電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
タバギン
2016年12月30日
僕の寄り道――タバギン
文化の香り高い田端銀座商店街が好きだ。年越しの買い物に出て、キャラクターが誕生していたことに今日初めて気づいた。
似たり寄ったりのキャラクターブームには食傷気味だったけれどこれはいい。買い物袋を下げてヨタヨタ歩く帰り道も楽しい。
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六義園休園
2016年12月30日
僕の寄り道――六義園休園
六義園は 12 月 29 日~ 1 月 1 日まで休園。新年は 2 日より開園。
写真は 2016 年 12 月 30 日午前 9 時 30 分の正門前。
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人間ホイホイ
2016年12月29日
僕の寄り道――人間ホイホイ
むかしは人の写っていない風景ばかりを撮っていた。最近は構えたカメラの画面に人が入るのがうれしくて、無機的風物に向かってカメラを構えると、人が入ってくるのをじっと待ちかまえていたりする。
小石川二丁目「こんにゃく閻魔」脇、大正末期創業「大亜堂書店」の看板建築前
仕掛けた画面に人が入ってきて温もりが加わり、「ああいいな」と思っても、歩道が粘着シート付きではないので、入ってきた人間が逃げ出さないうちに、素早くシャッターを切って捕獲している。
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形而上的土蔵
2016年12月29日
僕の寄り道――形而上的土蔵
昼休みに小石川植物園まで歩いたら閉園中だった。「ああそうか、もう 29 日だものな」と思い、高台の春日通りと低地の千川通り、その中間あたりの等高線的道を平行に歩いたら井上哲次郎邸跡があって児童公園になっていた。井上哲次郎は明治の歴史に度々登場するけれど、イノテツと呼ばれて「形而上」という訳語を作った先生、その程度の記憶しかない。
井上哲次郎
井上哲次郎(1855~1944)は、筑前大宰府に生まれ、巽軒(そんけん)と号した。東大教授となり、従来の英仏系の哲学に対して、新たにドイツ系哲学を移し、日本の観念論哲学の樹立に寄与した。
著書には「巽軒論文初集」「日本古学派之哲学」「新体詩抄」、漢詩「孝女白菊詩」、漢詩集「巽軒詩抄」などがある。
この地は、1892(明治25)年から亡くなる1944(昭和19)年まで住居のあった所である。旧宅は戦災で焼失したが、書庫であった土蔵二棟が残った。跡地は、現在文京区立井上児童遊園となっている。
土蔵のうち、手前の一棟は、1903(明治36)年の建造で木骨レンガ作り二階建てである。奥の一棟は、鉄筋コンクリート造り二階建てで、1919(大正8)年の建築である。
関東大震災や戦災で、隣接家屋は焼失したが、土蔵内に収納された物品は安全であった。土蔵は防災建築史上からも貴重なものである。
土蔵二棟は、1981(昭和56)年3月、文京区教育委員会が補修整備を行なった。
文京区教育委員会
公園入口脇に蔵が二棟保存されており、東京都指定史跡という看板のついた金属柵が張り巡らされている。古くて造形的に優れた蔵が保存されずにどんどん姿を消していくので、井上哲次郎の名前と「防災建築史上」という点が保存物件としての肝なのだろう。
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年末の奇跡
2016年12月29日
僕の寄り道――年末の奇跡
大掃除は普段動かさないものを動かすことによって失せ物を見つけるよい機会である。見つけられずに諦めていたものが思いがけない場所から出てくる。
どうしてこんなところに入り込んでいたのだろうと驚き、確かに入り込んだら見つけられないだろうと納得せざるを得ない場所に失せ物ははまり込んでいる。
たとえば 100 万回のうちたった1度ある奇跡…とそれをたとえてみる。精密ドライバーで外した小さなネジを取り落とし、それが床に当たってかすかな音を立てたきり、目を皿のようにして探しても見つけられない。同じことを 100 万回繰り返しても、その神隠しが再現できるか自信がない。
失せ物は世界の中にある特殊なニーズのため穿(うが)たれた穴のような、ニッチな場所に落ち込んでいる。落ち込んでいるのを見つければ結果論的に必然性を感じるけれど、神の仕業に近いそれを意図的に再現するのは難しい。
1年間にたった1度もやったことのないことをやってみることにより、思いがけない場所から失せ物は出てくる。連続テレビ小説『べっぴんさん』の主題歌で、ミスターチルドレンだって、たった一度ある奇跡について「この晦日(みそか)でもそれくらいわかってる」と歌っているではないか、と思ったら「晦日」ではなく「夢想家」だった。
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夕暮れと銭湯
2016年12月28日
僕の寄り道――夕暮れと銭湯
小学校の6年間、東京下町で通った銭湯は「きんせんゆ」という。面白い名前のよい銭湯だったなと東京を離れてからも時々思い出していた。
