電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉おんな船頭唄
2019年9月30日
◉おんな船頭唄
本を読んでいたら「われわれがだましたりうれしがらせたりする相手はまさしく自分自身にほかならない」と書かれていて、ほんとうにそうだなあと思う。他人に対してのようでいて実は自分にそれをやっている。なんとかポジティブに考えようと努力しているときなどがそうだ。
子どもの頃から自分で自分を遊んでやるという感じがしていた。兄弟姉妹のいないひとりっ子だったというせいかも知れない。自分の世代でひとりっ子はまだ少数派で、ひとりっ子には問題児が多いなどという社会通念が、子ども自身の耳にまで届くようなやり方で囁かれていた。
同年輩や、珍しい年上のひとりっ子と話すと、「ひとりぼっちは苦手じゃない」「ひとり遊びは得意です」などと自虐を含んだ笑いとともに言う。自分で自分をだましたりうれしがらせたりするのが得意になってしまうのだ。
本駒込 2019
そんなことを考えながら三橋美智也「嬉しがらせ〜て〜 泣かせ〜て消えた〜」という歌詞を思い出して笑ってしまう。「かわいそうなは みなし子同士 きょうもおまえとつなぐ船」とひとりぼっちの女船頭は月を相手に歌っている。昭和三十年の『おんな船頭唄』で親たちがよく歌っていた。
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◉月曜朝の目玉焼き
2019年9月30日
◉月曜朝の目玉焼き
夢を見るのも考えているうちに入るんだろうか。だとしたら何考えてんだかわからないけれど、今ごろになって義父母のために料理をしている夢を見た。
目玉焼きを二つ並べて焼いているんだけれどなかなか黄身に火が通らない。もたもたしていたら、義母がもう待てないので歯磨きして寝るという。一所懸命やってるんだからもうちょっと待ってくれ、作っている人の身にもなってくれと怒鳴る。
千石図書館 2019
こうなったら目玉焼きをひっくり返してサニーサイド・ダウンの両面焼きにするしかないと思い、えいやっとフライパンを振ってひっくり返そうとした途端、ドスン!と音がしてベッドから落ちて目が覚めた。
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◉ミズヒキのある道
2019年9月29日
◉ミズヒキのある道
点とは位置だけあって大きさのない図形である、という言葉の説明がなんて美しいんだろうと思ったころまでは数学が好きだった。
線とは、についてはどう言ったっけと思って辞書を引くと、「点が動くとき、面が交わるときにできる、幅と厚さのない長さ。」と書かれていて、自分がかつて覚えたのとは違うけれど、これはこれとして簡潔で美しい。
自分がもっと簡潔に記憶していた線の定義はたぶん直線だったのであり、曲線を美しく言葉にするとどうなるのだろうと辞書を引くと「角がなく、連続的に曲がっている線。」とあって冗長な気もするけれどこちらも美しい。
ベクトルも好きだったけれど、あれはどう簡潔に言ったのだろうと辞書を引くと「大きさと向きをもつ量。」とある。もっと簡潔に漢字だけでいうと「有向線分」とあり、これは初めて聞いたので辞書を引くと「数学で線分に向きを与えたもの。」とあって、簡潔さはどこまでも美しい。
千石 2019
無限を辞書で引くと「数量や程度に限度がないこと。」とある。これはこれで正しいけれど古代中国のことわざだともっと美しくて「無限は角のない正方形である」と言う。これは禅の空円相(くうえんそう)のことではないかと思われる。こういう美しく哲学的な言葉の「方向」も好きだ。
千石 2019
なんでそんなことを辞書引きしたかというと、図書館に向かう道端にミズヒキが咲いていたからで、ミズヒキは昔から好きだ。見つけると「あ」と思う。「あ」は空間の位置に打つ心の点であり、ミズヒキが占める空間は方向だけあって量がないので我欲を感じない。図書館に本を借りたり返したりで通う道に、今年もミズヒキが咲いて哲学の小径(こみち)になっている。
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◉Jean Rondeau(ジャン・ロンドー)のチェンバロ
2019年9月28日
◉Jean Rondeau(ジャン・ロンドー)のチェンバロ
