【たけのこマスク 】

2020年4月30日

【たけのこマスク 】

買い物係として午後から下町商店街に出た。魚屋は明日から休業するそうで、2、3日冷蔵できそうな鮮魚をいくつか買った。気に入りの豆腐屋が開いていたので買い物をし、同じマンション内で車椅子にのって一人暮らししているご老人へ、生湯葉とひじき煮を差し入れ用に買った。

薬局ではない、思いがけない場所にマスクの箱が積まれて売られているという記事を新聞で読んだ。帰宅途中の坂道にある小さな事務所前にマスクが積まれていた。新聞には 50 枚入りで 3,500 円とあった気がするが、こちらは 3,000 円で、まあそんなもんなのかなと思う。

どこかに庶民の知らないルートがあって、これからあちこちで雨後のたけのこのように、法外な値のついたマスクが出てくるのだろう。ばかばかしいので、もちろん買わなかった。豆腐屋での買い物を差し入れしたら、飲み友だちでもあるご老人は大喜びしていた。痩せられたなあと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【若葉の頃】

2020年4月30日

【若葉の頃】

正常性バイアス(自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人間の特性)というのは人それぞれに度合いが違う。新型コロナウイルス騒ぎが始まったばかりの頃は仲間内でも、どうしてあの人はあんなに楽観的なんだろうと呆れたり、どうしてあの人はあんなに悲観的なんだろうと悪く思うこともあった。そして楽観も悲観も一切合切巻き込み、いろいろな予定が、押し寄せるコロナ感染拡大の波間に没していく。

自分の正常性バイアス圏外と思われた 5 月後半にはいくつか大きなイベントを入れてホテルの予約も済ませていたけれど、どうやら緊急事態宣言の一ヶ月延長が決まりそうな雲行きになってきた。正式発表を待って予約をキャンセルする。4 月も晦日(みそか)になったので、すっきりしたくて卓上カレンダーをめくって 5 月にした。たぶん若葉に埋れたまま外出自粛の 5 月である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【コロナとレンジ】

2020年4月29日

【コロナとレンジ】

ウイルスとは関係ないが電子レンジが突然壊れた。わが家では温めと解凍にしか使わないので古い電子レンジを騙しだまし使ってきた。

昔の電子レンジはコンパクトだったようで、作りつけの棚に入る置き換え用の電子レンジを探したらなかなか見当たらない。横幅 440 ミリを条件に探すと聞き慣れない中国製しか見つからない。グローバリズムで世界の製造工場が中国に集中しているので、どこのを買っても中国製なのだろうとは思う。

「気分的に Panasonic みたいな日本の会社のを買ってあげたいけど横幅 440 ミリに収まる製品が見つからないんだ」
と言ったら、まあ使えればいいと言う。それでも粘り強く横幅で検索したらアイリスオーヤマに該当する製品があった。アイリスオーヤマは知らないだろうと思い
「宮城県仙台市青葉区に本社がある…」
と説明したら
「知ってる!アイリスオーヤマ!それがいい!」
という。数日前の  〈アイリスオーヤマがマスク国内生産をさらに増強、不織布も生産し月 2.3 億枚へ〉  というニュースで、すっかりブランドイメージが定着したらしい。

何か前向きなことをやれば何かいいことがある。SHARP もそうだけれど、小回りと機転の効く企業が、やがてくるポストコロナ需要をとらえて日本の復興を牽引していくのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【遠い光】

2020年4月29日

【遠い光】

経済活動が停滞しているせいか東京の街は大気が澄明になり、遠くの方までくっきりと見える気がする。仕事場からは丹沢山塊もビルの隙間に見えている。

夕暮れ時になって自宅に戻り、上野のお山の方角を見たら見慣れないネオンが輝いており、UFO が着陸したか大きなパチンコ屋ができたかしたのだろうと思い、双眼鏡で覗いたら日暮里駅前にアパホテルが着陸したのだった。

毎日眺めている木々もひと雨ごとに緑が濃くなる。六義園は人工庭園なのでさまざまな木々が植えられており、名前を知りたい木もあるので、園内にいた庭師さんをつかまえて尋ねたら、樹木の専門家ではないので名前はわからないと言う。ああそういうものかと思った。

