【酢豚と自然】

【酢豚と自然】

築地場外市場の買い物帰りに近所の鮮魚店前を通ったら、店の脇にコンクリートブロックを積んで簡易かまどを作り、炭火をおこして鯛を塩焼きしていた。
「あら、東京って年末年始に鯛の尾頭付きを食べる習慣があったのかしら」
と言うので
「知らないなあ、清水ではおいべっさんの日に魚屋が鯛を焼くけど」
と答えた。帰宅して調べたら主に関西では正月料理に鯛の塩焼きをつけるのだという。
「そういう色々な習慣が日本各地にあるのかしら」
と言うので、
「わが家で年末年始にかならず酢豚を作るように、各家庭の習慣まで含めたら無数にあるんだろうね」
と答えた。

大掃除で、読み終えたり、途中で放り出した本を段ボール箱ふた箱にまとめ、年明け早々古書買い取りに出すことにした。いる本といらない本の仕分けをしていたら懐かしい本が出てきた。大学に入ったばかりの頃、書名にひかれて買ったものの、難解で歯が立たなかったけれど読みこなせるようになりたくて本棚の飾りにし、今日まで諦められずに生き延びてきた本だ。どんなことが書いてあるんだろうと読み始めたらおもしろく読める。酢豚のたとえで若い頃の自分に言い替えてやればこんなふうになる。

2022/12/31 六義園正門前
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

酢豚 A が材料 B に依存してできているとき、酢豚 A は材料 B に依存しているので「酢豚」自体はひとり自然に存在しているのではない。

材料 B を構成する各々の材料である豚肉や人参や玉葱などを酢豚のかわりに A に代入して豚肉 A 、人参 A 、玉葱 A としても、各々 A は各々を構成する材料物質 B に依存しているので、自然に存在しているのではなく、やはり他者の規定を受ける「他然」であって「自然」ではない。

各々 B が依存している他者である物質への微分的無限遡行を停止し、もうその先を問えない状態を想定したとき、各々 B は他者への依存なしで存在することにされて「他然」から「自然」へと昇格する。「自然」と呼ばれるものはそういう風にできていて、声高に叫ばれる「自然」とは便宜的で流動的なものである。

果てしない微分的無限遡行を停止させるためには原初に「神」を立てるしかない。不可説の先に「神」を立てるとき、「神」という造物主に依存することによって万物は「他然」となり「自然」は消滅する。一神教は「他然」であり多神教は「自然」であるといえる。一神教の「他然」は実体主義であり、多神教の「自然」は関係主義なのである。

   ***

Amazonで物など買うなと言いたげに若者差し出す荷物冷たき

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【常動人たちの年末】

【常動人たちの年末】

年末年始の買い物をするため駒込駅から地下鉄南北線と大江戸線を乗り継いで築地場外市場に行ってみた。

朝のテレビで見た以上に大変な混雑で、どの小路も身動きが取れなくて買い物どころではない。日本人買い物客がなぜ買い物できないかというと、スマホ片手に買い食いしながら歩く外国人観光客が想像以上に多いからだ。韓国のような人間雪崩に巻き込まれる前に往路を後退りして退散した。

常動曲という言葉の意味は「速い動きの同一音型が始めから終わりまで間断なく続く楽曲」だと辞書にあり、バッハ、ショパン、ベートーベン、シューベルト、ラヴェル、バルトークなどの間断ないくり返し部分が思い浮かぶ。ペルペトゥウム-モビレとも言い、歳末の市場は常動曲にのってうごめく常動人の海だ。

常動曲の流れにのって無窮を漂う常動的外国人観光客の群れ!……と苦々しく思っていたら、それを察したらしい妻が
「私たちだって海外旅行をしたらなぜか市場に行って買い食いするよね」
と言う。確かにそうだ。人は世界の果てで常動的になる。

2022/12/29 本駒込
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

静かな地元に戻って馴染みの寿司屋で昼食にしたら、隣りのテーブルで仕事納めの食事会をしている小グループがあった。会社のおごりのようで、最後に高齢の社長が女性社員たちに挨拶し
「今年も一年ご苦労さま、また来年もよろしく頼む。仕事を取ってくる方は俺に任せろ」
と言い、社員が「はい」と朗らかにこたえていた。よい社長のいるよい年末である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【梵妻】

