【第八十八十勝丸の出港】

【第八十八十勝丸の出港】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 9 月 30 日の日記再掲

 

江尻船溜まり。

魚河岸食堂での朝食を終えて岸壁に出たら、鹿児島県串木野市第六十八錦哉丸(きんさいまる)船尾にトラックが横付けされて作業中だった。
 
出航前の船食(せんしょく)積み込み風景で、航海用食料品などを業者が搬入しているのであり、第六十八錦哉丸も出港が近い。

■鹿児島県串木野市第六十八錦哉丸。船食積み込み中。
RICOH GR Digital 

遠洋漁船の出港日が決まると船員達から電話が入り、入港中の船員達が上客となって蕩尽したおかげで潤った飲食店従業員や店主は、岸壁まで見送りに出て色とりどりのテープを投げた。船員を相手にしたもう一つの漁の終わりである。
「航海が終って清水港に入港したらまた来てちょうだいね」
とテープの端を握りしめて女達は叫び、船員達も船尾に立ってテープの端を握りしめ、ちぎれるほどに手を振っていた。そう言う時代がかつてはあった。

清水旭町飲食街も火が消えたように寂しくなったし、ああいうテープ一本で指切りげんまんする出港風景という、妙に湿った港町の風習も絶えてしまったのかなと思う。

■岩手県宮古市第八十八十勝丸の出港。
RICOH GR Digital 

午前 8 時ちょっと前。江尻船溜まりにエンジン音をとどろかせて船首をぐるっと回し、第八十八十勝丸が遠洋航海に向かって出港していく。岸壁から見送る人もない静かな出港風景である。

少年時代の出港見送り風景をふと思い出し、自転車のペダルをグイッと踏み込んで朝風を切り、第八十八十勝丸と岸壁を併走する。

■岩手県宮古市第八十八十勝丸の出港。
RICOH GR Digital 

次第に速度を上げつつ舵を左に取り第八十八十勝丸は駿河湾へと向かい、自転車で併走した岸壁は行き止まりとなり、船体はやがて小さな点といういつもと変わらぬ景色の一部となって海の向こうへ消えて行く。

 

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▼014……稲荷坂とリキマンション


港区赤坂7丁目。
赤坂八丁目側から北へ登る坂を稲荷坂と言い、
かつて坂下に円通院の稲荷への門があったことに由来する、とネット上に解説があるが、
円通院は赤坂5丁目赤坂パークビル脇にあり、
坂下から直線距離で350メートルも離れているのが不思議である。
何らかの理由で円通院が動いたのだろうか。
もしかすると稲荷はもっと近い場所にあったが円通院境内に移されたという可能性もあるかな。


     撮影日: 06.9.28 0:42:25 PM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/640
     F値: 6.3

稲荷坂を登り切った高台に
かつてプロレスラー力道山が建てた近代アパート
『リキマンション』が道の左側に沿ってある。


     撮影日: 06.9.28 0:45:13 PM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/500
     F値: 5.6

1963年、東京オリンピックを翌年にひかえたその年、
小学校に登校したら友だちに
「力道山が死んだぞ!」
と教えられてひどくショックだったのを覚えている。
その頃は既に母とのふたり暮らしになっており、
そんな少年時代、力道山はひどく父性を感じる人で大好きだったのだ。

ホテルニュージャパン隣接のキャバレー「ニュー・ラテン・クォーター」で刺されたあと
500メートルほど離れた場所にあるこのマンションに歩いて戻ったと伝えられているが、
おそらくコロンビア通りの坂を痛みに耐えながら登ったのではないだろうか。

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▼013……永田町の九州と吸収阻止


千代田区永田町。
外堀通り沿い、山王日枝神社大鳥居脇に秋葉原電気街で常時行列の人気ラーメン店
『九州じゃんがらラーメン』ができていた。

僕は最近、足し算で作り上げたこってりラーメンが苦手になり、
シンプルでさっぱりしているのにスカじゃない昔ながらのラーメンに
好みが移ってしまったので別段興味がないのだけれど
「おやっ?」と思うことがあって引き返して写真を撮った。

     撮影日: 06.9.28 11:52:27 AM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/640
     F値: 7.1

『九州じゃんがらラーメン』の隣のビルに
「中性脂肪に告ぐ」と書かれた大型広告看板が掲げられており、
それは脂肪の吸収を抑えると言われる黒ウーロン茶の宣伝なのだ。

こってり九州ラーメンの隣に脂肪吸収阻止のポスターがあるというのも
あり得なくもない偶然のおもしろさかな、と思ったけれど、
両側から『九州じゃんがらラーメン』を挟撃するように設置してあるのが
やっぱり単なる偶然とは思えなくて面白い。

