電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼仕業(しわざ)……4
かつて少年少女の心にモータリゼーションの夢を育んだ多摩テックが閉園したという。
小学生だった1961年に開園し、一度でいいから行ってみたいと思っていたけれど、母親との二人暮らしでは夢も叶わなかった。1964年にできた朝霞テックでもいいから行ってみたいとも思っていたが、そちらの夢も叶わないまま1973年に閉園している。
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キャンティフィアスコのランプに灯りが点る
人の暮らしがある場所にはさまざまな仕業があり、そこに配置されているものたちは、その当事者にだけわかる結節点で結ばれることにより脈絡を保っている。
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店主の仕業
当事者でないとわからない脈絡で結ばれたものたちは、当事者がそこにいないと、生命を失ってナンセンスなオブジェと化しているように見えることが楽しい。そういうものを見ることが最近は散歩の楽しみになっている。ちょっとヘンだろうか。
▼猫とツメクサ
ムラサキツメクサではないかと思うのだけれど、こういう花ほど見誤って恥をかくので「ではないか」とあいまいに書くことにしている。
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豊島区駒込『みんなのお庭』にて
道を歩いていて視線が合うと、一切関わり合いたくないというように、さっと逃げていく猫が多い。昔は人慣れしている飼い猫が自由に外をほっつき歩いていたせいか、触ったり抱き上げたりしても平気なおっとりした猫が多かった気がする。
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4匹揃って飼ってみたくなる猫たち
久しぶりに逃げない猫たちを見たが兄弟姉妹なのだろうか。人間ですら見知らぬ他人に用心しなくてはならない物騒なご時世に、どうしてこんなにおっとりと育ったんだろうと感心しながら心配してしまう
▼体育の秋と蝶たちの秋
このところ街なかで元気な蝶の姿をよく見かける。ツマグロヒョウモンにせよアオスジアゲハにせよ、4、5月から10、11月までの間という広範囲に出現期があるのだけれど、もうすぐ10月という時期に来て、飛び回る姿が元気の良いことに驚く。
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ツマグロヒョウモンとアオスジアゲハ
あまりに元気がよいのでひと所にじっとしていてくれず、ポケットの中にあったカメラがオートフォーカスに手間取る機種だと、なかなか写しとめることができない。人間には「体育の秋」だというけれど、猛暑が去ってしのぎやすくなった今が、蝶たちにとって最も体がよく動く季節なのではないかと思ったりする。
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ランタナに夢中のツマグロヒョウモン
とくに蝶たちが狂ったように群がっているのがランタナの花であり、中南米原産のこの花は蜜が好まれる品種なのかもしれない。野生化し繁茂しすぎて海外では問題になっているというランタナが、日本国内でどんどん野生化して繁殖地を拡げていること自体が、気象の異常さを物語っているというから、蝶の異様な元気さと関連づけると、ちょっと怖い気もする。
▼またアオウキクサのこと
六義園染井門前から染井の里を抜けていく古道の先を延長していくと北区西ヶ原となり、東京外国語大学西ヶ原キャンパス跡地がある。大学があった頃から馴染み深い土地だけれど、更地になって再開発中の現在はもちろんのこと、大学が存在した頃から不思議な静けさを感じることの多い地域という印象がある。
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東京外国語大学跡地再開発現場にて
染井の里を抜ける古道を通って、東京外大跡地近くにあるスーパーマーケットまで買い物散歩をするのがこの夏の気に入りであり、その楽しみのひとつが道沿いにある鉢の中で消えては増え、増えては消えるアオウキクサを眺めることだった。
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また数の減ったアオウキクサと、カワニナと新顔のメダカ
通りかかると決まって足をとめ、眺めるのが癖になってしまったのだけれど、この日はなんとメダカの姿があってびっくりした。オタマジャクシのように空から降ってくるわけでもないので、持ち主が放されたのだと思う。以前からカワニナがこの鉢で飼育されていることには気づいており、こうして水鉢を観察しているうちに、水辺の生きものにこだわりを持たれているご主人の姿が見えてきた。
▼カットモデル
