踵の秘密

2012年7月20日

 昔から靴の踵の減りが早い。修理に出して靴底を交換してもらってもまた踵ばかりがすり減るので、結局踵ばかり交換してもらうことになり、靴を直しなおし履くのは良いことなのに、靴屋に行くたびに体裁が悪い。

 ウォーキングの歩き方は踵で着地しろと教わり、踵からの着地は得意なはずなので、意識してやってみたら歩き方がしっくりこない。おかしいなと思い、自分流で歩きながら足裏を観察すると、早歩きのウォーキングではほとんど踵での着地を意識していない。早足歩きのウォーキングではなく、周囲の人たちのペースにあわせてのんびり歩く普段の生活ではしっかり踵から着地しており、早すぎないよう踵でブレーキをかけながら歩いているようでもあり、この歩き方をしていたら踵が早く減るわけだと思う。

 NHK スペシャル『ミラクルボディー』第三回「マラソン最強軍団」を見た。フルマラソンコースを2時間3分台で走るという東アフリカの選手たちの走り方を撮影して分析したら、踵ではなくその前の部分で着地していた。マラソン高速化の秘密のひとつだという。
 ランニングではなく早足ウォーキングしている人たちは、たいがいおなじような歩き方になっているように思い、疲れたりちょっとリズムを崩したりすると踵が地面をこすって「キュッ!」という音が出てしまい、自分にも他人に対しても、その音が聞こえると歩き方が乱れているなと思う。

 宮本常一自伝に渋沢敬三が登場し、足半(あしなか=踵の無い短い草履)の話が出てきた。アチックミューゼアム同人宮本馨太郎の研究について話をしたらしい。足半の本物を見てみたいなと思って調べたら、上野の西郷隆盛像も足半をつけているらしい。戦をする武士や狩猟、漁労、農作業をする人たちは足半を用いていたようで、非常に理に適った民具だったのだろう。

 毎朝 10km の早朝早足ウォーキング。上野公園内を通過するので寄り道して西郷隆盛像像を確かめたが、愛犬を連れて兎狩りをする西郷さんはやはり足半を履いていた。今朝も足半を履いているつもりで足裏前部を意識して歩いたら、疲れているのか所要時間1時間20分だった。今までで一番遅いタイムなので iPhone に入れたサポートアプリに、今までで最も遅い記録が出たと嫌みを言われるかと思ったら、かつてない長時間歩行記録が生まれたと褒められた。ものは言いようだ。

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町歩きと動機

 裸足でシューズを履いて作ってしまった左足のマメ。痛みもとれたので今朝からウォーキングを再開した。5時になったら出かけようと本を読みながら準備していたら、4時半頃六義園内でヒグラシが鳴いた。これで朝も夏らしくなった。
 上富士交差点を出発し、本郷通りから富士神社方向に左折し、都立駒込病院脇動坂上から本郷保健所前を通り、団子坂を下って三崎坂を上る。上野桜木から東京芸大前を通って上野公園に入り、動物園前から上野公園前へ下る。不忍池の端をまわって春日通りに出て、湯島天神脇の坂を上り本郷三丁目交差点へ。右折して本郷通りに戻り、高崎屋酒店手前から斜めに旧白山通りに入る。東洋大学前を通過し、千石交差点手前でアイソトープ研究所前の道に入り、本郷通りに戻って上富士交差点でウォーキング終了。所要時間1時間12分で距離は9.29キロだった。

 上野公園には家のない人たちがブルーシートで雨露をしのぐ屋根を作って暮らしており、人生という山登りのベースキャンプ・テント村のようだ。前回、上野公園前から先は、中央通りを上野広小路まで歩いて春日通りを右折したのだが、湯島2丁目の飲食店街が吐き出すゴミと、ゴミの中から食べられるものを漁る人とカラスの姿ばかりが目につき、そんな光景を見ながらウォーキングする自分の姿を想像するのがつらいので、今回よりコースから外した。
 新聞配達をしているという若者が、仕事で仕方なく走っている自分の横を、趣味で走っている人が通ると妙な気分がすると、ツイッターでつぶやいていた。趣味で早朝走っている人だって、その後仕事で汗を流すわけで、趣味で走ることをとがめだてするには当たらないと思うけれど、家や仕事を持てない人がゴミを漁っている横を健康ウォーキングするのはやはり後ろめたい。飽食の果てのメタボ対策というやるせない一面が動機にあるからだ。

