【避雷針】

【避雷針】

日本海側はたいへんな豪雪で、落雷の注意報も出されている。太平洋側に生まれ育った者には雪と落雷が結びつかないのだけれど、「鰤起こし」と呼ばれる雷が冬の風物詩となっている富山で生まれ育った妻には違和感がないらしい。窓際の机から目を上げたとき、近所のマンション屋上にある避雷針のうち一本だけが西陽を受けて眩しいほど光る瞬間があるのが、ずっと気になっていた。銅製と思われる棒がどうしてあんなに光るんだろうというのが疑問で、コンパクトカメラのデジタルズームを使って思い切り引き寄せてみたら、どうやら水道蛇口などに使用されるクロームメッキが施されているらしい。入射角と反射角が見せる「ダイヤモンド避雷針」である。

(以上300字)

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【300文字】

これは名文であると編集者が挙げた例文を読んだら、ほぼ300文字という苦も無く一気に読める文字数に、言いたいことがちゃんと収まっていて「なるほどなあ」と思う。端正に詰められた幕の内弁当のようだ。Twitterの140文字制限が面白くて140字ちょうどの文章をつくって遊んでいたことがある。言いたいことを言っていいけれど140文字以内で、という決まり事があるのが楽しかった。楽しい仕組みだったが、言って良いことといけないことがある、という人間所与の決まり事が失われたと思った時点でやめてしまった。300文字の制限内で言いたいことを簡潔に述べよ、というひとり遊びを思いついたのでしばらく遊んでみようと思う。

(以上300文字)

2025/02/09

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NEW
20 音オルガニートの穴あけ遊び

20 音オルガニートでリュート協奏曲 第2楽章・ラルゴ Concerto for  Lute R.V.93 II
作曲/A.ヴィヴァルディ

20 音オルガニートでズラター ・ブラーナ(黄金の門) Zlatá brána
スロバキア民謡

を公開。

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2025年1・2月合併号(通巻26号)まで公開中

 

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【『季刊清水』2024 通巻57号発売中】

【『季刊清水』2024 通巻57号発売中】

戸田書店発行、雑誌『季刊清水』57号が戸田書店江尻台店店頭に並びました。

◉目次

巻頭詩 たのしい世の中を………鎌倉静枝

【特集1】

静清国道沿線の工場地帯の今昔

はじめに………鍋倉伸子・石原雅彦
苦難を越えて 東海道は年表を刻みて今も………瀧宰明
しみず道の中世と、起点であった北脇………渡辺浜男
シミズの長崎について………山田剛徳
静清国道沿い及びその周辺地域の事業所分布に関する考察………弓桁康志郎
高度成長期清水における内陸部への工場進出
─清水港木材団地 (清水区長崎)の事例─………谷口洋斗
ゆめの木の中で………石原雅彦
小糸製作所静岡工場開設の頃………鍋倉伸子
段ボールとともに………森田太基
静清国道沿線の魅力と創業者の着眼点………角皆一
介護リフォームとデイサービス………小田巻翔
東大曲の地で創業74年………瀧井貞夫
袖師から堀込へ………天野伸一
吉川から堀込へ 金属加工80年………山北裕丈
菊月直営店「花灯」店長、大城加奈さん………聞き手 豊田久留巳 
風土となりわい─有度の瓦─………五味響子

【特集2】

山形で五代、清水で三代続いた医家、村上家………村上泰秀

【特集3】

静岡・清水の地に魅せられて………藤木八圭

■清水と私

甲舷ゼロ………山本智義
名曲カフェ&バー アマデウス………剣持秀紀
対極?の街………渥美浩章
旧東海道松並木の松・瀬織戸神社………中島清
私の初恋のようなカトリック清水教会………小池二三夫
小壮の滝への道………伊澤崇子
一乗寺の人形供養………千葉蓉子
袖師の海………山本正幸
清水に映画館があったころ………笠原登志子

表紙画「清流(興津川)」(水彩) 山田猛夫
興津川は清流とアユ釣りの名所として全国に知られています。自然のままの姿が残され、町から近くキャンプやバーベキュー、川遊びができ人々に親しまれています。 早朝、興津川の 〝雨乞い〟にある漁協の事務所から降りて描いたものです。