◉富士市中之郷寄り道
2019年9月26日(木)
◉富士市中之郷寄り道
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同い年の女性が、駿河区小鹿の自宅から編集会議のある静岡駅前のビルまで
「歩いて来ようと思ったら意外に歩けなかった、タクシーを拾おうとしたら流してない、仕方がないからバスを待っていたらこんな時刻になってしまいました」
と息を切らし、言い訳しながら遅刻してきた。歳をとるにつれて思うほどの距離を人は歩けなくなる。
同い年の他人を笑えなかった。自分もさっき会議のあるビルの脇で転んだばかりで、コンクリートに打ち付けた右膝、右手がまだ痛かったからだ。人は歳をとるにつれて思うほどの高さまで上げたつもりの足が上がらなくなる。そしてわずか 2 センチ足らずの段差につまづいて転ぶようになる。
2019 富士市中之郷
午前中、蒲原で取材を終えて国道一号線を富士川駅前まで歩いた。つまらない道だった。
富士川駅前で時計を見たら、編集会議まで時間があるので駅前から山側に向かい、旧東海道を歩いて蒲原まで引き返してみようと思いついた。坂を登って行くと左手に大きな寺があり、宗清寺と等覚寺という。宗清寺は曹洞宗、等覚寺は日蓮宗であり、山の中腹に大きな寺が二つ並んでいる。旧東海道脇にあるので、昔から立ち寄る人が多かったらしいが、理由の一つは眼前に広がる眺めだろう。
2019 富士市中之郷
東海道本線下り列車が富士川(旧岩渕)駅を出ると、右手の小高い山上にたくさんの墓が見える。大きな墓苑だがこの二つの寺の裏手にのぼった場所にあたる。あれはこんな場所だったのかとあらためて思う。寺の門前から東を眺めると富士川にかかる東海道本線と新幹線の鉄橋、岩渕町、富士市街の工場群、そして愛鷹山塊が見渡せ、天気が良ければ富士山も見える絶景ポイントなのだろう。
2019 富士市中之郷
小休止して写真を撮っていたら蒲原宿まで歩けるような気迫がいつの間にか消え失せていたので、山を下って富士川駅まで戻り、やってきた島田行きに乗っておとなしく静岡駅前に向かった。そして編集会議があるビルの前で、わずかな段差につまずいて転んだのだ。
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◉旧五十嵐邸のトランスパレントスター
2019年9月26日(木)
◉旧五十嵐邸のトランスパレントスター
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9 月 26 日は駒込駅 7 時 20 分発の山手線に乗り、静岡駅前で毎月行われる『季刊清水』編集会議に出かけた。会議前に新蒲原で途中下車し「蒲原の味処 よし川」さんで小さな取材をさせていただいた。
2019 蒲原
開店時刻にちょっと早かったので山居沢川沿いを歩いていたら、広報掲示板に「ドイツの折り紙 トランスパレントスター展』のチラシが貼られていた。トランスパレントスターについてはマリアンネシュテットラー著『トランスパレントスター』日本語版翻訳者のサイトに詳しい。
2019 蒲原
残念ながら 23 日が最終日ということでタイミングが合わず見逃した。あの旧五十嵐邸でトランスパレントスターの展示というのがナイス・センスで感心した。
2019 蒲原
「蒲原の味処 よし川」さんで神田松之丞の独演会が開かれるというのにも驚いた。チラシをもらってきたので、帰郷後、知り合いで追っかけをしている女性編集者に見せたら、そういえば「松之丞さんが言ってた言ってた。それが蒲原なんだ!」と驚いていた。蒲原の人たちの「今」は絶えず動き続けている、と感じさせる何かがあっていつもおもしろい。
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◉明るい表通りで─On The Sunny Side Of Street
2019年9月25日
◉明るい表通りで─On The Sunny Side Of Street
正午前に、近所のコーヒー店が毎月開くガレージセールで買い物をし、白山通りにあるカレーの店に初めて入ってみた。店名は『Grand Route 66』という。再訪したくなるハイカラで、懐かしくて、とてもおいしいカレー店だった。
本駒込 2019
帰り道はハイカラ気分のまま On The Sunny Side Of Street を避け、 On The Shady Side Of Street を歩いて帰ってきた。道の陽があたる側はまだまだ炎暑だけれど、陽の当たらない側の空気はひんやり冷たくて、秋がぐんぐん深まっている。明るい表通りは道のむこうがわとこっちがわで、夏と秋が互いに見つめ合い歩きしながら、静かに別れを惜しんでいる。
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◉来年の予定表という日記帳
2019年9月24日
◉来年の予定表という日記帳
そろそろ来年の予定を書き込む必要が出てきたので 2020 年の予定表を注文した。今年途中より、予定表を小さな手帳から A5 判 6 穴のバインダー式ノートに移行した。書き込んだ予定やメモが日記がわりになるからで、大きなサイズにこまごました記録をつけている。過去になったページは組みかえて月ごとにまとめると、ちゃんと連用日記になる。これはいい。
バインデックスの見開き一ヶ月タイプリフィルが、背景に点線方眼が入って機能的で、よくある方眼リフィルにカレンダーを重ね刷りしたようになっている。このデザインが使いたくて A5 判ノート移行を思いついた。果たして 2019 年度版は売れたのだろうか、需要がなくて廃番になっていないだろうかと心配で、ちゃんと来年度版が発売されていますようにと祈りつつ検索したらちゃんとアマゾンに出ていた。
バインデックス 手帳 リフィル 2020年 マンスリー カレンダー+方眼メモタイプ インデックス付 A5-090 (2020年 1月始まり)
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◉「漢字展ー4000年の旅」
2019年9月23日
◉「漢字展ー4000年の旅」
きょうは東洋文庫の企画展「漢字展ー4000年の旅」が最終日なので午前中に観覧してきた。
東洋文庫 2019
古代中国で誕生した漢字は、世界史上もっとも字数が多い文字といわれています。日本へは5世紀頃に伝来し、日本語の発達および学問、文化と切り離せない存在です。本展では、漢字の成り立ち、漢字文化圏の広がり、日本における漢字文化、文字の由来など、日常的に使っていながら意外と知らないことの多い漢字にまつわる様々な知識を、国宝を始めとする文化財を中心とした展示によって分かりやすく紹介いたします。(東洋文庫サイトより)
この企画はまさに東洋文庫ならではの好企画なのではないかと思う。とても充実した展示で勉強になった。
錯視とはいえハーフミラーを使った渡り廊下で足がすくむ。やはり怖いかと妻に聞いたら
「怖くはないけど気味が悪い」
とのことだった。
「ヲコト点」(漢文の読み方を示すため、漢字の四隅。中央、外側などに書く符号)のことも久しぶりに思い出した。
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◉森のイチゴたち
2019年9月22日
◉森のイチゴたち
マンション内の友人が誕生日で自分の誕生会を主催する、「淋しいから来て」と言うので酒とつまみを調達して出かけた。女三人男一人のお誕生会だけれど数年前までは六人だった。友人夫婦のご主人が相次いで亡くなり、夫婦揃って健在なのはわが家だけになった。もうちょっと大きい飲み会メンバーのときもあるけれど、それでもなお女の中に男が一人であり、参加者はみんなご主人を亡くして寡婦になっている。
マンション内が夫と死別した寡婦ばかりかというとそうでもなくて、男の一人暮らしもおり、男は男たちで集まって男の飲み会「男会」をやっている。リーダー格の男性は「女房は俺を置き去りにして逃げちゃった」と笑っているが、そういう熟年離婚も多いかもしれない。わが家は両性具有の便利さで、どちらの会に呼ばれても夫婦二人で参加する。
9月21日誕生日の女性がまた二歳年上に戻った。高齢のボーイフレンドがクール宅急便でこんなものを送ってきたので、なんだろうと開けてみたらチョコレートと紅茶を詰め合わせたバースデープレゼントだったと言う。「見てよこれ、変わった趣味でしょう!」ともらった本人が大笑いしており、森のイチゴ(Forest Berry)を詰めたバスケットを模したブリキ缶というところに、いかにも外国製らしいバカバカしさがある。
笑いながら心の中で並行しておかしいのは、送り手の男性も誕生日プレゼントを選びながら店員相手に「こういうおかしな趣味のものを喜ぶ人なのでプレゼント選びが難しくて…」などと言って笑っていたかもしれないのだ。どっちが変わっていて、どっちがおかしいのかわからない。そんなことを考えながら笑っていたら横から妻が「わぁ、かわいい、わたし欲しい!」と言い、誕生日の女性が「よかった!あげるから持ってって!」と喜んでいた。わが配偶者もまた変わっていておかしいうちの一人である。
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◉時計の針が日付をまたぐ
2019年9月21日
◉日付をまたぐ
きのうは19時から新宿住友ビルの朝カルで永井均の「『世界の独在論的存在構造 哲学探究2』を読む」と題された講座に出てみた。
読書会の仲間が氏の講座を熱心に受講しており、永井均は好きな哲学者なので三回シリーズの最終回に飛び入りした。著者が自著を読みながら受講者と一緒に書かれた内容の妥当性を検証していく形式の読書会になっていてとても面白かった。永井均の書くものは形式言語で書かれたコンピュータプログラムのように感じていたので、著者と一緒に1行ずつ読みながら実行し、エラーがないかをチェックしている気分になる。ご本人曰く、事柄を書いているだけなので自分で解読しながら思索を深めていけるのだという。とても良かったので次期 10/18、11/15、12/20 の 3 回分を受講申し込みした。
新宿 2019
終了後、一緒に聴講した友人から、東武東上線鶴瀬駅前でかつての同僚が待っているので一緒に飲もうと誘われ、住友ビル前からタクシーに同乗し、高速道路を突っ走って飲みに行った。帰りは池袋行きの終電に乗り駒込駅で別たら、日付が変わった「いま」を時計の針が指していた。時間が歪んで見えた。
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◉考える人
2019年9月20日
◉考える人
高校時代、現国の教師が授業中、人差し指をそっと口にあて
「大きな声で笑わないようにしてそーっとこいつを見ろ」
と小声で言う。生徒の脇に立ち、
「こいつは汽車に乗っての遠距離通学なので、柔道部の朝練に参加するため暗いうちに家を出たんだろう。演習が終わって、教室に来て、腹が減ったので早弁をして、疲れて、腹も膨れて、もう眠くて仕方ない。教科書とノートを開き、教師の授業を聴きながら考え、鉛筆を持って何かを書こうとするポーズをとったまな寝ている。見事なもんだ。こんなすごい彫刻は一生のうちでなんども見られるもんじゃない。よーく見ておけ。いまにも鉛筆が動いて考えたことを書き出しそうじゃないか」
本駒込 2019
確かにあんな見事な彫刻はあれ以来見たことがない。同級生の名前は忘れたけれどその姿は今でも覚えている。
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◉双眼鏡
2019年9月19日
◉双眼鏡
親たちの看取りを終えて自由な外出ができるようになったので手頃な演奏会を見つけると予約して出かける。
演奏されるのが古楽器だったりすると楽器自体の細部が見たい。舞台と客席の段差がないホームコンサートのように小さな演奏会だと、休憩時間に置かれている楽器のそばに寄って見ることができて嬉しいが、小さな段差があるとそこまでしか近づけない。小ホールとはいえステージのある会場ともなれば壇上に上って見ることなどできない。最近よく行く武蔵野市のホールで NHK が収録したコンサート映像を見ていたら、客席で双眼鏡を使っているご婦人がいた。そうか、小さな双眼鏡を持っていけばいいんだと思う。
楽器の細部を見たがっている妻に話したら、「私は双眼鏡が苦手なの」と言う。そういう人がいる。自分も幼い頃はそうで、単眼の望遠鏡の方が使いやすく、双眼鏡も片目で見ていた。左右の目で別々の穴を覗きながら見たいものを探して焦点を合わせる動作を同時にやるのが難しい人がいる。ドアの取っ手など、回しながら押すとか、ボタンを押しながら全体を引くなどという複合動作ができない人もいる。