本郷通り上富士交差点のいちばん星(2016年12月28日)
やがて再び上京して東京暮らしとなり、あの銭湯はまだあるだろうかと気になり、懐かしい町を訪ねたら同じ場所にあった。だが正しい名前は「金星湯」だった。
あらためてよい銭湯だったなと懐かしさが増し、夕暮れの空に一番星を見つけるたびに思い出している。
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十二月の空気感
2016年12月28日
僕の寄り道――十二月の空気感
慌ただしい師走の喧騒の中で「ああ、街は十二月の空気感だね」などと言葉にして言い、そのたびに「感」という言葉はむずかしい。
「感」とは口を閉ざして言葉を飲み込むほど心理的衝撃を伴う認識をすることなので、そもそも言葉にならないものであり、言葉にした瞬間「感」は抜けてしまう。
「嫌い」「疲れる」と言葉に出して言ってしまうと、身体から「感」が抜けてしまって「嫌悪感」や「倦怠感」にならない。「嫌い」「疲れる」と言ってしまうことによって、不思議におりあえる人間関係もあり、それが救いともなっている。
ひとり乾いて冷たい空気を吸い込みつつ、ふいに胸を満たすものがあって話しかける人もいないと、その瞬間にだけ十二月の空気感はある。
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ドアの上のハングル
2016年12月27日
僕の寄り道――ドアの上のハングル
地下鉄南北線の溜池山王駅で銀座線に乗り換えたら、ドアの上の液晶パネルが日中韓三ヶ国対応になっている。次の赤坂見附が漢字とひらがなの日本語に続き、中国の簡体字、そしてハングルという表示になる。
ハングルはまったく読めないけれどじっと見ていたら「あかさかみつけ」と同じ 7 文字なので最初の 4 文字は「あかさか」だろうと思う。ということは 2 字目と 4 字目は同じはずで「ヲト」がその場所にあるので「か」だろうと思う。
ということは「あ」は「0ト」で「さ」は「人ト」なのであり、そうか「0ト」「ヲト」「人ト」「ヲト」で「あかさか」なのかと思ったら次の駅名に表示がかわっている。
青山の「あ」は赤坂と同じなので「0ト」だが、つづく「お」の字形を見たら別の部品が登場し、おそらく「あ段」と同様に「お段」はその部品を用いて展開されるのだろう。ハングルの五十音図おおよその仕組みが想像でき、なるほど勉強になったと思ったところドアが開いたので青山一丁目駅で降りた。
帰りは半蔵門線に乗ったがこちらは日中韓三ヵ国表示ではないらしい
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師走の診療所寸景
2016年12月27日
僕の寄り道――師走の診療所寸景
血圧の薬が大晦日までしかないので近所の診療所へもらいに行った。義父がデイサービスに通っていた頃、センター職員に「往診をいとわないよい先生」と紹介されてから、家族全員でお世話になってきた。
文京区に大雨に関する注意報が出たので足早に向かったら、風に煽られながら小柄なおじいさんが歩いておられ、やはり同じ診療所に向かわれていた。
受付をしながら
「休みだと嫌だから電話をしたらずっと話し中なんで来ちゃったよ」
と事務の女性たちに話されており、奥から先生が
「奥さんの足の具合はどう?」
と大きな声で尋ねる。
「足の方はなんともないです」
とおじいさんが答え、要領を得ないので先生が診察室から出て来て
「あなたのじゃなくて奥さんの足の方」
と言ったらようやく妻のことを思い出したらしく
「ああ、女房の…」
と言う。
「巻いてる?」
と先生が聞いたら、おじいさんが
「足はよくないけど、泣いてはいません」
と答えるので、事務の女性たちが口をおさえて笑いをこらえていた。
「そうじゃなくて足に巻くやつをちゃんとしてますか?」
と手振りまじりで伝えたら、やはり巻いていないらしい。
「巻いておかないとよくならないよ。わかった、昼休みに俺が巻きに行くから」
と言ったら、おじいさんは頷き、そのまま居眠りを始めた。
地域密着型の診療所なので患者からの電話相談がひっきりなしにあり、昼休みは年寄りたちの往診に飛び回るわけで、経をあげる坊主ではなく人を生かす医師が走り回る、もうひとつの「師走」風景がそこにあった。
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虫の研究
2016年12月27日
僕の寄り道――虫の研究
他人が見た夢のあらすじを聞かされるほどつまらないことはないので、なるべくそういうことはしないように心がけている。誰でもそうに違いないのだけれど、ついつい他人に聞かせてしまうのは「腹の虫がおさまらない」からだろう。
妻がひどくうなされているので大丈夫かと声をかけたらいきなり叩かれたことがある。いじめられる夢を見ているところだったので、手が勝手に動いて逆襲したのだという。「いてえな、おい!」と怒ってみても「ごめんねきっと虫の居所が悪かったのよ」と、他人事のように詫びられて済んでしまう。
郷里清水には昔ながらの庚申堂がまだ残っている。いまでも年寄りたちが堂宇にこもってお日待ち講のような寄り合いをやっている。庚申講の「三尸(さんし)の虫」にしても、人の体内に他者としての虫を住まわせて業を背負わせているわけで、面白い習俗だなあと思っていた。
