◉「元日の朝目が覚めて、まっさらでおニューな状態になっているわたしは、大晦日のわたしと同じわたしであると言えるだろうか」

2019年5月31日(金)
◉「元日の朝目が覚めて、まっさらでおニューな状態になっているわたしは、大晦日のわたしと同じわたしであると言えるだろうか」

午後になって郵便受けをのぞいたら、清水の珈琲焙煎店主からの手紙、妻が送ったオルゴール CD への礼状、ネット注文した文庫本が届いていた。

珈琲店主からは商品パンフレットの増し刷りで「コロンビア エキセリン」と「キリマンジャロ AA」の商品情報改定をしたいという依頼だった。

妻が送ったオルゴールの礼状には、CD をかけたら一歳になる孫が遊びをやめて近づいてきたので膝にのせて一緒に聴いた。不思議そうに音の出る方を見つめていたが、『ひらいたひらいた』が始まったら「はっはっはっ」と歌うように声を出していたという。オルゴールの音には重度の認知症老人やペットが不思議な反応を示す。乳幼児の話は初めて聞いたので興味深い。

文庫本は今週月曜の読書会で、参加者の医師から是非読んでみろと勧められた永井均『転校生とブラックジャック――独在性をめぐるセミナー』岩波現代文庫だった。注文して届くまでのあいだ坪倉優介『記憶喪失になったぼくが見た世界』朝日文庫を読んでいた。以前から重い記憶喪失当事者が書いた本があれば読んでみたいと探していて見つけた。記憶喪失になった人は「私」というものに対してどういう感じ方をするのか興味があったからだ。昨日の日誌にも「元日の朝目が覚めて、まっさらでおニューな状態になっているわたしは、大晦日のわたしと同じわたしであると言えるだろうか」と書いた。

永井均を読み始めたら序章第1ページ目でいきなり、完璧な物質転送機ができたとして「地球で暮らしてきた私と性質的に同一で心理的に継続した人物が火星上に作られたとき、その人物は必然的に私であろうか。」という問い、そして転送ではなく複製の場合の「私」とは、と重ねて問われている。そう!そこなのだ。いろいろ読書が楽しくて忙しい。

明日の打合せ資料を用意して 18 時終業。

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◉「発見は着目を変えることに始まる。」

2019年5月30日(木)
◉「発見は着目を変えることに始まる。」

午前中に古書買取業者が手配したヤマト運輸が伝票を用意してやってきて、段ボール箱 8 個を回収していった。またひとつ片づけが進んだ。

   ***

「発見は着目を変えることに始まる。」と吉阪隆正(よしざか たかまさ 1917 - 1980 建築家)の本にあった。

ほしい道具は意外に生活の片づけの中から見つかる。ほしいものはすでに所有していて、所有していること自体を忘れていることが多いのだ。「なんだ持ってたのかラッキー!」と思う。

暑さが季節はずれであることに反発して、冷たいものをひかえて熱い珈琲やお茶を飲んでいる。酒「以外」の冷たい飲み物は身体にとって毒だと言った人がいた。珈琲を熱いまま保温しておく小さなポットが欲しいと思っていたら、片づけもので出たガラクタの中にちょうど良いのがあった。偶然ではなく、かつて同じことを思いついた自分がちょうど良いのを選んで買ったことを忘れていたのだろう。

いま「知らないこと」「わからないこと」も、かつては「知ったり」「わかったり」したことがあったらしい。どうやらそれをいつの間にか忘れてしまっている。ネット上に日記を書き始めて 20 年経つけれど、むかしの自分はこんなことを知っていたのかと、古い日記を読み返して感心することが多い。過去の自分に教えてもらっている。「わかった、一生忘れないようにしよう」と思っても、知識が身に付かないで忘れてしまうのが人間であり、そのくせつまらないことはくよくよ何度も思い出すので忘れたいのに忘れられない。だから苦しい。

「忘れないこと」と「忘れてしまうこと」を分けているのは、なんども思い出されるものは有益、めったに思い出されないものは無益と片づける脳の判断によるものだろう。一度納得したら思い出したくないものでも、大切なことは何度でも思い出すことが、忘れない唯一の方法かもしれない。なんだか認知症予防脳トレのようだ。忘れないために日記を書いても、読み返さないなら物忘れ予防に有効ではなさそうだ。

   ***

覚えておきたいこともあれば忘れたいこともある。自分にとって都合の悪いことを「まったく記憶にございません」と言い張る政治家は多い。「もう!自分に都合の悪いことは覚えていないんだからっ!」と女性に叱られている一般男性もよく見かける。だが本当に自分に都合の悪いことを忘れてしまえると人は幸せだろうか。

脳の細胞は一年ですべて入れ替わってしまう。それでも記憶が消えないのはありがたい。けれど、一年ごとに人生が更新され元旦の朝を迎えるとまっさらな全生活史健忘という記憶喪失が起こるとしたら――暮れから正月への年越し儀式はそもそもそういうものだと思うけれど――大晦日除夜の鐘を聞くたびにどういう感慨が浮かぶだろう。「ああ、このかけがえのない自分の一年の記憶もあとわずかで消えてしまうんだなぁ」と嘆くだろうか、それとも「ああ明日になれば一年間の嫌なことを全部忘れて生まれ変われるんだなぁ!」と喜ぶだろうか。というか、元日の朝目が覚めて、まっさらでおニューな状態になっているわたしは、大晦日のわたしと同じわたしであると言えるだろうか。