カメラなどの工業製品をダイヤモンドの刃で丁寧に切って、その断面に現れた内部構造を見られるようにした展示物をカットモデルといい、カメラの展示会やカタログで、飽きることなく食い入るように眺めたものだった。
最近はカットモデルというものを見ないな、とネット検索してみたら美容院のカットモデル募集ばかりがヒットする。
「あなたもカットモデルになりませんか?」
と言われて、理科室の人体断面模型にされる自分を連想する若者など、もういないのだろう。
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東洋文庫の断面
大通りを挟んだ隣にある財団法人東洋文庫が建て替え工事に入っている。今年4月から解体工事が始まって、建て替え部分はすでに更地になった。2011年7月完成予定だという。
解体部分を切り取るように解体したのか、工事現場に東洋文庫のカットモデルが出現していた。階段部分の構造などが良くわかって妙に面白い。
▼井戸のある行き止まり
東京都区内のように土地の高低が複雑に入り組んだ坂の多い町だと、平地は平地、高台は高台が勝手に平坦な土地を拡げていくと、最後は高台と平地の境界である斜面がなくなって垂直な壁のある町になる。
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文京区千石二丁目の井戸
垂直な壁に突き当たってその先に行けない袋小路の突き当たりに手押し式のポンプがあった。ちゃんと水が出て実用の役に立っているようなのだけれど、かなり年季が入っているので昔からここにあるのかもしれない。
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文京区千石二丁目の袋小路
突き当たりの壁の上には巨大マンションが建っているのだけれど、工事の際に良く水脈が損なわれてしまわなかったものだと思う。行き止まりと巨大なコンクリート建造物とと手押しポンプ井戸が共存する東京らしい風景がここにあり、こうしてみると斜面というのも実は大切なものだなと思う。
▼ウキクサとアオウキクサ
この夏、小さな鉢いっぱいに増えては除去され、除去されてはまた増えるいたちごっこを見るようで、ほのぼの楽しませてくれた近所の玄関前にあったアオウキクサ。
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ついこの前、除去されて寂しくなった鉢がこんなに賑やか
実は根っこがたくさん生えているとウキクサ、一本だけならアオウキクサだと聞いたので、根っこを確かめに行ったらまた鉢いっぱいに増えていた。
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水中に伸びた一本の根
近くに近寄って写真を撮ったら、ひとつに一本ずつしか根が生えていないようなので、間違いなくアオウキクサらしい事を確認してほっとした。
▼猫又
昔見たテレビアニメ『まんが日本むかし話』で猫又のでてくる話があってとても気に入り、今でも好きだったシーンは市原悦子と常田富士男の味わい深い語り口とともに覚えている。
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蜘蛛の巣と落ち葉の置物(猫又坂にて)
たしか、猫が生まれてから10年飼い続けると猫又になって人の言葉を話せるようになるという。寺で飼われていた猫が10歳の誕生日を迎えた日に、突然隣にいた和尚さんに話しかけてびっくりさせるのだけれど、常田富士男の和尚さんに向かって市原悦子の猫が
「和尚さんも、年をとったにゃー……」
としみじみ語りかけるシーンが忘れられない。
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猫又橋際公衆便所)
愛猫や愛犬が10年飼ったら猫又や犬又になって飼い主に話しかける、なんてことが本当にあったらちょっと怖い気もする。
「あんたも、年をとったにゃー……」
ならいいけれど、
「ずいぶんひどい飼い方してくれたにゃー……」
とかネチネチと切り出されて、ついには全人格を否定されるような話しをされたらどうしようかと思う。幸いイヌもネコも今は飼っていないけれど、物言わぬ動物ゆえにひどいものを見せたり聴かせたりした事があったからだ。
▼位置
九月も終わりに近づき、街路樹も色づき始めたものを見かけるようになった。半袖を着た人の姿が減り、人はこれから冬に向かって着膨れていく。
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教育の森公園の秋
電車に乗って車内が空いていて、自分で好きに座席の場所を選べる場合、人それぞれに自分が占めたい好みの位置があるようで面白い。たまに、空いていても端から順に詰め合って座る行儀の良い人も見かけるけれど、たいていは他人から距離を置いてポツンと座りたいものだと思う。