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病人大移動

2012年7月10日

 病院の引っ越しと聞いて華やいだ気分にはなれず、点滴スタンドを持ったパジャマ姿の患者や、ストレッチャーにのせられて天を仰いだ患者が、引っ越し先まで長蛇の列を作って歩いて行くような、壮絶な行列を思い浮かべてしまう。そんな光景を見ることはないと思うけれど、入院中の患者を含めた人の移動は大変だろうと思う。

 特養ホーム入所中の義母が通う東大宮総合病院。狭い敷地に建つ病院は近隣から通う人々で常にごった返しており、医師、看護師、職員は無駄のない動きで狭さをカバーしているのがわかる。みんなよく頑張っているなあと付き添いのたびに感心する。
 平成26年5月に、土呂駅から徒歩10分の場所に新病院が完成して引っ越すそうで、サイトを見たら「念願の…」とあるので、やっぱりなぁと思う。

 2012年7月9日、義母の定期検診で付き添ったら、通院してきた見知らぬお年寄りが、
「この病院ができた頃は畑ばかりで、野菜を売りに来る農家の人たちが、病院の前に並んでいたものよ。この辺も変わっちゃって昔の面影がないわ」
と話していた。病院正面玄関前に農家の無人売店があり、田舎はのんびりしていていいなと思っていたけれど、お年寄りはもっと長閑だった昔を思い浮かべているわけだ。
 新しい病院移転まであと2年を切った。義母に付き添って新しい病院を見ることはあるだろうか。

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未来は霧の中

2012年7月8日

 東京オリンピックが開催された昭和三十九年、週刊少年マンガ雑誌の値段は一冊四十円だった。毎週買うと月四冊で160円、『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』だけでなく『週刊少年キング』まで読む贅沢な暮らしが許されたとしたら月480円にもなる。当時の月480円がどれくらい価値があったかというと、小学校の給食費が500円くらいで毎月袋に入れて持って行ったが、用意して貰えなかった家庭の子どもが必ずクラスに何人かおり、

「もって来られませんでした」

とうつむいて言わなくてはいけないくらいの価値があった。今のように経済的問題がないのに給食費未納の親がたくさんいる時代ではなく、見るからに困窮している家庭が多かったので、毎月480円あれば子ども一人に気持ちよく給食を食べさせることができたのだ。

 兄弟が多かったり、父親まで兄弟の一人であるかのように無邪気な家庭では、必ず一誌くらいマンガ週刊誌を購読していたので、放課後遊びに行き、みんなで畳の上をごろごろ転がりながら、順番に回し読みさせて貰った。そのおかげで、「オバケのQ太郎」も「おそ松くん」も「伊賀の影丸」も「サブマリン707」も、友だち同士の話題に乗り遅れ、イジメにあうこともなく、何とか読むことができた。

 それでも小学校高学年になると塾通いする友だちも増えてきて、マンガを読ませて貰うために他人の家に上がり込む機会もなくなったころ、駄菓子屋に登場したのが古漫画本のくじ引きだった。おそらく売れ残ったものと思われる週刊少年マンガ雑誌を、新聞紙を貼ってつくった袋に1冊ずつ入れ、紐で吊したものを五円払ってくじ引きするのだ。小遣いが一日十円だったので五円のマンガをくじ引きし、残り五円であめ玉を五つ買って帰ると、夕飯までごろごろと愉しむことができた。

|清水小学校郷土資料室にて|

 どんな雑誌のどの号が出てくるかはわからないので、前号までのあらすじがわからないのはもちろんのこと、続きはどうなるんだろうと胸高鳴らせても、続きが読めるとは限らない。今になって小学生時代のマンガ体験を振り返ると、なんと哀れな読書だったのだろうとも思うけれど、それはそれとして受容し、物語の前後を想像で補い、未来が霧の向こうに見えなくなるまで愉しんでいたわけで、受け身一辺倒でない、なかなか高度な知的体験だったかもしれないとも思う。

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老人ホームの温度と湿度

2012年7月7日

 7月7日ということで特養ホームも七夕祭り。施設内のあちこちに七夕飾りがあって美しい。
 義母はこのところ37度5分くらいの熱が続いているせいか朦朧としていて声かけにも無反応だが、食欲は普通にあるのが助かる。熱もあることだし水分補給をしっかりさせたいところだけれど、液体を口に含ませると激しくむせて咳き込むので難しい。
「お母さん、慌てないでゆっくり飲もう、ゆっくり、ゆっくりね」
と声かけしても、認知症が深く相互の意思伝達ができないため、勢い込んで飲もうとすることを制御できない。認知症老人の介助はひとつひとつ難しい。

