をどんな風にとらえただろうと、古びた著書『社会の起源』(青木書店)をめくりながら思う。

年老いて二人暮らししていた両親のうちデイサービスを利用していた父親が、食事困難になったと聞いて慌てて帰省した友人が、医者とも相談して推移を見守る手だてを講じてきたのに、帰京したらその医者に勧められ、さっさと胃ろうにさせられていたと憤慨していた。



11/24 豊島区本駒込にて。



わが母方の実家では、年老いた祖父母が本家を継いだ三男と同居し大家族の中で暮らしていた。幼い頃の記憶をたどると、いつのころからか棟続きの隠居所の隅に小さなガスコンロを置き、祖母が時折自炊の真似事をしていたのを記憶している。若い家族の食事で出される食べ物にについていけない日は、隠居所に戻っておかゆを炊いていたのであり、なんとか家族という群れからこぼれ落ちまいと努力して暮らしていた。

ろくに医者にもかからなかった祖父は、晩年ひどく痩せこけたので、精密検査でもすればどこか悪いところがあったのかもしれないけれど、大家族で囲む食卓で毎晩晩酌するのを楽しみにしており、76歳の秋、夕食中に食べ物をのどに詰まらせ箸と茶碗を持ったまま昏倒し、医者が駆けつけたときには脈がなかった。祖父より6歳年下だった祖母は、その後24年間生き、96歳の春に特別養護老人ホームで他界したが、最後まで口からものを食べることができた。

野生動物たちの弱肉強食世界における暮らしを思うとき、人を取り巻くそれは市場経済の社会であり、家族という群れについていけなくなった年寄りにとっての外敵とは、胃ろうや経管栄養で空きベッドに誘う、医療関係者なのかもしれないと思う。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

明日への日記…35 職人談義

 

【カラスの日めくり】11月23日水曜日。
本願寺顕如が三好康長らを介して信長に和睦を求める(1575/11/23 天正3/10/21)元亀4年(1573年)4月に武田信玄が急死し、浅井、朝倉も滅ぼされ敗色濃厚となったため。

   ***

水曜日恒例、大宮の老人ホーム訪問日。

いつも笑顔で声をかけてくれる、元職人風の男性入所者がいる。
「平日に来られるってことは、当ててやろうか、勤め人じゃなく職人だろう」
と言い、本のデザイナーも職人といえば職人なので、
「当たり!何の職人だと思う?」
と聞くと
「う~ん、製本屋!」
と答えるので
「惜しい!」
などと笑う。

天気の悪い日などは
「帰ってまた来るのも大変だから泊まってきなよ、おかゆだけじゃなく硬いご飯もあるよ」
などととんでもないことを言って笑わせる。

この日は平日にまた来たかという顔をして
「いらっしゃ~い!儲かって儲かって仕方ないんだろう!」
と言うので、とんでもないというように手を顔の前で振ったら満足そうに笑っていた。

同じ職人同士と認め合ったせいか、そんな洒落た会話のできる人だが、他の入所者と些細なことで口論したり、ケアワーカーや看護師の手を焼かせたりしている姿を見かけるし、在宅の頃は若年性ともいえそうな認知症で家族を困らせていたのだと思う。

わが家の親たちも、外部からやって来る人に対しては、とても認知症とは思えないような受け答えをして驚かされることが多かった。呆けている呆けていないは個人の問題ではなく相方によるとも言えそうで、そういう多様な可能性を引き出す生活環境のひとつになれるよう、老人ホーム訪問時はなるべく多くのお年寄りに声かけしている。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…34 談志の夢

 

【カラスの日めくり】11月22日火曜日。フグ田サザエの誕生日。

   ***

たまっていた図書カードで立川談志『左円盤』25,000円を購入した(夢)
石原雅彦 / @den6 via Tweet ATOK
11/11/22 5:41:04
談志がなぜ左円盤などという書名の本を書いたかが夢の意味不明さの極み。
石原雅彦 / @den6 via Tweet ATOK
11/11/22 5:46:15

22日の朝、妙な夢を見てtwitterに投稿した。立川談志死去のニュースは23日に流れたが、他界されたのは21日らしい。偶然とはいえ不思議な気分だ。黙祷。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