表紙デザイン……石原雅彦

店頭での購入は

戸田書店江尻台店

郵送でのお取り寄せは本ブログ左サイドバーのプロフィールにあるメールアドレスから
直接石原宛にメールでお問い合わせください。

バックナンバーもお求めいただけます。

56号 2023年 特集1/岡に佇む
55号 2022年 特集1/高部の山裾を歩く
54号 2021年 特集1/清水の食材を楽しむ
53号 2020年 特集1/清水の銅像・野外彫刻の前で立ち止まる
52号 2019年 特集1/蒲原を道なりに歩く
51号 2018年 特集1/中世鎌倉期有度を思い描く

バックナンバー一覧はこちら

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【お座敷競技】

 

 【お座敷競技】

新聞一面に載るクイズで、床に尻をついたままプレーするバレーボールの競技名は何と言うかとあるので「それはお座敷バレーボール」と内語で答えてみた。もちろん違う。

もちろん違うのだけれど、子どもの頃の雨の日は、狭い屋内で座ってできるお座敷バレーボールやお座敷ベースボールなどを、ルールを決めてやっていた。座ったままできる屋内スポーツは意外に楽しい。

学生になっても屋内で手持ち無沙汰だと似たようなことをしていたのは、誰でも幼いころ似たようなことをして育ったからだろう。いかんせん大人になったら恥ずかしいと思っていたのだけれど、某著名作家同士がよくお座敷ベースボールをやるというのを読んで笑った。

わが家のミニピンポンも足掛け6年目に入り、ラリーの応酬も激しくなっているのが妙におかしくて打ち合いながら噴き出してしまう。座ってやるわけではないけれどこれも一種のお座敷競技である。

2025/02/09

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20 音オルガニートの穴あけ遊び

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【一瞬の「内語」】

 【一瞬の「内語」】

【起】
1930(昭和5)年の京都に生まれ、京都で育ち、京都大学を卒業して農学博士になられた人が書いた本を読んでいたら、一箇所だけ関西弁が出てきたのでびっくりした。

「ひょっとしたら、センニンコクにもウルチ性とモチ性のものがあるのとちがうやろか」という稲妻のような疑惑が一瞬頭をかすめた。(阪本寧男『モチの文化誌』中公新書)

標準語で書かれた植物民俗学の本に突然関西弁が出現したから驚いたのだ。

【承】
京都で生まれ育った人が、端正な標準語で文章を書きながらも、「稲妻のような疑惑が一瞬頭をかすめ」るとき関西弁による内語(声にして外に出さない思考用のことば)が頭の中に発生しているのだ。生粋の関西人は「内語」と「外語」のバイリンガルであることを「標準語」によって強制されているのかもしれない。

【転】
自分は静岡県清水市生まれである。とはいえ外の東京暮らしの方が遥かに長くなった。生粋の清水っ子なら「はぁええかんのこんじゃセンニンコクにウルチ性とモチ性のものがあるわきゃないなんてこたぁ言えねえずら」などという清水弁の「内語」が稲妻のように出て来るのだろうか。

【結】
自分にとって生まれ故郷の言葉は母語でなくなってしまった。清水で生まれて、清水の学校を出て、清水で働いて、清水で所帯を持って、清水で子育てをし、今も清水で暮らしている友人はごくごくわずかである。そういう人たちが黙って考えるときの「内語」には、懐かしい清水弁がちゃんとあるのだろうか。

※起承転結という型に沿い意識して文章を書いてみた。他人に論旨が伝わるかは別にして、自分が何を考えたかは自分にもわかりやすい。

2025/02/07 豊島区駒込

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【筆記具を握る】

 【筆記具を握る】

テレビを見ながら
「最近の子どもはすごい筆記具の持ち方をするね」
と話しているうちに、今では母親役をするような年齢に達した女優が、書類を書くシーンで「すごい持ち方」で筆記具を握る時代になっている。

わが夫婦の世代では、鉛筆は後ろの方を親指と人差し指の股に立てかけ、先端近くに親指・人差し指・中指の先を軽く添えてコントロールしろと、箸の持ち方と一緒に躾けられた記憶がある。

いまの子どもや若者は、握りこぶしをつくり親指の股に突っ込むようにして筆記具を持っている。「持つ」というより「握る」であり、それでよく細かい字が書けるものだと驚いてしまう。

