【退嬰】

 【退嬰】

退嬰(たいえい)の字義に興味をひかれて辞書をひくと、退でしりぞき嬰でまわることを意味する。嬰の字はまといつき、かこみ、かまい、ふれるといった意味の広がりをもっている。

嬰とは胸の前のことをいう。そして胸の前へ抱き抱えて乳を飲ませることも嬰といい、そうあつかわれる対象を嬰児(えいじ)という。そういう嬰児の状態に自ら退いて回ろうとするのが退嬰的なのであり、社会への出口に背を向けて引きこもろうとする意識のかたむきを、漱石は退嬰主義(たいえいしゅぎ)だと書いている。

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【自分と】

 【自分と】

漱石の足元でじゃれついて遊ぶ。

「穏かな空が自分と薄くなって行く所であった」(『門』)の「自分と」は「ひとりでに」という意味なのだけれど、わざわざ括弧付きの己れがそこに挿入してあるところに味わいがある。
「穏かな空が薄くなって行く所であった」で充分なのだけれど、それだと必要ななにかが抜けている。

そもそも「自分と」に限らず「自然に」も、「ひとりでに」も、「自ずと」も、それがないとなにかが抜けていると人が感じてしまうあることについて言っている。

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【伊勢五】

【伊勢五】

古い商家を見るのが好きだ。
古いということは暮らしのやるせなさと容易に結びつきやすいので、古い民家をあけすけに眺めたり写真を撮ったりするのも失礼にあたることもあって憚られる。だからそもそも他者の視線に晒され、見られることを覚悟の商家を遠慮なく眺めるのが好きなのである。というか商家は見せるのが商売だから「見世」なのであり、人生の晴れ舞台を遠慮なく見てほしいはずなのである。

文京区千石、白山通りの裏通りに古い商家が残る場所があり、現在は千石四丁目になる。1745(延享 2 )年に小石川村から町奉行の支配下に入り、広大な野原の真ん中にある町屋だったため大原町と名付けられたという。この辺りが野原だった時代を思い浮かべようとしても東京都内ではなかなか出来ない。

旧中山道と併行するこの道も江戸時代から既にあった古道だ。
『伊勢五』という蔵をともなった米店の建物が素晴らしい。明治初年の建築だそうで平成 15 年文部科学省告示第161号により文化財に登録されている。

『伊勢五』というのはおもしろい屋号だと思うのだけれど、岡本綺堂などを読むと伊勢屋はよく登場するありふれた名である。酒屋には伊勢屋が多く、落語や古川柳でも酒屋といえば伊勢屋が記号として用いられている。

ともかく江戸の町には伊勢屋がたくさんあったので、伊勢の下に名前の一字をつけ独自性ある屋号として名乗ったらしく、谷中には江戸千代紙の『伊勢辰』もあるけれど、考えてみたらその谷中三崎坂を上ったあたりにある酒屋が『伊勢五』だったのを思い出した。調べてみたら 1703(宝永 3 )年に伊勢屋五右衛門が開業した酒屋なので『伊勢五』なのだという。

千石の『伊勢五』前に立つと年代物の表札があり、小石川区大原拾番地の表示とともに今井五郎右衛門とあるので、こちらは伊勢屋五右衛門ではなく伊勢屋五郎右衛門で『伊勢五』なのだろうと推察できる。現在当主の五郎右衛門さんは七代目にあたるという。

現在は文京区だけれど明治時代にこのあたりは小石川区だったのであり、小石川区が本郷区と合併して文京区となったのは昭和 22 年のことである。区名は公募されたが、公募したくせに適当な名がないとの理由で職員が『文京』とつけたらしく、そんな郷里静岡県清水の合併に似たドタバタも、この建物は知っている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 30 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【眼を眠る】

 【眼を眠る】

漱石が選んだことばに仔猫のようにじゃれつくと楽しい。

「また眼を眠ってしまった」(『彼岸過迄』)という言い方も近代的な自我との葛藤に煩悶した人のことばとして味わい深い。意識と運動の輻輳。「眼を眠る」なら「口を話す」なのだろう。

南北朝時代(1336年〜1392年)の軍記物語である太平記に「虚空に向ひ目を眠り」に続けて「口に文呪したるに」がある。

室町から鎌倉へむかう、人が人を離れたように血生臭い自我の時代の表現であることが面白くてちょっとじゃれついてみた。ただ「生きる」でよいところを「人生を生きる」と言うことによって加わるのも、そのなにかだろう。

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【四月のめあて】

【四月のめあて】

近所の小学校は春風亭小朝の母校である。その正門脇の掲示板に毎月の「めあて」が掲示され「三月のめあて」は、「一年間のしめくくりをしましょう」だった。

毎年三月は出版社が年度内に刊行しなければならない抱え込んだ書籍の仕事が殺到し、それらを次々に片づけているうちに四月になっている……という仕組みになっており、他人の一年間をしめくくることが自分のしめくくりとなる。


