携帯端末と固定電話

僕の寄り道――携帯端末と固定電話
(2016年6月17日)

最近は自宅の固定電話にまともな相手から電話がかかってくることが少ない。いっそ解約してやろうかと思うけれど、手続きが面倒でなかなかその気にならない。一方、幸いにも携帯電話のスマホにくだらない電話がかかることはなく、かかってくるとまじめで緊急な要件であることが多いのでドキッとする。
 
ドキッとしながらかまぼこ板のようなスマホを耳に当て、
「もしもし」
と言いながら会話をし、それが緊急の要件であればあるほど緊張してしまい、余計な操作をして会話が切れてしまったり、音量調整をしようとして別のボタンを押してしまったりする。
 
しかも、緊急の用事だと予定表を見たり、住所録を調べたりしたいこともあり、耳に当てたスマホを耳から離し、画面を見ながら操作するため
「少々お待ちください」
などと通話を中断しなくてはならない。スマホのイヤホンジャックに差し込むだけで電話のオン/オフや音量調整ができるようになる昔ながらの受話器を見つけたので購入してみたが、iPhone でも Android でも使えてたいへん調子がいい。

外出時はともかくとして在宅時はスマホにつなぎっぱなしにしている。どうせなら固定電話機のような受話器置き台があると便利なので、100円ショップで売られている小物を組み合わせて作ってみた。

→ 受話器 (グリーン)


 

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新書サイズの読書ノート

僕の寄り道――新書サイズの読書ノート
(2016年6月17日)

 考えたことをちゃんとメモしておかないと、はじめから何も考えてなどいなかったかのように、心に思い浮かんだことが跡形もなく揮発してしまう。年をとったせいか、最近はその傾向が強いので、本を読んだり新聞を読んだりして感心したこと、その連想で考えたことなどをノートにメモしておくことにしている。

 学生時代、授業の最中はノートをとった。しっかりと板書をする教師の授業では、そのスピードに遅れないよう必死で書き写した。時折、面白い教師がいて、黒板をバンバン! と叩きながら
「こんなものを書き写さなくていい。ちゃんと前を向いて集中して授業を聴け!」
と言い、そのくせちゃんと授業を聴いていたかを調べて単位を出すため、期末になるとノート提出させたりする。仕方がないので授業のあとで思い出しながらノートに展開するため、内容の要点だけを箇条書きや流れ図的にメモしていた。

 そんな学生時代を思い返すように気づいたのだけれど、いま自分が学生時代のようにつけている要点を列挙しただけの読書ノートでは後日あまり役に立たない。メモではなく、初めてそれを読む他人でもわかるように、ちゃんとした「文章として」書いておかないと、自分が書いたものであっても何を言っているかわからなくなる。

 試しに数ヶ月前つけた読書ノートを読み返してみたが、酔っ払いが興奮して思いつくままを喋っているみたいだ。感動して要点をメモしたのだという記憶はあっても、どういう文脈で感動したのかがぜんぜんわからない。これではいけないと思ったので、どう感動してどう考えたかを、ちゃんと自分の言葉で「文章として」書いている。未来の自分が今よりもっとバカになっているのが老化だからだ。

 頑丈さに惹かれて Moleskine(モレスキン)のノートを使っていたのだけれど、安くて製本がしっかりしている軽量の国産ノートを見つけたので使い始めた。なんと無地の新書サイズがあり、書き終えたら自分で表紙カバーをつけて本棚に整理できる。新書サイズは読みやすいと思っていたけれど、書いてみても描きやすいサイズなのでびっくりした。読書ノートづくりがぐんと楽しくなってきた。

ミドリ MDノート 無罫

 

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多色ボールペンとモレスキンノート

僕の寄り道――多色ボールペンとモレスキンノート
(2016年6月17日)