|特養ホーム、食堂の温度計|

 エアコンと窓開け併用でホーム内の気温は28度ほどあり、食事風景を座って見守っている分には暑さを感じないけれど、介助に飛び回るケアワーカーたちは全身汗だくになっている。母親の食事介助をする妻も汗だくだが、食事介助される義母もまた、エプロンをしているので汗をかいている。食事による汗かき抑制と、冷えすぎ防止の室温管理は難しい。
 小さな医院の待合室では、暑ければ老人たちが自主的にぱたぱたと団扇を使う光景を目にするけれど、義母が入所している特養ホームには団扇が一本もないのが不思議だ。こんど施設長に会ったら団扇を置かない理由を聞いてみよう。

|特養ホーム、ケアワーカーの願い|

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未来への遺構

2012年7月6日

 本郷通り沿いで建築工事が始まるとたいがい中断して遺跡調査が入り、発掘現場を見るのが好きなので時間が許す限り立ち止まって見物している。この道は日光御成道旧岩槻街道にあたるので、比較的新しい時代に建っていた町屋の遺構であることが多い。江戸時代の町屋の遺構を調査しています、などと教育委員会の説明が掲示されるので、その概要はわかっているのだけれど、丹念に掘り出されていく穴や溝ひとつひとつの用途までは素人なのでわからない。

|本郷通り沿いの基礎工事1|

 素人なのでわからないのは現代の建築現場でも同じ事で、なぜこんなに手の込んだ基礎工事をやるのだろう、この奇妙な盛り土は何のためのものなのだろうと首をかしげることが多い。わからなさにおいては遺構発掘も基礎工事も同じなので、建築工事現場を見ているのもまた楽しい。楽しいので時間が許す限り立ち止まって見物していると、ああこれは未来への遺構埋設現場なんだなと思う。

|本郷通り沿いの基礎工事2|

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諦念と気楽

2012年7月5日

 先月のある日突然、義母の右手首から先がぶらりと力なく垂れ下がってしまい、箸もスプーンも持てなくなった。

 骨や筋を痛めたのかしらと思ったけれど、毎日特養に通って食事介助している妻が、無理矢理スプーンを持たせ、食べ物を口に運ばせようとしているのを見ると、まったく痛がるそぶりもないので怪我ではないらしい。義母は話しかけても反応がほとんどない状態なので、右手がどうしてそうなってしまったかを、本人の口から聞けないのでじれったい。食事介助している昼食以外、食事はどうしているのだろうとケアワーカーに聞くと、なんと左手で食べていると言う。特養ホームの嘱託医に相談したら、脳に軽い出血があって右手に麻痺が出たのかもしれないとのことなので、病院に連れて行きCTスキャンで検査して貰ったが、出血した様子もないという。

 血のつながりのない義理の母だからというわけでもなく、実の母親に対してもそうだったし、実は自分自身に対してもそうなのだけれど、どうしても原因がわからない身体の不調は、まぁ仕方ない、そういうものだと思って暮らすしかないと、さっさと諦めてしまうことにしている。かといって諦めきっているわけでもないのは、気楽に構えて苦にせずにいたら、原因のわからない不調が原因のわからない何かの拍子に、突然治ってしまうことも体験しているからだ。あるいは調子がよかった頃のことを忘れてしまい、いまの状態が当たり前になっていることもあるので、それはそれでよいという気楽な対処をしている。

 義母は特養に入所した直後、首ががっくり前に垂れ下がって、前を向いて顔を上げられなかった時期がある。入所前に、何度か深夜徘徊の途中で転び、顔面を強打して怪我をしていたので、首に損傷でもあるのではないかと、検査も受けたが結局原因はわからなかった。  それがある日すっと顔が上がり、今度はイスに両肘ついて胸を張り、そっくり返って威張っているような堂々たる姿勢になり、定期検査で通う病院でも

「わあっ、顔が上がってる!」

と看護師さんたちを驚かせたことがあるのだ。

 右手が使えなくなってしまった義母にもまた、まぁ仕方ない、そういうものだと思って暮らすしかないと、心の中で思っているのだけれど、右手があることを忘れてしまわないように、ふにゃふにゃと不思議な触感のあるゾウさんとヘビくんを買ってきた。妻に持って行かせ

「かあさん、どういう反応してた?」

と聞いたら、

「不思議なものを持つようにそっと両手で持ってた」

と言うので、我が意を得たりと嬉しい。物を持たせると渾身の力で握りしめてしまい、車いす介助で苦労することが多く、手を握ればケアワーカーによってはつねられたと思わせてしまう義母が、そっと、しかも両手で持ったということは、自分にちゃんと使える手があることを意識しているわけで、気楽に見守ればそのうち