驚いてしまうけれど、書けるのだからどうでもいいとも思う。どうでもいいとも思いつつ、人間は年長者に躾けられず自然に育つと、誰でも握りこぶしに棒を突っ込むように育つのだろうか、というその点に興味がある。親指の使い方が枝を掴む猿に似てきたように思うのだ。

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20 音オルガニートの穴あけ遊び

20 音オルガニートでショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business
作曲/A.バーリン

20 音オルガニートで錨をあげて Anchors Aweigh
作曲/C.ツィマーマン

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【もうすぐ中学生】

 【もうすぐ中学生】

交差点で信号待ちしていたら小学生くらいの男の子がお父さんを見上げて、
「ああ、ボク王子小学校に行きたかったな……」
と言うので
「えっ!?」
と思う。

北区立王子小学校は郷里清水に引っ越す前の六年間を過ごした歴史ある小学校だけれど、子どもに「行きたかった」と憧れられるような特別な学校ではなかったからだ。

お父さんが返事をしないので、男の子が
「飛鳥中学とどう違うんだろう?」
と言う。
「えっ!?」

北区立飛鳥中学校は、大学生時代の四年間を隣接する下宿でチャイムを聞きながら過ごしたので馴染み深い。校庭の下には西ヶ原貝塚と住居群の遺跡が埋もれており、縄文の昔からずっと過ごしやすい場所にある中学校なのだ。

「飛鳥中学に行くのか、いいじゃないか」と思いつつしばらく間をおいて「あ、そうか……」と気づいた。この子は小学校を卒業して出会う新しい環境をストレスとして感じているのだ。

王子小学校と王子中学校は昔から背中合わせで接していたけれど、現在では敷地と建物を共有した北区初の小中併設校なのである。それが小中とみんな一緒に持ち上がる一貫教育校のように思えて「ああ、ボク王子小学校に行きたかったな……」と声が出たのだろう。

「だいじょうぶ、新しい通学路と新しい友だちにもすぐに慣れるから」と、お父さんのかわりに心の中で答える。

2025/02/05、啼きながら天高く舞い上がる雲雀のモビールをつくってみた。エアコンの風で揺れている。

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20 音オルガニートの穴あけ遊び

20 音オルガニートでショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business
作曲/A.バーリン

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 【食をポケットに入れて・4】

 【食をポケットに入れて・4】

中学時代の理科で、デンプンにアミラーゼを加えたものにヨウ素ヨウ化カリウム溶液を入れ、赤や青の色が変化するのを試験管内で確かめる……という実験をした記憶がある。

膵臓がんで食欲のなくなった母は、冷めたり冷凍したりしたご飯を電子レンジでチンして少しずつ食べていた。温め直しても柔らかく粘り気があって美味しいと言い、コシヒカリの変異種であるミルキークイーンという銘柄米を買って炊いていた。わが家もその影響でミルキークイーンが好きになり、今もずっと富山産のを食べている。冷めても食感がやさしいのでお弁当にも向いている。

デンプンにはアミロースとアミロペクチンの 2 種類があり、一般的なうるち米がアミロースを 17 ~ 23 % 含むところを、ミルキークイーンは 9 % ~ 12 % しか含まない。アミロースの割合が 0 % だからもち米は粘りがあってもっちりしているのであり、ミルキークイーンは「うるち米」より「もち米」寄りの低アミロース米なのだ。

ウルチ性の稲からモチ性の品種を作る話が載っているが、農林水産省のスーパーライス計画としてミルキークイーンが開発され水稲農林 332 号として品種登録されるのは、読んでいる『モチの文化誌』発行より 9 年遅い 1998 年のことになる。

イネ科の粟(あわ)はウルチ性の黄色い実をつける。道端でスズメたちがエノコログサ(ねこじゃらし)の実をついばんでいるが、あれの交雑種が粟だ。アミロースを含むので食感はパラパラしており、交雑によって低アミロース化したものがお菓子や料理に使うモチアワだ。どちらも栄養価が高いのでスズメたちも夢中になっているのだろう。

(阪本寧男『モチの文化誌』中公新書 1989 を読みながら考えたこと)

エノコログサ(上)とその実(下)