獣医さんだって同じで、 2 万種類弱もいる中から「これはなんという動物ですか」と名前を尋ねられたら、治療はできるけど専門家じゃないからわからないと答えるのだろう。意外な気もするけれど。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【夜の声】

2020年4月29日

【夜の声】

幼いころは真夜中に人の声をきくことがめずらしかった。真夜中に外を通る他人のかすかな話し声が近づいてきて遠ざかるあいだは不気味だったし、家の中から家族のひそひそ話が聞こえると、何かあったのではないかと不吉な思いに襲われたものだ。夜の闇の中でかすかな人の声を聞くと「自分」というものが意識され、子どもの頃は「自分」が意識されたとたんに心細さが心を満たすので、夜の声が嫌いだった。

『パックインミュージック』(TBSラジオ)と『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)の放送開始が 1967 年、『セイ!ヤング』(文化放送)が 1969 年だった。深夜放送が始まって屈託のない話し声が夜の闇に溢れ、思春期だったので深夜になるとそれらを聴いて朝を迎えていた。そして午前 5 時になって深夜放送が終わった瞬間、「自分」が意識されていつもの憂鬱な朝が来た。人は不安な「自分」を消し去りたい思いが勝ると、心の闇を出て明るい喧騒の中に外出したくなるのだろう。

外出禁止のロシアで集合住宅居住者がイタリアのようなベランダ越し音楽会を楽しもうと音楽を流したら、住民がつぎつぎに走り出て踊り始め、警察が鎮圧したというニュースを見た。きっかけをつくった張本人が「もっとロマンチックになると思っていた」と言うので笑った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【蜜柑山の教え】

2020年4月28日

【蜜柑山の教え】

子どもの頃の清水で、日あたりのよい山の斜面に拓かれた蜜柑畑に腰を下ろし、枝からもぎ取ったみかんを食べていると蜜柑農家のおじさんが通りかかり、じろりと一瞥をくれてにやりと笑い
「ここで食うだけにしとけよ」
と言って立ち去った。子ども時代のそういう体験は忘れない。

人間は個人ではなく社会の一員として生まれてくるので、生まれながらに生きる権利が保証されており、自然に存在するものはなんでもとって食べることができる。生きるための共有物として自然は存在する。けれど自然に人が働きかけて労働が加わると、それは私有物となって勝手にとって食べる自由は許されない。それでは労働すれば果てしなく私有権を行使できるかというとそうでもない。そうでもないと思っても人の欲望は抑えがたい。そしてこういう社会になった。

蜜柑山のおじさんは考えて、「お前たちの小さなおなかに収まる分だけは、ここで自由にとって食べる権利をやろう」と言ったのだ。そういう教えは忘れない。

コロナ禍のイタリアでは路上のあちこちに箱が置かれ、「入れられる人はここに入れてください、買えない人は持っていってください」と書かれているという。もともとそういう文化があり、カフェでコーヒーを飲んだ人が、一杯ぶん余分にお金を置いて行き、お金のない人がそれでコーヒーを飲めるという慣習もあるのだという。そんな記事を読んでふと思い出した。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【コロナでオルゴール(パジャマでおじゃま風】

2020年4月27日

【コロナでオルゴール(パジャマでおじゃま風)】

20音オルガニートの「トム・ピリビ」ができたので YouTube にアップしました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ざるラーメン指標】

2020年4月27日

【ざるラーメン指標】

2020年、朝一番で買い溜めの客が買っていくらしく、空っぽになった麺類の棚に、ざるラーメンやつけ麺や冷やし坦々麺だけが残っていて、やはりまだちょっと寒いからかなと苦笑いした。

2015 年の今日の日記には、暑くて散歩したら汗だくになったと書いている。

2016 年の今日も暑かったらしく、今年初めてインスタントのざるラーメンをつくったと書いている。

2017 年 4 月 27 日

2017 年の今日は始発電車で清水に向かい、波止場から潮風に吹かれ渡船で貝島に渡り、三保の海岸で波音を録音した。やはり暖かな日だった。清水の友人 I 氏が亡くなった日で、清水にいたのにあいそこねた。