明日への日記…33 気持ちの良い朝

 

【カラスの日めくり】11月21日月曜日。 京都に地震があった(1520/11/21 永正17/10/11)と歴史データベースにある。地震データベースによるとその年は春にも紀伊・京都で地震 ( M 7.0~7.7)があり、寺院が壊れ津波も押し寄せたという。

   ***

ベランダにパキラを出して水やりをし、ついでに打ち水をした。季節感がおかしいが心身清涼。

上手に老いる方法について書かれた本が第3版になったので表紙に手を加えながら、日野原さんの『生き方上手』を思い出し『老い方上手』という本があってもいいな、と思ったらすでにあった。

謝礼としていただいた図書カードが数万円になっているので、気軽に手が届きそうもない本でも買おうかと思うが、そういう本は気軽に見つからない。気軽な本しか読んでいないせいか。



11/21 朝の六義園上空



家内が坂本九『見上げてごらん夜の星を』をリコーダーで吹きながら採譜しているので、シングル盤のジャケットを探したら裏にちゃんと楽譜があった。

「路上生活者の多くに精神疾患があることは、随分、以前から分かっていることなのですが、その支援は難しく、なかなかうまくいかないようです。」(就寝前の返信メールチェック果実)そうなんだね。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…32 夢とバックアップ

 

【カラスの日めくり】11月20日日曜日。吉原の遊女を身受けした姫路藩主榊原政岑が蟄居謹慎となる。この遊女が高尾太夫。吉宗の怒りに触れ改易はまぬがれたものの越後高田藩に転封。その後は名君として生涯を終える…といっても31年の生涯。

   ***

仕事がたて込んで忙しいので、夢の中でも知恵を絞り、ウンウン呻りながら作業をしていたが、あろうことか社会人になって初めて勤めた会社で、頼まれてもいないジャンルの仕事に時間を浪費していた。「もういいよ、お疲れ様!」と自分の肩をたたいて夢から覚めた。

虫の報せなどというものは信じなかったはずなのに、皮肉なことにコンピュータを使いだしたら信じるようになっていた。午前中がんばって三冊分の装丁を済ませたので、午後は虫の報せにより「泣かないためのバックアップ作業」に勤しんでいる。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…31 読書しながら考えたこと

 

【カラスの日めくり】11月19日土曜日。 女優浪花千栄子の誕生日(1907/11/19 明治40/11/19)。本名南口キクノ(なんこう きくの)ということでオロナイン軟膏のCMが懐かしい。

   ***

「娯楽で読む本には、推理小説もあるしホラーもある。残念なのは、ユーモア小説が少ないことである。佐々木邦のようなのんびりした小説がない。どうも時代が違って来たらしい」(養老孟司)…というわけで佐々木邦『心の歴史』みすず書房を買ってみた。良い造本で嬉しい。佐々木邦は沼津出身。

養老孟司にシトロエンの話があって思い出した。中高生時代清水市旭町飲み屋街にシャンゼリゼという喫茶店があり、店の前にシトロエンが停めてあった。エンジンをかけると車体が持ち上がるのが楽しみだったがオーナーはフランスかぶれだったのだろう。シャンゼリゼに行ってみたが旭町には似ていない。

昨夜は録画してあった『ローマの休日』ダルトン・トランボのドキュメンタリーを見た。『夜と霧』のヴィクトール・E・フランクルも書いていたが、世の中はまともな人間とまともじゃない人間の2種類で成っている。だが迫害する側される側どちらにも存在し、一方にだけに偏在すると考えることは危うい。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…30 夢の中のおにぎり教室

 

【カラスの日めくり】11月18日金曜日。 桓武天皇が新しい京に移って平安遷都(0794/11/18 延暦13/10/22)。「辛酉。車駕遷于新京。同十三年十月廿三日。天皇自南京、遷北京」(日本書紀)

   ***

母親におにぎりの握り方を教わっている夢を見た。講義内容は、最初の一口で具の種類がわかるよう、正三角形の中心よりやや上に具が来る握り方。たしかに三角形の頂点をひとかじりして白いご飯で具に到達しないと、なにか空しい気がするし、あまり下の方に入っていると割って探さなくてはならないので面倒だ。