それでも悪夢でうなされて目が覚め、いまの現実の自分に戻れて「ああよかった」と思える境遇の人間は幸せだ。親の在宅介護で辛かった頃は、夜明けに目が覚めて今日も一日介護者である自分を思い出した瞬間、世界が暗転することがよくあった。そういう境遇で暗い気持ちで目覚めている人は多いだろうし、学校嫌いの子どもたちも朝は目覚めとともに暗転して暗いだろう。かわいそうに。

   ***

新聞を読んでいたらアルコール依存症に関する記事があり、家族の依存症を意図せず助長してしまう人をイネイブラー(Enabler)と言うらしい。懐かしい言葉を久しぶりに聞いた。たしか Macintosh パソコンでよく使った記憶があり、イネイブラーではなくイネーブラーで検索したら情報があった。システムイネーブラー(System Enabler)のことで漢字 Talk 7.5 以前の Mac ではそれが「支え手」としてシステムフォルダに必要だった。フリーズや爆弾マークで泣かされた時代のことほど忘れずに覚えている。

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◉「あーーびっくりした!」

2019年5月29日(水)
◉「あーーびっくりした!」

本をさらに処分することにし、段ボール 8 箱分にまとまったので収集申し込みをした。

18 時近くまで仕事をし、5 月 20 日の日誌に書いた店に、線香とお花代を持って出かけた。

コンサートが終わって外に出たら雨になっており、バスで吉祥寺に戻り、電車を乗り継いで駒込に戻った。21 時半を過ぎていたので駒込駅東口で馴染みの居酒屋に寄った。四半世紀以上前から馴染みの店だが、なんだか様子が違う。仲の良いご夫婦が切り盛りする店だったが、ご主人が二月に亡くなられたという。奥さんがひとり気丈に店を開けており、店を開けていれば主人がいるみたいだから…と言う。(2019/05/20 の日誌より)

あの広い店を女手ひとつで維持できるんだろうかと心配していたが、今夜は年上の女性が手伝いをしているので安心した。どこか似ているので奥さんのお姉さんが来て手伝っているのではないかと妻が言う。

ほどほどに飲んでお勘定を済ませ「これ、ご主人に」と言って用意したものを差し出すと、奥さんが「奥さんはこの人…」とお手伝いの女性を指して言う。「えーーーっ!」と驚いたが、とっさに切り替え、「ご主人には生前とてもお世話になりました」と言ったら、初めて見る奥さんがぼろぼろ涙を流して泣いていた。

びっくりした。その店に通うようになって少なくとも 25 年以上経つが、ご主人とふたりカウンターの中にいて、料理の手ほどきを受けていた女性を奥さんだと思い込んでいたのだった。大どんでん返しで映画を見終えて外に出たように、妻とふたり「あーーびっくりした!」と言い合いながら帰宅した。今夜も雨になった。

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◉本を読む

2019年5月28日(火)
◉本を読む

先週の土曜日、近所の寺で行われた三回忌法要に出たら、ご自由にお持ちくださいと書かれて、本堂におてつぎ叢書26『絵解き 浄土宗入門講座』おがわさとし、という総本山知恩院発行の B5 判マンガ本が置かれていた。

このところちょっと「念仏」という行為に興味があったのでありがたくいただいて帰った。熱暑で疲れたので帰宅してゴロッと横になり、早速読んでみたらとてもいい。行儀が悪いけれど、横になって気楽なぶん書かれていることに集中できるのならそれでいいではないかと思う。「マンガで読む」という安直な企画で作られる本もずいぶん手伝ってきたけれど、この仏教啓蒙小冊子はよくできている。

今年 5 回目の読書会。西尾幹二訳『ショーペンハウアー 意志と表象としての世界〈1〉』中公クラシックスを読み終えた。次回から〈2〉を読み始めるので〈3〉もあわせて注文した。読書会仲間の医師に「石原さんにはぜひ読んでいただきたい…」と名指しで勧められてしまったので、永井 均『転校生とブラックジャック――独在性をめぐるセミナー』岩波現代文庫を一緒に注文した。永井 均は二次会の話の種にできるよう頑張って次回までに読み終えるつもり。頑張らなくても読めると言われたが。

本は著者から著者へ目的を持って読んでいるので書店の棚を見て選ぶことがなくなった。今年から参加している読書会会場になっている貸し会議室は池袋ジュンク堂に近いので、会の前に必ず立ち寄るようになった。それでも立ち寄って書棚を見るとやはり欲しくなってしまう本がある。

日本語特集の小さな書棚が作られていたので鈴木孝夫『ことばと文化』岩波新書を買った。著者は 1926 年生まれ。この時代生まれの人は少年時代戦争でひどい目にあっているので誠実で、書いたものに間違いが少ないので好きだ。

自分が関わっている雑誌の最新号を一冊買い、同じ棚の隅に一冊だけあって新品なのにくたびれている本があるので手に取ってパラパラめくったら、戻したくなくなったので買ってきた。アルキテクト編『好きなことはやらずにいられない 吉阪隆正との対話』建築技術。吉阪隆正(1917 ー 1980)は知らなかったが、今和次郎に師事した人と略歴にあって、ああそうかと思う。この手の本は人に貸してはいけない。貸した相手が編集者だとたいがい帰ってこない。本づくりに関わる人が書棚から手に取るとたいがい買ってしまう。

片付けをして出てきた雑誌をパラパラめくっていたら、なんと奥付にマンション内飲み友達で編集者の女性を見つけてびっくりした。

発売時に自分は 28 歳だったが、彼女は何歳だったのだろう。四谷にあった文鳥堂書店で買ったのかもしれない。こんな奇遇もあるのだなあと思う。本を編んだ人と直接話せる機会はそうあるものでもないので、仕事場が片付いたら飲み会に誘ってみようと思う。