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▼012……赤坂Bizタワーと東京のオノボリサン


郷里静岡県清水の友人が病気治療のため日帰りで上京し、
東京駅に降り立った途端、あれも買いたい、あれも食べたい、あれも見たいとキョロキョロし
オノボリサン状態になって病気を忘れてはしゃいでいる、と実況メールが携帯に届き
姿が目に浮かぶようで思わず笑ってしまう。

笑いながら港区赤坂7丁目の出版社に向かうため久しぶりに
赤坂5丁目、赤坂通りに一ツ木通りがぶつかるT字路に出たら
街の様相が一変していてびっくりした。


     撮影日: 06.9.28 11:57:08 AM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/250
     F値: 4.0

角がTBSだったはずが更地になって工事中であり
地上39階建ての赤坂Bizタワーというオフィスビルが建つらしい。

僕の記憶の地図はその向かいの角が
ケンタッキーフライドチキンという古色蒼然としたもののままなのだが
そこは既にスターバックスコーヒーになっていた。

何もかも物珍しくてキョロキョロしながら赤坂通りを歩き
東京人気取りの清水っ子もまた東京でオノボリサン状態になっている。

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▼011……赤坂五丁目アパート脇恐怖の石段



港区赤坂5丁目。
TBS裏手にある「三分坂(さんぷんさか)」は有名で
ウェブ上にうんざりするほど同じ説明があるし、
タモリをはじめとする様々な著者によって本でも紹介されている。

昔この坂があまりの急坂のため車賃を銀3分(さんぷん=百円余り)増した
ということから名前が付けられたが、 坂下の渡し賃1分に対して云ったとの説もある…
とどこにも同じ説明があり、解説板にそう書かれているのを引き写しているらしい。


     撮影日: 06.9.21 11:22:24 AM
     RICOH
     GR Digital
     露出時間:1/410
     F値: 7.1

TBS裏手から三分坂を下るために右折せず、
真っ直ぐ歩いていくと都営赤坂5丁目アパートがある。
その脇を直進すると赤坂通に降りる急な石段があり、
名前はとくにないらしい。
地下鉄千代田線赤坂駅に向かうなら
この坂を通る方が近道である。

雪国育ちの東京在住者は雪が降っても滑らずに上手に歩くのだけれど、
彼らから見ると僕の歩き方はてんでなっていないそうで、
それは靴の裏が呆れるような減り方をすることからもあきらかで、
雪の日のみならず雨の日も良く滑って転ぶ。


     撮影日: 06.9.21 11:24:37 AM
     RICOH
     GR Digital
     露出時間:1/500
     F値: 3.5

東京で雪の降った日とその後数日間は絶対この石段を通らないことにしている。
かつてこの石段が凍結した冬の日、ここで滑って
転ぶまいと数段を狂った操り人形のようにばたばたしながら移動し、
奇跡的に手すりにつかまって転ばずに済んだのだけれど、
転ぶよりもっと恐怖を味わったしかえって身体の節々を痛めた。

石段では潔くずるっと滑って尻餅をついた方が怪我が少ないような気もするが、
そんなことより道が凍結した日は石段や坂道を通らないにこしたことはない。

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【犬のポーズ】

【犬のポーズ】

古い写真を整理していたら4年経ってもやはり笑顔になる。

静岡県清水宝町、母がお世話になっていた森鳥獣店のマーク。
こういうシンプルな視覚言語は見る人の心を測るリトマス試験紙になっているのかもしれない。

OLYMPUS  C720UZ

4年前もそうだったのだけれど、今でもこの白黒二匹の犬の絵を見ると「シッ!ここでそんなことしちゃいけない!」と声が出そうになる。

根がスケベなのだろうか。

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【富士見橋夕景 2001 】

【富士見橋夕景 2001 】

静岡県清水、富士見橋。

2001年8月に橋のたもとから撮影した暮れなずむ巴川風景。
港橋たもと『かどや』のある場所が再開発されてビルが建ったこと、港橋脇の水管橋が崩落したこと、そしていくつかの川沿いの建物が消えたことくらいで、今とあまり変わらない風景。


この CarlZeiss ディスタゴン付き 2.1 メガピクセルのデジタルカメラは、暗い場所でも手ぶれせずに写るように感度と露出が上手に自動調節されて便利だったのだけれど、ものすごいノイズだったんだなぁと驚き、ノイズばかりが眼について素直に感情移入ができない。