東大正門から安田講堂に向かう銀杏並木が美しい
Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

そして四月も終わりに近づき、あらためて小学校正門脇の掲示板を見たら今月のめあては、「きまりよい生活をしましょう」に替わっていた。


四月のめあて
Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

「きまりよい」という言葉は小学校低学年にわかりよく言ったもので、大人にわかりよく言えば「規則正しい」になる。「きまり」で広辞苑第五版をひくと、「きめられたもの。規則。また、秩序」とあり『風来六部集』から「我にきまりあれば先の是非自ら明けらし」という引用が用例として示されている。


外出した昼時に東大近くにいると昼食はきまりよく学食で済ませることにしている
Data:SONY Cyber-shot T1

『風来六部集』というのは 1779(安永 8 )年、刃傷沙汰で捕らえられ小伝馬町の牢内で病死した平賀源内(江戸中期の博物学者・戯作者。摩擦起電機『エレキテル』を作ったことで有名)の遺作を森島中良(オランダの解剖図譜「ターヘル・アナトミア(解体新書)」を翻訳した桂川甫周国瑞の弟)がまとめたものである。

風によってもたらされたような四月はそもそも風来であり、毎年四月はきまりよい暮らしのリズムが壊れる月になっていた。


東大文学部地下食堂脇。靴屋も製本屋もみんな「きまりよい」。最近の学生はレポートなどもパソコンを使ってプリンタで印刷するのだろう。使い終わったインクカートリッジ回収箱が設置されており、EPSONは他メーカーよりきまりよいように見える。さすが時計屋である
Data:SONY Cyber-shot T1

三月恒例一年間のしめくくりを終え風来の四月を気ままに暮らした頃が懐かしい。

郷里静岡県清水でひとり暮らしする母のための介護帰省が始まり、毎週末の清水暮らし、隔週での県立静岡がんセンター付き添いがきまりとなり、否が応でもきまりよい暮らしをしなくてはならなくなった。
 
ともすれば風来になりがちな四月。
「我にきまりあれば先の是非自ら明けらし」
一年間のしめくくり同様きまりよい生活もまた他者によってもたらされたものであり、そもそも風来である人間がきまりよく生きるために社会はあって他者のためは実は自分のためになっている、という当たり前のことに改めて気づき、膝をトン!と叩いて夜が明けたら東海 1 号に乗って清水に向かう。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2005 年 4 月 29 日、17 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【金のミルク】

 【金のミルク】

意識と体感の矛盾は人間の性(さが)であって、矛盾を調停をしながらうまいことやっていくように人間はできている。

リベラリズム(liberalism 自由主義)とリレーティビズム(relativism 相対主義)の尾根伝いをいくということ。

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【自分探し】

 【自分探し】

日記を読んだ妻が、「イヌも自分のトランスジェンダーについて悩むことがあるのかしら」と聞くので、「性差を逸脱した行動はあっても、自意識で性の同一性に悩んでいるわけじゃないだろう」と言っておいた。

繋がれたリードを切った犬が町にさまよい出ることはあっても、自分探しの旅に出るわけじゃないだろううと笑いつつ、でも脱走体験によって「ああこれが自由ってものか、自由って自分があるってことなんだな」とイヌが自分を探し当てることはあるんじゃないかとも思う。階層意識によって飼い主に権勢をふるうようになるイヌもいるわけで、それも自意識ゆえの悩みゆえと言えるのだろう。

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【空への階段】

【空への階段】

北海道在住の友人は、狭い場所で本に囲まれていないと集中して勉強ができないそうで、広大な北海道で小さな居場所づくりに苦労しているという。大草原の小さな家さがしである。

考えてみると札幌市内に限らず、バス・トイレ、洗面所、台所がきちんと付いていて居室だけがとくに狭い物件など、住宅事情の悪い都内でさえ見つけるのは難しいだろう。
 
わが母は、僕が小学校を卒業するまで東京の六畳一間、バス・洗面所無し、台所・トイレ共同の木造賃貸アパートで子育てをしていたので、広い家にいつも憧れていたようだ。大都会の小さな家からの脱出にあこがれてがんばった。

一方僕は、狭い家に住みながら、更に狭い場所に憧れていて、祖父母の家に預けられたりすると広すぎて夜も眠れず、足踏み式ミシンの下に潜り込んで眠ったりし、
「かわいそうに、よほど都会の貧乏暮らしが染みついたずらなぁ…」
などと哀れがられていたのだ。