23時頃に帰宅したら妻がまだ起きて片付けを続けていたので、ねぎらいの気持ちと飲み足りなさで誘って一杯飲んだ。飲みながら読書会の話をし、明日明後日の予定を組んだ。

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◉ティー・メモリー

2019年5月27日(月)
◉ティー・メモリー

仕事で使い始めた新しい Mac の起動時に、モニタが Mac からの映像出力信号を感知して自動電源 ON にならなくなった。HDMI ケーブルで接続して快調に使っていたのだけれど、数日前からそういう状態になった。初期設定ファイルあたりを再構築すれば治るのかもしれないけれど、DVI でモニタにつなぎ、 HDMI に変換するケーブルがあったのでそれにかえてみたら快調なので結果オーライとした。

妻が送ったオルゴール CD のお返しに、様々な産地・茶園の令和元年新茶を一煎パックにしたものをいただいた。清水・静岡のお茶ばかり集めた興味深いプレゼントだけれど、なんとその中に高知県大豊町の碁石茶があって驚いた。中村羊一郎『番茶と日本人』吉川弘文館(これは名著)の 41 ページから始まる章に出てくる後発酵茶だ。ミャンマーのはマンション内の友人に頼んで買ってきてもらったことがあるけれど、高知の碁石茶は初めてなので嬉しい。

それぞれに丁寧な淹れ方が書き添えられており、ティー・メモリーという可愛い湯温計が添えられていて感動してしまった。メカメカしい料理用温度計は売られているけれど、これはシンプルな緑色アルコール式温度計でアナログなのがとてもいい。売り物ではなくノベルティ・グッズなのだろうか。高校時代の写真部で下級生時代は現像液づくりばかりさせられ、指定湯温の 50 度は指で覚えたので、今でも玉露の湯温は指で計っている。とはいえ人前で指温度計を使うはまずいのでこれは嬉しい。

北海道から送られてきたグリーンアスパラを岡田先生夫人からいただいた。緑が溢れる初夏である。

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◉5月の猛暑

2019年5月26日(日)
◉5月の猛暑

5 月とは思えない猛暑である。午前 10 時から近所の寺で法事があるので黒い服を着て出かけた。

寺は住まいから直線距離にして 800 メートルほどの「近い」ところにあるのだけれど、「遠いからタクシーに乗り合わせていこう」という隣人の誘いをお断りして歩いて出かけた。法事を終えてお斎(とき)になり、雑談で「駒込駅近くに寿司屋ができるんですよ」と話したら「場所はどこ」と聞くので、ここから直線距離にして 800 メートルほどのところだと答えると「遠い」と言う。直線距離にして 400 メートルほどのところに大きなスーパーマーケットができたときも「近くて買い物が便利になったね」と義母に話したら「遠い」と言っていた。「遠い」という感じ方は人それぞれなのだろう。

法事が終わって自宅に戻ったら、疲れたと言って妻は倒れこむように昼寝してしまったので、近所の魚屋まで買い物に出た。坂下の商店街まで、ここから直線距離にして 1,000 メートルほどしかない。けれど、「遠い」という感覚が鈍い自分にも、帰りはだらだらした上り坂なのでなのでちょっとだけ遠く感じられる。

買い物を終えて長い坂道を登っていたら iPhone が聞きなれない着信音を出すのでポケットから取り出してみたら緊急地震速報の着信だった。坂を下ってくる人が同じ警報音に驚き、立ち止まってスマホを見ながら「地震だ…」と言っていた。

帰宅したら保育系編集者から「少し前の地震、ちょっとびっくりでした。大丈夫でしたか?」というメールに添付して原稿が届いていた。日曜日も仕事をしろということだ。

   ***

未明に苦しそうな息遣いをしていた妻からちょっと遅れて自分にも花粉症がやって来た。スギ花粉ではないのかもしれない。外出が辛いし、仕事が混み合ってきて、編集者も休日出勤しているらしいので、明日のシンポジウム聴講は取りやめにしようかと思う。幸い満席になりそうらしいし、おとなしく外出を控え、洟をかみながら仕事をしよう、そう決めたら息が楽になった。

書名と装幀に惹かれ、音楽でいうジャケ買いで、今野真二『正書法のない日本語』岩波書店を注文してみた。正書法とは体系化された言語表記のしかたを言う。スマホで注文したついでに洟をかみながら恐る恐るネット検索したら、清水エスパルスはベガルタ仙台に勝って降格圏上に浮上していた。大相撲では富山市呉羽町出身の朝乃山が令和最初の優勝力士になった。わが家にとってはよい一日だった。

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◉5月の 30 度以上

2019年5月25日(土)
◉5月の 30 度以上

快晴の涼しい朝。それでも日中は気温が上がり、この週末東京は 30 度以上の夏日が続くという。
明日 25 日は本駒込三丁目の常徳寺で行われる故岡田英弘先生三回忌法要に家内と参列、明後日 26 日は早稲田大学で開かれるシンポジウム「岡田英弘の歴史学とは何か」を聴講するので、むさ苦しくなった髪の毛を切ってもらいに理容室に行ってきた。

通っている理容室は大正年間からやっていて現在が三代目になる。いま髪を切ってくれている店主はまだ若く、先代も時折店に立って古い馴染み客のハゲ頭をなでたりする。2012 年に亡くなった著名な思想家の家にいちばん近い床屋なので、「ひょっとしてあの思想する頭は二代目が刈り上げていたんですか?」と聞いてみたいと思っていたが、病気になられたようで急速にぼんやりされてしまわれた。

