人と眼とレンズ

2017年3月30日
僕の寄り道――人と眼とレンズ

高校写真部員で過ごした三年間、写真家では森山大道があこがれの人だった。夢中になって聴いていたボブ・ディランと同じく、なんてかっこいいんだろうと思っていた。ディランを口ずさみながら森山になったつもりでふるさとの町を撮り歩いたものだった。

その森山が雑誌インタビューに答えて、撮影旅行には広角レンズ一本だけカメラにつけて出かける。レンズは自分の眼なので一本で十分、それでも写せないものがあったら諦める、という意味のことを言っていた。その潔さに感心したので今も覚えている。

最近まさにそういう心境になってきて、ちょっと電車に乗って遠出をするときも、近所を目的もなく散歩するときも、ズームレンズではなく単焦点レンズを一本だけ持って出かけることが多い。

高校時代に初めて持った自分のカメラには 58 ミリの標準レンズが一本しかなかったが、ファインダーを覗きながら引いたり寄ったり、工夫して写真をとっていた。自分が動くことで焦点距離の変わらないズームレンズになっていたのであり、いま見るとそういう写真のほうがずっといい。

明日は雑誌の編集会議で静岡県清水行きなので、いさぎよく荷物を少なくし、小さなミラーレスカメラに 35ミリ判カメラ換算 50 ミリの標準レンズをつけてでかける。


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小説と事実、幸福と不幸

2017年3月29日
僕の寄り道――小説と事実、幸福と不幸

岡田英弘先生のお父さんである岡田正弘さんの随筆を読んでいたら「小倉日記以降の鴎外」という記述があり、ふと思い出したので、学生時代に読んだ松本清張『或る「小倉日記」伝』を取り出して再読してみた。

第28回芥川賞受賞作。鷗外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記が行方不明になっていたころ、その行方を探すことに生涯をかけた人物を主人公とした短編小説。結局、主人公の死の翌年昭和二十六年に「小倉日記」は家族によって発見されている。

最後に、主人公が「この事実を知らずに死んだのは、幸福か不幸かわからない」とある。主人公と母親によりそって読み進めた読者にとっての読後も、事実を知ることが「幸福か不幸かわからない」仕組みになっている。

小説と事実、絵画と額縁(上野桜木)

『或る「小倉日記」伝』の単行本に併載されている『菊枕―ぬい女略歴―』も同じ学生時代に読んだ。主人公光岡ぬいにはモデルがいるのだろうかと読後の余韻の中で思った記憶がある。読んだ当時はまだパソコンやネット通信もなかったので「主人公にはモデルがいるのだろうか」などと思っても、蛮勇を奮って作者に手紙を書くか、博識の先輩を探すか、親切な図書館司書を見つけるしかなかった。

それが今ではネット検索すればすぐに分かってしまう。光岡ぬいは著名な女性俳人杉田久女のことだった。そしてなんと作中に登場する師は高浜虚子のことらしいので「えっ!」と驚いた。こういう読後もまた、事実を知ることが幸福か不幸かわからない。


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春よ来い

2017年3月26日
僕の寄り道――春よ来い

3 月 24 日は 9 時から 17 時まで引込開閉器盤(東電とマンションの責任分界点)交換工事で停電となった。パソコンや周辺機器が動かないと仕事にならないので、本でも読んで過ごそうと思い、停電直前に電気ポットでお湯を沸かしておいたのだけれど、考えて見たらポンプも電動なのでお茶が入れられない。

明かりがないと手元が暗いし、暖房も入れられずに薄ら寒い。仕事場にいても暗くて寒くてお茶も入れられないので、ぶらりと散歩に出たら外は日差しがあって暖かい。上富士交差点から都立駒込病院脇を通り、団子坂を下って三崎坂(さんさきざか)を登ると臨済宗全生庵が左手にある。

三崎坂にて

ここには郷里清水に縁が深い山岡鉄舟の墓があり、中曽根康弘など政治家が座禅を組むのでも名高い。そういう寺であるせいか狭い寺内に交番のようなものまである。山岡鉄舟の墓以外に愛国の士を讃える碑も多い。

意外なところで「くつが鳴る」「雀の学校」「千曲川旅情の歌」などの作曲で名高い弘田龍太郎(1892−1952)の墓もあり、墓の脇に譜面を刻んだ碑もあるというので探してみた。なかなか見つからずに苦労したが、ようやく探し出したら予想していた「春よ来い」の譜面ではなく「叱られて」だった。