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朝倉響子作、フィオーネとアリアン+1
旧東京教育大学跡地を利用した教育の森公園にも深まり行く秋の気配がある。朝倉響子の作品「フィオーネとアリアン」と並んで腰をおろしている女性がいた。
写実的ではあっても本物の人間ではないのでもう少し近づいて腰掛ければいいのに、左のはみ出たお尻が痛くないか、などと余計な心配をしてしまう。僕なら遠慮無くフィオーネとアリアンに挟まれた一番広い部分に腰掛けると思うのだけれど、彼女には彼女の占めたい位置と遠慮があるのだろう。
▼仕業(しわざ)……3
人が何かをした痕跡がある場所には人の残像がある。そこでどんな残像を見るかは人それぞれの勝手なのだけれど、無人の八百屋を見て働く魚屋の残像を見る事はまれなので、場所はたいがい場所固有の残像を持っている。
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街角で見つける小さな人の痕跡たち
親に客があって帰ったあと、タバコの煙とヤニ臭さ、人が発散した体温、整髪料や化粧の臭いにまみれた体臭が残っていたりすると、さっきまでそこにいた人の輪郭が見えるような気がするのが、幼い頃からずっと不思議だった。
思えば子どもの頃に、ブリキのおもちゃや積み木で町を作ったりしてひとり遊びしたのは、そこにかつて見たことのある人の輪郭と仕草を縮小投影して遊んでいたのであり、生まれてから死ぬまで、人は残像と実像を同時に見ながら暮らしているような気がする。
▼仕業(しわざ)……2
朝夕の涼しさに深まりゆく秋を感じて暮らしていて、街角で黄色い花を見つけるとドキッとし、通りすぎた夏の炎天下にもう一度連れ戻されそうな気分になる。
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六義園界隈で見かけた黄色い花たち
通りに面して作業場が開け放たれていた。立ち止まってじっと眺めているといかにも不審者然とした自分の姿が思い浮かぶので、そそくさと写真に撮らせていただいた。ここにもまた興味尽きない人の仕業(しわざ)の痕跡がある。
近くの商店街で店を構える青果店の倉庫なのだろう。突き当たりにある冷蔵庫には、おそらく自家製漬け物が仕込まれており、扉手前の石は漬け物の重し、上のホワイトボードには仕込みの記録が書かれているのだと思う。
9月18日の自分の日記をもう一度転記するなら、
「暮らしの中にある仕業の痕跡を眺めると、やはりレコード盤を針がなぞるように、懐かしさで胸がみたされる」
というような、心に働きかける言葉が、この風景の中にもある。
▼十四五本
秋の彼岸なので、いつもはひっそりした染井霊園にも線香の煙がうっすらと流れ、墓参りの人々が無数の墓石越しにちらりちらりと見え隠れしている。
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左から、本郷通り六義園界隈にて、JR山手線染井橋にて、豊島区駒込『みんなのお庭』にて
枯れてはいても、いつも花があって誰か訪ねた人の形跡がある墓ではなくて、古びてすり減ってうち捨てられたままになっているような小さな墓に、花と線香が供えられているのを見るとほっとするし、著名な歌人の墓に誰も参った形跡がないのもまた秋の感慨を深くする。
郷里静岡県清水への墓参りにちょうどよい連休だったが、あれこれ理由をつくって在京で過ごし、静岡市葵区で雑誌編集会議のある30日まで母親には待ってもらうことにした。
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『みんなのお庭』にて
豊島区駒込、旧七軒町にある『みんなのお庭』に寄ったら、猫の額ほどの庭にちゃんとヒガンバナが咲いていて、植木職人町に住む住民の自主管理に込められた深い心配りに感動する。そういえば染井界隈の古びた民家脇にも、この時期になるとひとかたまりのヒガンバナが咲いている事が多い。
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豊島区駒込にて
路地を歩いていたら赤い色が眼の端をかすめたので、ヒガンバナかと振り向いたら鶏頭が咲いていた。
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規
母が好きだった子規の墓はどうなっているかしらとふと思い出したので、連休最終日23日に行ってみようと思う。
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2009年9月23日午後追記。
東京都北区田端、大龍寺にある正岡子規の墓に行ってみたら、やはり鶏頭の花が供えられていた。
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左:正岡家の墓所、右:子規墓前にあった鶏頭