【梵妻】

郷里静岡県清水本町の妙生寺、その『妙生寺略史』をいただいたので読んでいたら、浄土真宗ではご住職の奥さんを坊守(ぼうもり)と言うことを知った。

他宗派では大黒(だいこく)と呼ぶこともあるというのだけれど、夢野久作を読んでいたら別の字の「だいこく」が出てきた。

それをやがて起きて来た梵妻や寺男が介抱をしてやると、やっと正気づいたので、手足の泥を洗わせて方丈へ連れ込んだのであったが、熱い湯を飲ませて落ちつかせながら、詳しく事情を聞き取るうちに、和尚はニヤリニヤリと笑い出して、何度も何度も首肯いた。(夢野久作『いなか、の、じけん』より「兄貴の骨」)

作中の和尚は真言宗の僧であり、梵妻には「だいこく」とルビがふられている。妻帯が許されている宗派では、寺の女房を大黒といい、それを大黒ではなく梵妻(だいこく)と書いたわけだ。スーパー大辞林で「梵妻」をひくと「僧の妻。大黒(だいこく)。」と素っ気なく書いてある。

2022/12/28 中里
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

素っ気ないので日本百科全書の稲垣史生による解説を引くと、寺の飯炊き女を厨房に祀られた神に因んで「だいこく」と呼び、妻帯が認められている宗派では妻を大黒、認められていない宗派では梵妻と書き、梵妻は飯炊き女と偽って隠しもった妻をさしたという。

なぜ隠し妻に宇宙創造の神ブラフマンである「梵」が冠せられているのか、その正しい理由は知らないけれど、「兄貴の骨」というタイトルも含めて、夢野久作が書いたものには南中国の老荘思想からインドの正統バラモン思想へと通じていく、意味づけから隠遁するようで不可説なおかしみがある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【チンタラ】

【チンタラ】

年の瀬の大掃除をチンタラ始めた。チンタラの語源は焼酎蒸留機だという。溜まったメモをチンタラ読み返し、ことばの蒸留後に出る大量の搾りカスを捨てていたら、自分が書いたことに「なるほど」と思ったので以下すこし手直しして再掲。

2022/12/23 本駒込
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

寝返りをうつことは眠りを気持ちよくするための重要なはたらきだ。寝返りをうってよい体勢になったとき、寝言で言うわけではないけれど眠っている自分は気持ちよいのだろう。

逆に言えば、気持ちよくない体勢と気持ちよい体勢、その違いに対する敏感なこだわりが人に寝返りをうたせている。こだわりが強い傾向の人は寝相が悪いと自省的に思う。

寝返りに限らず、すべての名指しできるものに執着して、しつこく「ああでもないこうでもない運動」をしてしまう人はこだわりの強い傾向、いわゆる〇〇〇的なのだろう。

そういうカッコ付きで「私」というものへの強いこだわりが見られる人たちの本を数冊選んで自宅に持って帰ったので、ゴロゴロ寝返りをうちながら読んでいる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【の中】

【の中】

夢野久作『ゐなか、の、じけん』の中の「模範兵士」の中に出てくる「三点リーダー『……』」の使い方がちょっとおもしろい。

「泣きながら受け取っているのを見た……と……これは村の子守たちの話であった」

「性質は極めて柔順温良で、勤務勉励、品行方正、成績優等……曰く何……曰く何……」

「賞めていた……。……までは、よっぽど面白かったが」

「と思うがナ……ドウジャエ……」(夢野久作『ゐなか、の、じけん』より)

……などなど。

意味の確からしさから隠遁していくナンセンスを感じて大好きなこの作品の初出をみると、探偵趣味の会機関誌『猟奇』( 1925 年 9 月創刊)の 1929 年 3 月号とあるので昭和 4 年である。