三代目はひどく腕がいい。腕がいいせいか散髪中に眠くなる。ハサミの音を聞いていると眠くなって困るけれど、危ないのでコックリしないようにこらえている。だが横になるともうダメで、椅子を倒して顔剃りされている間の記憶はいつもない。

   ***

妻が手作りしている 20 音手回しオルゴールの CD が届き始めて、友人たちのブログに取り上げられている。郷里清水のコーヒー焙煎店女性店主はオルゴール体操を考案して、焙煎作業中にやっているという。学生時代は体操選手だったらしいので、ぽっちゃりしたとはいえ、本格的で可憐でチャスラフスカのような体操姿を思い浮かべて笑ってしまう。

チャスラフスカといえば、東京オリンピックを観た小学生時代はチャフラフスカと覚えていて、チャスラフスカだったと知ったのは最近のことだ。八王子在住の友人は収録曲『マイム・マイム』で「マイ、マイ、マイ、マイ、マイム…」に続く歌詞を「えっさっさ」と歌っていたという。たしかに小学生にとっては意味不明な歌詞で、低学年のころは踊りながら「せっせっせ」の連想か「れっせっせ」、高学年になってからは「踊らにゃそんそん」の連想か「れっそんそん」と歌っていた記憶がある。「ベッサッソン」であると知ったのはもう踊らない年齢になってからで、思い出は恥ずかしさとともに「喜びのうちに(be-sasson)」ある。

雑誌『季刊清水』編集長からは妻宛に「今回もボーッとした時間をありがとうございました」と結ばれた、のんびりしているようで丹念な感想メールが届いていた。

   ***

駿河湾の桜エビがとれないそうで、たびたび話題に上る海流変動の影響だろうかと思ったら、公害問題らしい…という話が郷里の友人たちの話に出ていた。経済状況がジリ貧なので企業倫理もゆるみがちなのだろうとは思っていたけれど、流れ込む川の水で海が濁っているそうで、静岡新聞によると早川水系の雨畑川(山梨県早川町)で、砂利プラントを運営する採石業者が産業廃棄物の汚泥(ヘドロ)を河川に不法投棄していたらしい。ひどい話が明らかになってきた。

   ***

友人親子がスイスで食べる山羊乳のチーズが臭いというので、里帰り帰国する妹さんにお土産をせがんだ。昼過ぎに預かった鍵を渡したら約束のものが届いた。白カビのついた円筒状のチーズは、脱脂乳で作ったブリーチーズ(Brie cheese)のようでおいしい。パッケージに薄ら笑いを浮かべた山羊の絵が描かれている。臭いというより旨味のある山羊乳チーズを初めて食べた。

(2019/05/25 記)

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◉燕の巣の黒い土

2019年5月24日(金)
◉燕の巣の黒い土

なぜかこのところ六義園をねぐらにするカラスたちがマンションのベランダにやってくる。なにか事情があって居場所を変えたのだろう。今朝も大きな声に驚いて目が覚めた。六義園のカラスは「ア〜サ〜〜」と谷岡ヤスジのマンガ風に鳴く。

整理して並べ直した本棚から岸田秀の古い対談集を取り出してはぱらぱら読み返している。対談相手の吉本隆明が、丸太ん棒なんかで小さな蟻をぶん殴っているようだと笑っていたが、そういう話し方聴き方をする対談者としての岸田秀が好きだ。昔読んで面白かった対談だけを繰り返し読んでいる。丸山圭三郎、三枝充悳(さいぐさみつよし)とのも良かった。「ああそうか」とあらためてわかる箇所が何度読んでも出てくる。読むほどに理解が進むというより、書かれていることのうち今の自分の関心事について言い当てていると思える部分が、その都度「ああそうか」とヒットするのだろう。そういうことに同じ本を繰り返し読み続けることの恩恵があるかもしれない。孔子先生が「子曰。學而時習之。不亦説乎。」と言っているけれど、折りに触れて復習するのがよろこばしいというより、復習するうちに学んだことが時宜にかなって「ああそうか」になるのではないか。

   ***

朝一番でマンション内住人の粗大ゴミ搬出を手伝った。大きなキャスター付きサイドボードを捨てるのだという。いちおう台車を用意して手伝いに行ったら女性の手に負えないほど重い。押して転がせればいいのだけれど、エラストマー製の車輪が劣化してボロボロと崩れてしまう。老人ホームの介護用ベッドも脚がそういう状態になっていた。素材に問題があるのだろう。なんとかエレベーターに載せて搬出を終え、明日の留守中、スイスからやってくる妹さんに渡してくれと部屋の鍵を預かった。そういう付き合いのできる友人がマンション内に何人かいる。みな年をとったり、病気になったり、ひとり暮らしになったりしている。

昨日の日誌をアップし、自分のパソコンデスクトップのスクリーンキャプチャを見たら、マウントされているドライブの名前がひどい。こりゃひどいと思い、気にしだすと気になってたまらないので名前をつけ直した。4 台のドライブに 4 台のバックアップ用ディスクをつなぎ、起動ディスクのバックアップには TimeMachine も設定している。そういう安心が一目瞭然になったので、これでよしと「自己満足」した。

清水から「いま NHK BS でファーブルをやっています」という電話が入り、仕事場にテレビがないので自宅に帰って観てきた。『プレミアムカフェ選 ファーブル昆虫記~南仏・愛(いと)しき小宇宙~』で、明日も午前 9:00 ~午前 10:34 に放送があるようなので録画しておくことにした。ナレーションの声は誰だったのだろうと調べたら蟹江敬三だった。懐かしい。