弘田龍太郎作曲「叱られて」の楽譜碑

上野恩賜公園では住む家をなくした人たちへの炊き出しが行われており、昼を待つたくさんの人々が木陰となっている薄ら寒い広場で、極北のペンギンたちのように足踏みしながら集まっていた。

そういう中から抜け出したように泥まみれの服を着た人が人気のない墓地内を歩いており、トイレを探しているなら入り口近くにあるのにとさりげなく見ていたら、弘田龍太郎近くの墓前で立ち止まり、こうべを垂れ熱心に手をあわせていた。

三崎坂に面した全生庵の桜


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相撲と笑い

2017年3月22日
僕の寄り道――相撲と笑い

相撲中継をつけたら、まだ取り組みの最中で勝敗が決していないのに、観客が拍手喝采して笑っており、なんとはじき出された行司が土俵下に転がり落ちているのだった。

笑いが生じた原因は、土俵内を逃げ回るようにいつもうまく体をかわしている行司が転落するという気の毒な滑稽さとは別に、行司なしでとられ続ける相撲がひどく奇妙に見えるということもあるだろう。

歌舞伎や文楽で黒衣(くろご)の存在が気にならないのは、役者や人形の動きに関心を集中しているからで、相撲もまた熱戦の最中に行司の存在が気になることは少ない。勝敗が決まる決定的瞬間は行司など見えないと言ってよい。

相撲取りに弾かれて土俵下に転落した行司に怪我はないかと感心が移動し、その悲劇的な瞬間も裸の大男が土俵上で熱戦を続けている。その厳粛と愉快が共存する奇妙さが、見る人に突発的な笑いをもたらしたのだと思われる。笑いは興味深い。

光文社古典新訳文庫からベルクソンの『笑い』増田靖彦訳が出ているので Kindle 版で読んでいる。


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竜爪と竜南街道

2017年3月21日
僕の寄り道――竜爪と竜南街道

静岡県清水。「清水に住んでいないのに清水の人より清水に詳しい」などとおだてられつつ笑われたこともあったけれど、いささか清水について知らないことが増えてきた。

お彼岸の墓参りを終え、久しぶりに次郎長通りの魚初に寄ろうと思い、清水駅前バス乗り場で折戸車庫行きを待っていたら、年配の女性から
「ベイドリーム清水に行くにはこのバスでいいんですか?」
と聞かれてエスバルスドリームプラザしか思い浮かばない。バスが発車しそうなので
「すみません、東京から来たのでわかりません」
と答えたら
「私もそうなんです」
と言う。

バスの運転手に聞いたらベイドリーム清水は駒越北で下車すればいいと言う。そうか、野田合板跡にできた大型商業施設のことかとようやくわかった。2011年オープンというから、清水の実家片付けを終え足が遠のいて以降のランドマークだ。

大内新田の墓地で墓参りをし、北街道押切南交差点にできた新しい道に出た。この道はいつか巴川を渡って大坪町へと繋がるのだと思われるが計画の詳細も知らない。その道を渡りながら押切方向を見たらふたこぶ型の竜爪山が真正面に見えた。

100メートルほど西に並行して狭隘な古道である竜南街道があるが、竜爪の南で竜南街道とはよくつけたものだなと思う。竜爪山が民間信仰の対象として賑わった頃は、本当に竜南街道経由で柏尾峠を越えて参詣した人もいたのだろう。(2017/03/19)

【関連する日記】
旧北街道と竜南街道

 

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ぶらぶら店さがし

2017年3月21日
僕の寄り道――ぶらぶら店さがし

昼食営業の飲食店が休憩に入ってしまう午後ニ時から、夜の営業のため店をあける午後五時までのあいだ、その空白の三時間に酒を飲ませる店を探して友人夫婦と足を棒にしてたいへんな距離を歩いた。

この夫婦と昼間飲み歩くと、たいがいさまぁ〜ずの街歩き風になってモヤモヤしてしまう。今回もああでもない、こうでもないと話しながらモヤモヤと路地裏を歩いたら、妙に目についたのが寿司屋の店頭風景で、こざっぱりした店の表情が懐かしく心惹かれることが多かった。

