闇で笑う

2014年7月31日(木)
闇で笑う

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悪夢というのは無意識に見させられるのではなく、自分が意識的に見ているにちがいないと思っているので、おぞましい夢を見るたびに自分自身が腹立たしい。どうして自らすすんで嫌な夢など見るのだろうと。

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岩井寛が書いた森田療法の本★1を読んでいたら、よく行動療法と同じではないかと指摘されるが、そうではないと書かれており、脱感作という言葉を初めて知った。

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自分が不安に思っていることを強弱によって階層化しておき、リラックスした状態で階層の低い不安対象から順に自分を曝して行き、不安に対する耐性を身につける治療を、行動療法では系統的脱感作★2という。

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悪夢を見るというのは、自分に対して系統的脱感作療法を試みているのだという説があるらしい。悪夢は自らがすすんで見ているのだとは思っているが、そんな自分思いの高尚な施術をしているとはとても思えない。

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悪夢にうなされて目を覚ますことの多い自分に対して、となりで寝ている妻は夢を見て大声で笑いながら目を覚ますことが多い。闇の中で体をゆすって笑っている姿もまた異様なものである。

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大声で笑えるような脳天気な夢を見られて羨ましいと言ったら心外な顔をし、自分だって悪夢を見ているのだと言う。夫の場合は、夢の中で悪夢を見ている自分に気づくと、想念を振り払うようにして夢から現実に逃げ帰って目を覚ますが、妻は笑いながら目を覚ますのだ。

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妻は夢の中で、これは現実ではなく悪夢だと気づくと、あまりの荒唐無稽さがおかしくて、大声で笑わずにはいられなくなり、自分の笑い声で目を覚ますのだと言う。

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少しずつ不安に慣れていく系統的脱感作療法などより、悪夢のくだらなさを笑い飛ばせる気持ちの持ち方を、学んで身につけられるものなら学びたいものだと、闇の中で笑う人を見るたびに思う。

★1 岩井寛『森田療法』講談社現代新書
★2 系統的脱感作(けいとうてきだつかんさ)。行動療法の一技法で、考案者は南アフリカの精神科医ジョセフ・ウォルピ。

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習い性

2014年7月30日(水)
習い性

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習い性は「ならいしょう」とは読まず、『書経』の「習い、性(せい)となる」から来ているのだから、「習い性」などと書くこと自体が間違いで、「習い、性(せい)となったもの」と書くのが正しいという。

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それはなるほど、そうなのだろうけれど、習い性を「ならいしょう」という人が多くなり、「ならいしょう」で「習い性」と変換や辞書引きできてしまうようになったことにも、それなりの筋があるのだろう。

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「それが私の性分です」を「それがわたしのせいぶんです」とは読まないように、習性やならいである「性」を「しょう」と読むからという、もっともと思える筋にのって言葉が変成しているのではないだろうか。

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得意気に正すのもまた人の性なのだろうけれど、習い性はもともと『書経』の「習い、性(せい)となる」から来ていると個人的に奥ゆかしく知っている程度でいいんじゃなかろうか。

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なんで習い性に引っかかっているかというと、講談社現代新書『森田療法』の中で岩井寛が何度か習い性を使っているからで、避けて向き合わずにきたものをあるがままに受け入れることを、習い性とすればよいという考えに共感したからだ。言葉遣い云々の些末な話ではない。

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夏の禅問答

2014年7月30日(水)
夏の禅問答

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岩井寛が口頭筆記で書き上げたという『森田療法』が届いたので、「まず、最終章『おわりに』から読まれたい」という松岡正剛の追悼文に従い、裏口にまわって「おわりに」を読んだ。こういう本への入り方ははじめてだ。

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そしてふたたび最終章『おわりに』にまで読んで本文を読了した。もう一度読む『おわりに』はまた違う読み方ができて感慨深い。そして読み終わりにタイミングを合わせるように、絶版のため古書で注文した『生と死の境界線―「最後の自由」を生きる』岩井寛[口述]、松岡正剛[構成]が届いた。

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解説には「迫りくるガン死を前に、1人の精神科医が、全生涯の総力を傾けて、生と死のはざまにある自己を凝視し、語りつづけた、稀有の記録」とある。松岡正剛がそういう聞き書きに取り組んでいることは当時聞いた記憶の片隅にあった。夏目漱石の神経衰弱から森田正馬の森田療法に興味を持ち、岩井寛『森田療法』を買って読み始め、巻頭の松岡正剛による思いがけない追悼文を読んで、あれがこの本にまとめられたことを知ったのだ。

