【探究】

【探究】

料理研究家は日々食欲を探求している。

近所のスーパーマーケットに1ヶ月分の献立を載せた無料の冊子が置いてあって楽しみにしている。それがなぜか「なるほど!」と食欲をそそる料理が並ぶ月と、まったく食べたいものが見当たらない月がある。この差はどういうことだろうとよく見たら、毎月担当する料理研究家が変わるのだ。

食欲をそそるレシピを並べる料理研究家とそうでない料理研究家の違いが明瞭にある。前者の料理は作り手と食べ手の姿が目に浮かび、見ているとかならずお酒かご飯のどちらかがもらいたくなる。後者にはそういう物語が生じる食の背景が見えない。食材を使った自由実験のようだ。

近所にある碁盤・将棋盤製作専門店のショーウィンドゥに藤井聡太が「探求」とサインした扇子があった。「二冠 藤井聡太」と書かれているので探究過程 2020 年度のものだろう。

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20 音オルガニートで
『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

『ねむの木の子もりうた Nemunoki no Komoriuta』
作詞/美智子さま(上皇后) 作曲/山本正美

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【こたえさがし】

【こたえさがし】

朝日新聞の「しつもん!ドラえもん」がうまいことできていて、まず一面で今朝の質問を読み、新聞をひらいてこたえをさがしにいくのだけれど、紙面をめくっているうちに答えを見過ごしてしまう。

めくっているうちにもっと気になる記事が見つかってしまうからで、そうやって新聞に目を通させる罠にまんまとはまっている。

2023/06/28 文京区本駒込

今朝は『責任という虚構』(東京大学出版会)著者の小坂井敏晶さんの写真が載っていて、「へぇ〜、こんな人だったんだ」と記事を読んでいるうちに答え探しを忘れている。ちくま学芸文庫からコンパクトな増補版が出ていて、買ってあるので再読しよう。

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20 音オルガニートで
『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

『ねむの木の子もりうた Nemunoki no Komoriuta』
作詞/美智子さま(上皇后) 作曲/山本正美

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【登攀】

【登攀】

串田孫一『山のパンセ』ヤマケイ文庫を読んでいたら 1956 年 3 月「山のソナチネ」に出てくる「登攀」の「攀」が読めない。

「あれ?とはんって読みたいけれどそうじゃないよな、とはんは登坂って書くし……」
と思い、卓上にあった電子辞書で手書き検索したら「攀じ登る」という用例が出てきて、この「攀」の音読みはなんだろうと漢和辞典を引いたら「はん」とある。登攀は「とはん」もしくは「とうはん」と読んでよいのだった。山好きは当たり前にそう読むのだろう。

学生だった 1975 年から 1978 年まで、いまも暮らす駒込に近い北区西ヶ原にあった東京外国語大学あたりに 4 年間住んでいた。串田孫一が東京外国語大学教授として山岳部部長を務めていたのはいつ頃だろうかと調べたら、1965 年に退官されているのでずいぶん昔の話だった。

2023/06/28 文京区本駒込

この 2022 年第七刷であるヤマケイ文庫版『山のパンセ』だけれど 30 ページ 6 行目の「登りおりした芝倉沢」は、ひょっとすると「登りおりした。芝倉沢」と句点で切れるのではないだろうか。底本となった実業之日本社版を持っていないのでわからない。ちょっと気になったのでメモ。

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20 音オルガニートで
『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

『ねむの木の子もりうた Nemunoki no Komoriuta』
作詞/美智子さま(上皇后) 作曲/山本正美

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【なに人】

【なに人】

「プリゴジンってなに人」
と妻に聞かれて
「そりゃロシア人だろう」
と答えれば話は終わってしまう。それでもお尻に「ジン」がつくとなに人か聞いてみたくなる。

むかし、
「あんた、なに人」
「キャベジン」
というテレビCMがあったが、ちょっと笑って忘れていた。
「プリゴジンってなに人」
「軍人」
という答えかたもあるわけだ。

「あそこで転んでいる人はなに人」
と聞かれて
「ステンカラージン」
と答えると笑いがあるが、モデルとされるコサック頭領の名はステンカ・ラージンであり、中黒の位置がちょっと意外なので
「へ〜〜〜」
って言う。

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20 音オルガニートで
『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

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作詞/美智子さま(上皇后) 作曲/山本正美

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【つっかえつっかえの効能】

【つっかえつっかえの効能】

若い学者さんが若い学問について書いた若い新書本を読んでいると、軽い言葉でスピード感を持って書かれているので、なかなか意味がとりづらい。そして聞きなれない学術用語が出てくるたびに中断して電子辞書を引いている。

子どもの頃、いちばん仲良くしていた友だちがひどい吃音だった。つっかえつっかえの会話の中で、言いたい言葉がするりと出てくるのを辛抱強く待ったり、相手が言いたいことがわかった瞬間「言いたいことはわかった!」と顔を見合わせて笑顔になる喜びに慣れている。