今回歩いた町には飾りを削ぎ落として端正な表情の寿司屋が多い。昔の寿司屋はこうだった。この町が朝鮮半島の料理店が集まった色鮮やかな町であることも、その原因のひとつかもしれない。

「寿司屋も大変だよなあ」
とカメラマンの友人が地味な寿司屋を見ながらしみじみと言う。こう景気が悪いとどんな業種も利潤を削って安売りの生き残り競争になるので、昔ながらの商売はたいへんだろうと言いたいのだろう。だけど昔ながらの商売をつづけて、いまこうして食えているだけでたいしたもんだという見方もある。

店の前で立ち話していたおばちゃんが
「あら、きたない店を撮られちゃった。なんかの取材かしら」
と言うのが背中の方で聞こえ、後ろからのんびり追いついたカメラマン氏が
「いや、きれいだなぁって思って撮ったのよ」
と上手なフォローをしていた。(2017/03/18)


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保蟹寺山モクレン祭り

2017年3月19日
僕の寄り道――保蟹寺山モクレン祭り

 

お彼岸なので静岡県清水にある曹洞宗保蟹寺(ほうかいじ)に墓参り帰省した。この日は第一回「モクレン祭り」を開催すると寺の護持会から知らせがあったので苗木代も届けたかったからだ。

静岡県立大学環境サークルCO-COによる大内竹林再生プロジェクトで、生え放題になっていた竹林が整備され、十年前、山の斜面に植えたハクモクレンが開花しているという。

大内観音太鼓、餅まき、焼きそば・おしるこ・おむすび・綿菓子や飲み物による接待もあるというので駒込駅5時20分発、清水駅8時50分着の電車で朝食も取らずに出かけたが、予想以上の盛り上がりでびっくりした。大内の人々がこんなに集まったのを見るのは祖父の葬儀以来だ。

一度も姿を拝んだことのないご本尊、蟹にのった薬師如来像がご開帳されているというので本堂に上がって拝見していたら、思いがけない人に会ってびっくりした。自転車にのって偶然通りかかったそうで、蟹にのった薬師如来のお引き合わせで、こちらも初めての対面となった。

 

【関連する日記】2005年11月14日
■ 蟹と帰化人と薬師如来と徐福

 

 

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黄色い春

2017年3月18日
僕の寄り道――黄色い春

春にはどうして黄色い花が多いのですかという質問があって、そもそも春の日差しを待ちわびて黄色い花を嬉しく思う人の気持ちが多いように感じさせているだけなので、設問として既にダウトなのではないかと思うのだけれど真偽のほどはわからない。

子ども時代を過ごした東京都北区王子では、春の陽気に浮かれて子どもがはしゃぎすぎると
「黄色い救急車が迎えに来るぞ」
と大人に脅かされたものだが、他地域でも同じような都市伝説があったらしい。インターネットの時代になって知り得たことだ。

写真家の友人が幹事となって 4 月 8 日に飲み会がある。会場がわが家に近いので二次会、三次会の相談にのっていたら、予行演習を兼ねて会場探しをしようという。誘いに乗って今日は午後から飲み屋探しに出かける。何となく黄色い土曜日である。


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角度と反射

2017年3月18日
僕の寄り道――角度と反射

2017年3月17日、飛鳥山博物館まで「浮世絵の愉しみ 異なる主題による4回の展示実践」第1回 時間:北区の名所浮世絵の展開を見に行ってきた。 

飛鳥山や王子稲荷や音無川の渓谷が観光地として浮世絵商売の対象だったおかげで実現したコレクションの展示企画を、幼い頃から現在に至るまで慣れ親しんだ地であるという、土地勘ゆえの愉しみ方で鑑賞してきた。 

描き手が描こうとした《意図の角度》平たく言えば《ねらい》、そして意図を表現するために選んだ《視野の角度》平たく言えば《アングル》が興味深い。なぜ興味深く愉しめるかというと、浮世絵には《見つめられた細部》平たく言えば《枠組みと写生》があるからだ。 

なんでこんな場所をこんな角度からこんなに丹念に見つめたのだろうと、描き手の気持ちを想像してみる。そういう角度をもった見方によって絵が違った意味をもち、ふたたびこちらに働き返してくる過程、それを鑑賞の愉しみという。残り三回の展示にも必ず行ってみたい。