昨夜も嫌な夢を見て目が覚め、忘れようとしても「腹の虫」がおさまらないので、誰か日本人と体内の虫について研究をものした人がいないかと検索したら、『「腹の虫」の研究 : 日本の心身観をさぐる』名古屋大学出版会 2012 (南山大学学術叢書)というのを見つけた。
読んでみようかと思ったら 7,128 円もする。もらった図書券があるので買ってみようかと「浪費の虫」が騒いだけれど、これ以上モノを増やさないためにぐっとこらえ、来年早々、時間をつくり国会図書館に行って読むことにした。
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春へ
2016年12月26日
僕の寄り道――春へ
郷里清水からいただいた葉書の返事を書いたので
「2016年も残すところわずかになり気忙しい日々が続きます…」
などと書いてはみたものの、三人の親たちの在宅介護が終わり、夫婦二人きりになった今はそうでもない。もうひとり夫という手間のかかる他者がいる妻にしてみればまだまだだとは思うけれど、それにしても四人の手間が一人になったのだから、気忙しさも薄らいでいるだろう。
人間の世話以外でもやたらと気忙しいのが年末年始である。
やれクリスマスだ、忘年会だ、大掃除だ、初詣でだ、年始まわりだ、新年会だと、忙しさで鬱する暇もないほど自分や他人に負荷をかけつつ、互いに足を引っ張りながら自虐的な年末年始を脱することでカタルシスを得るような無益な騒ぎをしているのが人間だ。
そういうことから距離を置いて平然と年末を過ごすと、木枯らし一号が吹いて以来、世界が春に向かって嬉しい助走を始めているのがよくわかる。昼休みに白山上の文具店まで買い物に出たのだけれど、往復の道すがら、春がそこまで来ていると嬉しくなるような風景をたくさん見た。
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大宮の火事
2016年12月26日
僕の寄り道――大宮の火事
「大宮で火事があったんだよ!」
と妻が言うので昼火事かと思ったら、昨夜の火事の話を特養ホームの事務員が興奮気味に教えてくれ、介護職員の間でも話題になっていたと言う。
聞けば大好きな大宮駅東口すずらん通りの一角であり、同じ 22 日の朝に出火した糸魚川大火と同日なのでびっくりした。
みごと時代に取り残されることによって大宮駅前の地域資源になっている 100 メートルほどの古びたアーケード街。あの貴重な商店街が焼けてしまったのかと暗澹たる気持ちになったが、焼けたのは入口脇のステーキ屋で、両隣のとんかつ屋とヘアサロンが気の毒に貰い火で全焼したらしい。
「銀座ライオン 大宮東口店」斜め向かいにポッカリ空いた更地が防火帯になってくれたので延焼を免れたのではないかとすずらん通りアーケードファンの妻が言い
「現場を見せてあげる」
と言うので、24 日の特養ホーム訪問帰り、白いシートで覆われた現場横で野次馬をし、すずらん通りに入ってライオンで生ビールを飲んだ。
勘定を済ませ、建物に囲まれた不思議な更地を背伸びして覗き込んだら、誰がどこから入って詣でるのかわからないけれど、小さな祠が一つあり、確かに信心が大火を防いだようにも見える。
枯れ野にもほこらがひとつありぬべし
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恵存
2016年12月25日
僕の寄り道――恵存
いただいた本に「恵存(けいぞん)」とあるのは、著者が「どうぞお手元にお置きください」とへりくだっておられるわけで、畏れ多くもありがたい話である。岡田英弘編による『モンゴルから世界史を問い直す』藤原書店が発行され、岡田英弘・宮脇淳子ご夫婦連名のサイン入りで頂戴した。
コンクリート製集合住宅、その同じ屋根の下に暮らし、偶然知り合って意気投合した。互いに訪問し合ってお裾分けなどをし、飲み食いを共にするようになってまる三年になる。たいへんな歴史学者と寝食を共にできる幸運に恵まれている今を大切にするため、乱読中の本を脇に置いて早速読み始めた。新年早々お宅に招かれて夫婦四人の食事会もあるので、それまでにぜひ読み終えたいと思っている。
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さざえさんぽ
2016年12月24日
僕の寄り道――さざえさんぽ
国指定重要文化財である会津栄螺堂(さざえどう)に一度行ってみたいと思いつつ、親たちの介護が始まってそういうのんびりした旅ができずにいる。大正大学構内にできた「すがも鴨台観音堂(通称:鴨台さざえ堂)」に妻とふたり歩いて行ってみた。
二重螺旋構造を右回りに上って左回りに下りてくるのであり、理屈でわかっている構造の内部に入り、中の人になってみたことで、旅の楽しみ以外の半分だけ満足した。
隣接する大正大学5号館8階にプリンスホテルが運営する「鴨台食堂(おうだいじきどう)」というカフェ・ダイニングがあり、土日の昼はハーフブッフェになっているので昼食にしたら残り半分も満足した。
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