2022/12/20 本駒込
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

江戸川乱歩が書いた『探偵小説四十年』その同人リストの中にある知らない名前に一人ひとり当たっていくと城昌幸という人がいて、どこかで聞いたような気がするこの人は横溝正史創作による名探偵金田一耕助のモデルの中のひとりで、ショートショート形式文学の先駆者だという……と……「の中」を掘り進んだ先にそう書いてある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【寒帯と温帯】

【寒帯と温帯】

きのう書き終えた年賀状を朝一番でポスト投函しにでたら、赤い観光バスが都心に向け出勤していくところだった。凍えるような冬の日のフルオープン観光バスでも、北から来た観光客は平気で乗ってくれるのだろうか。

2022/12/26 本駒込
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

昨日読んだ本で面白かった部分の抜き書き。

 この駐在所は低地にある上に、バラックだから午後と朝はたいへん冷える。だから私は朝早く家を出て田舎道を巡回し、日が暮れてから帰って来る。しかし朝と夜の寒さには変りがなく、まるでこの家は寒帯の住居のように寒いのである。
 駐在所が寒帯で、お隣の役場が温帯だ。同じ場所で同じ気候のところにありながら、どうしてこうも寒さが違うのだろう。せんだって私が役場の人にその話をすると、とうとう私は寒帯さんになった。夜が更けると隣の小使さんが「寒帯さん、茶が入りました」と迎えに来る。それで私は「温帯さん、お菓子を持って来ました」と、十銭がとこ買って来た煎餅持参で行く。温帯さんと寒帯さんは、温帯地の部屋で戦争の話をする。中国はいつまで戦いますか。英国、ロシヤ、フランスは戦いますか。伊太利と独逸は、欧洲の平和を維持させますか。いつも、そういう話をするのがおきまりで、その日その日の新聞にある通りのことをお互に云うだけである。私たちには定見があるわけでなし、新聞に書いてない話になると双方とも意見はない。そのうちに煎餅がなくなって帰って来る。(井伏鱒二『多甚古村』)

2022/12/26 本駒込
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

年賀状を束ねて投函するための輪ゴムが、去年はいつの間にか箱ごと失くなっていたので、今年は自宅で束ねて行った。冬の朝は赤い色が眼に沁みる。今年もいよいよ最終週になった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【音の記憶】

【音の記憶】

眼が見えない人が書かれた文章を読んでいると、眼が見える者が見過ごして忘れがちな気づきがあって驚く。

東京驛に行つたら、いつもながら澤山の人がある気配で、色色の足音がしてゐた。 

丁度朝の八時頃、出勤する人の多い時刻であったので、きこえるのは殆ど靴の音で、草履や下駄の音はあまりしてゐない。(宮城道雄「春陽随筆」)

駅の雑踏は時間帯によって聴こえてくる足音が違う。通勤通学の時間帯と、それを過ぎて長距離の旅行客が行き交う時間帯では、乗降客が履いている履物が異なるので聞こえてくる足音も違うのだという。

これがもう一時間遅れて、ツバメなどの發車近くになると、足音も違ひ、靴の音でも上等な靴の音であったり、草履もシャナリシャナリした音であったり、お客も多く紳士や貴婦人らしく、それを見送る人たちも年増の婦人の聲がしたりして、如何にも生活に餘裕があるらしく、態度もゆつたりとした感じがするが、八時頃のお客は殆ど話もきこえないし、忙しさうに歩いてゐるやうに思はれる。(宮城道雄「春陽随筆」)

そして切符を発券する窓口では、思わぬ音を聴きわけて記憶の中で照合されている。

出札口に行つて切符を買ふと、 日附を押すスタンプの音が昔とちつとも變つてゐない。こんなものこそ、文明の進歩してゐる今日、新しい仕方に改良されてもよい筈であると思ふのに、子供の時に聞いた音と、いつも同じなので、却つてなつかしく思ふ。(宮城道雄「春陽随筆」)

「スタンプの音」とはダッチングマシン( Dating Machine 日付印字器 )のことを言っている。

2022/12/24
DATA : SONY NEX-5 Olympus ZUIKO 1:2 f= 200 mm

僕が学生だった頃はまだ駒込駅の改札にも駅員が立っていて、カチカチはさみの音をたてながら切符を切り、足元には切り屑が雪のように積もっていた。駅窓口にはおびただしい種類の印刷済み切符が用意されていて、駅員が行先に応じて素早く硬い紙の切符(硬券)を選び出し、小さな印字器を通し、日付を印刷して発券してくれたものだった。