今の携帯のデジカメ以下の写りにも当時は感動していたのだ、ということに感動する。

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▼010……不忍池と蝙蝠傘


東京都台東区上野公園。

午前中は外出が憂鬱になるほどの雷雨だったが
午後1時過ぎにはピタッとあがったので
都営バスに乗って仕事の打ち合わせに根津の出版社まで出掛ける。

帰りの寄り道で雨上がりの不忍池端を歩いていたら
雨はとうに上がったのに黒い蝙蝠傘をさして池をじっと見つめている男がいた。


     撮影日: 06.9.27 2:55:17 PM
     RICOH
     GR Digital
     露出時間:1/160
     F値: 3.2

こうしてみると不忍池には蝙蝠傘がひどく似合う気がし、
雨も降っていないのに池の水面(みなも)を見つめながら
蝙蝠傘をさしている男がひとり公園のベンチに座っている光景というのは
どうしてこんなに寂しげなんだろうと思う。

男は別役実でも小室等でもなさそうだけれど、
もしかするとやってくるはずのゴトーを待っているのかもしれない。

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▼009……鴎外温泉


東京都台東区池之端3丁目。
『水月ホテル鴎外荘』は森鴎外旧宅跡である……ということは知っていたが、
仕事で根津に出掛けた寄り道で不忍通りから上野の山の方に向かう脇道に折れたら
森鴎外の写真の下に「森鴎外居住の跡」と大書された看板があり、
その下に「鴎外温泉」と書かれていてびっくりした。


     撮影日: 06.9.27 2:21:28 PM
     RICOH
     GR Digital
     露出時間:1/500
     F値: 5.6

わが郷里静岡県清水で美濃輪町を歩いていたら
「清水次郎長生家」と書かれた看板の下に「次郎長温泉」と書かれていたら
「うっそ~~っ」と、びっくりするだろうと思い、
同じようなインパクトがあってギョッとした。

だが帰宅後調べてみたらここは都内でも珍しい天然温泉が湧いているそうで、
こんなに近くに温泉があるなら義父が倒れる前に誘えば良かったと残念に思う。

『水月ホテル鴎外荘』

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▼008……港区赤坂4丁目


花を持って歩く男。

両手で身体の左側に持った花の重さと均衡がとれる分だけ
身体を右側に傾けて歩いている。
そうするのは人間の自然な知恵である。
僕も重いショルダーバッグを左肩にかけているときは
同じように身体を右に傾けて歩く。



高齢になるほどショルダーバッグを嫌う女性が多く、
わが母も外出時は肘を曲げてハンドバッグを腕にかけ、
旅行時は手で提げるボストンバッグを持っていた。
母と旅をすると両手がバッグでふさがってしまい、
写真も撮れないし何をするにも不便なのでたびたび抗議したものだった。

年を取ってようやく母はリュックサックを背負うことを覚え、
両手が空いていることの便利さと安全さを知ったのだった。

僕も最近はなるべくリュックサックを背負うようにしているのは、
両手の空いている便利さが欲しいこともあるが、
長年左肩に重いショルダーバッグをかけて歩いたせいか
自分の身体の中心が傾いているような気がして
気になって仕方なくなったからであり、
こうして傾いて歩いている他人を見ても思わず振り向いてしまう。

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▼007……大坂屋 虎ノ門 砂場 琴平町店



東京都港区虎ノ門1丁目。

精神満腹。
前に立っただけで心の空腹が満たされるような気がする良い構えの店。

創業明治5年のこの店が、
どこかわが郷土静岡県清水に接点がないかと探せば、
山岡鉄舟が贔屓にしていた蕎麦屋だということくらいかも知れない。
鉄舟が贔屓にした店の御多分に洩れず、
この店にも鉄舟直筆の書が遺されていて
家宝になっているという。



大正時代の建築物なのだけれど、
右隣がずばっと更地になっていてドキッとする。
いつまでも消えずにいて欲しい美しい建物が
刀で斬りつけられたようでびっくりした。

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【静鉄車内の静鉄車内】

【静鉄車内の静鉄車内】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 9 月 23 日の日記再掲

9 月 23 日、郷里静岡県清水にお彼岸の墓参り帰省をした。

草薙駅で JR 東海道本線から静鉄電車に乗り換えたら、車内の中吊りポスターがすべて『ジーンズショップオサダ』一色のイベントカーのようになっていた。そういえば昨年の 9 月に帰省した際も、静鉄電車内はデニム生地を用いた『ジーンズショップオサダ』のユニークな中吊りポスターで一杯だった。