2023/06/25 地下鉄春日駅にて

意味がとりづらい文章があると集中力が維持できないので、その部分の初めに戻って早口の黙読で何度もなんども読み返す。何度もなんども読み返すうちに範囲が狭まって消滅するとき、「なるほど、言いたいことはわかった!」と流れに戻れる。

つっかえつっかえ、何度もなんどもでないとだめなのだ。布を洗うとき、汚れが落ちやすいところはさっと洗い流し、落ちにくい箇所は何度もゴシゴシを繰り返し、汚れが消え去るまでバカみたいに頑張るのに似ている。

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『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

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【ちいさな命を育てる】

【ちいさな命を育てる】

生育の早い植物たちを植え替えたあとに鉢と土が余ったので、なにか植えて育てようと思い、小石川の花屋まで苗木を買いに行ってきた。

2023/06/25 文京区小石川

春日駅まで地下鉄で出て猛暑の白山通りを歩く。子育てをめぐる凄惨なニュースばかり流れてくるので、こうやって親に手を引かれ当たり前の愛をうけて嬉しそうな幼児を見ると、それを得られない子どもたちのことが思われて胸が痛む。

2023/06/25 文京区白山

いつか入ってみたいと思っていた料理店がいくつか消えていた。目当ての花屋に入り、「シェフレラ」と「ヨウシュコバンノキ」の苗木を選び、若い女性店員に日当たりの良い窓辺に置いてかまわないかと聞いたら大丈夫だという。

2023/06/25 文京区本駒込

帰りは南西側の歩道が日陰になっているので自宅まで歩いて戻った。焼けつく歩道に長い行列ができているので、なにか人気店ができたのだろうかと思いつつ前を通ったら以前からある店だった。名物にしている生玉子かけご飯が外国人観光客に大人気だそうで、たしかに行列しているのは外人ばかりだった。

2023/06/25 植え替え完了

自宅に戻り、
「はい、新しいお友だちが来ましたよ~」
と保父さんのように言ったら、妻が喜んでさっそく世話の仕方を検索していた。まだ日が高いのでベランダに出て、見繕った鉢に植え直し、はじめての水やりをした。

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20 音オルガニートで
『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

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作詞/美智子さま(上皇后) 作曲/山本正美

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【現実とは】

【現実とは】

若々しい脳科学者の本を読んでいたら現実をいう言葉がいろいろ出てきて、人工現実は AR 、仮想現実は VR 、代替現実は SR といったところかなあと思う。間違えていても差し支えないので自分はそう思う。

2023/06/24 文京区本駒込

読みながら連番を打ってつけたメモ。書いた本人は読み返すと面白い。

038
乗りかかった船のワーフラダー(Warf Ladder=岸壁から船に渡した板)の上であとずさりする勇気がないなら、胸を張って機嫌よく乗りこむしかないではないか。そうすればあらためて回れ右して前向きに下船する道もある。

039
眼の前にあるものしか存在しない。眼の前にないものに対しては自分が動いて眼の前にあるようにできる。そうできる可能性があるものを現実という。

040
なにかに働きかけ、そのなにかによって発見させてもらうものが「自分」である。

041
あまりにもあたりまえだが、現実とは「自分と対象」のことである。

2023/06/24 豊島区駒込

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『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
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『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
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【擬態】

【擬態】

未明に目が覚めてしまい寝つかれずにモゾモゾしていると、
「目をつぶってじっとしていればかならず眠れます」
と母親のような口調で妻が言う。幼いころからそう言われて育ったのだろう。

2023年6月21日 清水区相生町

脳科学の新刊書を読んでいたら、眠ったふりをしていれば眠れると書かれていて面白い。眠ろうという意志で身体を寝かしつけるのではなく、眠ったふりという身体行為で心を寝かしつけるわけだ。

2023年6月21日 清水区旭町

眠るために眠ったふりをしたことはないけれど、子どもの頃、自分はこのまま死ぬのだ……ああ死ぬ……もう死ぬ……ほら死ぬ……死ぬ……死ぬ……と死んだふりをしているうちに眠ったことはよくある。

2023年6月21日 清水区万世町

死んだ人を擬態するわけだが、ほんとうに死んだことはないので安全な睡眠法である。

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20 音オルガニートで
『雨滴 Prelude No. 15 "Raindrop”』
作曲/F.ショパン

『ゆりかごの歌 Yurikago no Uta』
作詞/北原白秋 作曲/草川信

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【外人はなぜ大きいか】

【外人はなぜ大きいか】

毎月一回、郷土誌の編集会議で東京・静岡間を往復している。このところ新幹線車内に驚くほど外国人旅行客が多い。

自分と比べて身長体重でそれほど差がなさそうな外国人を大きく感じるのが不思議で、となりに座っているだけで物理的にも圧力を受けている。

切符と座席番号を見比べながら席を見つけると、重そうにゴロゴロ引きずってきた硬い旅行用キャリーケースを持ち上げ、頭上の荷物棚にガツンガツンと音を立ててぶつけながら押し込んでいて、頭上に落ちてこないかとヒヤヒヤする。