 OHTO という筆記具メーカーの製品が好きで愛用している。この MULTI-Smart 4 というペンは、ネーミングが示しているように 4 本の芯を内蔵して 4 種類のペンとして使うことができる、いわゆる多色ボールペン。そういう多色ボールペンは必然的に軸が太くなるのだけれど、この製品は驚くほど細身にできている。その秘密は一見チープなプラスチック製に見える軸の構造にあり、なんと極薄に加工された金属でできている。極薄構造なのに十分な強度があることで細身にし、改めて塗装によって金属臭さを隠してプラスチック風の軽みをまとっているという、プッシュ式なのにひねりの効いた製品企画になっている。

 中の芯は 4C 規格に準じているので、各社から発売されている様々な替芯と交換できる。最近はパソコンとインターネットから離れて、Moleskine(モレスキン)ノートにメモを取るのが習慣になっている。仕事のこと、住民自治会のメモから、読んでいる本の読書ノートまで、あらゆることを細かな字で書き込んでいるので、そのために必要な替芯に差し替えている。

 1本目は最初から付いている0.5mmのシャープペンシルをそのまま使っている。これは読んでいる本に傍線を引くためのもの。2本目はパイロットコーポレーションの「感圧方式入力スタイラスペンレフィル」で、感圧ペンで操作したり手書き入力できる電子辞書で調べ物をするためのペン先(TCRF-15)、3本目はパイロットコーポレーションのハイテックCスリム 0.4mm(LHRF-20C4-B) というやつで、Moleskine(モレスキン)ノートの平滑度の高い紙にも滑らず、筆圧をかけなくてもスラスラと書け、小さな字による細かい書き込みにも耐え、インクが染み込んで裏うつりしたりしない。そういう条件にぴったりだったからで、個人的にはこれがベストだと思う。4C規格ボールペンの弱点としてインクのストック量が少ないので、4本目にも同じハイテックCスリムの芯を予備として挿してある。

→ オート スマート4 ホワイト MF-15ST4-WT

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戦争と天女

僕の寄り道――戦争と天女
(2016年6月17日)

 清水在住の伯父が他界して享年百歳だった。招集されて戦地に赴き、帰ってきた時は隻腕になっていた伯父である。その長男として生まれた従兄が
「おふくろが傷痍軍人のおやじと結婚してくれたから、苦労はしたけれど自分たち兄妹は生まれてくることができた。それだけでありがとうございましたとしか言えない」
と言葉を詰まらせながら言うのを聞いていたら、伯父の復員を終戦後だと思い込んでいた間違いに気づいた。

 ひつじ年の従兄は昭和18年生まれであり、復員して伯母と結婚し、それから子どもを作ったのだから伯父の負傷、復員、結婚は終戦より数年前のことだろう。お経に読み込まれていた個人の経歴を聞いていたら支那事変という言葉が聞き取れたので、日米開戦前の大陸で負傷したのかもしれない。

 法要が終わって寺の住職が挨拶をされ
「実際に戦争に行った人の葬式は久しぶりです。戦後七十年、戦地から生きて帰って、さらに七十年以上生きられたというだけですごいことです」
と言っていたが、確かに従軍体験のある生存者は希少になっているのかもしれない。

 清水区高橋町の高源寺。かつて清水区妙音寺地区に久能寺という寺があった。大変歴史の深い寺で、奈良時代、久能山山頂、現在の久能山東照宮あたりにあったが、駿河に侵攻した武田信玄によって1570(永禄13)年に麓へと移された。そして明治の廃仏毀釈で建物が処分された際、久能寺から買い取って移築したのが高源寺本堂だという。

 6月13日、その本堂で行われた葬儀の際、不徳の致すところで意味のわからない読経を聴きながら伯父と戦争について考え、本堂正面奥、文化財の欄間ではなく、その脇に飾られた古い彫り物が気に入ってしまい、ずっと眺めていた。

 どうやら三保の羽衣伝説にちなんだ天女像のようなのだけれど、天女の微笑んだ顔や舞姿の造形が自由闊達ですばらしい。陰惨な戦争と、それに翻弄された人生について想いを馳せながら、それにしても天女の姿に見る平和なのどかさはなんだと思いつつ、出棺時に立ち上がって写真を撮りながら眺めたら、元禄時代(1688-1704)の作(16年)だそうで、やはり明るく活気にあふれた庶民文化の香りがするわけだ。この天女の顔を見よ。


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