懐かしいな、と思って妻に聞くと、そういう発券システムがあったことの記憶すらもうないと言う。そして自分もまた、この文章を読むまで、そういう道具があったことをほとんど忘れかけていたのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【肴町を探して】

【肴町を探して】

宮城道雄は昭和 5 年(1930)東京音楽学校講師となり、昭和 12 年に教授となっている。

一年春夏秋冬、毎年同じことを繰り返して、五年間通つてゐる。(宮城道雄「途上」)

とあるので、この「途上」が書かれたのは講師時代の昭和 10 年頃だろう。現在宮城道雄記念館のある旧宅跡は東京都新宿区中町で、そこから東京音楽学校(現東京芸大)の分教場へ通っていたのだ。

 いつも、自動車が家の門を出ると、學校へ行くのに、二つのコースがある。一つは新見附に出て濠端を行くのと、も一つは反對の北町に出て、新宿から萬世橋に行く電車線路に沿うて行くのとである。 先づ表通に出て、自動車が右へ折れるか、左へ折れるか自分のやうな勘の悪い者でも、自動車の向きによつてそれがわかる。(宮城道雄「途上」)

一つは新見附に出て濠端を行くのだけれど、もう一つのコースに肴町(さかなまち)の町名が出てくる。

2022/12/23
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

 それからも一つの方は北町を出て少し行くと蓄音器屋で流行歌をかけてゐたりラヂオでやつてゐる講演の音も拡大されてきこえてゐるので、肴町に来たといふことがわかる。(宮城道雄「途上」)

肴町に反応し過ぎ、そうか、宮城道雄は駒込肴町を通って上野の東京音楽学校に通っていたのかと勘違いして誤った方向へ読み進んだら音楽学校の分教場は上野ではない。

私の勤めてゐる分教場は、神田の鈴木町にある。(宮城道雄「途上」)

神田の鈴木町ってどこだろうと古い地図で調べると、御茶ノ水橋側の御茶ノ水駅前から水道橋駅に向かう御茶の水美術学院のあるかえで通り沿いにあたる。戦前の地図を調べたら宮城道雄が言っているのは牛込肴町で現在の新宿区神楽坂五丁目あたりのことだった。全国に肴町の町名はたくさん存在するけれど東京の肴町はとうに失われている。

自動車が學校の近くに来たなと思ふのは、坂があるからで、坂だといふことは、エンヂンの音や車の走り工合で感じるのである。(宮城道雄「途上」)

たぶん分教場があったのは母が入院していた順天堂医院の病室窓から川の向う正面に見えたあたりだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ええ】

【ええ】

「ええ」という相槌は意外に新しいらしい。宮城道雄の随筆にこうあった。

 女学生の言葉には女学生特有のものがあるが、友達同志が打ちとけて話す場合の言葉はごく簡単で親しみがあり、しかも友情を表わしているものがある。例えば「どこそこに行ってよ」「何々してるわよ」とか、同じ返事をするのに「はい」とか「へい」とか言わずに、近ごろは「ええ」という返事をする。こういう言葉はざつのようであるが「よ」とか「ええ」とかいう言葉に、非常に親しみがこもっている。(宮城道雄「声と性格」)

初出は「垣隣り」小山書店で 1937(昭和12)年とある。確かに明治生まれの祖母は「ええ」でもなく「はい」でもなく「へえ」と言っていたし、「へえ」だけではなく時と場合に応じて「ああ」や「おお」も上手に使っていた。「場合」に応じてということが昔の人は細やかで、相手に丁重に応じなければならないときは、そもそも簡便な相槌表現自体を使わなかった。

2003年12月23日 新宿区大久保
DATA : Minolta DiMAGE F100

そういうことを思い出すとき、心の中で録音機の再生ボタンを押すように、はるか昔に他界した人の声が忠実に記憶されていると感じるのが不思議だ。人間誰でもそうなのだろう。だから声帯模写が芸になる。