着席後も彼らは動作が大きく、仲間と大声で話す時も身振りまじりに体を使うので、椅子が揺れ、肘が当たり、後部席から背もたれに膝がゴツンゴツンとぶつかって居眠りもできない。彼らは体も大きいけれど、何事につけ動作が大きいので、よりでかく感じるのだ。

なんとか 1 時間我慢して静岡駅に着いたので振り返ると、折りたたみ座席テーブルに足をのせて寝ている。彼らは態度もひどくでかいのである。

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【さくらももこ散歩】

【さくらももこ散歩】

久しぶりに清水区役所内を歩いてみた。中学・高校時代、この区役所が立っている場所で暮らしていたので、今も本籍はここに置いてある。

6 月 17 日(土)から 8 月 23 日(水)まで静岡市美術館で開かれている『さくらももこ展』のチラシがあったので貰ってきた。

郷土誌『季刊清水』編集委員会の仲間と、美濃輪町赤鳥居前の鮮魚店ご主人のガイドで 1 万 2 千歩強の取材ウォーキングをした。終了後、新清水駅脇の『魚清』さんでお疲れさまの打ち上げをした。

新幹線に乗り遅れないよう、新清水駅ホームに行ったら、さくらももこのラッピング車両が発車待ちしていた。

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【講談『金子みすゞ伝』】

【講談『金子みすゞ伝』】

文京シビックホールまで妻のお供をして一龍斎春水(いちりゅうさい・はるみ)さんの講談『金子みすゞ伝』を聴きに行った。

 小ホールの 341 ある客席は満席だった。
矢崎節夫さんの話が長くて、講釈を語る時間が足りるんだろうかとハラハラしたが、矢崎さんが語ってしまった箇所は上手に端折って伸縮自在にまとめられていた。どちらも自分が話したいことはしっかり話して、さすがである。

話が佳境に入ったらとなりの見知らぬ女性がハンカチを握りしめておいおい泣くので自分が泣いているような気がした。

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【腹の不思議】

【腹の不思議】

怒ることを「腹が立つ」とか「腹わたが煮えくり返る」とか「腹の虫がおさまらない」と言うのはなぜだろう。

アランの『幸福論』にはわきあがる情念を抑えきれない人間の独白として、
「おれは悲しい。なにを見ても物悲しくみえる。しかし、出来事がこれに関係があるわけじゃない。おれの理屈もなんの関係もない。道理を説きたがっているのは、おれの体だ。胃袋の意見とでも言ったらいい。」(串田孫一・中村雄二郎訳、白水社)
と書かれていた。

ネット検索で「どうして腹が……」と入力したら「どうして腹が出る」という検索候補が出てきて笑った。たしかに立つのも出るのも不思議である。

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【どんきゅう】

【どんきゅう】

東京の小学生にとってドジョウは「どじょう」だったけれど、中学生になって生まれ故郷清水に戻ったらドジョウは「どんきゅう」と呼ばれていた。なぜドジョウが「どんきゅう」なのかが不思議で、不思議のまま歳月を経たのでいまだに忘れられない方言になっている。

梅雨時になるとなぜかドジョウ料理が食べたくなり、その理由はたぶん雨に濡れた田んぼの匂いを思い出すからだろう。

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【おまえに】

【おまえに】

幸福とはなにか、ひとことで言えば「平穏無事」だと思う。

子ども時代の平穏無事は家にいることで、やかましい学校にそれはなかった。だから学校が嫌いだった。おとなになっての会社勤めにも平穏無事はないので三十歳までなんとか我慢してやめた。

ひとりぼっちは寂しい。ひとりぼっちとは連星を持たないことである。

連星とはふたつの星が万有の引力を及ぼし合い、共通の重心を見つけてまわっていることをいう。人間もふたりでひとつの連星になる。

フランク永井が低音でうまいことを歌っていたなあと思い、『おまえに』の作詞者を調べたら岩谷時子だった。さすがである。

「そばにいてくれるだけでいい」が平穏であり、「黙っていてもいいんだよ」が無事であり、そういう静かな連星がまわっている平穏無事な状態を幸福という。

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【父と哲学】

【父と哲学】

仕事でときどき付き合いのある年下の友人がいて、彼のおとうさんは有名な哲学者で今年 84 歳になられたと思う。有名な哲学者なのは知っていたけれど、著書をまったく読んだことがない。

そんなおとうさんが書いた新書本を読んだらとてもわかりやすいので驚いた。ウィキペディアの紹介に「市井(しせい)の…」がつくタイプの哲学者なので、難しい学術用語を使わず「市井の庶民」でも暮らしの中でちゃんとわかるように書かれている。

感心したのでエッセイ的な本を二冊ほど買ってみたけれどそちらもとてもいい。こういう本を書く人がおとうさんなら自分はどんな息子だったろう。そんなことを考えて読みながら、あの息子はこのおとうさんの著書を読んでいるのだろうかとふと思う。

こういう理知的なおとうさんが「市井の家庭」にいる夢のような暮らしを想像するとひどく羨ましい。成人した子どもたちとの晩酌が楽しみなのだけれど、娘たちは酒好きなのに息子たちはあまり飲まないと書いている。もったいない話である。

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