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早速読み始めたら、一気に読み終えられそうな勢いを感じたので安心して一拍置き、岩井寛『森田療法』をもう一度精読してみることにした。平易な言葉による禅問答のような読後感があり、禅問答のようにしか言い得ないことに言及した本が好きなので、もういちど読み返したくなったのだ。

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禅問答のような話を聞くのは嫌いだという人も多く、雑駁な言い方ではあるけれど、そういう人はたいてい鋭利な思考をする理系であることが多い。

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はじめて禅問答のようにしか言い得ないことに言及した文系精神医学者の本を読んだので、一度読むだけではもったいない。こういう本は読み返すたびに違った読み方ができるようになっているものだ。

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Carbon Copy Cloner

2014年7月23日(水)
Carbon Copy Cloner


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据え置き型の Macintosh には大容量の TimeMachine 用ディスクを用意してバックアップをしているけれど、ノート型の Macintosh には Carbon Copy Cloner によるバックアップの方が向いている気がする。

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MacBook Pro と MacBook Air にはそれぞれ起動ディスクと同容量のリムーバルディスクを用意し、接続されたことを検知して Carbon Copy Cloner が起動し、差分バックアップを自動で行ってくれるように設定してある。

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緊急時にそちらから起動しての書き戻しはもちろん、そのまま起動ディスクに使って作業もできるので、ノートパソコンのバックアップとしては軽快でわかりやすくて良いと思うのだ。古くて実績のあるソフトなので、システム丸ごとはもちろん、フォルダ単位の細々したバックアップ用としても、これが一番すぐれているような気がする。

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午前四時を過ぎたら六義園内でヒグラシが鳴き始めたので、起きて MacBook Air を Carbon Copy Cloner を使って初回バックアップ、すなわちクローン作成をした。MacBook Air では仕事をせず書き物と調べ物だけと決めているので、システム自体が非常に小さくて、バックアップもあっという間に終わってしまう。

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Google が 企業や教育機関用にリリースした Chromebook のレビューが出始めたので読んでみたけれど、とても良さそうな出来映えになっている。こういうシンプルな MacBook Air の使い方を格安の Chromebook が引き受けるわけだ。

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梅雨の稲妻(サンダーボルト)

2014年7月22日(火)
梅雨の稲妻(サンダーボルト)

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東海地方が梅雨明けしたという。蒸し暑い梅雨のせいか Mac Mini の動作がひどく重く感じるので、起動ディスクをハードディスクから SSD に換えてみた。

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まっとうなやり方なら、Mac Mini を分解して中の空いているベイに SSD を増設してやるのだけれど、梅雨時は集中して作業するする気力がないので、Thunderbolt 接続で手っ取り早い外付けにしてみた。

|「秋葉館」で購入した GoFlex Thunderbolt Adapter + 2.5インチSSD/HDDケースセット。バスパワーで起動ディスクになる

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Thunderbolt は PCI Express のスピードが出るはずなので外付けを試してみたのだけれど、ハードディスクのシステムを複製して起動ディスクにしてみたら、きびきび動いて気持ちがよい。OS だけでなくアプリケーションの起動もとても速い。

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SSD を Thunderbolt 接続してのシステム起動でも、速さがちゃんと実感できることを確認し、手軽でメンテナンスが容易であるメリットを考えて十分に満足した。

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いつの日か、内蔵ハードディスクが壊れることがあったら改めて分解し、外付けになっている SSD を内蔵してやればよいわけだ。内蔵した方がさらに早いのであれば、きっとそのときに気づくことだろう。いまはそれでいい。

TRIM Enablerをインストールし、TRIMコマンドを有効にしておいた。

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漱石から「花子とアン」まで思いつくまま散歩

2014年7月21日(月)
漱石から「花子とアン」まで思いつくまま散歩

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漱石の『硝子戸の中』を読んでいたら、雨の日の散歩帰り、俥(くるま)に乗った大塚楠緒★1に会う話があった。

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 或日私は切通しの方へ散歩した帰りに、本郷四丁目の角へ出る代りに、もう一つ手前の細い通りを北へ曲った。その曲り角にはその頃あった牛屋の傍に、寄席の看板がいつでも懸っていた。(夏目漱石『硝子戸の中』より)