そういう他人の声音(こわね)に対する感覚が、幼くして視覚を失った宮城道雄ではとくにすぐれていたように思う。昨日も「途上」と題された聴覚による写生文を読んで驚嘆した。何度でも、聴くように読み返したくなる音の写生として珠玉の作品と思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【円融無碍】

【円融無碍】

子どもの頃、蚊のお医者さんがかわいい蚊注射をする童謡かとおもった「カチューシャの唄」。その作詞者である相馬御風の書斎(糸魚川)に、坪内逍遥絶筆のひとつである「圓融無碍」(えんゆうむげ)四字の丸盆があったという。いまは記念館にあるのかもしれない。

私はこれを仰ぎながら、しみ/″\ありし日の先生を偲んでゐる。夏目漱石の最後のモットーが「去私則天」であり、坪内先生のそれが「圓融無碍」であつたのも興味深く思はれる。(相馬御風「独愁」)

1999年7月1日 都営バス
DATA : SANYO SX112 

相馬御風と小川未明は高田中学(現新潟県立高田高等学校)から早稲田まで学友で、ともに逍遥の薫陶をうけた。「円融」は個々を認め合いながら仲よくともにあることなので、融和の融より宥和の宥で円宥のほうが、無碍すなわち隔てるものなくたがいにゆるしあう感じがしてふさわしい気もするけれど「融けあう」の「融」になっている。ゆるしあう主体となる自性(じしょう)などないという唯識思想だからだろうか。

雪国上越に育った相馬御風も小川未明も、その作風を思い浮かべると、どちらもとけあうようにやさしい。なんとなくそこからよろけて急に吉本さんの『良寛』を読んでみたくなった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【再帰呼び出し】

【再帰呼び出し】

プログラムで「『自分自身を呼び出す処理』を呼び出す」ことを再帰呼び出しという。

子ども時代、わが家に電話がはじめてひかれたとき、まず最初にやってみたのは自分の家の電話にダイヤルしてみることだった。当然話し中なので通話はできない。なるほどな、と思った。

「受話器をとる→自分の電話番号をダイヤルする→もし話し中なら電話を切ってもう一度かけ直す」
…という命令を自動でやらせたら永遠に終わらないだろう。

2022年7月20日 新幹線静岡駅着
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

子ども時代の最大の疑問は、たくさんの他人とはまったく違う「この自分」って何だろうということだった。

「自分に考えを向ける→『自分って何』と自問する→もし自分が考え中ならもういちど聞き直す」
…という命令を自動で自分にやらせたら永遠に終わらないだろう。自分で自分自体はわからない。自分とは電話の受話機のようなものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【宮城道雄と佐藤春夫】

【宮城道雄と佐藤春夫】

随筆「竹の夕」に内田百閒の仲立ちで佐藤春夫が宮城道雄を訪(おとな)う話が出てきておもしろい。昭和 10 年のことと思われる。

私が見えないので、佐藤氏が音のみの俳句が昔からあるだらうかといつた。 内田さんが、「古池や蛙とび込む水の音」の句は音だけの句ではないだらうかといふと佐藤氏は、水の音だけでなく、矢張り目が手傳ふと思ふ、水の波紋や、その自然の風景などがどうしても目に入る、といはれたら、内田さんが、「古池や蛙とび込む」といふからいけないので、「古池や何かとび込む水の音」としたら、どうだらうかといつた。(宮城道雄「竹の夕」より)

宮城邸を出て田端の天然自笑軒に席を移し、酒もはいったところで宮城道雄と佐藤春夫がこんな対話をしている。

法然上人の話を色色伺ってから、私が豫て内田さんの斡旋によって著した「雨の念佛」に就いて話された。普通書物には、言葉だけを耳にきいた感じと、文字を見て読んだ感じとがある。どうしても、目明きは文字を見たり読んだりした感じが這入るので、言葉の方の感じがそのために阻害される。私のは本當に言葉だけで、口述筆記の感じで目で見た文字の感じではない、純粋の言葉だけの感じで非常に綺麗にいつてゐる。(宮城道雄「竹の夕」より)