その『ジーンズショップオサダ』東静岡店が開店してもう一周年になり、その記念イベントらしい。

■静鉄電車内『ジーンズショップオサダ』の中吊り広告。
RICOH GR Digital 

■静鉄電車内『ジーンズショップオサダ』の中吊り広告。
RICOH GR Digital 

ユニークなのは中吊りポスターの写真がすべて静鉄電車内で撮影されていることで、思わず「う~ん」と唸ってしまう。「う~ん」と唸っているだけではリアクションとして申し訳ないので、荷物を下ろして写真を撮影しておいた。乗客が「(なーにを撮っているだか~)」という顔でこちらを見ていた。

墓参り帰省を終えて帰京する 9 月 24 日、静岡鉄道入江岡駅から再び静鉄電車に乗ったらやっぱり『ジーンズショップオサダ』のポスターが気になり「(この広告のモデルは静岡在住の地モデルなのかなぁ)」などと考えながら見入っていたら、静鉄電車内で仲良く雑誌を読んでいる風の夫婦が持ってい雑誌は近くに寄ってみたら僕も写真エッセイを連載させて貰っている雑誌『 sizo:ka(しぞーか)』だった。

■『ジーンズショップオサダ』の中吊り広告モデルの熟年夫婦は仲良く雑誌『 sizo:ka(しぞーか)』を読んでいる。
RICOH GR Digital 

思わず「う~ん」と唸ってしまい、「う~ん」と唸っているだけではリアクションとして物足りないので、荷物を下ろして写真を撮影しておいた。乗客が「(なーにを撮っているだか~)」という顔でこちらを見ていた。

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【頭と鉄橋】

【頭と鉄橋】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 9 月 22 日の日記再掲

高校時代の担任は
「おまえらなぁ、頭はかしげるためについてるんじゃないぞ!」
が口癖で、もっと頭を使えと叱るかわりにそう言った。今思えばその通りだなと思い、仕事でご一緒する年上の女性編集者には「(もっと頭を使えよ、このタコ!)」と言うのも失礼なので
「頭はかしげるためについてるんじゃないんですよ」
と言ってやるが、
「あら、私は体のバランスを取るためだけについてるのかと思ったわ」
などと言うしたたか者なので手ごわい。

社会人になって出会ったある上司は
「頭は減るもんじゃないからともかく下げておけ」
と言い、嫌な奴だなと思ったので、本気でそう思える会社員になる前に脱サラした。

■静岡県清水巴町、東海道本線巴川橋梁全景。
RICOH Caplio GX 

■制限高 1.7M の表示がある巴川沿いの道。
RICOH Caplio GX 

静岡県清水巴町。東海道本線が巴川を渡るために架けられた鉄橋を巴川橋梁という。かつて掛け替えを見た友人によれば、巴川橋梁下には橋を横にずらすための仕掛があり、現行鉄橋脇に新鉄橋を造って、一晩のうちにずらして掛け替えを終えたという。

清水平野を走る東海道本線と巴川水面の距離が近いので、巴川土手の道は鉄橋をくぐることになり、通行する人や車両の制限高は 1.7 メートルである。身長 178 センチメートルなので歩いて通過する際は 8 センチ以上低くなるように頭をかしげることが必要であり、それだとちょっと疲れるし見た目もヘンなので腰をかがめ頭を下げて通ることにしている。

■通行人 A 。
RICOH Caplio GX 

■通行人 B 。
RICOH Caplio GX 

朝の通勤通学時に巴川橋梁脇に立って眺めていると、徒歩で通過する人は身長 170 センチにも満たない女性まで必ず腰をかがめ頭を下げて通るが、自転車に乗って通過する人は様々である。

とくに川上、大正橋たもとから巴川橋梁下に向かう道は坂になっており、坂を自転車で降りてくる通学の男女はかなり勢いよく橋梁下に突入する。

その際、頭を下げ余裕を持って通過していく者もあれば、小柄な女生徒などは頭を下げなくても通過できると自信を持っているらしく背筋をしゃんと伸ばし真正面を見据えたまま速度をゆるめず通過して行くので
「危ない!でこをぶつぞ(清水弁)!減るもんじゃないから頭を下げろ!」
と保護者になったつもりで叫びたくなる。