郷里清水に戻って真新しい店舗付き住宅で暮らせることになり、母は大喜びし、僕も自分の部屋があてがわれることになり、念願の二段式ベッドの上段で眠りたいと頼んだのだけれど、
「あれは兄弟がいる子どもの物!」
と言下に却下された。

だが数日後、家の設計図を見ていた母が、
「あんた二段ベッドで寝たいって言ってたよね」
と言いだし、理由を聞くと家を少しでも広く使うため、部屋に二段式ベッドを作りつけ、下を衣類収納スペースに使うという珍案を思いついたのだという。

できあがった作りつけの二段ベッドは快適で、そこに潜り込んで写真雑誌を読んだり、ラジオの受験講座を聴いたりしながら高校を卒業するまで寝起きしていた。その小さな穴蔵に入るための木製のハシゴが実に良くできていて、今でもその手触りを思い出す。

いま、集中してよい仕事がしたいと思うときに憧れる部屋は、なにも余分な物のない広々とした部屋の真ん中に小さな机と椅子を置き、好きなノートパソコンが一台だけあるような環境なのだけれど、部屋への入り口はありきたりのドアではなく、下の階からちいさな木製ハシゴで登るような構造がいいなと思う。

広い部屋を狭く使うために有り金はたいてソファを購入したりする友人もおかしいけれど、広い部屋への狭苦しいアプローチに憧れる自分もかなり頭がおかしい。集中という高みへの階梯は人それぞれ個性的なのだろう。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 4 月 28 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【大山隠岐国立公園の秘密】

 【大山隠岐国立公園の秘密】

大山隠岐国立公園切手は 1965 年(昭和 40 年)に発行された。国定公園切手に比べて地味で陰気な感じがするその記念切手を眺めて「大山隠岐」が読めない小学生だった。


DATA : PENTAX Q-S1  07 MOUNT SHIELD LENS

大山は「おおやま」で「隠岐」は「〇〇〇」かなと思い、心の中でその国立公園名を「おおやま〇〇〇国立公園」と呼んでいた。「〇〇〇」をなんと読んでいたかは恥ずかしくて永遠の秘密である。

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 【日本の茶飴】

 【日本の茶飴】

位置に着目すると動きが見えなくなり、動きに着目すると位置が見えなくなる。

だから「飛んでいる矢」は止まってしまう。

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【「色っぽい」の記号学】

【「色っぽい」の記号学】

女装に憧れたことはない。
笑って貰うことを目的とした余興ならまだしも、どう考えても自分の容貌は女装に向かないし、あわよく女性に化け仰せても、それによる何のメリットもないからだ。

けれど世の中には真剣に女性でありたい男性もいて、テレビなどでは「えっ!」と驚くほど見事に女性らしい若者が登場する。最近の男子の顔は女子より遙かに端正で美しいことも多く、女装したら遙かに女性の美しさを凌駕してしまうのも驚くにあたらない。

自分が学生だった時代はもっと男子の顔がいかつくて、顎から口元にかけても骨格がしっかりし、毛深かった気がする。電車に乗ったら、明らかに女装とわかる男性がいて、まだやりなれないのか化粧もへたで
「(惜しい、もう少し毛ずねの見えないスカートにすればいいし、どうしてストッキングをつけないのかな。ファンデーションが薄くて髭剃りあとの青さがうっすら浮いて見えるのも残念だなぁ…)」
などとぼんやり考えているうちに、ふと視線が合い、その時の彼女(彼)の視線が、ゾクッとするほど色っぽかったのが忘れられない。

女性が「女性」として色っぽいのとは違い、
「(女性になりたいのに上手になりきれなくてごめんなさいね)」
と言っているような男性というのは奇妙に色っぽいのだ。そしてテレビで見る「えっ!」と驚くほど見事に女装した男性というのは、女性のように見えてあまり色っぽくないのである。

犬猫のプロを自称する職業の人たちは、生殖器を見ずにオス・メスを言い当てられるのだろうか。

母の愛犬イビはオスだけど、毎月母が清水帰省するごとに近所の動物病院に預けられ、シャンプーして貰い、若いトリマーのサービスでリボンをつけてもらって帰ってくる。

うーん!と感心してしまう。犬というのはリボン一つで見事に女装が可能なのだ。
生殖器以外にオス・メスの差がないというのは便利なもので、「女の子ですよ~」という「記号」を身につけると容易に他人を欺けるのである。他人といっても犬は欺けず、欺かれるのは「リボンは女の子という記号」に反応してしまう人間だけである。しかもわが母は
「前回は赤い女の子のリボンだったから、今度は青い男の子のリボンにしてね」
などとトリマーに話していて唖然とする。母の感性では青いリボンをつけたオス犬は女装に当たらないらしい。

