【山原中継所から見る第二東名と富士山】

【山原中継所から見る第二東名と富士山】
 

9月24日、戸田書店が発行する雑誌『季刊清水』取材のため帰省し、かつて電電公社の山原中継所に勤務されていた方に会ってお話をうかがった。午前中のインタビューを終え、さつき通り沿いにあるとろろ汁の『丸子亭』に初めて入って昼食をすませ、表に出たら雨があがっていた。

あいにくの雨なので山原中継所自体の撮影は諦めていたのだけれど、曇り空とはいえ空気の状態が悪くないので中継所まで登ってみた。中学生時代、従兄と二人で電電公社にお願いし、内部を見学させてもらった思い出を忘れないが、中継所から眺める清水市街地の絶景に驚いたものの裏手の記憶がない。




山原中継所裏手より。



山原中継所の裏手は清水区伊佐布にあたり、第二東名が北東からやって来て吉原ジャンクションを通過し、ここ伊佐布の谷間から再びトンネルに入る。何年か前に工事中の第二東名ウォーキングに参加して歩いたが、いまだ工事中のままで、高い場所からの遠望ではあまり変化がないように見えて意外だった。

台風が太平洋上を通過していき、一晩中降り続いた雨があがり、切れ始めた雲が引っかかっている富士山の眺めが美しくて写真を撮った。高校生時代、首からカメラをさげ、自転車をこいで伊佐布にある滝を撮影に行ったのだが、あの谷間を通って行ったのかなと遠い日のことを思い出す。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼角地のラーメン屋

 

駅前の再開発が盛んなのと不況のせいもあってか、どこの街に行っても駅前で飲食店を探すとチェーン店ばかりになってしまっている。閑散とした厨房で無表情の人間がマニュアルに従って本部から送られてきた食材を温めている光景をのぞき見てしまうと、アンドロイドが作る料理のように思え、死臭すら漂っているように感じられてしまう。

そういう店で飲食するのが嫌で裏通りに入り、この店なら人間の温かみが感じられる食事が出来そうだと思える店を探すと、店自体も働く人も年をとっていることが多く、世界が無常であるからこそ、人はやさしさという目に見えないものの存在を感じられるのかもしれないなと思ったりする。




埼玉県さいたま市大宮区大門町3丁目の『』。



9月26日、義父の熱が下がらないそうで、ちょっと心配を胸に特別養護老人ホーム訪問をした。義父母との面会を済ませ、バスに乗って大宮駅前に戻り、ちゃんと経営者が中にいて作り手の顔が見える食事がしたくて、路地裏を歩いてやっと見つけた『(みんみん)』という名の中華料理店。

ギョーザとキクラゲ卵炒めを注文し、麒麟麦酒中瓶を2本飲み、最後にラーメンをいただいた。350円のラーメンがなんとも懐かしい味で、とくに麺が美味しいと思った。表に出て店の写真を撮ったが、全国どこにでもあるのがチェーン店ではなく、こういう場所にあるこういうラーメン屋だった時代が懐かしい。


 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼日々あれこれ

もう9月なのに猛暑が続いている。不忍通り沿いにある上野科学社、そのガラスケースにある火焔式土器のレプリカ。縄文時代中期に生まれていたら、これに負けないくらい勢いのある焼き物がつくれそうな、陶芸好きの友だちが清水にいる。

 



2010年9月1日。



本郷通り沿いにある案内板。東京大学の逆方向が駒込・王子というのが唐突な気がして気になったのだけれど、そんなことより歩道側の裏面が住居表示案内図になっていますよ、というのが親切だなと感心した。でも、全国どこでもこれが当たり前なんだろうか。初めて気づいた。



2010年9月1日。



大宮駅東口にて。義父母が暮らす特別養護老人ホームで面会を終え、1日遅れの誕生祝いをしてくれると家人がいうので適当な店を見つけて飲んだ。



2010年9月5日。
 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )