【 T2 AUDIO Studio Hackensack 】

【 T2 AUDIO Studio Hackensack 】

静岡県清水江尻町。

実家の片付け帰省帰りに裏通りを歩いたら、『 Studio Hacken Sack 』と書かれた看板のある建物が目に付き、音楽の聴けるバーか何かかなぁ、と思いつつ写真を撮っておいた。


インターネットの時代の凄いところは世界に総合索引が付いたということであり、「 Studio Hacken Sack 」と入力して検索すれば
すぐに明らかになる新しい世界がある。

なんと!

「古くからのJazzファンであれば気が付くと思います、Hackensack(ハッケンサック)は BLUE NOTE, Prestige の録音に使用した名エンジニア VAN GELDER の自宅の所在地名です。Jazz に限らず多くの歴史的な音楽は、個人的な小さなスタジオ(工房)から生まれています」

とあり、ここは清水銀座裏手にある音楽録音 Studio なのだった。

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【雪だるまとホウキ】

【雪だるまとホウキ】

静岡県清水山切、『清水ナショナルトレーニングセンター』ロビーにて。

軽い昼食をと思ったらバイキング形式の日だったので、ついつい口が卑しく見たものは何でも口に入れたい性格なので、ついつい暴飲暴食してしまい、ロビーに出たらスノーマンの後ろ姿がスモーマンに見えた。

それにしても外人の雪だるまはどうして必ずホウキを持っているのだろう。


富山に行ったら雪国の人が持っているのは、男はスコップ、女は“ママさんダンプ”なのだが、雪だるまにホウキがつきものの理由がわからない。

富山生まれの妻は幼い頃は「雪バンバ」を持っていたと言い「雪バンバ」とはまさかホウキじゃないよな、と思ってネット検索したら「雪バンバ」は井上靖の小説「しろばんば」と同義、「雪虫」のことであると書かれたページばかりがヒットする。

「雪が降ると子供は大喜びで外に出た。
雪バンバという板で作った羽子板を長くしたようなものがあり、必需品だった。
これで雪を掬ったり、固めたりした。今では殆ど手に入らない。」
と「雪バンバ」の事を書いておられる方がいて嬉しくなり、
誰だろうとトップページに戻ったら富山商船高専『マックde記号論』の金川欽二先生だった。

博学な先生なら雪だるまとホウキの意外な真実(あれば)を知っていたりするのだろうか。

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【冬の朝顔】

【冬の朝顔】

静岡県清水江尻町にて。
東京でも清水でも、だんだん朝夕の冷え込みが厳しくなる今でも、西洋朝顔が元気よく次々に花開いている。


昔はこんな季節に朝顔を見た記憶がないが、最近は冷たい風に襟元を合わせながら歩いていて、朝顔が綺麗に咲く姿を見ても違和感を持たなくなってきた。

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【山の道】

【山の道】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 11 月 27 日の日記再掲

親と同世代の人たちは、静岡県清水吉原という山間集落を「山の吉原」と呼び、それは平野部にある富士市吉原と区別するためだった。

昔の人と話すと山間地域への理解が深いのに驚き、モータリゼーションの時代になって今の若者の方が余程山間地域に足を運んでいるのに、山間部への理解の質が違うのを面白く思う。

■庵原のミカン山から茶畑越しに眺める山原中継所。清水平野に面したミカン山の北西側はたいがい茶畑になっている。
RICOH GR Digital + GW-1

11 月 25 日、友人たちと庵原のミカン山頂上に立ったら、そこから尾根伝いに自動車で山原(やんばら)中継所に行けるのだという。
「そうか、東海道新幹線が庵原川を渡る際に見えているこのミカン山は、清水平野のどこからでも見える山原中継所と尾根続きだったんだ」
と、当たり前のことを今さらながら再確認した。山はすべてがひとつひとつ孤立して存在するわけではなく、つながり合うことで尾根道を作っているのだな。

■山原中継所へ向かう尾根道から見た第二東名工事現場。トンネル出口があるのは山の吉原あたりになる。
NIKON COOLPIX S4

尾根伝いの道を進んだら富士山が綺麗に見え、その下の山腹にトンネルが穿たれており、
「(ああそうか、今年の春、両河内のタケノコ掘りに招待された際、興津川を跨ぐ第二東名高速道路の橋脚工事現場が見え、興津川を跨いだ道路の行く手はトンネルの中に続いていたけれど、その出口は山の吉原付近だったんだ)」
とより現実的に第二東名高速道路のルートを理解した。

■望遠レンズで引き寄せたトンネル出口。
NIKON COOLPIX S4

吉原ジャンクションでトンネルの外に出た第二東名高速道路は庵原川に沿ってまた上流の山峡に分け入り、そこが伊佐布(いさぶ)の滝のある清水伊佐布である。

高校時代、庵原川沿いを自転車で遡って伊佐布の滝まで出掛けたことがあり、秘境のように感じたものだけれど、
「(なぁんだ、伊佐布って山原中継所のすぐ裏側のことなんだ)」
とより現実的に十代の少年を魅惑した秘境の場所を理解した。

戦国時代まで、山の道には日本最速の情報網があり、山の民が驚くほどのスピードで山のショートカットを使って情報を伝え、それを生業にしていた。その情報網を封じることで家康は徳川の時代を盤石なものとし、それによって食いっぱぐれた山の民が清水平野にも降りてきてたくさんの神社を開いてなりわいとした。

先日、民放のドキュメンタリーを見ていたら、ジンギスカンもまたモンゴル平原に張り巡らした人の足と目と狼煙などを用いた情報網により、少ない兵力で次々に支配権を広げていったのだった。

■山原中継所から見た静岡市中心市街地。煙突の白煙は巴川製紙用宗工場だろうか。山の情報ネットワークを使えば駿府城下の様子など、あっという間に甲斐まで伝わったのだろう。
NIKON COOLPIX S4

桜橋の珈琲自家焙煎『櫻珈琲』裏手にある文殊神社、その本殿前に立って鳥居を銃の照準器のようにして遠くを見晴るかすとひときわ高い「高山」山頂に狙いが定められている。 
文殊神社があるちょっとした高みとなっている場所は土豪入江氏の時代から東海道を見張る要衝であり、武田の陰陽師(おんみょうじ)発案によって鎮座したというこの社で信号を送り、高山山頂の見張りがそれを見て北へと中継したら、東海道要衝からの情報はあっという間に甲斐に伝えられただろうと思う。

数年前、祖母が清水柏尾にある特養ホームに入所していた頃、面会帰りにミカン山の道を上って柏尾峠に行ってみたが、かつては徒歩や牛馬に荷を引かせて静岡市瀬名方面に向かうショートカットとしてかなりの通行量があったのだと石碑に書かれていた。

モータリゼーションの時代なら山塊をぐるっと回っての遠回りも苦にならないけれど、徒歩の時代の人びとにとっては、現代人が厭う山越えこそが最も高速で便利な道だったのだろう。母も幼い頃、お使いで柏尾峠を歩いて越えたことがあると言っていたので、清水吉原を「山の吉原」と呼んだ世代の山間地域理解が深いわけだなと尾根の眺望に思う。

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【「ここ」と「あそこ」】

【「ここ」と「あそこ」】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 11 月 25 日の日記再掲

「時空」などという言葉を知る以前から世界というものはそもそも不思議だった。
 
東京下町の工場引き込み線沿いで暮らしていたので線路沿いが最も身近な遊び場だった。貨物列車が轟音をとどろかせて通り過ぎるのを線路脇の草むらで待ち、列車通過後急いで飛び出して線路に耳を当てると車輪の響きが遠ざかっていく音が聞こえ線路はまだ摩擦で熱かった。そんなことをしても車輪で頭を轢かれたりして危険でないのは、世界が縦・横・高さの三次元空間に独立な 1 方向としての時間を加えた四次元空間になっているからだろうと、線路に耳を押し当てて不思議な世界の構造を学んだ。

今でも郷里静岡県清水に片付け帰省し、帰りの列車から清水の町並が見えると、自分がついさっきまであの道をリュックサック背負って歩いていたんだなぁと不思議な気持ちがし、ちらっとでも自分の後ろ姿が見えてしまうような時空のねじれがあったら面白いだろうなぁと思ったりする。そんなことを幼い頃から考えていた。

亡き人はもちろんのこと、友人と別れたりした後も、さっきまでそこに人がいたという気配を強く感じる(感じようとする)癖があり、そういう感慨についついふけってしまう自分に気づくことが多い。