自分にはどうしてもオス犬がリボンを付けただけで女装に見えてしまうのだけれど、人間同様あまりに見事に女装できてしまうオス犬をどうしても「色っぽい」とは思えない。けれど、突然リボンをつけたイビが「ヴァオッ!ヴァオッ!ヴァオン!」と野太い声で吠え、股間が丸見えになって化けの皮が剥がれる瞬間だけは、ちょっとだけ「色っぽいな」、と感じたりする。「色っぽさの記号」は非常に微妙なものである。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 26 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【どうでもいいと寛容】

 【どうでもいいと寛容】

どうでもいいことをどうでもいいままにして、どうでもいいことをどうでもいいとずっと思い続けることが寛容ということである。

どうでもいいことがどうでもよくないこととして意識にのぼろうとすることを遠ざけることが寛容なのだ。どうでもいいこととどうでもよくないことの関係は上下の階層ではなく、つねに同レベルにある相対的な関係だからである。

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【雪ん子納豆】

【雪ん子納豆】

『地産地消』、地元でとれた魚や野菜を地元で消費することの良さは誰にでもわかりやすいけれど、地元の商家が仕入れた商品を地元住民が買って消費することは地産地消と言わないのだろうか。

親が飲み屋をやっていてくれたおかげでためになったことのひとつは、客の一人ひとりが小さな店の財布に直結しているということ、大げさにいえば店主とその家族が首にかけた命の綱を客が握っているといえることを、身をもって痛感したことである。

たとえば毎晩部下を連れて飲みに来る上司がいて、みんなで割り勘して 1 万円ほど飲食し、週 5 日 1 ヶ月 4 セットで来店してくれたら、月 20 万円の売り上げになる。この店は飽きたといってご無沙汰すれば、その飲み屋は途端に月 20 万円収入が減るのである。

小さな店ほど客と店主は顔馴染みになりやすく、互いに厚いサービスを受けることによって抜き差しならない関係になるわけで、小さな店のそれは互酬互助の関係に近いかもしれない。

郷里清水に帰省する前日に風邪を引き、取りあえず風邪薬でも飲まなくてはと思うと実家近くの薬屋が目に浮かび、新幹線と静鉄を乗り継いで清水に辿り着くまで我慢してしまう。馬鹿げたことのようにも思えるけれど、「馬鹿げてるなぁ、薬なんてたいした額じゃないしどこで買っても同じだし……」という考えはゴキブリのようなもので、一人がそう考えれば十人がそう考えていると思った方が良いわけで、「まぁ、一人くらい客が減ってもこの店は潰れるわけではないし……」と思った途端、不思議にそう思われた店が潰れたりすることもあるのだ。


浜田踏み切り脇、元巴川製紙倉庫跡にも大型スーパーができていた

郷里清水に戻っても、近所に大型スーパーができたと聞けばとんでいって写真は撮るものの、意地になって近所の個人商店や弱小スーパーで買い物をしたりする。


フジマキ醗酵(清水辻町)の『雪ん子納豆』

大きなスーパーになくて小さなスーパーにある商品が楽しいのだ。大きなスーパーには水戸納豆しかないけれど、小さなスーパーには地元清水辻町で作られている納豆があるし、豆乳だって紙パック入りのナショナルブランドのじゃなくて三保で作られている瓶詰めのがあるのだ。


ラテン系といわれる清水育ちの納豆はメキシコ産のアボカドとも良く合う

小さなスーパーや個人商店というのは地元製造者と抜き差しならない互酬互助の関係をもっているのである。それを買うことによって「関係に一枚噛む」ことは地産地消の気持ちよさと同じくらい楽しいことであり、やっぱり互酬互助と地産地消は似ている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 26 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【「え?」】

 【「え?」】

呉音読みの「げんご」が漢音読みだと「げんぎょ」になっている。「え?」と思うけれど「言語」の読みを辞書で調べるとそうなっている。「言語」だとそうであるらしい。

「語」は漢音も呉音も「ご」と読み、「語」という文字の部品である「吾」は表音なので呉音でも漢音でも「ご」と読む。大脳と新皮質みたいに、呉音というカメの背中に漢音というカメが乗っかって言語が「げんぎょ」になっている。

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【時間を旅する】

 【時間を旅する】

伊藤彰彦『最後の角川春樹』に出てきた小松左京『果しなき流れの果に』を電子書籍で買って読み始めたら、この本は二十代の頃に読んだ!ということを思い出した。本はタイムマシン、読書は時間旅行だ。懐かしいけれどもう一度長旅する気にならないので再読はやめた。

もう一度時間旅行といえば、養老先生を読んでいたら共通感覚が出てきて、むかし読んだつもりでいた本をもう一度読み直したくなった。上製本で持っている中村雄二郎『共通感覚論』だけれど、ポケットに入る岩波現代文庫で買いなおして歩き方を変えてみた。

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