   ***

西ヶ原商店街で困難な会話をしている人たちがいた。路上で道を聞かれた女性が、
「えっ!ここから巣鴨まで歩くんですか?遠いですよ。駒込の方が近いけど、駒込も遠いですよ!わたし自信ないから誰かほかの人に聞いてみてください」
と手を左右に振っていた。質問していた中年夫婦は、どうみても駒込駅から商店街伝いにここまで来てしまったとしか思えない。女性の受け答えがちゃんと返事になっていると思ったので黙って通り過ぎた。

東京の土は埼玉の土より黒くて粘り気があると大雑把に思う。東京の土を見慣れていると埼玉や静岡の土は赤いと思うことが多い。西ヶ原商店街を歩いていたらむき出しになった土壌が黒いなと思うし、そういう水溜りから運んだ土でこさえたツバメの巣もやはり黒いなと思う。こういうのが腐植(ふしょく)を含んだ黒ボク土(くろぼくど)というものだろう。そういう粘る土を使ってツバメの巣がすごい場所に作られている。これでは緑色した園芸用の支柱も取り除くわけにはいかない。

午後三時、有料老人ホームで暮らす、妻の年長の友人がババさんカートを引っ張ってやってきて、たくさんの手土産をくれた。

(2019/05/24 記)

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◉行く春や鳥啼き魚の腹に卵

2019年5月23日(木)
◉行く春や鳥啼き魚の腹に卵

台風一過のように清々しい晴天の朝になった。

武蔵野市民文化会館小ホールで無伴奏チェロの演奏を聴き、このホールにあるパイプオルガンの音を聞いてみたいなと思っていた。調べたら 2019 年 9 月 5 日(木)午後 7 時開演でドイツ人オルガニスト、アルフィート・ガストによるパイプオルガン・リサイタルがあるという。ずいぶん先の話だけれどもう席の予約が取れるのでネット経由でチケットを確保した。

プログラムは、

J.S. バッハ:『クラヴィア・ユーブング 第3部』より
       プレリュード 変ホ長調 BWV552/1
       キリエ、とこしえの父なる神よ BWV669
       キリストよ、世の人のすべての慰め BWV670
       キリエ、聖霊なる神よ BWV671
       いと高きところでは神にのみ栄光あれ BWV675-677
       フーガ BWV552/2
-------
西村朗:オルガンのための前奏曲「焔の幻影」
    (第3回武蔵野市国際オルガンコンクール委嘱作品、1996年)
シューマン:ペダル・フリューゲルのための練習曲 第4番 変イ長調 Op.56
レーガー:BACHの名による幻想曲とフーガ

小ホールでパイプオルガンを聴くのは初めてなので嬉しい。

   ***

Mac では起動中のタスク切り替えを「command+tab」のキーコンビネーションで行う。OS 9 以前の Mac ではアップルメニューからプルダウンメニューでその操作ができた。そういう機能をメニューバーに追加する OS X 用の秀逸なフリーウェアがあったのだけれどいつの間にか公開停止になり、ネット上から完全に消えている。保存しておけばよかったなぁと地団駄を踏み、同等の機能を持つアプリを検索したが見当たらない。

こんな風にプルダウンメニューが表示されて起動中のアプリ切り替えができる

古い MacBook Air にはそのアプリを入れてある。インストーラーを使わずアプリケーションフォルダに入れただけの記憶があるので、そのまま USB メモリ経由で Mojave(モハベ)のアプリケーションフォルダに入れてやったら問題なく動いている。よかった。格段に使いやすくなった。親と耳かき同様、いつまでもネット上にあると思うなフリーウェア。どうしてこういう便利なアプリが他にないのだろうと思うほど、なくては困るお気に入りは手元に保存しておいたほうがいいかもしれない。

   ***

確か MacBook Air に「あれ」が入っていたっけとアプリさがしで久しぶりに起動したら調子が悪い。調子が戻らないので「command + R』を押しながら起動してシステムを再インストールした。この機種の最終最新 OS は High Sierra になる。iCloud 経由で Pages の編集作業の続きが自宅でできるよう整備し直した。気合いを入れないと物事が前に進まない年齢になってきたから。

   ***

昼過ぎに買い物に出たら、刺身用に仕入れた魚をさばき終える頃合いのせいか、鮮魚売り場に天然鯛の卵と白子が出ていたので突きコンニャクと一緒に買ってきた。サワラの卵も並んでいた。そういう季節なのだ。桜が終わると魚卵がおいしくなる。

行く春や鳥啼き魚の腹に卵

   ***

夜は録画しておいた NHK Eテレ『日曜美術館「エッシャー 無限性の彼方へ」』を観た。エッシャーの恩師でユダヤ人強制収容所で死んだサミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868-1944)の作品展が東京ステーションギャラリーで開かれるという。2019年06月29日~2019年08月18日まで。観に行く。

そのあとは駅ピアノの新作を録画で観た。新潟の友人からオルゴール CD 到着のメールが入っており、「ニースで駅ピアノを弾こう!」と夫婦でフランスに行ってきたという。音楽好きのふたりなので、僅か 20 音で編曲する努力を讃える丁寧なメールになっていた。妻も喜ぶだろう。

(2019/05/23)

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◉Pages

2019年5月22日(水)
◉Pages

 
激しい雨の降る朝になった。六義園のカラスがシャワーを浴びた若者のように頭髪を逆立ててベランダへ雨やどりに来る。終日仕事をして過ごした。思いがけない人がこの日誌を読んでくれていて、駒込を訪ねてくると連れて行った居酒屋店主の早すぎる死を悼むメールが届いた。ありがたいことである。
 