子規の命日は1902(明治35)年9月19日なので、まさに鶏頭の花の盛りにあたっている。
【『剣』のこと】
郷里静岡県清水から届く便りにも、次第に大気が澄んできて富士山の姿が少しずつ見えるようになってきた、とあり六義園上空も夕暮れの茜が鮮やかさを増してきた。
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六義園上空の夕暮れ
清水橋脇にあった串揚げの店『剣(つるぎ)』さんの場所が更地になっていて驚いたと友だちからのメールにあった。火事があり、数軒の店舗やアパートとともに焼けてしまったのだという。
大好きだったご主人の安否が気になり、この日も消防団として消火にあたったという高校後輩にメールで確かめたら、火事があったのはもう2ヶ月も前、7月19日の事だったという。
「この時は駅前銀座の屋根の上からずっと放水していましたが、建物がどれも古いため火勢と煙がもの凄く、なかなか鎮火しませんでした。清水橋も通行止めになり、近所の交通は10時頃までマヒ状態でしたね。鎮火してからの帰り、剣さんのご主人が呆然と火事場を見ていたので、『元気だしてくださいね!』と声をかけたら、気丈に『はいよ!』とこたえてくれましたが、それがかえって辛かったですね。」
元船乗りで苦労人のご主人が、気丈に見せようとしている姿が思い浮かんで胸が痛む。
実家の片付けが終わって、清水帰省と言えば墓参りばかりになってしまい、清水橋から清水駅前にかけては足が遠のいてしまったけれど、実家のあった場所といい、『剣』のあった場所といい、何だか見たくない場所が増えるのも困ったものだと思う。
自分のサイトを検索したら2006年4月2日に一人『剣』で飲んでいた。
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2006年4月2日の『剣』
その日の日記にはこんなことを書いていた。
「春雷がとどろき、外は生暖かい雨なのにひとけのない一軒家というのはひどく寒く、慌てて電気ストーブをつけたりする。結局、向こう三軒両隣(と言っても「向こう」は理容室一軒なのだが)にご挨拶し、ついでに散髪もしてもらい、一ヶ月も放置したままの自動車のエンジンをおそるおそるかけ、次郎長通り『魚初』に行って魚を東京の義父母の住まいに届けてもらうよう注文し、実家に戻って電気ストーブをつけ、なんとなく侘びしい感じもしてテーブルに突っ伏して居眠りし、目覚めたら時計は午後6時に近く、激しい雨もまた終息していた。」
雨上がりの町に出て、ひとり『剣』に行ったらやさしく迎えてくれたお父さんがおり、キャプションとしてこんな言葉が添えてあった。
「静岡県清水。母が好きだった清水橋脇、串揚げ『剣』でひとりで飲んでみた。ご主人はなんと宮城県石巻出身だという。撮影日: 06.4.2 6:18:55 PM」
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▼浮き草の夏
瞬く間に田んぼの水面をアオウキクサが覆い尽くしていくさまを幼い頃よく見た。非常に増殖力の強い水草だというけれど、いったいどのように増殖していくのか、駒落とし映像で見たいものだと思う。
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いっぱいに増殖したアオウキクサ
玄関先の大きな鉢にアオウキクサがたくさん浮いている光景を見て心和み、しばらくしてもう一度見に行ったら掬い取って除去されたのか、まばらに浮いているだけになっていた。それが、またしばらくして見に行くと水面を覆い尽くすように増えている、ということを夏の間繰り返していたらしい。放っておくと増えて困るので定期的に駆除しなくてはならないのかもしれなくて、ご苦労様な事だと思っていた。
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まばらになって、また増え始めるアオウキクサ
合鴨農法ではアイガモたちの餌になると聞いたことがあるので、いっそ人間の食用にならないものかと検索したら、金魚は食べると書かれている方がいた。金魚の餌になることは確かだと思うけれど、食べているところは見たことはないという。だが、水槽に入れておくとなくなっているので確かに食べているのだろうと書かれていて、アオウキクサにふさわしい緩やかな観察でいいな、と思う。
▼秋の蒸気機関車
閉館した交通博物館に隣接する旧万世橋駅跡の高架にもススキの穂が揺れ、夏の駅を発車した秋行きの蒸気機関車が、順調に速度を上げはじめている事を実感する。
かつてWILLCOMの携帯ユーザーだった頃はときどき万世橋を渡ってサービスセンターに行ったものだった。今は『トプカ』のキーマカレーが無性に食べたくなってこの橋を渡ることが多い。
秋葉原という地名のせいもあるかもしれないけれど、煉瓦造り建造物がある万世橋は秋がよく似合う。
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