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【食をポケットに入れて・3】

 【食をポケットに入れて・3】

掛川在住の友人宅ではお父さんが鯖の煮物で酒(浜松の「花の舞」)を飲み、その煮汁を使ったとろろ汁でご飯を食べて仕上げをするという話を昔聞いた。

震災直後の仙台駅前で店を開けていた居酒屋に入り、仙台味噌を使った鯖の味噌煮を食べたら美味しくて感動した。テーブルの上に花が一輪ずつそっと置かれていたことも思い出深く、それ以来わが家の鯖味噌煮は仙台味噌にしている。

仙台味噌を使ったサバ味噌煮の煮汁で味付けしたとろろ汁には麦を炊き込んだご飯が欲しいので「サトウの麦ごはん」を買ってみた。手軽でいい。これは白米に3割の麦を炊き込んでいるが江戸時代の庶民は5割を混ぜていたらしい。

江戸時代の料理書『名飯部類(めいはんぶるい)』に「文武火」という言葉が出てきて、調べると中国のオンライン百科事典百度百科に「文武火」で項目が立っていた。「文武火,读音 wén wǔ huǒ ,汉语词语,意思是用于烧煮的文火与武火」とある。煮たり焼いたりする時に「文火」は火力が比較的に弱く、「武火」は比較的に強いことを言うらしい。

で、麦めしの炊き方の火加減である文武火に「(強からず、弱からずの火)」と訳者による括弧付きの注記が添えてあって「いいな」と思う。文武両道が成り立っている状態とは「強からず弱からず」の持続可能な安定なのである。

(杉野権兵衛原著『名飯部類 』福田浩・島崎とみ子訳、教育社新書・1989 を読みながら考えたこと)

2025年2月2日 本駒込5丁目

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 【食をポケットに入れて・2】

 【食をポケットに入れて・2】

ケシネツツキという言葉があってご飯として食べる米を貯蔵するため精げておくことをケシネスルまたはケシネ搗くと言ったとある。この「精げる」が読めないので漢和辞典で「精」を引くと読みは漢音・呉音でセイ・ショウしかない。

セイゲルとショウゲルではカラスの「ヘッケルとジャッケル」みたいで正解ではなさそうな気がするので「げる」がついたかたちで調べると「しらげる」と読んで「玄米をついて白米にすること」だと広辞苑にあった。読みがわかったので iPhone で「しらげる」と入力すると、ちゃんと「精げる」と変換された。なるほど精米することを「しらげる」と言うのだ。

米だけでなく麦や粟を精げたものもケシネと言い、当座のご飯用にする米が尽きたとき「にわかに稲を扱(こ)き籾を摺って食べる米だけをケシネといっている」とあるので、ケ(褻)シネはその日のおまんま、普段の生活維持のためになされる行為のことを言ったのだろう。

(柳田國男『食糧名彙』1942 を読みながら考えたこと)

2025年2月2日 駒込1丁目

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【食をポケットに入れて】

 【食をポケットに入れて】

日本社会で焼肉やキムチが一般的な食べ物になったのは戦後のことで、「日本の肉料理では『すきやき』や『しゃぶしゃぶ』が代表的なものであろう」と当時を振り返って書かれている。ああそうなのかと思いつつ、幼い日の記憶にすきやきはあったけれどしゃぶしゃぶはない。

新宿区大久保に住んでいた頃の母は「あそこの朝鮮料理屋にある赤い漬物を自分でつくってみたい」と言ってはいつも失敗して似て非なる物をつくり、清水にあった花菱百貨店の福引で当たった電気ホーコー鍋の使い方がわからず、狭い家には邪魔物でしかないので捨ててしまった。キムチとしゃぶしゃぶ、そのどちらも名前すら知らなかったのである。

母子家庭だったわが家で焼肉といえば、電熱器の上に小さなフライパンをのせて豚肉や野菜をちまちまと焼き、生醤油をつけてご飯のおかずにしていた。豚肉は肉屋でバター焼き用というのを買っていたが、焼く時にバターを加えた記憶はない。

どうしてあの時代、肉屋の豚肉コーナーにバター焼き用があり、どうしていつのまにかバター焼き用と書かれた豚肉が消えて行ったのかが、ごく個人的な謎になっている。

(鄭大聲『食文化の中の日本と朝鮮』1992を読みながら考えたこと)

2025年2月2日 本駒込6丁目

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20 音オルガニートでショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business
作曲/A.バーリン