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この道は本郷通り、かつて医学書院があったブロックの裏手になる。明治の終わり頃の地図に日蔭町の文字が見えないのは俗称だったせいかもしれない。日蔭町の寄席というのは「岩本」らしい。

|この日の漱石が歩いている道筋|

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 日蔭町の寄席の前まで来た私は、突然一台の幌俥に出合った。私と俥の間には何の隔りもなかったので、私は遠くからその中に乗っている人の女だという事に気がついた。まだセルロイドの窓などのできない時分だから、車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。(夏目漱石『硝子戸の中』より)

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明治末に活躍した歌人で作家の大塚楠緒は佐佐木信綱★2に師事していた。佐佐木信綱は明治三十八年から西片に住んでいたので、大塚楠緒は佐佐木信綱を訪ねた帰りだったのだろうか、というのは単なる連想からの想像に過ぎない。

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NHK 朝ドラ「花子とアン」に登場する蓮子さまの柳原白蓮★3も佐佐木信綱に師事していた。ドラマの中で主人公はな★4は「おらのことは花子と呼んでくりょう」と言っているが、大塚楠緒は辞書を引くと大塚楠緒子で載っている。

★1 大塚楠緒(本名久寿雄)
   1875年(明治8)−1910(明治43)年。別名大塚楠緒子(おおつかくすおこ/なおこ)
★2 佐佐木信綱
   1872(明治5)年−1963(昭和38)年。歌人・国文学者。
★3 柳原白蓮(本名宮崎子)
   1885(明治18)年−1967(昭和42)年。歌人。
★4 村岡花子(本名はな)
   1893(明治26)年−1968(昭和43)年。翻訳家・児童文学者。

※『硝子戸の中』は1915(大正4)年1月−2月、朝日新聞に連載。

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秋葉原電気街の花房神社

2014年7月16日(火)
秋葉原電気街の花房神社

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秋葉原電気街の賑やかな中央通り裏手に、人がすれ違うことも難しそうに細い路地があり、そこに由緒を江戸時代までさかのぼれるという神社があることを、つい昨日まで知らなかった。

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商店が取り壊されて更地になっていたが、目隠しの覆いが取り外されて新たな建築工事が始まるらしく、空き地の奥に小さいながらも鳥居のある神社が忽然と姿を現したのでびっくりした。

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工事が終わってビルが建てば、また人がすれ違うこともできないような路地がその裏に復活し、喧しい電子音が鳴り響く店舗の奥にひっそりと神社があることすら、また人の記憶から忘れ去られていくのだろう。

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温州ミカンの1972年

2014年7月6日(日)
温州ミカンの1972年

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1972年11月10日の新聞に、北海道から冬季みかん農家援農者、その第一陣が静岡に到着したという記事があった。その後14日にも清水の農家へ向かう援農者の記事があるが、必要な労働力の六割程度しか集まらない人手不足状態になっているという。農家が援農者に支払う賃金の内訳を見ると、農家の負担は決して軽くないが、それでも労働力確保の競争に勝つことが厳しい情勢になっているわけだ。

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12月19日には清水の温州みかん大豊作の記事があった。缶詰工場は原材料としてのみかん価格低下を期待し、需要も好調に推移しているので、年末に入ってフル操業が続いているという(★1)

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その一方では紙面の調子が暗転しており、価格大暴落への対応を協議するため静柑連では組合員が集まって「みかん緊急対策会議」を開くという。これはいったいどういうことなのだろうと、温州みかんの価格暴落について調べてみた。

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温州ミカンの全国生産量は1968年に200万トンまで達し(★2)、そのことで第一次暴落が起きた。その後1972年には300万トン台にまで増え、大増産と豊作が重なることで第二次暴落(★3)が起きて、減反と品種の更新が避けられない情勢となったという。そんな時期の新聞記事を国会図書館に通って少しずつ読んでいる。

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★1
そもそもミカン缶詰めの生産は、増産によってだぶつくミカンの価格低下を食い止める手段だった。

★2
果樹農業特別基本法(1961)により、補助金がつき低利融資が行われたため、60年代には年1万ヘクタールもの新規栽培地が増加した。

★3
この年にはグレープフルーツの輸入が自由化されたこともあり「ミカン危機」という言葉も生まれた。

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