■人間通過中。
RICOH Caplio GX 

■電車通過中。
RICOH Caplio GX 

今になって思い出すに、嫌な奴だと思った上司は「(若いうちは危険なことも多いのでなるべく頭を低くしておけ)」という保護者になったような優しさで「頭を下げろ」と忠告してくれたのかもしれない。鉄橋に書かれた「制限高 1.7M 」の文字には厳しくもやさしい諌(いさ)めと諭(さと)しがある。

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【清水最短滞在記録】

【清水最短滞在記録】 

友人のお母さんが亡くなられ、清水辻町にある日蓮宗本要寺で9月20日午後1時から行われる告別式に参加するためにとんぼ返りの帰省をした。

余裕をもって家を出たつもりなのに新幹線の乗り継ぎが悪く、12時55分静岡着だと聞いて絶望したが、在来線ホームに12時58分発三島行きが待っていたのでわずかな遅刻となる。


清水駅から目と鼻の先に寺はあり、遅刻したので強い日射しを避け、本殿脇の木陰に立って読経を聞く。

告別式終了後は参列した友人が駅まで送ってくれたので約1時間ほどの短い清水滞在だった。

毎週の片付け帰省は週末なので、たまのウィークデイ帰省をしたら上り新幹線がガラガラに空いていてびっくりした。


疲れたので静岡駅を発車した途端にうとうとしてしまい、間もなく新橋……とのアナウンスで目を覚ましたら、ごみごみとした東京の町並みに雲の切れ間から眩しい陽光が降り注いでいた。

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【賤機山リフト】

【賤機山リフト】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 9 月 21 日の日記再掲

「休みだんて、あしたは狐ヶ崎遊園に連れてくか」
(なぜか「地」は略されていた)と言われて大喜びした。狐ヶ崎遊園地は 1927(昭和 2 )年、静岡鉄道の前身である静岡電気鉄道が清水に開園した遊園地であり、その CM ソングが北原白秋作詞による『ちゃっきり節』だった。

弁当と水筒を持って歩いて地域の遊園地に行くのであり、歩いて行けるほど近くに遊園地があるという贅沢な暮らしだったのだけれど、お金がかかる場所なのでそう頻繁に贅沢ができるわけではないということで、二重に贅沢な場所になっていた。

「休みだんて、あしたはしぞーかに連れてくか」
(なぜか「しずおか」とは言わなかった)と言われて、やはり大喜びしたのは「しぞーかに連れてく」は浅間神社裏手の賤機山に登る「リフトに乗せてやる」を意味していたからである。

■静岡鉄道賤機山リフト頂上遠望。
1968年1月。
Olympus Pen EE2 D.Zuiko 28mm F3.5

雑誌『sizo:ka』(しぞーか)に連載している写真エッセイを書くために古い写真を探していたら、中学生時代に撮影した静鉄賤機山リフトの写真が出てきた。

■賤機山リフト搭乗中。母も着物を着て嬉しそう。
1968年1月。
Olympus Pen EE2 D.Zuiko 28mm F3.5

「しぞーかに連れてく」と言われて大喜びで外出し、静鉄電車に乗って新静岡駅に着くと、呉服町通り商店街を歩き、中町交差点から浅間神社に続く浅間通りを歩き、おとな達はぶらぶら嬉しそうに商店をひやかしながら歩き、子どもは早く浅間神社裏手からリフトに乗せて貰いたくてうずうずして、行きつ戻りつしながら歩いたものだった。

そういう意味で静鉄静岡清水線→呉服町通り商店街→浅間通り商店街→静岡浅間神社→静鉄賤機山リフトという懐かしい行楽の道筋は、人を回遊させる仕掛としてとても良くできていた。浅間さんのリフトはでっかいしぞーかというデパートの屋上遊園地だったのかもしれない。

■賤機山からの眺め。
1968年1月。
Olympus Pen EE2 D.Zuiko 28mm F3.5

人生何事もやってみなくてはわからないように、山というのも見上げているだけではだめで、鼻で笑い飛ばすように低い山ですら頂上に立つと驚くほどの絶景が見られて感動する。低い山に登ってみることはささやかな人生の日々を楽しむための心の持ち方に似ている。

今でも賤機山頂上から眺める風景写真を見ると「おお~っ…」と声が出そうになり、1974(昭和 49 )年 7 月の通称七夕豪雨で崩壊するまで、静鉄賤機山リフトはたくさんの「おお~っ…」を山頂に響かせるために、小高い山を上り下りしていたのである。

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