双眼鏡だと、さらに接眼部を自分の目の幅に合わせ左右の視度調整をしろ、などと言われるとますます緊張して「私は双眼鏡が苦手なの」ということになってしまうらしい。見た目に物々しい機械ではなく、わが家にある双眼鏡で最も簡便に見える小さなやつ出してきてこれを妻にあてがってみようと思う。NATIONAL GEOGRAPHIC のロゴ入りなので「そっと鳥の巣をのぞくつもりで使ってごらん」と言ってみよう。
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◉バカはおたがいさま
2019年9月18日
◉バカはおたがいさま
新聞を読んでいてバカについて考えた。人間は外見じゃない中身だとよく言われ、中身とは心のことだと思いがちだけれど、それは違うという話を読んだからだ。その話には中身とは心などではなく内臓だという仰天のサゲがついているのだけれど、そこから脱線して、そもそも他人の外見でなく心を見られるものだろうかと考えたのだ。
子どものころ友だちに「バカ」と言われた子は「バカって言うほうがバカだもん」と言い返していた。「そう言えってお母さんが言ってたもん」と続けていたので、親がそう言えと教えていたのだろう。昔の大人はすごいことを教えてくれたのだなと思う。
本駒込 2019
年を取ってきたら友人から「あいつは年を取って頑固になって言い出したら他人の言うことを聞かない、意固地で怒りっぽくて上から目線で、何でも自分の思い通りにしたがるので困る」などと他人の悪口を聞くことが増えた。自分もまた他人に対してそう思うことが増えた。だがそのたびに、待てよ、年を取って頑固になって言い出したら他人の言うことを聞かなくて、意固地で怒りっぽくて上から目線で、何でも自分の思い通りにしたがるのは、実は他人に対してそう思う自分の方ではないか、と考え直している。
なぜそう思うかというと、人が他人を嫌うのは、自分と正反対な人に対してではなく、実はその人が自分に似ているからである場合が多いのだ。インターネットの時代になって体験的にそう学んだ。自分が嫌いな人は、実は自分に似ている。全く違う人に対して、羨ましく、ときには妬ましく思ったりすることはあっても、自分と全く似ていない存在を疎むことなどできない。他人をバカだと笑えるのは、自分の身に覚えがあるからだと思うことにしている。他人の心を見ているつもりで自分の心を見て笑っている。ヒトは鏡を見て笑うサル、自己嫌悪の動物である。
米国のヒット曲に『A Fool Such as I』というタイトルの曲があり、エルビスがヒットさせた。その邦訳が「バカはおたがいさま」となっているのを中学時代に雑誌で見て、うまい訳をするもんだと感心したことがある。欠点にしろ、無知にしろ、鈍感にしろ、恥知らずにしろ、バカはたいがいおたがいさまで、ひどく自分に似ている。
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◉新聞と道草
2019年9月17日
◉新聞と道草
「お前はなぜ新聞を読まない(読まないならやめてもいいんだぞ)」
と言ったら
「新聞を読むのはお父さんの仕事!」
と一言で亭主を納得させた妻が、新聞をパリパリめくる音を聞いて
「あ〜懐かしい音…」
と言う。妻は新聞を読む仕事をするお父さんがいる幸せな家庭で育ったのだ。毎朝、新聞をパリパリ音を立ててめくるだけで家庭的な喜びが得られるならお安い御用なので、早起きするとわざとパリパリ大きな音を立ててめくって読んでいる。
本駒込 2019
丹念に読んでいくと、新聞はテレビの報道番組やネットニュースで読めない、平地に生えた草のような記事が面白い。新聞は人が道草を食うためにあるのかもしれない。道草を食う使役牛がいる人生の農道脇、それが家庭の原風景である。
ある野菜工場では太陽のリズムに合わせるのではなく、月の動きに合わせて高収穫になる工夫しているという話が面白い。なるほどと感心したので、地球の自転公転、月の自転公転の仕組みをもう一度調べて復習した。月は不思議な力を持っている。その月が年に三、四センチずつ地球から遠ざかりつつあるという寂しい話も思い出した。ついでに、飲み会仲間とぞろぞろ歩きながら空を見上げ、人それぞれ月の上弦・下弦の認識が頑固に異なるのが面白かったのを思い出し、認識違いが平行線である原因も調べて確認した。
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