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【オルガニート】

 【オルガニート】 

開設しっぱなしになっていた妻の YouTube チャンネルをちょっとリニューアルし、以下の解説ページを追加した。

使用している楽器 《オルガニート20》 は、 箱の上面の長辺が16cm程の小さな手回しオルゴール。 穴を開けた帯状の白い紙=「カード」が曲譜(楽譜)です。

「カード」を本体にさしこみ、右のハンドルを回すと「カード」が進み、 箱の中の弁 (櫛歯)が音を鳴らす仕組みになっています。

弁の数は20。 音域は全音階の2オクターブ半=ド〜ド〜ド〜ラの20音。 鍵盤楽器の黒鍵 (いわゆる半音)は、ありません。

楽器の構造上、曲を作り演奏するために不可能なことは多々ありますが、限られた条件のなかで、わずか20音の組み合わせを工夫し音楽を紡ぎ出すことは、無限の驚きと悦びに溢れています。

   ***

ムーブメントは「日本電産サンキョー株式会社」、木製のボックスは「有限会社 東洋音響 & オルゴール ゆめの木」製です。

オルゴールショップ「ゆめの木」
https://yumenoki.theshop.jp

楽器 《オルガニート20》購入は「子どもの本とおもちゃ百町森」まで
https://www.hyakuchomori.co.jp
https://www.hyakuchomori.co.jp/toy/c/music/musicbox/

2025年1月29日 本駒込5丁目

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20 音オルガニートの穴あけ遊び

20 音オルガニートでショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business
作曲/A.バーリン

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【野鳥雑記より・13 】

 【野鳥雑記より・13 】 

未明に目覚めて楽しく読んだ野鳥雑記もおしまいに近い。明け方に聞く雀たちのさえずりについて柳田國男が書いた美しい文章があった。

(……)夜のしらしらと明けて、爽かな微風が緑の葉を揺がす時刻だけはどれもこれも約半時ほどの間、同じような緩い調子で同じ一つの音を上下している。それを聴いていると人間のもう忘れてしまった独り言、即ち「今日もまだ生きている」という自我の意識を、自ら問い自ら答える習慣が、ちょうど我々のラジオ体操のように、まだ雀たちの間には行われているということが考えられる。(柳田國男『野草雑記・野鳥雑記 02 野鳥雑記』)

夜が明けかかり、無心の眠りから覚める雀たちのからだひとつひとつに、ちゃんと「この自分」が戻ってくる不思議について、雀たちからも思わず感嘆の声があがっているのだ。人間にも毎朝の目覚めに同じ心身再合一の不思議があることについて書かれていている。

鈴木俊貴著『僕には鳥の言葉がわかる』小学館が書店に届いたというメールが来たので受け取りに行ってきた。これでいただきものの図書カードもおしまいになる。

私は胡麻点即ち○のような形のものを、大小幾通りかこしらえ、また必要ならば点を白黒鼠色にし、それを斜めにしたり竪にしたり、また中間のあけ方と数とを加減すれば、立派に雀和辞典は活版になし得るものと考えている。(柳田國男『野草雑記・野鳥雑記 02 野鳥雑記』)

2025年1月29日 本駒込5丁目

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20 音オルガニートでショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business
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【野鳥雑記より・12 】

 【野鳥雑記より・12 】

郷里静岡県清水では子どもたちがはしゃぎ過ぎてやかましいことを「ぎょうさんしい」と言い、家の中を飛び回って騒いでいると
「ぎょうさんしい!外へ行ってやれ!」
などと怒鳴られた。

通例五月のなかば、この蘆の芽のまだ若々しい頃に往って見ると、ただあちこちと雀などのように飛びまわって、一向(いっこう)身を入れて囀(さえず)ろうという様子がない。それが月を越え蘆のたけが伸びて、葉ずれの音がさらさらさらさらとするようになると、あたかもその音を威圧するかの如(ごと)き調子で、巣を持つ限りの葦切(よしきり)がかわるがわる鳴き立てるのである。ケケシや行々子(ぎょうぎょうし)という名も面白いが、ヨシキリという語もよく観察してある。何だってこのように高い声を出すのか。人に聴かせるならもっと出て来てもよいに、自分はこんな谷陰の蘆の中に隠れて、しかも悠揚(ゆうよう)とした挙動で澄まし込んで啼いている。雲雀とは竪横(たてよこ)の差はあるが、これもやっぱり遠くで聴くように出来ている鳥であった。(柳田國男『野草雑記・野鳥雑記 02 野鳥雑記』)