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三月の空気感

2017年3月17日
僕の寄り道――三月の空気感

 

空気感にはたくさんのものが含まれている。言葉で表現しがたいそれは身体全体で感じるものなので、空気感によって思い起こすあの日あの時には、まるごとその世界に全身を置いたような迫真の臨場感がある。芸術について言及するときに用いられる「空気感」などという曖昧な表現ではなく、身体が感じる空気感とは生物を取り巻く物理化学的な環境の感じ方なのだと思う。

 外に出たら不安になるほどぼんやりと暖かく「ああ 2011 年の 3 月もこうだったな」と思う。あの日も赤坂で仕事があってこうして出かけたのだった。高橋是清翁記念公園のベンチに腰掛けていたら地面がゆさゆさと揺れ、是清像もベンチも木々も自分も、公園ごと春の空の下で激しく揺り動かされていたのだった。

 

本郷通りには交通機関による帰宅が困難になった人々が深夜になっても途切れることなく行列し、黙々と歩いて都心を脱出していった。この通りにそういうことがあったことも、さまざまな物理化学的情報を含んだ空気感によって、あの日あの時に連れ戻されたように思い浮かぶ。空気感による生態学的な捉え方の方法を実体験する三月である。


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囃し言葉と抑揚

2017年3月16日
僕の寄り道――囃し言葉と抑揚

朝食の準備をして妻を起こそうとしたら布団をかぶって寝汚(いぎたな)くしているので
「残念ですがもう起きていただく時刻です」
と言ったら、寝ぼけ声で
「ざんねんでしたーまたどうぞー」
と言う。

そうか北陸富山でも東京下町と同じ囃し言葉をつかったのだなと興味深い。言葉の意味ではなく
「ざんねんでしたーまたどうぞー」
の抑揚が、子ども時代によく囃された
「おとことおんながまんめんじー」
と同じであることがもっと興味深い。

「おとことおんながまんめんじー」は「男と女が豆煎り(おとことおんながまーめいりー)であることは『「まんめんじ」のひみつ』というタイトルで日記に書いた。出典としてひいた大田才次郎編『日本児童遊戯集』東洋文庫 122(1968/9)は明治時代の聞き書き集なのでテレビ・ラジオ時代以前のものだ。言葉自体には地域間の伝播や流行があったとしても、抑揚の方は人の呼吸や声帯の構造などに基づいた各地自然発生的なもので、土台として大昔からあったのかもしれないと思う。


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生活リズムと音楽

2017年3月15日
僕の寄り道――生活リズムと音楽

約24時間周期で変動する現象を概日(がいじつ)周期といいサーカディアン・リズムなどと本には書かれている。その延長で週、季節、年のリズムに合わせた暮らしが好きだ。

そういうことが好きそうな友人たちは、たいがい NHK 朝の連続テレビ小説を欠かさず観ている種族で、毎朝決まった時刻に起き、決まった番組を見て一日を始めている。

「今まで放送されたやつでどれが一番好きだった?」
と郷里の友人に聞いたら迷うことなく
「『ごちそうさん』!」
と答えるのが意外でびっくりした。『ごちそうさん』は、2013年度の放送だった。

金子みすゞの本で有名な出版社社長と飲んだので同じ質問をしたら
「わたしは『雲のじゅうたん』!」
と答えるのが意外でびっくりした。『雲のじゅうたん』は、1976年度の放送だった。

質問するとたいがい「あなたは?」と聞かれるので
「『いちばん太鼓』!」
と答えると意外なのかびっくりされる。『いちばん太鼓』は、1985年度の放送だった。

NHK 朝の連続テレビ小説を欠かさず観ていて面白いのは、その番組内の主題歌やイメージソングを聞くと、その当時の出来事が鮮明に思い出されることだ。毎朝決まった時刻に決まった音楽を聴き続けること、そして流行歌よりもきっぱりと、ナイフで切り落としたように終わってしまうことがそういう効果を強めているのだろう。

『ごちそうさん』はゆずの「雨のち晴レルヤ」、『雲のじゅうたん』はチェリッシュの「あの空へ帰ろう」、『いちばん太鼓』はニック・ニューサの「いちばん太鼓」。2010年9月27日から2011年4月2日まで放送された『てっぱん』は、葉加瀬太郎の「ひまわり」なのだけれど、突然 3.11 の震災による放送中断があったため、出来事が鮮明に思い出される引き金になっていることがちょっと辛い。