2022年7月20日 清水区大内
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

宮城道雄は昭和 31 年(1956)に亡くなられている。川上泰一氏による漢点字創案は昭和 44 年(1969)のことだという。

「雨の念佛」は宮城道雄記念館展示にあったあの点字タイプライターで、表音文字「かな」による分かち書きとして書かれ、印刷されて本になる前に漢字かな交じり文へと清書されたのだろう。佐藤春夫の言う「目明き」である読者はその漢字かな交じり文を読んでいる。
(「文藝春秋」写真資料部が書かれたものを読むと宮城道雄はほとんど口述筆記をされていたらしい ※2022年12月23日追記)

それでも「雨の念佛」にもこの「竹の夕」にも宮城道雄を通してしか表現され得なかった独得の表現が字面の奥に聞こえている。そこのところが興味深くて、一日一編ずつゆっくり宮城道雄を目で聴いている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【言葉はウラハラ】

【言葉はウラハラ】

NHK では放送番組内で「一生懸命(いっしょうけんめい)」を用いるけれど、「一所懸命(いっしょけんめい)」と「一生懸命」どちらも間違いではないと言っている(NHK 放送文化研究所)。

「一生懸命」の「一生」は「一所」から出ていて、同様に「一所」から出た言葉に「一緒」がある。

言葉は生き物だという。言葉が生き物なら「一緒懸命」(なかまですよ)や「一生賢明」(ぼけませんよ)や「一緒件名」(おなじですよ)もそのうち「どちらも間違いではない」の範疇に入るだろう。

2022年06月22日 清水区柏尾光福寺掛仏
DATA : Nikon COOLPIX P7700

言葉を生き物のようにつかうと意味が解体してナンセンス(nonsense)になる。ナンセンスを作品化するのはむずかしい。最近になって夢野久作を読み始めたのだけれど、これぞナンセンスと自分には感じられる「作品」が多く、読み出したらおもしろくてとまらない。

「有る」ということを「図(ぜんけい)」とすると、「無い」は「地(はいけい)」である。かたちのある「有る」は言葉にできても、かたちのない「無い」を言葉にすることはむずかしい。ナンセンスは「non」な「sense」なのだから「sense」が「less」のセンスレスも同じだろうと辞書を引いたら「意識不明」だというので笑った。

睡眠はセンスレスである。センスレスな状態が「地」としてあるから、目覚めた「私」という意識が「図」としてあるわけで、「私」という意識はそもそもナンセンスなのだろう。

「イイエ、違います。まるでウラハラです……」
と群集のうしろから後家さんが叫び出した。
みんなドッと吹き出した。巡査も思わず吹き出した。しまいには按摩までが一緒に腹を抱えた。(夢野久作『いなか、の、じけん』より)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【宮城道雄記念館】

【宮城道雄記念館】

妻が新宿区中町にある宮城道雄記念館に行ってみたいと言うので、地下鉄南北線と大江戸線を乗り継いで牛込神楽坂まで行ってきた。駒込で地中に潜って神楽坂上で穴を出た。

入館者はわれわれふたりきりだったので、伝記本の中に入り込んだようにしてゆっくり読みすすんだ。

失明を機に(「七歳の頃までは、まだ見えていたのであるが、それから段々わるくなって、九歳ぐらいには殆ど見えなくなってしまった」宮城道雄『山の声』より)音楽の道を志し、8歳で師匠に弟子入りし、第一作となる箏曲「水の変態」を書き上げたのが明治 42 年(1909)だから 14 歳の時だった(「丁度その折、私の弟がいつも読んでいた読本の中に、水の変態というのがあって、それは七首の歌によって、水が霧、雲、雨、雪、霞、露、霜と変って行くことが詠まれていたのである」同『山の声』より)。

伊藤博文死出の旅立ちとなる満州渡航前に「水の変態」の演奏を聴いた伊藤から後の支援を約されたというけれど、夢野久作の父親である杉山茂丸(↑)が旅立ち前の伊藤に招かれて得意の義太夫を語ったという話を思い出しておもしろかった。