「ぎょうぎょうし」は仰仰子や行行子と書き、それが鳴き声をあらわすことからオオヨシキリの別名になっている。仰仰しいは程度が大きいことを言い、仰山(ぎょうさん)の「ぎょう」も同じ語源だと辞書にある。「ぎょうぎょうしい」も「ぎょうさんしい」も度を超えてやかましいことを言ったのである。

どうしてやかましいかというとヨシキリの啼き声は前世の怨みを言い立てる悪口雑言のように昔の人は聞き做(な)したらしい。仰仰は安土桃山・江戸以降の宛字で、室町時代あたりでは業業と書き、やかましいのは前世の行い(業)によるものだと考えられた。前世の行いが悪かった餓鬼と見てやかましい子どもたちを「ぎょうさんしい!」と叱っていたのだ。

2025年1月29日 本駒込6丁目

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【野鳥雑記より・11 】

 【野鳥雑記より・11 】

柳田國男が電車内で「駒場の原煕(はらひろし)博士」に会って、このところ芝生が害虫にやられて枯れているという話をしたとある。原煕(慶応 4 年 - 昭和 9 年)は農学者で造園家だった。

それから腕を組んで考えて見たことであるが、去年はどうしてこの災難を遁れたかと思うと、毎日今ごろは午前の暖かい時刻に、生垣を潜って隣の空屋敷から、必ず二三羽のむく鳥が入って来て、熱心に芝原の上で何かを食っていた。その挙動には興味があるので、ぼんやりとただ見ておったのであったが、彼が実際はこの小庭のために、害敵を退治していてくれたのであった。(柳田國男『野草雑記・野鳥雑記 02 野鳥雑記』)

毎年、ムクドリが群れを成して六義園内の芝生に降り立ち、人を恐れる風もなく夢中で何かをほじくりだして食べている。あれは芝生の下に発生して根を荒らすコガネムシの幼虫を食べているのだろう。芝生にとってコガネムシは厄介な「クソブンブン」なのである。

六義園内を歩くと回遊路脇で枯れ葉を激しく掻き分ける音がする。熊・猿・猪の出ない人工庭園ではあってもドキッとする。鳩が頭とくちばしを振り枯れ葉を激しく跳ね飛ばして虫のようなものを探しているのだ。

また園内の日陰でコケが生えている場所に行くと、こんもり丸い緑のコケがめくれて何かが探された痕跡がたくさんある。こちらは誰が何を探したのかもわからない。大雑把に言えば食べ物が食べ物を探して食べ物にしている。世界はそういう循環でできている。

2025年1月28日 豊島区駒込3丁目

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【野鳥雑記より・10】

 【野鳥雑記より・10】

烏(からす)を神の使いである「ミサキ」と見る習俗が日本各地にあり、茨城県などではミサキガラスと呼んだが、それはハシボソガラスのことで、ハシブトガラスは「クソガラス」と呼ばれて差別された……と柳田國男が書いている。

わが祖父はコガネムシ科の甲虫をブンブンと呼び、その中でも畑の作物にとりついて葉を食い散らすブンブンを「クソブンブン」または略して「クソブン」と言っていた。「クソッ」という舌打ちが聞こえるような接頭語で、コガネムシ科には実際に糞を転がして食糞するフンコロガシがいるがそれのことではない。

祖父は「悪い虫だからこうして地面に叩き落として踏んばせ」と手本を示し、「やってみろ」と言われて害虫駆除を手伝わされたが、踏みつけて「ガリッ」とつぶれる音と感触がとても嫌だった。哲学好きに「虫にも心があると思うか」と問われたら、幼い頃のあれを思い出して「ある」と答えるだろう。

田舎には他にもクソのつく生き物がいた気がするのだけれど思い出せない。人間だと「クソジジイ」「クソババア」「クソボウズ」などがいたなあと、いくじなしの「クソガキ」は思う。

2025年1月26日 本駒込5丁目

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20 音オルガニートでショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business
作曲/A.バーリン

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2025年1・2月合併号(通巻26号)まで公開中

 

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