マンション内で寡婦となられた友人に、息子さんが Apple 社の iMac をプレゼントした。パソコンが不調だとヘルプを求める電話やショートメールが届くのでエレベーターで駆けつける。その度に「Mac なら仕事で使っているのでどうにでもなるけれど、使っていない Windows のトラブルには対処できない。僕を頼るなら Mac にして!」と言っていたので、同じく Mac ユーザーの息子が大奮発したわけだ。
 
お母さんに使い方の説明をする息子の話を聞いたら、ワードファイルに関しては Pages を使わせるという。Pages は使ったことがないので、すこし弄っておいたほうがいいかなと思う。
 
Apple Books で開いた Pages のマニュアル
 
連休中、仕事で使ってきた古い Mac が壊れたので最新機種に入れ替えた。連休後の本格的な仕事が始まり、医学系出版社から届いていたワードファイルをダブルクリックしたら Pages が立ち上がって書類を開くのでびっくりした。今までワードファイルは MS Office 互換アプリで開いていたのだけれど、Pages で開いた書類の表示が悪くない。気に入った。
 
調べてみたら最新の Pages は完成度が上がっていて、なんと縦組み文書の作成にも対応したという。当然ルビや縦中横の組み数字もできる。パーキンソン病友の会会報づくり活動で忙しいお母さんも喜ぶだろう。息子の選択は悪くない。
 
Pages で組み上げたものは電子書籍として Apple Books に公開できる。2002 年から 2003 年にかけて書いた、わが母の介護日記は医学系出版社で編集をしていた友人に校正してもらい、三好春樹氏のあとがきも貰い、あとは InDesign で組版して電子書籍化しておこうと思っていた。趣味的な本づくりを仕事で使うソフトウェアでやることに気がすすまず停滞していたのだけれど、Pages でやってみようと思い始めている。
 
亡き飲食店主の奥さんが群馬の実家から届いたと言ってお土産にくれた新玉ねぎを隣りの友人にお裾分けしたら大変喜ばれた。「わたし頭を『やった』ので玉ねぎは必需品」なのだそうだ。先日届けた両河内産タケノコの礼にマンゴーをくれたのでココナツミルクをかけて夕食時に食べたら美味しかった。
 
(2019/05/22 記)
 
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◉雨のコンサート帰り

2019年5月21日(火)
◉雨のコンサート帰り

 

月曜日、新しい週の始まり。macOS Mojave (マックオーエス モハベ OS10.14-)になってからファイル名に文字化け問題がある古い CD のマウントができなくなった。幸いなことにスーパードライブ内蔵の古い MacBook Pro が旧 OS のまま現役なので、読めるうちにハードディスクへ書き戻しておくことにした。入っているのは妻が手がけてきた絵本や詩集関係のデザインデータで、いずれ仕事をやめるとき若い編集者にすべて渡すのだそうだ。きちっとそれができるように手伝っている。

しかしながらこういう作業をしていてときどき思うのだけれど、昔はパソコンで作るデータのサイズが小さくてフロッピーディスクに収まってしまうのが当然だった。ソフトウェア自身フロッピーディスク一枚に収まってしまうものも珍しくなかった。どうしてこんなにデータサイズが大きくなってしまったのだろう。異様に思う。

清水の友人から電話があったので、面白い食べ物を考えて商売している人のことを思い出し、彼はどうしているかと聞いたら調理中に火事を出し、隣家もろとも店が丸焼けになったという。気の毒な話である。惜しい。

吉祥寺駅北口駅前 1 Nikor 1:1.8 f=18.5 mm

15時に仕事を切り上げ、毎朝録画している NHK クラシック倶楽部の収録場所として登場する武蔵野市民文化会館小ホールにエリック・マリア・クテュリエの無伴奏チェロ・リサイタルを聴きに行った。演奏プログラムは、

J.S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
ジョヴァンニ・ソッリマ:ラメンタチオ
ガスパール・カサド: 無伴奏チェロ組曲 第1楽章 プレリュード ファンタジア
J.S. バッハ:無伴奏無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009
伊藤暁:Chains
ジョヴァンニ・ソッリマ:Alone

19時からのコンサート前に、渋谷区笹塚で創業 70 年という老舗ラーメン店に寄ってみた。開店は 15 時半のはずだけれど開いていなくて残念。この店は先日テレビで見て知った。高齢のご主人がお元気ならいいけれどと心配した。

すっかりラーメンのお腹になっているので、明大前で井の頭線に乗り換え、吉祥寺駅で下車し、北口のホープ軒に寄った。ホープ軒は 40 年ほど前、妻と二人で阿佐谷店によく通った。懐かしい味がした。

吉祥寺 1 Nikor 1:1.8 f=18.5 mm

ひと駅中央線に乗って三鷹駅へ。久しぶりの吉祥寺も三鷹も、駅北側の開発が進み、街が変貌していて驚いた。駅前の写植屋ご主人とネットで知り合い、亡くなるまで全国社会福祉協議会の仕事を手伝ってもらって親しくさせていただいたが、その会社があった場所も大きな再開発ビルが建っている。妻とふたりでデザインした卒展ハガキを印刷してもらった店もそのビルにあった。

コンサートは舞台から 7 列目端の席だったが、初めて生で聴く無伴奏チェロはとても良かった。とくに現代奏法を駆使した新しい曲は繊細な音が聞こえて感動した。生演奏ならではだ。