「わあっ、スプーン右手に持ってる!」

と、まわりの人たちを驚かせる日が来るかもしれない。

 気楽に暮らすお守りのゾウさんとヘビくん、ヘビくんの方はケアワーカーが車いすのアームサポートに、くるくると巻き付けてあったという。

(Bricolage209号)

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公衆の眺め

2012年7月3日

 もう十年以上まえだけれど、家内の伯父さんが品川区小山で亡くなり、それが東京で参列する初めての葬儀だった。こんなに家が建て込んだ都会のどこに火葬場があるのだろうと心配したが、意外に近い場所にあったので驚いたことがある。
 東京都品川区にある民間の火葬場桐ヶ谷斎場で、美空ひばりの葬儀もここで行われたという。プールつきのひばり御殿に住んだ大スターもこういう場所で火葬されたわけで、死ねば人はみなほとけ、最後に平等であるというのは清々しいものだなぁと、妙な感心をした記憶がある。

 毎朝10キロのコースを1時間かけて歩いていると言ったら、その距離をそんなに早く歩けるはずがないというので iPhone アプリで計測したら、地図上で測った距離より短くて約8.5キロだった。ときおり写真を撮ったりして立ち止まったこともあり、所要時間は1時間をちょっとオーバーした。

|滝野川浴場の煙突|2012年7月3日|

 朝のウォーキングルート、白山通りと明治通りが交差するあたりの高速脇に煙突があり、こんな場所に銭湯があるのかと驚いた。死んで火葬場で平等になる前に、人は公衆浴場や大衆酒場で何度でも予行演習できるわけで、公衆の場所がある都市の眺めは、これはこれでよいものだなと思う。

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しばらくの金色堂

2012年7月2日

 六義園公園管理事務所の新築工事がすすんでいる。
 木造平屋建ての屋根葺きが始まり、板を張った上に瓦を並べるのかと思ったら銅板で葺いており、梅雨の晴れ間にきらきらと輝いて、見たこともない中尊寺金色堂を連想してしまう。

五月雨の降りのこしてや光堂(芭蕉)

 どうして銅板葺きにするのだろうと理由を考えるに、地中に根を張る樹木に配慮してか地面を掘削しての基礎工事も控えめで、表面をならしてコンクリートを敷き詰めるだけだったので、平屋とはいえ屋根の重量を軽減するというのが主眼なのではないかと思う。金色に輝く銅板葺き屋根もだんだん黒みを帯び、やがて緑青を纏ってまわりの緑になじんでいく。

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対称と非対称

2012年7月1日

 赤瀬川原平ではなく尾辻克彦名で書かれた小説だったと思うのだけれど、父子家庭でかわされる会話のなかで、対象な存在であるシンメトリーを「シントメリー」と娘が覚え間違えしているという微笑ましい話があった。娘の名は確か胡桃子だったと思う。
 確かに「ケンとメリー」とか「トムとジェリー」とか「安寿と厨子王」とかを思い浮かべると、「シンとメリー」の方がシンメトリーより対称性を感じる。

|ノウゼンカツラと書く人がいるのは愛染かつらの影響かもしれないノウゼンカズラ|2012年6月30日|東大宮にて|

 自分もまた初めて覚えたシンメトリーを「シントメリー」と覚えそうになったことがあったのでなおさら笑えたのだけれど、なぜ覚え間違えをしそうになったかというと、生まれた町の名にちょっと似ていたからだ。
 「シントメリー」に似た名の町には、かつて差別的な扱いを受けることの多かった人々が暮らしていたそうで、認知症が出て特養ホームに入所した祖母が大声でその話を始めて母を困らせていた。とはいえ
「あの町は昔○○○の人々が住んでいてなぁ…」
などという話も、当時を知る老人たちが亡くなるとともにだんだん聞かなくなっているし、住居表示で消えた町名も多いせいか聞いても若者たちはキョトンとしている。

|これはノウゼンカズラより赤くてラッパ状なのでアメリカノウゼンカズラだと思う|2012年7月1日|北区西ヶ原にて|

 隆慶一郎『吉原御免状』では、吉原が遊女たちを身分差別社会から救済するための洗浄機関役も果たしていたというユニークな着眼に驚いたが、「地名殺し」ともいわれた住居表示にも、地名の呪縛から忌まわしい歴史を抹消する効果はあったわけで、この国においてはその恩恵も意外に大きかったのかもしれないと、古い地名を惜しみつつ思っている。

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