■静岡県清水山切。『清水ナショナルトレーニングセンター』レストランという「ここ」。食後に登ってみようと言われた山の「あそこ」が窓から見える。
RICOH GR Digital + GW-1

11 月 25 日、片付け帰省の合間に友人たちと昼食を一緒にしようということになり、かねてから美味しい料理を出すと評判の『清水ナショナルトレーニングセンター』レストラン『 S.colina 』に行ってみた。土・日はバイキングであり、ついつい「目が食べたくて」過食してしまったことを深く反省しつつ、評判通りなかなか美味しい料理だったと思う。

食後あの山に登ってみようと友人が言い、窓外のミカン山を見上げる。『清水ナショナルトレーニングセンター』が隣接する三池平古墳後円上からの眺望もなかなかのものだったので期待していたけれど、ミカン山頂上からの眺めも絶景だった。

■静岡県清水庵原。車でミカン畑を上ると『清水ナショナルトレーニングセンター』レストランから見た「あそこ」が「ここ」になる。手前に見えるのが『清水庵原球場』、その左上に見える四角いサッカー場が「あそこ」になった『清水ナショナルトレーニングセンター』。
RICOH GR Digital + GW-1

さっきまであの場所で食事をしていたんだなぁと『清水ナショナルトレーニングセンター』を眺め、さっきまであの道を走って庵原まで来たんだなぁと曲がりくねった道を眺め、いつもあの線路を往復しているんだなぁと東海道線を眺め、生まれ育った清水市街を眺め、駿河湾越しに母の生まれ故郷である伊豆の山並みを眺め、いつの間にかまた時空の旅人になってぼんやり感慨にふけっている自分がいる。

■ミカン山頂上から望遠で引き寄せた『清水ナショナルトレーニングセンター』
NIKON COOLPIX S4

■ミカン山頂上から眺める富士山。
NIKON COOLPIX S4

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【山伏 Reminder 】

【山伏 Reminder 】
 



友人からこんな写真付きメールが届いて
頭の中で「秋葉山秋葉山秋葉山秋葉山秋葉山……」とベルが鳴り
「あっ秋葉山(あきわさん)の時期だ!」とあらためて気づく。

秋葉山の文字を見ると、ぐっと清水の冬、師走の情感が高まってくる。
昨年は友人たちと秋葉山大祭で火渡りをしたのだけれど、その時、
「来年は『まとい祭』の方を見たいな…」
と思ったのだった。
だが、今年のまとい行列は 12 月 15 日の金曜日なのだそうで、
16 日はいずれにせよ片付け帰省をすると思うのだが、
15 日の金曜日1時半に清水に帰るのは厳しいかもしれない。



「そろそろこんな時季になりました
どちら様も風邪など召さぬように
ご自愛下さい(二の丸)」

昨日、車椅子を押して義父母とともに
インフルエンザ予防接種を受けてきました。
ほんとにこんな時季になりましたね。

二の丸さんありがとう。

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【柿】

【柿】



清水の友人に先週末貰った柿が
いかにも甘そうに熟してきたので剥いてやったら
義父が美味しそうに食べていた。
熟した人間に熟し柿はなんて似合うのだろう。



「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺、この句はいつの時代の誰が詠んだものですか」
「誰ちゃわからねども時代は江戸時代」
「カ~~ン……残念でした」

明治28年10月、詠み人は奈良で御所柿を食べた正岡子規。
 
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▼町の消失

蔵というのは頑丈な物で感心する。

そういう建物が集まったパリ旧市街の最上階に一人暮らししていた
女性編集者の友人を訪ねて部屋に通されたらびっくりした。
エレベーターなどという便利な物はないけれど、
仰天するほどに古い建物の丈夫さは目を見張るほどで
きっと僕が死んだはるか後までも
この建物は存在し続けるんだろうなと思って圧倒された。


     【写真】東京都千代田区外神田にて。
     撮影日: 06.11.17 2:36:57 PM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/270
     F値: 3.5

日本にもそういう石や煉瓦でできた建物もあり、
それらの多くはやはり僕が死んだはるか後までも
存在し続けるんだろうなと思ったりする。

だがこうやってまわりの建物が次々に消え、
空き地や駐車場になっていくと
この建物もいつまでここに存在し続けられるかは怪しいように思えてくる。

日本の都市では再開発で新しい建物が建ち並んでも、
消えた“町並”はうたい文句と裏腹に再び復活しないからであり
日本の再開発は建物づくりであって町づくりではないように思う。
この場合の“町並”は「まちなみ」ではなく「ちょうなみ」と読む。