2022年12月17日 佐藤春夫による宮城道雄氏略伝
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

箏曲と文筆を互いに教え合うことにより内田百閒と親交が深かったことも初めて知った(「いつであったか、初夏の気候のよい日に内田百間氏がひょっこり私の稽古場を訪ねて来て、今或る新聞社の帰りでウイスキーを貰って来たから撿挍にお裾分けしようと言われた」宮城道雄『友情』より)。点字と五線譜を使った作曲に関する遺品に驚きながら、実際に演奏する動画を見て感心し、この人が視覚によらないのこされた感覚による写生を試みたら、どんな言葉が紡ぎ出されたのだろうと思い、文筆家としての評価を高めたという随筆集『雨の念仏』(1935)が読んでみたくなった。

雨の念佛
 私は非常に忙しいことがあつたので、頭を休めるために、或る土曜日の晩、葉山の家に行つた。自動車から降りると、角(かど)の家で誰か人が死んだらしく、 念佛を唱へて鐘を叩く音がしてゐた。そして立派な人が来てゐるらしかった。折角休養の積りで来たのに、私は今更東京を離れて心細く感じた。
 私の家は山を登って、高所になつてゐた。家の中に這入つても、何だかおちつかなかつた。そのうちに雨が降つて来て、鐘の音が雨に交つてきこえてゐた。 それに蟋蟀(こおろぎ)や色色の蟲までが鳴いてゐて、一層淋しい気持になった。
 八時頃になつて差配のをばさんがやつて来た。その話によると、角(かど)の家では、何でも東京に奉公をしてゐた一人息子が、二三日前お祭で帰つて来て、御強(おこわ)を食べ過ぎて、盲腸炎を起して死んだのださうである。その話の間にも鐘の音や念佛の聲がきこえてゐた。
 をばさんは話を続けた。私が借りてゐる家の大家さんの奥さんが、先日東京で胃癌で死んだと話した。金持の家の奥さんで、まだ締めたことのない新しい帯が十本とかあって、奥さんが死ぬ前日、看護婦に手傳つて貰つて、腹にその帯を巻いて死んだといふ。私たちのやうな者が考へるに、金持でも死んでしまへば、何にもならぬ、だから陽気にやらう、宮城先生も一杯ぐらゐ飲んだ方がよいといつた。それが田舎言葉で面白い口調で話をした。
 そのうちにをばさんは、帰りさうにしたので、私はもつとゐて呉れといつたら、實は自分も親戚の家に不幸があって、これから行かねばならぬのだといつて帰つて行つたので、私はとり残されたやうで、益益気持が淋しくなつてしまつた。
 雨戸の外から鐘の音や念佛の聲に交つて、 自動車の音、波の音が聞こえてゐた。 そして、それがいつまでも止まなかった。何といふ無気味な淋しい晩だらうと思つた。そして、その晩一晩中氣がかりで寝られなかった。(宮城道雄)

宮城に言及した内田百閒直筆の原稿も展示されていた。昭和31年(1956)に起きた夜行列車「銀河」からの転落事故現場刈谷にも行ってみたという内田百閒の『東海道刈谷驛』旺文社文庫が読んでみたくなったので古書で注文した。絶版らしく文庫本にしてはいい値段がついていた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【脳頓】

【脳頓】

睡眠は脳の交通整理だと養老先生が書かれていた(『唯脳論』)。脳が交通整理するのは日々の記憶の吹き溜まりである。

睡眠中の脳内では、不正な記憶の削除、分散した空き領域による断片化の解消、連続書き込み領域の確保、低頻度使用情報の圧縮や移動による保管管理、索引となるインデックスファイルの作り直しなど、記憶媒体である脳の整理整頓(脳頓)が徹夜で行われている。

2013年11月26日 さいたま市大宮区

脳は眠らない。眠らないので酸素消費量は起きている時と変わらないという。脳は生きている限りノンストップの物理記憶装置であり、睡眠は日々のメンテナンスであって、起床は再起動、戻ってくる意識は自分というシステムのブートアップである。おかげで朝の寝起きしなは本を読んでも頭に入りやすい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