武蔵野市民文化会館小ホールのパイプオルガン 1 Nikor 1:1.8 f=18.5 mm

コンサートが終わって外に出たら雨になっており、バスで吉祥寺に戻り、電車を乗り継いで駒込に戻った。21 時半を過ぎていたので駒込駅東口で馴染みの居酒屋に寄った。四半世紀以上前から馴染みの店だが、なんだか様子が違う。仲の良いご夫婦が切り盛りする店だったが、ご主人が二月に亡くなられたという。奥さんがひとり気丈に店を開けており、店を開けていれば主人がいるみたいだから…と言う。

家に戻り、思い出話をし、泣きながら妻とふたり日付が変わるまで呑んだ。悲しい。いつのまにか雨が本降りになった。

(2019/05/21)

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◉東京書籍の印刷工場跡

2019年5月20日(月)
◉東京書籍の印刷工場跡

 
日曜日。今日も片付けと引越しと模様替え。物を捨てて無駄な買い物はしないというのが基本だけれど、どうしても必要なものがある。泉麻人が『東京23区物語』(主婦の友社 1985)で東京のチベットと書いた文京区だけれど、30 年以上経っても買い物の不便さは変わらない。
 
東京メトロ南北線一本で行ける赤羽に大きなホームセンターを見つけて大喜びした。妻は「すごい!なんでもある!こんなにある!」と叫んで店員に笑われた。そうとう辺鄙な田舎から出てきたと思われたのだろうが、東京のチベットからだとは思うまい。
 
 
王子駅前の音無川(石神井川) 1 Nikor 1:1.8 f=18.5 mm
 
先日パソコンで地図を見ていたら王子駅近くにホームセンターや家電量販店などをまとめた巨大ショッピングモールができていた。堀船在住の女性編集者はなぜ教えてくれなかったのだろう。
 
 
1 Nikor 1:1.8 f=18.5 mm
 
王子は小学校の6年間を過ごした町だけれど、この場所にもともとあったものが思い出せない。高度成長期前夜の地図を見たら、なんと東京書籍の印刷工場だった。東書とはいろいろ縁が深い。妻は今週も東書出身者たちと会うが、話したらきっと驚くだろう。なんと!
 

 
駒込からは地下鉄で 2 駅だし散歩コースなので歩いて往復もできる。これから何度も通うことになりそうなので王子駅前からの近道ショートカットも確認した。ペットコーナーに可愛い子犬がいたとショートメールを送ったら、チベットの妻から「すごい!いいなあ、フン!フン!フン!今度連れてって!」と返信があった。
 
(2019/05/20)
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◉PERSON’S の傘

2019年5月19日(日)
◉PERSON’S の傘

 
仕事場の片付けで、たくさんありすぎる傘の整理をした。30年以上使い続けていた PERSON’S(パーソンズ)のロゴが入った折り畳み傘を捨てることにした。どこで買ったかはよく覚えていて、かつて霞が関ビル二階にあった洋品店で、急な雨に降られて購入したのだった。地味な色が気に入っていたけれど、とくに愛着があってボロボロになるまで使い続けたわけではない。置き忘れても置き忘れても、親切な人たちの手によって帰ってきて手元にありつづけた。乾かされ、丁寧に折りたたまれて戻ってくると、ボロ傘であることが恥ずかしくて恐縮したけれど、ボロ傘を大切に使っているよう他人に見えたことが、必ず帰ってきた理由かもしれない。雨漏りをするようになり、防水スプレーでも防げなくなった。東京・清水間をなんども往復した傘にお別れだ。
 

1 Nikor 1:1.8 f=18.5 mm

片付けもので仕事場が足の踏み場もなくなったので、昼食は近所の蕎麦屋へ外食に出た。もう冷やし中華が始まっていて、数十年ぶりに蕎麦屋の冷やし中華を食べた。「冷やし中華」と言ったらむじな蕎麦にすると言っていた妻が「わたしも冷やし中華」と言う。焼き豚ではなくハム、キュウリと玉子焼き以外に細かく切ったナルトが添えられ、真ん中に真っ赤な紅ショウガ、皿の端に和がらしがなすりつけられていた。
 
終わった仕事のデータバックアップは長いことカートリッジ式の DVD-RAM を使ってきた。書き込み後にベリファイがかかるので信頼性があるからだ。いつのまにか新しいメディアのフォーマットができなくなり、Mojave(モハベ)では認識すらされなくなった。どうやら DVD-RAM は Apple のサポート外になったらしい。妻が今まで溜め込んだデータをいったんハードディスクに書き戻し、百枚以上あったメディアを処分した。ハードディスクに 4.6GB で空のディスクイメージを作り、その中にデータをコピーし、いっぱいになるとディスクイメージから DVD-R を作成し、ディスクイメージファイルと DVD ディスクの二本立てバックアップに切り替えた。掃除をしながらパソコンにそういう作業をさせた。
 
今日も一日、引っ越し業者に頼む前の事前作業で獅子奮迅の働きをした…と自分を褒めたい。家具の移動と模様替え、それに伴う床の拭き掃除で汗だくになり、這いつくばっての拭き掃除を日課にしたら健康のために良いだろうな…とは思う。ゴミ置き場横でマンション内の友人に会ったので、亡くなられたご主人の荷物整理の話をした。これからどこへ行くのかと聞いたら、地下鉄に乗って体操教室に行くと言う。「うー」とか「はー」とか言いながらやる「うーはー体操」と言っていた気がするけれど聞き間違いかもしれない。
 
(2019/05/19 記)
 
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◉シムズ先生の日記

2019年5月18日(土)
◉シムズ先生の日記

亡き親の住まい片付けが進み、同じマンションの中で、片付けながら親の住まいに自分たちの住まいを統合し、そのついでに自己幻想、対幻想から疎外された社会的な身の置き場すなわち共同幻想との接点である仕事場も片付けている…とか、難しい本が出てきて拾い読みしているとそう思う。そうせざるを得ないように人間はできているということが、働きながら読むとわかる気がする。
 