2018 年は午前中肌寒かったけれど午後から気温が上がってきたと書いてある。

そして 2019 年は親たちの看取りが終わって気持ちがたるみ、2014 年からつけ始めた連用日記はさぼった。来年の今日のため、今日は最高気温が昨日より 8 度も低く、ざるラーメンにはちょっと寒いと書いておく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【投票用紙と書見台】

2020年4月26日

【投票用紙と書見台】

今日 26 日は、郷里静岡で衆院静岡4区補欠選挙の投票日になっている。候補者に同姓同名がいるので、投票用紙に何を書かせて開票時に仕分けるのだろうと調べたら、年齢を書き込んでもらって区別するという。ふつう投票用紙記入机の候補者名簿には氏名と所属政党しか書かれていないけれど、この選挙では年齢も書き加えられるそうで、野球選手の人気投票に背番号まで書かされるようなものだ。背番号は「42」と「54」だが同い年だったらどうなっていただろう。

郷里に本籍は置いたままだけれど住民票はないので投票を口実に外出できない。暇な日曜日になったので気に入って何度も読み返しているジュニア向けの本を OCR 文字認識アプリでテキスト化し、スマホやデスクトップ PC で読めるよう電子書籍化してみた。パソコンの大画面いっぱいに新書サイズだった本の中身が広がり、寺子屋の書見台に向かったように背筋が伸びる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【三丁目のコロナ】

2020年4月26日

【三丁目のコロナ】

公民統計で耐久消費財の世帯普及率変化を見ると、東京オリンピックが開かれた 1964(昭和 39 )年の電気冷蔵庫普及率は 38.2 パーセントしかない。わが家に小さな電気冷蔵庫がやってきたのも東京オリンピック後のことだ。ましてや東京下町の工場地帯で電気冷蔵庫がある家など少なく、買い置きできる食材といえば乾物や缶詰と、流しの下に転がっている根菜くらいで、野菜の保管場所として糠床を持っている家も多かった。夕方になると買い物カゴを下げたお母さんたちが近所の商店前に集まり、西の空に日が傾くころは表通りに家庭が染み出していた。今よりも夕方という言葉の存在感が明瞭で、夕方の買い物、夕飯の支度、家族みんなで囲む夕べの団欒というものがあった。

新型コロナウィルス感染の広がりで、とうとう夕方の買い物まで自粛を求められるようになった。テレビ局の取材を受けたお母さんが
「わかりますけど、夜ご飯の材料を買いに行かなくてはいけないので」
と苦しい胸の内を語っており、そうか、最近の若い人は「夕ごはん」ではなく「夜ごはん」と言うのだなと別のことを思った。

近所の下町商店街にも客足が戻ってきた。小さな商店街なので休業補償の対象にもならず、そもそも人出が激減して細々とした商いが続いてきた通りだ。
東京オリンピックの頃、母はこの商店街にあった婦人服製造卸メーカーの直売店で事務員兼店員をしていた。学校が終わると都電に乗ってよく迎えに行ったが、その頃はたいそう賑やかな繁盛商店街だった。

このところ懐かしい商店街を歩く人たちに若者の姿が多い。近所に住んでいるのだろうと思われるが、はじめて地元商店街に出てきたように物珍しげに店内をのぞいている。地域社会に対して引きこもっていたのだろう。若い夫婦のご主人が肩にさげたエコバッグから長ネギがのぞいており、仲睦まじくにこやかな姿を見ると、懐かしい昭和の世界に戻ったような気がする。コロナの脅威さえなければ、町に西岸良平が描いたような夕方が戻っている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【フラインノーへとは何か】

2020年4月25日

【フラインノーへとは何か】

今週も外出をひかえ、仕事をしながら本ばかり読んで過ごしたら、今朝はとうとう本を読んでいる夢を見て目が覚めた。不要不急の外出を避けて自粛しているうちに砂粒を数えている。本を読む夢は白いページに活字がびっしり並んでいて、それをとぼとぼと読みながらめくっていくだけの単調な夢だ。文字の砂丘。

ゴシック体で

† フラインノーへとは何か

と柱が立って、以下フラインノーへについてのくだくだしい説明が書かれている。なんだか難しい内容だけれど夢の読書は眠くならない。夢の中で夢から覚める夢は見ても、夢の中で眠くなって眠る夢は見たことがない。眠りの中で眠ってしまったら、人はそのまま永眠してしまうのではないか。