「ほらこうやって握ればちょうどいい場所に来るでしょ」
と握っている手つきを見ていたら元気な頃の姿そのままで懐かしい。母が作るたらこのおにぎりは必ず焼きたらこで、生たらこを具に入れるような人ではなかったのにと不思議に思う。人間あの世に行くと好みも変わるのかもしれないな、などと夢の中で妙な納得をしていた。



11/18 文京グリーンコートにて



そういえば母の二の腕あたりが心持ちふっくらしてきた気もするなと眺めていたら
「最近気のせいか肉付きがよくなって、病気が少しよくなっているのかもしれないね」
などと言うので、その調子で前向きに暮らせば本当に直ってしまうことだってあるかもしれないねと、ここはひとつ上手な褒め方をしなければいけないな、と思案しているところで目が覚めてしまった。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…29 電子ペーパーのブックリーダーで日記を書く話

 

E Ink 電子ペーパーのブックリーダーについている簡便なエディタで、果たして実用的に文章入力が可能かを試してみた。

そもそも文章を打つのが遅いので、E Ink 独特の画面書き換えや反応の悪さが、他人より気にならない性格のせいか、日記的なメモ入力用には使えないこともないかなと思う。

数少ないメリットを挙げるなら、実用上電池切れを心配しなくてもいいので、早く文章を書き上げなくてはと焦らなくていいこと。



11/17 屋外の日向で SONY Reader で日記書き。当然抜群の見やすさ(笑)



そしてもう一つの大きなメリットは、日なたで抜群に見やすいことで、透過光ではなく反射光で表示を見る機器の面目躍如だ。書きながら逐次紙に印刷されたものを見るようで、新鮮な感動がある。

一方デメリットを挙げたらもう切りがないので、酔狂な人間が使うおまけ機能ということでいちいち書かない。ほかに文章を書く道具を持っているなら、そちらを使った方が良い場合が多いと思う。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…28 読書メモとマウントアダプタを注文した話

【カラスの日めくり】11月16日水曜日。源頼朝が、佐竹義政討伐に出発(1180/11/16 治承4/10/27)。石岡市に義政の首塚と胴塚が現存する。バラバラ殺人事件。

   ***

#夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル/池田香代子訳 p.122#book

「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」  けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。

#夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル/池田香代子訳 p.127#book

勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的かということも熟知している。

#夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル/池田香代子訳 p.130#book

生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。

 

 

11/16 本郷六丁目、相馬愛蔵・黒光夫妻が1901年(明治34年)に新宿中村屋の前身を開いた建物。三軒長屋だった右端が解体されたことになる。

名古屋の店で買い物をしたら、振込先が土古支店と書いて「どんこしてん」だった。土古町にあるからだが難読地名だ。SONY NEX-5 に OLYMPUS と CONTAX と MINOLTA の銀塩フィルムカメラ用レンズを取り付けるためのマウントアダプタを注文した。この店のものは格段に安いので嬉しい。

「八仙堂」

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

明日への日記…27 薬と注射

 

【カラスの日めくり】11月15日火曜日。 武田信玄が国境の青崩峠を越えて二俣城を攻める(1572/11/15 元亀3/10/10)。静岡県人が信玄の侵攻してきた様々なルートを思い浮かべると「また山から熊が出た!」という感覚に近い!

   ***

血圧の薬がなくなるので診療所にもらいに行き、また3種類の薬に日付を書いた。毎日その日の日付が書かれた薬を飲んでいくだけでよく、飲み忘れ防止にはなかなか効果がある。数字を記入するのが大変でしょうと言われるけれど、手間をかけることで忘れにくくなるということも奏功しているかもしれない。



11/15 日付を書き込んだ血圧の薬。



診療所に行ったついでにインフルエンザの予防接種もしてきた。そもそも風邪をひくから人は他の病気を抑制できる、免疫療法こそが様々な副作用的弊害を産む現況であるという本を読んだので、予防接種はいらない気もするのだけれど、週二回老人ホーム訪問の際に風邪を持ち込むわけにも行かないので結局今年も受けた。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