 
1 Nikor 1:3.8-5.6 f=35-110 mm
 
ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder 1867 - 1957)が書き残した自伝は『大草原の小さな家』としてテレビシリーズ化され、NHK 総合テレビで楽しみに見ていた。子どもの頃、妻が読んでいたその原作本もまた捨てられない大切な本になっている。
 
『大草原の小さな家』で名前はたしかシムズ先生だったと思うけれど、やさしい女性教師が出てきていつも日記を書いていた。彼女の日記は必ず「日記さん」という呼びかけで始まる。欧米人は「dear diary(日記さん)」と日記に語りかける。「日記はひとりごとだ。誰かに読んでもらいたくて書いてるんじゃない、自分のために書いてるんだ」と言ってみても、言葉は常に自分と一対一で向き合う者を生み出してしまう。「わたし」はそもそも「わたしの話を聞いてくれるあなた」という一対一の基本構造「吾(あ)」でできている。ひとりの人間はそもそも 2 in 1なのだ。ゆえに「あ」から始まる言葉は「わたし」の生みの親である。親は大切にしなくてはいけない。
 
 
書いた文字が割り当てられたページにぴったり収まらないと気持ちが悪いので、雑誌に載る原稿は文字数を指定し行数表示を見ながら縦書き表示できるエディタで書いている。あらかじめ割り振られた文字数を無視しただらしない友人某の原稿を見ているうちに自分の姿勢が改まった。持つべきものは反面教師の友である。
 
このところ macOS 用 日本語テキストエディタ「mi(エムアイ)」を愛用している。Windows ならこういう無料ソフトウェアは山ほどあるだろうし、友人お気に入りの Microsoft Ward ならもともとそういう機能を備えている。有料の Ward ユーザーほどズボラが多いのが面白い。
 
最近の大手印刷会社にはプリンティング・ディレクターという役職名の人がいて、製版および印刷の技術的な打ち合わせ、イコールご予算の駆け引きをする。絵本出版の世界はたいへんだ。そのうちイメージ戦争の果てに、「ゼネラル・エグゼクティブ・プレミアム・マーベラス・ プリンティング・ディレクターです」などと肩書きを名乗り出すかもしれない。今日はその PD がやってきての打ち合わせがあるそうで、妻は午後から外出した。外向きになるとロボット歩きがぴたっと治るのも不思議といえば不思議である。
 
ネット申し込みをして 6 点搬出した粗大ゴミ電気製品のうち 2 点が誰かに持ち去られたが、今朝になってそのうちのひとつが元の場所に戻されていた。義父母が大事に使っていたので新品同様だけれど、持ち帰ってみたら希望にそぐわなかった、もしくは「そんなもの拾ってくるな!」と家族に叱られたのかもしれない。ありそうな話で、粗大ゴミもきっとちいさな物語を道連れに旅立っていく。
 
 
1 Nikor 1:3.8-5.6 f=35-110 mm
 
長年日記を書いていると「今年は例年にくらべてとくに…」などという感じかたがあまり当てにならないことがわかってくる。なるべくそう言わないようにしているけれど、それでも言いたくなるのが人の習性らしい。言うまいと思えど、今年は例年にくらべてとくにバラの花のつきかたが良いように思う朝の散歩である。
 
(2019/05/18 記)
 
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◉先回り

2019年5月17日(金)
◉先回り

仕事の合間に粗大ゴミを搬出した。インターネットで品目ごとの料金を調べ、収集の申し込みをし、購入したごみ処理券を貼付してマンションの粗大ゴミ置き場に出しておく。収集日前日の午後になったので台車にのせて運び、夕方確認したらそのうち二点がすでになくなっていた。粗大ゴミや不燃ゴミ回収日になると回収車に先回りして持って行く者がいて何度か見かけたことがある。必要とする人へ物の所有が移動したわけで、それはそれでいい。回収員さんにその由を手紙に書いて貼っておくことにする。

朝 1 Nikor 1:3.8-5.6 f=35-110 mm

古い本はまとめて古書買取業者に送っている。また段ボール箱10箱近くまとまったので回収申し込みをする。何度も引越しをしてきたけれど、片付けをするたびに手にとってパラパラと読んでは処分せず新たな暮らしの本棚に並べておく本がある。

草森紳一(くさもりしんいち 1938 - 2008)がそうで、北海道河東郡音更村(現音更町)出身の評論家。たくさんの著書の中で、『ナンセンスの練習』晶文社 1971 年、『子供の場所』晶文社 1975 年、『イラストレーション:地球を刺青する』すばる書房 1977 年の三冊は住まいを次々に移動してもついてきた。引越し荷物に腰掛けてついつい読んでしまう。なぜか性に合っているのだろう。

朝 1 Nikor 1:3.8-5.6 f=35-110 mm

妻が本づくりの仕事をしている出版社が近所に引っ越して来たので、編集者が度々やって来ては打ち合わせをしていく。数十箱の本や本棚を処分したので仕事場もゆったり広くなった。数万冊の本に囲まれ「本の隙間にボクは住まわせてもらっているんだ」と言って亡くなった草森紳一を思い出し『ナンセンスの練習』を読みながら小休止した。この本は学生時代に住んでいた北区西ヶ原の書店で買ったもので、そういえばあんな場所にあんな小さな書店があったのだなあと数十年ぶりに思い出した。

(2019/05/17未明 記)

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