目が覚めたので念のためフラインノーへをグーグル検索してみた。
夢の読書の最終ページには

「フラインノーへ に一致する情報は見つかりませんでした。」

と書かれていた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【東京のテレワーク】

2020年4月24日

【東京のテレワーク】

保育の月刊誌を一緒にやっている女性編集者から次々に原稿が入り、介護の隔月刊誌を一緒にやっている女性編集者からの校正を戻し、清水の女性珈琲店主に頼まれた見積書ができてきたので転送し、忙しくパソコンに向かいながら、これが東京のテレワークだ、と思ったら昭和32(1957)年に初代コロムビア・ローズが歌った『東京のバスガール』を思い出した。

今朝、朝食後に掃除機をかけながら朝のニュースを横目で見て、呆れた話題に呆れながら「結果〜オ〜ラ〜イ」と替え歌が口をついて出たからだ。何が結果オーライだったのかはもう忘れた。そもそも「結果オーライ」という俗語は「発車オーライ」から派生したのだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【クラパム・コンモン】

2020年4月24日

【クラパム・コンモン】

漱石の「自転車日記」を読んでいたら「クラパム・コンモン」という言葉が出てきて、なんだろうと調べたら英国留学中の漱石が下宿していたロンドン郊外の町だ。今風に書けばクラパム・コモンで、コモンは経済学でいうコモンズの悲劇(Tragedy of the Commons)のコモン、かつて共有地だった場所なのだろう。

最近読んだ本にコモンズの悲劇が出てきた。何の本だっけとメモを見たら「コモンズ( 共有地)の悲劇とは、多数者で利用される共有資源が乱用によって枯渇してしまうという経済学の法則である」という抜き書きがあり、『抗生物質と人間-マイクロバイオームの危機』(山本太郎、岩波新書)に出てきたのだった。

どういう文脈で出てきたかというと、細胞壁や細胞膜を欠くがゆえに生物と無生物のあいだを彷徨う存在であるウイルスに基本的に抗生物質は効かない。効かない抗生物質の濫用が止まない理由と、耐性菌という個の利益・不利益を超えた人類の不利益出現に関して述べられる箇所にある。

ウイルスは生物か無生物かという定義、生物ならなんのために生きているのかという子どもの問い、今朝も山中伸弥教授が言っていたウイルスとの戦いではなく共存という提言、どれも言葉で突き詰めると語り得ないところに突き当たる難問である。コモンとは何か。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【走りスマホ】

2020年4月23日

【走りスマホ】

新型コロナウィルス感染拡大防止の自粛が始まってからランナーやジョガーの姿が増えた気がする。外出者が減ったので相対的に多く見えるのか、在宅者がじっとしていることに耐えかねて走り出たのかはわからない。

歩きスマホの若者はよく見かけるけれど、走りスマホの女性を初めて見た。じっとしていることに耐えかねて走り出たものの、ただクルクル周回していることに耐えかねたのかどうかはわからない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【圧縮と解凍】

2020年4月23日

【圧縮と解凍】

昨夜、女性編集者から保育月刊誌用のデータが届き、送信時刻を見たら 19 時 19 分になっている。JPEG 形式の画像データが 13 枚あり、ZIP ファイルが作れないので 4 回に分けて送信するという。ひとつにまとめたところでそもそも圧縮ファイルである JPEG データはほとんど小さくならないので、メールで送りたいならそのまま複数回に分けて添付するのが正解だと思う。それでいいやと思うからあえてそう言わないので、毎回「ZIP ファイルが作れない」と書いてくるのが面白い。

今朝、13 枚を一つのフォルダにダウンロードして確認したら「あ!」と驚き、昨夜、寝室にトカゲが出る夢を見たのを思い出した。12 枚の昆虫写真のなかに 1 枚トカゲの写真が混じっていたからで、こういう偶然がなければまったく思い出さなかったはずの夢が、不意に思い出されたこと自体に驚いた。記憶というのは不思議だ。こういうくだらない夢まで ZIP ファイルのようにまとめて圧縮されており、些細なことが引き金となって無意識に自動解凍され、突然ポイと放り出されたように出てくるのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