ちょう‐なみ【町並】町内のつきあい。町義。(広辞苑第五版より)

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▼「中(ちゅう)」

台東区根津の裏通りを歩いていたら不思議な食べ物屋が開店していた。

午後三時を回って昼休みの時間帯なので
普通なら入口には「休憩中」の札を下げるのが普通だけど、
この店の入口には「反省中」とあって
刑務所みたいでいいなぁと思う。


     撮影日: 06.11.17 3:33:44 PM
     RICOH
     GR Digital
     露出時間:1/12
     F値: 2.4

「反省中」もいいけれど、
小学生時代、教師に指されて答えを求められると立ち上がって
「今、考え中です!」と胸を張って言ったりしていたがバカだなぁと思う。
一人が“考え中”で通ってしまうと女子まで一緒に
「私も考え中です!」などと言ったりし、どうして正直に
「わかりません」と言えなかったんだろうと思う。

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▼東大銀杏並木の黄葉

昨日11月15日正午ちょっと前、東大安田講堂前の銀杏並木です。
これを見ると黄葉するのはまだ先ですね。
とはいうものの古いアルバムを見ると2002年には
11月23日勤労感謝の日に見事に黄葉していますからあと一週間。
ことしは遅れ気味かもしれませんね。



【黄葉視察のおまけ】


東大正門前のカレーの名店に行って昼食にしました。

ご主人を亡くされてからポーッとしていることが多いように思う奥さん。

カレーを食べ終え、年代物の金銭登録器前で
750円の支払いに5000円札を出したら、
「いちにいさんしいご…」
と数えて1000円札5枚を差し出されました。
「ただでカレーをごちそうになって両替までして貰っては申し訳ないです」

奥さんがにっこり笑いました。よかったよかった。

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【 『かっぱ』 にさよなら】

【 『かっぱ』 にさよなら】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 11 月 14 日の日記再掲

静岡県清水に茶房『かっぱ』という喫茶店があった。

中学時代の恩師と先輩たちが地元の小さな劇団で熱心に活動しており、昼は『かっぱ』で打ち合わせをし、夜はわが母が営む飲み屋に集まって飲んだりしていた。

中学生にはそういう先輩たちが眩しく羨ましく、思い出すと山田洋次監督の映画『同胞(はらから)』と妙に重なり合ってしまう。

■2006 年 11 月 11 日。閉店前日の茶房『かっぱ』。
RICOH GR Digital + GW-1

母は珈琲の香りと雰囲気だけが好きな人で、すすんで喫茶店に入ろうとする人ではなかったけれど、なぜか清水駅前銀座商店街を通りかかると、
「『かっぱ』で珈琲でも飲んで行くか」
と言い、珈琲の味もさることながら、この店の温かい卵焼きを挟んだサンドイッチを楽しみにしていた。不思議なことにすい臓ガンでほとんど物が食べられなくなってからも、
「『かっぱ』に行って珈琲とサンドイッチのお昼にしようか」
と言うと、頑張って歩いてこの店まで歩き、おいしそうに食べてくれるのだった。
母にとっても眩しく羨ましく、そして懐かしい時代の思い出が詰まった店だったのだろう。

2006 年 11 月 11 日。東海道本線始発静岡行き普通列車に乗るため、未明の町に飛び出したら左にスニーカー右に革靴という珍妙なスタイルで帰省してしまい、清水駅前に降り立ったら雨も降っていて、なおさらしょげて『かっぱ』に飛び込んだのだった。

店内に見慣れない張り紙があり、それにはこう書かれていた。

■「御客様各位」で始まる閉店挨拶。
RICOH GR Digital + GW-1

「御客様各位 永年にわたり皆々様に御利用御愛顧いただきました当店ですが 11 月 12 日をもちまして閉店することとなりました。今後また皆様とお逢いできる時を楽しみにしております。本当にありがとうございました。珈琲茶房かっぱ店主望月昭明」

■好きだった奥の席。母は最後にこの席で白玉団子入りの冷たいものを食べたので、昨年の梅雨時や初夏までは『かっぱ』に歩いて来られたことになる。『かっぱ』偉大なり。劇団にいた良子ちゃんに『かっぱ』で偶然会って大喜びしたのもその時のことだ。
RICOH GR Digital + GW-1