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思いちがい記憶ちがい

2017年3月15日
僕の寄り道――思いちがい記憶ちがい

記憶ちがいは思い込みによる思いちがいであることが多い。人はみんな自分に都合がよい記憶をつくっており、みんなの違う記憶が一人ひとり別々の自分を作っている。みんな違ってみんな間違っていると言えなくもない。《事実》はひとつしかないけれど《真実》は生きている人の数だけある。

思いちがいによる衝突は他人の記憶との照合があるから生まれる。記憶の照合が頻繁に発生するのは当然ながら家族の間であることが多い。家族同士の記憶違いなどあり得ないと思っているから、かえって自分の記憶に対する自信が強い。それゆえに頑固なのが家族であり、双方が正しさを主張しあうと喧嘩になりやすい。

わが母とも生前は記憶の相違でよく口喧嘩をした。自分の思いちがい記憶ちがいにあとで気づき、どうしてあんなに強弁してしまったのだと後悔することほど辛いことはない。思いちがい記憶ちがいに固執している自分は孤独である。

三年前からスマホで十年連用日記をつけている。自分のメモと妻からのメールをまとめて一日の記録としたものを、毎朝メールで妻に配信することで、「今日はどんな日通信」と題した家庭内極小ミニコミになっている。そしてそのミニコミを読むことで、去年の今日の出来事について時間的空間的にさまざまな記憶ちがいがあることに気づき、ふたりで「えっ」とびっくりしている。

思いちがい記憶ちがいで喧嘩をしないコツは、記憶をともに作ってそれぞれの思い込みと照合し、それぞれのいい加減さに驚きながら苦笑しあうことかもしれない。それは加齢とともに大切になることだ。照合しあえる共同の記憶さえちゃんとあれば、みんなちがってみんないい。


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指の延長

2017年3月13日
僕の寄り道――指の延長

爪楊枝ほどではないにしろ、先が極端に細い箸が好きだった母は、息子に対して箸づかいのしつけが厳しかった。そのおかげもあってか箸づかいには自信がある。とはいっても同じ世代の友人はたいがい箸づかいがうまいので、同年輩ではなくずっと年若の者たちの目を覆いたくなるような箸づかいを見ていてそう思う。

仕事で行う細かい作業は箸を使ってでもできると言うと笑われる。コンピュータ以前のデザイナーはピンセットを上手に使った。箸同様にピンセットもまた指の延長として十全に機能する。細かい作業のほとんどはピンセットでできるし、逆に暮らしの中で細かい作業が必要なときは、無意識にピンセットを探している自分がいる。

ピンセットが見つからないと指の延長をなくしたように辛い。辛いのでいつも身につけて持ち歩ける超小型ピンセットがないかと調べたらちゃんとあった。こういう人とニーズが存在するわけだ。「シルバーグリッパー」という名で、ステンレス素材の固定具に差し込むとキーホルダーになるという。700円ちょっとなのでひとつ買ってみる。


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接点

2017年3月10日
僕の寄り道――接点

買い物帰りに隣り町を通ったら道に面した勝手口に回覧板が置かれていた。この町会ではそういうルールになっているのだろう。置かれた家の不在宣言になるからと嫌う町会もあるらしい。

よその事情は知らないけれど、この界隈の町会は林町や上富士町や神明町などの旧町名になっている。お祭りのこともあるし、そうでないと困ることが多々あるのだろう。

他人との付き合いを煩わしく感じて、隣り組や町内会や回覧板の廃止を主張する人も増えている。とはいえ個人的な権利主張は過剰にあるので、他者が煩わしいだけで自身の存在を消して透明人間になりたいわけではないらしい。

人との接点、地域との接点、社会との接点などと人は言う。接点というのは点であって大きさをもたない。直線と直線、平面と平面が接しても接点はもたない。曲線が線、局面が面と接するときに生まれる点というのが接点の定義になっている。

人や地域や社会との接点が煩わしいと感じるとき、曲がりをもった線や面である自分自身の側の問題ではないかと問うてみる必要がある。数学で学んだとおり、面積を持たないはずの点に「大きさ」を与えてしまって、心の負担を自分でつくっていることが多い。住民自治会の長を三年間任され、他者との接点を多くもってみてわかったことだ。

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