これで『かっぱ』ともお別れかとしみじみ珈琲を味わって店を出たけれど、翌朝になって「(今日が閉店の日なんだなぁ……)」と思ったらいたたまれずに、午前 8 時 21 分清水発ワイドビューふじかわ 1 号甲府行き乗車前に寄ってみた。朝早くからおいしいモーニングセットが食べられる貴重な店でもあったから。

■スポーツ新聞を読む人のいる、いつも通りの淡々とした朝。
RICOH GR Digital + GW-1

最後の珈琲を飲み、ふとご主人が自家焙煎した珈琲豆が欲しくなり
「ブレンドの豆を 200 グラムください、挽かないで」
と言ったら無口なご主人がにっこり笑って
「ミルはどういうのを使ってますか」
と聞くのでびっくりし、
「あ、あの、電動なんですけど回転するカッターの歯で粉砕するやつではなく、臼ですり潰すやつです」
とおどおどと答えたら
「珈琲は自分で焙煎するのが一番ですよ」
と笑っていた。ご主人と注文以外の会話を初めてした。

■『かっぱ』で飲む最後の珈琲。
RICOH GR Digital + GW-1

勘定を済ませておつりをもらう際、
「長い間ありがとうございました」
と言ったらご主人同様に無口で、母に言わせれば
「愛想のひとつもないところがそれはそれでまたいい」
ということになる奥さんがにっこり笑われた。
奥さんの笑顔も初めて見た。

茶房『かっぱ』ご夫婦との初めての会話、初めての笑顔が最後にあって、少しだけひとつの時代を共有した同胞(はらから)に仲間入りできたような気がして、振り向かずに駅への道を歩いた。

 

 

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【身延線と御殿場線】

【身延線と御殿場線】

身延線は単線なので駅構内ですれ違いのための列車通過待ちがある。

甲斐岩間駅に到着したら緑とオレンジ、東海道本線でおなじみの車両が停まっており、行き先には「御殿場」と書かれていた。

RICOH GR Digital + GW-1

はて、身延線から御殿場線へどこかで近道する僕の知らない路線があるのかしらと地図を見たが見あたらなかった。
富士駅から東海道本線に入り、沼津から御殿場線に入るという身延線・御殿場線直通列車があるのであり、ちょっと意外な気がした。

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【身延線と清水と十島】

【身延線と清水と十島】

身延線というのは面白いルートを辿っていて、富士駅を出発し富士宮を過ぎたらおもむろに進路を西にとり、清水方向に引き返すようにし、ちょうど由比の真上辺りから富士川に沿って再び北上していく。

何年か前のちょうど今頃、母と母の愛犬をのせてふらりとドライブに出て、宍原を過ぎ小河内を抜け、どこまでも国道52号線富士川街道を行ったら昼食時になったけれど、食べ物を持って出なかったので、どうしようかと山中で途方に暮れたら突然鉄道の駅があり、駅前のよろずやでパンを買ったのだった。

RICOH GR Digital + GW-1

身延線の車窓風景を見ていたら、忘れもしないあの駅前が突然目の前に現れて、あっという間に車窓から遠ざかって行った。
その場所は僕にとって身延線が清水と接続している場所であり、駅の名には「とおしま」と書かれていた。漢字では十島である。

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【身延線と第二東名】

【身延線と第二東名】

天を突くようにそびえるコンクリート製三味線のバチ。
 
身延線と第二東名が交差する場所の工事は、初冬の空に津軽三味線が鳴り響くようなこんな進捗状況である。

 Panasonic DMC-FX8

地図で見ると富士市入山瀬という場所になる。

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【身延線と富士山】

【身延線と富士山】

富士山登山口となっている駅もあるので当然と言えば当然だけれど、身延線から見る富士山はすぐそこにあって大きい。
東海道本線から、東海道新幹線から、この身延線から、そして乗ったことがないけれどおそらく岳南鉄道からも、雄大な富士山が見えるのだろうけれど、電線が邪魔ですっきりと撮影することができない。

 Panasonic DMC-FX8

高校三年生の冬、母と二人で身延山まで遊びに行って以来、三十数年ぶりに辿る身延線の旅である。

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